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  • よくぞここまで生きてきた・・・

    今日は私の誕生日、満82歳を迎えることになった。私には2度の誕生日がある。一度目は3月16日で実際生れた日である。二度目は役場に届け出た戸籍上の三月三一日だ。二度もあるのは、父親が多忙の為だったのか、ルーズだったのか遅れて届け出たたからだ。誕生日には決まって子供や孫たちが、祝いの電話をくれる。嬉しくもあり、一抹の寂しさもあって複雑だ。それにしても、日本人の平均寿命は男性平均81.2歳、健康寿命は男性平均71.2歳を見事にクリアしたものだ。大病を患って、今なお、生かされているのが不思議だが、これからの余命を如何にしたものか模索中である。老人の役割は、人生で経験した知恵と教訓を如何に若者に語り継ぐかである。生き生きとして、与えられた命を最後まで全うしたい。青空に向かいてよくぞここまで生きてきた・・・

  • 共同養育の場を・・・

    子供は社会共有の財産と言われる。両親の教育・躾が基本となる。昔は、近所の大人達が協力して子供達を育ててきた。自分達の子供であろうが、他人様の子供であろうが区別なく・・・。核家族化の進展とともに、大人達の近所付合いは希薄になり、疎遠となっていった。共同養育は悪いことを叱ることと、躾が中心であったが、養育が基本だ。叱るだけでなく、褒めて育てることも大切だから・・・。学習塾、習い事も大切だが、隣人愛による共同養育の場があればと願う。花のれん共同養育の場を・・・

  • 独りよがりは禁物・・・

    人の価値観と理解はマチマチだ。己が理解していることは、当然、相手も理解しているだろうと思うところに大きな落とし穴がある。相手との認識の差があるところに、トラブルの原因になることがある。相手の思考を、「✖✖のはずだ」「✖✖であるべきだ」と決めつけるのは、禁物だ。自分と他人では認識が違っていることを、常に意識しておかないと、両者の間に齟齬が生じる。こんなこと、当然解ってくれているはずは、仲違いの元になりかねない。不要な誤解は、避けたいものだ。人付き合いの鉄則だろう。互いに不信を招く誤解には、注意したい。春の花壇独りよがりは禁物・・・

  • 共生する社会を・・・

    人の価値観と理解度はマチマチだ。己が理解していることは、当然、相手も理解しているだろうと思うところに大きな落とし穴がある。相手との認識の差があるところに、トラブルの原因が潜んでいる。同志的結びつきであっても、思うことはそれぞれ異なるものだ。そのことが解りあってこそ、大人の付き合いになる。「聖書」に【人は友の為に自分の命を捨てること、これより大きな愛はない】とある、母と子に見られる「無償の愛」程貴い愛はない。我々の住む社会は、いわゆるゲゼルシャフトの世界だが、近頃は、肉親間でもゲマインシャフトの世界が崩壊しつつある。ゲゼルシャフトは「GiveAndTake」の社会であって、「損得勘定」を優先する社会は、格差と生存競争の厳しい社会である。助け合う豊かな心のゲマインシャフト「GiveAndGive」の復活を願う。相互...共生する社会を・・・

  • 使い捨て文化に鉄槌か・・・

    新型コロナ・ウィルスの世界的流行により、マスクやトイレットペーパー等の生活用品が品薄になり、入手難の状況になっている。特に、マスクは安価で、使い捨て商品の代表格だった。花粉症の人にとっては、必須アイテムだが、コロナの流行により、その必要性が一層不可欠な商品になった。そんな時、人の足元を見て、高価な価格で転売され、価格の急上昇と品薄になってしまった。「使い捨て」の商品だったのが、一転して貴重品に様変わりした。安くて便利に使ってきた「使い捨て文化」に決別する絶好のチャンスなのかもしれない。たとえ100円ショップで購入した品でも、粗末に扱ってはならない。感謝して使う気持ちが大切なのだ。青い芽を吹く柳使い捨て文化に鉄槌か・・・

  • コロナは心の緩みから・・・

    WHOから、ついに、パンデミック(世界的流行)の加速が報じられた。感染者は世界で約40万人、死者は約2万人に達した。国によって様々な対策が採られているが、日本はやや安定してきたとして、要請を緩めた感がある。具体策を地域に委ねた感はあるが、油断は大敵でだ。病は心の隙間からやって来る。ウィルスは見えざる大敵だ。自粛ムードがやや緩和されたが、今こそ心を、一層、引き締めていかねばならない。私の大病の原因は、注意不足と、心に油断と隙があったと反省している。あの時、完全に治癒したと早合点したこと、定期検診を怠って油断したことを悔いている。コロナウィルスの流行が完全に収束するまでは、心を引き締めてかからなければならない。ライブや花見等で心浮かれていては、油断としか思えない。花見の頃コロナは心の緩みから・・・

