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2017/07/18

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  • 愛想とありがとうに税金はかからない

    女房はスーパーで買い物、僕はスーパーとエレベーターを共有する大量物販店の広いフロアを昔でいうウインドウショッピングで楽しんだ。一階の角にかなりの床面積をもつ園芸店を訪れて手に入れたのがなぜかコーヒーツリーという小さな観賞用の木。本当は成長してコーヒー豆もつける木らしいが日本では単に机の上にでも置いて深い緑の葉を楽しむということで終わるらしい。話はその木の物語ではなく、そのお店をひとりで店番や客の対応、掃除をしている50代初めの女性の動きである。彼女にチラチラと目をやっていた理由は、この女性なにか不満か家庭内の問題でもあるのだろうか、とにかく愛想が悪い。“話しかけないで”という雰囲気をもっていて、僕はこの木の育て方などを聞くことをやめて結局購入することになったのだ。「レジお願いします」という僕にまず返事がな...愛想とありがとうに税金はかからない

  • 人生の始まりは皆同じ?終わりは?

    MLBのドジャースの大谷翔平選手に女の赤ちゃんが生まれたというニュースに、「なんか羨ましいなー」「おめでとう」という祝福の声に混じって哲学的に人生の始まりと終わりを考えるような人もいるというようなことを耳にした。どういうこと?有名人、大金持ち、そんな親をもって生まれた時から、なんというか、アドバンテージ(有利性、強み)をもって世に名乗りを上げるような人はいる。そんな人には「ま、よかったね」ということになるのだろうが人生、将来はわからないから面白い。うまくそのアドバンテージを利用して生きていく人もいれば、金使いが荒く自分で自分の人生を破壊してしまう人もいる。僕が留学した大学の或る男子学生、大金持ちの家の息子で有名だった。いつも高級車を乗り回して、大学2年生の時だったと思うが飲酒運転で橋から川に転落して命を落...人生の始まりは皆同じ?終わりは?

  • 言葉は“普通に”変化する(?)

    早朝に新聞を開く時に「さあ、今日も始まるぞ!」となんとも言えない高揚感を感じる。今朝の新聞は「全国学力テスト問題」に数ページをさいている。どれどれ、先ずは小学国語の問題だ。新聞紙まるまる1ページの問題を45分間で解くことになっている。どの問題もかなりの読解力と僕に言わせれば集中力が要求されている。最後の大問3に到達するまでにすでに疲れが襲ってくる。根気がなくなってきたのを感じる。大問3の内容は“時代や世代によって言葉の意味や使われ方が変化する”という題材で資料を中心に読み込んで問いに答えていくというものだ。さて、全体的に何問正解したかは横においておいて、僕が日頃思い当たる言葉の変化というか使い方の違和感というか、(人によってちがうとは思うが)使いきれない言葉が二つすぐに思いついた。“かわいい”と”普通に”...言葉は“普通に”変化する(?)

  • なんでやろ?文句タラタラ大阪万博

    大阪に55年ぶりに万博がやってきた。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」…なんともスカッとしない文言だなぁ。あーそれから無理矢理な意味づけに見えるミャクミャクさん、目があちこちにあって気味悪いなどと厳しい声も聞こえてくる。大阪万博、どうしてこんなに不評なのか分かるような気もしないではない。おまけに追い打ちをかけるように雨に祟られた万博開始の二日間、雨と冷たい風でズボンがずぶ濡れ、物が高すぎる、と次々と出てくる不満の声。おまけに“並ばない万博”といいながら入場に1時間以上も並んでいたという人も。僕はとにかく列に並ぶことが大嫌い、盛んにTVで報道される人気ラーメン店の行列をみているとならんでいる人たちはどんな職業の人なのかが気になってくる。だいぶ暇な人達なのかなと余計なことが気なったりする。もちろん個人情...なんでやろ?文句タラタラ大阪万博

  • 「習慣」は迷いの無駄時間から解放してくれる

    いつものように僕の朝の習慣、家の周りの掃除や塀に沿って生え始めた雑草抜きをしていたら町内を散歩することが習慣だという老人(きっと僕より若いと思う)に話しかけられた。曜日や時間にもよるのだろうがこの人にお目にかかったのは不思議と今日が初めてだ。別のいつもお目にかかる人は少し認知が入っているご様子で一度捕まると何度も同じことを聞かされる。生まれた年から話が始まって若い時には教師をしていたとか子供の話に及んで僕などは生年月日から息子さんや娘さん、そしてお孫さんの一人の名前まで言えるほど同じことを聞かされた。その人はいまはどこかの施設に入っていると耳にして、言われてみれば彼とはしばらく会っていない。今朝の初めて会った人人に話を戻すと、彼は“習慣”が大切だということとを何度も強調されていた。少ししつこさはあるが特に...「習慣」は迷いの無駄時間から解放してくれる

  • なぜか人生が見える気もする桜の開花

    春という季節はきまぐれで落ち着かない季節だ。たとえば各地の気象現象、全くばらばらで雹(みぞれ)が降って逃げ惑う人々の映像を見たかと思えば、桜の花見でお弁当だのお酒だのとおおはしゃぎ、入社祝いを桜の下でなどと様々な企画で春の到来を楽しんでいる人達もいる。桜の花の満開を祝う人を尻目に場所によっては散り始めた花びらに無情を感じたりする人もいる。春の花、桜はいろんな人々を映す鏡のようだ。アメリカのメリーランド州に住む友人から桜の満開を伝えるメールとすぐ近くのワシントンDCの様子をうつした写真を頂戴した。1912年に日本から送られた桜の満開に日米友好のシンボルとなったこの花を別の意味で鑑賞する人もいる。土曜日から始まった各地の学校関係の入学式などは人生のけじめをつける分岐点となる。僕が留学で驚いたのはアメリカには入...なぜか人生が見える気もする桜の開花

  • プラクティカル・ジョークと言われる悪ふざけ

    お弁当の「ほっかほっか亭」がツイッターで投稿したエイプリルフールの冗談嘘、“全店舗でライスの販売を停止します”、“価格高騰の波に抗(あがらえ)なくなりました”などと取締役の名前入りの投稿となると誰もが信じてしまいそう。日本では西洋のエイプリルフールは浸透しているようでそうでもないという中途半端な存在だと4月が来る度に感じる。日本では結局、「お騒がせしました。配慮が足りませんでした」とチェーン店が謝るけれど、アメリカでは大うけになるかも。アメリカ留学中、僕は友人の学生達から4月1日は全てを疑ってかかれと教えられたのに、この投稿を一瞬信じかけた。4/1はそこら中で値上げのラッシュだの、お米の値段が上がっているなどのTVニュースを見た後だから余計に信憑性がある。コシヒカリ5kgが5年前は2439円、今年の一月に...プラクティカル・ジョークと言われる悪ふざけ

  • へぇ~木々の落葉は生存競争の一端だって

    アメリカのミネソタ州の友人からメールが届いた。“4月の雨は5月の花を連れてくる”という文でメールが始まっていた。日本でも春のひと雨が周りの雑草に生気を与える、と解釈しようなどと頭に浮かんだのは我が家の庭の雑草の勢いが増すということだ。我が家では4月に入って気温の上昇に合わせて毎年のようにひと雨来るたびに勢いを増す雑草の草抜きに追いまくられるのだ。先日の30日、日曜日の読売新聞に秋になると一面に黄色い葉を撒き散らすイチョウの葉にはアレロパシーという化学物質が含まれていて、この物質に覆われた場所には雑草が生えにくいという記事を見つけた。植物や木々などには「他感作用」と呼ばれる能力があって、生存競争に勝つために周りの生物を感じ取ることが出来るらしい。自らの繁栄のために周囲に葉を撒き散らし、この物質に覆われた場所...へぇ~木々の落葉は生存競争の一端だって

  • 花粉症にはトイレットペーパーが必需品(?)

    昨日は素晴らしい天気。午後には温度も25度となってもう暑さを感じる。春の麗らかな日差しなどという言葉はどこへやらその雰囲気すら感じられない。ちょっと用があって近鉄の東花園駅まで時間をかけて歩くことに決めた。途中にある広いラグビー場公園では子供を含めて多くの人が出てそれぞれサッカーだの散歩だのと自分の時間を楽しんでいる。その中に金髪の外国人女性が二人何かを口に運びながらベンチで会話を楽しんでいる。「どこから来たの?」と聞いてみるとアルゼンチンという答えが返って来た。これはまずい、スペイン語はチラホラ単語はわかるけれど会話などができるレベルではない。Haveagoodday!など言って早々に引き上げた。ところでこの二人組みのひとり、細身の女性がティッシュを片手に盛んに鼻をすすっていた。花粉に悩まされているのだ...花粉症にはトイレットペーパーが必需品(?)

