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2017/07/18

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  • 種は蒔かなきゃ芽はでない

    民間ロケット「カリオス」の打ち上げは失敗に終わった。このロケットは宇宙宅配便の事業化を目指していると言う。なんだその宇宙宅配便とは、と頭に「?」マークがチラついた人も多いだろう。要するにいろんな情報を小型衛星に詰め込んで宇宙に届ける宅配事業だ。勉強不足で具体的にどんなメリットが我々地球上の個人にあるのかなどはまだまだわからない。ま、いずれにせよ打ち上げ後5秒で爆発、ロケットと積荷の小衛星はそれこそはかなく空の藻屑ときえた。宇宙振興企業の豊田正和社長は「会社として失敗と言う言葉は使わない。諦めることなく前に進んで行くので応援してほしい」と記者会見の場で言い放った。町おこしなども考えながら発射場を提供した和歌山串本町の人々の総出の応援姿をテレビで見た。子供達も沢山参加してカリオスへの期待感は並々ならぬものがあ...種は蒔かなきゃ芽はでない

  • 猫は「禅」とは何かを知っている

    3月に入っても寒い日が続いている。啓蟄の日が過ぎて土中の虫も低気温に出るタイミングをためらっているのではと想像をめぐらせていた。昨日は久しぶりに太陽が暖かい。我が家の道路を挟んで向かいの猫が屋根のひさしで昼の太陽をあびながらじっと座っている。屋根のひさしだからかなりの勾配があるように僕には見えるがお尻を下ろし前足で体を支えながらなんとも不安定な日向ぼっこだ。驚いたことにもう1匹、隣の家との境界の塀の上で、こちらは頬杖をついたような格好で目をつむって寝そべっているのだ。彼らは外の気温に敏感に反応するのだなぁ。春到来は花や草木が教えてくれると言うけれど、案外猫達もその一翼を担っているようにも思う。さて、陽光にまどろむ猫ちゃんからみると僕はどのように映っているのだろう、などと余計なことを考えた。僕は怠けているの...猫は「禅」とは何かを知っている

  • 美術館は余計なことを忘れる場

    先日の火曜日に書けなかったことがある。久しぶりに女房と二人で美術館に足を向けた。普通なら僕達の足では家から10分も歩けば行ける「東大阪市民美術センター」である。冷たい雨が降っていたので車で出かけた。『ひつじのショーン展』が目的である。イギリスの農家と牧場主と忠犬のピッツア(羊を監視しているというよりショーンの相棒的存在)、そして羊のショーンと仲間たちが繰り広げるコメディ・アニメーションが世界各国でTV放映されて大人気だ。これは登場キャラクタの動作の一コマ一コマを時間をかけて作るクレイ(粘土)のアニメーションである。テレビでは20秒のシーンを一週間もかけて制作すると言う。いろんなシーンや作者の考えなど写真と共に展示され、とくに物語が展開する牧場や農家などの展示に惹きつけられる。驚いたと言うか、さもありなん、...美術館は余計なことを忘れる場

  • もう一度、戻ってみたい頃がある

    昨夜の激しい雨の後、今朝も相変わらず冷たい小雨が降り続いている。特にすることもなくカーポートの下で雨に濡れる芝や植木鉢のくちなしの木の緑の葉にときどき目をやりながらボーと考えていた。日常生活の中で時間が淡々と経過して、一週間の経過が特に早いと感じる時がある。特に胸が高まるワクワク感はもう感じなくなったのはなぜか寂しいと思うことがある。多分、歳をとるということはそういうことなのかもしれない、と思う一方で朝早く我が家の前を駅に向かう若い人々や小学生の生活もみな平凡な同じことの繰り返しだとふと考えた。今の自分の何も変えずに戻ってみたいと思う”もう一度あの時”が人生にはある。高校生の頃、アメリカに留学して英語をマスターして世界で活躍したいなどと自分の夢を語っていた時に、「平凡に生きるということは案外たやすいことで...もう一度、戻ってみたい頃がある

  • 無病息災は欲張り過ぎ

    ブログのテーマが病院での観察が続いている。理由は簡単、今年に入って1月と2月は体調の良くない日が続いた。風邪を引いたり膝が痛くなったり、二月の後半に至っては帯状疱疹で病院だの鎮痛剤だのとどうも身体がすっきりした状態が続かない。昨日は泌尿器科の検査の結果がでた。特に取り立てて騒ぐような異常はなし、である。でも、本人は右の脇腹が痛い。帯状疱疹の痛みは人により身体のいろんな箇所に出るらしい。会計と薬を待つ時間が14、5分はあっただろうか。隣に座ったお年寄り(自分もそのうちの一人であることをつい忘れてしまう)の肩掛けカバンに「無病息災」のお守りがぶら下がっていた。お正月に神社に詣ってもらってきた物だろう。なんとなく感じた違和感は場所が場所、病院だからだ。息災とは仏力で災いを止めると言う意味だ。造語かどうかは知らな...無病息災は欲張り過ぎ

  • 病院時間という時間が存在する

    今日の1日は病院でのCT検査からはじまった。多分何事も深刻なことはないとは思うのだが、先日の帯状疱疹から右脇腹の痛みに腎結石の疑いがあるとのこと。歳をとると、前立腺や頻尿、など身体のいろんな箇所で金属疲労的な現象がが起こっている。血液検査などで表示される数字による健康の数値のように完璧な身体などほぼあり得ない。病院にいる人たちの観察はおもしろい。会計の前でスマホに「どこにいるのよ!」とどなっているご婦人がいた。想像するに車でこのご婦人を病院に送ってきた付き添いのご主人の姿が見えないことにいらだっているのだ。じっと待つことに我慢ができなくなったご主人が病院の喫茶室か売店にでも行って時間をつぶしているのだろう。スマホのおかげで待ち合わせがアバウトになった。特に病院などにいる時は、いつでもスマホさえあれば合流で...病院時間という時間が存在する

  • ペットの目、口ほどに物を言う

    昨日の昼、NHK-BSで映画『ボブという名の猫2』を楽しんだ。映画好きの人たちにとっては何を今頃、というレベルのものだろうが僕は初めてみる映画だ。猛烈なスピードで話が展開するこの頃のアクション映画とは一味違うなんとなく昔を思い出させるゆっくりペースの映画に懐かしさを感じた。それはいいとして、要するに、ストリート・ミュージシャンと彼のペットとなった猫がお互いを支え合って厳しい現実社会を生き抜いていくというお話だ。ペットとの暮らしは単に癒しの範囲にとどまらず人の生活に肯定的影響を与えると言われる。(良いことばかりではもちろんない。病気の治療費やフードもお金がかかる)いろんな世話に追われる一方で、毎日を楽しくし、心穏やかな日が増えた、生活が規則正しくなった、などの効用が指摘される。僕が子供の頃、我が家では犬も猫...ペットの目、口ほどに物を言う

  • 病院の待合で人は”我慢"を学ぶ

    忍耐、辛抱、我慢、根気、これらを試す所はど~こだ。と聞かれたら「長蛇の列ができるラーメン屋さん」などと答える人は健康な証拠だ。僕は絶対「病院の待合」と答える。僕も特に病院のお世話になる機会はほとんど無いほど健康には恵まれたと思っている。ただ女房のお付き合いではよく出入りした。昨日はとうとう僕自身のことで病院の皮膚科と泌尿器科の待合でぼぼ5時間ほどを過ごす羽目に陥った。帯状疱疹とそれに伴う横腹脇の痛みで診察を受けたのだ。僕が驚いたのは泌尿器科の混み具合である。僕の診察券の番号は69番、待合のスペースには30人を超える患者さんと付き合いの家族で空席などまるで見当たらない。多くの先着の人たちは喫茶室で30分は時間をつぶすと耳にした。順番待ちの時間が長くなることを覚悟して、この膨大な浪費時間をどのように過ごすかを...病院の待合で人は”我慢"を学ぶ

  • バイオリズムを下げる原因はどこに

    新聞を読むことから1日が始まるというのが僕の日課ではあるが、最近はどうも新聞のページをめくる作業にワクワク感がなくなった。戦争記事、外国で次々と名乗りをあげる強権主義のリーダー達、国内に目を転じてみると政治にまつわる裏金問題。テレビも然り、ニュースも能登地震の復興に向けて励む人々の姿以外には、耳を疑う悲惨な幼児や児童虐待の話など気が滅入る話のオンパレードだ。僕のバイオリズムに少なからず影響を与えるのでテレビを消す時間が増えてきた。そうそうもう一つ、書き忘れていたことがある。僕自身が帯状疱疹でここ数日苦しんでいるのだ。どこでどのように感染したのか定かではないが、とにかく身体の右半分の背中にかなり重傷を思わせる疱疹が広がっている。とにかく痛い。病院で処方された薬の中にカロナール錠という鎮痛剤があるが、指示通り...バイオリズムを下げる原因はどこに

  • 断捨離とは捨て難いものを見つけること

    今年も暇な時間があれば断捨離を継続している。とにかくいろんなものを溜め込むのが人間だとはいうけれど、僕もご多分にもれずあれこれ溜め込む趣味はひけをとらないと自慢にもならない性癖に反省しきりである。先日は柱にかける幅10cmあまりの長さ24、5cmのカレンダーの束を保管している箱を見つけた。日めくりのように一週間づつ破いていくタイプで表紙も発行元もわからなくなっている。ただ破いたその月や週の気に入った名言を溜め込んできたのである。種類は歴史上の武将の名言から、文学者や詩人の名言、哲学者の物など数種類に及ぶ。保管箱の一番上で見つけた古代ローマの詩人(マルクス・ウァレリウス・マルティアリス)の一言が書かれた平成26年度のカレンダー、その名言は「1日1日その日限りの贈り物がある」。そしてその下にはフランスの道徳家...断捨離とは捨て難いものを見つけること

  • 黒色ドレスで結婚する女性

    先日,読売新聞を読んでいて、それこそ腰を抜かしそうになった。花嫁が黒いドレスで結婚披露宴に臨むという。そんな花嫁が徐々に増えてきているのいうのだ。古今東西、花嫁は「純朴、純潔」を表す白いドレスで出席の皆さんにお披露目というのが常識だと思っていた。”常識の縛り”からの解放が現代のやり方だ。人と同じ服装を嫌うアメリカ式思考のことが頭をよぎった。学校で友達が着ているジャンパーが欲しいという子供に母親が、「あなたは彼と同じでいいの?」などとたしなめているのがアメリカの躾だと思って納得している時期があった。それはそれとして、結婚式に黒が避けられたのはその色が何か不吉な事や悲しみと結びつくという固定観念からだろう。一方、白色は「あなたの好きな色に変わります」、日本の花嫁の白むくは「嫁ぎ先の家風にそまります」、結婚をき...黒色ドレスで結婚する女性

  • 悩みは単なる空想だ

    毎日家の付近を掃除するのが日課の僕を悩ますことが一つある。タバコと噛み終えたチュウインガムのポイ捨てだ。毎日ではないがかなり頻繁だ。どちらも早朝に駅に向かう人物の仕業だと思われる。タバコの方は辛抱強く拾っていればいいのだが、ガムは一度それを踏んで靴の裏から取り除くのに往生、困ったたことがあった。アメリカにいた時にチュウインガムを噛んでいないと落ち着かないという人が友人がいた。彼に言わせるとガムを噛んでいると自分の脳が働くように思うということだった。単に何らかの拍子に噛むようになってそれが習慣化して癖になっただけのことだとぼくは思うのだけれど。人と話しながらガムを噛むということはマナーが悪い印象がある。しかし考えようによっては確かに集中力を高めたり悩み軽減やストレス発散の効果があるのかもしれない。デスクワー...悩みは単なる空想だ

