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  • 背水からの逆転~いつまでも夢見てなんていられない

    多くの人は、ある日突然願いが叶うとか、急成長を夢見たりするんだよね。 かくいうわたしもかつてはそうだった。 ちゃんと自分と向き合っていないで夢見ごごちだったような・・・ どこかフワフワして「いつか王子様が」的な。 ここにいるわたしは本当のわたしじゃないの。みたいな・・・   手に入れたいほんとうのわたしって、そもそも何だろうね。   世の中に星の数ほどある成功法則やら自分探しやら。 何が正しくて、何が正しくないのか?? 情報量が多すぎてなんだかな~~??なんて思うことないですか?   そもそも「成功」とか「ほんとうの自分」って何だろう? 思うに「成功」にしても「自分らしさ」にしても、人として成長した先にあるんじゃなのかな?って思います。 わたし個人的には「成功者」というコトバがあんまりしっくりこなくて好きではないんだけど、「成功」の定義って人によっても違いがあるし。   ふわふわと他力本願で「ここはわたしの居場所じゃな~い」って嘆いて、夢みがちだった成長しすぎたかつての少女も、色んなことが重なり夢の中という仮想現実から出る覚悟をしていった。 現実をしっかり見据えて自分の人生は自分で歩く!と決意せざるを得なくなったんだ。   現実世界では「急成長」なんてありえない。 目先の利益に目がくらみ大失敗もたくさんした。 物質的な豊かさも、心の自由も、望む未来も、追い求めている間は、手に入らないんだよね~。 一瞬手に入ったと思っても、気がつくとさらさら砂のように指の間からこぼれ落ちていく。 望んでいる間は、手に入らないというパラドックス 自分自身が成長して、意識レベルを上げていかないと叶えることができないもの。   そのために一番大切なこと。それは自分自身を知ることなんじゃないかな。 自分が心から望むこと。本当の欲望を知ること。 自分が持っているたくさんの価値にも気がつくこと。 何ができて何ができないのかを知ること。 そして今の立ち位置を知ること。 全てはここから。   ただただ「こうなったらいいな~」って思っているだけでは、いつまでたっても目的地には辿りつけない。 絶景の写真を見て「行きたいな」って妄想しているのとおんなじだもの。 望む結果がわからなければ目的地がないのに旅行の計画を立てるようなもの。 現在地がわからないければ、目的地までの移動手段もわからない。 そして自分自身に何が出来て何ができないのかがわからないと、辿

  • こだわり過ぎて、思考がカッチカッチの足枷になってないかい。

    こだわりが強すぎると先に進まない 「こだわり」って持っていますか。 わたしはモノ作りをしている時は結構いろんなことにこだわりがちでした。 布選びから始まって、特に色と柄の組み合わせ。 いとこと共同で運営していたハンドメイドサイトでも、基本的に布は全部自分で選んでいました。 そして組み合わせる色にもとことんこだわっていたので、欲しい色がどうしても見つからない場合は、見つかるまで作らない。なんてこともよくありました。 同じ色、例えば「ピンク」でもちょっとしたトーンの違いで色って微妙に異なるでしょ。 そのほんのちょっとの違いも許せなかったんですよね。 時たま、相方のいとこが布を見つけて持ってくることもあったんだけど、ま~気に入らなかった。 わたしがイメージする布じゃなかったから。 でもね、ある時から、その「こだわり」を減らしていったんです。 気に入るまで「作らない」ではなく、在る物でもっとより良いものにするにはどんな工夫をしたらいいか?って考えてみたんですよね。 こだわりを減らすと自由が手に入る いろんなことが重なって、「こだわり」続けていられる状況じゃなくなったから。というのがきっかけなんだけど。 時にはこういうきっかけってすごく大切。 おかげで、思考が柔軟になって、それまでとは少し違った角度でものごとを見られるようになったんです。 「こうじゃなきゃいけない!!」という強いこだわりを、「こういうのもありかも」という風に変えてみたら、新しい発想も浮かんでくるようになったんです。 そうするとね、それまではやらなかったことも「ちょっとやってみようなか」と挑戦するようにもなったの。 引き出しも増えていくから、これとこれを組合わせるとどうなるのかな?なんていうコラボも楽しめるようになってきました。 食事もそう。 一人で子ども二人を育ててくる中で、「ちゃんと栄養のあるものを、惣菜とかに頼らずちゃんと作る」ってこだわってた。 ちゃんと!!ちゃんと!!って自分に呪いをかけてた。 でもね、あまりにも忙しいとそうもいかなくなる時もある。 究極忙しい時は、冷凍食品もあり!って自分を許してみた。 もちろん、自分で食材を買ってきて作った方が「安心」で「安全」なことが多いけど、絶対そうじ

  • 悩み多き人生を手放す方法

    実はわたし 悩みってあんまりないんです。 ぼけ~っとしてるから。ってわけじゃなくてね。 しいてあげるとしたら「今日の夜ご飯何作ろうかな?」って悩むことと、忘れ物の多さかな。(笑)   以前はた~くさん悩みがあったよ。 集団の中にいても、馴染めずいつも孤独を感じていたし 自分に自信がないから、どうみられるか?という外側からの評価を気にしていたし。   でも今はあんまり悩みはなくなってます。   どうしたら悩みの少ない人生になるのか? それはずばり 徹底的に、もうあとがない位、究極の崖っぷちに何度も追い込まれてみる!! です。   嫌ですよね~ そんな状況好んでなりたくないですよね~   でもね、時には頑張って頑張って頑張っても、どうにもならなくなる時ってあるんですよね。 そうするとね、もう色んなこと手放すしかなくなるの。 必至に漕いでいた船のオールを、ぽいっと捨てちゃう。 もう仕方ない!えいやっ!!なるようになれ!!って。 頑張ってピンと張りつめていた状況から肩の力を抜くと・・・ なんだかいい方向に流れが向き始めたりするもんなんです。   そう。 人生の流れが変わる時って、そんな時なのかもしれません。 本当にこれ以上どうしようもない状況に何度か遭遇していると、それまで悩んできたことがだんだんどうでも良くなってくるんです。 というか何に悩んでいたのか忘れちゃう。 それどころじゃなくなるから。   そもそも「悩む」ってことは、自分には「伸び代」があるという期待だと思うんだよね。 悩みが大きいというのは、自分への期待値が大きいということでもあるんじゃないかな。 「悩める」余裕があるというのは素敵なことだと思う。 だってほんとうに崖っぷちに追い詰められると「悩んでいる」余裕はなくなるもの。   究極の崖っぷちはね、好ましい状態ではないし、作為的にその状況になれるわけでもないけど、 自分の今抱えている悩みを、改善するためにもっと簡単に出来る方法があるよ。   それは「死」を考えてみる。ということ。 もし3か月後に死ぬとしたら、今の抱えている悩みはどうなるかな?ってちょっと想像してみるといい。 人は明日も、その次の日も、来年も、当たり前のように「自分は生きている」という前提で過ごすけど、誰だっていつ死ぬかなんてほんとのところわからない。 明日がくると思うから、いろんなことを先延ばしにもするし、悩みも生まれる。 以前もこのブログ

