六月も今日で終わり。 と、いうことはつまり一年の半分が終わったということ。 そして個人的にはこのblogが半年間続いたということ。 まぁ余裕(笑) 今年の一月途中から書き始めて約半年間、ほぼ毎日書いてきた。 記事数はいつの間にか170を越えていた。 とりあえず数をこなそうという目論みは達成されたと言っていいだろう。 さて、この半年という節目を境に次のステップへと進もうと思う。 その次のステップとは何か それはもちろん質である。 一日一本の記事を書くと決めて事実そうしてきた。 それはそれで大変勉強になったし面白かった。 ノリで乗り切るというパターンの継続はスリリングであった。 しかしそれは過程の…
窓から外を眺めていたら上から降ってきた。 こりゃなんかな、トカゲかな、トカゲだよね。 こいつはいい暇潰しが降ってきた、と思って眺めていると、まばたきが可愛いではないか。 食べたらおいしいかなとも一瞬思ったがね、そこは思うだけに留めておくほうのがベターな感じがしたので気持ちを切り替えて奴を食材として見ることをやめた。 しかしこいつ、なかなか動かんね。 動かざること山の如しの境地へと達観しているのではないかとさえ思わざるを得ないほどに。 残念なことにこの無駄無し屋の好奇心には持続力というものはない。 五分ほど眺めていたけれどもね、あまりに動かないもんだから飽きてきちゃってね、よせばいいのにつついて…
なんか暑い。 急に梅雨らしい蒸し暑さがやって来て驚いてみようかと思っている。 我が部屋にはエアコンなどという甘えたものは設置されていないという事実は、他人に熱中症の心配をさせてしまうほどのものであるが、当の本人はその不快感さえも風情として前向きに捉えているのだからどうしようもない。 暑い ので涼しく過ごす為に自分達でTシャツを作った。 仲間は服をデザインして売る仕事をしている。 ブランド名は「west」 筆でまずこの無駄無し屋が文字を書く。 いわゆる友情出演的なね。 それを彼がTシャツにする。 いいじゃん。 彼はそれを売って生計を立てる。 今はまだ始めて一年のひよっこブランドなんだけど、これか…
朝から雨。 やっとこさ梅雨の到来か? 雨音が心地良い。 なんとなく、雨の日は読み書きに適しているような感じがする。 でもそんなことを書いちゃうといつもよりも良い記事を書かなくちゃ、なんてプレッシャーがかかってきちゃいそうなので早速前言撤回。 渾身の記事というものを書いてみたいが故にこうして毎日チャレンジしているのだけれども、なかなかどうして納得のいくものなんてそうは書けるもんじゃないことはここまで半年近く書いてきて痛感しているね。 何を以てして納得とするのかというところも漠然としているからね。 でもまぁ続いているということに対しては、順調に記事数が増えていっていることに対しては、小さな納得があ…
本日薄曇りにて涼しい瀬戸内海。 午後からは雨のようだ。 やっとこさ梅雨の到来かいな。 全くのアウトドア派であった二年前までとはうってかわって現在はインドア派にシフトチェンジしてゆき、こうして柄にもないblogなんかを書いてみたり、ゆっくりと物思いに耽ったりと悠々自適にあまり社会とは関わり合わずに生きている。 愉快だ。 社会に未練は全くないし、そもそもすでに遠い昔に魅力を感じなくなっていたものだから、どうにかして自分の世界の中で暮らしていってやろうと目論むこと10年。 念願叶って、今はそれは周囲の人達からは、「アイツは何をして生きているのか?」 などという疑問を持たれているであろうが、そんな退屈…
昨日は夜に事務所で友人達が集まった。 内訳は、30代が二人、40代が二人、50代が一人、80代が一人。 職種でいうと、町工場の経営、服屋、フィリピンからの出稼ぎ、絵描き、化粧品屋という、年齢、業種共にバリエーションに富んだ面子。 まぁ、こういう面子だとね、80代のお婆ちゃんを軸にカオスな状況となっていくんだけども、なかなかこういう雰囲気の会合もないわけで、それはそれで楽しめるわけなのである。 仲間が集まって雑談。 これは面白い。 色んな年代、職種の人間の色んな価値観が入り乱れての、時に自慢話、時に自虐ネタ、そして時に悪ノリもありながら、生意気にもシリアスな展開にだって発展していくこともある。 …
