季語は・・・師走尽 師走尽 世はこれすべて 塵芥 【去年の今日】週話§日曜枯寂~2023年大晦日~
季語は・・・弥生尽 職業欄 “無職”と記(しる)し 弥生尽 【去年の今日】豚話§上とんかつなるもの
春分の末候“雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)”である。 3月の終わりが、ちょうど春分の末候となった。 大気は不安定で、多摩丘陵の頂の一角にある我が家のあたりは、この季節になると強めの風が吹くようになる。 洗濯物は乾きが早くなってくれるのはありがたいけれど、あまり動じることの少ない我が身でも、何となく気分が揺れると感じてしまう。 そんな天気模様が5月一杯くらいまでは続くだろうか……そんな風が吹き止んだら、とたんに梅雨の季節というのが我が家周辺の春から初夏への風景である。 《七十二候のトピックス一覧》
3月も最終日。既に桜の盛りは過ぎてしまい、4月は散るばかり。ちょっと前にも書いたけれど、自分の小学校の入学式(60年以上前の4月上旬)の時は真っ盛りの桜の下で写真を撮ってもらったのだが。 そうして“めでたく”上京五十周年を迎えることとなった。半世紀前の自分は、自らの先々がどうなるものか、まったく徒手空拳、闇の中を手さぐりで進む……というよりも、進むこともままならないような膠着状態にあったような記憶である。 予備校に進んだのだが、相変わらず受験勉強に対する方向性も見い出せず、空回りするような思いで講義に出席し、とりあえず手だけは動かしていたとしか覚えていない。 だから、中学時代にはいくばくか持っていた自信のようなものは、高校に入る頃にはすっかり消え失せて……そんな状況がここまで続いてしまっていたのだ。 50年前の3月の終わり、一人暮らしを始めた代々木の三畳間下宿で、東..
季語は・・・花 朋友の 訃報聞く午后 花惜しむ 【去年の今日】芋話§水芭蕉の頃~サトイモ科~
何年か前、東京在住の高校同級生数人と酒席を囲んだ時のことだったが…… ……以前であったら、そんな話題などおくびにも出るはずもなかったのが、誰からともなく、腰がとか、血圧がとか、結石がとか、体調全般がとか、そんな話題がメインとなってしまい“ああ、年齢相応ということなのか”と、気がついた我々すべてが一斉に苦笑をしたその次には、我も我もと健康法の類を開陳し始めたのである。 《つぶやきのトピックス一覧》
夢に見る光景だが、状況的に真ん中にいるということは少なく“縁(ふち)”とか“端っこ”にいるようなことが多いのだ。そんな橋の夢を見ていても、橋の上とか真ん中に立っていることはなく、橋を出た土手沿いの道にいたりするのだ。 そして少なからぬ夢はもどかしかったりする。つい最近見た夢では、発車時刻が近づいているローカル線に乗るのに、券売機で切符を買おうとするのだが、小銭入れから硬貨を出そうとするのに、百円玉や十円玉をつまみ出せずで、何とか買えたタイミングで電車がホームに入ってきたりするのである。 そして気がつくことは“ハッピーエンド”的な流れの夢はほとんどなくて、常に不完全燃焼でもどかしく、そして物足りない何かを抱えて目が覚めるのだった。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・山桜 身のほどと 達観の日々 山桜 【去年の今日】健話§アルコール依存症ではなかった
我々夫婦の海外旅行は“観光旅行”ではない。もう何十年も同じ目的地ばかり旅していて、そこで名所旧蹟の類になど、何度も何度も行くわけもない。 そこで“やるべき”目的があるからで、それはコンサートやオペラといったパフォーマンスを楽しむために、目的地として設定しているのである。 毎年、コンサートやオペラの中身は変わっていくから、それもまた楽しみであったのだ。 でまあ、そうした都市部のコンサートやオペラであったら、我々以外の日本人のお客さんは珍しくもない。 そうこうしているうちに、アルプスの端っこにある小村で小規模な音楽祭が行われていることを知った。プログラムを見れば、なかなかに意欲的だと感じ、試しにとチケットを予約して出かけたのが22年前のことで、一度試しにというつもりだったのが……ハマってしまったのだ。 結局20年近く通い詰めることになってしまったわけだが、その不便..
半世紀前、コンサートや舞台などの公演チケットはプレイガイドと呼ばれていたボックスオフィスで売られていた。もちろんネットでチケットを取るとかなどは存在せず、それ以外にはそれぞれの音楽事務所に電話で予約するのがせいぜいというところだった。 例えば新宿あたりでも、数軒のプレイガイドがデパートなどの中で営業していたが、それらの店舗にそれぞれのコンサートの実券が何十枚かずつ置かれていて、客はその中から座席を選ぶのだが、気に入った席や値段のチケットがなかったら、他のプレイガイドに足を運び直さなくてはならないのだ。 そんなプレイガイドでの販売方法が衰退したのは、1983年に営業が始まったチケットぴあの影響が大きい。というよりも、あっという間にチケットぴあやチケットセゾンといった店舗にチケットが集約されてしまったのである。 どのチケットぴあに行っても、座席や値段に応じた選択が可能になった..
季語は・・・山笑ふ 小屋開けは 五月の初め 山笑ふ 【去年の今日】化話§三月大歌舞伎~仁左衛門の河内山~
実家に暮らしていた子どもの頃、かかりつけの内科医がいた。といっても、父親の知り合いというか“親分”みたいな存在で、必要とあらば往診に来てもくれていた。 だから、ちょっと風邪をひいたしでもしたら、すぐに病院まで出向いては、注射を打ってもらったり、薬を処方してもらったりしていたのだ。その時のことを思い出すなら、病院の待合室には診察を待つ患者など一人もおらず、一人ぽつんと座ってばかりだったのである。 ところが、今の病院の混雑はどうだろう。5人、10人は当たり前で、時には20人以上が待合室にひしめき合っている状態も珍しくなどはない。 そうなると待ち時間は2時間にも及んで、半日が丸々つぶれてしまうのは、仕事を持っている人たちにとっては、たまらないことだろう。 さて、そんな状況がいつ頃から始まったものか。色々と考えるのだが、ありがたいことに自分自身がほぼ医者いらずで30年ほどの..
不二家が洋菓子も扱っていることを知ったのは小学生の頃、アニメーション番組『ポパイ』のスポンサーをしていたことからである。 もちろんその当時も“ミルキー”などの菓子類は普通に市販されていて買うことはできたが、ショートケーキのような生菓子は直営店でしか売られてはいなかった。 北関東の田舎町に直営店などあるはずもなく、指をくわえて“不二家ストロベリー・フェア!”のコマーシャルを眺めていたのだ。 その後、田舎町にも直営店がオープンしたのは1960年代も後半……あるいは70年代に入ってからのことだったかどうか記憶にはないが、いずれにしても高校生くらいになっていた生意気盛りにとって、不二家への興味は薄れてしまっていたのである。 その後、東京住まいの大学生になって、ちょっと洒落たあれこれをと考えた時、眼の前にあったのはチーズケーキであり、フランスの本場のスイーツを思わせる店が何軒..
季語は・・・永き日 永き日や ノーサイドまで あと五分 【去年の今日】週話§日曜有閑~引き戸・・・・・・ですよね~
2020年、コロナウイルスのパンデミックが始まってすぐの4月に中学や高校に入学した生徒たちが3年の課程を終えて卒業していった。 卒業式はノーマスクでも可であると、規制を緩めて行われた。そんな彼らは3年間をマスク着用で授業を受け続けていたわけで、同級生たちの素顔などほとんど見る機会がなかったのではというのは、あながち大げさなことではない。 マスクを着けた顔と素顔と……彼らはそのギャップに戸惑いを抱くと聞いたが、それはもう無理からぬことであろう。 そして、物心がしっかりついた十代の人間だってそうなのだから、乳幼児の戸惑いはいかほどのものか、これはもう心理学者が研究する領域の話ではと思われる。 このマスクに隠された顔と対峙し続けた3年間が、彼らの成長過程にどのような影響を与えたのか、それは我々の想像をはるかに超えた心の有り様として刻まれているに違いない。 《日常のト..
3月22日……WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦がフロリダで行われ、日本が3対2でアメリカを降し、2006年、2009年以来三度目の優勝を勝ち取った。第1ラウンドから負けることなく7連勝の完全優勝であった。 ↓2006年の号外は外出先でゲットできたが、今回は紙面ビューの号外 優勝をもたらしたのは、まずもって、ダルビッシュ有と大谷翔平2人の現役大リーガー二本柱の力が大きかった。彼らがチームを鼓舞しまくったことでチームが引き締まり、結果に繋がったのである。 危ないゲームもいくつかあって、先制されていたのをひっくり返して勝利をもぎ取ったのも何試合かあったが、最終的には危なげない勝利だったのだ。 大谷をはじめとして、村上、吉田といったスラッガーが結果を出し、投げても大谷が八面六臂の活躍で今大会MVPに選ばれたも当然のことであろう。 3月22日……..