  • いつでも飛び出せるパジャマ買う

    今朝も空を見上げて能登地震で被災された人々へしばし僕なりの思いを寄せた。遠く離れた大阪に住んでいて、おまけに歳をとって何もできない無力感にときどき溜め息をつく。このブログではつとめて地震のことはふれないようにしてきた。でも、ふと思い出した、僕が小学校に上がるかどうかの頃(僕と同年齢の人達は覚えているかどうかは定かではないが)なぜか僕の記憶では冬に大阪がかなり激しい地震に繰り返し襲われることがあったと覚えている。寒くて外に出て震えていたことや、家がミシミシと音を立てる様子などを割合鮮明に覚えているのだ。そこで僕が子供の頃の地震に関する親の教えについて出来る限り思い出してみた。激しい揺れのときには襖(ふすま)や引き戸がピシャと閉まったり開いたり、壁掛けの時計の振り子が気が狂ったように振れて音を立てる、などと怖...いつでも飛び出せるパジャマ買う

  • 面倒を見やすいボケの盆栽

    スーパーの外にある園芸コーナーで可愛いいボケの盆栽をみつけた。15、6年前まで母屋の前栽の片隅にピンクの花を咲かせるボケがぼくのお気に入りだった。残念ながら今はない。今日手に入れたボケの盆栽は赤い花を咲かせるらしい。長寿祝いなどという広告がはりつけてあった。最近は使う言葉に注意しなければならないけれど、ボケの花の”ボケ”は老人ボケや認知症と結びつく。話はあちこちに飛ぶようで気がひけるが、60年も前に僕がアメリカ留学中に世話になった家の奥さんが晩年認知症を患って2年ほど後に他界された。同じことを何度も何度も聞くタイプの痴呆であった。それでも不思議なことで40年ぶりに家族を訪問したときに僕たち夫婦のことは名前はもちろんなんでも覚えているのだ。まわりの息子娘達はただただ驚くばかりだった。さて本題の盆栽だが最近は...面倒を見やすいボケの盆栽

  • 動きを奪われた時に学ぶこと

    近畿地方の北部では大雪で各地の道路で交通が麻痺、トラックなどの車両の立ち往生が報じられている。「立ち往生」とは途中で止まったまま動きがとれなくなる状況を言う。つまり身動きが取れないことを言う。車の立ち往生で一番困るのは食べ物の取得、そして何よりトイレだという。長時間狭い車の中で閉じ込められて用を足せない状況でのトイレ問題は想像に難くない。人生にはいろんな痛みを伴う事件が起こる。雪の中での立往生ほど自分の意思とは異なる状況に閉じ込められた時の苦痛をうまく表現できるものはないのではと思うことがある。英語にpainful(ペインフル)と言う単語があって痛みを伴う、骨が折れる、困難な、悲惨な、退屈な、などの意味を持つ。まさに立ち往生の状況の中での苦痛を表現している単語である。さらにもう一つ英語の単語にstuck(...動きを奪われた時に学ぶこと

  • 「成功」の邪魔をするものは「失敗」への恐れ

    膝が痛くてびっこを引きながら近くのコンビニに入店。英字新聞を取り扱っている唯一のコンビニである。何かの事件や注目の出来事などがあった時の限定で英字新聞を購入する。理由はどのような単語や表現が使われているかをチェックするのが目的だ(今回は月面探査機スリムの記事)。カウンターの向こうの女の子が僕の顔を見ながら「この新聞読みはるんですか。すごいですね」と言いながらレジをうった。「そう、まあね」と僕。白髪の、足をびっこを引きながら入店した見るからにみすぼらしい老人と英字新聞がミスマッチ、そんな雰囲気が感じ取れた。(2024年の現代でもやっぱり英字新聞を読む人は”すごい”のか)話を本題に戻すとして、日本の探査機の着陸技術はかなり世界に自慢できるものであるらしい。今回も見事ピンポイント着陸技術を実証したと言う。何せ先...「成功」の邪魔をするものは「失敗」への恐れ

  • 記憶の中で廃屋は生きる

    毎年のように新年と共にアメリカの友人から’声かけメール’が送られてくる。別に深い意味はない。新年の挨拶と彼の家族の写真や自分の趣味で撮った写真などを送ってきてくれるのである。写真はかつての留学時の郷愁を呼び起こしてくれる。今回はそのうちの一枚、廃屋の写真がかつて自分がいたころの見覚えのある建物の写真で、窓枠が朽ちて外れそうになっている。窓ガラスも何枚かが割れてカケラだけが虚しく残っている。どんなものでも古くなる。永久に続くものは多分この世には存在しないのだろう。僕は使われなくなった橋、道路や線路、廃屋など、見捨てられた物を見るとあの芭蕉の俳句、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」が何故か頭をよぎる。この句が伝えるものは、”つわもの共が生きた時代の夢や野心が戦いに敗れることで儚く消えて、戦いの後には夏草だけ...記憶の中で廃屋は生きる

  • 老齢、前を見れば今日が一番若い時

    子供達の登校時間をできる限り避けて家の周りの溝や道路のゴミを拾ったりの清掃をするのが僕の朝の日課である。いろんな人が通り過ぎてお互い声を掛け合ったりすることもずいぶん楽しいものだ。時々我が家の前を乳母車を押しながら通るおばあさんと出会う。自分の歩行を補助する目的だけで乳母車を押しているのではない。彼女の乳母車の中にはマルチーズの老犬が毛布に包まれて暖かそうに首を出して周りをキョロキョロと見物しながらの散歩(?)なのだ。やや腰の曲がったおばあさんはそれでも自分の歩行訓練と犬の散歩を兼ねている、と幸せそうに話す。「今日は私の誕生日でんねん。今日から先、考えたら多分今日は私が一番元気なときですよってな」と言った。「それはそれはおめでとうございます」という僕の声かけが聞こえたのかどうかは定かでない。それでも自分の...老齢、前を見れば今日が一番若い時

  • 「もののあはれ」とはなんだろう

    先日の真夜中、トイレに立ってから突然眠れなくなって枕元の携帯のラジオをつけてみた。眠れない時は小さい音でNHKの「ラジオ深夜便」をつけるのが僕の眠りに戻るための方法である。(眠れなければ起きればいいなどという人もいるが僕はベットから出ると本当に起きてしまう)そんなことはどうでもいいのだが、耳にしたのは「もののあはれ」を題材にした古典文学関係の研究者(?)だろうか、失礼だが名前も覚えていないお二人の対談だ(後日内容をもう少し詳しく調べてみよう)。なにせ真夜中の自分の脳と心の葛藤中、ほとんど覚えていないのだが、小野小町だの源氏物語などに出てくる「あはれ」という言葉についてのお話であった。深夜に眠れず悶々としていること自体が本当に“あはれ”を感じさせるのだが、この単語は本当に厄介で一言で説明ができない言葉なのだ...「もののあはれ」とはなんだろう

  • 「成人の日」目覚め:大人も不完全な存在

    昔、僕が成人となった頃は「成人の日」は1月15日と決まっていた。休日のその日を中心に1月の予定を立てていたのを覚えている。近頃は年によって「成人の日」が変わることには違和感を覚えてしまう。おまけに18歳の成人などと言われると、僕の時代を思い出して18歳はまだ子供という意識が頭から抜けきらない。今でも18歳の成人は大学受験に、または就職に西走奔走、お酒も飲めない成人などありえない、などという意見も頻繁に耳にする。自治体によっては成人式は20歳の人を中心に催されるとも聞く。最近の成人式にはお酒を飲んで式場で暴れるような新成人はいなくなたのだろうか、新聞でもその種の記事を目にすることがなくなってきたように思う。大人としての責任を学ぶこと、少なくとも身につけようと努力すること、という成人することの意味に目覚めたか...「成人の日」目覚め:大人も不完全な存在

  • 「経験」イコール「失敗」という図式

    年始から石川県の地震関係を中心に気が滅入るような報道が新聞はじめテレビに続く。二日には羽田空港滑走路上での飛行機同士の追突事故。一方は民間の航空機、もう一方は海上保安庁の飛行機だ。海保の機は石川への支援物資を届けようとしていたという。民間機JALの乗客乗員はなんとか全員無事脱出、しかし海保の方は機長以外の5人が死亡という大事故だ。この種の事故は原因や責任の所在が問われることとなるけれど、この点に関してはまだ捜査の段階だ。(どこかの国の政治家よろしく「お答え(?)は控えさせていただきます」…)ということで事故に関することは後の捜査に任せるとして、僕の脳裏を行き交うものは「人間は大なり小なりミスを犯す動物だ」という言葉である。つまり、「完璧な人間は存在しない」という意味だ。人生の大半を教育現場で過ごしてきた僕...「経験」イコール「失敗」という図式

  • 明日の太陽に「希望」と名付ける

    あけましておめでとうございます。新年にあたり皆さんのご多幸をお祈りいたします…新年を迎えてこの年に対する期待などを話して明けた元旦、期待や喜びで過ごした午前中が嘘のように午後4時すぎには暗転、石川県の大地震がテレビで伝えられた。と、同時に僕の住む大阪でも嫌な揺れを感じた。天井からぶら下がっている照明が大きく揺れ始めて床が滑るような気分が悪くなるような揺れである。繰り返す大小の揺れが1分近くは続いたのではないだろうか。日が明けて今日2日、新聞の休日に情報を求めてテレビをつけるとやはりNHKが被害状況を伝えている。倒壊した家屋と瓦の散乱、形を留めたまま横倒しになっているビル、昨夜から燃え続けている輪島の火災、大地の隆起で波打ってズタズタに亀裂が走っている道路、そして津波、惨状が目に飛び込んでくる。元旦の地震、...明日の太陽に「希望」と名付ける

  • 年の瀬だ。忙しそうにしておこう

    とにかく一年が「あっと」いう間に過ぎていく。あと何年元気で生きていけるだろうかなどと時々頭をよぎるようになってくると時間の経過速度が尋常ではないように思う時がある。兎にも角にも年末だ、「とりあえずは忙しそうにしておこう」などと考えていると周りでは連鎖反応のように車を洗うお父さんと子供の姿を見かけるようになってきた。仕事納めも済ませていよいよ車や家の掃除などに時間を当てようということだろう。僕としても俊敏さは無くなったがとりあえずは部屋の掃除で今年の埃などは払わなければならない。孫が来る正月に向けてやはり準備しなければならないこともある。お墓参りの仏花を買い求め、それから女房の買い物のお手伝いもしなければ。やっぱり年末は歳をとってもそれなりに忙しいではないか。部屋の掃除をしながら何故か大晦日に放送されるNH...年の瀬だ。忙しそうにしておこう

  • クリスマス、真の価値は見えない物の中にある

    クリスマス・イブの夕刻、いつもは静かな道路の一角で車の行列ができていた。意外なことで一体何ごとかと思ったら、行列の先にはピザ屋さんが、そうだ、クリスマスには何故か日本人はピザとフライドチキンでパーティーをすることに気が付いた。今年は膝が痛かったり、女房が風邪を引いたりであまり外には出かけていない。どうしてもクリスマスのムードから遠ざかってしまっていたことを思い知らされた。とはいえ、日本の商業主義に侵されたクリスマスを考えては“クリスマスの精神”は店から生まれるのではないと強調したい。「クリスマスは与える精神」、自分が得をすることばかりを考えている日常を離れて困っている人をはじめ、贈り物を受ける価値のある者にサンタクロースはプレゼントを用意する。日本の風習に目をやると、例えば大晦日には年越しそば、そしてもち...クリスマス、真の価値は見えない物の中にある

  • 日米雪の寒暖差比較

    今年もまた寒波が日本列島を襲っている。テレビのニュースを見ていると北海道の留萌の大雪の混乱が映っていた。雪に隠れたバス停の表示板、身の丈ほどもある除雪された雪の壁の間を歩いて行く数人の人たち。トラックの立ち往生で車の列ができている道路など、雪国の生活は大変だなーと同情の念を隠せない。今日は近畿地方の北部に警報級の大雪が予測されている。そこで気がついたことがあった。日本では雪は迷惑な来訪者以外の何者でもないのだ。一方、アメリカでは大雪は歓迎されているとは言わないけれど、家に閉じ込められて暖炉の前での家族の団欒と温かいチキンヌードルスープ、クリスマスに雪がなくてはなどと言いながら、挙げ句の果ては“Letitsnow🎵”という歌があるように「雪は降らせておけ(気にするな)」的な雪との関わりである。恋人とワインで...日米雪の寒暖差比較