  • 思考を自由にするために意識している7つのこと

    柔軟さは力 困難で不透明な時代を生き抜くためにも、柔軟な思考、変化に対応できる思考って大事だな~と思ってます。 とは言っても「柔軟な思考」を手に入れるにはどうしたらいいのか? 以前脳科学やNLPをめっちゃ学んだ時に教わって、心がけていることを紹介します。 1.好奇心の赴くままに 面白そう!って思ったら、ほかの誰も興味を持ってなくてもやってみる。取り入れる。 価値観が多様化しているんだから、極端なことをいうと誰にも認められなくてもいい!と思ってます。 面白そうだからやってみた。やってみて飽きたら違うことをやってみるし。興味が尽きなかったらやり続ける。 そうするとねいつの間にか自分のモノとなって結果が出始めたりするんだよね。 2.不合格でも気にしない 失敗しても気にしない。 うまくいかない方法がわかると工夫することができるし、うまくいかないことの方が得るものが多いもの。 何でも準備して失敗することを極端に避けるのはもったいない。やったことがないことはうまくいかなくて当たり前。 失敗したら喜ぼう。 3.モノもコトも固執しない 今持っているモノを手放すと新しいものが手にはいる。 ぎゅうぎゅうの空間には新しいモノも情報も価値観も入ってこないんだよね。 モノに限ったことじゃない。古い固定概念、古い価値観、 時代が変わった今、過去の前例に縛られていると次には進めない。 古いものはあっさりと脱ぎ捨ててしまう。 空いたスペースに次のものが入ってくる。 4.常識という檻の鍵は自分で外す 「常識」なんて時代も国も変われば違うのは当然 世間一般で言われている「常識」ってそもそも誰が決めたものなのかな? 価値観も多様化している今の時代は、価値観の数だけ「常識」だってある。 誰が決めたのかわからない「常識」は、疑ってみようよ。そして自分の頭で考えるの。 「常識」ってなんなん??自分自身を縛り付けるのはもうやめよう。 5.向かいたい方向に進むためにあと何があればいいのか?を知る 自分が向かいたい方向に進むために、足りないものを明確にするのはとても大事 ないものねだりをする。ということではなく、ここに行きたいから何が必要なの?をはっき

  • 「道フェス」と「あたらしい働き方」

    「今まで通り」「いつもと同じ」に安住していると、時代に取り残されちゃうかもな~って観ていて思った。と同時に楽しかった。 昨日(2019年2月23日)午後2時から放送していた「みんなで道フェス!2019~どさんこの夢応援するべさ~」 テレビはほとんど観ないわたしが「これ!観たい」って思った番組 聞いたことないよ!!こんなの。 前代未聞の民放5局&NHKの計6局、合同でひとつの番組を放送。しかも「生」 そして番組ラテ欄の占領&どこをつけてもおんなじ番組で電波の無駄使い(笑) やるな!北海道のテレビ局!! 司会が大泉洋&タカトシ。この3人がひとつの画面の中に並んでるのもレア 同じ画面内で6局のアナウンサーが一同に介して、6局のキャラクターが並んでいるのもレア。 多分調整するのも大変だったと思うけど、「北海道を盛り上げよう」という趣旨も伝わってきたし、なにより出演しているみんなが楽しそう。 エンディングの「私たちの道」という曲を歌っている初音ミクと細川たかしの絵が強い!これがまたレア ちょうど二日前に地震が起きたばかりのタイミングで、ほんとに元気になれるしひとつになれる感じがしてじ~んと響きました。 もうね、今の時代、5~6社で競いあう。なんて時代じゃないのかもしれないね。協力して共有し合う方にシフトしているのかな~って思った。 各曲のアナウンサーもみんな楽しそうだったし、そこにライバル意識は見えなかった。 北海道を盛り上げようという共通言語の元の共同制作の番組。 すごく暖かいものを感じたんだよね。 クレームやスポンサーを気にするあまり、テレビってどんどん面白くなくなっているし、選択肢は地上波だけじゃないし、そんな中の手を取り合って北海道も、テレビも盛り上げよう!という取組は素敵でした。 今ちょうど、本田直行さんの「あたらしい働き方」という本を読んでいるところなんだけど、本の内容と少しリンクしている部分があるな。って思った。 多様化している、そしてもっと多様化していくであろうこれからの時代は、既存の高度経済成長時代の考え方という枠から出ないといけないんだろうね。 なんてことを感じた時間でした。 局関係ないから、自分の出演番組名を連呼している北海道の怪物大泉洋と、タカトシの

  • 不安が膨らんで風船みたいに大きくなったときに考えたこと

    将来の不安に押しつぶされそうになる時 以前のわたしは、将来に対しての不安がた~~くさんあったんです。 「体調を崩してお仕事できなくなったらどうしよう?」 「歳をとって充分な貯蓄もなく働けなくなったらその後生きて行けるかな?」 「年金なんて出ないだろうし、貯蓄どころか収入もなく毎日生きるだけでいっぱいになるような生活は嫌だな・・・」 という具合に、、、 考え出すとキリがない。 どんどん、どんどん「不安」の種が広がって、そこからさらに大きくなって、考え始めると、膨らみすぎた「不安」に押しつぶされそうになってました。 でもね、今はまったく「不安」がない。というか「不安」はあっても気にならなくなったの。 それは「あること」を知ったから。 その「あること」というのは・・・ どれだけ準備しても「不安がなくなる」ことがない!! ということ。 「不安」を前提に、いくら準備したところで「不安」ってなくならないんだよね。 それはね、最初に例にあげたような「不安」って、まだ起こってもいない考えても仕方がないことで、遠い未来に想いを馳せるという現実逃避にほかならないから。 まだわからない将来の不安って、いくら考えても、いくら不安を強めても、現時点では「不確定要素」だからどうしようもない。 現実逃避からの逃避 それならば今すぐ「先のいらぬ心配」に思いを馳せるのはやめて、今、目の前のことに集中しよう!!って切り替えたんです。 だからといって、すぐさま「不安」の妄想から逃れられるわけじゃないけど、少なくとも「不安」を感じた時に、気持ちをほかの方向に持って行こうと「意識」することはできる。 「不安」を感じるたび、「今また不安を感じてる」って自覚することから始めたの。 自覚できるとしめたもの!!その思考をほかのことに切り替えることができるようになるんだよね。 そうしてひとつひとつ、いらぬ不安に目を向けているところを拾って、今目の前のことに集中するようにしていったの。 今この瞬間のこと、目の前のことに意識を向けて興味のあることを一つづつやっていくとどうなるか? そこから次の興味の元が沸いてくるんです。 そうしていくうちに「不確定要素」である「不安」に目をむけることがすごく

  • 「バイアス」と書いて「紫式部」と読む。源氏は夜だけのもの?

    興味があればどんどんやってみればいい こんにちは。たけくまです。 と、珍しく挨拶から始めてみました。(笑) どうもね、ときたまとんでもなく集中力がない。というかいろんなことに手を広げ過ぎて収集がつかなくなる時がある。 たとえばブログの記事もそう。 日常の中のちょっとした出来事だったり、ちょっとした気づきだったりを拾ってそこからどんどん発展していって、記事を書いているうちに最初に書きたかったことと方向性が変わることなんて「ざら」です。 時には、書きたいネタが3個も4個も浮かんでくるときがあって、一通り全部メモしておくけど、しばらくたってすっかり忘れてる。なんてこともしょっちゅうあります。 その変な習性は記事に限ったことじゃなく、色んなことを考え始めると、思考の波がバイアス状態に広がっていって収集つかなくなるし、「調べもの」もそう。 色々調べていくうちに最初に調べていたことからどんどん発展して、興味が尽きなくなったり、やりたいと思った事とか、アイディアとかもそうかな。 モノ作りをしているときなんか、部屋中に布を広げて組合わせを考えている時なんて、とめどなく作りたい物が浮かんできて手が追い付かないなんてこともよくあります。 アイディアなんかも、メモすることが追い付かなくていつの間にか忘れる・・・ 忘れちゃうようなことなら、その程度のモノだったんだろうから気にしないけどね。 無駄に思えるものもシナプスのように繋がっていくかも そんないつものバイアスに広がった興味の種が元で、さっき「源氏物語」が届きました。(笑) 誰もが知っている世界に誇る日本の古典。なのに全然知らないや!!と思ってちょっと読んでみるかな~と。 でも古語で読むなんて意味わからん。まっぴらや!!と思ったのでビギナーズ・クラシックスを買ってみた。 ちらっと開いてみたけど楽しみです。 日本に生まれて、日本で育っているのに、ちゃんと日本の古典やら歴史やら文化を理解していないな~なんてちょっと思ったのだ。 学生時代「歴史」のお勉強も「古典」のお勉強もどちらかというと苦手だった。 お勉強は楽しくないけど、自分自身のルーツを紐解くっていう観点で読んでみたら楽しいかもね。 「なんだ、遠い昔の人も、今のわたしたちも変わらないな~」な

  • 働き方改革ってなんなん?