さぁて、今日も書いていきますか。 ってまだなにも書くこと決まってないのはもういつものことだからなんとかなる。 スリリングだよ、いつもこのblogの時間は。 スリルというものをこよなく愛する人間であるのだけれど、まさか文章を書くのにもスリルを味わえるなんて嬉しい誤算だよ。 一文の閃きなんていうと些か大袈裟かもしれないけどね、まぁでもとにかく何かが思い浮かばないことには自分のようなスタイルのblogは成り立たないからね。 想像力と感受性と思想のカクテル。 あとこれに図々しさを隠し味に加えると完璧。 自己表現の場、と、このblogを捉えているからには、ズケズケと言いたいことを人目をはばかることなく書…
他人の幸不幸には無頓着である。 別に人格者になりたいとは思っていない。 ただ、実力者ではありたいとは思っている。 そういった意味でも、このblogの世界でしぶとく生き残ってやろうという気持ちはつよい。 生き残ったものが勝者であるという考え方。 他人のblogも読む。 自分よりも後からこの世界に入ってきて、あっという間に自分を越える読者やPVを獲得していくBloggerは多いけれど、そういう人達は消えてゆくのも自分より先であることが多い。 なんだろうね、嵐のような人達だねって思うよ。 色々とうまくはあるんだろうね。 そこんところは認めざるを得ないわけだがね、でもやっぱり根性ねえなぁコイツら、とは…
腹八分目、ならぬ欲八分目というのが広まればいいなと思っている。 人間には百八つの煩悩があると仏教では教えているらしい。 何と何を数えて百八つとするのかは知らないが、とにかく人間は欲が多いということを言いたいのであろう。 そんな欲望達の全て取り除くことを悟りというのならば、悟りには何の魅力も現実味もあったもんじゃない。 と、いうか欲望の全くない人間というのはもはや廃人でしかないだろう。 滑稽な話だ。 しかし、そうはいっても欲望というものは百八つどころか無限に広がる宇宙のように際限がないのではないかとさえ思わせる恐ろしくもあり、頼もしくもある存在であって、これを何の自制もなしに野放しにしておくこと…
朝の九時からblogを書き始めるという決まりが自然と出来上がってきた。 散歩を終えて朝食を済ませ、一服してから書き始めるという流れ。 自然とベストなところに落ち着いてゆくもんだと思った。 自然と、というのがなんだかんだいってもベストだろう、と自分は思っていて、このblogの継続も自然な感じで成り立っているから無理を感じない。 無理をするということを全否定することはできないし、場合によっては多少の無理も必要なことがあるように思ってはいても、基本的には無理のないのが一番である。 無理は続くと必ず悪い方向へと向かう。 かといって、無理をしないと打開できない局面というのがあるのも事実。 判断力が必要だ…
因島という島に住んでいる。 本土の流れとは一線を画しているところが気に入っている。 大きな国道なんてものは通ってなくて、この島に何かしらの用事がある人間しか入ってはこない。 それでも島にしてはわりと大きく、人工は2万6千人ほどかな。 昼間はそこそこの活気があるといっていいほうだろう。 そしてそこそこのどかだと言っても差し支えない。 しまなみ街道のサイクリングのメッカ化に伴い自転車乗りが入ってくるようになってからは、近所の神社はいつの間にか自転車の神様を奉っているとかいう設定を打ち出して地元の人間達はすこし小馬鹿にしてるようなフシがある。 それでも因島はいいところだ、と、自分は思ってる。 山あり…
生まれて始めて小説を読んだのはたしか20年ほど前。 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」全8巻だった。 内容の細かいところまでは覚えていないけれど、とにかく文章だけでここまで面白いとは、とビックリ仰天したものだった。 漫画と違って文字だけの小説には自由な想像が許される範囲が大きい。 そういうところに新鮮なものを感じて肉体的自由を奪われた牢屋の中で想像という精神的な自由を楽しんだものだった。 それから特に熱心な読書家になったということはないものの、活字に抵抗はなくなり、面白そうだな、というものは読んでみたりもした。 読書という行為から、ただ単に面白いだけにとどまらず、見識を広めるであったりとか、感受性を養…
