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  • 百物語 九十一回目「悪魔」

    五年ほど前の話。あるひとが、プロテスタントの洗礼を受けたというので、話を聞きにいった。「わたしは、聖書を読んで愛されていることに気がついたのです」おれは、ひととして多くのものが欠落しているせいか。そもそも、神の愛というものを未だに理解できていないせいなのか。まあ、そういうものなのかという感想しか抱かなかった。「わたしは、その大きな愛に包まれていることに気がついたとき」そのときおれは。そのひとが重ねる言葉を、遠い物語を聞くような気持ちで聞いていた。「わたしは、声をあげて泣きました」 キリスト教を難解なものにしているのは、悪魔の存在ではないかとも思える。神は全能であるのであれば。なぜ自らに背くもの…

  • 百物語 九十回目「幽霊」

    おれは結局のところ。書くことあるいは、描くことをつうじて。言語化される以前の世界。言葉によって構築される以前の意識へと。遡ってゆくことを望んでいたのではないかと思う。それはいうなれば。豊穣なカオスへの回帰を夢見ていたということであろうか。 幽霊とは、デリダが使っていた言葉のひとつである。幽霊とは複数存在するものとされる。ただひとつの神ではなく。複数の幽霊へ。不在神学では。論理体系が不可避的に呼び込むであろう綻びに注目する。その唯一の綻びこそが、超越を、神を呼び込むことになるであろうか。それに対して幽霊は。郵便のことから話さねばならない。郵便は届かないところから、語り始めなければならない。わたし…

  • 百物語 八十九回目「ポルポト」

    西原理恵子がイラストを書く場合、ほぼ間違いなく元の文章と全く関係の無いカットを描くのであるが、おそらく意図的になのであろうが、元の文章を喰ってしまうようなカットを描いている。唯一、西原のカットと互角に存在感を示すことができたのは、アジアパー伝の鴨志田穣くらいのものではないだろうか。このアジアパー伝の中に、ポルポトNO2であったイエン・サリが登場する。本当なのかどうかは判らないが、西原はイエン・サリに会ったと語っていた。まるでおれの記憶の中では、夢の中の風景を描いているような、あるいは霧につつまれた白日夢の風景を描いているようなカットであったと思う。西原は、イエン・サリの手が小さかったというよう…

  • 百物語 八十八回目「戦争機械」

    ジョン・レノンはイマジンでこのように歌っていた。 Imagine there's no countries 果たして、国家というものが無くなる日がいつになるかというのはともかくとして。この島国は、それほど遠くない未来において消滅すると思われる。それは、お隣の大陸にある党によって併合されるという形になるであろう。それは既に規定路線となっている。まずは、半島の併合から着手するであろうから、それがどのように行われるのかは見ることができるであろうけれど。結局それはヨーロッパで行われたことの、焼き直しになるであろう。通貨統合。関税の撤廃。そのような形で進められ、国際金融資本が望む形で主権国家はコントロー…

  • 百物語 八十七回目「ドン・ファン」

    子供のころ、よく熱をだした。そういう体質であったようだ。中学生くらいまでは、一週間くらい高熱が続くことはよくあった。熱がでている間は、世界が変容し歪んで感じられた。深夜、暗闇の中で高熱に包まれていると、生きることがそもそも暗い地下の牢獄に閉ざされているような気分になった。まあ、そういうものなのだろうとも思うが。また、自分ができそこないの、まともに生きる力のないがらくたのようにも感じられた。そうした時、自分の死を思い描いた。こうして。苦痛だけが身近なものとしてあり。このままゆっくりと衰弱して闇にのまれるのだろうと。そんなことを考えていると。死の恐怖がまるで不意な漆黒の来訪者のように、おれのそばに…

  • 百物語 八十六回目「ケルベロス」

    もう、10年はたっただろうか。おれは、失業者であり、求職活動をしていた。朝まず、就職情報紙に目をとおして。おれのスキルが通用しそうな求人を見つけると、コンタクトをこころみる。アポイントがとれると、指定された時刻まで時間を潰す。だめだったとしても、なんとなく街中で時間を潰した。主に図書館にゆき、本を読んで過ごした。そのころ思ったのは。仕事をしていたころのおれは、飼われていたのだなあということだ。おそらく。目的も、意思も、喜びや哀しみも。飼い主である企業から与えられていた訳であり。そこから縁を切るということは。生きる意思すら希薄になる感じで。おれは飼い犬から野良犬になったのだろうが。多分そこに自由…