    副業解禁? プレミアムフライデー? 自宅勤務推奨? う~ん。なんだか自分ごととしては今のところあんまりしっくりこないんだよね。 政府の働き方改革法案が可決されてから半年以上経ちましたね。 なんのため? だれのため? 最終的にどこを目指してるの? と、なんだかわからないところも多々あるけど、、、 わたしなりに解釈してみた!! がむしゃらに言われたことやってレールに乗ってりゃ安泰じゃねーぞ!自分の頭で考えて人生楽しめ!! ってことかな。 働き方改革もだけど、日本の教育システムも同時に変えなきゃ意味なくね?とも思うのだ。 だってさー、日本の教育システムって、最終学歴以降の選択肢が「就職」すること大前提の、社畜量産システムみたいな一面もあるでしょ。 わたしもながいこと社畜やってたし、「それがあたりまえ」って洗脳されて育ってきたし。 もちろん業種にもよるだろうし、常識の範囲から飛び出した会社もたくさんあるけど、 なんかほんとに、ほとんどの企業ってのは、クリエイティブとは無縁な世界だよね。 っで思ってた。 いまどき、個人も企業も常識の枠の中にいちゃ生き残っていけないよーな。 絶滅危惧種になっちゃいそーな。 なんてことを考えてたら、時給労働者のことを書いたDaiGoの ブログが目に飛び込んできた。 うん、うん、そうだよね~って思うところ満載でした。 いくら政府が副業解禁、とか色々言っても、時間労働を増やすだけじゃ全然意味ないよね。 残業が規制されたし、副業もOKだから、本業のあとにバイトしてます。とか。 そーゆーことではないよね~。 今まで人がやってたオシゴトも、じわりじわりとシステムに奪われていってるよ。 受付のしごとにしても スーパーのレジにしても 公共料金のメーター検針にしても 気がついたら、人からシステムに変わってるものって日常に溢れ出してる。 人って一回楽な方に流れたら、あえて不便な方には戻りたくない傾向があるよ。 と言ってるわたしは、あえて不便な土鍋でご飯炊いて、コーヒーはお湯沸かして手で落としてるけど。笑 これは不便さよりも、美味しい方を選んでるの。(と、自己防衛の言い訳をしてみた)

  • あなたの常識、押し付けないでよ!

    時間があると本を読んでます。 読んでる。というより読み漁ってる。という表現の方がしっくりするくらい。 本を読む習慣がなかったり、活字が苦手って人も一定数いるけど、もったいない。 本は自分が知らない世界を疑似体験できる場所 絵や映像がないからこそ、イマジネーションが広がる世界 難しいものを読む必要なんて全然ない。 わたしも、たまには分厚くて読むのに数日かかるような本も手に取るけど、結構2~3時間で気楽に読めるものを読み漁ってることが多いです。 本と映画が好きなのはきっと両親の影響だろうね。 本はね、割と惜しまず買ってくれてたんだよね。ありがたいことです。 「常識を疑うことから始めよう!」 表紙の歯抜けの少女の可愛らしさに手を取って購入した本のタイトル。 これも軽く読めて、オススメしたい一冊です。 思考を柔軟にするには、いろんな気づきを与えてくれる刺激ってとっても大切だな~って思った。 「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」-アインシュタイン- このコトバがその本の中に書いてあった。 うん!!激しく同感(笑) よく「常識」を持ち出す人がいるけど(主にクレーマー) その常識って誰が決めたことなんですか??ってよく思う。 あなたの常識=世間一般の常識とは限りません!!って 人間年を取れば取るほど、どちらかというとどんどん保守的になりがちで、自分の生きてきた狭い世界の中の常識が、世の中全部の常識だと決めつけてかかる。そんなめんどくさいおじさまが意外にも多いな~なんて思う今日この頃。 常識なんて、時代が変わると、変わるもの。 常識なんて、場所が変われば変わるもの 同じ日本国内でも、土地が変われば変わるもの、 隣のおうちと自分のおうちでも違うもの 生き方だって多様化している今の時代に「あなたの常識押し付けないでよ!」って、ほんとにそだな~。 軽く読めて、柔軟な思考が身につくかも 常識という自分で作った檻から、そろっと出てきて、自分を解放してあげよう。 常識を疑うことから始めよう (Sanctuary books) 著:ひすいこたろう/石井しおり ブログランキングに登録してます

  • 参考にならない偏見だらけの、自分の時間確保のためにやめた5つのこと

    自分をたいせつにするためにやめたこと 心の声を大事にするようになってから、自分の時間をもっと大切にしようと思った。 誰にでも平等に与えられている一日24時間という時間 その中から自分がやりたいことに時間を使うためには、寝る時間を削るか、今まで他のことに費やしていた時間を確保するしかない。 寝る時間はとっても大事。 人とおんなじことをやってたら、自分らしく生きることなんて出来ない。 だから、やらないことを少しづつ増やしていった。 スケジュールが埋まってないと不安感に襲われる。なんて人も世の中にはいるみたいだね。 わたしは、スケジュールが埋まってるとちょっとうんざりしちゃうんだ。 なんだかタスクをこなすだけの日があるってだけで、気が重い。 何にも予定が入っていなくて、自由に自分のやりたいことにだけ時間を使える日が大好き。 その「やりたいこと」の中にはこうして文章を書くことも含まれてる。 決して参考にはならないと思う「わたしがやめた5つのこと」 1.テレビを観ること。 我家にはテレビはありません。パソコンでもテレビは見られるけど、ほとんどつけない。たまにつけると、意味もなくぼ~っと見ちゃう。 勝手に入ってくる情報に受け身になって、ほんとはそんなに興味があるわけでもないのに先が気になってしまう。 テレビは思考することを奪う魔物だな~ってつくづく思う。 2.飲み会や女子会 どうしても避けられないものを除いて、極力無駄な飲み会には行かない。 行ったら楽しい時もたまにはあるけど、行って楽しい飲み会は「飲み」の場じゃなくても楽しい。 3.SNSをだらだら見ること 投稿もするし、他の人の投稿も見るけど。時間つぶしでひたすら見続ける。なんてことはしない。 SNSのいいところは、日常では接点のない著名人などの考え方やモノの見方を感じ取れるところだと思ってる。 それ以外のものを必要以上に見ていると、疲れちゃうんだよね。 4.掃除機をかけること カーペットを全部取っ払っちゃった。そうするとワイパーで、くるくるっと床の掃除が出来るの。 わざわざ掃除機を出す手間が省けて、気になった時、しかも隙間の時間に床のお掃除ができる。 お掃除は気に