言葉が浮かんでくる時というのは、書こうと思った時ではない。 自分は身勝手でわがままな人間であるが、どうやら言葉まで身勝手わがままであるらしい。 浮かんでくるのを待つしかない。 書こうと思って書き始めるまでに一時間も白紙のまま座っていることなんてザラである。 浮かんでくるまで待つ時間があるというのは幸せなことだ。 待つ ということについて書いてみることに決定したようなので、そのように話を進めていきたいと思う。 元来、気が短いほうなので待つ、という受け身な姿勢を好んでいなかった。 好んでいなかった、というよりも、待つということをできるスキルが身についていなかった、といったほうのが適切な気がする。 …
こんなblogにでも書いていさえすれば、ポツポツとでも読者は増える。 Twitterやらなんやらしなくても。 それでいいと思ってる。 寧ろそのほうのがいいとすら思っている。 のんびり気長にやっていこう。 さぁ今日も日課の祈りと自己暗示を終えたところからの出たとこ勝負的blogの執筆に取りかかろうか。 なんもないよ、ネタなんて。 なんもないからこそ、なんでも書けるという面にスポットを当てると、これまたどこからともなく勇気が湧いてくるから人間の心理というヤツは、げに摩訶不思議なものだと実感する。 精神を制する者は現実を制する との経験から第六感にコンタクトした結果出てきたこのある意味真理とも言える…
昨日とはうってかわって青空が広がっている。 雨も悪くはないが、青空を見てると気分も晴れてくるのでね。 自然が人間に与える影響とは心身共にだね。 とか思いながら、本日も日課のblogをこうして書いている。 もちろん現時点でも何を書こうか決まってはいない。 成り行き任せの出たとこ勝負な文章書いてくよ、今日も。 やる気。 これはねぇ、ないと何も始まらないね。 逆に言えばあれば大概のことは始まっちゃうね、マジで。 さすがに今から小学生に戻りたいなんてのは今のところは無理だけど、もうちょっと時が経ってゆくとそういうのもやる気でなんとかなっちゃう時代になるかもね。 やる気が起こらない時はなにもしないでもい…
なにかを書きたくなる衝動に駆られるからこそこうして書いている。 書かなくてはならない、ではなくて、書きたい、という欲求。 自分の心の中を描き出す作業。 それは文字に起こして目に見える形にしてはじめて「あぁ、自分はこういうことを実は思っていたんだ」なんてことになることも、別段珍しいことではない。 書いてるうちにやってくる新たな発見、自覚。 そういうものをどこかで求めているフシがないこともない。 瞑想だな、blogというものも。 書く、というこの能動的な行為に興味を持ち始めたのはいつからだったのかはハッキリしないが、とにかく今こうして毎日書いてるという事実だけはハッキリとしており、経験としてすこし…
今日はドタバタした一日であった。 我が家にやって来て19年になる犬が死んだ。 あだ名は長老。 天寿を全うした感すこぶるつよし。 死んだからには埋めないといけない、と思いシャベルをもって穴を掘ろうにも、意外にも土が固くて苦労したが、その苦労も労いの念による心地よさにも似たものを自分に感じさせたことには少し驚いてみたりもしたのである。 長年連れ添ったペットにはもはや犬とか人間とかいう、あまり意味のないカテゴライズは不必要であり、それこそ人間の家族と同等の絆というやつが芽生えるものだ。 死別というものは、感情的には複雑なものがある。 第一にもちろん寂しい、というもの。 それからご苦労様、という労いの…
継続、継続。 それが必ず未来に身を結ぶと信じきれているからこうして時には面倒だなとか思いながらでも、五ヶ月ほぼ毎日書いてる自分。 やるねぇ。と、誉めてやりたいよ。 自分に酔えば酔うほどに力を発揮する、まるで酔拳のごとくなこの文章には、下手な謙虚さや、行儀のよさなんてものはかえってクズだ。 自分に酔ってでもいなけりゃ到底毎日こんな文章なんて書き続けていられるもんかってなところがあるぜブラザー&シスター。 今日も変わらず機嫌は良いし図々しいし根拠のない自信は満ち溢れているのだから調子はまずまずな感じなんだろうな。 皆さんの調子はどうだろうか? まぁあんまり興味はないけれど。 ところでさ、調子が悪い…