  • 百物語 八十五回目「童子切」

    7年ほど前になるだろうか。住んでいる近くに文士村というところがあった。由来はよく知らなかったのだが。夜になると、どこか濃い闇を湛える場所だったように思う。おれは、よくその夜の街を歩き。レンタルDVD屋にゆくのに。くらやみ坂といわれる通りを抜けていった。まあ、普通の街ではあるが闇はどこか液体のようにあたりを満たしていた気がする。近くには桜の咲く通りもあり。どこか熱に浮かされたような浮ついた闇が支配するその通りを。深夜にひとり歩いたものである。そのころ、お守りとしてナイフを持ち歩いていた。まあ、ナイフというにはいまひとつの、単に鉄のプレートにエッジを立てただけのブレードがついている、ツールキットみ…

  • 百物語 八十四回目「反対に河を渡る」

    僕は暗闇を歩いていた。黒く真っ直ぐ伸びている道の両側は、熱帯の密林のように木や草が生い茂っており。灼熱に燃え上がる生の光輪が闇色にあたりを染め上げてゆき。そのむせかえるように濃厚な闇の薫りに僕は、少し意識が遠のくのを感じながら。黒曜石か、もしくは星のない夜空のように真っ黒な道を、僕はひたすらに歩いた。やがて。ずっと遠くに光が見えてくる。それは地上に墜ちた銀河のようであり。月明かりに輝く、水晶の宮殿を思わせ。無数の宝石が埋め込まれた、地底の鉱脈のようでもあった。その光輝くところと、僕の間には河が黒々と流れている。夜空の闇が空から滑りおりてきて、地上を分断しているようなその河は。荒れ狂う漆黒の龍の…

  • 百物語 八十三回目「サンジェルマン伯爵」

    おれは、元々アルコールには強い方ではないため、すぐに酔い潰れることになる。だから、記憶を失うほど飲むことは、殆どない。けれど、一度だけ。酒を飲みすぎて、記憶を失ったことがある。学生の頃のことであった。サークルの合宿で、琵琶湖のほとりにある民宿に泊まったときに、酔いつぶれて記憶を失ったことがある。嘘をつくのが好きな彼が、後におれにこう語った。「いや、真面目な話。救急車を呼ぼうかと思ったわ」いやいや、本当に死ぬかと思ったんだが。おまえが飲ましたんだろ。「まあ、そうやな」おれは少しため息をつくと。どうでもいいと思いつつも、一応尋ねてみた。なんで、そんなにおれに飲ましたんだよ。「寂しかったんだよ。おま…

  • 百物語 八十二回目「夢の酒」

    中学生のころ。古典落語が好きだった。なにしろ、アナーキー&バイオレンスな日常であったためか。おれは、普通の日常というものに憧れていた。まあ、学校だけでなく。家庭もそうとうあれていたので。こころの拠り所となるものが、必要であったのかもしれない。古典落語の世界には。ひとの日常の営みが描かれている気がしたのだ。宮台真治の言葉であったと思うのだが。終わり無き日常という言葉がある。江戸時代はまさにそうした時代であったとされ。それはまた、この島国の現代を示す言葉であるともいう。ただ、現代においては、必ずしも終わり無き日常というものは存在せず、それはグローバリゼーションが世界を覆う前。この島国が島国として閉…

  • 百物語 八十一回目「おとろし」

    こどものころから、色々なものが怖かったようだ。今となってはなぜそのようなものを怖れていたのかよく判らないものまで、怖がっていた。小学生のころはどうも怖れていただけなのだが。中学生のころからは、怖れをいだくとともに魅了されるようになった。そのころに。おれは、怪奇小説のようなものにのめり込んでゆくことになる。そのころは大都市の書店へゆくことなど、ほとんどなかったが。近隣の書店で手に入る本は限られていたし、そうたくさん買えるほどお金もなかった。ただ、家のすぐ近くに古本屋があって。そこでよく古ぼけた文庫の怪奇小説を買って読んだものだ。後に知ったのだが。おれがその西日が差込む店内の赤く染まる書架で、背表…

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