  • まだ隠れている自分の価値を見つける方法

    自分には見えてないもの 自分のアピールポイントって、けっこう自分では気がつけないもの。 自分では「当たり前」だと思っていることで、よく他人から「こうしてくれて助かった」とか「○○らしいね」って、喜んでもらえることってないですか? わたしの場合は「こんな言葉をかけてくれてすごく救われた。」とか「こんな喩えで言ってくれたのがすごくわかりやすかった。」とか でも「その言葉を掛けた」当の本人は全く覚えてないの。 「へ~、わたしそんなこと言ってたんだ~??」って自分でもびっくりするくらい全く覚えてない。(笑) その覚えてないことでめちゃくちゃ感謝されるんだよね。 多分ね、傍から見てて、何でそんなことで悩むんだろう~?ってものすごく客観的に見てるんだろうね。 だから、ちょっと視点を変えてあげてるだけ。 そしてちっちゃな変化に気がつく。元々人間観察が好きだから、いろんなことを知らぬ間に観察してるんだろうね。 当の本人は「なんでみんな気がつかないんだろう?」っていつも不思議に思ってる。 自分にとっては、あ・た・り・ま・えの気付きの促しと、ほんのちょっとの言葉がけ。 サイトを始めた時もおんなじ わたしにとって洋裁は特別なことじゃなく、作りたいものがあればミシンでちょこっと出来るもの。つまり日常 お遊戯会の衣装が作れない。 スモックどうやって縫うの? わたしの当たり前をやってあげたら、喜んでくれる人がたくさんいた。 多分ね、自分の「価値」や「得意」って、自分にとっては日常過ぎで、当たり前すぎなことなので、なかなか自分では気がつかないことなんじゃないかな。って思う。 おともだちや身近な人に「○○らしいね」って言われることって、それこそ周りから見た「自分らしさ」なんだろうね。 食わず嫌いはもったいない。 それと以前は苦手だったけど、やってるうちに好きになってくるものもある。 わたしは文章を書くのがすごく嫌いだった。 作文とか、レポートとか、文章を作ることにものすごく抵抗感があったの。 ECサイトの運営も、元々いとこと共同運営で作業を分担していた。 わたしは作るの専門!!アナログ作業のみ!サイトの制作や運営全般は文章が得意ないとこにぜ~んぶお任せていたの。 そ

  • おとなげないワンダーなオトナ カモーン!!

    大人げなさを解放せよ 自分自身に制限を掛けている心の癖って何だろう? 気になったことを書きとめて、その背景にある思い込みを洗い出してみている。 ついつい頑張り過ぎちゃうことが続いたから、幼少期からの刷り込みによるものなのかも?と思い、探ってみている。 ちょっとだけ見えてきたものが、頑張らないと認めてもらえないという思い込み その背景にあるのが、親の期待に応えようとする健気さ(笑) ちゃんとした大人になれという洗脳?? 立派じゃないと親を悲しませるとか・・・ これって誰のためなんだろう?と考えてみた。 もう世間体を気にする親からの制限は「ぽいっ」と脱ぎ捨てていいはずなのに、いまだに自分を檻に閉じ込めている。 くだらないな~って思った。 親の期待に応えるのが自分の人生じゃないのに、いつまで経っても、その呪縛によって自分に制限かけてるんだな~って。 大人らしいヲトナなんて目指す必要なんてどこにもない!! オトナゲナサを追求しようと決意した。 とは言っても子どものように駄々をこねる。って意味じゃなくてね。 ありのままのワンダーな自分をそろそろ檻から解放してあげようと思ったのだ。 泥臭くて全然OK!! おとなげなさ!大歓迎。 馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる 本当の自分も笑ってた それくらい 馬鹿になれ -アントニオ猪木- ブログランキングに登録してます。「ぽちっ」としてくれるとめちゃくちゃ励みになります。応援よろしくお願いします。 にほんブログ村

  • 一番大切なはずなのに、虐待してませんか?

    あなたが大好きな大切な人が 仕事だからと我慢して、やりたくないことをやって、自分らしさを抑えてて、毎日くたくたになるまで働いていたとしたら何をしてあげる? そんなに無理しないで自分を大事にしようよ。 自分が1番大事だよ。 仕事だからって大人げない時もあっていいと思うよ。 そんな声をかけたくなる。 そんなわけでくたくたになってしまったので1番大切な自分を思いっきり労わることにしました!! 自分の成長のためのがんばりなら、時には無理してもいいと思うんだけど、心にないことをやるのにがんばり過ぎるのはあんまり良くないね。 なんだか無理させすぎてたなぁといろんな気づきがあり反省。 ご褒美はアイスクリーム なんて安上がり 疲れたときに食す冷たくて甘いアイスクリーム。 ハニーコーンがめちゃくちゃ美味 そして 1日パジャマのままダラダラぐだぐだ布団の中で過ごすそんな許可を与えてみました 目を酷使したのでなるべく目を使う余計な情報もシャットダウン。 水と木の音のヒーリングミュージックとユーカリのアロマでのんびり過ごす午後 さいこ~!!! たくさん観てきた映画が頭の中で再生され、ダラダラ過ごす午後も目を使わずに楽しめます。 と言うわけでこのブログも お布団の中でダラダラと、音声入力機能を使って書いてます。 なんでもない日おめでとうーー♬ 1番大切な自分と言う存在に、無理させすぎるのは、自分をは「虐待」しているのと変わらないなぁ。 つい頑張りすぎちゃうきらいがあるけれど、本当はそこまで頑張る必要もないんだろうな。 そんなことを布団の中でダラダラしながら思うのでした。 ブログランキングに登録してます。ぽちっと応援お願いします! にほんブログ村

  • インターネットは難攻不落の珍獣図鑑

    インターネットはライフラインのひとつ いまどきはネットが繋がらないと、ほんとに不便だよね。 検索しててもずっとぐるぐる回ってたり、ダウンロードもちっとも進んでないと、もうそれだけでストレスになることも。 水道や電気と同じくライフラインのひとつになってるインターネット ライフラインの一つではあるけれど、ひねれば水がでる水道や、スイッチひとつで灯りがつく電気などとは明らかに違う。 インターネットには取扱い説明書がほんとは必要なのかもしれないね。 おばかな投稿して物議を醸しだす人もあとを絶たないし、赤の他人を誹謗中傷する人も相変わらず多いし、面識のない人に質問するのに礼儀を欠いている人も多い。 その背景になるものって何だろう。 自己主張なのか、ただの目立ちたがりなのか。それとも自己肯定感の低さなのか。 いずれにしても、善悪とか倫理観の区別がついていないのかな。 いくらでも発信が可能だけど、正しい使い方って教わる機会がないのかもしれないね。 インターネットに限らずだけど、何がよくて、何がダメなのか。を教わる機会がないのかな?? 「○○もハサミも使いよう」っていうけど、「いんたーねっともハサミも使いよう」そして使う人次第 物心ついた時から身近にあるから、距離感をはかれないのかも。 ぽちっとした瞬間に全世界に発信できてしまう便利さと、その影響の大きさ。 「あっ。間違えた」と思った瞬間に「ぽちっ」としてしまうことは私もよくあります。 珍獣とお客さんと友達の間にあるもの ハンドメイド作家として作品を出している人は、お客さんはともだちじゃないんだよ。ってことを肝に命じてほしいな。 対面で販売している時であれば、フランクに会話してもいい相手かそうじゃないかはその場の雰囲気で判断できたり、言葉が足りなくても会話が成り立つこともある。 でも非対面で接するクライアントは属性もわからないし、テキストでのやり取りであれば、やっぱり相手への配慮が必要。 決して友達じゃないから。 親しき仲にも礼儀あり。親しき仲じゃなければなおさら礼儀あり。 配慮は相手へのリスペクトでもある。 決して卑屈になったり自分を下げる必要はないけど、相手を思えば、どんな文章でやり取りするのがいいのか。って

