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穢銀杏
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2019/02/02

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  • 満ち足りないと なおも言え

    国家とマグロの生態は微妙なところで通い合う。どちらも前進を止(よ)せば死ぬ。 「足るを知るの教は一個人の私に適すべき場合もあらんかなれども、国としては千萬年も満足の日あるべからず、多慾多情ますます足るを知らずして一心不乱に前進するこそ立国の本色なれ」。――福澤諭吉の『百話』に於いて、私は特にこの一条が好きである。 およそ国家の発展に、「もうここらでよか」のセリフは大禁物だ。目指す地平を見失い、ただただ惰性の現状維持に腐心しだしてしまったら、その瞬間からはや既に、斜陽衰退の中に居る。そう心得て構うまい。 (『賭博破戒録カイジ』より) かつての日本は目的意識が鮮明だった。明治に於いては「富国強兵」…

  • 無慈悲なるかな時の神

    未来は過去の瓦礫の上に築かれる。 「時間」の支配は残酷にして絶対だ。「時間」は決して永久不変を許さない。時の流れはこの現世(うつしよ)に籍を置く、あらゆるすべてを侵食し、変化を強いるものである。 斯かる一連の作用を指して、「時間」なるものの正体を「万物の貪食者」と定義したのは誰あろう、高橋誠一郎だった。 (Wikipediaより、高橋誠一郎) 初見はずいぶん驚いた。 慶應義塾の誇る俊英、経済学者の上澄みが、なんたる詩的な表現を――と、目を洗われるの感だった。 年がら年中、無味乾燥な数字に埋れ、鵜の目鷹の目光らせて、富の動きを追っかける学問の徒の精神に、こんな潤いがあったとは、である。 「『時』…

  • 酒は呑むべし登楼もすべし、そして勉強もするが好い

    三日で三万五千樽。 明治二十二年の二月、憲法発布の嘉日に際し、帝都東京市民らが消費した酒の量だった。 (Wikipediaより、憲法発布略図) 数はほとほと雄弁である。明治人らが如何に浮かれ騒いだか、口を大きくおっぴろげ、つばき(・・・)を飛ばし、めでたいめでたいと我を忘れておらびあげる様までが眼前に髣髴たるようだ。 まず馬鹿売れと呼ぶに足る、この事態を受け酒の価格は当然高騰。早く常態に復してくれと悲鳴まじりの哀願が今に伝えられている。 新潟といい、飛騨といい。豪雪地帯は良酒を醸す印象だ。雪解け水だの谷風だのと、そのへんの要素がうまく噛み合う結果であろう。 白川郷を訪ねた後は、当然高山市街の方…

  • 原風景にダイブして

    米こそ五穀の王である。 その専制は絶対で、他の穀物が如何に徒党を組もうとも、崩すことは叶うまい。 少なくとも、日本に於いては確実に。 「日本という国は藁が本当にいろいろのものに使われている。頭のてっぺんから足の先まで藁で包まれ、家の中まで藁に包まれております。けれども稗柄というものはそういうわけにはゆきません。そういう点にも稗がすたれていった大きな原因があります」 民俗学者・宮本常一の意見であった。 (Wikipediaより、宮本常一) なにゆえ稗は稲ほどの勢威を得られなかったのか論じた稿の一節である。ときに履物、ときには衣類、ときには肥料。食うことのみが稲の用途の全部にあらず、なんともはや幅…

  • 俺の親父はパラノイア ―夏目伸六、トラウマ深し―

    息子(せがれ)を殴り倒すのに、いちいち理由は話さない。 いついつだとて「コラ」か「馬鹿ッ」。啖呵と共に鉄拳が飛ぶ。家庭人としての漱石は、どうもそういう一面を、ある種悪鬼的相貌を備えつけていたらしい。 次男の夏目伸六が、かつて語ったところであった。 「あれは一種のパラノイアて奴で…」 と、アレ呼ばわりで親父をこき下ろしている。 (フリーゲーム『芥花』より) 「機嫌が悪いと堪らないんだ。俺達が泣くとあの腐ったやうな眼で何時間でも睨むんだ。何時かカチューシャの歌を廊下で歌ったら、いきなり来やがって『コラッ』と殴られちゃった」 この発言があったのは、昭和十年、津田青楓との座談の席で。津田もまた、夏目漱…