  • Spring has come.―-身体を動かす春が来た

    昨日に続いて今日も気温はぐんぐん上がっていよいよ春本番、どころかそれを通り越して京都では25度にとどいたという。暖かくなると不思議なものだ、明るい日差しと暖かさに誘われて、なぜか部屋の模様替えをしたくなった。何も今日しなくてもいいことだし机などあれやこれやと動かしたりしていると疲れるぞ、という声がどこかで聞こえるのだけれど、それでも体を動かしたい気分が勝る気がする。温度が体に及ぼす影響力は侮れない。動きたくなるのだ。あ~やっぱり冬よりは春や夏、寒い季節よりは暖かい季節がいい。本当に身勝手なものだとつくづく思う。もう一つ、なぜかわからないが不意に思い出したことがある。ずいぶん昔、アメリカ留学中、結果はわからないけれどやってみるべきだ、という表現を覚えたことがある。“Giveitatry!(やってみれば!)”...Springhascome.―-身体を動かす春が来た

  • 春分の日、周りがなんとなく慌ただしい

    昨日は春分の日、だいたい毎年20日か21日にその日が当たるらしいのだが、何か家族で特別な思い出などがある人以外は誰もその日を特別な思いを持って迎えるということはない。単に休日ということか。でも長い冬が終わりをつげるような感覚はあるのだが昨日はとにかく冷たい風が春を思わせる素晴らしい天気の下で吹き荒れて、季節感がごちゃごちゃになる。そんな中でお彼岸の墓参りを済ませた。墓参りの背中にやはり春の陽光を感じながら、なぜか春分の日は地球の北半球に住む人には待ち遠しかった日かもしれないが南半球では冬への入り口ではないかなどと考えていた。太陽の中心が赤道の真上を通るのが春分の日の頃というのを思い出したから。春分の日は夜と昼の長さがほぼ同じということになるのだが、季節に関しては日本などでは夏に向かい、オーストラリアなどで...春分の日、周りがなんとなく慌ただしい

  • 春は「やり直し」の季節

    一年のうちで春はどう考えても春夏秋冬と書くように季節の始まりだ。アメリカでの学校の9月始まりということもわからないではないが僕には収穫を終えた一年の終わりのような感覚を常に覚えていた。その点日本の学校での新学期や会社を通した仕事や社会生活への出発の季節としての捉え方の方がもっと春の意義が感じられるように思う。大阪の土、日、月曜日は春の雨が新しい季節への誘いとしてあたりに湿り気をもたらしてきた。よく言われるように春の雨は土の匂いがするといわれるのは乾燥した土に湿り気をもたらし、草木にとっては目覚めを促してまた新しい年の再出発、やり直しである。春の雨があるからいろんなものが生気を呼び起こされて目覚めてくる。春の雨には色々種類があるらしい。軽くハラハラと雪のように落ちてくるかと思えば空の雲の間から薄陽が漏れてく...春は「やり直し」の季節

  • 「もしもあの時…」が自分を育てる

    大阪弁の後悔、「あんなんこと言わんかったらよかった、せんかったらよかった(しなければよかった)」などと言うタイプのものを人は持ち合わせているという。東北大震災の日の登校時に母親との口喧嘩で別れた朝が永遠の別れになるとは想像もしていなかった、という人の話が新聞に出ていた。子供だった話者が生き残り、母親が津波に飲まれて帰らぬ人となったこの日の口喧嘩の思い出が後悔となって残ったという。記録をしていなかったのでその人の名も街の名も全く覚えていないのだけれど、僕の心からは離れない記事である。人はなぜ後悔というものを経験するのだろうか。後悔とは、を考えてみると、それは人を悲しみや自分を意気消沈の世界へ引き摺り込むという恐ろしい力をもっているものだ。生きるということ、それは過去、現在、そして未来への時間の経過を経験する...「もしもあの時…」が自分を育てる

  • 何だかんだと言いながら今も生きている

    僕の人生の大半は黒板や白板を背に、英語、国際交流、アメリカ社会の研究などを学生に話すことであった。だからとは言いたくないのだが細かい注意を漢字に払うことは怠って来たような気がする(黒板にチョコチョコと字を書くくせに…)。ま、それはそれとして最近は他の老人仲間と同じように漢字をド忘れすることが多くなって来て、国語辞典だの漢和辞典などを手にすることが面白くなって来た。今朝は「悩みと脳」の漢字について調べてみた。新聞には悩み相談や人生相談などそれぞれの人の日常の大なり小なりの苦悩が毎日のように記事となって登場する。悩むと言う字はコザトヘン、脳のヘンは月で二つの漢字の違いはそこだけだ(人間の体内の重要臓器はなぜか月ヘン)。脳にもいろいろあって大脳、中脳、小脳、などまだまだあるのだが我々が通常“脳”と言う時は大脳の...何だかんだと言いながら今も生きている

  • 期待のし過ぎは“ガッカリ”への道しるべ

    昨日と今日連続して“がっかり”ということばを耳にした。一つは気温がまた逆戻り、せっかく春が来たとはしゃいでいたのにがっかりだという声がそこらじゅうで聞こえた。もう一つは先日のトランプ大統領の施政演説。アメリカミネソタ州の友人からの電話、彼の“がっかり”はこれからの方向を示すべき演説が大統領の自慢話に偽情報、おまけにバイデン大統領のこきおろし、なんとかならないかこの横暴振りに、ということだった。そう言えばミネソタ州は民主党の人が多い州、さもありなん、などと思いながら相槌をうっていた。とは言え「古き良き時代をもう一度」、アメリカの保守的な人達はトランプ氏を選んだ。僕はブログで政治の話はしたくない。人は皆自分の信条があり考えがある。とはいえ、テレビで見た演説会場は完全に真っ二つ、これではアカンと僕までがっかり。...期待のし過ぎは“ガッカリ”への道しるべ

  • 春はやっぱり行動の季節だ

    冬の寒さを乗り越えたと思ったら、エアコンの室外機の調子が悪かったり、室外の給湯器の水漏れ、そうかと思えば井戸の室外の給水ポンプが壊れたり、家のあちこちで不調になる機器に軽いストレスを感じながら、自分と同じように家のあちこちで老齢化が進んでいることを実感する。何か冬の厳しさと関係があるのだろうか。なんとなく不気味な関連付けをしながら、それでも春がやって来たと思わせる3月1日の大阪の最高気温18.1度の気温にある種のワクワク感が…と思っていたら、また7度や8度に逆戻り。お天道さまは気まぐれやなー。それにしても春という季節、どうしてワクワクするのだろう。冬という季節が前にあって、何ヶ月か続いた寒さにウンザリ。そんな気持ちから解放してくれるのが春が伝える期待感だ。結婚適齢期の女性への戒めのように、“白馬に乗った王...春はやっぱり行動の季節だ

  • 春は出発を感じさせる希望の季節

    大雪に悩まされる日本列島。豪雪地の人々の奮闘の報道に同情以外になにもできなくて歯痒い思いをしていたこの一週間、やっとのことで厳しい寒さから解放される兆しが昨日、今日に感じられた。日差しが間違いなく春そのものなのである。なんとも言えない暖かさというか柔らかさというか優しさを感じて待ち遠しかった春の到来に喜びを感じた。“春”という季節は本当に不思議な季節でとにかく“希望”という言葉が頭に浮かぶ。日本では、教育の場では入学式が、新社会人の入社式が、桜の開花に合わせたように挙行され、世間が喜びに満たされる時節だからだろうか。僕はと言えば、春はやっぱり鶯の鳴き声と共にやってくるという感覚がある。現役の頃、大学の研究室の窓の外の小山から例の「ホーホケキョ」が聞こえたからである。かつて半世紀以上も前に住んでいたアメリカ...春は出発を感じさせる希望の季節

  • あれ?今日は日差しに春の匂いが

    朝起床して着替えを始めると同時になぜかクシャミをして水鼻がスーと落ちてくる。これは着替えで肌が寝床の中と外との違いを感じるからであると思うのでこの現象は容易に理解できる。それでも若い頃はそんなことは意識したこともないし実際にクシャミなどしなかったように思う。これもやっぱり肌の機能の衰えと関係があると最近は考えるようになった。子供には幼少の頃「なんで?どうして?」と頻繁に質問する面倒な時期がある子がいると聞いたことがある。エジソンもそんな子で大人にとっては面倒臭い子供だったようだ。例えば耳と鼻の穴は塞がっていないのは「なんで?」。僕の場合は、その理由は目を閉じて眠っている時でも火事の煙や物音が聞こえて危険を察知できるように作られているのだと母親に教わった。僕はなぜか昔から匂いには特に敏感で嫌な匂いはすぐに察...あれ?今日は日差しに春の匂いが

  • 朝シャワーで時間の効率化を知る

    何を思ったか真冬の2月にモーニングシャワーをやり始めた。朝早くとはいわないまでも7時であれ6時であれ目が覚めれば脱衣場を温めて風呂場に走り込んでシャワーを浴びる。アメリカに住んでいる時には理解できなかったこの習慣、アメリカ人はとにかく朝ベッドを出ればその日の最初の行動はシャワーを浴びること。日本の夜の風呂に慣れていた僕はどうしても朝シャワーに馴染めなかったのを思いだす。ま、昔のことはいいとして朝シャワー、これほど高効率のその日の事始めはない。その日のどこかでシャワーや風呂の時間をわざわざとる必要がないからだ。効率が良いという意味は個人生活の場面では時間的な効率を言う場合が多い。仕事に関する会社などでの効率化はいろいろ社会問題を引き起こす。業務改善やら生産性の向上という表現に名を借りて働く人より業績や成果に...朝シャワーで時間の効率化を知る

  • 真の意味で時間を買うことはできない

    年齢によって一年という時間経過の速度感覚が異なると聞く。10歳の人にとっては一年は10分の1、20歳の人にとっては20分の1とすると、80代の人には80分の1となる。つまり、歳をとるに従ってその年に応じた時間の感覚があることになる。年の暮れだの正月だのと騒いでいたら「もう2月の半ば、1日がアッという間にー」という声が聞こえてきた。人生の残された時間が気になる歳になって“時間とは?”などと考えたりすることが時々ある。現役の頃には「時間がない、時間がない」と人が言うのを何度耳にしたことだろうか。時間がないという人は言うだけで特に何かを具体的に本気でやり遂げたいというタイプではないのかもなどと考えて、できる限り使わないことを心がけていた頃が懐かしい。つまり時間とは、家という具体的なものを作り上げる大工さん、工芸...真の意味で時間を買うことはできない

  • なぜか周りに伝えなければならない言葉

    また気になる光景を見てしまった。”ひとり”で帰る小学生、多分、5、6年生。僕は以前から子供が独りで下校する姿が気になって仕方がない。本人はひとりでいることを楽しんでいるのかもしれないのになんとなく寂しげに見えて気になるのである。大人になってからの’ひとり時間’と子供の頃の’ひとり時間’は性質上異なると思うからである。人間は社会生活をする動物、良きにつけ悪しきにつけ子供の頃は特に人間関係を学ぶためには人と接する機会が絶対必要だと思い込んでいる。大人になってからのひとり時間はその性質が全く異なる。自分の考えをまとめたり、周りの人に気遣ったりすることなく、自由というか、ある種の開放感を味わえるからだ。現役の頃、人にとって最も大切な人とは、「黙ってそばにいてくれるだけで安心する人」などということを教えられたことが...なぜか周りに伝えなければならない言葉

  • 悩みや不安解消には行動だ!

