聖人たちは、なしてこうグロいのであろうか? 残酷極まりない死に方をしないとセイントにはなれないということか?
書籍『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『市民ランナーという走り方(サブスリー養成講座)』『通勤自転車から始めるロードバイク生活』小説『ツバサ』『軍事ブロガーとウクライナ戦争』『死ぬまでに読むべき私的世界の十大小説』執筆者。
生きることへの恋歌を綴っています。
【村八分】なぜ自分のうんこ(屁や体臭)は臭くないのに、他人のウンチは臭いのか?
誰でも他人のウンコの方が自分のウンコよりも臭く感じるはずです。それはつまり他人のウンコは新しい病原菌に感染する可能性があるから気をつけろ、と強烈なアラームが鳴っているからです。臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラームなのです。
走らずには、他のもっと大切なものが成立しない。わたしにとって走るとは、気持ちよく生きるためのベース、それがわたしにとっての「走ること」だ。 あなたにとってランニングとは何ですか?
ロードバイククラブのチームウェア。シャツは記号、メッセージ。スイミー効果。ウェア係数
サイクルジャージは記号です。このチームの一員ですよ、というシグナルを発しているのです。だから一番上に着ないと意味がありません。いちばん上に着てこそスイミー効果が発揮できるのです。
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説(あとがき)
自分にとって最高の小説は、自分にしか書けない。私はこう思っています。最後の作品は「まだ見ぬ未来の作品」ではなく「あなたの作品」こそ選びたいのです。だから最後の一作はあなたの「その作品」を。
単一作物の栽培はそれほど難しくありません。小麦の奴隷になったといいますが、小麦だけなら難しくありません。農閑期というのは暇なんですよ。常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方でしょう。従来の学説は間違いで、暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民なのではないかな?
接触系バトル漫画やゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなる
生きていくことはたたかいだから、どんな物語でも、すべてはバトル(心の葛藤)ものなのです。少年マンガは肉体的に打ちのめされるのですが、少女マンガは精神的に打ちのめされるのです。人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべきでしょう。接触系バトル漫画やバトルゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなるぞ。
【作り手と受け手の差】推しのコンサートにのれない人。歌手のリサイタルに夢中になれない理由
私はすでに表現者であって、受け取り手ではないため、大人のつくったコンサートに我を忘れて熱狂することができないのです。だってそれは演出されたショーだから。作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめないのです。映画や芝居でも同じことになります。
菌糸と根粒菌と共生農法。NHKスペシャル「超・進化論」「カバラ密教の生命の樹」「アバターの魂の木エイワ」「キューティーハニーの空中元素固定装置」のネットワーク
日本各地に存在する農業試験場さん。これからの植物の品種改良はここじゃないでしょうかね? 「いちご」や「ぶどう」など他の植物も根粒菌を利用できるように品種改良すること。 そうすれば、たくさんの肥料を撒く必要がなくなります。痩せた土地でも作物が育つようになります。
『危険な関係』を「悪を描いている」と論評する人が多いのですが「悪を描きたかった」わけではないと私は思います。結果として「悪を描くことになった」というのが本当のところではないでしょうか。
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聖人たちは、なしてこうグロいのであろうか? 残酷極まりない死に方をしないとセイントにはなれないということか?
うしろに長い列を作って待っている他の旅行者のためにも、イミグレでは入国審査官に優しい嘘をついてあげましょう。ホテルに行ってみて、気が変わることは、よくあることです。やさしい嘘で、これまで問題になったことはただの一度もありません。なんの心配もいりません。
ワイロをもとめられるような場面では、ほかの人を呼ぶなど、状況をオープンにすることです。むこうは悪いことをしているので、こっそりと秘密裡に処理したいのです。それに対してこちらは状況をオープンにしてしまえば、向こうはこっそりワイロを請求することができません。
アパートのヤモリ。ヤモリは幸運の動物世界の各地では、ヤモリを幸運の動物としている地域があります。たとえばハワイもそのひとつです。ゲッコー。ヤモリは漢字で家守と書きます。日本でもヤモリは家を守ってくれる存在だと考えられているんですね。思うにこ