  • 日本的な、あまりに日本的な

    東京湾にサメが出た。 単騎にあらず、二頭も、である。 時あたかも明治二十一年五月半ばのことだった。 (Wikipediaより、ホオジロザメ) かなり珍しい事態だが、まんざら有り得なくもない。確か平成十七年にも、五メートル弱のホオジロザメが川崎あたりに漂着し、世をどよめかせていた筈である。 ただ、平成シャークが発見時には既に死骸になっていたのに対照し、明治のサメはピンピン元気に水切り泳いで獲物を狙える、ーー「海のハンター」の面目を十二分に発揮可能な状態だった。 実際そういうことをした。 狼狽したのは佃島の漁民ども。どうやらこのサメ、かなり気性が荒っぽく、しきりと海中を荒らすので、船を出しても仕事…

  • 韓国に良材なし

    時期的に台風が濃厚である。 明治二十四年九月四日、朝鮮半島仁川港は暴風雨に襲われた。 たまたま彼の地に日本人の影がある。韓国政府の招聘を受け、当港にて海関幇弁をやっていた青年・平生釟三郎だ。 (Wikipediaより、平生釟三郎) 川崎造船所のダラー・エ・マンにやがてなる、この人物の遺しておいてくれていた「被害報告」が面白い。ーーなんでも和船や西洋船は一隻たりとも損傷せずにやり過ごすを得たのだが、滑稽なことに、地元朝鮮の船舶だけが二十数隻もやられるという大出血を食ったとか。 原文をそのまま引用すると、 「…碇泊せる倭船、合の子船、洋形風帆船如き一隻も難破せずして錨すら失ふたるものあらざるに朝鮮…

  • 絶やすまいぞえ、海の幸

    乱獲による海洋生物個体数の減少は、戦前既に問題視され、水産業者一同はこれが対策に大いに悩み、頭脳を酷使したものだ。 物事の基本は「生かさず殺さず」。根こそぎ奪えば、いっときの痛快と引き替えに、次の収穫は期待できない。いわゆる「越えてはならないライン」、境界線を探らねば。――そんな努力の形跡が、文献上に仄見える。 萌芽も萌芽ではあるが。――「持続可能な漁業」の試み、第一歩といっていい。 就中、白河以北(とうほくちほう)は宮城県、桃生群鷹来村大曲漁業組合にあってはかなり、時代を先取りするような、ユニークな手段を模索した。世に謂う人工漁礁計画である。 (Wikipediaより、コンクリートブロックに…

  • 秋の夜長に想うには

    コナン・ドイルとシャーロック・ホームズがいい例だ。 作家にとって「描きたいもの」と、彼に対して世間が「求めているもの」と、両者は屡々喰い違う。そこに悲劇の種子(タネ)がある。 竹久夢二も、どうやらそっちの類に属す表現者であるらしい。 (Wikipediaより、竹久夢二) 彼は「夢二式美人」なぞ、創造したくはなかったのだ。なかったらしいということが、死後息子により暴かれている。 「『人生は一度つまづくと後から後からつまづかねばならない、そんな人はさういふ痼疾を持って生れて来たのだから』と生前の父は云ってゐましたが、父は多分私生活に於ける第一の結婚(即ち僕の母です)を誤ってからは次ぎ次ぎに破綻しつ…