    何度も繰り返し相談されたりした問題、それは勉強の悩みである。やっぱり悩まなければならない問題なのかなあ。“小耳にはさむ”という言葉がある。特に集中して聞き耳を立てるということではなく聞くとはなしに偶然耳にするという意味だ。電車を待つ駅で、電車の中で、本屋さんで、人の立ち話が自然と耳に入ってくる。会話を聞くとはなしに聞くのはほとんどの場合が女性同士の会話であることが面白い。男性はそれほど大きな声で話さないとも言えそうな気がする。僕は長年教育の場に居たからだろうか、この時節、何度も耳にしたのが小中学生の勉強に関する不満だとか親の心痛、子供が勉強でつまづいているとかいった種のものである。いつぞやの中学生の言葉が思い出される。「俺、勉強に向いてないねん」…うん、それはそれでいい。何をしても正解だけれど人生どこかで...悩みや不安解消には行動だ!

  • 表情が周りに送るメッセージ

    テレビの国際関係のニュースでは頻繁に顔が映し出されるアメリカのトランプ大統領、そう、彼の顔や表情を見ていて感じた。まずはあまり笑った顔を見たことがない。なんとなく自分のやり方にご満悦、「どうや!」というようなドヤ顔、そうかと思えば自信ありげな表情の裏で周りを気にするような表情もある。その原因は目つきかな、いや顔全体の表情だろうなぁ。どうしても彼の表情が気になるのは急な“思いつき?”かと思わせる発言をする時だ。関税問題もさることながら、カナダにアメリカの州になってみたらとか、グリーンランドやガザのアメリカ所有構想などと飛び出すトランプ節に「好きにして、タコにしてぇ」となんとなく真剣味がなくなってきた。表情、顔となると、ずいぶん昔、若い頃に一人の人間は何個もの顔を持っているということをなにかの本で読んだことが...表情が周りに送るメッセージ

  • 節分:宇宙から地球への豆まきが必要だ

    節分(2月2日)の豆まき行事で各地が賑わっている。子供の頃の豆まきの思い出がが蘇ってくる。節分とはもともとは文字通り四季の分かれ目ということであったらしい。節分の翌日が立春とされ今年は2月3日がその日にあたるという。ということで節分を過ぎると徐々に春の兆しがあちこちに見えるようになるという。ところがこの時節、実は一年の最低気温が記録される時期でもあるらしい。寒い!とにかく風が冷たい。立春という言葉がにくらしい。日本国中で見られる節分の豆まき行事は鬼を追い払って福を招くということで「鬼は外、福は内」と叫びながら豆をまく。悪い運気を追い出して良い運気を家に招き入れるなどと教えられたことも思い出す。一方、留学を中心にしばらく住んだアメリカではと考えると、もちろん日本の節分のようなものはない。それでも“グッド・ラ...節分:宇宙から地球への豆まきが必要だ

  • 人が言う「あ~幸せ」を集めてみると

    JR東海の新幹線検査用車両、黄色の「ドクターイエロー」が引退する。ドクターイエローはひたすら新幹線の線路を走り続けて線路の歪みや架線の状態、信号の状況などを検測する車両である。新幹線の縁の下の力持ち的な存在である。この車両の引退は鉄道ファンにとっては大変なことのようで、最後の勇姿を見届けなければなどと沿線や東京駅に大勢が集まって大騒ぎだったようである。「最後の勇姿を見ることができて最高に幸せです」などという人がいた。そう言えばドクターイエローは“出逢えば幸せが訪れる”ということで知られているらしい。人の幸せとはなんだろう…風呂上がりのビール一杯に1日の疲れが癒されて、「あ~幸せ」と叫ぶ人がいるかと思えば、散髪を終えてスッキリした気分で外に出て幸せを感じる人もいることも知っている。先日のテレビを見ていたら、...人が言う「あ~幸せ」を集めてみると

  • 健康の価値とは病気になって初めて知るもの

    政令指定都市の大阪市で全国に先駆けて市内全域で路上歩きなど喫煙禁止ということになった。違反すれば1,000円の過料徴収ということに。喫煙者には厳しいかもしれないけれど、健康や非喫煙者への影響などを考えるとやはり良いことだと思う。かつては僕も1日一箱程度という喫煙者の一人であった。タバコを吸っていた当時は男性は大人になるとタバコの煙を燻らしながらのスタイルが映画俳優の石原慎太郎さんやアメリカの西部劇のジョン・ウエインのカッコ良さと重なって皆が吸っていたように思う。それがアメリカで禁煙運動のようなものが強調される時代が来ていつの間にか喫煙のカッコ良さは否定されるようになって皆が禁煙に苦労したように思う。そうだ思い出した。禁煙運動真っ盛りのアメリカ、オレゴン州のポートランド市のストリートカーの停留所、横において...健康の価値とは病気になって初めて知るもの

  • 自分のこと以外は無関心な人が増えている

    日課となっている早朝の家の周りの溝掃除で今日はポイ捨てが多いのに気がついた。日頃はタバコの吸い殻が数個と飛んできた枯葉程度なのだが、今日はおまけが。乾電池2個、洗濯バサミ、タバコの火をつける簡易ライター、マスクに右手用の手袋一つ、それからよく街で配っている携帯用のティッシュ。チリトリがあっという間にいっぱいに。どういうこと?今日は家庭ゴミの収集の日ではないのであの回収車がこぼして行ったということではないらしい。典型的ポイ捨物ではない手袋や洗濯バサミ、乾電池に頭の中を(?)マークが浮遊する。街からゴミ箱が消えて久しい。ゴミは家に持って帰る物という意識付けの役にたっているんだろうか。先日はおにぎりを食べながら学校に向かう中学生が包装紙をポイ捨てする姿を目撃、がっかりしたことを思い出す。人々の公衆道徳意識が地に...自分のこと以外は無関心な人が増えている

  • 頭脳中心生活より草木のように生きてみよう

    ここ数日は最高気温が摂氏10度を超えるというかなり過ごしやすい暖かさである。昨日に至っては二十四節気の大寒の日に当たるというのになんと春の到来を思わせる過ごしやすさであった。二十四節気のことは何度かこのブログで扱ったことがあるので、今回は昨日の大寒が一年で最も寒さが厳しい日とされていることだけを書いておくことにする。冬の寒さのせいにしたり、膝の痛みのせいにしたり、外出を控えているので趣味の囲碁を一人でいろいろ石を並べて研究したり読書を楽しんで1日を過ごすことが多い。そこで昨日は囲碁研究に費やす時間を少し減らして読書に多めの時間を割くことにした。時々庭を散歩していても寒さより春を感じさせる日中であった。先日から読み始めた養老孟司著『人生の壁』を読み切った。本の中で、”頭でいろいろ考える意識優先の日常からもう...頭脳中心生活より草木のように生きてみよう

  • 昨日は思い出、明日は今日の夢となる

    阪神大震災から今日で30年、本当に月日の経つのが早いことを実感する。東大阪に住むあの時の自分の行動は割合鮮明に覚えている。早朝6時前、強烈な下からの突き上げを感じて目を覚ます。ガタガタと音を立てる身の回りの家具などに足が前に進まない。寝室のドアを開けたまま立ち尽くす僕の目に映ったものは天井から降ってくるような埃の煙。別棟に住む老いた両親のことが気になった。余震を気にしながらの1日であった。テレビに映る阪神高速の倒壊、そして落ちた高速道路の継ぎ目に乗り出すように停止しているバスに肝を冷やす。あの大震災の生き証人の人達の”「思い出」という人生の1ページ”、その言葉が伝えようとするものは楽しい記録の1ページではない。いやむしろ思い出したくもない体験の集積された「思い出」なのだろうなと1月17日がくると思い知らさ...昨日は思い出、明日は今日の夢となる

  • 成人の日:責任とは自由の代価

    テレビのニュースをみているとこの二、三日は各地で成人式が行われている。雪の影響や様々な要因から必ずしもカレンダー通りの13日が成人の日とは限らないらしい。昔は僕の誕生日は成人式の1日前と決まっていて翌日の成人の日(15日)で休日ということでいつもなんとなくワクワクしていたのを思い出す。今は成人の日は毎年変わるので自分の誕生日すら下手をすると忘れてしまう。(本当は歳のせい、それから誕生日は年齢が上乗せされるので嬉しくない)「責任を持てるそんな大人になることを誓います」などと新成人が宣言しているのをみるとなんとなく初々しい。僕はTV画面を見ながら新成人の若者達に、これからの大人の日々に少しでも楽しい思い出や幸せがいっぱいありますようにと祈っていた。僕が成人したような時代にも、いやそんな時代だからかもしれない、...成人の日:責任とは自由の代価

