貴船神社の奥宮から北へ、標高680mの芹生峠を越えた先、奥宮からバイクで10分足らずの距離に「芹生の里」の碑が建っています。芹生の里は、上桂川支流・灰屋川(はいやがわ)の上流にあって、灰屋川に芹(せり)が自生していたことが地名の由来とされています。かっては、林
西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
彦根城は、JR東海道本線「彦根」から北西方向へ徒歩約15分の距離にありますが、当日はバイクで向かい、しかも時間の制約もあって、城への拝観は次回に譲ることにしました。向かったのは二の丸佐和口で、多聞櫓は国の重要文化財に指定されています。佐和口は南の京橋口、西の
一乗谷朝倉氏遺跡の一乗谷の東側には、南端に諏訪館跡庭園があります。諏訪館は、朝倉義景(1533~1573)の側室「小少将(こしょうしょう:?~1573)」の館で、その庭園は遺跡の中でも最大規模とされています。中心の4m13cmの巨石は、「諏訪の立石」と呼ばれ、滝の石組の一部
一乗谷朝倉氏遺跡-その1(一乗谷朝倉氏遺跡博物館~町並復原地区)
永平寺から南西方向へバイクで約15分の距離に一乗谷朝倉氏遺跡博物館があります。入館料は700円で、復原町並との共通券は820円ですが、70歳以上だと360円に割引されます。一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代(1467~1590)に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名・朝倉氏の遺跡
通用門を出た右側の小さな池に「一葉観音」が祀られています。曹洞宗の開祖・道元禅師(1200~1253)が貞応2年(1223)に師事した臨済宗の開祖・栄西禅師(1141~1215)の弟子・明全和尚(1184~1225)と共に南宋へ渡った際に海が荒れ、道元禅師が観音経を唱えると一葉観音が現れ、荒
吉峰寺(きっぽうじ)の西方向、バイクで30分余りの距離に永平寺があり、永平寺への参道の一番奥に二輪車の無料駐車場があります。(普通車の駐車不可)山号を「吉祥山」と号する曹洞宗の大本山で、寛元2年(1244)に波多野義重(?~1258)を開基として道元禅師により開山されま
気比の松原から北へ、バイクで約2時間の距離に吉峰寺(きっぽうじ)の駐車場があります。山号を「老梅山」と号する曹洞宗の寺院で、1300年前に白山を開山した泰澄(682~767)によって開かれたと伝わります。また、曹洞宗の開祖・道元禅師(1200~1253)が越前に到着後、禅の修行
金崎宮から下り、南へ進むと敦賀赤レンガ倉庫があり、その横にキハ28が停車しています。国鉄時代の昭和43年(1968)に「キハ28 1019」として製造され、福知山に配属され、昭和51年(1976)に冷暖房用発電装置が搭載されて「キハ28 3019」と改番されました。平成12年(2000)に廃
金前寺の直ぐ先に金崎宮への石段があります。石段を少し登った右側に愛宕神社があります。古くから「愛宕大権現」と称されて火防の神として信仰を集め、社殿の造営の際には敦賀郡を所領した酒井氏や福井藩主・松平氏から寄進がありました。鳥居をくぐり、石段を登った所に本
氣比神宮の東参道を出て、北へ徒歩約10分の距離に「泉(しみず)のおしょうず」と称されている名水が湧き出ています。戦国時代(1467~1590)に農民たちに発見されて以来、生活を支える水場として600年以上涸れることなく湧き続けています。また、延命地蔵尊などが祀られていま
令和5年(2023)の年末に氣比神宮へ参拝するため、7:40に敦賀駅に到着しました。令和6年(2024)3月16日に金沢~敦賀間が開通しますが、現在、大阪方面へは敦賀駅の先で線路が途切れています。敦賀駅から北へ徒歩約15分の距離に氣比神宮があります。社伝では、上古に主祭神の伊奢
長寿寺の南に金勝寺がありますが、栗東市の南方の金勝山(こんぜやま)の山中にあって西へ迂回し、乗用車なら離合が困難と思われる細い道を、バイクで20分余り登った所に金勝寺(こんしょうじ)があります。山号を「金勝山」と号する天台宗の寺院で、寺伝では天平5年(733)に