  • 人生はチョコレートの箱だ。

    「人生はチョコレートの箱だ。食べてみるまで中身はわからない」 これは大好きな映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」の中の有名なセリフです。 一番最初にこのセリフを聞いたときは、正直意味がよくわからなかったんだよね。 食べてみるまで中身がわからないのは何もチョコレートに限らないし・・って思った。(笑) でもね、やっぱり人生はチョコレートの箱だった。 バレンタインシーズンは有名なショコラティエが出店しているイベントが各デパートで開催されている。 楽しいよね。 わくわくするパッケージと綺麗な宝石みたいなチョコレート。 プレゼント。というより自分のために欲しくなる。 年の一度のバレンタインという自分へのご褒美タイム 自分で買っても箱を開ける瞬間はわくわくするけど、人からもらったものなら尚更。どんな素敵なものが入っているのか開けてみるまでわからない。 そしてどのチョコを選ぼうか?選ぶのは自分自身に委ねられてる。 選んだチョコを口に運んだ時の舌の上でとろけてなにがでてくるのかわくわくする至高の瞬間 人生はまさにチョコレートの箱 「フォレスト・ガンプ 一期一会」 映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」はわりと淡々とストーリーが進んでいくから、つまらないと感じる人もいるかもしれない。 でもね、やっぱり名作だとわたしは思う。 何度も観たくなる。 そして何度も観ているうちに、新たな気づきがたくさん出てくる。 ピュアすぎるフォレスト・ガンプのまなざしで世界を見ると、こんなにも人生って美しいんだ。って改めて気がつく映画です。 「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで中身はわからない。だから自分で箱を開けて、どの形のチョコレートを選び取るかは自分で決めるの。」「そして神があなたに与えたものでベストを尽くすのよ」 フォレストを愛し支え続けた母からのメッセージ フォレストは知能指数も低く身体も弱い。だけどまっすぐすぎる。とってもピュアなハートで人生を切り開き、周りを巻き込んでいく。 このピュアさこそ、天から授かったギフト。才能なのかもしれない。 あるものでベストを尽くす。 そこには計算も打算もなく、ピュアな心のみ ないものねだりをせず、自分が既に持っているモノでベストを尽く

  • めくるめく狂気の世界と雨に歌えば

    頭を固定され、乾かないよう目薬を差し続けられ、暴力的な映像を見続け、「良い人」になれるように洗脳される。 時折やってくる痛みと目をやけつくすほどの強い光 ここはどこなのか?現実なのか?空想なのか? 逃げたいのに逃げられない。 見えるものは強烈な光だけ。 そして、大音量でこだまするベードーヴェン、、、 たけくまの空想の世界へようこそ。 網膜のレーザー手術を受けてきました。その間は映画「時計仕掛けのオレンジ」のアレックス気分。 手術自体はほんとにすぐ終わったし、たまたま検査で眼科行って、先生に異変をすぐ見つけてもらって、週末挟んだけど、すぐ手術出来たし。いつもツイテます。 「今日もツイてる」と言い続けていると、どんな出来事も「ツイテる」部分に気がつく。 網膜裂孔に気がつかず、放置してたらゆくゆく失明してたかも、、、 今日も綺麗な青空が見られて嬉しいな。 なんて穏やかに思いながら、アレックス気分が抜けない。 どんな「ふり幅」なんじゃい!!(笑) さて、手術も終わったから、ミルクバーに寄って、ドルーグと、本能のまま、どんなウルトラヴァイオレンスを味わおうかと計画 こんどは「Singing in the rain」が頭のなかでリフレイン 70年代レトロのスタイリッシュなインテリアとファッション。真似したくなる溢れんばかりの色彩の芸術 狂気なのか芸術なのか 正義なのか悪なのか そこにあるのはめくるめく欲望とエクスタシー 本能のまま繰り広げられるセックスとヴァイオレンス 何年経っても色あせない強烈なインパクト 美しい映像美と音楽の融合 いつまでも脳裏に焼きつく、強烈な、どこをとっても絵画のような美しい狂気の世界 また観たくなってきた。 好き嫌いがはっきり分かれるだろうけど、この作品は「名作」です。 興味がある人は、覚悟を決めて観てみてね。 ブログランキングに登録してます。ぽちっとしてくれるとめっちゃ喜びます。 にほんブログ村

  • 制限をかけているのは他ならないアイツの仕業。「嫌なら嫌」と言ってもいいんだ

    ちょっと自分を低く見ていた。と気がついた。 思い返してみると、我慢し過ぎていたな~って そんなに我慢する必要なんて全然なかったって。 ご縁あってしばらく行っていたおしごとで、「それどうしたって怒られるでしょ」「それわたしがする仕事ですか?」って思う仕事を任されていたのね。 先方に提出が必要な書類。 持っていったら期限がタイト過ぎて、苦言どころか怒られること必至。 怒られるのは窓口になっているわたし。 でもそのしごとをやって!って持ってくるのは社員さん。 どうしたって理不尽じゃない??って思ったけど「まあしごとだから仕方ないようね~」って心の中で思いながら、やるしかないよね。 そして提出した先で当然先方に怒られる。しかも課の偉い人が出てきて怒られる。 まあ、怒られるのは想定内だし、おとななんだから表面上いくらだって頭を下げることだって出来るさ。 だ~け~ど~、なんだかしっくりこない。やっぱり納得いかない。 そして、ふと思った。 なぜにわたしは、そのまま我慢してその仕事を引き受けてしまったのだろうか?と。 「やりたくありません」って心のままに言っても良かったのに。って 仮に「やりたくありません」って言ったところで、最終的にやらなきゃいけないんだけどね。 それでも「やりたくない」っていう気持ちを伝えることは出来た。 というか自分の心をたいせつにしていたら、「やりたくありません」って言った方が絶対よかったな。って今になって気がついた。 自分の意見を主張すれば、社員さんは当然困る。そのしごとをやってもらわなきゃ困るからわたしを説得するよね。そしたらその時初めて「仕方ないですね。じゃあやります」って言えばよかったんじゃない??って思った。 なんでも我慢して受け入れていたのって、自分で自分の価値を低く見ていたことにほかならないな~って思ったのだ。 「これくらい我慢してお仕事やらないと自分には価値がない」っていう潜在意識からきているものなのかな~って。 自分の心にありのままに生きることって、ちゃんと気持ちを伝えることでもあるんだな。 結局やらなきゃいけないにしても気持ちを伝えることがすごく大事。 次からはもう我慢しない!って決めた。 自分で自分の価値を下げちゃいけないね。

  • 白馬の王子様を見つけたら躊躇することなく投げ縄でつかまえろ!!

    わたしはココにいるよ って誰もいないところで叫んでも誰にも見つけてもらえない。 「ハンドメイドが好きで作品を見てもらいたい。」 「気に入ってくれる人がいたら嬉しいを共有したい。」 「周りのママ友にもすごいねって言ってもらえるからもっと喜んでくれる人がいるはず。」 「自分の得意を活かしてお小遣いを稼ぎたい。」 ハンドメイド作家をしている理由って人それぞれだと思うけど、どうせ作ってみてもらうなら少しでもフィードバックがあった方が励みになるし、次にも繋がる。 せっかくサイトに掲載しても、まったく、ピクリとも売れるどころか反応すらないなんて。それは出していないのと同じこと。 「趣味でやってるからいいの!!」と自分を誤魔化すことなかれ。そんなの絶対嘘。 本当に趣味だけでやってるなら「インスタ」だけで投稿すればいい。 家庭内工業、内職程度の小さなお店でも、お店であることに変わりはない。 そうであるならば、今すぐ売れないことの言い訳はやめて、少しでも見てもらえることの工夫をしなきゃ。 「わたしの作品を気に入ってくれる同じ感性の人にだけ購入してもらえればいいの。」という想いがあるにせよ。 その同じ感性とやらの人にまず見つけてもらわなきゃ、そこにリーチできない。 どんなに素敵な作品だろうと。想いのこもった作品だろうと。世界にひとつだけの特別な作品だろうと。 それを「見っけて」もらわないと届けたい相手には届かない。 「いいもの」なんてごまんとある。 世の中には「いいもの」なんてあり余るほどありまくる。「いいもの」であることは大前提。 「いいもの」だから売れるわけじゃない。 最初からブランディングとかかっこいいこと言ってる場合じゃない。 自分の作品のブランドイメージは大事。でも認知されなきゃ意味がない。 まずは認知されるためにも、露出を増やしていくことがなにより大事。 ありとあらゆる手を使う。 便利なものがたくさんある。小難しいhtml言語の知識がなくてもECサイトは簡単に作れる。SNSなんてほんとに便利。共通の趣味のコミュニティだって利用すればいい。 ありとあらゆる手を使って、ひとつでも引っかかったら次に進めばいいのです。 やってみてうまくいった

  • 「自分を好きになる」ってなんですか?