季語は・・・逃げ水 百km/hで 逃げ水を追う 関越道 【去年の今日】週話§土曜有閑~コーヒーの挽き加減~
春分の次候“桜始開(さくらはじめてひらく)”である。 年に一度の桜の季節である。 咲いてから散るまで、おおよそ2週間くらいを、冬が明けた反動の如くに、外に出ては愛で楽しむ日本人の図なのである。 天気次第ではあるけれど、近くに何か所かある桜の並木道へと軽い散歩に出かけて、咲き誇る桜を楽しむのは毎年のこととなり、同じように歩いている人たちの晴れやかな顔を目にするのである。 おそらくは、4月になれば散りゆくことになるのだろうが、それまではせいぜい年に一度巡ってくる春の贈りものをを楽しみたいと思うのである。 《七十二候のトピックス一覧》
すね毛がそこそこ生えていた。それが、あーら不思議……五十代に入った頃少しずつ薄くなっていったのだ。 例えば、靴下やパンツで擦れてとかいうことなのか、それとも内的要因としてホルモン分泌が減ってしまったからなのか。 いずれにしても、残っているところもあれば脱毛したかのようにどこかへと消えてしまったところもある。 ちょっと調べてみれば、やはり加齢によること、あるいはホルモンの問題などなどのようで、やはり人間の身体の機能は、それなりに劣化していくことを理解したのだ。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・比良八講 さばさばと 比良八講は 荒れ終ひ 【去年の今日】週話§土曜有閑~コーヒーの挽き加減~
保育園の卒園式に始まって、小学校、中学校、高校、大学と卒業式を経験しているが、どれもほとんど記憶に残ってはいない。 さすがに保育園の記憶がないのは60年以上も前のことだから、当然といえば当然の話ではあるけれど。 そして記憶的なものとして微かに残っているのは、小学校以降の卒業式のどれも“せいせいした”というもので、意外とセンチメンタルな感情を持っているはずなのに、卒業する学校に未練の“み”の字も持ち合わせていなかったのだ。 どこか、先へ先へと前進していく、大げさに言えば気概に溢れていたということだろうか。何ともさばさばしたものだった。 そして大学では卒業生全体の卒業式には出ていない。出る余裕などはなく、卒業感謝の会の幹事の一人として最後の打ち合わせに大わらわだったのだ。 打ち合わせの直後に、学科全員が集まった学位記授与には出席したが、成績がよかったわけでも、出席..
季語は・・・卒業 寄せ書きは 卒業の日に 間にあいて 【去年の今日】購話§買い物を面倒がるな
1925年3月24日、京王電気軌道の新宿-京王八王子間開業。 1982年からの京王線利用者だから、ずいぶん長いことお世話になって、今でも忠実な利用者なのだ。そもそも1913年に調布と笹塚の間が開業し、徐々に延伸を繰り返し、この年に八王子まで開業したのである。 開業当時は、甲州街道に沿って路面電車風に走り、山手線をまたぎ、新宿は追分まで伸びていた。だが、東京山手大空襲で追分までの区間が使えなくなり、終戦間際に今の京王新宿駅のあたりの地上に新駅を作って移転した。 その時もまだ路面電車として走っていて、それがゆえに今になっても京王線の軌道幅は1372ミリなのだ。そうであるからかどうか、乗っていても少しだけだが、座席と座席の間が広いような気がする。 あれこれ詳しいことはウィキペディアのこちらを参照のこと。 《歴史のトピックス一覧》
鍋物のシーズンも終了である……気まぐれに4月に入っても鍋することもありはするが。 この冬も何やかやで、月に3回くらいは鍋をいただいたのではと思う。何といっても簡単に野菜も摂取できてしまうのが一番にありがたい。 ただ、夫婦二人して寄る年波もあり、食べる量が年々減る一途なのである。以前もそうだったけれど、一度鍋を作ると、それが翌日まで持ち越されるのは織り込み済みで、その鍋が翌日の昼に、ご飯にぶっかけておいしくいただくのだ。 しかも、最近はさらに残るようになってしまい、先月おでんを作った時は、火曜日から木曜日の夜まで食べたのだった。 鍋は“食べ切る”量を作ることはむずかしい。おでんなどは何種類かの具を入れなくてはおもしろくも何ともないので、結局のところはそれなりの量となってしまうから、残ることは必定なのである。 というわけで“鍋二日”という、実にリーズナブルな食生活..
季語は・・・春はやて ハイパント 弄(もてあそ)ばれて 春はやて 【去年の今日】拝話§常設展示中
このところ、諸事情あってセーブに是努めているが、元々の辛い物好きで、山葵、辛子、胡椒から唐辛子まで、辛い物には目がない。 その中にあって唐辛子は、蕎麦、うどんに始まって、例えば肉豆腐のような料理にかけてもすこぶるうまいのだ。 ところで我が家が使っているのは七味唐辛子でなく一味唐辛子なのである。 あくまでも個人の感想だが、七味唐辛子はどことなく辛さが物足りないと感じるところが大きい。何種類かの香辛料を混ぜることで、逆に辛さが弱まってしまうと感じてしまう。 その点、一味唐辛子は赤唐辛子一本勝負ゆえ、当然ながら辛さが実に潔い。そうなると七味唐辛子が、単なる調味料の一つであるとしか考えられない。味わいは複雑にはなっただろうが、肝腎の辛さが謙虚になってしまっては、元も子もないではないか。 いつ頃から、七味から一味唐辛子に転換したのか記憶はないけれど、あるいは七味と間違え..
“路線バスおたく”という人たちも存在しているらしい。正式名称はわからないが、彼らの間では“免許維持路線”と呼ばれている不思議なバス運行が行われているのだ。 そうしたバスは、おおむね週一往復だけの運行で、どれほどの乗降客がいるものなのだろうか。上のような映像を撮る趣味の人たちが、ごくたまに利用はしても、映像を見たからといって、それじゃあ乗ってやろうと、わざわざ考える物好きもそうそうはいないだろう。 それにしても、路線を維持するために運転する人と運行機材を使うというのはいかにも無駄なような気がする。年にいくばくかの手数料を払うとかしてわざわざ走らせることはないだろうにと思うのだが。 それに、維持しているからといって正規運行が復活する可能性は限りなくないのではなかろうか。それでも週一往復させるのは、一度手放した路線免許を再度取得するには、様々な煩雑な手間がかかると聞いた..
季語は・・・山笑ふ 花神微笑み 山は呵々大笑す 【去年の今日】盟話§ブレイブルーパス対スピアーズ
[承前] 焼きそばといっても、トロリとした餡をかけた品のいいやつではなく、ごく普通にどこにでもあるソース焼きそばのことである。ついでに、麵以外には豚こまとキャベツが好みで、トッピングには紅生姜必須である。 いつのことだったか記憶にないが、新宿駅西口の何ちゃら横丁という居酒屋街の中に岐阜屋という町中華があって、そこで酒を呑んだ時、なぜかソース焼きそばを注文したら、これが何とまあ日本酒に合ったのだ(個人の感想ね もちろん最初は、ビールからスタートして、当然ながらビールと焼きそばはいい相性をしているのだが、それが日本酒へと移っても変わらぬ相性だったとは、どういうことなのだろう。 そもそもソースと日本酒など“水と油”としか思えないのに、あーら不思議な相性だとしみじみ思うのである。それはいかなる化学的変化の為す技なのであろうか。 というわけで時折、B級系居酒屋に行くと、..
必要最低限の範囲で電子マネーは利用している……と思う。 頻繁に使っているのは2枚。交通系のあれと、スーパーマーケットの支払いに使っているマーケット・チェーンのカードである。 世間には数多くの電子マネーがあるようだが、あれもこれもとカードを所有する気などはなく、そりゃあ“ポイントサービス”などがあるのは承知しているけれど、そのために吹けば飛ぶよな個人情報を拡散するつもりもない。 せいぜい、月に3回ほどスーパーマーケットのカードにチャージする時、金額に応じて、いくばくかプラスしてチャージされる程度だ。とはいえ銀行の利息よりはずうっといい額をオマケしてくれるのはありがたいではないか。 というわけで、さて問題はこれから先のことである。ほどなくガラケーからスマホへと移行するつもりでいるが、そうしたところに電子マネーの誘惑が襲いかかってくるのだろうか。 まあ、スマホを使う..
季語は・・・春彼岸 春彼岸 打ち損ないの 木魚聴く 【去年の今日】週話§日曜有閑~三月間もなく終了~
春分の初候“雀始巣(すずめはじめてすくう)”である。 春分の初候である。この日、東京の日の出は5時43分、日没は17時56分で、いつも書いているとおりで、昼と夜の長さがほぼ同じになる日だが、今年は数日早い3月16日である。 日の出が5時台になるのは早起き組にはありがたい。目が覚めて明るくなっていれば、いつ起きてもかまわない。だが冬の間は6時近くなっても暗い夜状態なので、何時なのか見当もつかない。それでとりあえず起きてみれば、まだ3時過ぎだったりしてガックリとなり、トイレを済ませて二度寝を試みるのだ。 そんな朝の寝起きも、この先はどんどん見極めがつきやすくなってくれる。 《七十二候のトピックス一覧》
先週土曜日、雨の江戸陸でスピアーズ対イーグルスの試合を観戦した。競馬風に言うなら、グラウンド・コンディションは“重馬場”である。弱い雨が間断なく降り注ぎ、特に後半は、選手が激しく動くたびに盛大な水しぶきが上がるほどだった。 ↓雨にもかかわらず4,142人の観客が集まった ↓ライアン・クロッティ・・・・・・選手との距離が近い そんなコンディションゆえ、パスで展開していくシーンは少なく、キック多 めで相手のミス待ち……我慢比べのような試合になったのはやむを得ない。 両チームがあげた3トライは、いずれもラインアウトからのもので、ゲームを決めたスピアーズのトライは相手のラインアウトのボールをもぎ取っての力技だった。このあたりはフォワードの力の差が出たというところか。 というわけで、特に楽しみにしていたファフ・デクラークは意外なほど影が薄く、両チー..
