私の夫はアメリカ人で、重度のアルコール依存症。回復どころか、ゆっくりと破滅へ向かっています。
2022年12月
夫がアルコールとは無縁の生活を送るに伴い、私も、アルコールのことはあまり考えないようになっていった。 苦しくて、誰にも言えない想いを書き綴っていたこのブログも、苦しみが薄らいできたから、もう手に付けることもなくなっていた。 それだけ私も回復してきたのだと思います。 どんなに苦しくても、きっといつかはそれが過去のことになる。 夫がアルコール依存症を発症してから12年。 6年目には仕事を失い、健康を失い、信用を失い、お金を失い、夫はアルコール依存症によって、沢山のものを失った。 無職だった6年のうち、最初の3年は堕ちるだけ堕ちての地獄の日々。そして最後の3年は、緩やかな回復の日々。 そしてそれはき…
本当にどん底だった。 自分たちが世間から置いてけぼりになっている感覚。苦しみを誰にも話せない辛さと孤独。酒浸りで廃人になっていた夫への失われていく信用と怒り。助けてくれなかった、唯一状況を知っていた夫の家族へのいらだち。こんなに苦しい思いをせずに、普通の暮らしができたらどんなにいいだろうと思っていた。 当時の私は派遣社員で、一日に5時間しか働いていなかった。そして夫は無職。 フードスタンプと呼ばれる、政府からの低所得者への食料の援助の申請をすれば、おそらく通ったと思われるのだが、私はそれをしなかった。幸い、食べ物に困るほどの貧困状態ではなかったし、そこまで落ちぶれたことはしたくないという、変な…
それにしても、私も頑固というか、我慢強いというか、よくここまで耐え切ったと自分でも思います。 酔っていない夫は、頼もしくて一緒にいて気がラクだった。だから、アルコールさえ飲まず、普通の夫のように働いてくれていたら、平和で幸せに暮らせると分かっていた。 だから地獄の日々があっても、どんなに人から別居、離婚を勧められても、夫が断酒さえしてくれれば全てがうまくいくと信じて必死だったのだと思います。 あとは、やはり共依存で私も病んでいたからでしょうね。だから、きっとどこかで正常な判断ができていなかったのかも知れません。 あの頃の私に何か言えるとしたら、「もうあの夫のことは見放して、自分の幸せを考えてい…
2022年12月
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