高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
2017年夏刊、拙ブログ本の第2号にも巻末へ、記事等を編さんしてるけど、この寝台券は・・21年前、カシオペアの札幌ゆき初列車に親友と2人で乗車できた時の宝物だ。奇しくも、この日、7月16日は小生25歳の誕生日。最高の夜
広島・西日本地区の水害により、7月上旬から運休中だったサンライズ出雲の個室寝台券である。10年前のこの日は、関西でフルマラソンを完走して夕方、まだ時間があったために、岡山まで新幹線で下って、やくも号に乗り換え。1時間でも長
2017年夏完成、拙ブログ本2号、出品継続中。今手元にある初版は数に限りあり、都合により増刷は早くて年度初めになります。ご希望の方、拙ブログ読者様にはお早めの入札を御願い致します。http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/ganbarail
構想17年の、小生のオリジナル連載マンガ「はだしのゆきちゃん」第一話につづく形でまりも号等、日本一周2005などもまとめた131ページ構成の拙ブログ本2010年夏刊思い出の第1
ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の
国鉄時代末期に、高崎に配備された6両編成のお座敷客車。 12系800番台グリーン車扱いで、当時たくさん作られていた仲間たちの中では、展望室の窓がとても大きな部類に入るだろう。すでに485系改造の電車編成に置き換えられて引退しているが、両端の展望
1983(昭和58)年に、14系座席車を改造して誕生した国鉄初の欧風客車。 7両編成の両端は、スハフ14の便所側に展望室を設けてあるが、そのうちの1両は定員外フリースペースのサロンとされ、寝台特急はやぶさのロビーカーの先駆けとなった。この車両以
ときわ号は、常磐線経由で上野~いわき(平)間を結んだ急行列車であったが、昭和60(1985)年のダイヤ改正で定期運用を終了している。画像は、臨時列車化されたあと、急行「スーパーエクスプレスレインボーときわ」という長い列車名として運行されたJR初期の
ED42形は、碓氷峠(うすいとうげ)がアプト式ラックレールによる旧線だったころの直流機関車。国鉄の前身、鉄道省が製作。 昭和9年から計28両製造された。横川~軽井沢間にて、キハ82系白鳥の上野直通編成などの牽引を担当したが、昭和38年に碓氷峠が新線に
東海道線の211系は、初期の編成については国鉄時代に落成している。 1989年以降に2階建てグリーン車を組み込んだ10両基本編成に、ラッシュ時は5両付属編成を増結するが、両者間の行き来は出来ない。 何故か、せっかく存在する貫通路を使っていない状
正月であるし、年頭に当たり運転「初日」のスハネ25 702デュエットを父が東京駅10番線で発車前に撮ってくれた、30年ほど前の一枚を初公開しよう。同じころデビューした14系レインボーの設計も担当したらしい技術者の方もこの日あさかぜ1号に乗っていた
車掌のアナウンスが続いている。「皆様、(注)スーパーブルートレインあさかぜの旅は如何でしたでしょうか。間もなく、終着駅の博多です。えー、どなた様も今年一年、良い年をおすごしくださいませ。今後ともお客様のために、わたくしどもJRは努力してまいります
ピョ~~~~ッ! あさかぜ1号は小倉駅を出る。いよいよ終点博多駅に向かうだけとなった。残すところ博多までは約一時間だ。だが、九州の鉄道は色々な電車があるので、すれちがう列車も楽しいものだ。寝台電車を改造した近郊型電車715系、L特急にちりん、有明
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その22) カートレイン九州と併走!