季語は・・・芽立ち時 朝刊来る 明けは早くて 芽立ち時 【去年の今日】週話§日曜有閑~三月間もなく終了~
東京の桜があっという間に開花したが、春分前の開花というのは、いかにも早いと思ってしまう。 我が身が小学校に入学したその日は、北関東端っこの町の桜はほぼ満開なのだった。今の開花ペースだったら、4月初めには既に満開になってしまっているのではなかろうか。 ちなみに去年の三多摩丘の上の我が家は3月29日頃が満開で、満開の状態は四日か五日はもってくれたが、一週間もすれば散り始めるのだった。 そして今年……どんな桜が咲くのだろう。住んでいるあたりは、あちこちに桜が咲いて“おや、こんなところにも”というくらい、本当に咲きまくっていて、花見するのに事欠かないのだ。 《東京のトピックス一覧》
来月の四月大歌舞伎で新しい歌舞伎座の柿落としからちょうど10年となる。 写真は新開場45日前に初ライトアップされた時のもので、もうすぐ柿落としのワクワク感が横溢していたようだ。 そうして、新開場の歌舞伎座に初めて足を踏み入れたのは4月の半ば。柿落とし公演は6月まで三部制、せっせとお客さんを呼び込んでいたのである。 新しい歌舞伎座の中に入れば、それ以前のつぎはぎで雑然とした様子が一変していて、その取り留めのなさを懐かしく、新しい様子に物足りなさを覚えなくもなかったが、客席空間はかつての歌舞伎座とほぼ生き写しで、それについては再現してくれた隈研吾に感謝したいと思った。 だが、そんな歌舞伎座新開場を目にしないまま、十八世勘三郎や十二世團十郎、さらに五世富十郎、七世芝翫、四世雀右衛門が身罷ってしまったことは何とも切ないことである。 《歌舞伎のト..
季語は・・・花 花老いて 我もまた老いの道行 【去年の今日】週話§土曜有閑~換気の歌~
団地暮らしも40年を超えた。 よくも悪くも“隣人”のみなさんとの付き合いは希薄でしかない。もちろん顔を合わせれば挨拶もするし、ちょっとした立ち話くらいはする。だが、それ以上の深い付き合いまではしていない。 家のドアを閉じてロックすれば、それぞれの家族の世界なのだ。団地住まいで人との関係が希薄になって人情も薄れたとか言われているが、逆に密な人間関係で息が詰まりそうな人だっていくらでも存在している。 ムラ社会にいいところもあれば、悪いところもある。悪いところといえば、それぞれの人の事情を斟酌することなく、一つのコミュニティの中に、無理矢理括り込んでしまうことだ。 おそらく、全世帯のうち半数以上が既に入れ替わってしまっているに違いなく、そういうことを考えれば人的交流が希薄になる要素は多彩なのである。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・春場所 春場所や 波乱小波乱 大波乱 【去年の今日】革話§靴を選ぶ時
毎朝、ほんの少しだが蜂蜜を嘗めている。糖分以外にも色々と成分が入っているので、健康にもいいだろうと、まあ“鰯の頭”である。 それで、せっかく嘗めるのだから、そのへんで売っている淡色は、いかにも砂糖の味しかしないと思われて、ある時からひと味違う蜂蜜を探してみることにした。 あれやこれや試している中で、クセが強めの2種類をデフォルトと決めて、嘗めるようになったのだが、それは“栗”蜂蜜と“蕎麦”蜂蜜なのである。 どちらも、色は濃い目で黒に近く、味はなかなかの曲者なのである。そんな蜂蜜を嘗めていつと、何となくだが、さらに身体にいいような気がしてきてその日一日を健やかに過ごせるような気がするのだ。 《健康のトピックス一覧》
季語は・・・春暁 逆光の 春暁眩し 中央道 【去年の今日】床話§うなされる
伝統芸能の担い手を育成する国立劇場養成所研修生による修了発表会を観てきた。 ↓桜も開花した隼町の国立劇場 ↓プログラムも立派 13時開演、19時終演という長丁場なので無理はせず、途中の長唄『小鍛冶』からスタートして、最後『歌舞伎の立廻り』まで。 そのうち第二十六期修了生の西澤大峰は、小鍛冶の三味線に始まって、日本舞踊『玉屋』から『鳴神』の鳴神上人、そして最後の『歌舞伎の立廻り』までフル回転。歌舞伎俳優は彼と第二十七期研修中の望月大夢の二人である。 多い年は9人くらいの研修生が歌舞伎の世界に巣立っていくのだが、2年の研修は相当に厳しいと聞いているので、志半ばで挫折した研修生もいたことは想像に難くない。 2年間で、歌舞伎芝居全般だけでなく、長唄三味線まで会得させるのだとは『小鍛冶』で西澤大峰が三味線を弾いていたことで、ところどころ怪しいところが垣..
2月下旬、3月末に終了すると、唐突なお知らせに驚いた。40年半というもの、脱力系番組としてゆるーく長く続いていたのだ。 放送が始まったのは1982年秋。当時は午前様&朝帰りの日々で、ビデオ録画機も持っておらず……というよりも番組の存在自体を知らなかった。 頻繁に観るようになったのは21世紀に入ってからではなかっただろうか。強烈な記憶として残っているのは、空耳アワーの“農協牛乳!”であろうか。 メインテーマの中では“鉄”ものの水準は高め安定だったし、意外な切り口での番組構成は侮れないものが多々あった。 時に空回り、空振りの企画もないわけではなかった……歩留まりとしては、おおよそ五分五分前後というあたりというのが個人的感想である。 1945年生まれのタモリも齢八十近くとなり、持ち味のゆるさが、単なる緩みに変容していたと言えなくもなく、そりゃあ40年..
季語は・・・蜆 蜆汁 もう1杯の 頭痛かな 【去年の今日】治話§勝手にかかりつけ医
啓蟄の末候“菜虫化蝶(なむしちょうとなる)”である。 春分を控えて、朝方の外気温はコンスタントに10度台前半を記録している。春へのステップがもう一段上がったようだ。 もちろん、日によっては冬のように寒い日もあるが、ここまで来ればしめたもので、気分も軽く外出するのも億劫にはならないで済む。 冬の間、あれだけありがたくいただいていた鍋物もそろそろお引き取りの時期となって、鍋納めをいつにしようかと考える……とか言いながら、4月に鍋という心変わりもないことはないのだが。 そんな季節の変わり目が“今”なのだ。 《七十二候のトピックス一覧》
3月14日……東京の桜が開花した。去年より10日早く、2020年、2021年と同じ日の開花は最速タイである。ということは、3月中には桜が散ってしまうということなのか。 毎年のことながら、我が家の場合は辛夷(コブシ)が露払いとして咲き出す。そして桜の開花は都心よりは何日か遅いのが例年のことで、辛夷の開花からは3週間ほど遅れて桜が開花するのだ。 この日は、我が家の冬物あれこれの思い切った片付けを行った。まずはガスストーブを納戸に仕舞いこんだ。ストーブさえ片付くと、居間のスペースが広がってくれるのは佳き。 そうして、ウールのセーター類もクリアケースに入れた。春用の長袖類は、ラグビージャージなどなどが既に出ていて、とりあえずは軽いジャブ程度のプチ衣替えである。 さらに、夫婦で一枚ずつ使っているシングルの羽毛布団の一枚を片付けた。全身に掛けるのはさすがに暑くなってきたので、そ..
季語は・・・ぺんぺん草 かそけきや ぺんぺん草を 鳴らす音 《俳句のトピックス一覧》
ビッグイシュー451号は3月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。きかんしゃトーマスが表紙。 表紙&スペシャルインタビュー きかんしゃトーマス リレーインタビュー 麻生要一郎(料理家) 特集 装いサステナブル 私たちの装いは選択肢が豊かで自由になりました。安価な衣服が街にあふれ、流行にも縛られなくなったからです。反面、服の大量生産・大量廃棄は多大な温室効果ガスを排出するなど、地球環境に悪影響を与えています。 そんな中、注目を集めているのが「エコ」「エシカル」「スロー」ファッションを発展させる「サステナブル・ファッション」です。キノコや食品廃棄物などを活用する「バイオマテリアル」、コンピュータを使って型紙を制作する「コンピューテーショナル・デザイン」、衣服を脱物質化す..
