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2018/05/05

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  • 旅と出張 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉟

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉟旅と出張世界私が退職したのは2019年9月のことだった。67歳と5カ月でのリタイアである。当然、それ以降の出張はない。というか、コロナのせいで、旅はおろか自由な行動もままならないままで、半径50キロ圏内での生活が4年余りも続いている。退職後、「グローバルから(超)ローカルへ」と生活が一変した。幸い地元の友人達に恵まれ、地域社会との接触が密になった。定年退職後、会社以外に友人、知り合いがいない人が多い中、幸せなことだと思っている。しかし、満たされない。出張にも旅にも出かけず、一カ所に縛り付けられるような生活はそろそろ限界だ。糸の切れた凧から海底の藻に絡みつかれた錨に変身したような気分である。「ああ、どこか遠くに行きたい。飛行機に乗りたい。船に乗りたい。見知らぬ土地を訪ねてみ...旅と出張【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉟

  • 笑いの絶えない年納定例会 「パークゴルフ楽しむ会」

    笑いの絶えない年納定例会「パークゴルフ楽しむ会」▲前列左から林勝さん、岩尾昭光さん、根本保さん、岩崎利明さん、釜原紘一さん、岩崎邦子さん。後列左から篠原守宏さん、岡米男さん、韮澤正さん白井健康元気村の「パークゴルフ楽しむ会」(代表・岩崎邦子)は12月29日、オスカー・パークゴルフ場船橋コースで年納の定例会を楽しみました。同会では、毎週金曜日に定例会を開き、第3金曜日に競技会を実施しています。しかし、今年の12月は金曜日が5回もありました。そこで「年納親睦パークゴルフ」を行うことに。暮れもすっかり押し詰まってはいましたが、ご都合をつけて参加した人が9人も。薄雲が張っていて寒かった前日とは違って太陽が燦燦と降り注ぐ好天気でした。9人だったので次の3組に分かれてプレーすることに。【1組】韮澤正釜原紘一岩崎利明【...笑いの絶えない年納定例会「パークゴルフ楽しむ会」

  • テレビの買い替えは自己搬入で 【連載】腹ふくるるわざ(53)

    【連載】腹ふくるるわざ(53)テレビの買い替えは自己搬入で桑原玉樹(まちづくり家)「家電製品リサイクル法」って何?テレビを買い替えた。我が家にはテレビが4台ある。いずれも古いものばかりだ。その1台がついに寿命を迎えた。買ったのは2006年だから17年前。まだ液晶テレビの値段が1インチ1万円もする時代だったので、37インチで38万円もした。そんなテレビが調子を崩し始めたのは7年前くらいだろうか。時々映らなくなる。テレビから出る排熱を逃がしにくい配置で使っているせいもあるのだろうと、休み休み使っていた。しかしそれもやがて効かなくなった。たたいてもダメ。ついに出張修理を頼んだ。基盤を交換したら、また映るようになった。あれから7年。また映らなくなった。再び基盤を交換するより、新しく買った方が良さそうだ。そこで、購...テレビの買い替えは自己搬入で【連載】腹ふくるるわざ(53)

  • これは「聖夜の奇跡」か? 写真集の中から驚きのメモが

    これは「聖夜の奇跡」か?写真集の中から驚きのメモが山本徳造(本ブログ編集人)昨夜はクリスマスでした。私はキリスト教徒ではありませんが、妻がカトリックの高校に通っていたので、聖夜を祝うことに。ま、仕方がないでしょう。日本人は八百万の神を信じているので、何事にも寛容です。そんなわけで、聖夜を祝うことに。前夜、大好物の生牡蠣をたっぷり味わったので、赤ワインと簡単な料理でささやかな晩餐を楽しむことにしました。今年はキナ臭い出来事に事欠かないので、食卓の話題もついついガザのことになってしまいます。ハマスもイスラエルも、双方とも強硬な姿勢を変えないので、パレスチナの一般市民に大勢の犠牲者が出ています。イスラエル軍兵士の戦死者も予想以上の数に上っているとか。ガザの影響はヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムにも及ん...これは「聖夜の奇跡」か?写真集の中から驚きのメモが