  • 宮城まり子さんが逝去・・・

    戦後のアイドルだった宮城まり子さんが亡くなった。謹んで哀悼の意を申し上げたい。彼女は、戦後、焦土と化した中で、明るい希望を与えてくれた素晴らしい歌手だった。「毒消しゃ~いらんかね」や「ガード下の靴みがき」等が印象に残っている。鳥打帽子に胸当てズボンがとてもよく似合う可愛い人だった。単なる人気歌手に留まっている人ではなかった。社会福祉事業「ねむの木学園」を創設して、最後まで関わってこられてきたのは、立派で尊敬に値する人だった。若かかりし頃の愛くるしいエクボが強烈に印象に残っている。なんとも惜しい人を亡くしたものだ。謹んでご冥福を祈りたい。宮島・多宝塔の桜宮城まり子さんが逝去・・・

  • 世界恐慌の足音が・・・

    株価が全世界的に急落している。新型コロナがトリガー(引き金)となって、世界恐慌を彷彿させる。以前から指摘されていた「マネーゲーム」の危険性が現実になってきたように思う。異常な株高が実体経済と遊離して、金融界はマネーゲームに狂奔していると、その危険性が指摘されていた。ニューヨーク市場の株価の乱高下は、米国の慌てぶりを象徴しているように思う。「アメリカがクシャミをすれば、日本が風邪をひく」と言われてきたが、世界中に風邪が蔓延してしまったようだ。100年前の「世界大恐慌」は何としても避けねばならない。これを機会に経済活動と金融市場のバランスの取れた関係を取り戻してほしいものだ。甦ったシンビジューム世界恐慌の足音が・・・

  • 正体不明の新型コロナウィルス・・・

    新型コロナウィルスは、世界的に蔓延してきており、経済をはじめとして社会生活に重大な影響を及ぼしている。専門家もウィルスの正体を明らかにすべく、懸命に努力されてきている。各国の対応もまちまちで、国際間で知恵比べの様相を呈している。医療体制が整っておりさえすれば、正しく恐れるのが正解かもしれない。皮肉なことに、「幽霊の正体が見えず、枯れ尾花・・・」が頭をよぎった。早く収束してもらいたいものだ。経済優先の社会に何か有効なインパクトを遺してくれればよいのだが・・・。広島植物公園の春正体不明の新型コロナウィルス・・・

  • 第5世代の情報革命は人類に幸せをもたらすか・・・

    前日、鉄道は地域の発展と文化の創造に寄与する旨記した。今情報社会は、第5世代(5G)の情報革命に突入しようとしている。社会に定着すれば、想像もできない世の中になりそうだ。大容量で素早い情報のやり取りが可能となり、現在のスマホでは想像できないほど多機能を持つことになる。自動運転を初めとして、家電の一元的コントロール等、社会生活へのインパクトも計り知れないものがある。何処まで人間社会に大変革をもたらすのか、想像することができない。併せてアプリがその可能性をさらに助長するだろう。ナデシコの群れ第5世代の情報革命は人類に幸せをもたらすか・・・

  • 鉄道は新しい文化と街を創造するか・・・

    去る3月14日、JR山手線に新駅「高輪ゲエートウェー駅」が誕生した。かつては、品川と田町間には距離があるなと思っていた。テレビで新駅が詳しく紹介されていた。周辺は開発されて、近代化されると聞く。明治の初め、♪汽笛一発新橋を・・・♪から鉄道の敷設がスタートしたが、以来、新しい街ができ、文化が創造されてきた。近年、田舎の路線は、過疎化が進み廃線の憂き目に見舞われてきた。マイカーの普及とともに時代遅れの遺物扱いにされてきた。その時、近代的な「新駅」の誕生だ。新幹線網の拡充、中央リニア新幹線の登場等次々に新しく創設される予定だ。実現すれば、地域の活性化と新しい文化圏が創造されるだろう。新幹線ラッシュには、そんなに急いでどこへ行くと言いたいのだが・・・。これも時代の流れか。シクラメン生き生きと鉄道は新しい文化と街を創造するか・・・