    「自分のことが好きですか?」 そう聞かれたら、自信をもって「はい!大好きです」って言えない。 なんか心の中に引っかかるというか違和感を感じる。 表面的にはいくらでも言えるけど、心の奥底で「ちくっ」とするの。 最近「自己肯定感」ってどこからくるのかな?とふか~いところに興味があって調べまくってる。 日本で生まれ育っていると、「これが出来ていないからだめ」「苦手なところを勉強する」「平均点以下ならだめ」みたいなどうしてもマイナス評価を前提とした教育を受けてきてるから、なんでもかんでも平均点以上じゃないと「ダメ人間」みたいなレッテルを自分自身に張ってしまいがち。 そんな教育システムだけじゃなくて、親からの期待に応えようとしたり、小さいころの何気ない親の発言に「自分は十分じゃない」と思いこんでしまったり、生きてきた過程の中で「このままじゃだめなんだ」って自信を失う機会が多すぎるんじゃないのかな。なんてことを考えてしまう。 小さな成功体験を積み上げていくことで自身がついていって、そこから自己肯定感が育まれていく。 なんてことはよく本に書いてあったりするけど、そもそも、その前の段階、小さな一歩を踏み出すこと自体が自己肯定感が低すぎると難しいこともあるんじゃないのかな。なんて思うのです。 SNSやブログでの著名人の投稿が炎上したり、バッシングしたり容赦ない攻撃をする人も多いけど、羨ましいという眺望だったり、自分もなりたいけどなれないという嫉妬心がもとになっているような気がするな。 これも結局自己肯定感の低さからくるもののような気がしてならない。 ひとりひとりが、自分のことを好きになって、自分の中にあるお宝に気付いて、自分らしさを発揮したら、もっといい世の中になるのかもしれないな~なんて思う今日この頃です。 必ずしも「小さい」とは言えない成功体験はたくさん重ねてきたけど、それでも「自分を誇れるか?」「そんな自分が好きか?」に100%心を開いて「YES!!」と言い切れない自分がいる。 もっともっと深い、心の奥深くに傷ついたままで置いてけぼりにされた自分の負の感情にフタをしてしまっている。 ココロノチクッとが消えてなくなるのには、きっと深く深く仕舞い込んで、見ないようにしている傷を太陽の光でジリっと焼いてしまう。 ないこ

  • 「自分を好きになる」ってなんですか?

    「自分のことが好きですか?」 そう聞かれたら、自信をもって「はい!大好きです」って言えない。 なんか心の中に引っかかるというか違和感を感じる。 表面的にはいくらでも言えるけど、心の奥底で「ちくっ」とするの。 最近「自己肯定感」ってどこからくるのかな?とふか~いところに興味があって調べまくってる。 日本で生まれ育っていると、「これが出来ていないからだめ」「苦手なところを勉強する」「平均点以下ならだめ」みたいなどうしてもマイナス評価を前提とした教育を受けてきてるから、なんでもかんでも平均点以上じゃないと「ダメ人間」みたいなレッテルを自分自身に張ってしまいがち。 そんな教育システムだけじゃなくて、親からの期待に応えようとしたり、小さいころの何気ない親の発言に「自分は十分じゃない」と思いこんでしまったり、生きてきた過程の中で「このままじゃだめなんだ」って自信を失う機会が多すぎるんじゃないのかな。なんてことを考えてしまう。 小さな成功体験を積み上げていくことで自身がついていって、そこから自己肯定感が育まれていく。 なんてことはよく本に書いてあったりするけど、そもそも、その前の段階、小さな一歩を踏み出すこと自体が自己肯定感が低すぎると難しいこともあるんじゃないのかな。なんて思うのです。 SNSやブログでの著名人の投稿が炎上したり、バッシングしたり容赦ない攻撃をする人も多いけど、羨ましいという眺望だったり、自分もなりたいけどなれないという嫉妬心がもとになっているような気がするな。 これも結局自己肯定感の低さからくるもののような気がしてならない。 ひとりひとりが、自分のことを好きになって、自分の中にあるお宝に気付いて、自分らしさを発揮したら、もっといい世の中になるのかもしれないな~なんて思う今日この頃です。 必ずしも「小さい」とは言えない成功体験はたくさん重ねてきたけど、それでも「自分を誇れるか?」「そんな自分が好きか?」に100%心を開いて「YES!!」と言い切れない自分がいるのは、もっともっと深い、心の奥深くに傷ついたまま置いてけぼりにされた自分にフタをしてしまっている。 ココロノチクッとが消えてなくなるのには、きっと深い深い蓋をしてしまっているところを太陽の光でジリっと焼いてしまうように、蓋をしてないことにしてしまた感情を

  • クランベリーと瞳孔

    土曜日だねー。 三連休だねーーー。 今日は眼科で眼底検査してきたの。 瞳孔開いたままま冬の、まっしろ白すけ、あたり一面真っ白のさっぽろを歩くのは眩しすぎたぜっ!! なんだか急遽目のレーザー手術が必要らしくて今週末は安静にしてろ!!だってさ。なので土曜だけどゆるっとさっぽろさんぽにしてみます。 うん。たしかに二日前から違和感。もともと今日眼科に行く予定だったから、早くに気がつけてほんとラッキーですわ。 ちょうど、ランチタイムでお腹も空いたので眼科の近くのお店でスープカレー食べて行こう~~と!! 「ピカンティ」は外に行列が出来てた。この超寒波でマイナス10度の中、外では待ちたくない。 「奥芝商店」に行ってみた。ビルの中だけどざっと20人以上は待ってる。 そりゃそうだ!! 土曜日だし、雪まつりだし、街中観光客だらけだし、札幌駅周辺も人でごった返してるし。 どうしようかな?お腹減ったなぁーまっすぐ家に帰ろっかなーとぶらっと歩いてみる。 「175°DENO」の前を通ったら。ラッキー並んでない!!というわけで急遽担々麺に変更! うん!美味しい!!カシューナッツがちょうど良いアクセント。もっと辛いやつでも良かったな。 でもね、頭の中と口の中、スープカレー気分から抜けてない。担々麺は汁ありにすれば良かった。笑 175°DENO 汁なし担担麺 お店を出たら外に行列になっていた。やっぱりツイてます。 そしてこの時期欠かせない!サロンドゥショコラ!! ここで食べるアイスが楽しみなんだよねー♬ 外はマイナス10度でも、北海道は冬の方がアイスが売れるらしいです。 室内が暖かいんだどーーー。 クランベリーのソースが美味しかった。 でも、今日朝食がわりにとったココア味のプロテインとチョコアイスの味が,あまり変わらないような、、、 わたしは味覚音痴なんだろうか??と心配になった件でした。 ブログランキングに登録しています。ぽちっとしてくれると嬉しいな♪ にほんブログ村 にほんブログ村