  • うそ~、今日の大阪最低気温予報マイナス1℃

    昨夜から今朝にかけて天気予報通りググッと冷え込んだ。大阪で最低温度が0℃に近づくと大阪人にはちょっと厳しい寒さである。着込んだりして見かけがモクモクというかコロコロというかになると年寄りくさいとか言われる。冬の冷え込みは年寄りにはまことにつらい自然の試練である。そこで毎年毎年繰り返される議論というか意見交換というかは「冬と夏はどちらが好きか」というものである。冬になると服装などを考えると夏が気楽だと思ったり、かといって夏が来ると冬の寒さは着込めばそれで済むのだからという考えにもなる。夏の方がいいという人は、プールやビーチ、砂浜を水着で走り回るときの足の感覚が最高だという。キャンプファイヤーや観光地を窓を開けて走る車に入ってくる風が心地よい。大阪城公園を散歩して鳥の声を聞けるし虫だって見かけることも悪くない...うそ~、今日の大阪最低気温予報マイナス1℃

  • 不思議な言葉―“ 新しい自分”

    年賀状はメールやLINEが出来る人から順にいわゆる“年賀仕舞い”を一昨年の暮れから始めている。形式的なものはそろそろおしまいにしようという意味だ。仕事関係の場合には自分の社会との関わりが徐々に希薄になっていく感が拭えない。一方で、自分との関わりが強い人とはSNSを最大限利用して新しい繋がりが確認できるようになっていく。今日、郵便受けを開けてみるとまた2通年賀状が入っていた。”明けまして郵便受けに蛇ニョロニョロ”などと川柳を作ってみたりしてみたが、12年前なら最後の締めは“蛇だらけ”となっていたことを思い出して苦笑い。年賀仕舞いとは矛盾するのだが、年賀状とは手にすると自分の人生に関わってくれた友人たちになんとも言えない感謝の気持ちを沸かせてくれるものであることも事実だ。彼らを知って自分はラッキーだったと思え...不思議な言葉―“新しい自分”

  • 明日とはまだ失敗をしていない日

    「新年おめでとうございます。嬉しいことがいっぱいの年になりますように。」2015年がスタートした。僕の住む地域では冷たい風が軽く吹いていたけれど雲ひとつない真っ青な空、お正月の三が日の天気の良さに今年は何か良いことが起こるのではなどと勝手に都合の良いことを考えてしまう(良いことってどんなこと?)。少なくとも去年の能登の大地震のようなことが起きなかかっただけでも良しとすべきなんだろうな…。アメリカのキング牧師の残した言葉が好きだ。“上まで続く階段の全てを見上げる必要はない。まずは最初の一段を踏み出せYoudon’thavetoseethewholestaircase,justtakethefirststep.”――(訳は僕のものだが直訳ではなく意訳してその伝えるところを書いてみた)お正月、僕が好きな理由は全...明日とはまだ失敗をしていない日

  • カレンダーがあるから特別な日ができる

    年末年始にかけて人に何か特別な日があるとしたら多分日本人にとってはお正月、アメリカ人にとってはクリスマスの12月25日がその日である。両方とも家族が集まる特別な日なのだ。先日からBSのNHKで放映されているアメリカ映画の「ダイハード」、言わずと知れた主演のブルース・ウイルス演じるマクレーン刑事はその12月25日にまるで引き寄せられるかのようにテロに巻き込まれる世界で一番不運な男を演じて映画ともども注目を集めた。映画の中の彼にとっては家族のリユニオン(家族の再会の集い)などと悠長なことを言っている場合ではない。全身創痍で戦う姿に固唾を飲んで画面に釘付けになる。映画鑑賞で過ごしたこの2、3日、そして今日は1年の締めくくりの12月31日、いわゆる新年を迎える大晦日、新年へのイブである。大晦日に何をして過ごしてい...カレンダーがあるから特別な日ができる

  • その人の性格が見える12月

    「なんかせわしないなぁ」と年恰好60代の女性ふたりが自転車ですれ違った。その言い方というのかイントネーションがいかにも忙しそうな雰囲気を持っている。相変わらず河内女は元気がいい。「頑張って家の掃除でもしなさい」とせかされているように僕は感じた。確かにいよいよ年の瀬が詰まってきた感が拭えない。正月に備えて家の片付けなどを考えるとなんとなくせわしない。この言葉、漢字に直すと“忙しない”と書く。ということは忙しくないのかと思って辞書で調べたらこの“ない”は甚だしいという意味があることを知った。(まだまだ知らんことが多いなぁ)日本では12月、師走と呼んで冬休みを控えて暇になる教師すら忙しく走るという意味らしい。(失礼な!)先生にとっては嫌なニュアンスがある。ま、それはそれで目くじらを立てることもないが、日本の12...その人の性格が見える12月

  • ミカン剥き(むき)で無我の境地を

    ミカン箱といえばそのサイズは通常縦横35~37cm✖️30cm、高さ20の大きさだ。そんなミカン箱が二箱も同じ日に届いた。一つは購入したものでそれはそれでいいのだが、もう一箱は女房の昔の学友が送ってくれたもの。とにかく1日にしてみかんの山。女房の方は腐ってはよくないということで小分けにして一部屋がみかんの小箱だらけになってしまった。その部屋を通る度についつい手に取るものだから1日に7個も8個も食べることになってこれは食べ過ぎ。調べてみると中に含まれている栄養素などを考えるとみかんは1日2個程度が適当だということだ。みかんの皮を剥きながらふと気がついた。不思議と頭の中が空っぽ、全く何も考えていないことに気がついたのである。昔、禅の修行ということで頭の中を無にすることなどをやってみたことがある。あの時は全く頭...ミカン剥き(むき)で無我の境地を

  • 創作熟語:家の中では誰がボス?

    住友生命が提唱する世相を反映した「創作四字熟語」なる言葉遊びの応募作品が発表された。今年の最優秀作品は「盗打随一」が選ばれたという。アメリカ大リーグで世界中の注目を集めた大谷翔平選手の50盗塁50ホームランを見事に表現していると思う。もちろん「当代随一」、つまりその時代において並ぶものがないほど優れているという意味だ。僕個人としては優秀作品の中の「店店枯米」てんてこ舞い(天手古舞)がとても気に入っている。スーパーなどの店頭で米が品薄になって皆がてんてこ舞いをしたあの時期を的確に表現していると思うのだ。米が無い(枯れる)ことで主婦の皆さんが店から店に走り回っている様子をこれほどうまく表現しているものはないというのが僕の見解だ。そこで例によって僕も挑戦となるのであるがなかなか気の利いたもの思いつかない。唯一乏...創作熟語:家の中では誰がボス?

  • 年賀状じまい「本年をもちまして…」

    年賀状を25日の期限までに仕上げなければ。コンピュータに予め入力してある住所の印刷を始めて一枚目、「え!うそ!まさか!逆さま!」と大声を上げる。いつも失敗する一枚目の年賀ハガキ、今年の一枚目もやっぱり上下を逆さまにプリンタにセットしてしまった。この失敗談をブログに書こうとしてはたと気がついた。「まさかさかさま」は後ろから読んでも「まさか逆さま」だ。“逆立ち思考”などと逆発想の面白さなどの話をミニ講義としていろんなところで小グループに話してきた。時々出くわすこの種の言葉は歳をとると程よい頭の体操になる。話が急に変わってしまった。年賀状プリントの失敗の話より今日のブログは“年賀状じまい”についての考えにしようと思っていたからだ。年賀状の文面の一部は「今年もよろしくお願いします」という文章が主となる。でも、長年...年賀状じまい「本年をもちまして…」

  • 加齢とは山登りのようなもの

    毎朝家の周りの掃除を10分程度することが日課になってきた。いろんな人が道路を通り過ぎるが一人杖をつきながら散歩で足を鍛えている86歳の老婦人がいる。彼女に捕まると手を休めて最低10分は話を聞くハメになる。若い時は大阪市内のどこまで仕事をしに行っていた、から始まって年齢の話、寝たきりにならないように散歩を心がけているという話。何度も聞いているから物語を暗記しているようなもので、僕は彼女の話はいつでも再現して人に話すことができる。その彼女、今朝は少し別の話になったことに驚かされた。誕生日の何がめでたいのかという話を始めたのだ。佐藤愛子さんの本の題名『90歳、何がめでたい』を思い出すような話である。ふんふんといつものように相槌を打ちながら“誕生日が来るということは自分がまだ生きている”という証しではないのか”な...加齢とは山登りのようなもの

  • 情熱はまず好きになることから生まれる

    若い時にはいろんな物に積極的に興味を持って物事に向かい合っていたように思う。アメリカ留学や人生を決める仕事への挑戦など興味と熱意、情熱というものがあるから前に進むことができた。どんどん歳をとってもう自分たちの時代は終わった、などと考え始めるといわゆる情熱という心の火もその勢いを失っていく。その兆候こそ歳をとることなのだとこの頃は感じる。僕は最近は囲碁に熱中している。囲碁友は深井さんという人だ。もともと僕は囲碁が好きだったのだが、アメリカ留学や大学での生活やらで、日々追われることが続いて半世紀ばかりもすっかり忘れていた囲碁の石や足付碁盤を引っ張り出して、それらの道具を磨いたり洗ったり、そして相手の居ないひとり囲碁をやり始めたのが良かった。2年ほど前のことだ。それから最近では囲碁クラブに足を運ぶようになってこ...情熱はまず好きになることから生まれる

  • 「物差し」は見えないものを測れない

    今日の大阪は太陽は出ていて見かけは暖かそうで外を散歩しても良さそうな天気である。ところがどっこい冷たい風が吹いていて家の前の道路を100メートル歩いただけで尻尾を巻いてUターン、家に逃げ帰った。折り返したところで、黒いワンボックス軽自動車の後ろを開けて盛んに巻き尺で中を測っている人を目撃した。中に何か大きな物でも積み込むのだろうか。「測る」と言うことで思い出した。僕は大雑把な長さを測る時、親指と人差し指でL字を作って、人差し指の付け根関節あたりから爪の先まで大体10㎝、親指は5cmである。あ、それからおもいっきり5本の指を開いて親指の爪の先から小指の爪の先まで手のひらを横切って直線で20cmという具合である。これがなかなか便利な物差しの代わりをして役に立つのは面白い。世界政治を見渡して一言。政治学では「支...「物差し」は見えないものを測れない

  • 「どこでもドア」をくぐるのは誰?