  • ファッションは「インスタント言語」だって

    先日の日曜日の天候は大阪では急転直下、「寒!」。そんな中、久しぶりに街歩きを兼ねて所用で大阪市内に出かけた。早速目に止まった高校生だと思われる女の子の格好に目が釘付けになった。下半身は素肌の足が短いスカートから突き出している。上半身といえば長いマフラーというのだろうかを首にぐるぐる巻き、もこもこのダウンに身を包み下半身とのアンバランスといえば唖然とする異様さだ。天気予報をはじめ周りの人々が寒いと震えているこの日に彼女の出立はやはり異常としか言いようがない。驚いていたのもつかの間、乗り換えの本町駅ではまたほぼ同様の姿で電車を待っている女子高生だろうに出くわした。なんだこれは。新しい最近の女子高生のファッションなのだろうか。彼らの世代は今までにもいろんなファッションを生み出してきた。何年も前に京都駅の修学旅行...ファッションは「インスタント言語」だって

  • 人生不可避の三漢字

    今年の漢字は「税」に決まった。そう言えば税金はどれほどに?、お金の使い道は?…と要らぬ興味をそそるのが大谷翔平選手の大型契約。ドジャース移籍に伴う10年7億ドル(約1015億円)、一年にすると100億円でその額はセリーグ6球団の全選手の年棒合計にも匹敵する額であるという。大谷選手のことだから世界中のいろんな所に寄付するのかも、などと考えていると僕ならどうするかなどと夢が膨らんでくるような気がする。お金とは手にすべき人が手にすると使い道はいくらでも良い方向に向かって夢が膨らむ。手にすべきではない人にお金が動く世の中の矛盾というか不条理に天を仰ぎたくなる時がある。昨日は読売新聞の時事川柳に「議員は脱税、国民は節税(兵庫・野田秀俊)」とズバリ世相をついたものが掲載された。ちょっとした税の引き上げが家計には響き、...人生不可避の三漢字

  • うそー、小学生のブランチ?

    先日の土曜日の夕刻の出来事だ。「ブランチ11時やで~」「ファミマやろ」と大声の二人の少女(小学5、6年生ぐらいの年恰好)。自転車の二人が我が家のそばの四つ角で別れた。小学生が”ブランチ?”、あの朝を抜いて昼食兼用の食事のことだろう?そんなことが小学生の間で流行っているのだろうか、と興味を覚え翌日曜日、時間を見計らって自転車で出発した。近所のファミマは自転車で5分程度のところに一店舗あるだけだ。間違いはないと一目散にその店に向かった。いい天気で気温も自転車で散策するにはもってこいの日和である。(僕も物好きなものだ)予測が当たった。5人の女子小学生が店の前のバナー広告のそばに座り込んでそれぞれ買ったものを食べながらのパーティだ。カップヌードルを食べながらポシェットの上におにぎりを置いている子が一番手前でよく見...うそー、小学生のブランチ?

  • 日本の忘年会は今でも男文化の象徴?

    先日の日曜日、僕の住む地域では町内清掃と銘打って、近所の人達がどこからともなく集まってくる。ゴミをピックアップする火箸やゴミ袋を持っている人、箒にちりとりを持つ人など、話しながら近所のポイ捨てゴミや軽く雑草を抜いたり、落ち葉を集めて拾ったりして近所の清掃をする火である。女性ばかりが目立つこの日、僕からみれば近所の主婦の井戸端会議の日と言っても良いかもしれないなどとよからぬことを考えている。そこで耳に挟んだのが年末に予定されている「忘年会」への出席をどうするかの話である。子供会の忘年会か、PTA,それともバイト先の会社の忘年会かは定かではない。そこまで耳をそばだてる気もない。大半の意見が出席しないということで落ち着いた。多分どこかの会社の会合なのだろう。「忘年会は男の人のため」「お酒をつぎに回る役目などごめ...日本の忘年会は今でも男文化の象徴?

  • 親と子供の一体感とは

    昨日の月曜日、午前中の10時前後から自転車で走り回る小学生グループの姿が数回我が家の前を通り過ぎた。平日の月曜日、子供達は学校にいるはずだ。賑やかな子供の会話に何事かと思ったら、日曜日は親の「日曜授業参観」で月曜日の昨日は学校が振替休日であることを知った。僕は教育の世界で人生の大半を過ごしたので、授業参観の大切さは理解しているつもりである(教育は親と子供の共同作業、親の関わりが重要な役割を占めている)それにしても通常では耳にしない子供達の叫び声が住宅地に響き渡る光景に違和感を感じることとなった。近所には大人は老人以外誰もいないと言っても過言ではないこの時間、多くの子育て家庭では子供に留守を任せて親が仕事で家には不在であると言う昨今の社会状況に気づかされたのである。子供だけが数人で彼らの家の留守番をしている...親と子供の一体感とは

  • 「おにぎり」バンザ~イ!

    ついに発見!おにぎりを食べながら登校する中学生男子の二人連れ。一人がおにぎりのラップを開くやそのまま道路に捨てたのを目撃した。あとは頬張りながら角を曲がって学校の方向に消えていった。(道路はゴミ箱か!怒!)おにぎりが新しいブームを起こしていると言う。僕に言わせれば何を今さらと言う感じなのだが。そう言えば最近はおにぎりを食べる人を見かけることが多くなったような気がする。なんと言ってもあの手軽さと昔母親が握ってくれたと言うある種の郷愁が蘇るもの、そして何よりもいろんな具材とお米のバランスである。とは言っても、“歩きながら食べてはいけません”と教えられた時代を生きた僕らの世代、今でも歩きおにぎりはしたいともおもはないしできない。待てよ。そう言えばアメリカでは屋外のパーティなどでは周りの皆と会話を楽しみながら立ち...「おにぎり」バンザ~イ!

  • 名前は名付け時の親の心情

    二人の女の子が庭に蹴り込んでしまったボールを取にきた。一人の女の子が「〇〇ちゃんがメチャクチャ蹴ったから」ともう一人の女の子を指さした。〇〇ちゃんと書いたのは意味がある。(人の名前を題材にすると色々支障があることが多々ある)いわゆるキラキラネームなのである。「名は体を表す(名前というものはその中身、実質をよく表す)」という言葉がある。名前はその人の青写真、名前がその人の性格にすら影響するということを僕が高校生ぐらいの年頃の時近所の年寄り達から聞いたことが忘れられない。これが僕の子供の名付けの時にも影響して随分慎重に考えたものだ。ボールをめぐる単純な出来事から“名前”というものを今日は考えてみた。自分の名前がどのようにしてつけられたのかを調べてみると面白い。自分の両親がまだ若い頃の考え方や性格、そして生活の...名前は名付け時の親の心情

  • 勤労感謝の日」、先賢に学ぶ

    昨日は「勤労感謝の日」、“広く働く人々の勤労に向けて感謝を示す日”という位置付けだ。働くことや仕事をすることそのものを大切な習慣であるとして捉え、皆がお互いに感謝し合う日として制定された祝日だという。退職してこの数年、勤労感謝の日が来ると自分の現役時代を振り返って仕事で楽しかったことや辛かったことなどを思い出す。働くという行為は仕事をする日々毎日の日数を数えるのではなく、一日一日が何か意味のあるものにするための自己表現に他ならない。忍耐、犠牲、が過程にはあるけれど、自分のしている仕事が好きであることが不可欠だ。寝床で満足感を味わうときは決まってしっかりと仕事をしたと思える日の夜だった。発明王エジソンの働くということの意味は“もう一度やってみる”こと。失敗ばかりを繰り返しながら、もう一度工夫を加えてやってみ...勤労感謝の日」、先賢に学ぶ

  • 葛藤、相反する感情の絡み合い

    久しぶりに出かけたJRおおさか東線の電車の対面4人掛け優先ボックス席。時間は午前10時過ぎ、大阪駅行き電車は10人ぐらいの乗客が立っている程度の混み具合。気がつけば僕だけが座っていた優先座席は次の駅で全て埋った。そして電車がまたその次の駅に停車して老婦人(僕と同い年程度と想像する)が乗ってきた。座席の背もたれについている輪っかを握ってじっと立って身体を支えている。周りの三人を見回すと、一人は20歳前後の女性、一人は30歳代の女性、もう一人は長いごま塩混じりの髭を蓄えた50代の男性だ。驚いたことに皆目をつむっているではないか。つい先ほどまで、全員がスマホをいじっていたのに。僕の心の中で変な葛藤が始まった。自分が立つべきか、いや僕はいくら若く見えても白髪のれっきとした80歳の老人だ。ここはしばらく様子を見よう...葛藤、相反する感情の絡み合い

  • 行き詰まった時は上を見よ

    昨日の話。早朝は厳しい冬の予感があったが、朝も9時を過ぎると素晴らしい天気が楽しめた。我が家の前で乳母車に赤ちゃんを乗せて散歩する若いお母さんが、通りすがりのどこかのおばちゃんと話している。「かわいいねぇ。目が真っ黒!」「ありがとうございます」とお母さんの方は嬉しそう。これが本来の赤ん坊や乳幼児と大人の関係だ。自力では何もできない無力だが純粋な小さい人間に振り回されながら大人は幸せだ。そうなんだ、大人は無力な赤ん坊を自分が支配しているように見えるけれど、本当は赤ん坊に大人が支配されている、それが大人は嬉しいのだとふと考えた。テレビ、新聞で報道される幼児虐待のニュースに耳も目も塞ぎながら虐待などをする人は多分この感情が欠如しているのではないかなどと考えていた。自宅前を学校に通う小中学生を見ていると彼らの人生...行き詰まった時は上を見よ

  • 長寿とは人の自分への記憶年月の長さ

    最近たて続けに88歳で社会で活躍する女性のことを新聞で知った。一人はプログラマーの若宮正子さん、そしてもう一人は主に沖縄を中心に活躍するジャズシンガー、齋藤悌子さん。二人とも米寿の元気者だ。日本では長寿のお祝いの年齢が決められていて、80歳を超えると順に傘寿、半寿、米寿、数え年90歳の卒寿、そして数え99歳で白寿、100歳となると百寿と続く。(それぞれのお祝いの名前の由来は今回は端よることとする)人生は長寿かどうかではなくその質が問題なのだ、と言ったのはあのマーチン・L.・キング牧師。人生の質とはどんなものを言うのだろうか。社会への貢献度など色々な度量衡はあるだろうが、一般の我々にとっては、簡単に言えば仕事があって、心配事やストレスがなく、不安もないことを言うのだと思う。あ、それから健康も大事だ。仕事と家...長寿とは人の自分への記憶年月の長さ

  • 「杖」と歩く人にはその人の物語が

    寒さが徐々に平年通りに戻ってきて朝の起床が夏時間から30分ほど遅くなってきたようにおもう。それでもまだまだ真冬ではない。ベッドを出て庭に出る清々しさを…と思ったら今朝は久しぶりに雨。いつものように近所を散歩することは中止。そして杖をついて何かの病気のリハビリをしている人の散歩も中止だろう。午前9時を過ぎて子供達の登校がなくなると決まって我が家の前を杖をつきながら歩く一人の男性のことが急に思い出された。少し気にはなるけれど声をかけたことはない。ゆっくり歩を進めるその人の歩くペースを崩したくないからだ。以前、別の人なのだが散歩中に声をかけてハッとした経験があった。その老婦人は僕が聞いてもしないのに、一生懸命に杖をつく理由を説明し始めたのだ。脳梗塞を患っただの、家に面倒を見てくれる人がいないだのと、何か弁解しな...「杖」と歩く人にはその人の物語が

  • 虎ファン「なんでか涙止まれへん」

    先日の5日(日)に行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、9回の表を終わってスコアは7対1で阪神のリードだ。ほぼ日本一のタイトルを手中に収めた状況で、テレビに映ったファンの顔、顔、顔、その中のやや初老の男女数人が目頭を押さえたりして泣いているのだ。応援しても応援しても優勝できない“だめトラ”を応援しての38年間が甦ってきたのだろうか。勝利を確信した時涙が滲んできたのだろう。人は身の回りになんらかの”喜び”が必要なのだとふと思った。愛想をつかしそうになるのを堪えて大阪の虎ファンは一体感が強い。“苦しみを乗り越えて克服した時に歓喜に至る”などという言葉を信じてとにかく一心不乱に応援、不幸な顔は笑いで吹っ飛ばせ、成功しなくてもいい全身全霊で打ち込めるものを探すことだ、と大阪魂を全面に。大阪人の幸せとは、何かに一心不...虎ファン「なんでか涙止まれへん」

  • 犬は神?どういうこと?

