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無駄無し屋
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2019/02/26

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  • 気に食わないラーメン屋

    時々外に飯を食いに行って不愉快になることがある。 最初に書いておかなければならないのは自分は気が長いほうではない。 我がホームグラウンド尾道には尾道ラーメンという食の名物がある。 ここ数年で完全に観光地と化したこの小さな街では週末には外人を含めた観光客がわりとうろついている。 尾道の名物とあってラーメン屋には行列ができていることもさほど珍しいことでもなくなった。 尾道のラーメン屋はこの流れには感謝すべきだ。 ところがちらほら調子に乗ってるのか?と思わせるような店もある。 客に対しての対応が上から目線なのは自分達からしたら職人かたぎな俺らかっこいい位に思ってるのかどうかは知らんけれども、そもそも…

  • 素人の生々しさがblogの魅力

    なにを書くともなくこうしてとりあえずな感じで文字を打ち込んでいく。 明確に今日は何を書こうというのがないのにもかかわらず、とにかく書き始める。 他の人達がどのようなスタイルで日々記事を書き綴ってるのかは知らないが、自分の場合はこうした行き当たりばったりなところからしか何故か筆が進まない。 したがってタイトルは大体において後付けとなる。 先にタイトルをつけてしまうと、途端に書く気が失せてしまうのはどういうわけなのだろうかと小首をかしげる始末なのである。 しかしまぁ最近ではそれはそれで一つのスタイルとしてありなのではないか、と自分に言い聞かして勝手に納得するところで決着をつける。 特に書きたいこと…

  • 引き寄せの法則を使って

    今、非常に欲しいものがある。 値段は230000万円。 だがそんな大金はもっていない。 何かはここでは書くことができない。 しかし本当に欲しいので引き寄せの法則をここらで一発発動させてやろうと目論んでいる。 引き寄せの法則で大事なのはイメージし行動することなんだけど、その行動が崇高なものだと思い込むことが引き寄せる確率をグンと高くする秘訣なのである。 その欲しいものを手に入れること自体が崇高なことだと信じきることができたならば、それは実現することを過去の経験から知っているので、そういうのを実感したことのない人からしたら、 「なにを寝ぼけたことを」 と、なるのであろうが、それはそれで自分はぜんぜ…

  • 人間力を上げる方法

    自分の人間力を上げたい、と願うのならば、人間力のある人間と喋ることである。 会話というものはある意味で稽古だ。 自分よりも劣っていると思われる人間との会話には時間の無駄を感じることがないだろうか? これは建前的な道徳論とかは抜きにした本音のはなしである。 例えば黒帯の強い柔道家がいたとして、その乱取りの相手が昨日今日に柔道を始めた素人であった場合には得るものがあるのは素人のほうだけだと思われる。 やはり自分のギリギリのところの実力をいかんなく発揮して戦ってこそ、その実力は鍛えられ伸びるというものである。 黒帯と白帯との試合は普通成り立たない。 これは人間力においても同じことが言える。 成り立つ…

  • 諸行無常

    この日本には素晴らしい四季があると言えたのもいつの間にか過去のことになった感があるね。 近頃は夏と冬の二季と言った方のがしっくりとくる。 こういう現象が人間の自然破壊によるものなのか、単なる自然現象なのかは知らないけれど、とにかく昔の日本は今はもうないのである。諸行無常。 友人の耳が遠くなってきて最近は電話での会話が難しい。 91歳だ。仕方がない。生きてるだけで儲けものな領域である。 飼っている犬はもう家に来て18年。 それまでに野良として数年は経っていた模様。 足腰は弱り、正直いつ逝ってもおかしくはない状態だ。 できるかぎり美味いものを食わせてやりたく思う。 母は73。 気がつけばこんなに年…

  • 意味不か否か

    湧いて来るのか来ないのか。 閃きの泉というやつは気まぐれだ。 そういうところに人生はままならぬものだと感じている。 いつでも自由に閃きの泉からすくい取れるものならば、これほど簡単なことはあるまい。 しかし、そのままならぬさが人生を味のあるものにしていると思わないわけにはいかないだろう。 それが好みの味か、好まない味か。 それだけの問題なのである。 閃きの味は好みである。 試行錯誤は好みではない味だ。 これはあくまでも主観による好みの話であって、試行錯誤の味が好みの人だっていることもそこはちゃんと心得ている。 閃きは右脳的はたらきだと言われている。 試行錯誤は左脳的はたらきか。 両方好めるならば…