ED76-42は、我があさかぜ1号を引いて門司駅を出発する。列車は、JR九州の鹿児島本線に入った。冬とは思えぬほど暖かい九州の大地を走る「あさかぜ」は輝いている。ゆっくりと、自席のカルテット5番室にもどっちて車窓をながめていると、カートレイン九州
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その21) 二度目の機関車交代
EF81が去ると、つぎの王者は九州専用のED76-42号機だ。車体の色はEF81-409と全く同じだから(注)、素人ならば間違えてしまいそうだ。しかしEF81に比べて古いため、車体は汚れていた。 なお、ED76-37号機という機関車は、JR貨
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その20) 関門トンネル通過
EF81-409が汽笛を高らかに鳴らす。 ピィ~~~~ッ! ゴオオォォ~~ッ・・・関門トンネルに入った。外は何も見えない。列車はただ、真っ暗なトンネルを走るのである。余談だが、昭和62年1月にはじめてあさかぜ1号に乗った時も、関門間は409号機
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その19) 一度目の機関車交代
9時31分、ドアは開く。「下関~、下関~!」電源車の音は、ガアアァ~~ァ~~ッと響き渡っているが、先頭のEF66-51は、もう車庫へと去ろうとしている。作業員が2~3名で、連結器をはずす。機関士が「ピョッ!」と汽笛を鳴らしたと思った瞬間、ウオォ
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その18) 朝日を浴びて山陽本線をゆく
では、そろそろ食堂車へ行こう。朝日のまぶしい通路を歩き、食堂車に入る。いやぁおどろいた、昨夜と同様に超満員だ。約5分ほど待合室で待たされて、席につく。夜とは違ったさわやかな感じがする。洋定食をとってみる。まあまあの味かな。・・・ 右のほうから山
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その17) 1988年元旦・初日の出
あさかぜ1号は、瀬戸内海の海岸線に沿う大カーブを激走する。通路の窓から、先頭に立つEF66-51がよく見える。力強い。グングンと加速している。 あさかぜは宮島口駅に到着、数人の乗客があさかぜに別れを告げて改札へと向かっていった。発車してしばらく
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その16) オシ24から見たナシ20
あさかぜ号32年の歴史の中で、最も長い間にわたって使われ、愛されたのは20系客車だろう。筆者はふと、山陽本線厚狭駅構内に今も残る20系の食堂車を思った。(ここに留置されていたナシ20形5両は、平成元年ごろに撤去されたという。残念!) こんなことを考
レッドトレインと呼ばれた一般型客車50系も、JR線に残るのは、私ガンバレールの知る限りはJR九州の観光用客車700番台の3両程度だけであり、私鉄に売却された物も、今では真岡鉄道のSL列車用に残存するのみである。 旧型客車に代わって東北地方や山陰
東北(宇都宮線)・高崎線は、すでに二階建てグリーン車を組み込んだE231系または211系に置き換えられており、画像のような国鉄型車両115系は、中央本線立川以西を除き首都圏からは全車両が引退している。 先頭車のクハ115に乗ると、いつもトイレのニ
201系は、この2009年夏現在、首都圏ではもはや絶滅危惧種であるが、JR西日本では主力車両として大活躍。 ウグイス色の物は、比較的最近のデビューだ。 国鉄時代、山手線に201系を投入する計画もあったがついに実現せず、長らく、きみどり色の物はN
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高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
元101系の黄色で寄居(よりい)駅まで来た。ここで秩父鉄道の切符を手放し、また青春18きっぷを使ってJRに乗り換える。 八王子に出て東京に帰ることも検討したが、せっかくの18切符・初体験でもある。八高線を北上して高崎に向かおう。 キハ110
すっかり日も暮れた。 その後、留置線にはスカイブルーの編成がやってきたけれども、何本待っても、ホームに入線してくる元101系国電は白地の標準色ばかり。あと1台待って国鉄復刻カラーが来なければ、白い1000形でもいいのでとにかく乗ろうと決めた。
熊谷駅に着くと、かろうじて空がまだ明るかった。 これから、八高線との接続駅である寄居(よりい)を目指すことにするが、もちろん寄居までは別途、秩父鉄道の乗車券が必要。 さっそく秩父線の改札を通って、元国電の101系改め秩父鉄道1000形の撮影に
ガンバレールは、まさに青春まっただ中だった「18」歳の時に1度だけ、青春18切符を買ったことがあったけれども、結局忙しくて使う時間がないために駅に返却した。 しかしこのたび、2009年3月31日にもなってようやく、生まれて初めて18切符の旅をす