  • 削られて磨かれて宝石箱や~

    波長が合わない人は、人間関係のトレーナーなのかもしれない なんだか波長が合わない人もいるし、どうにもかみ合わない人もいる。 そんな人でも、どうしても関わらなければいけない状況もある。 そんな時は試されていると思ってるの。 どうにも波長があわなくてうまくかみ合わなくてコミュニケーションがどうもうまくいかない。 そんなときは「どこまで距離を縮められるかゲーム!!」を自分の中で勝手に開催します。 それがね、結構難易度の高いゲームでなかなか次のステージに進めないのだよ。 基本的に合わない人と無理に合わせる必要はない!って思って生きてるんだけど、どうしても関わらなきゃいけないのであれば限りなくストレス感じないように関わりたい。 少しでもコミュニケーション取って相手の笑顔を引き出せたらクリア!! 気難しい相手から気遣いの言葉を掛けてもらったらこのステージクリア みたいにね。 今日はなんだか全然うまくクリアできないぞ!!って時もある。 合わない人はコミュニケーションの教官? まあ、関わる人の中で一定数はどうしても合わない人はいるのは仕方ないからね。 合わない人は、自分を成長させてくれるトレーナーさんですわ。 でも、そのゲームに真剣に取り組んでると、集中力を使い過ぎて疲弊しちゃうときがあるんだよね。 今日はどの方面から攻めて行こうかな??なんてプチ戦略たてたりね。 この方法はうまくいかないから、じゃあ次はどうする??って頭も使うし。 それでも、ぜっんぜんうまくいかない時もある。 大抵まあいいや!って思うんだけど、たまに傷つく。 実はけっこうナイーブなのです。(笑) 何度も何度も傷つけられたら、相手を紙やすりだと思えばいい。 多少、擦り傷は受けれど、自分はピカピカになり、相手は使い物にならなくなる。 -クリス・コルファー このことば素敵だよね。 たくさん傷つくと確かにぴっかぴかになるね。 まさに研磨されて輝きを増すダイアモンド!! まあ、ちょっと嫌な態度取られたら、その態度取ってる人自信に嫌なことがはねかえるしね。 自分を磨くために出会ってくれるちょっと苦手な相手もありがたい人なのです。 ブログランキングに参加し

  • 白い恋人に会えるかどうかは、おおさかさん次第なのだ

    週の真ん中木曜日。 さっぽろさんぽのお時間です。 怒涛のパワーワーク、超繁忙がやっと落ち着いてきたので、開催中のさっぽろ雪まつりにチラッと行ってきました。 ゆったりと見学したいところだけど、まぁまた慌ただしい。 隙間時間にちょっとだけ。 これはもう。 生で! 現場で!! 氷点下の中で!!! 指先冷たくしながらスマホ片手にぜひ楽しんでもらいたいなぁ。 なんでも生に勝るものはない。 今日は多くは語らない。 写真でお楽しみ下さーい。 AR専用のアプリで雪ミクのステージが楽しめまるよん。 広瀬すずちやんありーの 大坂なおみ選手ありーの 氷点下の中で楽しむ北海道の食! スノボやモーグルの華麗な技を間近で見るド迫力!! 高さ15Mもある大雪像、スケールの大きさはやっぱデッカイど~なのだ。💯 ブログランキングに参加してます。ぽちっとしてくれるとめっちゃ喜びます。 にほんブログ村

  • 望む結果を手に入れる唯一の方法

    目標を絶対に達成する!! 先に言うね!!この方法は「唯一」かどうかはわかりません!! こんなタイトルの方が目につくかなー。なんて、、、自分でネタバレしてどーする!! どんな分野においても、、いわゆる成功者というか結果を出してる人っているよね。 幸いなことに、そういう人たちと接する機会が結構あって、考え方とかマインドとか、いろんなこと教わってきてます。 その中で毎回言われていたことがあるの。 しかも接点のない、あの人からも、この人からも・・・ みんな同じことを言っていた。 以前のわたしは、 「そうは言っても。」とか なんやかやと言い訳してやらなかったこと。 でもね、今はわかる!! 自分が望む結果に辿りつきたいなら絶対にやった方がいいこと!! やらなくても達成できるかもしれないけど、これをやったら格段に達成する確率か上がります!! それは いつまでに、どんな結果を出すか宣言する!! ことばに出すことの底力 散々言われてもやらなかったかつてのわたしは、本当に結果が出せてなかった。 公言してその通りにならなかったら、嫌だなあ、なんて言い訳しようかな。 やる前に出来ないと決めていた。 そもそも、結果にコミットしてなかった。 公言することを逃げてたんだ。 とんだバカ野郎でした。笑 でもまぁ、思うに、心の底から目標を達成したいものだったか?って自問するとそんなに重要だと思ってなかったからかもしれないな。 試しに、公言するようにしてみた。 最初はフルマラソン走ることになったときに「絶対完走する!!」って周りに言ってみた。 ちなみにわたしノーエクササイズの人間です。 高校時代はバイト部 趣味はハンドメイド、そしてひきこもり。 おうち大好きインドア人間。 走ることを習慣にしていたわけでもない。 フルマラソンに出ること自体が無謀なんだけど、まあ出るハメになっちゃったし。それならばいっそ完走することを目標にしよう!というか絶対完走したい。って思ったの。 でね、公言するとどうなったか? 逆算して考えるんだよね。 ゴールは決まってる。この場合は完走、じゃあそのためにどうしたら良いのか?つて考えるの。

  • 貯まるおんなと魔法のコトバ

    あまりにも忙しすぎて、毎日くたくたで、そのうち考えることすらめんどくさくなって・・・ 「もうだめ~倒れる~~」なんて思いながら、この1か月半、超チョ~多忙な日々を過ごしてました。 でも人間って意外と丈夫みたい 人って、もし「もうだめ」って、ばたっと倒れたとしても、あと70%の力が残っているらしいです。 馬やロバは、本当に限界まで100%まで出し切っちゃうらしい。 だから限界に達して倒れたら死んじゃうんだって。 人間はね、「限界」って感じても実は30%しか使ってないみたい。   とは言っても、思考停止になるほどくたくたになる前に、疲れたら休む!! 風呂入って寝る!!ぼ~っとする。 この時間はやっぱり必要かな。   いつもならどんな状況でも心をフラットにするように色んな側面をみるよう心がけているんだけど、 毎日のタスクをこなすだけの日々が続くと、時間だけじゃなくて気持ちにすら余裕がなくなり、小さな不満の種がどんどん蓄積してしまったの。 いつもなら「ありがたいな~」って気がつけることにも、気がつけなくなっちゃうくらい。 一つ不満の種が生まれて、消化しきれてないうちに、次の不満が生まれて・・・ どんどん小さな不満の種が心の隙間をどんどん埋めていく感じ。   あっ、これやばいな~なんて思った時に、フラットな状態に戻してくれたのは・・・ 「ホ・オポノポノ」   ありがとう。 ごめんなさい。 許してください。 愛してます。   この4つのコトバを唱えるだけ。   歩きながら、公共の乗り物で移動しながら、とにかく心の中で唱える。 ふと、頭のなかでいらぬ心配をしそうになったときにも・・・ 溜まってた毒がす~っとなくなっていくのを感じた。   そして時には鏡ごしに自分の目を見ながら唱えてみる。 なんだか胸がじ~んと熱くなる。 よくわからない感情なんだけどね。   そして、消化しきれない不満を感じた出来事の良い側面を見ることが出来た。 そういえば・・・そのおかげでブログのネタがひとつ生まれたっけ・・なんてね。   心の状態を「0」ベースに戻してくれる浄化の方法です。   ブログランキングに参加してます。 ぽちっとしてくれるとめっちゃ喜びます♪ にほんブ

