1977年8月の阪急伊丹線の写真です自分がまだ中学生の時で、カラーネガの状態があまり良くなく画質が良くないのが残念です。 610系610 前面非貫通は610と660の2両だけで、のちに広電へ行った210も同
5月半ばを過ぎると庭に鳥がたくさんやってくる朝から至近距離で鶯に泣かれると休日は早朝から起きざるを得ない。鳥が来る理由は、庭にあるユスラ梅とサクランボが目的の様である。初めのころはサクランボが色づき始めて、明日取ろうかなと思っていたら、朝に
その2 左上:イルミネーション取り付けにはグリル側も加工が必要となります。指先の部分を開口する。右上:LEDの光源ユニットの出っ張りを通すための穴が必要となります左下:10mmのホルソーで2か所
C27グリルイルミネーションはグリルの両サイドの青色LEDのイルミネーションでオプションカタログでは5万円を超える装備であります。要するにスモールに連動してLEDを光らせるものである。未使用の中古品を入手したので早速取り付けてみることにしま
1981年6月11日の交野線訪問の記録です。 今では付近の宅地化も進み同じアングルでは撮影できないところも多くなったようです。個人的には少し前の印象ですが、すでに40年以上前のこととなる。河内森付近の絵です
5月8日 10日目の朝である。今日は雨から晴れへの天候回復の予報である。 石川県白山市から自宅への行程である。 白山市の民宿「獅子吼荘」の朝食。今回の旅行では高級な旅館のそれより民宿の食事がとにか
5月7日 9日目の朝である。今日一日雨の予報である。 新潟五泉市の咲花温泉から石川県白山市迄の行程である。安全運転で行きたいものである。距離があるので移動の一日となる。 咲花温泉 平左エ門の朝食。
宮下から柳津の中心街付近で昼食をとり、坂下から再び49号を新潟方面に進む。磐越西線 徳沢駅付近から線路沿いに459号を走ることにする。沿線には明媚な景色が多い。 柳津宮下付近寸景 &n
5月6日 8日目の朝を迎えた。今日曇りから午後雨の予報である。 福島の飯坂温泉から新潟五泉市の咲花温泉迄の行程である。安全運転で行きたいものである。 飯坂温泉 橋本館の朝食。至極まともな旅館の朝ご
大船渡 盛から南三陸町へ 南三陸防災庁舎は、2013年の訪問時は瓦礫が片付けられた広大な平地にポツンと立っていたが、今は公園に整備され近くに道の駅ができたこともあり多くの人が見物に来ている。ただ、以前は多く
5月5日 7日目の朝を迎えた。今日も晴れである。 今日は、大船渡から福島の飯坂温泉迄の行程である。安全運転で行きたいものである。 住田町の高橋旅館の朝食。コメが旨い。今までで一番おいし
5月4日 6日目である。今日も晴れである。今日は八戸から大船渡の盛から住田町への行程である。安全運転で行きたいものである。 八戸パークホテルの朝食。ごはんみそ汁に卵の乗ったパンとサラダが付く。なんとも不思議
5月3日 5日目である。今日も晴れである。今日は竜飛から青森を経て八戸への行程である。この時期 東北の朝はまだ寒く、1〜2度になることも珍しくなかったが、昨日も今日も10度位あり関西と変わらない温かさである。 &nbs
その4の続きであります 国道339号で金木から竜飛へ金木ではやはり太宰の斜陽館は外せない。記念館になってから訪れるのはなんと初めてである。と云うのは、かなり昔ですが、宿として営業していた時代に宿泊したことがあります。ただ、中を見学
5月2日 4日目である。晴れである。今日は秋田から青森竜飛崎への行程であります。国道7号を北上して能代から秋田道を併用しながら大館、弘前から五所川原を抜けて339号で竜飛へ向かう。津軽へは2013年以来10年ぶりである。初めて来たのは198
5月1日 3日目の朝である。晴れである。今日は村上から秋田への行程である。345号を鶴岡に向けて北上して、景色の良いところで休憩しながらの道中になりそうである。 村上の大和屋旅館の朝食。みそ汁の海藻が山盛りで少なからず
4月30日 2日目の朝である。 今日は朝から雨である。気になるところがあれば立ち寄るが、今日は移動日にするしかないか。越中宮崎から新潟県村上市の瀬浪温泉までの行程である。 越中宮崎の民宿の朝食。朝から魚のフライは少しき
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1977年8月の阪急伊丹線の写真です自分がまだ中学生の時で、カラーネガの状態があまり良くなく画質が良くないのが残念です。 610系610 前面非貫通は610と660の2両だけで、のちに広電へ行った210も同