  • 空前絶後の2打4連打も 「パークゴルフ楽しむ会」第16回競技会

    空前絶後の2打4連打も「パークゴルフ楽しむ会」第16回競技会▲前列左から篠原守宏さん、岩尾昭光さん、根本保さん、岩崎利明さん、岩崎邦子さん。後列左から韮澤正さん、岡米男さん白井健康元気村の「パークゴルフ楽しむ会」(代表=岩崎邦子)の第16回競技会が12月22日、オスカー船橋パークゴルフ場で行われました。同パークゴルフ場は人気があって予約が取りにくいのですが、何かと忙しい年末なので敬遠するグループが多かったのか、比較的空いていました。おまけに、この日は風も無く、最高のプレー日和です。競技会の参加者は7人。組み分けはいつものように、グーとパーのじゃんけんで決めました。【1組】岩崎利明岩尾昭光岩崎邦子【2組】篠原守宏根本保韮澤正岡米男組み合わせを見ると、1組目は80歳をとっくに過ぎた高齢者の3人組。2組目は70...空前絶後の2打4連打も「パークゴルフ楽しむ会」第16回競技会

  • 防弾ガラス越しに見た街 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉞

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉞防弾ガラス越しに見た街ボゴタ(コロンビア)▲コロンビアの地図▲ボゴタのボリバル広場▲どこにでもあるオフィス街だが…プラント・エンジニアリング企業の業界団体が組織した調査ミッションの一員として、コロンビアとメキシコを訪れたのは、今から20年前のことである。「中南米諸国に対する我が国プラント業界の市場戦略と競争力の課題調査」。それが私たちの仕事だった。コロンビアでは当時、1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦が50年以上も続いていた。80年代から90年代には麻薬戦争による暴力が横行していたので、世界で最も危険な国の一つと言われたほどだ。私たちが当地を訪れる2年前、日本人が被害にあっていた。2001年2月22日、自動車部品大手、矢崎総業の現地合弁会社「矢崎シ...防弾ガラス越しに見た街【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉞

  • 四万温泉ドタバタ旅行記 白井健康元気村「秋の懇親旅行」

    四万温泉ドタバタ旅行記白井健康元気村「秋の懇親旅行」川鍋文明(自称「白井の寅さん」)▲上野のバス乗場に集合はい、全員集合!この日、集合場所の上野バス乗場に「白井健康元気村秋の懇親旅行」(12月10日~11日)の参加者が集まった。玉井秀幸村長をはじめ、釜原紘一さん、能登昭博さん、柳原三郎さん、根本保さん、林勝さん、笠井義久・まり子さんご夫妻、そして今回の世話人となった不肖、川鍋文明の総勢9人である。当初、私と一緒に世話人をする予定だった副村長の吉田司さんだったが、体調不良で参加を取り止め。そんなわけで、私一人でこの大役をこなす羽目になった。凡人なら緊張と不安で頭が混乱し、ちょっとしたことにも対処できず、逆上しまくってパニックに陥ることだろう。しかし、自称「白井の寅さん」こと、川鍋文明は男だ!予期せぬ事態に直...四万温泉ドタバタ旅行記白井健康元気村「秋の懇親旅行」

  • 心臓にやさしい「食事」「入浴」「睡眠」 千葉白井病院の杉山浩二医師再び

    心臓にやさしい「食事」「入浴」「睡眠」千葉白井病院の杉山浩二医師再び▲小麦の成分を解説▲入浴した場合と入浴しなかった場合を比較▲心臓にいいフルーツの選び方白井健康元気村は12月16日、ウェルぷらっと(白井市健康福祉センター)で健康教室を開催しました。千葉白井病院循環器内科の杉山浩二医師が講師です。杉山先生は昨年10月にも「心臓の話」を講演、大好評だったので再度の登場となったもの。今回も昨年と同じく千葉白井病院との共催で、テーマは「心臓と生活」。さて、健康な心臓を維持するには、一体どんな生活を送ればよいのでしょうか。日常生活に欠かせないのは、まずは食事です。人が生きていくのに食事でちゃんとした栄養をとらなければなりません。では、どんな食事をすれば心臓に丈夫に保てるのか。反対にどんな食生活が良くないのか。もち...心臓にやさしい「食事」「入浴」「睡眠」千葉白井病院の杉山浩二医師再び