世界の『走りにくいわ!』な場所ここでは世界中で朝ランしてきた私アリクラハルトの「走りにくいわ!」と思わずツッコミを入れたくなった街を紹介していきます。あくまでも私の個人的体験の中で、という前提つきですが。ホーチミン&ハノイ(ベトナム)走れま
人は、本当のことを知りたいと思ったら、本を読むか旅をするしかない。仕事だけだと、自分のいる場所のことしか知らないと、とてもかたよった、真実とはほど遠い情報しか取れないこともある。快楽を追求するのも生き方だが、苦痛を排除するのも生き方です。逃げたっていいのです。何をしたって、それが人生。
ストーリー自体は「パラレルワールドもの」だが……たまらん。おもしろすぎるサブスクでパーソナライズドされておすすめされたガンダム・ジークアクスをちょっとだけ見たら、引き込まれて見入ってしまいました。ストーリー自体は「パラレルワールドもの」とい
喫茶店に一日座り込んで、マンウォッチングをするような過ごし方を取り入れました。日本でこれをやってもちっとも面白くありませんが、外国だと、それが旅人にせよ、現地の人にせよ、マンウォッチングしているだけで時間が流れているのを忘れるほど楽しめます。体は座っているだけなので、それほど疲れません。
速いロードバイクですが、それでも原チャリにはまったくかないません。どんなにペダルを踏んでも奴らにはかないません。原チャリが天敵なのは、道路の端っこを走るという生息域がロードバイクとかぶっていることもあります。機械力って偉大です。
サイコロに念力を込めろ『クラップス』ハンドパワーは実在する!皆さんはクラップスをご存知でしょうか。ラスベガスでメジャーなゲームです。もちろんベット(賭け)の対象になります。2つのサイコロを、ディーラーではなく、お客自身が投げて、出る目を当て
コウノトリ(シュバシコウ)のいた近くの売店でキッコーマンの醤油を見たからです。それは千葉県野田市産の醤油でした。おまえ(しょうゆ)がこっちに来るのなら、おまえ(コウノトリ)が向こうに行けば問題解決なのに……と思ったからでした。
マラソンと登山と両方やる私は「どっちが好きなの?」とよく聞かれます。足をつかった身体移動であることは同じですが、違いすぎて比較できません。ですからそういうときは「気持ちがいいのはランニング。でも死ぬ前に思い出すのは登山の絶景」と答えるようにしています。
「ウオシュレットで頭や体を洗わないようにお願いします」そもそもウォシュレットで頭洗って、きれいになるのかしら? 却って臭くなるんじゃないかな? 誰かそれは肛門を洗うやつだって教えてやれよ
トルコを旅していた時のこと。干支で年齢をあてるという芸をもつトルコ人に会いました。おみやげ屋さんの店員さんでした。日本人御用達のお店らしく、日本語もペラペラ。そして女性に年齢を聞くのではなく、干支(十二支)を聞くのです。
バックパッカースタイルの個人旅行をするようになった頃から、夏服・下着は3セットを着まわすスタイルに変わりました。洗剤を持っていくスタイルです。そのほうが軽いし、場所もとりません。下着類・夏服はこれでじゅうぶん。
日頃お世話になっているJALさんのHPで「JALカードと行った思い出の旅コンテスト」をしていてサラリと気楽に応募。完全に忘れていたの。そうしたら先日‼な、なんと、準グランプリ✨に選んでいただきました。Thank you so much❣
ダイ「おい。ハルト。第4回JALカードと行った思い出の旅コンテスト。見たか?」ハルト「ああ。イロハがマイル欲しさに応募したやつだろ?」ダイ「応募したやつだろ? じゃないわ! 準グランプリとってるよ」ハルト「なに!?」ハルト「ほ、ほんとだ。信
東京オリンピックで新幹線や首都高速道路ができたように今度はWi-Fiを整備してくだされ。それがデジタル化社会ってことじゃないですか。そういうのが遅れているから、日本はデジタル後進国だって言われるんですよ。 Wi-Fi網の整備なんて、社会インフラ整備よりは、お金もかからないことでしょうに。
空港大好きの私は、つい子供のように調子に乗って、越えてはいけない関門を超えてしまいました。空港の関門ゲートはおうおうにして一方通行で、一度越えたらもとには戻れないことが多いのです。
海外ロングステイ大放浪。キャリーがないカバンはほぼ戦力外先へ先へと移動しながら旅を続けていくタイプの旅人で、旅行鞄にボストンバッグを選ぶ人はいないと思います。キャリーがないカバンはほぼ戦力外だと思ってください。スーツケース(キャリーケース)
団鬼六『花と蛇』のようなポルノは除いて、ここまで女性の肉体にオールインした作品ははじめて読んだ気がします。すがすがしいまでにマゾヒストで、それを隠そうという気もなく、カタルシスのある読後感でした。正直、わたしも女性以上の人生のよろこびはないのではないかと思っています。
フィジカルでもメンタルでも二種類の人間がいる。走れる人間と走れない人間だ。純粋にフィジカルに走れる人間とそうでない人間がいるのと同じように、メンタル面でも走れる人間と走れない人間の二種類がいる。
法務局での所有権移転登記は、資格者でないと申請できないタイプの仕事ではないため、相続人本人が申請することができます。時間があって、心に余裕があって、司法書士など人に頼むお金を節約したいと考えている人は、自分でトライしてみてください。やればできますよ!