    12月1日の日曜日、朝から町内が騒がしい。理由は自治会の呼びかけで町内清掃が大々的に実施された。閑静な住宅街も側溝には枯葉をはじめさまざまなゴミが溜まっている。僕も軍手をはめて少しでも助けになればということで参加した。ま、それなりにちょっとした達成感を味わうことができた。続いて10時からは各班の班長さんや副班長さんを交えた避難訓練。地震や津波を想定してものもだと聞いた。関係している人にとってはちょとは負担になる活動だと思った。ところで、この日は小学生が平常どおりランドセルを背負って学校へと向かう姿があちこちに見られて、日曜日に何事かと思ったら学校では日曜参観という大行事があるらしい。小学生を持つ親達は何となくそわそわしているようにも見えて僕も70年も前の大昔の参観日を思い出した。母親が来ていてなぜか手を上...「どこでもドア」をくぐるのは誰?

  • 自らをリスペクトする人は他人をも大切に

    “公衆道徳は地に落ちた”、と言う人の話しをよく耳にする。種々雑多、いろんな人が多く集まる場所とそうでない場所では違いがあるだろうということは理解できるのだが、都会を外れた郊外の住宅地でもよく目にするようになったゴミの放置に、日本人の公衆道徳はどうなってしまったのだと嘆くのである。おにぎりを食べながら歩く若者達、包み紙を丸めて電柱の影や道路にポイっと捨てる姿を目撃した。先日は町内の小さな公園のベンチにカップ麺とお箸が放置されていた。相変わらずタバコやコーヒーの空き缶のポイ捨てはそこらじゅうで見受けられる。最近は犬の糞を包んだテッシュが電柱の影に捨ててあった。人々が気持ちよく社会生活を営めるようにという公衆道徳の意味が忘れらて自分さえ良ければいいという考えがなぜかそういう類の人々の頭を支配しているように思える...自らをリスペクトする人は他人をも大切に

  • そうか、自分にしかできない事もあるんだ

    京都の三千院のカエデの紅葉が今見頃だという。今年は二週間ばかり遅れた紅葉であるという。そらそうやろ、11月に入っても暖かい日が続く今年の現象を考えると不思議でも何でもない。今年の秋は来たのか来なかったのか、よく分からない内に一足飛び、やっぱり冬が巡ってきた。人間が変えられないものは数々あれど、その代表は季節だという。冬には厳しさを学び、春には希望、夏は成長の時、そして秋は収穫と物想いの紅葉の季節だ。すべてが巡り地球は回る。政治も日本、アメリカ、他にもさまざまな国で選挙が実施されて世界が慌ただしく回転し始めた。代表的なのはやはりアメリカのトランプさんの復活だ。こじつけのような気もするがこの“巡る”、“回る”と言う言葉が僕の好きな“回文”を思い出させた。回文とは上から読んでも下から読んでも同じ文になる。トラン...そうか、自分にしかできない事もあるんだ

  • 持論:「夕焼に鎌(かま)を研げ」が描く風景

    秋の空は雲ひとつなく晴れ渡って空が高く感じられる。早朝に庭に出て空を見上げる習慣のようななものはずいぶん昔の若い頃に始めたようにも思うのだが自信がない。以後の30代から50代は間違いなくそんなことを忘れて毎日忙しく大学に通っていたようにも思う。車で出かけるので渋滞を避けるために早朝出かける習慣はついていた。そして最近になると「朝戸を開けて物思う時に白露の置ける秋萩見えつつもとな(万葉集)」…といったような心境で庭に出て清涼とした空気を吸うことで1日を始めるのが一番良いと考えている。四季の中で僕は秋が一番好きである。“天高く馬肥ゆる秋”、などと言う心情もあるのだが僕は単に物思いに耽る秋が好きだと言うことだ。晴れた早朝も素晴らしいし、秋の夕焼けはそれにもまして素晴らしい。物思いに耽るなどというと何か問題を抱え...持論:「夕焼に鎌(かま)を研げ」が描く風景

  • 成功とは失敗の集大成

    「少女時代勉強も運動も苦手だった」「誰よりも失敗を重ねたからどんな疑問にも答えられる」という言葉に目をとめた。料理研究家、瀬戸幸子(ゆきこ)さんの或る広報誌の記事である。独学で料理研究家となったという彼女から料理不得手人へのアドバイスが気に入った。“レシピを読み解くとは、例えば鍋なら鍋の中を観察すること。途中で食べてみて調整、加減を加えれば美味しいものが出来上がる”、なるほどといたく納得する。何をもって成功とするかは議論の余地がある。でも彼女は失敗と工夫を繰り返すことで料理家として世間に知られるようになった。僕はこの種の話が大好きだ。“失敗から失敗へと渡り歩くのが人生で、その過程で情熱だけは持ち続けること”と言う成功者は多い。とにかく失敗、工夫、観察などという種類の言葉に脳が激しく反応する。半世紀以上も前...成功とは失敗の集大成

  • 「可愛い」という形容詞が横行し過ぎ

    ハリス副大統領のスーツ姿の話から「欧米では女性がどの程度知的に見えるかが服飾デザイナーの腕の見せどころで、日本ではいかに女性を可愛く見せるかが問題となる」というコメントが気になった。読売新聞に出た記事でそのデザイナーが誰であったかを記録するのをミスってしまった。それでもそのコメントがしばらく気になっていたらアメリカの選挙でハリス氏が「ガラスの天井」を破れなっかったことが取り上げれていた。男性を中心に人々の間にどうしても残る女性を“第二の性(ボボワール)”とする見えない天井を突き破れないという現実をガラスの天井という言葉で表現する。先日の衆院選でもやはりまだまだ女性の進出が遅れているという事実を日本はどのように理解し、何を学ぶべきかが問題となっているらしい。上智大学教授の三浦茉里先生はリーダーを目指す教育が...「可愛い」という形容詞が横行し過ぎ

  • ユーモアを感じる大阪弁「何でやろ?」

    「おっ、久しぶり、どうでっか?元気?」「まぁボチボチでんな」久しぶりに耳にした河内弁というか大阪弁のテンポの良い挨拶は僕にかけられたものではない。振り返ってみると僕の後について郵便局に入ってきた70歳代ぐらいの男性の声かけとその返事だ。二人ともとても元気そうに聞こえる大きな声の大阪弁の会話に周りの人達もにこやかだ。「ボチボチでんな」という返事が何となく周りの雰囲気を和らげるのだ。標準語で言うと「まあまあ元気にしていますよ。充分とはいかないまでも一応満足しているレベルで、まずまずというところかな…」ということになるのだろうか。やっぱり大阪弁が気楽でいい。「元気?」という声かけが真面目な質問だとなると、胃が痛いなど、膝が痛いなどと、体調まで細かく報告しなければならないような事態になってしまう。ま、気難しい解説...ユーモアを感じる大阪弁「何でやろ?」

  • 賢者とは自分の考えを変えることができる人

    アメリカに留学を果たした当初、僕に忠告をしてくれた友人がいた。アメリカでは政治、宗教、人種については議論に参加しない方がいいと。とは言っても昨今は何か言いたくもなる状況がアメリカでも日本も起こっている。政治とは難しい方向へと風が吹くというか、なびくというか、流れるというか、どうもそういうことらしい。流れを作っているのは1票を投票する一般市民の我々だ。民主主義が試されている、そんな印象さえ抱いてしまう。アメリカの共和党、民主党、僕にはどちらが勝っても別にいいのだが、やはり大局的に世界や自国を見れる立派な人に大統領になってほしい。今回の選挙で「アメリカ第一主義」、「アメリカを再び偉大な国に」、などと耳に心地よい文言を繰り返すトランプ氏。例えば公約の一つは中国からの輸入品を中心に同盟国の関税も引き上げればアメリ...賢者とは自分の考えを変えることができる人

  • NPB 優勝チームが日本一になれない矛盾

    「下剋上」とは下位のものが上位を倒して権力を手にすること。日本史の歴史を紐解けば南北朝時代から室町時代にかけての乱世の時代に農民一揆や大名のお家騒動などに頻繁に登場する出来事だ。先日の’文化の日’、まさにプロ野球の下剋上が成立した。横浜ベイスターズがセリーグ優勝の巨人とパリーグ優勝チームのSFホークスを撃破して達成した。ベイスターズの勢いというか選手達の一体感を感じ取れて大拍手を送った。ただ、どうしても納得がいかないのは両リーグの優勝チームの一年間の優勝ペナントが影を薄めてしまったことだ。あの一年間の戦いは何だったのだろうか、と頭の中を“?マーク”が行き来する。プロ野球は職業野球、当然興行収入は重要な位置を占めることには納得する。とはいえやっぱりスポーツだ。両リーグの優勝チームが激突して初めて納得のいく日...NPB優勝チームが日本一になれない矛盾

  • 二度ある事は三度ある…偶然?