    夕暮れ時は犬の特別なお散歩時間になるようだ。次から次へいろんな種類の犬が飼い主と共に我が家の前を通り過ぎる。彼らの目指す目標は、隣の家と我が家との間付近に立っている電柱がお目当てであるらしい。やってくる犬がほぼ全員(全犬?)その電柱にオシッコをかけるのだ。おかげで後々水で洗わなければ匂いが徐々に蓄積されてそこを通るたびに嫌な思いをすることになる。猫はその点…と言いかけたがやはりオシッコや糞に悩まされる。猫は自由なので下手をすると庭が嫌な匂いに支配されかねないのだ。申し訳ないが丁寧に断りの姿勢を示すことになる。僕はどちらかと言えば“犬派”である。犬は時々「私に何をして欲しいの?」という目で飼い主を見る。その目がたまらなく可愛いのだ。犬は人間の最良の友、という言葉があるが犬たちは3万年以上も前から人間のそばで...犬は神?どういうこと?

  • 散歩とは何かの発見を生み出すもの

    早朝6時過ぎ、今日の日の出の時刻が数分でやってくる時間、空は雲ひとつ無く真っ青で”天高く”とも“空深し”とも表現できそうな気がする。夜露の湿り気と冷気でなんとなく周りの家々に引き締まった清涼感があるのが好きである。近所の数ブロックを約10分ほどかけて一回りする。杖を持って歩く男性の後をゆっくりとついて歩いている女性(多分奥さん)と出会う。ただ「おはようございます」と挨拶の一言で通り過ぎた。「早朝の散歩はその日の“神の祝福”」と言ったのは僕の好きなアメリカの有名な思想家ヘンリー・D.ソローである。この人の話をすると長くなるので単に『ウオールデン・森の生活』という森での自給自足の生活を記録した本が有名だとだけにとどめておく。町を嫌った‘早朝の散歩派’である。もう一人、小説が売れずに苦労を重ねたおなじみ『ハリー...散歩とは何かの発見を生み出すもの

  • 本とドア、開けば何かが見えてくる

    スーパーへの買い物や近くの医院に血圧の薬をもらいにいくなど、毎日少なくとも何かすることはあるのだが、今日に限っては本当に何も予定がない。そんな日の予定は新聞の囲碁の対局を碁盤の上に再現しながら”ひとり時間"を楽しんだりするのだが、今日は読書日ということに決めた。今日から読書月間が始まることと偶然重なった僕の暇な一日のことを考えていると、「読書の秋」などと最初に考えた人は今日の僕のような心境の人だったのかもしれない。最近は大学時代の授業などに関する書籍から離れて、全く別の分野の本を楽しんでいる。例えば磯田道史著の『日本史を暴く』(中央公論新書)や『バカの壁』(新潮新書)で知られる養老孟司氏の一連の著書などである。今日はそんな系統のものからも離れて気楽に読める『47都道府県おんな一人で行ってみよう』(益田ミリ...本とドア、開けば何かが見えてくる

  • 引越しとは新しいドアを開くこと

    近所の年寄りたちが各々自分なりの散歩で足を鍛えているようだ。僕も遅れを取ってはいけないと、毎日ではないが気が向けば早朝に近所を歩いてみて驚いた。日頃は注意もしなかったけれど、あちこちに更地が目立つだけではなく、新築の建売住宅が新しい住人を待ち受けているように建っているのだ。そういえば引っ越しセンターのトラックが走っていくのを割合頻繁に目にするようになってきたような気もする。新しい家に越してくる人は多分若い新婚さんだろうか、いや狭いマンション住まいに子供が増えるに従って手妻になることを予測しての引っ越しだろうか。今朝は二歳ぐらいの男の子と犬を連れて散歩をしている親子に出くわした。「近くに越してきたので…」というこの親子に朝の挨拶だけで済ませてお互い笑顔で通り過ぎた。人間は一生のうちに何度引越しを経験するだろ...引越しとは新しいドアを開くこと

  • 秋は来年への準備の季節

    朝6時、庭に出てみると空気はキュッと身が引き締まるような爽やかさである。秋の空は青さが深く、まさに天高く…を実感できる雰囲気がある。僕の秋はこのブログにも何度も登場させた庭の二本の木犀(モクセイ:高さ約4.5m)とともにやってくる。二本というのは金と銀の対になった木犀である。早朝には特にあの香水のような甘い爽やかな香りをあたり一面に撒き散らす。金木犀の小さな花は橙色(だいだいいろ:赤みがかったオレンジ色)、銀木犀の方は真っ白に近いが薄い黄色が混じったような小さい花だ。翌年に向けて、たった一週間ほどの命なのだが道行く人は必ずといっていいほどちょっと見上げて匂いを嗅いで通り過ぎていく。汚染された空気の中では花を咲かせないといわれる敏感な木犀は秋の空気の素晴らしさを教えてくれている。木犀は常緑樹で他の色づく木々...秋は来年への準備の季節

  • 新聞で自分の生存を確認する?

    今朝もまた最初の行動は新聞を取りに郵便受けに向かうことだった。聞くところによれば、新聞はなぜか老人と結びつくらしい。特に理由などを考えたこともない習慣だったのだが、年寄りに新聞好きが多いという話を耳にしたのである。なぜだろう…ちょっと考えてみることにした。新聞の素晴らしさというものは日本、そして世界で起こっている出来事の主たるものを約30ページの紙面に網羅していることである。情報の欠如から世間に置いてきぼりにされることを恐れる老人達は新聞を読むことである種の安心感を覚える。情報収集はテレビでもできるのだが、年寄りのペースではない。じっくりとフォローできるのは新聞なのだ。そこで、自分の興味を刺激した記事は切り抜いてノートなどに貼り付けるなどという作業を楽しむようになってくるというのが一般老人がハマる習慣であ...新聞で自分の生存を確認する?

  • 「負け」を知って「勝ち」を知る

    今月は二人の英雄がテレビ、新聞を賑わせた。『大谷翔平、メジャー日本人初の本塁打王!』『藤井聡太、八冠達成!』、全くこの二人には非の打ち所がない。二人の得意分野で花を咲かせた快挙にどのような表現が当てはまるのか分からない。どちらも謙虚で「まだまだ先が…」と努力研鑽を力説する。なんともいえない敬愛の念を抱きながら、勝者と敗者について考えた。何か素晴らしいことを成し遂げる勝者は、社会が作る規格という名の箱に納まらない人が多い。日常のどこかに型破りな生活が隠れている。変わった人と呼ぶのか、稀な努力の人と呼ぶのか、あるいは集中力を発揮できる人と呼ぶのか、どのような名前が当てはまるのかは分からない。ただ周りの人間にとっては教えられることが多いのだ。彼らからの僕の学びは「成功につながるエレベーターはない。成功したければ...「負け」を知って「勝ち」を知る

  • 雲のが教える「雲散霧消」

    ここ二、三日は曇りがちの日が続いて空気は一気に秋を感じさせる。そんな折、いまにも雨を降らせそうな暗く垂れこめる黒雲が行き交う空を見ていたら、世界で見受けられる“暗雲漂う危険な状況”を写し出しているように見えてくる。残念なことだ。人間には共存するという知恵は備わっていないのかと首をかしげてしまう。嫌なことはさておいて空を見上げているといろんなことを考えさせられる。特に秋の雲の種類は豊富で、雲を鑑賞するには最適の季節なのだろう。魚に関する雲などをひと塊にして名前を覚えたりしたこともある。鱗(ウロコ)だの、サバだの、はたまたイワシ雲だのに混じって僕の干支(干支)の羊雲もある。雲を楽しむ人は想像力がある人などと言われて見上げていると確かに雲はいろんな形に変化し続けて止まることがない。数分目を離すと犬のように見えて...雲のが教える「雲散霧消」

  • お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

    公害といえば空気や水や土壌の汚染、えーとそれから騒音などが頭に浮かぶ。その公害をもじって「老害」という言葉があることにショックを受けた。老人が周りの若者に迷惑をかけているのだという。そんなことはないだろうと思っていたら、次々と明らかになる若者にとっての迷惑行為だというオンパレード。昔話ばかりすること、お説教、自分の趣味に関する演説ともいえる講釈、それから孫自慢や馴れなれしく人に話しかけ過ぎる、などが指摘されている。要注意、世のお年寄りたち。受け取る若者の側にも問題があるかも知れないけれど、年寄りの我々も注意しないといけないなと反省は“少しだけ”しておくこととする。“少しだけ”、と強調するのにはわけがある。上記、老害の最後に指摘された「慣れなれしさ」。昨今のギクシャクした世の中で人と人が気楽に声かけができる...お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

  • もしアカンかったらどうする?

    この時節、僕は庭に出て季節を感じるのが大好きだ。軽い庭仕事で毎日合計すると2時間は庭で過ごすことになる。閑静な住宅地、道路が我が家の塀を隔ててすぐそばを走っているので、道行く人の会話が自然と耳に入ってくる。今朝の僕の“聞き耳(?)”は自転車に乗った二人のおばさんの会話。大きな声で「あかんかったらどうするのよ?」という声だけが聞こえた。この大阪弁、解説すると、“もしもうまくいかなかったら、どうするの?”ということになる(英語ならWhat-if?)。前後関係がわからないけれど何かの相談と助言をしている会話だということはわかる。何か新しいことをするときは人は誰でもどうしてもWhat-ifs(複数)を考えてしまう。とはいえ、そんなことを考えていると何もできない。失敗したら…などと考えていると臆病になってしまうから...もしアカンかったらどうする?

  • 夜空を見上げて「ひとり時間」を楽しむ

    「一年の経つのは早いもの」と実感する季節の切れ目というものがある。この時期には「中秋の満月」がそれである。子供の頃のノスタルジア、僕は昔の実家の座敷の縁側でススキの生花やおはぎなどのお供え物を前に満月にある種畏敬の念を覚えたものだ。最近では満月に限らず夜に外に出て月を見上げるのが好きだ。“ひとり時間”というものを楽しむのである。(とはいっても満月にあの遠吠えをするオオカミ人間を想像されると困るのだが)ただ“ひとり時間”を大切にしているということである。日常のつまらないことを忘れることができる時間だということだ。“ひとり時間”といえば、最近「ひとり外食」の難しさについての新聞記事を読んだ。特に女性の一人外食は難しいという。わからないでもない。店の都合を気にすることは、混雑する忙しい時間を避けて入店すれば問題...夜空を見上げて「ひとり時間」を楽しむ

  • ホームメーカー(家庭を作る人)は誰?

    女房に付き合って来たスーパーの鮮魚売り場、刺身などを見ていた時、横にいた30歳ぐらいの女性に彼女の友人だろうと思われる40歳前後の女性が賑やかに声をかけ、それからの会話に興味を持った。「月曜日が『主婦休みの日』だってこと知ってた?」「知らんよ。何それ?主婦が仕事をしないってこと?」聞き耳を立てているわけにはいかないのでその場を去った。コロナ禍で皆が家にいることが増えた頃に知ったこの日、「主婦休みの日」は主婦が一息ついて気分転換できるように設定された日(一年に3回一月、五月、九月のそれぞれ25日)であるという。「休んで何するの、テレビ見ながらごろ寝してビールでも飲んでるなんてだらしないことしたくもない。文句言いながら家のことを仕切っている方がよぼど体に良い」、などと知り合いの奥さんが笑っていた。子供のいる家...ホームメーカー(家庭を作る人)は誰?