常楽寺から東へバイクで数分の距離に長寿寺があります。長寿寺は山号を「阿星山(あしょうざん)」と号する天台宗の寺院です。天台宗の湖南三山の一箇寺に数えられ、同じ地区にある常楽寺の「西寺(に)」に対して、「東寺(ひがしでら)」と呼ばれ、湖南三山の中では最も古
吉姫神社から南へ、バイクで約5分の距離に常楽寺がありますが、当日は閉門されていました。紅葉巡りの11月16日~12月1日以外、土・日・祝日のみ開門され、平日は予約が必要です。画像は平成30年(2018)11月参拝時のものを使用します。常楽寺は山号を「阿星山(あせいざん)」
西應寺の南に吉御子神社(よしみこじんじゃ)がありますが、野洲川を渡るため、東の県道22号線へ迂回して所要時間はバイクで10分弱となりました。鳥居の手前には「内侍所御泊輦遺跡」の碑が建っていますが、第122代・明治天皇(在位:1867~1912)が明治元年(1868)9月の東京行
西應寺の駐車場にバイクを置いたまま、南西方向の山中へ数分歩いた先に和田神社があります。かってこの地には円満山大槃若院少菩提寺がありました。第45代・聖武天皇(在位:724~749)の勅願所として、天平年間(729~749)に東大寺を開山した良弁大僧正(ろうべん/りょうべんだ
斎神社の西、バイクで約5分の距離に西應寺があります。山号を「功徳円満山(くどくえんまんざん)」と号する浄土真宗大谷派の寺院です。天平15年(743)に紫香楽宮へ移った第45代・聖武天皇(在位:724~749)の勅願所として、天平年間(729~749)に東大寺を開山した良弁大僧正(
正福寺から西へ、バイクで5分弱の距離に斎神社があります。天平年間(729~749)頃の創建と伝わり、斎王一行が伊勢へ向かう途中、当地に泊まったと伝えられています。平安時代(794~1185)に開設された「阿須波道(あすはみち)」は、野洲川に沿っていて、現在の斎神社の南には
善水寺から西へ、バイクで10分弱の距離に正福寺の寺号標が建っています。山号を「大乗山」と号する浄土宗の寺院です。参道を登った先に、昭和38年(1963)に修復された山門があります。天平14年(742)の秋から紫香楽宮の造営を開始し、天平15年(743)に紫香楽宮へ移った第45代・
妙感寺から北へバイクで約15分の距離、標高405.5mの岩根山の中腹、標高約200mの地に善水寺の駐車場があります。山号を「岩根山」と号する天台宗の寺院で、天台宗の湖南三山の一箇寺に数えられ、西国薬師四十九霊場の第47番札所でもあります。岩根山は古くは「十二坊」と呼ば
園養寺の西方向、バイクで10分弱の距離に妙感寺があります。山号を「雲照山」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、近江西国三十三ヶ所観音霊場・第33番札所です。参道を進むと庭園が築かれています。方丈妙感寺は南北朝時代の延元年間(1336~1340)に大本山妙心寺第二世・微妙大
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貴船神社の奥宮から北へ、標高680mの芹生峠を越えた先、奥宮からバイクで10分足らずの距離に「芹生の里」の碑が建っています。芹生の里は、上桂川支流・灰屋川(はいやがわ)の上流にあって、灰屋川に芹(せり)が自生していたことが地名の由来とされています。かっては、林
杉坂の船水の先を左折して北へ進むと「古道 若狭街道」と記されています。若狭街道は朽木を経由するものなど幾筋かのルートがあります。その直ぐ先に「氷室分れ」の標識があり、左折して北への坂道を登り、その先で下りとなって、標識からバイクで5分余りの距離に氷室神社が
北山台杉の畑の先で鷹峯街道は、直進する府道107号線と分かれ、右折して南下し、その先に地蔵院があります。山号を「桃源山」と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院ですが、創建に関する詳細は不明で、平安時代(794~1185)には真言宗の寺院であったと伝わります。明治20年(1887)