お金で時間を買うという発想が私にできるかどうか。お金で利便性を購入するという発想に私がなれるか、そこが問われているのだと思う。限られた人生という時間の中で、自分の持っているお金を何に使うか。あの世にお金を持っていくことはできないのだから。
同じ旅行会社のサイトで検索しても、特定のパッケージツアーが検索ヒットする人とヒットしない人がいます。さらに同じパッケージツアーでも申し込む日によって若干金額が違ってきます。こういうことは個人旅行では経験できないことです。団体旅行をやってはじめて知ることができたことなのでした。
専制的なところに批判の余地はあるものの、エキサイティングな読書体験でした。こういう実話ベースの書物に、創作物はかないません。事実は小説より奇なりです。株式投資するぐらいしか手伝えませんが、イーロン・マスクが世界を変えてくれることを期待しています。
海外での食事を和食にするか現地の食べ物にするか、という問題は、異性とつきあったら自分の趣味を押しつけるか、相手の趣味に染まるか、という問題に似ています。食べ物と対人関係。対象が変わっても、対峙する姿勢は同じなんだなあ。
相続に立ち会い、保険会社と連絡した範囲で感じたことは、どこも良心的だったなあ、と感じました。言わなきゃわからないのに……といった保険会社に不利な内容でもちゃんと向こうから説明してくれて、補償を受けることができました。
人生そのものを大きな夢に賭ければ、カジノでのちいさな勝負がつまらなく感じられます。カジノなんてしょせんは小さなボードの上の、自分の努力実力とは関係のない運否天賦の勝負です。 でも多くの人は夢に人生を賭けられません。でもギャンブラーにはそれができるのではないでしょうか。
車を売却する場合、売却価格が100万円未満(少額)の場合、「遺産分割協議書」がなくても、法定相続人であることさえ確認できれば、その人が売却できるのだそうです。借家をはやく引き払えば、日割りで家賃が戻ってくるかもしれませんよ。
清水公園フィールドアスレチックは「腕力を使う壁系の登山」のトレーニングに最適槍ヶ岳から穂高まで大キレットを超えていくことを槍穂縦走といいますが、かつて私は槍穂縦走をやっています。一般登山者には難所といわれているコースです。いやむしろ槍穂縦走
実際に請求される金額とまったく違う格安ウェブ広告は詐欺じゃないのかね。客よせパンダ的な広告を載せてとりあえず人を集めて、あとは何とかしようという商法はやめてもらいたいものですよね。どうせ値段はデタラメなのだとすれば、業者を選ぶ際は、値段以外のところで判断した方がいいのかもしれません。
依存症には依存症です。ギャンブルよりももっと危険で命がけのゲームに熱中すれば、病的ギャンブラーは自然とそちらに熱中し、ギャンブルのことを忘れてしまうでしょう。
紙のガイドブックが不必要になれば、むしろ軽量化に貢献します……むかしはマップを持たずに登山するなんて考えられなかったんだけどな。もうヘッドライトもいらんかな。スマホのライトがあるしなあ(笑)。
最初からすぐプレイできるゲームというのは飽きるのも早くつまらないものです。逆に最初は失敗ばかりの難易度の高いゲームほど奥が深くて満足できるゲームが多かったのをよく覚えています。
払わなくてもいいお金は一銭も払わないというこのスピリッツこそが「お金を貯める力」の真骨頂です。「お金を稼ぐ力」だけで「お金を貯める力」のないもう一人の相続人に、どうすればお金が貯まるのかを見せつけてやりました。「節税はお金持ちへの一里塚」です。
「海外旅行に必要なのは昔は勇気、今はネットリテラシー」だと私は言いました。ロングステイの場合、ベッドではなく部屋を借りるためにも、長期滞在の時間を有意義に過ごすためにも、やはりネット環境が必要のようです。旅のために、ネットリテラシーをあげていきたい今日このごろです。
実店舗証券会社は手数料で儲けているとは知っていましたが、これほどまでとは驚きました。そして自分が選んだネット証券がやっぱり正しかったのだと確認できました。
もともとが他人の財産だったものを相続人だということでやっと引き継いで売却できるのですが、そのためには「遺産分割協議書」と「法定相続人情報一覧図」が必要になります。作成に時間がかかるのは法定相続情報証明のほうです。したがってまっさきに片づけるべき書類は法務局の「法定相続人情報」ということになります。
私はマラソンの経験を通して人生はマッチポンプ(ハレとケのバランス)だと学びました。それはスペンス氏が議論を通じて学んだものと同じものでした。 たとえ相手を変えることができなくても、生きている実感を感じることはできるでしょう。ジャンプしなさい!