  • 人間観察「背中は語る」

    9月も半ばを超えて残暑は厳しいといえど最近は早起きがしやすい。早朝は空気が澄んで気持ちがいいのでその日の気分に合わせて早朝散歩を始めた。近くの花園ラグビー場公園までは歩いて5分の距離だ。公園ではいろんな人と出会う。犬の散歩をする人からはいろんな犬種を教えてもらう。ひとりでさっさとスニーカーでしっかり腕を振って歩く人は健康志向人間だ。散歩仲間のようなグループがいて、決まった場所に集合、一服、水やお茶のボトルを持って賑やかだ。あとは僕のような老人達。この人達もまた観察すると面白い。頻繁に立ち止まって周りを見回す人、ベンチに座ってどことなく焦点の合わない目で朝焼けの生駒の山を見ている人、夫婦で歩く人、そしてすれ違いに「おはようございます」と誰彼なしに挨拶する人などがいる。人間観察とは不思議なもので、正面からでは...人間観察「背中は語る」

  • 「ご親切に」「いえ、お互いさまですよ」

    徳島県といえば、阿波踊り、スダチ(柚子とレモンを合わせたような酸味と香りのある柑橘類)それから…考えてみれば僕の奥さんも徳島産だ。先日、二人でスーパーに出掛けてスダチが売られているので早速買い求めた。スダチは僕の奥さんにとってはどこか郷愁を呼び起こすものらしい。3個の袋づめを三袋を買ったのはいいのだがマイバッグに移す時に一袋を移し忘れたようだ。家に帰ってみると2袋しかない。別に大したものではないのだが、スーパーに問い合わせてみると、ちゃんと届けられているのだ。(かつて生活したアメリカではまず届けられることはないだろう)さすが日本、と感激しながら早速スーパーにとって返した。車の中では詐欺だの虐待など信頼が揺らぎ始めた最近の日本に、正直さ、他人への思いやり、などを大切にする日本人はまだまだたくさんいると会話が...「ご親切に」「いえ、お互いさまですよ」

  • 虎キチ阪神ファンの閉ざされた憂愁

    プロ野球阪神タイガースがついに優勝した。テレビや新聞で大騒ぎのこの優勝を考えてみると、多くの虎ファンの支えとは裏腹に、18年ぶりの優勝というからこの球団は何をしているのかと批判もしたくなる。もう一度タイガースの優勝を見たいと言いながら果たせず死んでいった寅キチと言われる猛烈タイガースファンの話はよく耳にする。応援しても応援しても、いつも巨人の“後塵を拝する”歴史と東京と大阪の地域的なライバル意識が相まって阪神ファンは巨人に対する競争心が強い。阪神ファンが道頓堀川に飛び込むのは鬱憤(ウップン)晴らしなのである。話は少し外れるけれど、おおよそ60年ほど前に大相撲に柏鵬時代という時期があった。ほとんどの日本人が好きなものといえば、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代だ。大鵬関と柏戸関は同時横綱昇進で当時は相撲を...虎キチ阪神ファンの閉ざされた憂愁

  • 人の心を傷つけるゴミ

    英語にgarbage(ガーベッジ)という単語がある。日本では家庭ゴミと呼ばれる生ゴミや屑のことだ。この単語にはまた別に「ガラクタ、つまらない物、役に立たないもの」などの意味もある。断捨離をしていると、僕は本当にガラクタとともに生きているということを思い知らされる。その最たるものはコンピュータで印刷したあの書類の山、これほどゴミと言われるにふさわしいものはない。また何かの参考になどと、プリントアウトして保存しておいたものだ。さて、僕の住む東大阪市の中地区では毎週月曜日は家庭ゴミの日である。もう何年も以前にシュレッダーされた紙ゴミが家の前の道路に散らばって後の掃除に追われたことがあった。それ以来、時間がある日には家の前をゴミ収集車が行った後をチェックするようになって、収集車の横につきながらゴミ収集の仕事に余念...人の心を傷つけるゴミ

  • 「行動」は勇気と自信を与えてくれる

    「暑い、暑い!」と言いながらハッと気がついた。今、働き盛りの人達にとてってはそんなことを言っている暇もない。僕たちの世代も昔はなんなかんだと頑張ってきたのだから、歳をとって文句ばかり言っているのも許されていいのかな、などと自分にとって都合のいいように日々を解釈していることに気づいたのだ。外に出ないで、家でBSプレミアムの冒険系のテレビ番組を見ながら、冒険、挑戦、外に出ること、行動する、などということを考えた。冒険家、こういう生き方もあるのだなぁと感心しながら彼らはなぜ冒険に向かうのかと考えた。(余談:トイレが近くなった僕としては彼らはトイレはどうしているのだろうかなどと余計な心配をしながら…)人生の冒険について、世界ではたくさんの偉人と言われる人が名言を残している。見えない、聞こえない、話せない、三重苦を...「行動」は勇気と自信を与えてくれる

  • 演歌で知った「はぐれ雲」

    朝早く起きて植木鉢のサフィニアやコニファー、クチナシなどに水やりをすることが日課の始まりだ。いつものように空を見上げて雲の有無や流れる方向を見つめていて思い出した。昨日の早朝3時のNHKラジオ深夜便だ。なぜか雑念が頭に湧き出して眠れなくてつけたラジオが“氷川きよし特集”をやっていた。うつらうつらと聞いていた歌声の中で、なぜか一曲『甲州路』だけに頭に残ったフレーズがあった。”恋はこりごり甲州路”に続いて、一番は“明日はいずこか浮浪雲(はぐれぐも)”、二番は“なんで振り向く浮浪雲”、そして三番の“足の向くまま浮浪雲”で曲は終わる。「はぐれ雲」なる雲の名称があるのかどうか定かではないが寂しいイメージが“つきまとう。僕は氷川きよしの演歌などをしっかり聞いたことがない。ましてやご本人のことは名前以外には全く知識がな...演歌で知った「はぐれ雲」

  • 夕焼けは明日への約束ごと

    暑い暑いと言いながら、とうとう9月がやってきた。それでもやはり暑さはあまり変わらない。こんなに暑い日々が続く中、朝6時、植木鉢の木に水をやりながらコオロギの鳴く声を耳にした。コオロギは夜行性と聞いていたのに不思議なことに早朝にあの口笛のような音色を奏でている。秋を運んでくる虫は数々あれど、我が家の庭では間違いなくコオロギだ。コオロギに刺激されて”秋”を運んでくるものを考えた。我が家では柿と夕焼け、それからススキのような花穂をつけるエノコログサ(猫じゃらし)が風に揺れる風景はまさに秋がそう遠くないことを教えてくれる。僕は自分でも奇妙な趣味だと思うのだが、雑草やその花(例えばタンポポ)を写真に収めることが好きなのだ。但し、雑草だけを撮るのではなく周りの情景と一緒に写真に収めるのだ。例えば、僕は秋の夕焼けが大好...夕焼けは明日への約束ごと

  • 打ち上げ花火に人生が見える

    先週の土曜日に東大阪市の花園ラグビー場公園で花火大会が催された。暑い、暑いと文句を言いながら、たとえひと時のことといえ、涼を求めて人々は夜の花火大会に足をむける。(本当は人手に圧倒されてますます暑くなるのだが)日本の各地で花火大会がたけなわだと聞く。日本に限らず外国でも花火の好きな人は多い。あの派手な打ち上げ花火は世界中のどの大会でも花形だ。どど~んと腹に響くような轟音があるかと思えばパチパチと人の注意を引きながら上昇して上空でドンと響く音、バンバンと表現できるような音、など様々だ。音は上空で光や色との共演の中で強調されて火の大輪の花を咲かす感動のひと時である。空を見上げて花火の行方を追いながら、花火は人間の一生を表現しているようなものだと感じた。若い時に社会に飛び出して行くように、上空に勢い込んで駆け上...打ち上げ花火に人生が見える

  • ゲリラ豪雨、嵐の中に立ってみた

    残暑などという程度の暑さを超えた暑さ(ややこしい暑さの表現)の続く毎日、ひと雨欲しいと毎日のように呟いていたら本当にひと雨が。ただそんなに狂ったように降ってくれとは頼んだ覚えはない。昨日の午後2時からの30分余り、僕の住む東大阪では強風に猛烈な雨、そして恐ろしい轟音(ごうおん)の稲光りと雷、あたかもこの世の終わりかと思わせるような天候に唖然とした午後のひと時であった。日本ではこの種の嵐には”ゲリラ豪雨”という名前がついている。暴風雨(rainstorm)と激しい雷雨(thunderstorm)の二つが一緒になったものと言えばそれがどんなものかを表現できるのではないだろうか。僕も物好きで、あまりのすざましさに思い切ってカーポートの下にしばらく立って水しぶきと激しい風、そして辺りを震わす雷の音を感じてみた。昔...ゲリラ豪雨、嵐の中に立ってみた

  • 真夏の日差しとヒマワリの花

    とにかく暑い。先週の台風7号が近畿地方を縦断した日の近辺の気温以外は大阪では平均34度~37度の間を行き来する暑さである(ちなみに昨日は37.7度)。この暑さの下で野球をする高校球児達はプレイすることを楽しんでいるようだが、僕などには“修行”、“業”という表現が当てはまるのでは、とすら思ってしまう。僕の行動と気温を記録する日記を調べてみると、一昨年、昨年のこの時期は平均すると大体33度程度となるからいかに今年は暑さが異常なのかがわかる。真夏の日差し(sunshineサンシャイン)を庭で感じると頭に浮かぶのは向日葵(ヒマワリ)だ。別に特別な思い出があるわけではないが子供の頃に麦わら帽をかぶった近くの農家のオッちゃんが僕の背丈を超える背の高い向日葵を数本育てていて、よく太い幹を触らせてもらったものだ。向日葵は...真夏の日差しとヒマワリの花

  • 「先延ばし」しても良いことがある

    ハワイのマウイ島のラハイナ市の惨状と日本の台風7号の爪痕がテレビのニュースで映し出される。自分の家が焼失したり、洪水や土砂崩れで家が消失したりした人々が「明日はどうなるのか…」と途方に暮れる姿に、“明日”という言葉に敏感に反応している自分がいることに気がついた。僕が歳をとって明日という日を気にするようになったからなのだろうか。(断っておくが僕はまだ人生の残りの日にちを数えるような切迫した状況にはない)明日という日が来るのかどうか分からなくなるような出来事が身に降りかかってきた時の心境の表れが「明日はどうなるのか…」と呟く時だ。今日という日が信じられなくなると明日のことなど考えられない。今日があって明日への計画が明確にある時には気持ちが高まってやる気が引き出されるのが人間だ。アメリカ行きを決意した60数年も...「先延ばし」しても良いことがある

  • 「地震雷火事親父」に台風がない?

    アメリカでは見知らぬ人がすれ違う時には「ハイ!」で済む。「どう元気?」ぐらいの声掛けがあるかもしれないが。大阪での声かけは皆が人懐こいのである。昨日の朝、家の前を自転車のおっちゃんとおばちゃんがすれ違った。「台風来るで」「ホンマや、きつうなかったらええのにな」となる。知り合い同士だとは思うが後は会話なし、自転車はそのまま通り過ぎていった。そして今朝5時、和歌山に上陸した台風7号はゆっくりと時間をかけて大阪へ、そしてさらに北東に向かって進んでいるという。僕の済む地域では10:00現在、風雨は断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返しているが特に危険レベルではない。ところで、僕は台風が来ると「地震、雷、火事、親父」を思い出す。例えば親父が怒り出したら、じっと我慢、怒りが通り越すのを待つことが賢明だという教え。...「地震雷火事親父」に台風がない?

