私の夫はアメリカ人で、重度のアルコール依存症。回復どころか、ゆっくりと破滅へ向かっています。
アルコール依存症からの回復を目指している方々は、今日一日、飲まないでいられるようにと、日々飲酒欲求と闘っている。飲まない日々を毎日数え、ああ、今日も飲まずにいられたと、明日のことは分からないけれど、今日は飲まない一日が無事に終われるんだと、そんな風に毎日を生きている。 無情にも襲ってくる飲酒欲求は、ストレスなどがキッカケとなり、再飲酒へと逆戻りしてしまう。 そして、そこからまた地獄の日々が始まる。 この病気になってしまった彼らにとって、飲酒は致命的な行為であり、それを分かっていながらも、命を削りながら、自分の意志に反して、飲まずにはいられなくなる。 飲酒の副作用は恐ろしく、脳を委縮させ、人格崩…
私は去年の秋あたりから、徐々に、ほんの一握りの人達だけになのだが、信頼のおける友人達に夫のことを話し始めた。 話せるようになってきたのは、夫の状態が少し落ち着いてきたからだ。 これが一年前だったら、苦し過ぎてまだ話すことはできなかった。 今振り返ってみると、夫の状態が一番酷かったのは、2016年の暮れ~2018年の夏にかけてだった。今でも夫は問題を抱えており、夫の病気は一生ついてまわるものだが、あの酷い時に比べたら、今は夫がシラフでいる時間が長くなり、それだけで平穏な時間が過ごせている。私の幸せの基準が大幅に下がってしまったのかも知れないが、夫が断酒してくれているだけで、私は安らかな幸せを感じ…
夫が一番最後に医師の診察を受けたのは、会社から救急車でERに搬送された、2016年8月のことだった。ここでも以前大まかに書いたのだが、かなり割愛してあり、あの日の出来事とそれ以降の夫の様子は、今思い返しても胸が苦しくなる。 それから約2年半の間、何十回も離脱症状があったにも関わらず、夫はどんなに酷い状態でもERに行くことを拒否し、健康診断にさえ行かなかった。 アルコール依存症は否認の病気と呼ばれ、通常アルコール依存症者は自分がアルコール依存症であるということを認めたがらないそうなのだが、これは夫には当てはまらず、夫は最初から素直に自分がアルコール依存症であるということを認めている。 むしろ、「…
私はアメリカは嫌いではない。むしろ、元々好きだったからこそ渡米して来たという過去がある。 アメリカ人の大らかで適当なところは、良くも悪くも受け入れて来たし、郷に入れば郷に従えで、ここでの暮らしに、自分を順応させてきた。 そんな私ではあるのだが、在米歴20年を前に、未だに我慢ならないことがある。 到底理解できない、アメリカ人の衛生観念についてである。 アルコール依存症とは関係ないのだが、それは私のストレスを助長させる、大きな要因となっている。 彼らは、家の中を土足で歩くということは言うまでもないのだが、何故か、外では裸足で歩くことがある。室内が土足で、屋外は裸足って!?と、全く理解ができない状況…
我が家には、セキュリティカメラが数台設置してある。 防犯のためというより、昼間みんなが不在中に、犬達がどう過ごしているのかを見たいという、遊び心で設置したものだ。 犬達は、私達が外出から帰って来ると、必ずベイウィンドウ(出窓)に座って外を眺め、私達の帰りを待っている。 果たして私達が外出してから一日中ずっとそこにいるのか、それとも、私達が想像だにしていないことをしているのか、誰にも犬達の一日の様子は分からなかったのだが、カメラのお陰で、彼らの実態が判明した。 『彼らは、私達の不在中、ずーっとベイウィンドウに座って外を眺め、私達の帰りを待っている』 のだ! 目新しくもない発見ではあるのだが、カメ…
夫は2019年の目標として、アルコール依存症からの回復、そして、社会と仕事に復帰することをあげている。 期待をしても、今までに何度も失望させられてきたから、私はそれをただ黙って聞いている。 それでも、彼の前向きな気持ちを聞いて少し安心する。 仕事復帰にまでは辿り着かないかも知れないが、今はただ、断酒を続けて行って欲しい。 この病気の進行に、これだけの長い年月を費やしてきた。 回復にも時間がかかって当然なんだと、そんな風にゆったりと構えながら、これからも毎日、One day at a time(1日ずつ)で夫の回復、そして私と娘の回復を目指して、ゆっくりとでも前に進んでいけたらといいなと思ってい…
かつて私達が日本に行く時、いつも空港まで車で送ってくれ、また、迎えに来てくれていた夫は、ここ数年の日本への里帰りでは、もうそれができなくなっていた。 夫が離脱症状で苦しんでいる最中、義母に夫の様子を見に来てもらい、運転ができない夫の代わりに急遽、事情を知っていた友人に、朝早く空港まで車で送ってもらった時もあった。あの時は、苦しむ夫を残して日本へ経つことへの罪悪感と、ここまで堕ちてしまった夫を想い、後ろ髪を引かれる思いで、空港へと向かう車内で泣いた。それが、夫が私達を空港まで連れて行けなくなった最初の時だった。帰りも夫は迎えに来てくれることができずに、私は友人に空港まで車で迎えに来てもらった。 …
2019年、冬。 私と娘は、4年振りのお正月を日本で過ごしていた。 今回の滞在は2週間。年末年始で慌ただしいながらも、夫から解放されて、平和に過ごせるはずだった。 断酒がある程度継続できたアルコール依存症者なら、きっと誰もが一度は思うことなのだろう。 「ずっと断酒しているから、もう治ったんじゃないか?」 「一杯だけなら、飲んでも大丈夫なんじゃないか?」 そして私達が日本へ経つ少し前に、夫は見事、再飲酒してくれました。 一旦アルコール依存症になってしまうと、もう二度と普通の人達のように飲酒をコントロールすることができない。 それを十分分かっていたはずの夫は、ビール一口だけなら大丈夫なのではないか…
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