国道162号線を北上して、バイクで中川へ向かいました。平成10年(1998)に延長1,582mの中川トンネルが竣工し、現在での国道は集落を迂回しているため、集落内は閑散としています。日本人初のノーベル文学受賞者・川端康成(1899~1972)の小説『古都』の舞台となった所でもありま
東雲寺から東へ、バイクで20分余りの距離に四所神社(ししょじんじゃ)があります。所在地は京都市右京区ですが、カテゴリーは「京都府亀岡市~福知山市・綾部市」に含めます。天文21年(1552)に愛宕山白雲寺福寿院の幸海(こうかい)僧正が、清滝四所明神を原村の「かぶとの
清源寺の南西方向、バイクで約5分の距離に巴塚があります。源義仲 (みなもと の よしなか:1154~1184)の愛妾(あいしょう)・巴御前(ともえごぜん:生没年不詳)を祀る供養塔があります。寿永2年(1183)5月11日の倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で大勝し、
京都帝釈天の駐車場から南へ、バイクで5分足らずの距離に文覚池があります。神護寺中興の祖である文覚上人(もんがくしょうにん:1139~1203)が治承年間(1177~1181)に当地へ訪れ、この地を適地と村人を指導し、村人が掘削した溜池で、周囲850m、面積4.22haの大きさです。当
京都帝釈天の駐車場から南西方向へ、バイクで5分余りの距離に西光寺があります。山号を「飯森山」と号する真言宗の寺院で、山門は龍宮造の鐘楼門です。勝宝8年(756)に良弁大僧正(ろうべん/りょうべんだいそうじょう:689~774)により創建されたと伝えられています。その後、
日吉ダムの南、バイクで約10分の距離に福寿寺の駐車場があり、その先から帝釈天参道の登りとなります。参道には「願いの鐘」が設置されています。本堂石段下までの約700mに108の鐘が設置され、願いを込めて左手で叩いていけば、帝釈天に届くと記されています。また、「庚申塔
生身天満宮から北東方向へ、バイクで約15分の距離に日吉ダムがあり、ダムの手前の橋を渡り、上桂川の北側の道路を川に沿って登ればダム管理所前の駐車場へと続きますが、こちらは上桂川の南側の道路からの画像です。こちらは管理所側で、石垣に見える目印は平成25年(2013)9月
九品寺の東、バイクで10分足らずの距離に「園部城址」の碑が建っています。元和5年(1619)12月に但馬国出石藩主であった小出吉親(1590~1668)が移封され、園部藩が誕生して園部陣屋が築かれました。小麦山南東の丘陵に方形居館、武家屋敷を構え、周囲には外郭線を築いた本格的
摩氣神社から北東方向へバイクで5分余りの距離に九品寺があります。参道を入ると「天宗」と刻まれ、その奥に大日堂があります。天宗は昭和29年(1954)に開かれ、真言宗の流れを汲み、大日如来を本尊としています。東京都日野市にある日仏寺聖殿が総本山とされています。堂内に
摩氣神社(まけじんじゃ)は、JR山陰本線「園部」駅の西にあって、徒歩だと2時間近くを要しますので、当日はバイクで向かいました。園部川に架かる「摩氣橋」の畔に御神燈が建ち、徒歩ならばこの橋を渡って神社へ向かうと思われますが、現在は工事中で「この先通行止」となっ
伊夫岐神社から北へ、バイクで10分足らずの距離に長尾護国寺があります。本坊・惣持寺の近くとその下にも駐車場があり、下の方の駐車場にバイクを置きました。本坊への登り口に「長尾寺大門跡」があります。この辺りは「大門坂」と呼ばれ、長尾寺の山門が建っていた所と伝え
悉地院から南西方向へ、バイクで10分足らずの距離に太平観音堂があります。伊吹四大寺の一つ、太平護国寺が廃寺となり、当地に太平観音堂が建立され、遊行僧・円空(1632~1695)が造立した十一面観世音菩薩立像が安置されました。円空は太平寺の中之坊を拠点に伊吹山で修行を