フォークソングがブームになったのは、もう半世紀前のことになっていた。 けっこうな盛り上がりを見せつけたブームだったが、ちょうど実家暮らしで高校に通っていた頃がピークにあたっていて、しがない田舎町であっても、一か月おきくらいに、ヒットメーカーのフォークシンガーたちがやって来てはコンサートが開かれていたのである。 そんなコンサートで、何とも幼稚なやり取りが繰り広げられたことを記憶しているのだが、それは舞台に登場した歌手に向かって、客席の方々から…… 帰れ! 帰れ! ……と飛び交っていたのだ。 この意味不明な“挨拶”とも言えぬコールが、どのようにして始まったのか定かではなく、時には「じゃあ、帰る!」と怒って、本当に帰ってしまった歌手もいたと記憶している。 何というか、今にして思えば微妙な“アンビバレンツ”的な空気が存在していて、それが帰れコールとして表出したと..
季語は・・・冴返る 震度二の 直下の夜や 冴返り 【去年の今日】纒話§ブログを始めたのは
1681年3月14日、作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン誕生。 ライプツィヒの聖トーマス教会のトマスカントル(音楽監督)に空席ができた時、教会当局がまず声を掛けたのがテレマンだった。テレマンはハンブルクの音楽監督と天秤にかけたようで、ハンブルク市からギャランティのアップを交渉で勝ち取り、ライプツィヒに断りを入れたのだ。 そして当局は“二流どころで我慢するしかない”とバッハにトマスカントルを依頼。バッハは、1723年から死去する1750年までその地位にあった。 18世紀のドイツにあって、トップの作曲家はテレマンで、バッハは彼の下の“その他大勢”と見なされていたのだ。 もちろん、今もテレマンはバロック音楽の重要な作曲家だが、21世紀の今、バロック音楽の作曲家といえば、まず第一にバッハ!となってしまった。当時の人々がそのことを知ったら、どのようなことを考えるのだろうか…..
東日本大震災から12年、快晴の秩父宮ラグビー場には19,079人のラグビー好きが集結、ほぼ満員の客席を前に熱戦が展開されたのだ。 3・11東日本大震災から12年なるこの日は、キックオフ前に黙祷も行われた。 ↓キックオフ一時間前だが、観客は続々と入場してきた ↓半旗が掲げられての黙祷 個人的には予想していたことだが、サンゴリアスの意気込みは半端ないもので、積極的な攻撃に果敢なディフェンスが功を奏し、前半はワイルドナイツをノートライに封じ込め、ひょっとしたら勝利を手にできるのではと思ったのだったが…… 後半に入ると、ワイルドナイツの本領が牙を剥いたのである。 そして、後半13分過ぎから15分足らずの間に立て続けの4トライ&ゴールであっさり逆転し、楽々と逃げ切っての勝利、全勝をキープした。 ワイルドナイツ自体、スロースターターなのかど..
季語は・・・春霖 物忘れして 春霖へ怨み言 【去年の今日】週話§日曜有閑~パソコンの起動時間~
日々の入浴のために用意している入浴剤は3種類と決めている。 白濁したいかにも温泉を思わせるような炭酸系を2種類……一つは強炭酸系と謳っているのだが。 もう一つは、生薬ハーブをふんだんに使った“くすり湯”の類で、これはもう寒い時期には欠かせない入浴剤なのだ。おかげで、汗も出るし何より抜群に温まってくれる。 そんなあたりが冬の入浴剤のラインアップだが、夏場は、じっくり温まることよりも、すっきりさっぱりと入れることを主眼にした入浴剤を選んでいるが、おおむね夏らしく爽やかなブルー系の湯の色の入浴剤を選ぶ。バスソルトと炭酸系だが“森の香り”みたいなのも選択肢だ。 あまり考えずに選んでいるようでいて、自分なりに季節季節で考えていることに気がつくのである。 《日常のトピックス一覧》
インターネットを使っていて、それはもう便利この上ない仕組みだと感心、感謝しているが、そんな中でもメイルの添付ファイルの存在はアクティブにして実にありがたい機能なのだ。 そのままでも、およそ30MBほどの容量を先方に送ることができる。30MBというと、大きめの写真でも10枚くらいは軽々と送れてしまう。 それ以上の大きなデータであったら、ギガ容量を送れる方法もあるが、それを利用することはほとんどない。 ともかくも、自宅用のパソコンでここまでのことができるようになったのは今世紀に入ってからのことではないだろうか。そして、情報のやり取りは、格段にスムーズかつクォリティが上がっていったのだ。 そして地球上で夥しい量のデータが刻々と送受信されているのである。 《インターネットのトピックス一覧》
季語は・・・雛納(ひなおさめ) 老妻が 惜しみて今朝の 雛納 【去年の今日】週話§土曜有閑~贔屓のあれこれ~
宮仕えの頃から“確定申告”を続けている。ささやかではあるが、定期的な寄付を続けていたり、生命保険料控除のためである。 30年前の申告書作成は手書き記入の煩雑な作業だった。それが終わると税率計算をするのだが、このやり方が年に一度程度では覚えることができず、税務署の申告部屋で待機している税理士に見てもらって計算してもらうのが常のことだった。 そうして出来上がった申告書類を窓口に提出して完了……毎年のことながら何とも面倒なことだったが、インターネットの国税庁ホームページで申告書を作成できるようになった。もう15年くらいにはなるだろうか。 書式の中に該当する数字を放り込めば、正確に(たぶん)、勝手に計算して、申告書の出来上がりである。後はプリントアウトして領収書類を添付、税務署に郵送すれば、還付金の振り込みを待つだけである。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・春寒 春寒や 袴姿が 躓いて 【去年の今日】病話§三月大歌舞伎~仁左衛門休演~
啓蟄の次候“桃始笑(ももはじめてさく)”である。 2月の半ば頃あたりだったか、表に出ると太陽の光を暖かいと感じたのだ。 もちろん年によって違いはするけれど、そうか“春の日差し”は立春とともにやってくるということかと思った。 ちょっと出かけるのにバスに乗ろうと停留所で待っていたら、思わぬ角度から太陽が背中に当たってありがたかったが、そういえば似たような時間でも冬の間は建物が太陽の邪魔をして、まったく陽当たりがなかったのである。 だから待つ間は、日なたに出てバスを待っていたのだ……あと10日もすれば春分がやって来て、いよいよ春本番ということだ。 我が家の“勝手に標準木”の辛夷(コブシ)も白い花が満開となった。 《七十二候のトピックス一覧》
2011年3月11日14時46分18秒に発生した東日本大震災の地震が東京を襲ったのは、およそ1分後のことだった。あの時から12年が経過した。 改めて、11年前の自分のツイートを辿ってみると「地震!」とつぶやいたのは、発生からおよそ1分半後とツイッターに記録されている。完成して数年ほどと新しい9階建てのビル最上階にいて、凄まじい横揺れが続いた直後のツイートだが、よくキーボードに向かって叩いたものだ。 そして20分後には大きめの余震が起きたことをツイート。その後首都圏の鉄道が徐々に運行中止したことなども細かくツイートしていた。 あまりに事態が大きすぎたからかどうか、当人の頭は冷静だったような記憶だが、そうではなくて軽い思考停止状態に陥っていたと考えるのが正しいような気がする。 鉄道が運行中止したことで考えたのは、当然ながら自分は帰宅できるだろうかということだが、..
季語は・・・春の雨 老木に 少しく春の 雨温し 【去年の今日】淹話§コーヒー豆を買いに行く
政治家が明らかに世間と乖離していると感じられるのは例えば喫煙率の…… ……高さのようなものに始まって、様々ところで世間の変化や進歩に遅れていることが顕著で、口を開けば「変化、変化」と言いながら、一皮剥けば、自己都合ばかりで変化を妨げている元凶であることにまったく気がついておらず、彼らこそがまさに“井の中の蛙”なのである。 《つぶやきのトピックス一覧》
2015年9月に定年退職し、その翌月から職業安定所に通い始めた。失業給付150日分を受給するためである。 足を運んだ回数はおおよそ10回ほど。窓口で面談したり、パソコンで再就職情報を検索してみたり、それをこなすことで失業手当が受給される仕組みなのだ。そうした面談をする時に提示するカードがこちら。 有効期限はどこにも書かれておらず“死ぬまで有効”のようで、意志のあるなしにかかわらず、職安的扱いは“失業者”なのである。だから今でも、上のカードを提示すれば、窓口で面談もできるし、パソコンで再就職先を探すことだってできるのだ。 とはいえ、この先再就職する予定も意志もない……そもそも70歳になろうとする人間に手近なところで仕事があるものだろうかと、眼の前のパソコンで調べてみると、これがけっこうあったりする。実際すぐに職にありつけるかどうかはわからないが、それなりにあるものな..
季語は・・・磯遊び 磯遊び お富見染めて 仁左衛門 【去年の今日】遊話§放送委員会~高校の部活~
何度も書いていることだが、時折にしてもブログのエントリーの内容が似かよってくることがある。 たまたま、過去に書いていたことを失念してのダブりもあれば、意識してのダブりも書いているのだが、特に意識してという場合だが、ブログのエントリーは古くなればなるほど、深く深くと沈んでいってしまう。読み手にしてみれば、新しいエントリーは目にしても、何年も前に書かれたエントリーなど目にする機会はない……たまたま何かを検索して引っかかってきたりすることはあるけれど。 なので、自分自身でも気になるテーマ、あるいは気に入っていて、もう一度読んでもらえればと考えているテーマなどなどなどを、新たにまとめようと試みるのだ。 そうしたダブりエントリーをアップする時“以前も書いたことはあるが”と断りを入れるようにしている。だが、後々になって検索してみると、見事なまでにパクったようなエントリーが現れてきて、..