  • アナタ ウレシイ ワタシ クルシイ 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉝

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉝アナタウレシイワタシクルシイ台北(台湾)台北には、日本人相手の酒場が数百件軒を並べる林森北路という一画がある。日本統治時代には「大正町」と呼ばれた日本人街で、平行する形で6本の通りがあるため、「五条通」「六条通」「七条通」「八条通」「九条通」「十条通」と呼ばれていた。そこには、怪しげな日本語を操る小姐(シャオチェ=ホステス)たちがいて、単身赴任の寂しい駐在員を慰めたり、元気づけたり、おのぼりさんの出張者たちを陽気にもてなしてくれる。多くの台北駐在員は、別名「林森大学(リンセン・ターシュエ)」と呼ばれるこの街で中国語を覚える。数年の駐在を終えて帰国するころ、ある程度中国語が話せるようになっていれば、「林森大学卒業」の称号が与えられる。▲林森北路のマクドナルド(麥當勞)から飲...アナタウレシイワタシクルシイ【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉝

  • アンソニー・トゥ回顧録⑤ 「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス

    2023-12-07「TheNewsLens」政治・国際アンソニー・トゥ回顧録⑤「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス杜祖健(AnthonyT.Tu)筆者紹介台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の三男。台湾大理学部卒後、渡米。ノートルダム大、スタンフォード大、エール大で化学・生化学を研修。ヘビ毒研究を中心に毒性学および生物兵器・化学兵器の世界的権威として知られ、松本サリン事件解明のきっかけを作った。「毒サリン、VX、生物兵器」(角川新書)など著書多数。【注目ポイント】日清戦争(1894~95)の結果、下関条約によって台湾は1945年まで約半世紀の間、日本の統治下に置かれた。戦前から戦後にかけて台湾医学の先...アンソニー・トゥ回顧録⑤「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス

  • 100キロ先のムール貝 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉜

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉜100キロ先のムール貝アムステルダム(オランダ)、アントワープ(ベルギー)オランダのアムステルダムに駐在したのは、1979年の晩夏から足かけ2年である。当地でのランチは、お客様である某自動車会社の立派な従業員用canteen(食堂)で食べることが多かった。最初の数日こそ、物珍しさもあって、楽しんで食事をしたのだが、だんだんcanteenから足が遠のいた。数種類のパン、ハムとチーズ、油でギトギトの春巻き、細長い俵型や丸形のパサパサの味無しコロッケ、ゆで卵、野菜スープ等、来る日も来る日も同じような食べ物ばかり。変化と言えば、せいぜい、スープがトマト味から塩味に変わることくらいだ。ある日、ランチのテーブルを挟んで、オランダ人マネージャーとcanteenのメシの話になった。「ここ...100キロ先のムール貝【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉜

  • 「白井の寅さん」になりたくて 【村民の声⑨】

    【村民の声⑨】「白井の寅さん」になりたくて川鍋文明八千代市から白井に引っ越したのが、平成3(1991)年のことだった。早いもので、白井市民になって、もう32年になる。セールス一筋だったので、白井で事業を始めたときも、これまでの経験を生かそうとが無我夢中だった。自然とビジネス面で幅広い人脈を築くことができたと言えよう。今では、白井市内で行われるふるさとまつり、七福神まつり、産業まつりなど、白井市内で行われる行事に出店して、すっかり街に溶け込んだ。もはや白井は生まれ育った東京よりも身近な存在になっている。▲なし坊グッズ販売で白井ふるさとまつり(今年10月)に出店。左が手伝いに来た白井健康元気村の藤原雄介さん(グリーンレンジャー代表)人脈が広がったのは、ビジネスの面だけではない。仕事を離れた個人的な交遊も充実し...「白井の寅さん」になりたくて【村民の声⑨】

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