3月の終わりには季節外れの暖かい日が続いたので、庭の花も一気に芽吹き始めた。 照手桃 照手桃 ユスラウ
能勢電7200の第4編成、第5編成として7210+7260と7211+7261の2連2編成が運用を開始しました。昨日29日に妙見口駅でお披露目があったようだが、どうもイベントは好きではなく翌日の今日覗きに行ってきました。能勢電では初めて列車
今日 会社帰りに平野駅の7210が外に出ていたのでスナップしてみました ラッピングシートを張る前に洗車していたのだろうか 床下機器もピカピカで何やら嬉しくなる編成です &nb
データ専用で使っている携帯電話のバッテリーが膨張してしまいました。ケースに入れていたので気づかなかったが何やらすわりが悪いので取り出してみたら「あら、まあ」である 電話はモトローラのMOTO G50であるが
手持ちのセコニックL-398であります1980年購入でペンタックス67と共に80年代 散々活躍した入射光露出計だったが、デジタルを使いだしてから次第に出番が減ってしまい近年は保管庫の隅で寝ている毎日でした。最近取り出してみるとどうもセレンの
前回試作を兼ねて製作しましたが、改良を加えてダメバッテリーの改造を量産することに。 まず電極は試作では見栄えも悪かったので新たに製作することに。Φ16のフッ素の丸棒を5mm厚に切って4mmの穴を開けてカシメボタンでリード線
新年おめでとうございます。 ロシアの侵攻、中東の戦争。国内に目を向ければいつ起きてもおかしくない南海トラフ地震など不安な要素も多い中、今年こそは良い年になればと思っております。 私事、一昨年定年を迎え、嘱託として仕事を続
ニコンのデジタル一眼レフ「D1」「D1X」などに使用のバッテリーである「EN4」は次第に入手が困難となりつつあります。当時50万円以上払った同カメラは主力は退いたものの一族の一員として大切に維持しているがバッテリー問題は深刻で何とかならない
Nikkorの80-200mm2.8をいつもの定点で使ってみました。随分と長いタイトルとなってしまったが、この80-200mmF2.8の歴史は意外と長く1982年に始まり、カメラ側モーターを使ったAFが長く続いたが1998年12月このレンズ
KONICA UC HEXANON ZOOM 80-200mmF4 をいつもの能勢電定点で使ってみました。 昨年4月、定年を迎えのんびりするどころか6割の給与で今まで以上になぜか忙しくなったこの頃です。暫く休んでいましたがようやく
毎日酷暑が続きます。外に出ると唇がヒリヒリするくらいの暑さである。明らかに暑くなっている。しかしその暑さの中元気に植物は育っています。庭のカラスウリも4年目になるが今年も花をつけました。 18:
和歌山県も串本町から東に行くと次第に海岸線は南北に変わってくる。新宮駅も多分に漏れず大まかには南北に位置する。今回は駅を出て海の方向に歩いてみることにしました。 駅前を東に向いて「徐福公園」の隣から歩き始め
前出の熊野三山の一つ、熊野本宮大社へ行ってみました。新宮での仕事が早く終わったら近辺をうろうろしている毎日である。 鳥居の傍らには八咫烏(やたがらす)の旗がある。年に一度サッカー関係の方が参られ
熊野三山(那智大社、本宮大社、速玉大社)の一つ、熊野速玉大社を訪れてみました。熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主として祀る社であります。国道42号線熊野大橋の西岸にほど近い住宅街に存在します。 &
和歌山県新宮市、新宮駅の北側に国道42号まで伸びる商店街アーケードを有するのが中之町である。 アーケードの西端にはスーパーとしては規模の大きなオークワ中之町店がある。オークワと云えば隣の三重県鵜
和歌山県新宮市新宮駅のすぐ近くに「徐福公園」なる中華式の門を配する公園がある。秦の始皇帝にも使えた徐福が、今からおよそ2200年前に不老不死の薬を求めてこの新宮の地に渡来したとのことで、その後永住の地として定着したとのことであります。平成6
新宮駅の東北側に「丹鶴」という地域がある。空襲を免れた古い町並みである。仕事が早く終わったので散策に出かけることに。 取り立てて観光地に整備されたわけでもなくひっそりと古い町並みが続く。看板建築
能勢電鉄には最近廃止された黒川ケーブルや妙見リフト以外にその途中駅にシグナス森林鉄道なる鉄道がありました。鉄道と云っても鉄道事業法に則った鉄道事業とは異なり、遊具としての鉄道でした。能勢電鉄の有志が平野工場でバッテリー機関車とオープンの客車
最近ドアハンドルが水平に戻らないことに気が付いた。別に開閉できないわけではないがどうにも気になる。 ドアハンドルが水平に戻らなくなってしまった。どうやらリターンスプリングが弱ったのか