  • 書くことの奥深さ

    疲れている時にはblog書きははかどらない。 心身ともに充実している時でなければいい言葉が浮かんでこない。 blogを書くという行為は指先は使うけれども肉体労働とは呼ばないだろうが、それでも肉体が疲労していては駄目なことは確かだ。 自分のblogのスタイルは投稿した記事が130を越えた現時点でもまだ定まってはいない。 と、いうよりかは、これは死ぬまで定まるもんではないような気さえしてきている今日この頃である。 そもそも自分の文体というものは精神的な成長と共に変化してゆくのが自然であり、より高みを目指すためにも積極的に変化を求めるべきではないかと思うわけである。 書けば書くほどに味が出てくるので…

  • 段々と消えてゆくblog書きたち

    自分がブログを始めた4ヶ月前に読者登録していた人たちの中で、今でもコンスタントに記事を投稿してるのはすでにほんの僅かになっている。 ブログは継続が難しいというのは事前の下調べで知ってはいたけれども、実際に月日をかけてその様子を見ていると実感が湧いてくる。 敷居は低いが生き残るのは容易なことではないらしい。 書くネタがないとかなんとかいろいろと止める理由はあるのだろうが、つまるところメンタルの問題となってくるのは明白だろう。 モチベーションを保つには一般的なところとして読者が増えるとか、アクセスが増えるというのが主なんだろう。 しかしそういうふうに外側に頼っていてはなかなかこのブログを生き抜くの…

  • 雑な人間から丁寧な人間へ

    血液型がBだからというとなんか言い訳がましいようで後ろめたいのだが、雑である。 そこに気づいてもう三年ほどになるが丁寧にという心がけはあるものの、生まれ持った性質というものはなかなか一筋縄にはいかないようである。 しかし、丁寧にという心がけがあるだけで色々と損することなく得する場面のほうが多いように感じている。 丁寧に動く、丁寧に考える、丁寧にしゃべる、丁寧に人と接する。 まぁだいたいこれくらいの種類に丁寧さを持ち込んどけばなんとかなるんじゃないかと思っている。 今日は丁寧に動けたなぁ、なんて日はどこかしら満足感が漂うのでいい。 雑さというのはどちらかといえば悪く作用することのが多い。 自分の…

  • 愛すべきデブ

    とあるミカン問屋の主人の話をしよう。 年の頃は56、7、趣味はポケモン集めですこしオタク気質が入った常にだらしなくズボンがずり落ちていて肥満体の白いケツ半分を惜しげもなく晒しているユニークでありどこか憎めないその愛すべキャラクターには癒される。 理屈をこねるのが好きと見えて、ああ言えばこう言うところがありはするが、それはそれで別段こちらの害になることはないので時折イラっとする程度な許容範囲内であり、愛くるしいかぎりだ。 生活の中心がポケモン集めなんじゃなかろうかというくらいの熱の入れようで、暇潰しにポケモンの話題でも振ろうものならば食いつく食いつく。 いつも話が長くなって結局やぶへびとなってし…

  • サイキック芸人がやって来た

    昨日は地元にサイキック芸人のkickさんという芸能界の人が来た。 トークショウという形で一時間半に渡りいろいろとオカルト話や業界の裏情報なんかを語っていた。 このkickさんという男、タロット占いなんかもやるみたいで遊びに来ていたお客さんの数人を占ったりもしていた。 自分はTVを見ないのでこの人のことを知らなかったのだが、どうやらエンタの神さまとか超ムーの世界とかいう番組に出演しているとのこと。 友人に画家のリンベンという男がいて、その人が主催したトークショウであった。 その友人の画家は開運画家と呼ばれていて広島県に住みながらも今東京でブレイクしだしたこれからの人間であるのだが、すでに芸能人か…

  • 素晴らしい文章を目指した結果がこれだ

    たまには素晴らしい文章を書いてみたいとの願望が芽生えたので、そこを目指して今日は書いてゆこうと思う。 と、いっても別段良い話を持っているわけでもなし、公の場に書いて許されるような体験もパッと頭に浮かんでくるようなこともない、あまり世間の役には立ちそうもないボンクラブロガーであることを自分で否定ができない事実がある。 しかし、そんな事実に負い目を感じることが微塵もない強靭なメンタルというか図太い神経だけが、頼みの綱というよりも命綱だ。 いいんだ。そんな感じで。 世の中には色んな価値観の人がいることくらいはどうにかこうにか知ってはいる。 こんな文章でもあわよくば、奇特なご仁の笑いの種にでもなってく…