[承前] 先月半ば、会社OB会の集まりで神保町に行った。地下鉄から地上に出たらポッカリと空間ができていたので、近づいてみたら、10年前に破産宣告が行われたスーパーマーケットの跡地だったのである。 ↓ありし日の建物 2013年7月末、何の予告もなく、店頭にお知らせの紙一枚が貼られていただけだった。 当時も“夜逃げ”とか“計画倒産”とか噂されていて、なかなかの騒ぎだったと記憶している。 そしてそんな跡地の様子がこんな感じなのだ。 今現在、神保町交差点を中心にコンビニエンスストアが10軒ほども存在していて、多少のことだったら十分に用は足せるだろうが、それでもそれなりの規模のスーパーマーケットはあってほしいと考えるほうなのだが。 かくして倒産から10年して建物は跡形もなく解体されたのである。 ..
季語は・・・酒星 酒星や 李白今宵も 酔いどれか 【去年の今日】降話§スキーで遊んだ頃
2005年10月以来だから、およそ18年ぶりのレ・ヴァン・フランセのコンサートに行ってきた。 エマニュエル・パユ(フルート) フランソワ・ルルー(オーボエ) ポール・メイエ(クラリネット) ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン) ジルベール・オダン(バソン) エリック・ル・サージュ(ピアノ) ライネッケ:オーボエ、ホルン、ピアノのための三重奏曲a-moll Op.188 テュイレ:六重奏曲 B-Dur Op.6 **********************休憩********************** タンギー:六重奏曲(委嘱新作/日本初演) ミヨー:フルート、クラリネット、オーボエ、ピアノのためのソナタ Op.47 プーランク:六重奏曲 [アンコール] テュイレ:ピアノと管楽器のための六重奏曲 B-Dur Op.6 第3楽章 ..
“ありき”とタイトルに書いたが、もちろん会社は存在している。だが、今のネット社会から大きく後れを取ってしまったという意味では“ありき”と書いてしまいたくもなる。 20世紀が終わる頃まで、印刷物は写真植字(写植)で文字打つのに、下の写真のような文字母型に光を当て、印画紙に文字を焼き付けて“版下”を作成していた。 ↓ウィキペディアより 宮仕えを始めた頃、既に活版印刷の姿はなく、写植が主流だった。そんな写植のフォントや写真植字機を製作して販売していたのが写研で、モリサワというもう一社が日本の写植メーカーだったのである。 もっぱら写研の植字書体を使っていて、以下のようなフォントに慣れ親しん でいたのだ。 ↓石井明朝体 ↓ナール書体 ↓ゴナ書体 まず石井明朝体だが、中でもMM-A-OKLという略称の石井中明朝体オールドスタイル大がなを基本とし..
季語は・・・凍(いて)返る 凍返る夜は スンドゥブチゲ熱し 【去年の今日】過話§備忘録的な何か~2022年3月7日付~
中学に入った時は髪の毛に関する規定は存在していなかった。ただ、我々が入学したのと同時に校長が変わって、男子は坊主頭にさせるのではないかと噂が飛び交ったが、そうなることなく3年に進級した。 ところが、3年になった年の1年生が坊主頭にさせられたのである。校長が校則を変えてしまったのだ。 今でもそうだが、坊主頭にする校則など何の意味もない、ナンセンスな校則だと思っていたのが、我々はお目こぼしされ新入生が坊主という、身勝手な校長の振る舞いに怒りを覚えたのである。 というわけで、そんなある日、機会を見つけて校長室に直談判に出向いた。自分一人で考えてのことで、30分くらい校長と話をしたのではないかと記憶しているが、校長から明確な回答はなく、何だかのらりくらりな物言いに終始……昔ながらの発想でしかないことに失望したのだった。 まあ、最初から管理ありきみたいな態度で校長をしていた人..
84歳になったジョン・ノイマイヤーが、2024年にハンブルク・バレエの芸術監督を退くにあたって、最後の日本公演である。2016年、2018年と観たプログラム『ジョン・ノイマイヤーの世界』と、内容はほぼ同じだが、いくつか微調整されての上演。 【ジョン・ノイマイヤーの世界-Edition 2023-第一部】 『キャンディード序曲』(『バーンスタイン・ダンス』より) 『アイ・ガット・リズム』(『シャル・ウィ・ダンス?』より) 『くるみ割り人形』 『ヴェニスに死す』 『シルヴィア』 『アンナ・カレーニナ』 『椿姫』 『クリスマス・オラトリオⅠ-Ⅵ』 **********************休憩********************** 【ジョン・ノイマイヤーの世界-Edition 2023-第二部】 『ニジンスキ..
季語は・・・春の闇 春の闇 余震揺れきて 震度三 【去年の今日】週話§日曜有閑~窓ガラス~
啓蟄の初候“草木萠動(そうもくめばえいずる)”である。 啓蟄が来た。まだまだ寒いが、世間の空気は春である。 我が家の春は真っ白な辛夷(コブシ)の開花に始まる。辛夷さえ咲けば、もうしめたも同然で、外歩きの楽しさを倍加させてくれるのだ。 それから桜が咲くまでにはまだ3週間ほど必要だが、その間に沈丁花があの香りを漂わせてくる。 これまで、そんな自然の営みのスケジュールが狂ったことはなく、辛夷が咲いて、沈丁花が薫って、桜が咲くと決まっていて、そのとおりに進行していくのだ。 日々の最高気温は10度台を超え、寒くなる日はあっても最低気温が氷点下に下がることはない。 気分としては、とても楽ちんなのである。 《七十二候のトピックス一覧》
さても、紙が溜まる。 読み終わった新聞や雑誌、カタログの類はボックスに入れていって、月一でやって来る古紙交換や団地回収に出すので、うまくサイクルは回ってくれているが、頻繁に届くダイレクトメールやら様々な案内状、領収書などなどの処理が面倒でならない。 それらには宛名や住所といった個人情報が記載されているので、丸めたりしてゴミ出しするわけにもいかない。しがない情報だが、個人情報を流出させていいことはないだろう。 そしてそうした個人情報紙類は備え付けの箱にまとめておいて、何か月かに一度のサイクルでシュレッダーにかけて裁断している。 今使っているシュレッダーはかなり細かくカットされる。いくらなんでも、ここまでカットすれば再現してやろうなどという気も起きないはずで、ついでに言えば、そうまでして再現する価値のあるレベルでもないのは当然だ。 そうしてシュレッダー送りになる書..
季語は・・・梅日和 梅日和 午後客ありて へぼ将棋 【去年の今日】週話§土曜有閑~確定申告の件~
1868年3月5日(明治元年2月12日)、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜が江戸城を明け渡し、上野寛永寺に移った。 1853年、ペリーの黒船来航を明治維新の端緒とするならば、慶喜の江戸城開城から戊辰戦争までが、明治維新の完了と言えるだろうか。 まあ、ペリーという外圧がなくとも、早晩徳川幕府は瓦解しただろうと考えられるが、瓦解へとスピードアップの一つになったことは間違いない。 二百七十年になろうとする強固な体制を崩すためには15年という年月が必要だったのである。 そして、明治以降の日本がどのような道をたどったのか……戦争に戦争を重ねて、最後に崩壊を迎えたことは言わずもがなのことなのだ。 《歴史のトピックス一覧》
季語は・・・冴返る 冴返る ライブカメラの 六本木 【去年の今日】露話§南回りでヨーロッパ往復
1年と2年の間にかなり単位を稼いだ大学3年と4年の時、週に4日ほどを洒落たカフェでギャルソンのアルバイトをしていた……ウエイターである。 デパート上階の書籍売り場の一角にあって、テーブルとカウンターと合わせて50席くらいはあったはずだが、けっこうな繁盛の店だった。 そんな店の立地のゆえかどうかわからないが、客で混雑するのは昼と15時頃と決まっていて、特に昼は軽いランチも出していたので、けっこうな賑わいだったのである。 そんな、ちょっと収拾がつかなくなりそうな時、ふと“そうだ”と思い立って、ホール内のオペレーションを工夫してみた。 それほど大げさなものではないが、数人いたギャルソンのうち3人を配膳、2人を片付けに回してみた。ランチ時は回転がいいので、席が空いたら、すぐに片づけて客を入れるようにしたのだ。 これがまあ、うまくいってくれた。だからではないが、テーブル..
季語は・・・忘れ雪 歌舞伎座や 夜の部はねて 忘れ雪 【去年の今日】連話§ワタシの酒肴[166]常夜鍋
高校を卒業して東京に出てきたのは、ちょうど50年前の1973年だった。その当時は営団地下鉄と呼ばれていた、今の東京メトロである。 その営団地下鉄で営業していたのは銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線、千代田線の5路線と都営が浅草線、三田線の2路線だった。 ↓上京した当時の路線 その後、有楽町線、半蔵門線、南北線、副都心線と開業。都営は、新宿線と大江戸線が加わった。 ↓それが、かくも複雑に 記憶に刻み込まれていることとして、都営新宿線の開業は、宮仕えを始めた1978年、岩本町と東大島間だったことで、その後京王線との相互乗り入れが実現し、1982年から33年間を京王線と新宿線でせっせと通勤していたのだ。 有楽町線と半蔵門線開業くらいまでは何とか追いつけたが、ラスト3線……南北線、大江戸線、副都心線あたりは訳がわからなくなりつつなってしまった。理由は簡単..