伊富岐神社から西へ、バイクで約20分の距離に悉地院(しっちいん)があります。伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にあって、標高1,377mで滋賀県の最高峰です。日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)が伊吹の神に退けられたとの物語があって、古来から霊峰とされていました。
南宮大社の北西方向、バイクで約10分の距離に伊富岐神社(いぶきじんじゃ)があり、入口には石造りの太鼓橋が架けられています。神社付近には石器時代の遺跡や古墳なども多く、古代から豪族が住んでいたことが明かで、伊富岐神社は古代、伊富岐山麓に勢力を張っていた伊福氏
養老の滝入口駐車場から北へ、バイクで約20分の距離に南宮大社があります。第10代・崇神天皇(在位:BC97~BC30)の御代に創建され、古くは「仲山金山彦神社」と称されていましたが、美濃国府が現在の岐阜県不破郡垂井町府中に置かれたことにより、その国府の南に位置する宮と
関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」から南東方向の養老の滝へ向かうと、養老の滝への入口の手前の大菩薩寺の境内に「日本武尊史跡 当芸野(たぎの)」の碑が建っています。日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)が東国を平定して尾張国へ戻ると、伊吹山に悪い神がいる
名古屋城から西へ、バイクで30分余りの距離に名鉄「勝幡(しょばた)」駅があります。駅前には織田信秀(1511~1552)と土田御前(どたごぜん:?~1594)に抱かれた幼少期の織田信長(1534~1582)の像が造立されています。また、勝幡城の推定復元模型が展示されています。(画
八王子山から下り、西へと進むと神輿収蔵庫があります。延暦10年(791)に第50代・桓武天皇(在位:781~806)の詔により二基の神輿が奉納され、延暦寺の面目がつぶされたり、何か不利なことが起こると日吉神社の神輿を担ぎ出し、京へと繰り出し強訴しました。「神輿振り」と呼ば
坂本城跡公園から北西方向、京阪電車石山坂本線の「坂本比叡山口」駅の直ぐ西側に生源寺があります。山号を「比叡山」と号する天台宗の寺院で、「伝教大師生誕の地」です。父・三津首浄足(みつのおびときよあし)の居館跡であり、最澄(766or767~822)はここで誕生し、境内に
七本柳鳥居の直ぐ北側に坂本城跡公園があります。本丸跡は企業の所有地、二の丸・三の丸跡地は市街地となり、この公園は城外の当時は琵琶湖中で後世に埋め立てられた場所にあります。公園には明智光秀(1516~1582)の像が造立されています。坂本城は元亀2年(1571)の織田信長(1
近江神宮から北東方向へ、バイクで10分弱の琵琶湖岸に唐崎神社があります。日吉大社で代々神職を務められた家の先祖である琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまるのすくね)がこの地に居住して「唐崎」と名付けました。第38代・天智天皇6年(667)に大津京へ都を遷した天皇は
弘文天皇陵から北へバイクで約5分の距離に近江神宮の一の鳥居が建っています。社号標は近江神宮奉賛会の初代会長で、第34・38・39代内閣総理大臣などを歴任した近衛文麿(このえ ふみまろ:1891~1945)の筆によるものです。一の鳥居は、第二期工事の昭和19年(1944)に建立さ
近江今津港から南へ、バイクで20分弱の距離に白髭神社があります。国道161号線に面し、全国に約300社に及ぶ白鬚神社の総本社で、「琵琶湖とその水辺景観」の構成資産として、日本遺産に認定されています。社伝では第11代・垂仁天皇25年(BC5年)に倭姫命(やまとひめのみこと)
本堂から石段を登ると三十八所権現社本殿があります。慶長年間(1596~1615)に淀殿(1569~1615)により、石山寺の復興が行われた際に石山寺の鎮守社として「石山寺硅灰石(けいかいせき)」の上に建立され、国の重要文化財に指定されています。初代・神武天皇(在位:BC660~BC5