  • 銀行の落日を見る・・・

    メガバンクと地方銀行の提携が公表された。時の流れと共に金融界も厳しい時代を迎えたのだ。不沈空母と思われていた銀行も、超低金利政策により、斜陽界の仲間入りしたようだ。マイカーローンや住宅ローンで急場を凌いでいるのだろう。ネット金融の登場と、ATМなどデジタル投資にも費用がかさみ、合併や新規事業を模索して奔走しているようだ。殿様商法は許されなくなってきたのだ。不沈空母も、飛行機による攻撃には耐えられなくなってきたのだ。昔日の面影は何処へ消え去ったのか。大蔵省(現財務省)による「護衛船団方式」も終焉の日を迎えたようだ。松島湾にて銀行の落日を見る・・・

  • コメンテータも、歯切れよく・・・

    ニュース番組をはじめ、ワイド番組の司会者やコメンテータは様々なキャラクターが起用されている。最近の傾向として、専門家に偏りがちだったのが、常識的な庶民感覚のタレントが起用されるようになってきたように思う。専門家には、ある種の忖度があって、「想定外」と言い逃れるのを、時に見かける。専門家の解説は必要だが、逃げ口上は聞きたくない。忌憚のない常識的な解説が求められている。視聴者としては、歯切れのよい明快な解説を求めたい。広く人財を起用すれば、特定の人に偏らないのではないか。何時も同一人物になると、新鮮味にも欠けることになる。特に、コメンテータの起用には特段の配慮を願いたい。庭のスイセンコメンテータも、歯切れよく・・・

  • 八十路という人生の峠・・・

    七〇歳に突入した頃のこと、ある先輩から、「八十路に入ると途端に体力が衰える」と諭された。軽く聞き流していたが、八十路になって実感する羽目になった。周囲を見渡せば、多くの友人・知人が鬼籍に入ってしまった。彼らに共通するのは、八〇歳前後に亡くなったことだ。厄年があるとすれば、八〇歳前後に峠(厄年)があるようだ。大病を患って、親しく語り合った朋を失くして、人生の無常を味あうこととなってしまった。そんな時、歌いたくなるのがフォスター作曲の「OldBlackJoe」だ。♪若き日早や夢と過ぎわが友皆世を去りて浮かぶは侘しき思い微かに我を呼ぶOldBlackJoe♪新たな芽吹き八十路という人生の峠・・・

  • 肩書は人を成長させるか・・・

    人は社会人になると生存競争が待ち構えている。特に、男性においては激烈な出世競争が始まる。普段、何事も無かったように振舞っていても、裏では競争が始まっている。40歳~50歳にかけてはそのピークを迎える。社会的にもステータス「肩書」が欲しくなる年代だ。「肩書」によって、その人の「評価」をしてよいものだろうか。確かに、長年の評価の結果が「肩書」に現れてくる。人はそれぞれに、「地位と名誉」が欲しくなる。「肩書」は成長の証となるのかもしれない。人はそれぞれの価値観によって生きるが、本人の自覚によって、成長の証となることもある。それなりに振舞うようになるからだ。人から認められるには価値があるのだが、競うものではないことを知っておこう。石鎚山眺望肩書は人を成長させるか・・・

  • クレーム処理は恐れては負けだ・・・

    現役で仕事をしていたころ、クレーム処理には苦労させられた。低姿勢で臨むのだが、クレーム・マニアにとってはそこが狙い目だ。仕事に落ち度があれば、謝罪するのは当然だ。しかし、マニアの狙いは「金品の強要」であることが多い。低姿勢に徹するが、我慢にも限界がある。限界に達すれば一転して強気に変える。最も有効だったのは、「出る所へ出よう」とこちらも居直ることだ。大抵の場合、これで一件落着となる。相手を恐れすぎるなという教訓だ。恐れて、非道を許すこともあるので、心しておきたい。バラの集団クレーム処理は恐れては負けだ・・・

  • 法務大臣の権威が失墜・・・

    戦前は軍事優先の結果、軍国主義国家になってしまった。戦後は反省して、法治国家を標榜するようになったが、果たして「法治国家」と言えるのだろうか。歴代の法務大臣を見れば、軽くなつてきたのではないか。法務大臣にあるまじき言動で辞任に至った人が多い。「法務大臣」は重要なポストとして扱われ、「大蔵大臣」「外務大臣」等と肩を並べたもので、総理大臣の側に座していた。国家の重要な職責を担ってきたように思う。「法治国家」というからには、閣僚の中でも一目置かれる重責を担う大臣の筈だが、総理も軽視しているようにしか思えない。国家の重要な役割を背負う大臣にしては、軽く扱われ過ぎではないか。米子道からの大山法務大臣の権威が失墜・・・