    家の塀沿いに落ちているタバコの吸い殻を撮りに火バサミを持って外に出た途端に埋め干し大の小石に足を取られた。転倒しそうになって膝をついた時、偶然自転車に乗った女性が目の前に止まって「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。その人つい先日に薬をもらいに行った薬局で同じ待合のベンチにいた人だ。「大丈夫です。ありがとう」と僕、「こないだ薬局でお会いしましたね」と彼女。僕は時々、人生の不思議を感じる時がある。大阪市内に出かけた時、行きも帰りも駅の改札で同じ人に出会った時もあっった。人生とは予測不能の連続、予期もしないことが突然重なる不思議に「何じゃこれは?」と口に出る。何の因果関係もなく偶然が重なってしまうと、人生とは毎秒毎秒の偶然の積み重ねではないか、などと考えてしまうのだ。自分の毎日の暮らしに僕は自分の時間や大きく言...二度ある事は三度ある…偶然?

  • いつもモヤモヤ、分かったようで分っていないこと

    日曜日、衆院選挙の投票日。家から歩いて7分の投票場に向かって4分後、用意したはずの投票場入場券を胸ポケットに入れるのを忘れて取りに帰る。足が少し僕よりおぼつかない女房を先に向かわせて僕は大急ぎでもう一度家に帰ってどこで女房に追いつけるかなどと小学校の算数の問題を思い出すようなことをやっていた。僕も足元が突っかかるようで偉そうな事は言えない。Uターンの途中、若い新婚さん風の男女が必死に歩く僕を追い越した。ただ彼らの会話が気になった。「“政治と金は必要条件であっても十分条件ではない”と新聞に書いたった。あれ俺弱いねん。大学時代からずっとや」と男性。どうやら必要・十分条件の話しのようだ。現役の頃、よく質問されたことを思い出す。昔取った杵柄、教えたがりの僕が声をかけそうになって…もちろんその時はそんな余裕もない。...いつもモヤモヤ、分かったようで分っていないこと

  • ウソ?ホント?大阪弁は気楽弁?

    今日は素晴らしい秋晴れで1日が始まった。庭に出て何をするでもなく、目につく盆栽の手入れをしたり、植木鉢を小さいサイズから大きいものに植え替えをしたり、少しばかりは自分の幸せ時間を楽しめそうである。突然、女性が乗っている2台の自転車が塀の向こうを通り過ぎる。とにかく自転車で話す人たちの声は大きい。「子耳に挟む」という意味は“聞くとはなしに偶然チラリと聞くこと“である。小耳に挟むどころかびっくりするような大声での会話である。いつものように姿は見えないけれど、声の張りで年齢や性格までをかなり正確に推察できるのだ。「別にそんでいいんちゃう。どうちゅうことないやん」と言う一人の声だけが大急ぎで通り過ぎた。大阪弁というか河内弁というか、元気のいいこの声は「別にそれでいいのでは。そんなに気にすることでもないよ」と標準語...ウソ?ホント?大阪弁は気楽弁?

  • やたら気になる「運動不足」という言葉

    最近は夜の眠りが浅い人が増えているという。そんな記事に惹かれるのには理由があって、なぜかこの二、三日は睡眠不足である。起きる理由がこれまた不思議、自分の生活と何の関係もない小説のような突拍子もない作り話の中で目が覚めるのである。とにかくトイレに立ってベッドに戻っても自分の経験したこともないような風景や場面が蘇って突然眠れなくなるのである。健康科学の睡眠を研究している人の話によると日中の活動と深く関係しているとの指摘を聞いて納得している。読書であれパソコン操作であれ、椅子に座っていることが多いため日中の運動量が減っていることからちょっとしたものにつまずいたり物忘れが多くなる。太る人もいるようだ。僕の経験では確かに集中力、注意力、記憶力の低下につながる症状が顕著になってくる。卵とニワトリのどちらが先か、などと...やたら気になる「運動不足」という言葉

  • 加齢とは弁解のコツを学ぶこと(?)

    「アレっ!ここに何をしに来たんだっけ」という不思議な現象は年齢に関係なく起こる現象だと聞いた。勿論年寄りの方がその発生率が高いことは疑いの余地がない。脳があれもこれもと同時に考えて自分の一連の行動が途切れてしまうのだ。若い人は文字通り物理的にも忙しく脳の働きが活発だから起こるのだろうが、年寄りの場合は一連の思考が鎖のようにうまくつながらない時が若い人より頻繁に起こるのである。僕が考えるその理由とは一つのことをするだけではなく体を移動させるのだから“ついで”にこれも、という考え方が原因であると思う。少しでも使うエネルギーを節約しようと、いわゆる横着をしようとすることから起こるのである。ここまでは物忘れの領域だ。ところが人の顔を見ながらその人の名前が出てこない現象は何が原因なのだろうか。僕の大学での経験では教...加齢とは弁解のコツを学ぶこと(?)

  • 「郷愁」という名の距離感の意味とは

    「郷愁」、とは“故郷を懐かしく思う気持ち。また過去のものや失われたものを懐かしく思う気持ち。ノスタルジア”などと国語辞典には定義されている。夕焼けに、秋にたわわに実った柿の木に、川の流れに、郷愁は人によって様々だ。先日の日曜日は東大阪の東部では秋祭りが最高潮である。僕の住む町内では地車(だんじり)にふとん太鼓がほぼ2時間おきに道路に賑わいをもたらす。子供の頃を思い出す。遊び道具の無かった時代、そして道路はまだ土が剥き出しの時代にトン(t)の重量の大きな地車の引き綱を握った感触が戻ってくる。その日曜日、囲碁会で知り合ったTさんの案内で、彼の地元の秋祭りに朝早くから参加させていただいた。彼の地元は大阪の生駒山の中腹から麓に広がる歴史ある地域である。善根寺町というこの地の地車は山の中腹の春日神社にその格納庫があ...「郷愁」という名の距離感の意味とは

  • 「秋は夕暮れ」と清少納言は言うけれど

    窓から入る外の明るさから推しはかると今朝も天気が良さそうだ。いつものように外に出て先ずは腕を伸ばして胸を張って新鮮な空気をいっぱい吸い込む。見上げれば真っ青な空に箒(ほうき)で掃いたような雲が浮かんでいて、「秋だ!」と心の中で叫んだ。空を見上げで雲の動きを見ているといわゆる万物流転の自然の法則が身近に感じられる。雲の形や位置はほんの数分で変化する。何事もきっと同じ状態で未来永劫変わらないなどというものはない。人間もまた日々いろんな意味で変わりながら好転、楽しく生きているのなら素晴らしい。人生とは本当はシンプルなものかもしれない。複雑にしているのは我々人間だ。明日は何が起こるかわからない。上ったり下ったり、保障されているものは何もない。周りを見回せば必ず自分以外の人がいてお互いに助け合いながら生きている。日...「秋は夕暮れ」と清少納言は言うけれど

  • 早起きで自分だけの楽しみを見つけよう

    朝起きるのが苦手な若者の話をまた耳にした。また、と言ったのは理由があって大学で教えていた頃に何度もこの種の青年から相談があったからである。バイトなどでついつい遅くなってしまうといういわゆる学生という本分を忘れた若者達の悩みである。まずはバイトの中でのストレスの影響か、睡眠の質が良くないのである。夜型の生活は体内時計を夜に合わせるようになってくるから朝の行動に迅速さを欠く。多くの大学生はなぜ夜型で朝に弱いかは簡単に説明がつく。バイトで夜に学費や小使いを稼ぐのはまあ日本の大学生の特徴とはいえ、ただ個人的に非常に気にかかることが一つあった。ひょっとすると大学の授業が面白くないのではと考えたことがあった。おかげでと言うのは変だが僕の方は授業の工夫に時間を費やすようになったことを覚えている。アメリカでの授業で「ダメ...早起きで自分だけの楽しみを見つけよう

  • 生活道路身体が左へ引っぱられる

    「まっすぐ歩かれへんねん」と”シニア乳母車"を押す腰の曲がった老婦人が隣を歩く若い女性にに苦情を訴えている。「道は真ん中が高くしてあって水はけが良くなるようにしてあるからね」と若い人が落ち着いて対応している。全くどこかの誰かにこの状況を伝えたい気分だ。僕も同じで車の邪魔にならないように道の中央を歩くことを遠慮すれば自分の身体が左へ左へ流れるように引き寄せられる。住宅街の生活道路には歩道などはない。辛抱しないといけないのかもしれないけれど年寄りにはちょっとしたストレスだ。子どもたちがかけていくさまや若い人たちが駅に急ぐ朝の姿を見ていると、道のカーブなどは気にもかからないのだろう。年寄りが押す手押しの車は歩行をサポートするものでシルバーカーと呼ぶらしい。電動のシニアカーと間違いやすい。老婦人が手押しの車を押し...生活道路身体が左へ引っぱられる