六月。 道を歩くと紫陽花の色とりどりの花が目の保養となる季節。 常に花が綺麗だと思える心の余裕はもっていたいものである。 そんなことを考えながら朝の散歩を終えてきた。 ところで自分が体にも心にも求めるものと言えば、つよさとしなやかさである。 つよくしなやかな心と体は自分のイメージする動きには必要不可欠なものであると心得ているので、そうあるための努力に対しては、出し惜しむというようなセコい感情は抱かないことにしている。 動きの一つとして、扱う言葉にしてもそうありたく思っているので、このblogで表現される文章にもつよくしなやかなところを読み手が垣間見れるように心がけてはいるつもりだ。 何故につよ…
揚羽蝶がつがいで仲良く飛んでいるが、あいつらの世界にも浮気とかそういう修羅場は存在するのだろうか、と余計な心配をしながらぼんやりと窓の外を眺めている。 心配といえばまず最初に思い浮かぶのが… いや、残念ながらというかなんというか特にないな。 それは残念なことというよりか、むしろ幸福なことなのかもしれないし、ただの呑気なお花畑気質であるのかもしれないが、心配がないぶん、希望はすこぶる豊富であり、ことあるごとにムフフとなってしまう自分が我ながら恐ろしく感じることがある。 でもあれだ、無用な心配に心を悩ませることよりも気分は良いのだからそれはそれでありなスタイルだろう。ありだよね? 大体において心配…
朝の散歩が気持ち良かった。 朝食にマフィンと紅茶。 どうやら今日も機嫌良く一日が始められそうなことに感謝しよう。 ところが、である。 病んだキングボンビー的blogを目にしてしまった。 危うくそうした負の間合いに引きずり込まれそうになるも、既のところでそのページを閉じ、道連れになることなくこうして書き始めることができた。 お~怖い怖い。 ああいった病んだ言葉を発信して気持ちが落ち着くというのであれば、書き手はよっぽど病的な性質を有したキングボンビーに違いない。 君子危うきに近寄らず、である。 さて、病んだblogのことは捨て置いて、健全なる言霊を書き連ねていこうと虎視眈々と狙っているMr.ポジ…
植物に水をやるのが趣味の一つである。 動物に餌を与えるのも楽しい。 人にお金を支払うのでさえ気持ちがいい。 要するに何かを与える、という行為は歴とした快楽の一つだということをここでは言いたいのである。 だからどうしたなんて冷めた意見はお呼びではない。 施すことへの喜びを知った時点で人生は明るくなるといっても過言ではない。 施しに見返りを求めるのはご法度だ。 愛と保険は掛け捨てであるというような考え方のもとに立ち回ることによって道は開けてくるものだということをメダカに餌を与えている時に閃いた、などというドラマチック風に見せるための嘘をたまにはついてみてもバチは当たるまい。 寝言は寝て言え、なんて…
本日はスタート出遅れた。 空は薄曇り。 暑くはない。 こんな時間帯からの執筆にはあまりやる気が起こらないのは何故なんだろうとか思いながらもとりあえずは書いていこうと思う。 土曜日。 自分には曜日の感覚がないし、特に必要な感覚でもない。 なんなら時計だって無用の長物であると言えないこともなく、事実腕時計は数年前に友人にやった。 スマホで日に数回確認するくらいで充分に事は足りている。 時間を気にしない生活というものはなかなか痛快であり愉快である。 陽が上れば朝だと認識し、沈めば夜だと認識するという至って原始的な暮らしには満足している。 時間に追われてる感を味わいたくはない。 それじゃなくても実際時…
どうしたものか、年々運気が上がってきているような感じがある。 それはつまり年を重ねるごとに人生の調子が良くなってきているということだ。 羨ましい人は素直に羨ましがってもらってかまわない。 昔話に嫌悪感を抱くことはないけれど、そんな暇があるならば、今のことについて話すなり考えるなりしたほうのが格段に面白い。 「楽しい」が過去に置き去りとなり「楽しかった」などという過去形でしか今を語れないようなことになるのはつまらない人生の代表格だ。 と、いうことで今日も楽しくこのblogを思うがままに書き進めていこうと思い始めると、なんだか勇気も湧いてくるようなのである。 勇気、というのは何事においても欠くこと…