  • 孫悟空も所詮三蔵法師の掌・・・

    家庭生活にも様々な形がある。「亭主関白」の家庭があるかと思えば「恐妻家」の家庭もある。いずれの家庭にしろ、家庭を切り盛りするのは奥様だ。家庭では奥様は、家庭の主のような存在だ。利口な奥様は「山之内の一豊の妻」の如く、亭主を支える。核家族化と夫婦共稼ぎの家庭が多くなったためか、女性の社会進出が目立つようになった。亭主は存在感を示すも、所詮「孫悟空」で、「三蔵法師」の掌中なのだ。高齢化社会にあって、ますますその感が強い。戦後強くなったのは「女性」と「ナイロン」と言われるが、的を射ている。それが「夫婦円満」の秘訣かもしれない。「濡れ落ち葉」になって妻のありがたさが身に染みる近頃だ。妻とともに孫悟空も所詮三蔵法師の掌・・・

  • 齢を重ねると涙もろくなる・・・

    近頃、急速に涙もろくなったように思う。一寸したことに、涙が出てしまう。元々、感激屋のせいだとばかり思っていた、大病を患ってからその傾向が顕著になってきた。先頃、歳を重ねるにつれて、人生経験が豊富になり、感性が豊かになる。そして、感受性を司る「前頭葉」のブレーキが緩んで、涙もろくなることを知った。言われてみると、確かに一寸したことに、涙が溢れてくるようになった。涙もろい人は、豊かな感性の持ち主であり、心優しい人が多いと聞いて、ホッとしたり安堵した。怒り易くなったのもその所為かもしれない。一寸したところにも、人生の経験が息づいているのには驚いた。涙もろくなるのにも、意味があるのだ。香しきバラ一輪齢を重ねると涙もろくなる・・・

  • 人類のシステム・メンテナンスの時か・・・

    ついに、WHOはコロナウィルスの大流行をパンデミック(世界的大流行)と認めた。広がりは、五大陸にも及び、収束の兆しが見えない。「専門家会議」も見えざるウィルスの拡散には手を焼いているようだ、予測不能だからだ。ウィルスは何処に潜んでいるか、皆目見当がつかないから厄介だ。亡くなる方が他のウィルスに比較して少ないのが、せめての救いだ。自然が人類に刃向かってきたように思えてならない。経済活動も暫くは、停滞するものと思われる。パンデミックは世界恐慌のトリガー(引き金)になるかもしれない。人間社会のシステム・メンテナンスの時か。青空にバラ人類のシステム・メンテナンスの時か・・・

  • 暖冬、早くもモクレンが開花・・・

    春の陽気に誘われて、近くを散歩していると、樹々は芽吹き、春の花は開花し始めたようだ。モクレンは、通常、4月半ばの頃開花するが、今年は暖冬のため早くも開花して、春の訪れを告げてくれている。優雅な姿が青空に映える。見ていて春の訪れを楽しめるが、違和感も覚える。間もなく、鶯のさえずりが聞こえてくるだろう。1か月も早いのには驚かされる。地球温暖化が進んでいるからだろう。自然はその時々の状態を素直に示してくれる。やはり、地球には、何か異変が起こっているのだろう。コロナウイルスもその表れかもしれない。人間社会も、自然に素直に向き合わなければならない。そぞろ歩きをしながら、不図、そんな思いがした。タマクサギ暖冬、早くもモクレンが開花・・・

  • 管理社会の恐怖・・・

    仕事に励んでいたころ、仕事ごとに「✖✖管理」があった。「管理」とはPlanDoSeeActionのサイクルを指し、仕事の管理をすることだ。仕事を上手く管理する方法として「✖✖管理」は有効な手段だが、従業員にとっては厄介な場合もあり、創造性を削ぐこともある。そこで登場したのが「小集団活動」だ。仕事の改善には、自主性を尊重し、個々の知恵を総動員する手法が採られた。「管理」は強要することにもなり、創造性が阻害されることもある。マニュアルはその一種であり、効率と誤謬防止の手段だが、硬直化し易い。同様に「管理社会」は不自由な統制社会となり、ドイツのナチ、戦時中の日本の軍国主義等はその典型である。統治する側からは「管理社会」は好都合だが、される側にとっては悲惨な結果を招く。国民総背番号制のマイナンバーには、「管理社会」の恐...管理社会の恐怖・・・