  • 「一心不乱」と「花鳥風月」

    「待ちぼうけ?秋は来ないと思ったが」…こんな川柳を作りながら9月後半の異常な暑さを凌いでいたら、末日の29、30日は大阪では一日中曇った天気が続いて一気に秋が感じられるようになってきた。強烈な日差しに外に出ることを極力避ける日が続いていたが、やっと庭に目をやれる状態になってきた。一群の彼岸花が元気に咲いているし、裏庭ではススキのようなあの草や穂をつけたガーデンプラスの勢いがいい。道端の雑草を見ていてもやっぱり秋はやってきた。庭をはじめとして周りの観察は秋という季節にはなんとなく雰囲気があって好きである。蟻の行列も全く見受けなくなったということはやはり秋が確実にやってきているということだ。僕の周りには孫をはじめ友人や知り合いの若者の大学受験生がたくさんいて、日々勉強に励んでいる。人生の1ページ、勉強に勤しむ...「一心不乱」と「花鳥風月」

  • 森羅万象…もの思う秋

    やっと秋の涼気が朝夕に感じられて季節が動き始めたことを実感できるようになってきた。それでも空を見上げればまだまだ夏の雲が残っているし、9月末を迎えても夏と秋の同居状態である。自然の法則の下で我々人間は生きている。秋の空気の中で空を見上げているとやはり秋は「もの思いの季節」なのだなぁと感じる。それにしても能登半島の先端地方の災害を考えると、被害を受けた人々の思いはいかばかりか、と想いを馳せることになる。誰が言ったか「天災は忘れた頃にやって来る」。最近の日本列島各地の災害報道を見ていると、天災は忘れた頃どころか忘れている暇もないほど頻繁だ。「災」という字は上に川(水)を表す“く”が三つ乗っていて、下に火がある。地震や台風も災難を引き起こすけれど、昔は天の災いは水や火山の火などが中心だったのだろうか。能登に対す...森羅万象…もの思う秋

  • 「繰り返しの美学」とは良い習慣作りのこと

    早朝の4時や5時に目が完全に覚めてしまう日が夏中続いた。昨日は久しぶりに秋を感じる天気、思い切って早朝から近くの東大阪市花園中央公園に出かけみた。早起き鳥のジョギングの人など相変わらずの面々だ。特に犬の散歩が多いように思った。しばらく散歩しながら新鮮な空気を楽しんでいると急にざわつきがあったかと思うとラジオ体操が始まった。周りにいる人達が突然立ち上がってリズムに合わせて体操を始めたのだ。僕もボケっと突っ立っているわけにもいかないので合流したのだが、あの軽いジャンプの体操でほんの数センチすら飛び上がれないことに気がついた。筋肉の衰えである。膝痛も腰痛も全て筋肉の衰えだということを実感させられた。「フレイル」とは心身機能の低下から生活機能が落ちてきて人としての社会性まで失いかねない危険性の高い脆弱(ぜいじゃく...「繰り返しの美学」とは良い習慣作りのこと

  • 各地で閉店する本屋さんが増えている

    “全年代で読書離れ本離れ”。メディアの伝えるところ、スマホをはじめとして今の情報機器のお陰で本を読まなくなってきたというのが結論のようだ。現代の生活のペースを考えるとなんとなくこの傾向がわからないではない。僕の見解は精神的に余裕がないというものだ。ゆったり気分で夕焼けなどを見ながら自分の生活を振り返ると言ったような心の余裕がないのではと思う。思考力や表現力、豊かな想像力などを育成するためにも「みなさん本を読みましょう」などと叫んでみてもそんな声というか記事に目を向けるのは、本を読む人であって読まない人にはいわゆる“猫に小判”の状態である。僕が現役の頃、大学の4月の新入生向けオリエンターションで、大学生活まずは「時間を守って遅刻はしないようにしましょう」と語りかけている相手は遅刻をしないでちゃんと時間を守っ...各地で閉店する本屋さんが増えている

  • 「敬老の日」、脳の皺(しわ)がまた増えた

    「敬老の日」、夕方のテレビで90歳の人が高齢者ボーリング大会を楽しんでいる姿を見た。単に楽しむを超えてかなりの腕前である。歳をとると同い年はいないと言われることを実感する。かなりヨレヨレの90歳とこの老人のようにボーリングを楽しめる人がいる。歳をとるに従って若者文化が理解できなくて、若者文化の変化のスピードについていけないことを棚に上げ、ついつい口に出る「今時の若い人は…」という言葉、そういえば僕の両親もよく同じようなことを言っていた。「人生路」という道があって、その道は人として生まれれば皆通らなければならない道だとすると、「老人よ、今どきの若者を馬鹿にするな、あなたもかつては歩いた道。そして同様に、若者よ、老人は…と馬鹿にするなかれ、君もいつの日か通る道」などと言えるような気がしてくる。老人相手に詐欺を...「敬老の日」、脳の皺(しわ)がまた増えた

  • 予定は未定、“実現しない「いつか」”

    今年の秋はどうなっているのだろうか。相変わらずの暑さで夏が居座っている。とにかく昼間の温度が毎日のように35℃を超えているので全く外へ出かける意欲が湧いてこない。おまけに膝が痛い、腰がスッキリしない、足元がしっかりしない、となってくると遠くに出かけることなどはもってのほか。ずっと大阪に住んできて、まだ降りたことのない電車の駅の近辺“街歩き”も容易ではない。いつかいつか、と思いながら計画が頓挫してしまっている。もうすでに9月の半ば、秋のお彼岸も近づいて来ている。いつか、という計画は実現しないことが多いということは何度も経験した。ほとんどの「いつか」はその日にできること、などということも知っている。なのにやっぱり自分の計画の中には、実現しない「いつか」的なものがたくさんある。予定や計画というものはそのような性...予定は未定、“実現しない「いつか」”

  • 失敗をしない人は何もしない人

    思いついて若い頃に楽しんだ囲碁を再開して一年と数ヶ月になる。周りに囲碁をする人がいなくて新聞などのプロの人たちの対局を再現して一人基盤に向かう日が続いていたが意を決して4月に囲碁クラブに参加した。経済的支援なしに自力でアメリカ留学を果たした僕だ、行動を起こすことで日常の壁を越えることができることを僕はよく知っている。やっと実践を楽しむことができる場を得たことができて大喜びである。そんな中、僕に声をかけてくれた人がいた。対局を提案してくれた囲碁友ができた。面倒見の良いFさんのお陰でますます囲碁が好きになる。なぜ囲碁に惹かれるのかを考えた。囲碁も将棋もその点では同じかも知れないけれど、とにかく僕の場合は留学以前にたまたま出会った囲碁にハマったということだ。いずれにせよ、白黒の石を並べて対局している限りその過程...失敗をしない人は何もしない人

  • 蝉(セミ)の抜け殻収集という変な趣味

    今年の夏は本当に暑い日が続いて散歩であれなんであれ、外に出る機会がめっぽう少なくなった。膝が痛い、腰が痛いということもあるけれど、報道されているようにやはり今年は異常な暑さの夏だったせいだろうと思うことにしている。たまに外に出るのは近所の自動販売機まで何か冷たいものを買いに家を出ることだ。なんでもいいから外に出て歩くという機会を増やそうとしているだけのことである。高校生二人が販売機の横の日陰で立ち話をしている。「大学は行ったほうがいいんやろなー」という言葉が聞こえた。僕はサイダーを手にその場を立ち去ったが、なぜか彼らの会話、"大学”が耳に残る。そういえば今はそんな時期なんだなぁ。かつて大学にいるときにも同じような質問を研究室に持って来た学生がいた。大学は高校までの教えられるという受け身の勉強から、授業を通...蝉(セミ)の抜け殻収集という変な趣味

  • 台風10号に怯えながら考えた

    やっと台風10号から解放された。まるで酔っ払いかと思わせる千鳥足で各地に点々と爪痕を残してどこかへ消えた。被災された人々にはお見舞い申し上げます。なんとなく後ろめたい感が拭えないのは、大阪は日常とは違わないやや曇りがちの日と少々の雨だけで特に影響はなかった。テレビで報道される被災地の様子に怯えながら近所の皆さん窓の風対策などに追われた感はあるが、きつい風が吹いたわけでも大雨が降ったわけでもない。大阪ではテレビのあの狂騒はなんだったのかと口には出さないが感じている人は多いと思う。報道は当然被害の様子を主として伝えるのだろうけれど、なんとなく煽られているような感も拭えない。報道する側は「備えあれば憂いなし」を固く信じて行動しているのだとは思うけれど。台風であれ、地震であれ、自然の災害は一方で社会的欠陥などを露...台風10号に怯えながら考えた

  • 「台風が来る」と言われて動きがとれない

    熱暑、酷暑、猛暑、呼び名はなんでもいいがそんな暑さと共に過ごした8月が終わろうとしている。秋を招き入れるのが台風なのだが、今年は迷走台風が九州付近でウロウロ、行き先の方向は北東とのこと。そんなことは誰でも知っているほとんどの台風の進む道、とにかく台風の中心がどこを通るのかが分からない。ノロノロ台風というのは厄介な代物だ。線状降水帯なるものを発生させて台風から離れた地域にも大雨を降らせて各地に被害ををもたらす。被害に遭われた人々にかける言葉がない。早く通り過ぎてくれと祈ることしかできない無力感を味わっている。台風が来るといつも頭をよぎることがある。台風の強風は吹き荒れて一定の時間が経過すると必ず風向きは変わる。そういえば人生には風向きというものがあって幸運も不運も決して永遠に続くものではない。晴天や雨天と人...「台風が来る」と言われて動きがとれない

