日々出会う、植物たちの「たくましさ」と「美しさ」を再発見する、ハードボイルド・ボタニカルライフ。
明石の小さな漁港から歩いて3分、ささやかな庭のついたマンションでうちの植物や他所の植物に癒されて暮らしています。
夕陽が沈む頃、すでに月が東の空高くにあった。偶然飛行機が映り込む。何処へ向かうのか、何処かへ還るのか。9月ももう終わろうとしている。太陽と月
今年はバッタにやられたのか今までまるで元気がなく花もつけなかった黄色のハイビスカス。この時期になって花をつけはじめた。虫どもが減って食い荒らされなくなったのかもしれない。連れ合いは「死ぬ前の一花ではないか」と嫌なことを言う。困難があっても時期が来れば花は咲く。演歌の歌詞みたいだけど。植物たちに教えられることはかなり多い。植物たちに教えられること
朝の四時から猫に起こされた。寝ている時は妻のベッドにいるのに、朝ごはんをねだるのは決まってこちら。猫は賢い。誰が一番いうことを聞いてくれるかを場面ごとに察知しているような気がする。二度寝も出来ず起き出して淡いピンクに明けてきた空を見上げながらレコードをかける。グールドのゴルドベルグ。バッハのピアノ曲。晩年の生涯二度目の録音版。優しく、しかし力強いピアノ。ピアニシモとはこういう響きなのだと思わされる。予想通り静かに迎えたい土曜日の朝にぴったりだった。寝起きはともかく。猫とバッハとグールドと
特に遠出をすることもなく終わる連休最後の夕方。ご近所を散歩藤江漁港。老人たちが漁具のお手入れ。親子連れが海辺の遊歩道を散策。視線の先は…見上げれば立派なススキ。お天気は下り坂で明日から雨模様。のんびりとサギが飛んで行った。散歩
ハイビスカスのある風景。中南米系のトゲ族に囲まれて文字通りの「紅一点」。綺麗さも際立つ。紅一点のハイビスカス
去年の初夏に発芽したディッキアの実生。1センチほどに育ったので間引きをして植えかえた。随分大きくなった。うちの親株から採った種が発芽した子たち。可愛くて仕方がない。大きくて元気そうなのを選んだが、大半は処分することになった。捨てるのは断腸の思いであるが仕方ない。これも生き物を育てることの一部なのだ。植え替えた子たちに兄弟の分まで強くたくましく生きてもらおう。ディッキア実生から1年後
本日は休業です(TT)
朝開いた花がお昼には満開に。そして夜には萎れてしまう。いっそ潔い。ランポー満開
ランポー玉が三たび開花した。コブが五つあってその天辺から花が咲く。最初は一つ、次は二つ同時に咲き、今度は一つ。ということはあと一つ花が見られるということか。気前のいいランポー玉、花も身体も明快でかわいいやつだ。ランポー玉、三たび開花
本日もRecordBAR開店しました。秋というにはまだまだ夏の名残りが色濃いですが、オープニングは百恵ちゃんの「秋桜」なんてきれいなんだろう。アルバムジャケットのサイズ感がまたいい。CDやオンラインでは絶対表現できない世界で、それは一つの作品だと思う。本日もRecordBAR開店しました
昨日何気に歩道の街路樹を見上げたら木蓮のような花が満開に。春を告げる花が何で今頃?調べてみると夏場に狂い咲きすることがあるようだ。長い雨の後の長い猛暑日と熱帯夜で身体のサイクルが狂ったのか。何にしても通りに樹木の花があるのはいい。曇天でも気分は明るくなって心地よい。木蓮が狂い咲き
台風が来ると言うので避難させていた鉢を並べ直す。ついでに草むしりをしてすっきりとした。翌朝見ると東の日差しを浴びて幸せそうだ。ランポー玉に2回目の花が咲いた。しかも2つ同時に。パッと開いて翌朝は萎れてしまう潔さが好きだ。泰然とした本体もかわいい。小庭をお手入れ
熱帯夜もやっと終わり気温25度となった朝、モッコウバラの枝にとまったアゲハチョウ。正面側に回り込んだらパタパタと優雅に飛び立った。朝を告げる鳥ならぬ蝶の色鮮やかさに目が覚めた。朝の使者
日の出前、南西の空にまだ明るい月。くっきりと明るい朝の月。既に満月から3日ほど欠けているが次の満月は10月1日、中秋の名月となる。その頃には涼しくなっているのだろうか。台風があまり暴れませんように。朝の月
道端にチェリーセイジ。別名「ホットリップス」。かわいい唇のように咲いていた。ホットリップス
植物たちには特に変わったところのない朝。台風から遠く離れた兵庫県でも風が少し騒がしい。先週末に撮ったお気に入りのディッキアたち。夏の光と水が好きで、春より少し大きくなった気がする。特に色がきれいになった。いかつく美しい。大好きなディッキアたち。お気に入り
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