  • 相手が一番、自分は2番・・・

    「コロッケ」は剽軽な物真似芸人の印象が強い。彼は東日本大震災や熊本大地震の時、支援活動に出向いたそうだ。現地で、物真似の芸は不謹慎なものと思って控えていたところ、被災者からの求めに応じて、森進一や五木ひろしの物真似を行い、結果好評だった。不安と疲労困憊していた被災者の表情がパッと笑顔に変って、その場が明るく変わった。被災者に必要なのは「笑顔」であり、「笑顔」が被災者を元気づけたのに気づいた。その時、笑顔と、相手の求めに応じたことの大切さを学んだという。「相手が一番、自分は2番・・・」と被災者を思いやる心情に感動した。何事にも通じる謙虚さではないか。「自分が一番で、相手は2番・・・」になるとエゴの芽が出る。ピンクに輝く相手が一番、自分は2番・・・

  • コロナ・ウイルスは世界経済を変えるか・・・

    このところ、連日、新型コロナウイルスの報道ばかりでうんざりしている。中国に端を発して、世界中に拡散して、パンデミックの様相を呈している。死者が比較的少ないのがせめてもの慰めだ。経済社会を直撃しつつあり、社会全体が大混乱になりつつある。マスクやトイレットペーパーの買い占めをはじめとして生産活動に重大な影響が出始めている。ひょっとすると、この新型コロナウィルスが、世界の経済活動に、大ブレーキをかけるのではないか。スウェーデンの環境活動家「グレタ」さんの主張に沿う形になるのではないか。国境には既に亀裂が生じ始めている。地球の痛みは、もう耐えられないところまで来ている。天の怒りとなってウィルスが襲ってきたように思えてならない。人類の経済成長路線に歯止めがかかるのか、注目したい。地球は人類のみの占有物でないことを覚えてお...コロナ・ウイルスは世界経済を変えるか・・・

  • ファン心理は異なもの・・・

    プロ野球は戦後間もなく復活した。当時は川上の「赤バット」大下の「青バット」長尺の「藤村」の時代だった。敗戦とともに、近畿地方に住むようになったが、ガキ大将は熱烈な「巨人ファン」で巨人ファンを強要された。私は、野武士の「藤村」紳士の「別当」が好きで、「阪神ファン」になった。以来、転居を重ねても、今日に至るも変っていない。広島勤務の折には、熱烈なカープ・ファンに「後援会」に勧誘され会費は払ったものの、阪神ファンのままだった。広島県民になって約30年になるが、カープの躍進したが、未だに阪神ファンのままだ。長い間「ダメ虎」と言われ続けてきたが、弱いが故により応援したくなる。この不思議な心理は何から来るのか。子供の頃の思いが未だに残っていようとは・・・。サボテンもいろいろファン心理は異なもの・・・

  • 大病には人生の気づきと反省・・・

    大病して療養していると、健康の時には気づかなかったこと、反省が次から次へと蘇ってくる。先ずは、身体の一寸とした変化にも敏感になることだ。神経を総動員して過敏になるようだ。これが引き金になって、「気づきと反省」が始まるのだろう。多忙にしているときには、気づきや反省をしているユトリがないからだろうか。療養中は、天から授けられた恵みの時かもしれないと、できるだけ肯定的に考えることにしている。とかく、悲観的になりがちな思いを、この機会にプラス思考にかえて、回復を待ちたい。大病も天から与えられた試練かもしれない。雲海とご来光大病には人生の気づきと反省・・・

  • 見てくれで判断する勿れ・・・

    とかくこの世は見てくれの良し悪しで判断しがちだ。スーパーが盛んになった頃から、扱う商品も規格外の品は廃棄されるようになった。農産物にその典型がある。今年は暖冬で大根や白菜が育ちすぎて、農家では困り果てて「地中」に埋めたと聞く。所謂豊作貧乏という奴だ。勿体ない,勿体ない。これも人々が「見てくれの良さ」を重視し過ぎるからではないか。「見てくれの良さ」は物事の本質を見損なう恐れがある。「格好の良さ」ばかり追い求めると、本質を見失う恐れがある。日頃から本質を見抜く眼力を備えておきたいものだ。雲海に浮ぶ米塚(阿蘇)見てくれで判断する勿れ・・・