JR東日本は10日、2027年春にも特急ときわ・ひたちで使用されているE657系1編成を改造し、新たな夜行特急列車を導入すると発表しました。
どうでもいい話題はなるべくこのライブドアブログに記していくこととなる。どうしてもエックスのほうに書きたくなった場合は、トレンドの言葉を文末に2、3記すことにする。収益を復活させるためには、インプはどのポストも数100を超すようにし、いいねが最低でも2、3つくよう
リスペリドンの効果が強いためか、最近は全く射精したいとは思わぬ。いまもボッキよりはポッキーである。いよいよ、伊予伊与明日ということになったが、きみはこの数年旅立ちがやはり全くできずにいる。まさか、夏の青春18きっぷ3日用を買って3日連続そこら辺の電車を乗り
いよいよ明日となった。もしもこのあと寝逃げをしてもせまるものはせまる。どうしようもな い現実である。きみは南のほうの私鉄線の近くまで歩き、きのうは石焼き芋をまた買ったが、夕方というものはただちに日没し、てんてん拍子に深夜がくる。口さみしさをまぎらわすため
エックスのフォロワーはさらに増えて、10680人にもなった。ブルバ2000人も早くも盤石と思え、1900人台に逆戻りはもうな いであろう。
食べすぎに気をつけたい。ラングリーというビスケットを食べるが少しでいい。
あしたですとなる瞬間がせまっている。いよいよ、とは、伊予や伊与が近づくことを意味し、西南への期待感や、後継者への希望がつながることでもある。そこまでにいたらずとも、ひらめきみたいなものは明日おとずれる可能性はある。
こっちのシステムに書くのはいいが、エックスに書くことはできな い。エックスにどうでもいい話題をふらっと書いてしまえばエンゲージメントが下がり、ますます収益から遠ざかるためだ。
リサーチも大事な収入源。毎月3000円は貴重。
家族のPCの電源をいれてecナビとペックスをやる。それが終わったらアイスを食べていい。
昼間のニュースみたいに、何時になりました、ニュースをお伝えします、で始めればよし。おはようございますやこんばんはを冒頭に入れる必要はな い。
このスマホを充電します。
バンドエイドがはがれた。
したからには、下に行き庭を見ることにした。
失敗した。したならば下に行くかはわからぬ。
上越新幹線連絡の速達特急として、北斗星などが誕生した1988(昭和63)年3月改正で誕生した特急。 長岡~金沢間に、当初はオール普通車指定席で2往復を設定。北越号よりも停車駅が少なく、直江津、富山、高岡のみの停車であった。このため、ヘッドマーク
戦後間もない1950(昭和25)年から1958(昭和33)年にかけて製造された車掌車。 平成20年現在、JR北海道に2両が残存。SL列車の展望車として活躍中だ。写真のヨ4350号車は、旧型客車時代のノロッコ号用として活躍し、当時は白を基調とした
鶴見線の大川~武蔵白石間は、急カーブがあるために長年にわたって20メートル車の乗り入れが出来なかった。 このため、同区間ではJR化後も17メートル車の旧型国電クモハ12がガンバレールしていた。定期運用は1994年ごろまで続いたが、JR東日本では
https://youtube.com/@user-cs1ek2hm3m?si=uwhOlFQ0CROu8K0H @YouTube
平成20年度•玉川大学教育学部卒論「子どもの衣食住に見る規範意識の低下」に使った拙イラスト改良版。卒業後も研究続行中。レイルマガジン333に寄稿のこの新幹線今昔も、卒業論文で使った絵を昇華した作品の一つ。新幹線の鼻が長くなるにつれて、少年の半ズボンも私服は
飛鳥山公園 あじさいと湘南新宿ライン 2024年6月
運転開始当日の処女列車“スペーシアきぬがわ3号” 東武鉄道の電車が、21世紀に入ってJR線上を定期的に走行する日が来ようとは、ほんの10数年前までは想像すら出来なかったことで、この、4人用個室もある東武100系を使用した列車の新宿乗り入れはた
常磐線から、乗り換えすることなく新宿や東海道本線方面に直通できた臨時快速電車で、1995(平成7)年のデビュー当初は165系と169系の混結(幕張区)6連が使用されている。なお、この頃の急行形電車は、踏切事故防止対策として運転室前面に強化対策工事が施
秋田駅経由で、盛岡と、青森とを結んだエル特急。九州と同じくクモハ485を改造で連結して最短の3連か、5連に編成の短縮化を実施。のちに、常磐線ひたち号のモノクラス7連化に担当される、サハ481 100番台を混雑時に増結して6両で走ったこ
国鉄時代に設定され、JR化後も94年ごろまで運行されていた、常磐線における夏の風物詩と言っても良い臨時列車であった。 キハ58系5連が使用され、88年までは松戸駅にも停車した。91年以降はATS-P形を装着していないという理由で我孫子以南には乗
新幹線N700系トミックス模型3両セットの、パッケージ裏面/編成表を見ていて感じたことを記しておこう。先頭車の783形は、JR九州を走っている特急電車783系の数字と同じだ。785形という中間車は、北海道にいる特急電車の形式を連想す
昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