  • 最近のルーティン

    季節に応じて生活のリズムを変えている。 近頃は空が明るくなるのがずいぶんと早くなったものだから、朝の散歩に力を入れている。 この時期朝はほっといても五時~六時の間に目が覚める。 寒さもないので布団からサッと出れて、朝の新鮮で栄養素の高そうな空気を思う存分吸い込むのがこの上ない喜び。 大体片道が45分、ゴール地点に30分ほど滞在の二時間コースが最近のお気に入りのコース。 六時に出発して八時に帰ってくる。それから飯。 朝の飯時には音楽に力を入れる。 やはりいいメロディーに包まれた中で紅茶をすすりたい。 朝はホット。冷たいのは邪道。それが無駄無し屋の掟。 今日の朝食時にチョイスしたのはこいつだ。 ポ…

  • 筆一本とスマホで遊ぶ

    画像の加工が面白い。 筆で描いた落書きにほんのちょっと手を加えるだけでこうなる。 加工前。 アナログとデジタルの融合といったところか。 こういう遊びが手軽にできる時代なんてのが来るとはね。 思いもよらなんだよ。 面白いから最近ちょっとハマってるね。 筆一本とスマホがあればかなり遊べるよ。 まことに楽しく金のかからぬ健全な遊びである。

  • 意味なく書くことにも意味があるから書く意味があるので書くのである

    今日なんかあれだね。 部屋の窓を全開にして心地の良い風を体に受けながらだよ。 書いてるんだけどね、今、このblogを。 最高にかぎりなく近い感じだよ。 乾いてほどよく冷たい風が吹き抜ける自宅の自室の机の前。 窓の向こう側には鉢植えの紅葉が二本と雑草が見える。 風に揺れる草木を眺めながら、気持ちの良い風が通り、すこぶる健全な感じで、降ってくる閃きというやつをのんびりと待ってる。別に急ぐ用事なんかないからのんきなもんだ。 降ってくるかもしれないし、降ってこないかもしれない。 まぁべつにどっちでもいいんだよ、実際。 田舎というのはどうしてこうも気持ちがいいのだろうか。 気持ちがいいったらありゃしない…

  • それでも世間は無頓着に回ってゆく

    昨日の午後に三回小さく ごほっごほっごほっと咳をして猫は逝った。 苦しむ時間が短かったのが幸いだ。 瀬戸内海の海が見渡せるところに埋めた。 自分の散歩コースなのでいいだろう。 さて、そんな自分の個人的な出来事には無頓着に世の中は今日も回っている。 相棒との死別は寂しいが、だからといって落ち込んでばかりはいられない。 できるかぎり毎日このblogを更新し続けることはもはやただの遊びの枠には収まっていない。 誰かに何かを表現したいのと同時に自分自身への語りかけでもある非常に重要な営みの一つだ。 自分にまざまざと生々しい命の儚さやら、どうしてやりようもない無力感、それから純粋な愛というものを見せてく…

  • 猫を自室で看取ることにした

    猫がどうやら生を終わらせようとしている。 病院に連れていくか一晩考えた結果、自室で最後を看取ることにした。 すでに水も食事もとらない。 体を時おり痙攣させながら今もこれを書いている机の下で身を隠しているつもりなんだろう、力なく横たわっている。 愛すべき相棒ゆえに病院での延命はしたくない。 ここ2、3日が山だろうと思われる。 生物がいつか生を終わらせるのは何も特別なことではない。 ただ、わかってはいるけれど感情的には辛いものがある。 目の前でその命を終わらせようとしている相棒を直視するのは辛いけれど、見とかないと、とも思う。 体をさすってやりたいが、さすると猫のほうが頑張ってニャアニャア鳴こうと…

  • 一個小隊

    何かがあってから動くのではなく、動くから何かが起きる。 犬も歩けば棒に当たる方式な無駄無し屋。 先月、うちの番頭が7年間の修行を終えて帰ってきた。 それから新たにもう一人加わって三人組一個小隊の布陣が出来上がる。 その番頭というのが機動力抜群な人間で、とにかく車で走る走る。 事務所は広島県の尾道なんだけれども、例えばコーヒー牛乳のうまいところがあるとかいって、その為だけに神戸まで行ってしまうような始末であるし、具体的な数字で言うと、月に平均20万円のガソリンを焚く。 無駄無し屋内でのあだ名は韋駄天。 恐ろしい男である。 とにかくその番頭が帰ってきたからには無駄無し屋の機動力は半端じゃないものと…