  • 夏そして旅情や旅愁、いいね~

    暑さの真っ盛り、今年も民族大移動(?)のお盆休みが始まった。世界への玄関口、関西空港にはたくさんの海外旅行組が集まっているとの報道。お盆の期間中に約30万人の出国ラッシュが予想されているという。(みなさんお金持ちだな~)夏、お盆休み、とくれば「旅気分」だ。あまり楽しめるレベルの太陽とは言えないが、人を開放的にさせる太陽、青空や入道雲は人々を戸外に駆り立てる。北海道旅行、ハワイ旅行、そして帰省だのと、お盆を利用して出かける人達の話が増えてきた。個人的には人が多いこの時期の旅は避ける気持ちが勝るのだけれど。暇に任せて旅にまつわる漢字を思いつくままに書き出してみると、あっという間にメモ用紙がいっぱいになる。旅程、旅装、旅館や旅宿、旅費、そして旅情や旅愁という漢字が並んだ。楽しみいっぱい、ワクワク気分で旅程が組み...夏そして旅情や旅愁、いいね~

  • “ひたむきさ”は実を結ぶ

    全国高校野球選手権、夏の大会が始まった。野球好きの僕はとりわけ高校野球が大好きである。なぜと問われれば言い古された表現だが“球児たちの直向き(ひたむき)さ”が答えである。白球を追う汗だくで土に汚れて黒くなったユニホーム姿の躍動に惹きつけられる。人は人生どこかでこの「直向きさ」というか、「徹する」という表現がいいのか、何かに「専念する」ことを味わった人は幸せだと思う。この“直向き”という言葉に値する二人の話を昨日の新聞とテレビの「YOUは何しにニッポンへ」という番組で知った。先ずは高知中央高校に留学した台湾からの選手は謝喬恩(シャチャオエン)君。日本語はほぼゼロからのスタートで毎日4時間の勉強を続けながら野球に専念、甲子園出場の夢を叶えた。大活躍の昨日の試合であった。もう一人は日本語大好き、日本語研究のイタ...“ひたむきさ”は実を結ぶ

  • 月の満ち欠け(月齢)が身近になった

    余計なことを考えて、眠れなくなったりしないように寝床に入ってNHKの「ラジオの深夜便」などを聴いていると“あすの暦(こよみ)”などが放送される。日本各地の日の出や日の入りの時間、満潮干潮の時間や月齢までが丁寧に読み上げられる。漁業や農業に携わる人たちにとっては潮の満ち引きや明日の気温や天気は重要な意味を持つだろうと想像できるが、一般の会社勤めの人達でこれを意識して生活している人はどれほどいるのだろうか、などと浅はかな疑問を持っていた。新聞にも「地域」のページには気温も含めてその土地の“あすの暦”が載っている。「六曜・月齢・旧暦カレンダー」なるものがあって六曜は例の大安、赤口、先勝、、、仏滅、そしてまた大安と続くもの。月齢は月の満ち欠けがベースになった日付の数え方。それから旧暦はあの和暦、睦月、如月、弥生、...月の満ち欠け(月齢)が身近になった

  • 災害級の孫」が来た(?)

    「熱中症警戒アラート」なる警報があることを最近はいやが上にも意識させられる。僕が記録している大阪の気温は連日ように35℃を超えてほぼ40℃という日もある。暑さを表現する言葉も変わってきた。単に猛烈な暑さなどと言うものではなくなってきた。暑さの前につく形容詞の変化に注目してみると、まずは「焼け付くような」暑さ、「茹だるような」暑さは今では聞き慣れた表現になってきた。暑さの度合いを少し上げ目に表現すると「溶けるような」暑さと言うことになるのだろうか。最近では「溶解度級」、「沸点級」、の暑さ、そして熱中症警戒アラートが出る程度になってくるとついには「災害級の」暑さである。そういえば、熱中症を警戒してか、夏休みに入っても子供の声が家の周りではほとんど聞こえなくなっている。子供だけがどこかに帰省していてコミュニティ...災害級の孫」が来た(?)

  • 「ひと雨欲しい」と言うと土砂降りに

    日本列島が燃えている。猛暑は当面の間収まる気配はない、などとつれない言葉が聞こえてくる。26日の水曜日には埼玉県の鳩山町では39.7度、昨日は大阪の豊中市では39.8度などという気が狂いそうな最高気温を記録した。奈良では熱中症でなくなる人も出ている。昨日はひと雨欲しい、と空を見上げて「来たれ雨雲」と無言の雨乞いをしてみたりして午前中を過ごしたら、何と昼過ぎから曇り始め今にも雨が期待できそうな雰囲気になってきた。遠く奈良方面で雷鳴すら聞こえるではないか。結局、待てど暮らせど雨つぶは落ちては来なかった。雨に対する接し方は、日本とアメリカではまるで異なる。日本人は濡れるのを嫌う。留学中の経験ではアメリカ人は濡れることに大興奮で学生の中には大雨のキャンパスの芝の上で踊ったりもする者もいて、“外に出るぞ、さあ濡よう...「ひと雨欲しい」と言うと土砂降りに

  • 蝉(セミ)や花は自分のペースで生きている

    家の周りを掃除しながらセミが大合唱をする木を見上げて考えた。セミのように自分のペースを守って生きていく人生についてである。自分のペースを守る…言うのは容易だけれど、生きる上でこれほど難しいことはない。必死になって努力はしてみたという経験はある。我々人間が自分のペースを守るということはいかに困難なことかは人生途上のどこかで学ぶことになる。考えてみれば夏のセミ達や季節の花など自然は自分のペースを守ることの重要性を黙って我々に教えてくれているのではないかと考えた。春夏秋冬、各季節に咲く花は本当に自分のペースで生きている。暑い夏の花はヒマワリや朝顔が代表だ。寒い冬にも咲く花がある。サザンカ、シクラメンなどを思いつく。早咲きの花や遅咲きの花という言葉もある。次いで開花すると言う言葉が思い浮かんだ。全国で進行中の高校...蝉(セミ)や花は自分のペースで生きている

  • 「こんにちは」ではなく「暑いねー」が挨拶に

    近畿地方の梅雨が明けたらしいとの報道があった。“梅雨明け宣言”の後は暑い本格的な夏の気温で苦しむことになるのが例年のことだ。30歳代の宅配の男性とのひと言もやっぱり「暑いねー」だった。「“心頭滅却すれば…”の精神で頑張ってますわ」と返事が。「えらいことを言うなー」と感心しきり。「心頭滅却すれば火もまた涼し」誰の言葉だったっけ。有名な故事だったけどそれを調べるのは後にして、「どんな苦痛も心の持ち方次第で苦痛とは感じられなくなる」と言う意味だ。無念無想(雑念を退けて無心になること)の境地になれば火でも涼しく感じられる…う~ん、凡人の僕などにはちょっと無理かな、などと考えて苦笑い。暑さは即エアコンに結びつく。最近は熱中症対策ということで年寄りはあまり“もったいない精神”を発揮せずに適度にエアコンを利用するように...「こんにちは」ではなく「暑いねー」が挨拶に

  • 群衆の中の不思議な空白感

    連日35℃前後の暑さが続く中、社会とは、人々の活動とは、などを考えた。まず一つ目は、我が家から徒歩5分未満のすぐ近所で大火事があった。先週の土曜日の深夜11時ごろからくすぶり始めた化粧品梱包会社の倉庫は翌日の日曜日も一日中燃え続けた。とにかくあたり一面に表現し難い嫌な臭いが立ち込めて、我が家から100メートルほど先の家々は風が運ぶ煙の通過道となり時々停滞する煙は本当に周りを“燻製状態”に陥れた。消防車とサイレン、消防士の人達の慌ただしさと、火事場の野次馬、そして警察官の交通整理、大混乱の現場で、一人一人が消えていく。消化活動は、少しは気温の下がった夜まで続けられ、何とか鎮火に漕ぎ着けた。もう一つ、炎天下での一大イベント、京都の祇園祭の熱気が全国に伝えられる。京都観光協会が今年始めた特別プレミアム席はなんと...群衆の中の不思議な空白感

  • 蝉(セミ)の一生に哲学を学ぶ

    夜に降る雨のせいで羽が乾かなくて飛び出しに失敗したりなど、気象の影響を受けているのだろうか、今年は庭の木の蝉の鳴き声が例年のように騒々しくない。蝉の大合唱が騒音に変わるに従って、「蝉は何のために生きているのだろう?」と近所の人達となん度も話題にしたことを思い出す。不器用な飛び方をする蝉が何かにぶつかって命を落とすことが多々あって、亡骸に蟻が群がっているのをなん度も目にしてきたから、広い意味で食物連鎖の一環なのだろうとは思うが。若い時、友人とアメリカ横断ドライブ旅行をしたことがある。休憩で車を道路脇に停めて、広い牧場に立つ一本の木の影に何頭もの牛が口だけをモグモグさせながら休んでいるのを見ていたことがある。「彼らはすることがないんだよな」、ポツリと友人が言った言葉を何度も思い出すのは不思議なことだ。数年後日...蝉(セミ)の一生に哲学を学ぶ

  • 「推す」は倦怠感を消す栄養素?

    何となく分かったような気がしているけれどはっきりとは定義できない言葉が流行している。僕の最近のモヤモヤは「推す」とか「推し活」という言葉。何じゃそりゃ?――そろそろ調べてみようと思っていたら、ちょうど頃よく読売新聞に“推し活は人生の栄養素”という見出しで甲南女子大の池田大臣先生が解説している記事を見つけた。へえ~”推し活”は生きる栄養素にもなるんだ、と興味津々、しっかりと読んでみた。要するに「推す」というのは推薦の推を使ってお気に入りのアイドルのような人や物を作ること。「推し活」はその対象への“入れ込み活動”とでもいうのだろうか。その過程で同じ活動をしている人達と出会い、交流しながら異次元の世界を体験できるという。ま、何というか日常を破るというか倦怠感を打ち破るというか、そのようなものに役立つという事らし...「推す」は倦怠感を消す栄養素?

  • 七夕の日「暗闇があるから星が見える」

    昨日行ったスーパーの入り口に立派な笹の”七夕飾り"が目に入った。たくさんの短冊がぶら下がっていて、少しの間、願い事が書かれたそれらを調べることに。いろんな人の心に入り込む様な気がして、やや遠慮がちに調べてみると、みなさん本当にいろんな願い事をお持ちのようで、これが人間というものなのだなぁと3歩下がってもう一度七夕飾りの全体を見渡した。「おばあちゃんが長生きしますように」「サッカーの試合に出れますように」「戦争が終わればいいのに」「ピアノが上手く弾けますように」などなど、短冊が心に響く。昔、学生とキャンプ場で星を見上げたことがある。「すごい!」で終わらずじっと見入ってみよう、などと言ったことを覚えている。夜空に満天の星を見ていると人の頭、脳といったほうがいいのかが動き始める。そして心は感情を湧き上がらせる。...七夕の日「暗闇があるから星が見える」

  • 脳は"夜勤"を好む?

    20年ほど前に『インソムニア(不眠症)』という映画があった。誤って同僚を銃で撃ってしまった刑事の話。映画の様に自責の念や何らかの悩みを持っていて眠れないわけではない。歳をとると眠りが浅いというのか、ぐっすりと眠ったという満足感がない、と嘆く年寄りが多いと聞く。聞く、などと他人事のように言っているが、まさに僕の夜の状態である。ベットに入って眠りにつくのは早いのだが、3時間程度眠った後で目がぱっちり、あれやこれやといろんな思いや考えがが僕の脳を支配し始める。同時にトイレに…という悪いパターンが真夜中に始まる。日中に運動が足りないからだというアドバイスをもらったことがあって、いろいろ運動を試みたけれど一向に効果は出ないで改善されることはなく僕の脳は夜勤状態が…。「不眠症は私のインスピレーションだ」と言った作家が...脳は"夜勤"を好む?