手近にあって手軽、使い勝手がそこそこのチェーン系カフェを利用していて戸惑うことが時折ある。 それぞれの店舗でのドリンク類のサイズ表記が異なっているということだ。 ちなみに“S”ではショート(S)、トール(T)、グランデ(G)、ヴェンティ(V)となっている。それは“T”も同じだがショートからグランデまで。そして“V”はMとLの2種類で“D”はS、M、Lの3種類となっている。 さて、お客さんはそれぞれの店のサイズをそのとおりに指定して注文できるのだろうか。まあ、たいていは同じドリンクを注文するだろうから、何とかこなしているだろうとは思うが、SMLの3サイズでここまで来た高齢者にとっては、Sでショートが言えず「エス!」で済ませてしまう。 さらにもっとひどくて「小さいほう」とさえ言ってしまう始末なのだ。そもそも、表記がバラバラで統一されていないということも問題だが、それは店..
季語は・・・鯛焼 天然と 養殖あります 鯛焼屋 【去年の今日】旨話§グルメとはとてもとても
2023年2月の東京の天気がどうであったのか、振り返っておこうと思う。 このリンクの日付をクリックすることで、各々の日のアメダスが確認でき、より詳細な気象状況をチェックできる。 2月10日には、少しばかり積もるほどの降雪はあったが、これはもう名残りのと呼ばれるような雪で、春への階段を順調に上がっていった2月と言えるだろう。 ラグビーリーグワンの試合を2つ、秩父宮と江戸陸で観たが、10日の秩父宮はまだまだ寒々しかったのに、19日の江戸陸はずいぶん春めいてきたと感じた。 かくして28日しかない如月二月だが、28日に我が家近くで辛夷(コブシ)が開花して終わったのである。 《天気のトピックス一覧》
2月28日……我が家近く“勝手に標準木”としている辛夷(コブシ)が開花。一昨年と同じ日の開花で、去年の開花は3月3日だった。 眼に見える我が家周辺の春は、ここから始まっていくのだ。おそらくは桜の開花も春分の頃ではないだろうか。 咲いた辛夷は2輪か3輪、そんな程度で、その他大勢は、まだまだ固い綿帽子に包まれている。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・春夕焼(ゆやけ) 刻々と タイムラプスや 春夕焼 【去年の今日】弥話§2022年3月の予定あれこれ
ビッグイシュー450号は3月1日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。スティーヴン・スピルバーグが表紙。 表紙&スペシャルインタビュー スティーヴン・スピルバーグ リレーインタビュー 中川正子(写真家) 特集 ふくしまの12年 わたしができることをする 福島第一原発の敷地内で、タンクに溜まり続ける、トリチウムなどを含んだ汚染水。 政府は今年春から夏頃に、この大量の汚染水を海洋放出する準備を着々と進めています。しかし、汚染水は今後も増え続け、薄めて海に流したとしても、放射能が消えるわけではありません。このまま海に流してしまってもいいのでしょうか。 また、今年の春以降、帰還困難区域内に設定された特定復興再生拠点区域の一部で、住民が帰還するための準備が進められています。こ..
雨水の末候“草木萠動(そうもくめばえいずる)”である。 弥生三月となった。春が動き出している……ような気がする。辛夷(コブシ)の白い花が開いた。そして下旬には桜が咲く。 3月に入っても朝方の外気温は5度前後を推移していて、10度台を記録するのは中旬になってからである。 だが、夜明けも早くなってきたのはありがたい。一か月前だったら、6時はまだ真っ暗だった。そんなあたりにも春が兆しているという気がしないでもない。 とはいえ、春を実感するまで、もう少し時間が必要だ。 《七十二候のトピックス一覧》
月初めにつき、東京の一か月間の日の出&日没時刻を。 3月1日の日の出は6時11分で日没は17時38分、月末の日の出は5時29分で日没は18時4分。6時前には明るくなってくれるだろうから、早起きしてもあまり暗さを感じずに済む時季にはなってきた。月末の日没が18時過ぎになるのもありがたい。 なお春分は3月21日。この日の日の出は5時43分、日没は17時56分で、昼と夜の時間は同じではなく、ほぼ同じになる日は3月16日頃である。 さて“今月のお楽しみ”だが、三月大歌舞伎は残念ながら、食指が動かずでスルーすることにした。 その代わり、久々にバレエを観に行く……ハンブルク・バレエの公演で、芸術監督ジョン・ノイマイヤーのラスト・シーズンで、2演目が上演される。そのうち『ジョン・ノイマイヤーの世界』を……たぶん、以前も観た演目のはず。 クラシックは、室内楽の..
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季語は・・・師走尽 師走尽 世はこれすべて 塵芥 【去年の今日】週話§日曜枯寂~2023年大晦日~
冬至の末候“雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)”である。 一年最後の候である。閏年だと大晦日だが、通常年は元旦が冬至の末候だ。 毎年書いていることだが、冬至以前から日没時刻が少しずつ遅くなって、一年が終わる頃には明るい夕方になりつつあって、それは春の兆候として喜ばしいと、冬の寒さが厳しくなるのと裏腹に感じるのである。 冬至以降の候名を見れば、時節よりも先の春を予感させるような名前が並んでいることに、今さらながら気がつくのだった。 《七十二候のトピックス一覧》
古稀となった2024年が終わる。そして新たな年がやって来て、我々の営みはなおも続いていく。いよいよ世界は混沌の度合いが顕著に色濃くなってきたと感じる。人生の終わり近くにこのような世界情勢になっていくことには、大きな懸念を抱いてしまうのだ。 卑小なところでは、2019年にウェブリブログから移転継続していたSSブログが来年の3月末で終了。拙ブログは、明けて1月1日からSeesaaブログへと転居する。 オワコンであることは否定できないブログという存在だが、流行り廃りとは関係なく、表現手段として使っている人は少なくなく、そもそもオワコンとかいう言葉を使われること自体が迷惑なのだ。それこそブログをやってすらいない人間から言われたくなどはない。 だがしかし、かくして我がブログは流浪の旅を繰り返していくことだろう。 それではみなさん、よいお年をお迎えください。 《年末年始の..
季語は・・・行く年 行く年や 饂飩半玉 気ぜわしく 【去年の今日】週話§土曜枯寂~とうとう来てしまった~
コンサートや歌舞伎、スポーツ観戦で通路側の座席に座ることがあって…… ↓ご覧のとおり(バイロイト音楽祭HPより) ……それで観察していると、そのほとんどで内側の席の人たちのほうが、なぜか来るのが遅く、我々が席に座っていたら彼らを通すのに立たねばならないか、もしくは立ったまま待っていることになるが、平土間で間に通路のないバイロイト祝祭劇場は、そうして遅れて中のほうに入っていく客のために全員が立ったままで待つことになるのである。 《つぶやきのトピックス一覧》
観客は8,169人で1万人に達せず。年末で行きにくかったか、渋い客の入り。と思っていたら、北関東は熊谷で行われたワイルドナイツ対スピアーズの試合は1万人超えをしていたので、動員力不足があったかもしれない。 という客入り状況はこれくらいにしておいて、後半は手に汗握る試合展開となった。結果は33対32と1点差でブラックラムズが辛うじて逃げ切り勝ち。前節のホンダヒート戦で終了間際に逆転負けを喫したショックを引きずることがなく、今シーズンの1勝目となった。 特に推しチームの対戦ではないのに秩父宮まで足を運んだのは、リーグワンに“戻って”きたTJ・ペレナラのプレイを見たかったからである。2021年ワンシーズンだけレッドハリケーンズでプレイしたが、その時は一度も彼を見ることができず、テレビでプレイぶりを見て、是非に見ておかなくてはと思ったのである。 前節はあま..