  • 夕方のドライブ

    若い頃はこんな瀬戸内海の片田舎なんか退屈でどうしようもないとよく嘆いたもんであるが、今ではすっかり地元の魅力を再確認して毎日この瀬戸内海を堪能している。 今日のドライブも最高の夕日で心が豊かになった感あり。 周囲が海で囲まれていることの素晴らしさに当たり前過ぎて気づかなかった過去が勿体ないような気がする。 島内ではこの時期みかんの花の甘い香りが匂ってきていい。 しまなみ街道がサイクリングのメッカみたくなってから自転車で走る人はこの時期から増えてくる。 外人も多い。 まさか自分の地元がこんな流れになるなんて夢にも思わななんだ。 嬉しいような、悲しいような複雑な気分ではあるが、まぁ活気があって世間…

  • 休日の一興

    今日は事務所でお遊び。 そして今回の傑作 お題「的」 不規則に動く的を射抜くといったイメージ。 筆を使って書くのはなにも文字でないといけないという決まりはない。 自分のイメージをより率直に表現するには文字ではリアリティを出せない自分の不甲斐なさを線の動きで補おうという苦肉の策だ。 しかしこういうのの方が好きな自分がいる。 見る人それぞれに違ったイメージを持たせることができる。 答えは一つじゃない。 見る者の想像力に期待するのもまた一興だ。

  • 物思いにふける

    あついなぁ。 もう五月だもんなぁ。 そろそろ梅雨の季節が手の届く距離にまで今年もやって来たか。 一年の折り返し地点まであとわずか。 まったく早いもんだ。 時々過ぎ去った時間に対して申し訳なく思うことがある。 もうちょっと有意義に時間を使えたんじゃないか、とかを反省の気持ちのような感じでである。 まぁそうはいってもこんなことを考えたところで何もはじまらないのはわかっちゃいるんだけどもね。 たぶんこういう考えは年を重ねていくごとにリアリティも増していくんだろうな。 40を越えると一般的に考えて、もう人生の折り返し地点にはさしかかってるはずだ。 と、いうか、季節で例えて早秋としたほうのがしっくりくる…

  • 悦ぶ言葉

    べつにみんなを喜ばせたいなんて下心は持っていない と、いえば嘘になるやもしれん。 人間なんて下心で生きてるようなもんだ。 なにを今さら隠す必要があるってなもんだ。 今日のこの記事一本に関しては一人でも多くの人が悦んでくれるようなのを目指して書いていく。 自分には他人を幸福にする力なんかないが、他人を幸福にする言葉ならば多少は知っているつもりである。 謙虚な心持で感謝の気持ちを抱きながら自分の非を認めて相手の非を許す。 「そんな綺麗事を言うな」 とかいう次元の低い解釈をするような人間はここにはいないことだろう。 おそらくみんな、そんなことはわかってるよ、といった感じなんじゃないだろうか。 そうだ…

  • 論と証拠

    このblogというものは基本的に文章で表現をする場である。 しかし文章で伝えたいことの全てを表現することは不可能であるというふうに自分は思っている。 しかし、だからといって何も伝えることができないというわけではなく、やっぱりある程度のところまでは伝えてくれる素晴らしい手段の一つであることにかわりはない。 そして映像では表現できない部分を文章は表現できる。 論より証拠という言葉もある意味本当だが、その証拠も論がなければ腑に落ちないことなどもザラにあるのも本当だ。 たとえば芸術作品などについての評価。 描かれた絵は証拠そのものである。 しかし、その証拠を見せられてそれが本当に素晴らしいものであるの…

  • 道具に愛着

    道具が好きだ。 このblogを書くのを続けられるのも、お気に入りのBluetoothキーボードを叩くのが心地よいからであることの占める割合は案外大きい。 道具には愛着が湧く。愛着が湧けば使いたくなる。だから必然的に記事を書きたくなる。 というような具合である。 これが道具を使わずにフリック入力であったならば面白くなくやめていた可能性は高い。 良い道具というのはただ単に便利というような物理的効果のほかにもやる気を起こさせてくれる精神的効果も兼ね備えているように自分は感じている。 どうやら物覚えが悪いのかこのキーボードを使い初めて三ヶ月が過ぎたが、いまだに少しスピードを上げて打ち込むと誤入力をして…

  • キラリと光るワンフレーズのために

    こう毎日記事を書いてるとね、時々ふとバカらしく思えちゃうこともあるわけよ。 そんな時のことを魔が差すというんだろうね。 でも書くよ。 なるべく毎日。 今までで三回はあったな、バカらしくなったことが。 でもそんなバカらしいことでも続けることで段々と徐々にそれなりに意味をなしてくるもんだと思ってるから続けるんだろうね。 そういうのが正しいか間違いなのかはまだ今のところは判断ができないから続ける一択でやってるよ。 時には気持ちのいいのが書けたりもするからね。 毎日が会心の出来になんて無理だな、自分には。 日頃苦痛を伴いながら書いて、時折生まれる傑作に救われるといった具合。 その傑作っていったって自分…