和歌山県も串本町から東に行くと次第に海岸線は南北に変わってくる。新宮駅も多分に漏れず大まかには南北に位置する。今回は駅を出て海の方向に歩いてみることにしました。 駅前を東に向いて「徐福公園」の隣から歩き始め
前出の熊野三山の一つ、熊野本宮大社へ行ってみました。新宮での仕事が早く終わったら近辺をうろうろしている毎日である。 鳥居の傍らには八咫烏(やたがらす)の旗がある。年に一度サッカー関係の方が参られ
熊野三山(那智大社、本宮大社、速玉大社)の一つ、熊野速玉大社を訪れてみました。熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主として祀る社であります。国道42号線熊野大橋の西岸にほど近い住宅街に存在します。 &
和歌山県新宮市、新宮駅の北側に国道42号まで伸びる商店街アーケードを有するのが中之町である。 アーケードの西端にはスーパーとしては規模の大きなオークワ中之町店がある。オークワと云えば隣の三重県鵜
和歌山県新宮市新宮駅のすぐ近くに「徐福公園」なる中華式の門を配する公園がある。秦の始皇帝にも使えた徐福が、今からおよそ2200年前に不老不死の薬を求めてこの新宮の地に渡来したとのことで、その後永住の地として定着したとのことであります。平成6
新宮駅の東北側に「丹鶴」という地域がある。空襲を免れた古い町並みである。仕事が早く終わったので散策に出かけることに。 取り立てて観光地に整備されたわけでもなくひっそりと古い町並みが続く。看板建築
能勢電鉄には最近廃止された黒川ケーブルや妙見リフト以外にその途中駅にシグナス森林鉄道なる鉄道がありました。鉄道と云っても鉄道事業法に則った鉄道事業とは異なり、遊具としての鉄道でした。能勢電鉄の有志が平野工場でバッテリー機関車とオープンの客車
最近ドアハンドルが水平に戻らないことに気が付いた。別に開閉できないわけではないがどうにも気になる。 ドアハンドルが水平に戻らなくなってしまった。どうやらリターンスプリングが弱ったのか
最近になって気が付いたことに、駅のアナウンスで「危ないので白線の内側に・・・・」から、最近は「黄色い点字ブロックの内側に・・・・」と変わっていることに気が付いて足元を見ると白線の無いホームが目立つようになったようであります。(今更か・・・。
串本ロケットは初号機は残念な結果となった。那智勝浦町浦神の旧浦神小学校跡地が見学場所として整備されたが当初はこんな離れた場所では何も見えないじゃないかと揶揄された様です。でも爆発事故の後は誰も文句を言っていないとか。
数年来、万年筆のコレクションをしています。ただ万年筆といっても海外製を含めると無数に種類があり、きりがないので、個人的に好きなプラチナの70年代までのショートタイプに限ったコレクションです。最近はオークションでも人気があるのか随分と値段が上
先日清掃したトプコールの200mmF5.6をいつもの定点で使用してみました。一眼レフ用の200mmで5.6はやや珍しい存在であります。すぐに思い出すのはヘキサノンのF5.6くらいである。初めは正直F5.6ではなー!。だったが、しっかりピント
先日JR川西池田駅にて見慣れぬバスがやってきた。会社は間違いなく阪急バスであるがどうも雰囲気が異なる。電気バスである。以前阪急バスが記者発表していたBYDとは別物の様である。 調べて
4月も終わりの時期となり庭の花も変化があります。 ムラサキツユクサ スズラン シャガ&nb
左上:ズーム鏡胴をセットスクリューで固定する。右上:ズームリングを取り付ける。左下:位置決めビスで位置決めしてセットスクリューでカムに固定する。右下:フォーカスリングを入れておく。
トプコンのREトプコール87-205mmF4.7をOHしてみることにしました。外観はどう見てもサンレンズの85-210mmF4.8に酷似している。状態は、オイルが全体に廻ってあちこちにじみが出ている。 &n
Topcor200mmF5.6が新加入となりました。200mmで5.6は少々暗いレンズとなるがどんなレンズか楽しみであります。 深いフードが組み込みで、フィルター径は49mmである。ゴムローレットは天然ゴム
その4 配線完了の図 コンプレッサの足を取付ける。ゴムで挟んで振動対策を行う。
その3補機類の取り付けを行う。 左上:操作パネルの材料を切り出す右上:常盤に直角に固定して左下:溶接で組み上げていく右下:パネルはアルミ板の端材を使う。取り付けの穴加工をする。 &nb
その2であります 鋼体の組み上げが終わった状態 コンプレッサは3段目から4段目に上げて固定するための受け台 各層の