季語は・・・数へ日 数へ日や 夫の寝言 聞く夜明け 【去年の今日】療話§診察券の束なりき
どん詰まりに来た……あと2日で2024年が終わる(ほとんどコピペ 今年は自分の身体を見直す年になってしまったということだろうか。特に、足の血管の問題をメインとした、循環器系の問題を棚卸しして改善の道筋をつけることができそうだ。歯医者に半年以上通って、かなりメンテナンスができたのではと思っている。 70歳という年齢での見直しは、いささか遅まきながらではあるが、やらないよりはやっておけば、少しでも日々の生活が快適になってくれるはずなのはまあ、間違いないと思いたい。 というわけで、来年の目標は“一病息災”である。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・大根(だいこ)焚き 行列や 最後尾ここ 大根焚き 【去年の今日】懐話§昭和三十年代~貸本屋~
どん詰まりに来た……あと3日で2024年が終わる。 何度目の大晦日、そして何度目の元旦だろうか。もちろん今さら数えるつもりなどはない。 70年生きたということは2万6千日近くをこの世で過ごしたことになり、そのすべてが記憶の中にあるわけでもなく、間違いなく9割以上は忘却の彼方に消えて行ってしまったのだろう。 それが人生だなどと、したり顔でいうつもりもないし、思い出にすがりついて時間を戻そうなどとも思わない。すべては時の流れの中に沈められて、いずこかへと去っていくのである。 でもまあ、少しは人生でいいことがあったよなとは思っているのだけれど。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・年歩む 老い先は いずこ?の日々や 年歩む 【去年の今日】連話§ワタシの酒肴[177]メンチカツ
内緒の話だが―内緒になどなっていないが―一浪して予備校通いで下宿暮らしを始めた時に酒を呑み始めた。19歳だったから完全にフライングである。 下宿の三畳間には暖房の設備など何もないまま冬がやって来た。夜、受験勉強を終えて、口にしたのは安いウィスキー。それをお湯で薄めに割りホットウィスキーで身体を温めて布団に潜り込んだのだった。 そのあたりが酒の呑みはじめだったのだが、だからといって毎日毎日呑んでいたわけではない。そもそもそこまで自由に使える仕送りなどもらってはいなかったから、ごくたまに意を決してビールを買うとかそんな程度である。 だから、酔っ払ったという記憶がないのは、大した量を呑んでいなかったということと、酒の何たるかがわかっていなかったことは間違いない。 その後、大学に入っても酒量が増えるどころか、下宿で酒を呑むことはほとんどなかった。いわば大学時代は酒の空白期だ..
こんな映画があったことを覚えている、あるいは実際に観たことがある人は七十代以上ということだ。 東宝映画『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』というタイトルで1964年に封切りされた。何と!映画に登場するのは当時巨人でプレイしていた選手たちと川上監督、さらに西鉄ライオンズの中西太まで出演していた。そこに東宝の俳優が加わっていたのである。 1963年、三冠王を狙っていた長嶋茂雄を主役に、ペナントレースの様子を描いたドキュメンタリー・ドラマとでも言えばいいのか……何とも不思議な映画を観たような記憶が微かに残っている。 もちろん芝居素人ゆえ、演技云々については眼を瞑っていたとは思うが、それでも生々しいと思ったのは、三冠王に向かって突き進んでいた長嶋に阪神の投手バッキーがデッドボールを投げて、指の裂傷を負ったというところの映像で、長嶋茂雄渾身の演技ではなかっただろうか。 ..
季語は・・・年惜しむ 入院 二泊三日なり 年惜しむ 【去年の今日】現話§漢字の使用はほどほどにしています
冬至の次候“麋角解(さわしかのつのおちる)”である。 あと5日で2024年も終わり。自分にとってはいい年であったのだろうか……11月から12月にかけて、小さからぬ怪我をしたし、二泊三日でカテーテル手術もした。まあ、自分の身体の状態を顧みたということになるだろうか。 たぶん、自分が考える以上に様々な状況に振り回されたのかもしれない。 2025年……そして、これも我々のような考え方を持つ人間たちにとっては、さらに期待が萎み続けていく年になるのは間違いない。そして最低でも4年は臥薪嘗胆の日々を送るはずである。 いや、別に復讐がしたいわけではない。ごく普通の常識が普通に通用することを実現してほしいだけで、それ以上は何も望むことなどないのだ。 《七十二候のトピックス一覧》
一か月に一度くらいだろか、我が団地にも救急車が入ってくることがある。世帯の高齢化が進んでいることが大きいか。 以前は入って来てもサイレンを鳴らしっぱなしだったのが、最近は入り口で止めて入ってくるようになった。 見えるところに停まって、救急隊員が向かっていく様子が我が家からも見下ろせて、ストレッチャーを出したりとルーチンの仕事をてきぱきと進めていくのだ。 ところが、それからが長いことがあって、要請したお宅に入って30分以上も出てこないことがある。容態を調べているのか、あるいは一番考えられるのは受け入れてくれる救急病院を探しているのかということだろうか。そしてようやく救急車が出て行き、緊張感も去っていった。 ある時、頻繁に救急車が入ってきたことがあった。しかも呼んだのは同じお宅と思われたのだ。数回もそんなことがあった後は、パタリと来なくなったのだが、あれは何だったのだろ..
季語は・・・日向ぼこ 老い独り 優先席の 日向ぼこ 【去年の今日】槍話§十二月大歌舞伎~爪王~
六十代半ば頃から処方薬を毎日服用する生活が続くようになった。 つまり高齢化とはそういうことなのだと改めて実感しているところだが、夫だけでなく、同居人も同様に毎日薬を服用している老夫婦なのだ。 もっぱら、高血圧改善とか血管を拡げるとかの循環器系で、通院している内科は“ヤブ”に近いのだけれど、ありがたくも院内処方して薬を出してくれるので、いちいち処方薬局に赴かなくてもいい。 そんな薬の日々が、この先延々と続いていくのだろうかと思う。若い頃は、そんな日々がやってくるなどとは想像すらしていなかったが、いざ自分がそんな境遇になると“そういうことだったのか”と実感させられる。 世間でも高齢者の医療問題は切実なわけで、先々誰もが当事者になっていく運命にあるのだから、財政面も含めたいい知恵を出しあっていくしかない。医者に通わずに済むなら、それに越したことはないのはもちろんの..
ドイツ語で無賃乗車をする人は“Schwarzfahrer(黒い乗客)”と呼ぶ。 ドイツやオーストリアの鉄道には改札口がなく、人は駅に入ったらそのまま電車に乗ることができるのだ。そして当然ながら、無賃乗車をする輩も少なくはないはずである。 そんな交通機関には“車内検札官”が巡回していて、移動中の車内で身分証明書を提示しながら、切符の有無を確認するのだ。 そんな車内検札官に一度だけ遭遇したことがあった。10年前、ベルリン滞在していた時である。地下鉄に乗っていたら、本当に普通の姿の検札官が、乗客に切符を提示するよう求めたのだった。 我々夫婦は3日間チケットを持っていて、検札官が登場した瞬間に“来た”と即座に反応しチケット提示したのである。そうしてチェックしつつ、一人の男性のチケットを見て「これはだめ」みたいなことを言って、次の駅で連れ降ろしていったのだ。 そ..
季語は・・・クリスマス クリスマスや ワインの栓を 抜き損ね 【去年の今日】週話§日曜枯寂~あと一週間~
従甥(従妹の長男)が結婚するとLINEを通じて知らせてくれた。結婚式に出席してほしいと頼まれたのだが、式場の場所が超遠い。さすがに歳を考えて、申し訳ないが欠席とさせてもらった。 今日は、その代わりにとお祝いがてらの食事に招いたのだ。さて、何を食べさせようかというところで思考が停止した。かたやアラ七十の老夫婦、こなた三十になったばかりの“ヤング”である。 そうして、ギリギリの妥協点として考えついたのが“しゃぶしゃぶ”だ。そして、同じコースを注文したので、我々の肉は食べ切れないに違いなく、ならば助けてもらえれば彼らの胃袋も満たされるのではとも考えたのだ。さらに追加したって一向にかまわないのだ。 今回、そんな会食をするにあたり、改めて七十と三十という40年の差の大きさを思い知ることになったような気がする……さて、その顛末やいかに。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・ソーダ水 待ち人はやうやう ソーダ水の午后 【去年の今日】合話§スポーツ観戦中は
世の習いとはいえ、後継者がいない個人商店は消滅してしまう。どれほどの評判の店であっても、これは宿命であるとしか言いようがない。 世間にチェーン系の店がはびこる大きな理由の一つがこれではないだろうかと思っている。 地方都市におけるシャッター商店街の惨状もまた、郊外の大規模ショッピングセンターの隆盛もあるが、少子化による後継者不足も理由ということであろう。 それがたとえ都心部にある神保町古書店街もまた例外ではなく、伝統ある古書店が閉まっていく様を目にしてきたのだ。 だから気がつくと、神保町のメインストリートである靖国通りに目立つのは閉店した古書店の後に店開きをする一攫千金を狙ったとしか思えないラーメンの店だったりする。 半世紀ほど神保町ウォッチをしてきた中で、古書店以外の個人商店の閉店もまた何軒も何軒も見てきて、それらがどれほど優れた仕事をしていても、うまい食事を..
この一年、ETCを利用して高速道路を運転していない。最後に乗ったのは去年の5月に尾瀬行で往復した時である。 ここ3年ほど、コロナ禍の自己防衛という名目で、歌舞伎座の往復にも車を走らせた。2020年8月に四部制で興行を再開してから2022年あたりまでは、毎月東銀座までマメマメしく往復していたのだ。 その頃は、毎月のようにETCの高速利用料がクレジットカードの請求明細に記載されていたが、もうめっきりである。つまり、運転するのはほとんど市内をうろうろとしかしておらず、当然ながら走行距離も伸びようがない。 今年も、尾瀬に行くのは秋にしようかと考えていて、それ以外に高速道路を走る予定もさしあたって見当たらない。 年齢を経るごとに車の運転度が減っていくのは、しかたがないといえばそれまでだが、乗らなければ乗らないで、勘がにぶっていくことになるのも、あまりいいことではない……もっと..