  • つるべ落としの太陽よ

    妄想癖を生みやすいのは、一に病弱な人間だ。 ただ天井のシミばかりを友として床に入って居らねばならないやるせなさ。活動する世間から切り離された疎外感。とろとろとした時間の中で、人は次第に己が心に潜り込み、その深淵の暗がりに、娑婆では到底望まれぬ自由境を描き出す。 (VIPRPG『やみっちホーム』より) 建築家・岡田信一郎、今なお各地に数多くその作品を留め置く大正・昭和の名工は、才気と引き替えにしたかの如く多病質に出来ており、それが理由で日が高いにも拘らず籠らざるを余儀なくされた布団にて、実に多彩な幻夢(ユメ)を見た。 時には自分が死んだ後の情景なぞにも想像を馳せたそうである。 「…棺桶の事なども…

  • 神田明神参詣記

    やっと涼しくなってきた。 十月も一週間を経てやっと。 これでも未だ平年並みには程遠い、だいぶ高温傾向なのであろうが、それでも体感はずいぶんマシだ。 暑いと駄目だ、モチベーションまで溶けちまう。何もやる気が起こらない。 盛夏に於けるアスファルトの路面とは、火を通された鉄板上も同然だ。靴越しでなお足の裏を炙られる。炭火で焼かれる生肉の気持ちに仮令シンクロしたとして、それがこの先の人生に、どう役に立つというのだろうか。 熱中症のリスクに怯え、滝行の如く汗に濡れ、そんな労苦を負ってまで、求めるべきなにものが戸外に在ると云うのであろう。冷房の効いた一室に閉じこもっていた方が、百万倍もマシではないか。 ―…

  • 文武両道、佐賀男児

    古賀残星の性癖に「女教師好き」がある。 幼少時代の実体験から育まれたモノらしい。 「私達の小学校の頃は紫紺の袴をはいた女教師を見て来たのであるが、その時代は非常にロマンチックな色彩があり、教育にも人間味があった。殊に女学校出身の女教師には美人も多かったし、その教授法は職業的訓練を受けた師範出には及ばないまでも児童と教師との間は、姉と妹のやうに情愛が深かった。入学試験などの競争も今程にはなかったし、世間そのものがもっと伸び伸びとしてゐた為でもあらうが、私達はかゝる美しい女教師に接する事が子供ながらも嬉しかったのである」 昭和十年の告白だっt。 (上白沢慧音。個人的に女教師といえばこの人) 古賀残…

  • 民本主義者と国家主義

    改めて思う。 小村寿太郎はうまくやったと。 ヨーロッパの火薬庫に松明がえいやと投げ込まれ、轟然爆裂、世界を延焼(もや)す大戦争が開幕したあの当時。 (Wikipediaより、サラエボ事件) 各国大使の舐めた辛酸、一朝にして敵地のど真ん中と化した窮境からの引き揚げを、円滑に運ぼうと努力して運べなかった人々の苦心苦悩が伝わっている。 ほんの一端に過ぎないが、吉野作造の筆により――。 「開戦の初めに当って敵国在留の各国民が殆ど其生命の危急さへも気遣はれたるが如き、露国大使がベルリンを引揚の際、自動車上に微笑を漏せりとて袋叩きの厄に遭へるが如き、我駐墺大使が、ウィーンの旗を巻いてスイスの国境に入る迄、…

  • 選挙と歌と ―夫を支える晶子女史―

    浦島よ與謝の海辺を見に帰り空しからざる箱開き来よ 哀れ知る故郷人(ふるさとびと)を頼むなり志有る我背子の為め 新しき人の中より選ばれて君いや先きに叫ぶ日の来よ 以上三首は大正四年、衆議院選挙に打って出た與謝野鉄幹尻押しのため、その妻晶子が詠みし詩。 内助の功といっていい。 いったいこの前後というのは日本国民の政治熱が限度を超えて高まりきった時期であり、その雰囲気に誘導もしくは衝き動かされるようにして、與謝野鉄幹以外にも、馬場孤蝶なり小山東助なり小竹竹坡なり、なり――と、所謂「筆の人」「文の人」らが相次いで出馬を表明し、いよいよ世間を盛り上がらせた頃だった。 矢島楫子が「凡ての社会運動同様、政治…

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