  • ウィルスより、人間が怖い・・・

    新型ウィルス「コロナ」の流行により、マスク不足をはじめとして、トイレットペーパー・ティッシュ不足と次から次へと紙製品不足になってきていると聞く。人々が不安に駆られて、買い溜めに走りだしたようだ。昔あったオイルショック時のトイレットペーパー騒ぎを思い出す。不安は不安を呼び、パニックになったのだろう。我先にと人は焦るのだろう。人々の不安はデマを誘い、デマはパニックを誘発していく。パニックは人間を最も浅ましくする。自分さえ良ければと後先を考えずに、我先にとエゴ丸出しになる。生活防衛と言えば聞こえが良いが、エゴの塊になってしまう、これほど醜い姿はない。熟慮して行動しろと言いたい。パニックに陥ったスーパーの店員が言った「ウィルスより人間が怖い」の言葉が、心に突き刺さった。パニックは人間に狂気をもたらす。啄む丹頂ウィルスより、人間が怖い・・・

  • 知識は小出しにすべし・・・

    或る時、「知ったかぶりをする勿れ、知識は小出しにすべし」と教えられたことがある。高学歴化とともに、人は知識が豊かになり、それを誇大に喧伝する傾向が見られる。そんな中、「知は力なり」と知識をひけらかす輩が多くなりつつある。知識を得意げに披露する人たちには嫌味を覚えるが、「知識は小出しにする人」は、奥ゆかしくて好感が持てる。知識が豊富な教養人は、必要に迫られて、控えめに披露される。古人は「沈黙は金なり、雄弁は銀なり」と言ったが、今こそ、時宜を得た金言である。求められて「知識を小出しにする人」は、本物の教養のある人であり、発言する人の人柄を示すものだ。阿蘇の裾野知識は小出しにすべし・・・

  • パンデミックの恐怖・・・

    新型「コロナウィルス」は、世界的に流行し拡散している。当初は、軽く見ていたが、次第に深刻になってきた。国連ではいまだパンデミックを否定しているが、世界各国では非常事態に移ってきている。パンデミックとは、ウィルスの世界的大流行を指す言葉だが、そのような拡がりを見せてきている。極端なマスク不足はそれを象徴しているが、人々もパニックに陥りつつあるようだ。各種イベントは中止または延期に至っている。相手は目に見えぬ「ウィルス」だ、難敵にたじろぐ人々の姿が見て取れる。パンデミックの歴史は古く、ペスト・コレラ・スペインかぜ・天然痘・新型インフルエンザ等がある。非科学的ではあるが、人類に対するレッドカードなのかもしれない。地球温暖化に対しても何の措置を講じようとはしない。天罰なのかもしれない。そんな怖れが迫ってくる。胡蝶蘭並び...パンデミックの恐怖・・・

  • 縦型社会から水平社会へ・・・

    人間社会の組織は、ラインとスタッフによって成り立っていると云いわれてきた。縦型社会が主で、横型社会は従の関係だったように思う。時代の進展とともに主・従が対等に変わりつつある。プロジェクト・チーム方式が、機能的と考えられるようになってきた。縦型組織体制は、とかく、硬直的になりがちで、状況変化に対処しにくい。その点、プロジェクト方式は状況変化に迅速に対応でき、離合集散も容易である。国家の組織も少しづつ変わってきたが、依然として各省庁間の連携は密とは言えない。組織は人間が作り出すものであり、永遠の課題かもしれない。硬直化した組織には、未来がないように思う。整然と胡蝶蘭縦型社会から水平社会へ・・・

  • 大病を患って3年・・・

    私にとっては、3月1日は鬼門の日だ、2017年も2019年もともに大病を発症した忘れえぬ日だ。「脳梗塞」を患って早くも3年の月日が経った。十分に快復しない間に、次々と大病に襲われた。その内にすべて恢復するだろうと楽観していたが、すでに3年の月日が経過したが、依然としてフラついている半病人だ。近場では杖なしで歩いているが、遠出の時には安全の為に杖を携行することにしている。終生この状態は続くものと諦めている。食生活を根本から見直して約2か月になるが、自然回復に期待をかけている。それにつけても、未だ生かされていることに感謝したい。食事、洗顔、入浴、寝起き等日常生活には支障なく過ごせている。家族に支えてもらいながら、つれづれにブログを綴り、読書に散歩と友人との会話に明け暮れる昨今です。(近況報告)阿蘇の放牧大病を患って3年・・・

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