季語は・・・葛切り 葛切りや ほろほろ逃げる 箸づかひ 【去年の今日】滅話§OG(オウンゴール)は悲しからずや
上野の東京文化会館への足が遠のいている。年に一度か二度の東京・春・音楽祭に重い腰を上げるのがやっとになってしまった。 とにかく、我が家から山手線の東側まで出向くのがきついと感じる。じゃあ歌舞伎座はどうなのだと問われたら、まあ昼の部などは気楽に行けるし、小田急線を使えば、地下鉄を乗り継いで意外と簡単に行ける。歌舞伎座に行くのは、心理的に気楽だったりもする。 だが上野は、終演が21時としたら、家に帰り着くのが22時半を過ぎてしまうのだ……これはきつい。特にこの10年ほど夜に弱くなったので、22時とは、完全に真夜中なのだ。 そうしてクラシックの演奏会から遠のいているのも事実で、マチネーであれば、まあまあ気兼ねなく行けはするのだが。 そうして、足が遠のいたコンサートホールはいくつもある。まず横浜がアウト。神奈川県民やみなとみらいなど、もう20年以上出かけていない。さらに彩の..
スイスを旅行したのは実に少ない。というか数回程度のことだったし、ほとんどオーストリアから車を走らせての日帰り旅行だった。スイスで宿泊したのは、帰国前日にチューリヒ近郊で一泊しただけである。 だからスイスは、アルプスの有名どころなどに行ったことはない。マッターホルンもアイガーも、モンブランも見たことはないのだ。 車で走ったのはボーデン湖の南岸だったり、オーストリア西端の国境を越えて、チューリヒ近郊のヴィンタートゥアまでアウトバーンを走らせて、オスカー・ラインハルト美術館を4度ほど訪ねてみたり、それに加えると、やはりスイス東部の町ザンクト・ガレンの修道院に付属している世界遺産の図書館を見に行ったくらいで、文化面メインだが自然のほうは見ないままのスイス旅行となってしまった。 ああ、そういえばドイツ側のフリードリヒスハーフェンから“国際航路”のフェリーに乗ってスイ..
季語は・・・虎が雨 虎が雨 意地張るへぼや 千日手 【去年の今日】石話§六月大歌舞伎昼の部~壱太郎のおとく~
夏至の次候“菖蒲華(あやめはなさく)”である。 尾瀬は水芭蕉の季節が過ぎて、百花斉放に入っていく。湿原には様々の花が咲いて木道を歩く人たちの目を楽しませてくれるのだ。代表的なのは、言うまでもなくニッコウキスゲだが、紫のヒオウギアヤメもまた目に立つ存在なのだ。 今年は雪が少なく、雪融け水も豊富とは言えなかったから、この先の花の季節のためには、梅雨の雨ができるだけ多く降ってほしいと望むのだが。 そういえば、アルバイトをしていた半世紀前の木道は、今のようにがっちり組み上げられていたわけではなく、丸太を半割りにして置いていただけなので、ちょっと大雨が降ると、浮き上がってしまったり、流されてしまったりして、元に戻すのが大変なのだった。 《七十二候のトピックス一覧》
結婚して暮らし始めた多摩丘陵のマンションは交通が不便だった。最寄駅からは緩い坂道を上がって15分ちょっと。さらにスーパーマーケットをはじめとした商店街までは歩いて10分。当時は共稼ぎだったので、買い物には本当に難儀した。 2年我慢した……よくもまあ2年も我慢したものだと思うが、そこで運転免許を取ろうと決心したのだ。自動車の運転にさほど興味があったわけではなかったが、背に腹は代えられぬ。 そして1984年10月、無事に運転免許を手にして車を購入した。厳密に言うと免許を取るより早い10月上旬、フライング気味にホンダのディーラーに赴いて、かねてより“これ!”と決めていた赤のワンダーシビックの納車をお願いした。 免許を手にして10日後くらいだから11月に入っていたと思うが、我が家に赤いシビックがやって来た。ルイ・アームストロングが歌う『ワンダフルワールド』のコマーシャルを..
季語は・・・青時雨 ざわざわと 乳房榎や 青時雨 【去年の今日】週話§日曜枯寂~貧乏暮らしのこと~
たまに過去エントリーを俯瞰していると、どうもあちこちダブりが散見…… ……してきていることに、やはり自分の中でネタ切れを起こしつつあるかとちょっとがっかりしつつ本文を見れば、エントリーのタイトルは同じようであっても、中身については違う切り口だったりしていることに安心しながらも、もう少し心してかからなくてはと反省するのだった。 《つぶやきのトピックス一覧》
萬屋の襲名興行昼の部を観てきた。獅童と菊之助の『上州土産百両首』から『義経千本桜~所作事時鳥花有里~』があって、最後に時蔵襲名披露狂言の『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』まで。萬屋と播磨屋勢揃いである。 まずは獅童と菊之助の百両首。1時間半と長い芝居だったが、雰囲気を感じさせる舞台。獅童と菊之助はそれぞれの持ち味を出していたが、菊之助にはもう少し喜劇風味を盛ってほしい。 義経千本桜の“時鳥花有里”は、2回ほど観ていたようだが、舞台が華やかという印象しかなく、今回も同じだった。 そして、梅枝改め時蔵の襲名披露狂言『妹背山婦女庭訓~三笠山御殿~』である。やや面長で古風な顔立ちの時蔵は、将来の立女形として期待されているのは間違いなく、襲名披露狂言でもその実力を如何なく発揮してくれたと思う。劇中で行われた襲名披露口上は、仁左衛門の豆腐買おむらを芯に、右に新時蔵、左に新梅枝と..
季語は・・・夏館 銅版画 掛け替え並べ 夏館 【去年の今日】週話§土曜枯寂~6月最終土曜日~
1948年6月24日、ベルリン封鎖始まる。 第二次世界大戦後、ドイツは米英仏ソの4か国に分割統治された。さらにベ ルリンも4か国に分割されてしまった。 そしてベルリンの一括統治を目論むソ連は、米英仏3か国が統治する西ベルリン地区を封鎖して“兵糧攻め”を試みたのである。それに対して3か国は“空の架け橋(Berliner Luftbrücke)”作戦で物資の空輸を開始したのだ。 輸送作戦は功を奏し、封鎖は翌年4月に解除され、東西ベルリンの行き来が自由にできるようになった。ベルリン封鎖は失敗に終わったのである。 その後、1961年8月にソ連は“ベルリンの壁”を構築し、西ベルリンを陸の孤島化させ、ソ連からの揺さぶりは執拗に続いたのだった。 そんな孤島化が終わったのは1989年11月の事である。 《歴史のトピックス一覧》
試合前までの、イングランド23人のキャップ総数は848、対する日本は259。初キャップはイングランド1、日本8。そしてこの日の観客は44,029人……5万はいくのではと思っていたのだが。 ↓ゴールのサイドバー中央にカメラが設置されていた 結果は17対52……イングランドの快勝である。経験と実力差はいかんともしがたく、ヘッドコーチであるエディ・ジョーンズ掲げる“超速ラグビー”など影も形もなかった。 さて、このメンバーでしばらくテストマッチを続けていこうというつもりであるのか、若手の育成とベテランの活用というバランスをどうコントロールしていこうとしているのか、何を言っても“エディ・ジャパン”の初戦なので、様子を掴みかねていたのだ。 先々を考えれば、若手にチャンスと経験を与えなくてはどうにもならないことは明白なのだが、この日のゲームを観る限りでは、..
季語は・・・夏嶺 夏嶺や 大休憩の 水温し 【去年の今日】稽話§ゲネプロに潜り込んだ件
元より大食いというわけではなかった。男性としては、まあまあ普通の食欲は持ち合わせていた……そんなレベルだった。 食欲がいさかか希薄になってきたと感じるようになったのは、五十代半ばを過ぎた頃ではなかったか。晩ご飯の時、大きめのご飯茶碗で食べていたが、それは250gくらいあったと思うが、最近はというと、その三分の二の180g程度で満足できてしまう。 神保町界隈に君臨していた“いもや”のとんかつ定食を食べさせてくれる店のとんかつは200g近くあったような気はするが、今はもはや120gくらいでアップアップしているのだ。 言うまでもないことだが、古稀になろうとする人間の基礎代謝は順調に少なくなっていっているわけだから、この期に及んで大喰らいをすること自体が自殺行為である。 晩酌で、酒を呑みながら食べるつまみも少しく減っていて、気がつけば皿も小さくなっていたりした。 《私..
季語は・・・夏至 夏至の日や 「おつかれさま」と LINE来る 【去年の今日】歌話§赤い鳥とハイファイセット
国が国民に対して“サービス”をしなくなったと感じる。政府そのものが、あっちこっちで劣化していて、政治家だけでなく官僚たちもそうした発想を持っていないような気がする。 税金を払っているのは国民である。それは国からいくばくかのサービスを受け取るためなのに、そのリターンがほとんどないと感じるのだ。 前々任者が政治をいい加減な地位へと貶め、権力を自分たちに都合よく運用した結果が、今や政権党が内部崩壊を起こして機能しなくなっていることではないか。 そして政治は“ズル”をしてもいいのだと勝手に解釈し、方向性を完全に見失ったのが今である。何を為すべきかわからぬまま“見てるだけ”しかできなくなって、気がつけば我々が立たされているすぐ目の前は崖っ縁である。 我々は、自民党という泥船になど乗りたくもない。 《日常のトピックス一覧》