建部大社から瀬田の唐橋を渡り、瀬田川右岸を南下した先、バイクで5分余りの距離に石山寺があります。画像は平成30年(2018)11月参拝時のものを使用しています。石山寺は山号を「石光山」と号する東寺真言宗の大本山で、西国三十三所観音霊場・第13番、神仏霊場・第146番など
瀬田の唐橋から東へバイクで5分弱の距離に建部大社があります。社伝では、第12代・景行天皇46年(116)に日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと:生没年不詳)が神勅により、日本武尊を祀ったのが始まりとされています。当初は御子
水のめぐみ館アクア琵琶から瀬田川左岸をバイクで約5分北上すると右側に「瀬田城跡」の碑と「勢多古城地碑」が建っています。瀬田城(勢多城)は、「山岡城」とも呼ばれ、永享元年(1429)に山岡資広(すけひろ)が南の大日山に城を築き居城としました。第9代城主・山岡景隆(15
立木観音の駐車場から瀬田川沿いに、バイクで5分弱北上した左側に南郷公園の駐車場があります。駐車場から道路を横断すると「皇后陛下行啓記念碑」が建立されています。第123代・大正天皇(在位:1912~1926)の貞明皇后(ていめいこうごう:1884~1951)が大正11年(1922)11月1
佐久奈度神社から鹿跳橋まで戻り、瀬田川右岸を北上した直ぐ先の右側に安養寺の駐車場があり、駐車場から道路を横断すると「立木観音参道」の碑が建ち、810段の石段が連続して続きます。かっては南郷から2kmの登山道が参道となっていましたが、約150年前に京都の町衆により、
東笠取から南へ下り、瀬田川沿いに東へ進み、鹿跳橋を渡って進んだ先に佐久奈度神社があります。東笠取からはバイクで20分弱の距離です。佐久奈度神社は第38代・天智天皇(在位:668~672)が大津京へ遷都したのを機に、天智天皇8年(669)に勅願により中臣金(なかとみ の かね
奥宮神社から南へ進み、山道へ入って正法寺へ向かいます。奥宮神社の標高は400m、正法寺は標高443mの岩間山の南麓、標高390m辺りに立地し、標高差は僅かで、所要時間は約10分です。正法寺の手前に動物の防護柵があり、それを入ると正法寺の境内と思われます。防護柵から入り
東笠取清瀧宮から下ると電柱に「宇治市 東笠取」と表記されています。その先に奥宮神社・岩間寺(正法寺)への道標が立っています。電柱に張られてた岩間寺徒歩参拝道路図。バイクを路肩に置き、集落の最上部まで登ると、奥宮神社と岩間寺への登山道が左右に分かれ、奥宮神
瀬田川を宇治から上流へ向かって進むと、道路が左岸から曽束大橋(そつかおおはし)を渡って右岸を走ることになりますが、直進して府道242号線へ入り、その先で京滋バイパスの笠取インターの方へ進み、その先を右折して西笠取川沿いに北上して西笠取清瀧宮へ向かいました。曽
宝巌寺から舟廊下を渡った所に都久夫須麻神社の本殿が鎮座しています。永禄元年(1558)の大火で焼失し、永禄10年(1567)に再建されました。これが現存する庇(ひさし)と向拝の部分にあたります。庇の部分は素木仕上げで彫刻が施されています。撮影は禁止されていましたが、こ
近江今津港発9:30発の船に乗り竹生島へ向かいました。現在では竹生島往復の料金が3,000円となっています。今津と長浜からは琵琶湖汽船が運行し、今津港からは約25分で往復の料金は3,000円、長浜港からは乗船時間が約35分で、往復の料金は3,400円です。彦根港からはオーミマリ
明通寺は鵜の瀬の東の山中に立地していますが、県道を戻って「コ」の字形に進むため、バイクで10分を要します。明通寺は山号を「棡山(ゆずりさん)」と号する真言宗御室派の寺院で、若狭観音霊場・第14番及び小浜八ヶ寺巡りの札所で、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群
神宮寺から県道35号線を南へバイクで5分弱進んだ所に鵜の瀬があります。少し下ると小さな祠が鎮座し、巨巌を御神体とする社殿のようにも見えますが、詳細は不明です。その社殿の対岸側の巨巌に注連縄が張られ、先ず若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨されたと伝わり、若狭彦神社