  • ふみふみ

    我が家にはもともとが野良の出である白黒八割れな猫がいる。 猫は本当に自由気ままな生き物だ。 自分の欲望にかくもあからさまで潔く、もはや一種の清々しさすら漂わせることのできる生物がこの地球上にほかにいようものかとさえ思わせるポテンシャルをまざまざと見せつけてくる。 と、いうか押しつけてくる。 迷惑極まりないその自由奔放傍若無人ぶりには開いた口もふさがりようがないのだが、それでも、まぁ猫だから…の一言でカタがつくところにコイツらのつよみがある。 可愛いのは間違いない。 確かに可愛いというのは認めるよ。 あのふみふみとかな。 ふみふみふみふみ一生懸命にやってるとこなんかいいよ。 応援してやりたくさえ…

  • 好きであり続ける為に距離をおく

    考え方、価値観というものはそれこそ千差万別十人十色である。 何が正しいなんてのはないこともないが、だいたいにおいてはどの面から見たか、ということ以上のものではない。 と、いうふうにこの浮き世を眺めている。 さて、今日は自分の数ある価値観のコレクションの中から 「好きなものにはあえて適度な距離をおく」 というのについて書いてみようと思う。 とにもかくにも依存という症状を嫌うタチであるからして、人に対しても物に対しても思想に対しても嗜好に対しても、一定の距離をおくことを良しとしている。 遠くから眺めると美しい景色も間近でみると汚ならしく見える。 時々会うから嬉しく思う人間も毎日会えば煩わしく思うこ…

  • 無駄無し屋流blog運営四ヶ月報告

    こうして毎日せっせと記事を書くのに、義務感とか金の為などという陳腐な動機では到底それを継続してゆくことはできない。 言葉を紡ぐ、という行為そのものに対する愛がなければね。 これはもちろん自分の場合は、であることを誤解のないように始めに書いておく。 が、しかし、継続に必要なのは忍耐でも意志の強さでもなく対象への愛だというのはこの文章に限ることではなく、結婚生活でも仕事でもそうじゃないだろうかとわりと真面目に思っている。 物事の成功の秘訣の源泉は感謝と愛。 これだと思ってくれる読者の方がいたならば素直に嬉しい。 物に魂が宿るのも持ち主の愛着があればこそのものであるし、子供を叱る親もそれは本来暴力で…

  • 読書は目的ではなく手段

    べつに熱心な読書家ではないが本を読むのは嫌いじゃない。 損得抜きに楽しい読み物もあれば、自分の心になにかを訴えかけてくるような言葉に出会う喜びもある。 人生の為になるような教訓めいたものを目にしたときなどは、思わず緩んだ靴ひもを結び直すような心持ちにもなる。 そうした心的影響を与えてくれる書物に触れることは有意義な時間であることに疑いの余地はないが、読書というのはあくまでも手段であって目的ではないというのが自分の読書感でもある。 読書はべつに何にもまして最優先すべきことではない。 時間が許す範囲での、しなくてもいいがしたほうのがよいことの類いだ。 しかし言葉が人間に与える影響は思いのほか大きく…

  • 思い通りの未来を実現する方法のひとつ

    それは思い描いた未来の実現を信じて疑わないこと。 それだけ。 信じて疑わなければ行動も伴ってくるという不思議。 だけども信じきるということ自体がそもそも難しいという事実。 じゃあ信じきるにはどうすればよいのか。 はっきり言って努力や才能などだけでは信じきることなど不可能である。 愚か者になることだ。 虚仮の一心 という言葉がある。 意味が気になる人がいたら自分で調べてもらいたい。 読みは「こけのいっしん」 では愚か者になるにはどうすればよいのか。 それは雑念を遠ざけ純度を高めることだ。 不純物のない純粋なものには計り知れない力と魅力と価値とが宿る。 純粋なものがこの世の善悪をも超越することは現…

  • ネットサーフィンの醍醐味

    ネットサーフィン、略してネサフ。 いたずらに時を過ごす昼行灯にはこのネットサーフィンはもってこいな遊びである。 そこは知の宝庫であり、わからないことはないくらいの勢いであるから一日中画面にはりついていても目の玉が疲れることこそあれ、飽きるということはまずもってない。 まぁ昔インターネットなんかなかった頃に読書に精を出していた部類の人間と大きくジャンル分けすると同じになるんじゃなかろうか。 知的好奇心を満たしたいという欲求を持っているという面か点においては。 平成にして最高の文明の利器とも言えるスマホなんかはインターネットを一般に普及させた立役者でもある。 自分もつい三年前に遅ればせながらもこの…

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