  • 大金持ちは“貯金”って何と聞く

    イギリスの富豪達が参加した「深海に横たわるタイタニック号見学ツアー(参加費用一人3,500万円)」の惨事について気になって仕方がない。人命が失われた事故などのことは、亡くなった人達のご冥福を祈るだけであまりブログで触れる様なものだとは思っていないことを断っておかねば、と思いながら、とにかく話を続けよう。僕が通ったアメリカの大学にとにかく家が資産家で全くお金には無頓着という若者がいた。成績は普通だったというが薬物摂取のせいで2階の窓から飛び降りて足を折って入院しただの、深夜に高級車を乗り回して事故を起こしただのと、常に街の噂になっていた。この若者、結局、何度目かの自動車事故で命を落とすこととなった。まだ19歳だった。この話とほぼ同時期に、もう一人、別の州の話だが、大学卒業と同時に莫大な遺産が転がり込んで結局...大金持ちは“貯金”って何と聞く

  • 結婚という名の冒険

    友人とも言えないが、名前は明らかにはできない知人とでも言おうか、その彼と昨日は結婚しない二人の息子さんの話をした。「困ったものだ」と言いながら、「ま、結婚が全てとは言わないけれど…」とややこしいことを言いながら、やっぱり困っている。そう言えばつい先日も、結婚しない娘を心配している母親の人生相談記事も新聞に載っていた。若者の結婚離れは何が問題なのかは誰も明確な答えを持ち合わせていない。そんな中で、世間では少子化による人口減少を回避、緩和するには出産や子育てを支える政策の充実が考えられる、などという記事が新聞を賑わせている。子育ての経済的負担が若者の結婚回避の原因であるかのように聞こえてくる。本当にそういうことなのだろうか。僕には少子化問題の前に、結婚にロマン、つまり甘美な夢や期待をもたらす事柄が想像出来ない...結婚という名の冒険

  • 大事な言葉が聞こえない

    草花は律儀に時期がくれば確実にその存在を外の世界に知らせる能力を持っている。同時に立春だの夏至などの二十四節気まで知らせてくれる。庭の植木鉢のクチナシの花が一輪また咲き始めた。三分咲きである。鼻を近づけると独特の匂いを感じることができる。この花はなぜ“くちなし(口無し)”と呼ぶのかがいつも気になる。僕の解釈は静かに黙って自分の存在や季節を告げるからだと思っている。口がないから喋れない。でも、この花の意思伝達能力はすごいと思う。「意思伝達能力」で思い出した。庭の植木鉢に朝の水やりをしていると、黄色い帽子の子供達が黙々(?)と三々五々家の前の角を曲がって小学校に歩いていく。朝の声かけの若い先生が旗を持って立っていて子供たちを迎えている。忙しい公務の中のこの任務、本当にご苦労様と声をかけたい…ところだが、気にな...大事な言葉が聞こえない

  • 一身上の都合により生きています

    玄関ドアを開けて3歩踏み出した足元にアリ(蟻)が行列を組んで3日目だ。別にアリを目の敵にしているわけではないが、ちょっと僕の生活圏に近づきすぎているように思う。気になって仕方がないので行列の跡を辿ってみると、長い間僕の家に居ついて今にいたったシンビジウム(ラン科の花)の植木鉢だ。友人に何かの折にいただいたが毎年少し色褪せたとはいうものの花を咲かすので処分できない。その植木鉢の底が彼等アリ軍団の目指す所だと判明した。本意ではないけれど何とか撃退しなければならない。到達した結論は市販のアリ退治スプレーだ。何度かスプレーをかけて退治したとおもっても2時間もすればまた行列ができている。適当なところで隊列作りを諦めてくれないと軍団の絶滅に繋がるぞ、などと呟きながらスプレーをかけるのだが彼らも諦めない。この戦いはあと...一身上の都合により生きています

  • 人生を歩くこと

    このブログに何度か登場した近所の新築の3軒の前に「好評売出中」というバナーがはためき始めてから1ヶ月を超えた。三軒の家はまだ住人が決まっていないということだろうか。今日は表の道路の側溝の工事に二人の男性が携わっている。一人は若く施工の方法を勉強中。考えてみればどんな分野でも見習いや学習の過程が必要だ。ただ、どんな世界でも弟子を育てる王道のようなものはないらしい。昔、アメリカのニュージャージー州のグレンオークスのカントリークラブで知人の紹介で夏のアルバイトをさせてもらったことがあった。とにかく教える側は手本(example)を示し、あとは小言(nagging)を繰り返すこと、と言って笑った料理長がいた。赤ん坊はハイハイの時期を終えて、周りの人達の歓声の中で立ち上がる喜びを覚えて、そして歩くことを始める。社会...人生を歩くこと

  • 貴方以上のあなたは存在しない

    昨日の月曜日は新聞の休刊日。日曜日の新聞は目立った記事だけを読んで、残りは月曜日の朝のために残しておく。これは休刊日の前日の僕の新聞の読み方だ。2日に分けて読むことで小さい出来事の記事や案外面白いものに出会うこともある。先日の読売新聞に、出荷の出来ないいびつな形の捨てられる運命の野菜を使って「お野菜絵の具」を作っっている京都府の山内瑠華さんの話に興味を持った。“へんてこりんでも輝ける”という副題がついていた。心の琴線(きんせん)に触れるいい言葉をメモすることは僕が長い間続けている習慣と言えるものだろうか。新聞で読む人生相談の人達の悩みの多くが自分を探しているというか、自分の存在を深刻に考えすぎているように思うことがる。人は違って当たり前、気楽にいきましょう。世間でいう常識から外れて“へんてこりん”であると...貴方以上のあなたは存在しない

  • 霧が晴れれば見えてくる

    高校生だった頃よく作文コンクールに応募して、何度か賞をいただいた経験がある。そのため先生に”文学青年”などとあだ名のようなものをつけられていたことを思い出した。そのような経緯があって僕は若い頃、文学青年に憧れた時があった。時代がそういう時代であったように思う。短編小説めいたものを書いては悦に言っていた時代があった。今思えば本当に恥ずかしい限りだが、それなりに僕の人生や考え方に影響を与えた出来事だったように思う。例によって断捨離はまだまだ僕の日常の活動の重要な一部なのだが、先日は『若きウェルテルの悩み』や『ファスト』の作者として知られているゲーテ(ドイツの小説家、劇作家、詩人、科学者、政治家)の名言というのか格言と呼ぶのかのメモが出てきた。また何となく捨てがたいメモ帳は何とか整理して孫達に残そうかなどと余計...霧が晴れれば見えてくる

  • 人生は周りの環境で変わる

    断捨離をやればやるほど何と多くのものを深く考えもせずに溜め込んできたものだと自分ながら感心する。今は不必要になってほとんど処分するのが通常だが、一つだけ復活したものがある。囲碁盤と碁石の入った木製の碁笥(ごけ)、囲碁講座本の十冊ほどがそれである。プロの対局を一人で「ふむふむ…」と納得しながら碁石を並べていく。“囲碁の面白さ”とは何かを考えてみた。まずは厚みが10センチほどで脚のついた僕のお気に入りの碁盤である。それからどうしても処分できない囲碁講座の本。僕がアメリカから帰国した50数年前、義理の父や家族と囲碁を打ちながら楽しんだことが忘れられない。僕はどうやら初段に近い棋力になっていたのだろうか、本は全て「初段位挑戦」というタイトルがある。囲碁は陣地取りゲームと言ってしまえばそれまでだが、そんなに軽いもの...人生は周りの環境で変わる

  • 衣替えの時節に考える

    もう六月!月替わりの2、3日は日々の経過の速さに感心することが多い。衣替えのこの時期は気温が安定しない。朝晩と日中の気温差に頻繁に着替えしながら、これは歳のせいだろうかと考えたりもするが、若い人も同じだというので安心したりもする。朝に家の前を駅に急ぐ通勤の人たちや通学の学童の服装もバラバラであることに気がついた。私立高校でも自分の体感に合わせて制服を調整できるようになったという。一般に僕の世代の人間は六月になると一斉に服装が夏服に変わるという意識が強い。学校生活では白い半袖のシャツに変わる月だったからだ。近頃は季節の切れ目のようなものを感じる機会がなくなった。テレビなどを見ていると、特に女性の出演者の服装などは真冬でも夏のようにスリーブレスを着ている人もいるし、服装は特に自由で人のことを気にする必要がなく...衣替えの時節に考える

  • 早起きは三文の…表と裏

    「お兄ちゃんは足が早いからええわ」と言いながら家の前を走りすぎた女の子がいた。ちょうど雨が降り出してランドセルを背負った妹の小学生には走りづらかったのだろう。人と比べる弊害については何度も耳にして来たように思う。兄弟同士、友人同士、その他いろんな状況の中で、我々は当たり前のように人を比べてしまっている。自分を他人と比較することはうまく行っても悪くいっても碌なことはない。自分を苦しめたり、他人を苦しめたりもする作用があるからだ。人と比べることで、場合によっては自分を傷つけることになる。自分にとって都合が良くても他人を傷つけることになるかもしれない。教育の場は考えてみれば意図しなくても人間関係の微妙な環境を作ってしまう場なのかもしれないと現場から離れて感じることがある。物事にはいつも両面があって「早起きは三文...早起きは三文の…表と裏

  • 人生の「昨日、今日、明日」

    我が家の庭には古い二本の木犀(もくせい)の木があってちょうど今頃の日中には僕にとっての絶好の日陰休憩の場となっている。ボヤッと椅子に座って考え事をしたり、何も考えずに脳を休めたりする場を提供してくれるのだ。なかなか金銀二本の木犀の木が揃っているということは珍しいことで、秋にあの甘い匂いを当たり一面に撒き散らす。近所の人が楽しみにしていてなんとなく僕の自慢の二本の木である。一体誰がここに植えたのだろうか。ご先祖のどなたが植えたのかなど分かるよしもない。そんなことを考えながら、昨日や今日や明日のことを考えてみた。あのアインシュタインがいみじくも残した名言がある…「昨日に学び、今日を生きて、明日に希望をLearnfromyesterday,livefortoday,hopefortomorrow.」若い時には特...人生の「昨日、今日、明日」

  • 待てど暮らせど来ぬ平穏

    5月の今頃になると我が家の庭に宵待草の黄色い可憐な花が10輪ばかり咲く一角がある。どこから来たのかがわからない。いつしか毎年開花するようになって大歓迎なのだが、宵待草は雑草なのかなぁ。太陽が西に沈みかけてその日の暑さがやっとひと段落して、一番心地よい時間に淡い黄色い花を咲かすのである。トワイライトタイムというのかこの時間帯は僕を哲学者にしてくれる時間だ。気持ちがゆったりしていて考えたり“ひとり時間”を楽しんだりと最高の時間なのだ。今日は空を見上げたり、宵待草をスマホで写真を撮ったりしながら頭をよぎったことを整理してみた。一つは広島で開催されたG7のこと。人々が地球上で仲良くお互いの違いを認めながら共存共栄、平和に過ごせたら問題はない。でも、自国を中心に世界を、地球を回転させることばかり考えている自己中な政...待てど暮らせど来ぬ平穏

  • 扇風機に向かって「あ~」と言う

    突然夏が来た!…と思ったら今日はまた小雨ふる肌寒さ。大阪ではこの時節としては珍しく、むしろ寒さが勝る温度である。つい先日の水曜日には東京では32.5度、大阪でも30,0度の最高気温だ。一気に半袖どころか熱中症すら報道されるほどの急変であった。温度の急変ということになると衣服の衣替えから勢い今度は扇風機の出番である。我が家では、真夏はエアコンと扇風機の併用で、汗を吹き飛ばしてホッとさせてくれるのは扇風機の方だ。誰がこんな便利なものを発明したのかといえば、もちろんあの発明王、トーマス・エジソンである。“私は失敗した経験はない。うまくいかない1万通りを経験をしただけだ”という名言はいつも僕を力付けてくれたことを思い出す。僕はエジソンから工夫の重要性を学んだと思っている。偉人の伝記を読むのが好きだった子どもの頃の...扇風機に向かって「あ~」と言う