朝、玄関先の火鉢の中を覗きこんだらメダカのチビ達が泳いでいるをこの目で見た。 二匹しかいなくなってしまい寂しく思っていたのでこれはおめでたい。 今日もなんだか朝から縁起のいい感じで出発できたことを天に感謝しなくてはならないわけではないけれど、自ら進んで感謝しようと思った。 話は全く関係のない方向に向かっていくんだけども、この度の免許の更新で人生初のいわゆるゴールド免許となることを相手からの通知で知った。 だからどうしたということもないんだけども、とりあえず自慢しとこうかなという浅ましい考えからその事実を文字に起こしてみたがどうだろう、羨ましがってくれる人はいるんかな?いるといいな、まぁいないで…
友達になったフィリピーノに珈琲豆を貰った。 ミルで挽いて、その新鮮でいてマイルドな味わいのブラックを嗜みながらの執筆となる。 凝ったカップに注がれたうまい珈琲を飲みながらblogで不特定多数の見ず知らずな人間相手に好き勝手なことを思うがままに書く。 なんと優雅な朝であろう。 自分で言うのもなんだしアレだけども幸せすぎてゴメンナサイ的境地の中でしたためられたこの記事なんかはもはや言霊。 意味不なんて言われたところでこちらは全くもって痛くも痒くもくすぐったくもないのでノープロブレム無問題(モーマンタイ)つまり大丈夫ということなのである。 心友というか戦友というかまぁ要するに悪友な絵描き通名リンベン…
死ぬとどうなるのか? 死んだ時点で終わりなのか、はたまた次の世界があるのか。 これは誰にも完全に否定も肯定もできない、いわば最高にして最大の謎の一つである。 ちなみに自分は次の世界があるように肌で感じているし、そう感じて生きていたほうのがなにかと都合もよいというのもあって、俄然死後の世界の肯定派である。 実際にあるのかないのかという議論はあまり意味がない。 誰も証拠の出しようがないのであるから。 しかし、あると想定して生きることのメリットはある程度説明ができる。 死後の世界があるとすれば、死というものがゴールではなくなり、生まれて来た時と同様に一つの大きな通過点であるということになる。 それだ…
建前というものは好きではないので常に本音一本で生きている。 なのであまり世間の表舞台には出られない。 まぁ出たいという願望もない。 小学生の頃から成長していないのかもしれない。 建前を使えないわけではないのだけれど、使う必要性を感じないのだから仕方がない。 大人の世界はややこしくできている複雑怪奇な怪しい世界だと感じているが、これは自分がそう主観的に感じているだけでは決してなく、事実、怪しい世界なのである。 表現の自由が憲法により保証されているなどというのも、とんだ建前であり、実際には本当のことを書いたりここでしちゃうと、とんでもないことになってしまうことなんか数えきれない程にある。 自分の本…
自分は元来平和主義者であり、和をもって尊しとする人間である。 短気な気質ではあるが揉め事は御免だ。 なにしろ時間と労力の無駄でしかないからな。 ところが、である。 自分は今、無駄無し屋という屋号を掲げて一般的な理解の範疇を越えた動き、つまり仕事に精をだし、その仕事によって和を以て尊しとする思想を思想で終わらせることなく現実的に体現してやろうと虎視眈々と狙っている、というような感じで日々を真剣に生きている。 その無駄無し屋、という組織だかグループだかなんだかカテゴライズするのに難儀するものをまとめるのが自分の仕事であるのだが、その無駄無し屋には別段これといった方針というものはないのだけれど、一つ…
今年初の海遊び。 船で瀬戸内海をブラブラ。 海のお散歩。 一応釣りもしてみたが自分は釣果なし。 何せ糸を垂らしてものの15分で飽きちゃったもんだから話にならないよ、まったく。 仲間は鯛やら鱚やらを釣っていたね。 海の上でぷかぷか浮いてるだけでも楽しいよ。 瀬戸内海はいいよ、これからの時期が旬なエリアだ。 まぁいい。 今日は疲れたのでblogどころではない。
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