  • 理想通りじゃなくても決して目をそらしてはいけないのだ

    個性的で魅力的なキャラクター 子どもの時「スヌーピー」が大好きだったの。 地元にあるデパートのサンリオコーナーでスヌーピーグッズをいつもわくわくしながら眺めてたし、 父親は、たまに出張に出かけると必ずスヌーピーグッズをお土産に買ってきてくれた。 父が出張の時は毎回帰ってくるのが(スヌーピーグッズ)がすごく楽しみだったな~。 英語版のスヌーピーの4コマ漫画で英単語を覚えたりもしてました。 今でもスヌーピーグッズを見つけると欲しくなっちゃんですよね。 キャラクターの可愛さもあるけど、本の中の言葉にも素敵なものがたくさんあるの。 「 自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐え難いって」 これはチャーリーブラウンのセリフです。 自分の人生を生きている人ってどれくらいいるのかな?なんてたまに考えるんです。 かつてわたしは、ないものねだりばかりして、自分以外の人間になろうとしていた。 自分自身を認めていなかったんだよね。 このスキルを身に付けたら この知識が吸収できたら、 あの人みたいになりたいな という具合に。 でもそれって、自分自身の人生を生きていない。ってことに他ならないんだ。 自分の人生を生きる すべて必要なものは既に自分の中にあって、経験するすべてのことが自分に必要だからやってくる。って気がついて 自分が主役の自分自身の人生を生きる。そう決める。 ないものねだりをして知識を吸収したとしても、「ない」ことが前提なので、どんなに知識やスキルを得たとしても、いつまで経っても「足りない」現実しかやってこないんです。 それに、どんなに頑張っても「他人にはなれない」。 当たり前のことなんだけどね。 「ないものねだり」のために得ようとしていたスキルや知識は、ありのままの自分を受け入れるということを拒否していただけだったんです。 他人になろうとするのは、自分で自分を認めてない。ってこと。 こんなに辛いことはありません。 なんの努力もしないで、ただ安全な場所から「ネガティブキャンペーン」に精を出す人はもしかしたら、他人の人生を羨んでいるだけの人なのかもしれません。 ありのままを受け入れると「努力」

  • 「愛」はあげなきゃ、もらえない

    「後悔」の種類は時間と共に変化する 最後を看取る看護師が聞いた死を直前にした人が発するコトバって知っていますか。 人間だれしもいつ死ぬのかなんてわからない。 今日健康でなにごともなく生きていられることが奇跡なんじゃないかな。とも思う。 毎日を「今日が最後の日」だと思って生きていれば、本当の「死」が迎えにきたときも後悔は少ないかもしれないね。 死の間際に後悔することが多いトップ5 1.自分自身に忠実に生きれば良かった 2.あんなに一生懸命働かなくても良かった。 3.もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった 4.友人関係を続けていればよかった 5.自分をもっと幸せにしてあげれば良かった。 なんだか色々考えさせられます。 あの世に渡った時に神様に聞かれる質問がある。って聞いたことがあるんだ。 それは「人生を楽しんだか?」 これだけ。 答えが「NO」だった場合、「楽しんできなさい」と言われこの世に帰されるとか、帰されないとか・・ 真偽はわからないけど、神様に聞かれたら「目いっぱい楽しんできました!!」って答えられる人生でありたいな。 引っ込めてははいけないものとは 何かで読んだ言葉なんだけど、後悔することの中に「愛を引っ込めたとき」というのがあったんだ。 ちょっとした勇気が出なくて、人に親切にできなかったとか・・・ ほんとうに小さなことだけど、電車で年配の人に席を譲る勇気が出なかった。とか。 きっとね、気恥ずかしさとか、声をかける勇気とか、本当に小さな勇気が出ない時ってあると思うんだけど。 そんな小さな「愛」をひっこめた時、ずっと心の中にわだかまりとして残ってしまう。 本当に小さなことなんだけど、「愛」を引っ込めてしまって、ずっと心の中で気になってしまうことはあります。 だから最近は「恥ずかしい」とか考える前に、動くようにしています。 ちっちゃな後悔残したくないので・・・ わがままに生きる! 結構他人は人のこと気にしてないし。 みんな忙しいからそんなに気にしてないの・・・ほんとに。 間日小さな「愛」たくさん出そうキャンペーンです。 自分自身に忠実に生きる。という

  • アクセルとブレーキを一緒に踏むと・・・

    たま~に必要に迫られた時しか運転しないんだけど 年末にどうしても運転しなきゃいけなくて、カーシェアリングの車を借りて運転 走り出すとランプが点滅してピンポンピンポンってなるんだよね。 止まると警告も止まるの。 走り出すとまた鳴るの。 困ったな~と思ってコールセンターに電話した。 するとね、サイドブレーキ引いたままだったことが発覚。 そりゃあ、警告なるよね。 うすうす気がついてはいたんだ。 サイドブレーキはどこだろう??って。 その車サイドブレーキが運転席の左側になくて、サイドブレーキの場所がわからなかったんだよね。 夜だし見えないし、車に掲載している説明書も暗くてどこにあるのか探せないし、動画マニュアルでは説明してないし。 困ったから「この車にはサイドブレーキはない!」ってことにしたの。(相変わらずサザエさんです) サイドブレーキは、アクセルの左に小さなペダルがあって、それだって教えてもらいました。 車に限らず、わたしたちの日常でも、アクセル踏みながらブレーキをかけてることってあるんじゃないかな。 以前のわたしは、いろんなことに挑戦はするものの、思うような結果が出ず(結果はでるけど目的地に辿りつけない)という状態が長く続いたの。 あとからわかったんだけど、挑戦したい。でも安心できる場所に留まりたい。 そういう間逆の欲求が潜在意識の中にあって、それこそアクセル全開!でも思いっきりブレーキ踏んでる。という状態だったんだよね。 そりゃあ、どこにも辿りつけないわ。 だって、綱引きみたいに両側から引っ張ってる状態だったんだもの。 これって自分が何を大事にしているのか?という価値観から発生してるものなんだよね。 わたしが大事にしていた上位二つの価値観は、挑戦することと安定すること。 つまり「綱引き」状態、真逆の価値観だったの。 そこにね、新たな価値観つまり自分の中の優先順位を書き換えるということを意識的に取り入れたら、両極から引っ張る力だったものを違う方向に進めるようになったんだ。 それに気づくことができたのは、ある講座を受けたから。 人生の中で自分自身に投資する時間が、大きく人生を変えるきっかけになるんです。 最大の投資先は自分 気付きと大変革のきっかけに本当にお勧めできる講座はこちらです。「MOVEコーチング認定講座」 新しい元号があなたの新たな人生の変革の年になるかも。 ブログランキン

  • 迫りくる見えない敵との戦い方

    「限界なんて最初から存在しないのよ。あると思い込んでるだけ」 レディ・ガガの在り方って見習うところがものすごくあるな~って思ってます。 デビュー当時の奇抜なファッションもね。 注目を集めるセルフプロデュース力とかもね。 目だってなんぼ!!って所はあるよね。 でも奇抜さだけじゃなくて、やっぱり実力があってこそ。 レディ・ガガは、学生の頃太った容姿をからかわれたり、周囲となじめずイジメられたり、同級生の前で彼女自信をゴミ箱に投げ捨てられたこともあるとか。 悲しい思いや 悔しい思い いろんなことを経験しているからこそ言葉にとがったものを感じるのかな。 レディ・ガガの名前の由来が「Queen」の「Radio Ga Ga」から来ているというのはつい先日知ったこと。 彼女のヴォーカルスタイルが、フレディ・マーキュリーと似ていることからつけられたアーティストネームらしいけど、似ているのはヴォーカルスタイルだけじゃないように感じるのはわたしだけかな?? 限界を作っているのは自分自身 出来ない理由を外に求めるのではなく「自分」だと気付くと、何でもできるようになるんだ。 運動音痴のわたしがフルマラソンに参加する羽目になった時に思ったことがある。 「限界は自分の頭で作っている」って。 「出来ない」って決めたのって、結局自分自身なんだよね。 周りから「無謀だ」「無理だ」って言われることも当然あるけど、自分自身が「出来る」って決めると意外にも無謀な挑戦も「可能」なことに変わるんだ。 一番の敵は自分の心 限界を決めてるのも自分の心 何か新しいことにチャレンジするチャンスが巡ってきたときに、心の声が「いやいや無理でしょ」って言い出したら「よし!やってみよう!!」って進むことにしています。 「出来ない」と思った時こそ、限界を超えるチャンスです。 もしチャレンジして達成しなかったとしても、そこには挑戦した自分という誇らしい存在が残ります。 もちろん最大限の力を尽くすことが前提だけど。 そして再度チャレンジしたときには、一回目よりもずっとうまく出来るようになっているもんだしね。 ブログランキングに参加してます。ぽちっとしてくれるとすごく嬉しいです。 にほんブログ村

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