  • “とにかくやってみよう”の精神

    急に思い立って、気の向いた時に物事をする人のことを半分からかって「むいたはん」という。これは大阪弁なのかどうかは定かではない。ま、いずれにしろ僕の断捨離は「むいたはん」であることは間違いがない。一時期、かなり熱心に実行していた断捨離は、最近では本当に気が向いた時にしかやらなくなった。何より断捨離だの片付けに少し飽きが来ていることは事実である。昨日の片付けで断捨離はまだまだやり続けなければならないことを実感した。断、捨、離、は僕に決断を迫る。残りの人生、僕はどこまで身軽になることができるのだろうか。押入れの奥から34、5年前の書籍や写真、メモ帳などが段ボールの中から出てきた。僕がいなくなった後、誰がこれらを必要とするのだろうか。僕にとっては懐かしい教え子との写真、でも一緒に写っている学生だった人たちの名前も...“とにかくやってみよう”の精神

  • 森林浴成果聞かれ「蚊に5箇所」

    朝夕と昼間の温度差に戸惑いながら、とりあえず夏が来たと実感する。昼間は25度程度まで温度は上がると同時に蚊が飛び始めたのだ。最近は蚊の出現時期が早くなったような気がして、蚊が天敵の僕にしてみれば嬉しい兆候ではない。我が家の近くにある側溝が発生源なのだろうか。市役所に頼んで防虫剤などを散布してもらわなければ今年の夏も庭ではイライラさせられる羽目になる。蚊の存在理由が僕にはわからない。蚊が「献血を…」と広報活動の手助けをしているとも思えない。密かに努力、研究している川柳作りで一句、「蚊が飛んだみんなが拍手で出迎えた」。別に拍手をしているのではない、蚊をやっつけようとしているだけだ。川柳といえば当然のこと、俳句との違いを知りたくなる。川柳は人々の暮らしや世の出来事が中心でユーモアも含んで人間臭さが主題となると思...森林浴成果聞かれ「蚊に5箇所」

  • 天災とは“人生の目覚まし時計”

    また地震が。日本は地震列島とは言うが最近は比較的大きな規模の地震は特に石川県能登地方を震源としたものが多いという印象だ。今回は同県珠洲市で震度6を記録したという。何と言っても、連休の最終日、それも子供の日にである。僕は大阪生まれの大阪育ち、人生で大きな地震に遭遇した経験はといえば阪神大震災ぐらいのものである。早朝の突き上げる様な振動で目覚めたことを忘れることはできない。天井の隙間から漏れ落ちる埃の煙が頭から離れない。地震を始め天災が恐ろしいと僕が感じる理由は人に与える無力感、ヘルプレス精神状態である。僕は地震に対しては割と敏感だ。子供の頃に頻発した小規模地震のせいだろうか、いや阪神大震災の影響だろうか、地震は“目覚まし時計”のような存在だと思う。つまり我々が当たり前のこととして受け止めて、日常に忘れていた...天災とは“人生の目覚まし時計”

  • 連休の混雑と「何とかなるだろう心理」

    スマホは現代の我々の生活に欠かせない存在だ。コロナ禍も相まって、そんなことを言っているうちにスマホに支配される日常に変化してしまった。そこでこの連休は「スマホから離れて外に出かけよう」ということになり、この声かけで皆が一斉に外に出る。行き先はイベント会場、大阪では難波宮の“世界の食フェスタ”、大阪城公園ではいろんな種類の“餃子の食べ比べ”などのイベントが。人はなぜ混雑するところにわざわざ足を向けるのだろう。人が集まるところでは、必ずと言っていいほど見受けられる行列、簡易トイレの不便さと不愉快さ。道路は渋滞で普段なら20分程度で行ける場所にも2時間もかかると報道されていた(歳をとって短時間で尿意をもよおすようになり、そちらの方が気にかかる)。群れる心理、群集心理とは「個人が群衆の一人になった時に生じる特殊な...連休の混雑と「何とかなるだろう心理」

  • “成長や進歩”は“過程や途上”を意味する

    日常の会話に「生成AI」だの「チャットGPT」が登場することが増えてきた。僕の年齢の近所の知人や友人との間の話題。「それって何?」「説明してほしんだけど」ということになる。僕だってそんなに詳しいわけではないが、それなりに理解して新聞を読んだりしているつもりである。この系統の問題は少しは英語と共に生きてきた僕には調べると内容が大体わかることがあるのはラッキーだと思っている。「生成AI」とはとにかく前もって集めたデータを基に文章を始め、画像や音楽までも作成するととだと学んだ。「チャットGPT」のGとは生成(英語のgenerative)の頭文字だし、Pとは前もって学習する(pre-learned)の頭文字になっていることで初期の理解はなんとなく済ませることができる。それにしても、こんなものを悪意を持って利用すれ...“成長や進歩”は“過程や途上”を意味する

  • すぐ鼻の下の幸せ?

    朝夕の温度差、いわゆる温度の日較差に着替えを頻繁にくりかえる毎日である。昨日、今日と連続して日中はかなりの温度になって、場合によっては暑さすら感じる。忘れていたが我が家のカーポートの下で冬を越した赤紫のサフィニアが見事な花を三つ、「忘れていませんか私のことを」と言わんばかりに咲き誇っている。一年草とばかり思っていたこの花は調べてみると案外冬を越せる生命力を持っていることを知った。冬の間、たま~に水をやる程度で特に面倒を見たわけでもないのに季節が巡って暖かくなると律儀に花を咲かせてくれる。サフィニアの花言葉は“咲きたての笑顔”と言われていることを知った。見ている人を笑顔にしてくれる咲き姿がそんな花言葉を生んだのだという。花は皆、そのような雰囲気を持っているとは思うけれど、桜やこのサファイアなどは寒い冬を越し...すぐ鼻の下の幸せ?

  • 後で気分が良いことと悪いこと

    喫煙者が吸い殻のポイ捨てをする行為と同じ次元の問題なのだろうか。菓子パンやコンビニで売っているおにぎりの外袋を道に捨てる人がいる。毎日ではないが2,3日に一度という頻繁さである。家の周りを掃除するのも僕の1日の日課だが、いったい誰が、と興味を持った。朝の時間帯を考えるとどうやら中学生の仕業であるという推察が成り立った。家の周りのゴミ拾いは別に気にもしていないが、気になるのは朝の通学時間にパンだのおにぎりを歩きながら食べるということや袋を道に捨てるという行為である。昨今の社会問題を反映しているような気がして背景を想像してしまう。例えば、母親が朝早くから仕事に出かけなければならなくて、「おにぎりでも買って食べといて」などという会話が聞こえてくる。いや、単にゆっくり朝食をとっている時間がないのではないか。そんな...後で気分が良いことと悪いこと

  • 老人は何を指折り数えて生きるのか

    少しは割り引いて受け取らなければならないが、年齢をだいたい70歳前半に見られることが多い。嬉しい気もあるが、僕本人は実際のところ何をするにもやや大義感があり、世間でいう“80歳の壁”なるものと戦っているような気がする。これではいけないと足踏み体操をはじめ身体を動かす軽い運動を心がけている。そんな折、先日は僕の生活にちょっとした緊張が走った。いわゆる訪問販売だ。屋根の補修屋と名乗る若者が玄関ベルを鳴らした。丁寧な口調で「恐れ入りますが対面応対をお願いできますか」ときた。「隣の家の鬼瓦が落ちたのでその補修をしていて気付いたのですが…」と切り出して、僕の家の樋が枯れ葉で詰まっているのでその掃除と瓦のズレを矯正した方が良い、との提案訪問販売である。僕は暇さえあれば庭に出て草木の新緑を楽しんだりして家の周りを観察し...老人は何を指折り数えて生きるのか

  • 過剰放送は右の耳から左の耳へ

    40年ぶりのの古い友人との再会の約束に喜び勇んで大阪市内に出かけた。大阪メトロの本町駅は昼前の11時前というのにすごい人出で驚かされた。4月の今頃は黒いスーツにネクタイ、新入社員の活躍する時期だ。そう言えば僕が現役のコロナ以前、大学も4月は新入生でキャンパスが賑やかで駅と大学を結ぶバスも混み合ってほぼギュウギュウ詰めの状態だったことを思い出した。5月、6月と月が進むに従ってバスも電車も混み具合が解消されて移動がしやすくなる。いまだにこれが何を意味しているのかが理解できないでいる。急に新入生や新入社員がいなくなるはずがないんだから。それはそれとして、僕が驚いたのは本町駅のアナウンスである。電車の乗降に’降りる人を優先して前を開けて’というお願いとも注意とも取れる構内放送から始まって駅中にガンガン響く案内のア...過剰放送は右の耳から左の耳へ

  • “不器用?”気にしない、気にしない

    数日前、次のような文面のチラシを手渡された。「お近くの路上でガス工事を実施予定です。工事中は安全を心がけ、できる限りご不便のないよう努力して工事を進めますので、ご協力くださいますようよろしくお願いいたします」近所の新築工事もいよいよ大詰めを迎えたようだ。今日はその工事の日、車両の通行を制御する係の男性が二人、工事の進行に合わせて交通整理で大忙しである。自転車やバイクは通している。交通整理の男性の一人が相棒から怒鳴り散らされている。聞いていると通りかかってくる人や車の通行止めを説明して迂回してもらうことがうまく説明できていないようだ。おまけに手に持っている赤と白の旗をどうも間違う傾向にあるらしい。自分でも「不器用ですみません」と謝っていて、なんとなく気の毒になった。(僕:気にするな)昔、アメリカでクラムジィ...“不器用?”気にしない、気にしない

  • 洗濯と皿洗い、汚しては洗うの繰り返し

    桜を散らす先週末の鬱陶しい日々が一転、日曜日と昨日は少し強い風が時々吹くことがあったとはいえ素晴らしい春らしい日が帰ってきた。今日は春の陽気の中いつもの通り女房と二人で洗濯だの外干しなどをしてなんとなく気持ちがスッキリした。それにしても洗濯という家事は食事後の皿洗いと同様に終わりのない繰り返しの作業だ。洗っては汚し、汚しては洗うという繰り返しだ。近所で新築工事をしている大工さんの仕事のように毎日の仕事の成果が目に見えて出るという種ものではない。かつて半世紀も前になるだろうか、アメリカで知った「女性学Women’sstudies」を思い出す。女性の仕事とされたこの二つの家事からの解放が、女性の地位向上につながるなどという話をなん度も学生にしたことを思い出した。僕のアメリカ人の日常生活の話は世話になったアメリ...洗濯と皿洗い、汚しては洗うの繰り返し

  • “引っ越し”は何を語る

    春はお別れの季節だ、などという人の話を耳に挟んだ。春とは希望や期待の季節とばかり捉えていた僕を驚かせる言葉だった。なるほど考えてみれば外に向かって羽ばたく巣立ちの季節だと考えると、今まで自分を育んでくれた家族や友人とのお別れの季節でもあるのだなぁ。そう言えば、近くに大きなマンションがある。あまり気にも留めなかったが、そのマンションの前には連日引越しのトラックが駐車していて荷物を運び込んでいた。今日も雨の中を誰かが越してきたようだ。この季節は門出の時で特に若者がさまざまな目的を持って移動している季節なのだ。“お別れ”などと日本ではちょっとセンチメンタルな気分も味わう引っ越しではあるが、アメリカでは少し趣が違っていたことを思い出した。フリーウエイを運転していると引越し用のトレイラー、ユーホール(U-haul)...“引っ越し”は何を語る

  • 春は元気と期待と共にやてくる

    “春は日なたでは夏、日陰では冬Springisthetimeofyearwhenitissummerinthesunandwinterintheshade.”などと言ったのはあのチャールズ・ディケンズだ。社会の弱者の視点から世の中を見つめたこの作家の残したこの言葉は何を意味しているのだろうか。陽の当たる場所と人々、そして日陰の人々を風刺したものだろうとの想像に難くない。それでも素直にこの文を考えてみると、さすが文学者、春の季節の気温を的確に表したものだとつくづく思う。さて、現実に戻ってみると、桜もそろそろ散り始めた所もあるというニュースの裏で、元気に咲き誇っている桜が大半の日本の春が満開である。陽光に誘われて庭をぶらぶら、草木の新芽が新しい季節の到来を告げている。我が家の庭では樫の木や木犀の新芽が古い葉を...春は元気と期待と共にやてくる

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