  • 融通無碍(ゆうづうむげ)の精神とは

    兄弟や友達などとラインで繋がると便利な上に話の要点を短く的確に伝える術も学ぶことができる。とはいえかつての昭和の暖かさを大切にと声を聞かなければなどという電話派の人もいる。確かにたまに声を聞きたくて電話などで話すとその意味がわからないでもない。でもやっぱり現代の日常はラインでのやり取りが主流であることは否めない。そんなことを言いながら、手助けなしにはラインで友達になることができない自分のことが情けない。僕は全く知らない若い二人連れにラインのつながり方を教えてもらったことが2度ある。一度は随分以前に弟と一緒にレストランにいる時に隣の席のカップルに手助けをしてもらったこと、それから先日は二度目、最近知り合った囲碁友達とのつながりを手助けしてもらった。丁寧に恐れ入りながら「すみません、ちょっと助けてもらえないで...融通無碍(ゆうづうむげ)の精神とは

  • 「人生学校」という名の学校

    朝10時、何故か冷たい缶コーヒーが飲みたくなって歩いて2分の近くの自動販売機に向かった。家を出た直後に虫取り網とカゴを持って歩く若いお母さんとすれ違った、と2mほど後ろを何故かつまらなさそうな顔をした小学2年生(?)ぐらいの男の子がとぼとぼと。僕の想像を掻き立てる光景で「どうしたの?」と声をかけたくなる。でも、お節介はやめた。母親がそばにいるのだから…きっと夏休みの宿題ができていないのだ。公園で虫を取ってきて自由研究にしようという母親の提案でこの光景が生まれたのではないか…などなど余計な想像をしながらコーヒを手にして家まで帰った。冷たく甘い缶コーヒーのあの独特の爽快感にホッとひと息。(ふと、母親に歩きながら飲食はするなと教えられた僕の子供の頃を思い出した)あの子供のことが気にかかる。僕だって半泣きになりな...「人生学校」という名の学校

  • 人間の弱さは「諦め」という言葉の中にある

    「諦める」という言葉を変な言い方だが身近に考えさせるものといえばスポーツの世界。応援しているプロ野球のチームが点差に諦めたようなプレイをしたりするとこの言葉が浮かぶ。一方、最近閉幕した五輪では諦めないという執念が大逆転の金メダルを手にすることとなったスケートボードの堀米選手、ボードの端をレールに引っ掛けて滑り降りる難度の高い技で金メダルを手にした。報道によると練習では一度も成功していないという。同じ日、体操日本も奇跡的な逆転勝利で頂点に、と報道された。日本に目を向けると先日の高校野球、よく耳にする’最終回のドラマ’を絵に描いたような展開であの出雲大社のある島根県代表の大社高校が早稲田実業高校に延長で逆転勝利。スポーツ界では何が起こるかわからない。本当の敗北とは諦めることと言われる。昨日はその大社高校は鹿児...人間の弱さは「諦め」という言葉の中にある

  • 忘れるな!地球上で世界の皆が同じ空気を吸っている

    歳のせいだろうか、何故かオリンピックに興味がなくなってきたと感じる事が残念だ。理由を考えてみるとやはりウクライナとロシア、イスラエルとガザの紛争が影響していると言えそうな気がする。「平和の祭典」と言われる五輪、余りにもメダル獲得数がクローズアップされる面があると同時に国を意識しすぎたナショナリズムというかで国同士で争うメダル争奪戦がその精神としっくりしないのだ。とはいえ喜びを感じる一瞬もある。国境や海を超えて世界の誰かにエールを送る。一瞬の勝負に挑む勇姿と汗の一滴がカメラを通して感動の共有を生み出し世界が一つになったかのような錯覚を味わう事も多くある。地球の空気、皆で仲良く吸い込もう!努力の価値を学ぶ機会を提供してくれる五輪、遥か遠くへ自分を連れて行ってくれる夢を持つことの大切さを教えてくれる五輪は、例え...忘れるな!地球上で世界の皆が同じ空気を吸っている

  • “流れに逆らって生きること“とは

    暑い真昼間に汗だくで懸命に働く人がいる。近くに止まったバンの宅急便の青年に話しかけた。「お盆の休みは取らないの?」と僕が聞くと「皆が休むときには働く方が得です」という答えが返ってきた。数年前に同じような考えでバイトに励む学生がいたことを思い出した。確かあの学生の場合は5月の連休には働くことを決め込んでいてデートも旅行も連休後という考え方だったように思う。ゴールデンウィークであれお盆休みであれ、日本はどこへ出かけても人だらけ、おまけに物の値段が高く設定されている。宅急便の彼も僕の住む近辺では交通量も少なくて運転もし易いことを知っていて、効率的に宅配ができてペイもいいというものだ。連休に「自分は自分、他人(ひと)は他人」とばかりに汗を流して働く人から学ぶことは多い。コンフォーミティ(conformity)とい...“流れに逆らって生きること“とは

  • 道案内、昔は「角を曲がればタバコ屋が…」

    新聞の読み方がその日の1面の見出しによって順にページを進む時と、不思議と後ろの社会面から逆にページをめくる日がある。案外後者の方がスムースにページを進める印象が僕にはある。なんとなく横書きに慣れている事が理由だろうか。それから各面の読み方はこれもなぜそうなるのかは分からないのだが下段の小さな記事から眼を通す傾向もある。その方が身近な記事で面白いものが多いような気がするのだ。ということでページの下部に出る死亡欄を見ていると、最近は世間で指摘されている人生100歳論を裏付けるように確かに寿命は伸びているように思う。理由は90歳前後の人の死亡を伝える記事が多くなってきた気がするのだ。先日に発表された今年の平均寿命によると、女性が87.14歳で男性は81.09歳、女性は世界一で男性は世界5位のランク付である。勉強...道案内、昔は「角を曲がればタバコ屋が…」

  • 盆踊りの陶酔:余計な悩みからの解放

    8月6日火盆踊りの陶酔:余計な悩みからの解放夏の風物詩、盆踊りが日本全国でたけなわときく。僕は子供の頃に何度か友達と参加した事があるが大人になってからは数回見物に出かけた程度で少なくとも最近は10年以上足が全くそちらの方には向かない。なんといっても暑い事がもちろんその理由のトップに来るのだが、それ以外にもとにかく人が多く集まるところが苦手でになってきた。身体中が汗と埃にまみれて僕の体中で不快指数が最高の数値に達するように感じるからだ。夜空を見るために外に出ると、遠くに響く「河内音頭」の音色が耳に心地よい。本当を言うと河内生まれの河内育ち、河内人の僕は(外目にはそうは見えないらしいが――どう言う意味や?)河内音頭が大好きで、あのリズムは独特で、踊る人たちが櫓(やぐら)を何周か回るうちに陶酔状態に陥るのだ。ビ...盆踊りの陶酔:余計な悩みからの解放

  • 「お朔日(おついたち)」を大切に

    連日の35度越えの最高気温を何とか生き延びたと思っていたら、考えてみれば今日はもう8月の2日である。昨日はひと月綴りのカレンダーの7月分を破いて8月の初日、お朔日の「1」をじっと眺めている自分に気がついた。時々耳にする“お朔日"には信心深い人は前の月を平穏無事に過ごせたことを感謝して、そしてまた新しい月への同じ願いを込めて神社に参るという。確かにそう言われれば毎日毎日何事もなく過ごせていることを当たり前と考えないことは大切な心の持ちようだ。僕もよく似た感覚を心の中に持っていて、何事も始まりの時があることをとてもありがたく思っている。毎月の"ついたち"には心のリセットができるからである。アメリカから帰国した当初は女房がお赤飯などを用意して食べるお朔日が時々あった。彼女の実家はお朔日を大切にしていたと聞いてい...「お朔日(おついたち)」を大切に

  • もうカンニン(大阪弁の勘弁)してよこの暑さ

    昨日、月曜日の朝の10時30分、登校日?何が学校であったのか分からない。聞く間もなく家の前を黄色い帽子の小学生5~6人が走り出した。「暑過ぎや!早よ帰ろ!」という掛け声と共に皆が駆け出したのだ。朝とはいえ炎天下、早く帰ってエアコンに、ということだろうが走ればさらに熱くなる。きっと汗だくで帰宅ということになるだろう。暑さの表現の仕方はいろいろあるだろうが、子供達にはこのような表現の仕方が一番お互いに伝わりやすいのだろう。それにしても連日の暑さはどうなっているんだお天道さん(親しみと敬意をもって太陽を呼ぶ言い方)と叫びたい。そんなに威張り散らして誇示することはないでしょう。みんな十分あなたが熱いのは知っているんだから…なんて考えていたら、蝉の大合唱、なんでそんなに熱くなるのだ君達は。ますます暑さが増してくる。...もうカンニン(大阪弁の勘弁)してよこの暑さ

  • なぜか耳は二つ舌は一つ

    自分が老いてきたという意味の”歳を自覚する"きっかけは多分人によって違うとは思うけれど、僕の場合は右の耳がやや遠くなってきて「え?」と聞き返すことが少し増えてきて年を感じるようになってきた。人はその歳になってはじめて気づいたり、理解したりすることは多々ある。今、この時点で若いと言われる範疇の人はそんなことは多分全く関心の外にあることだろうけれど、彼らもまたいつか耳が遠くなってきただの腰や膝が痛いだのを経験する時がくる。さて、年をとってなんとなく人の言うことが聞き取りにくいというと、年寄りの耳は「勝手耳」と言って笑われることがある。僕はいっしょに笑うことにしている。だって勝手耳とは面白い表現だと思うからだ。勝手耳とは自分の都合の悪い時には聞こえないふりをすることだ。人間にとって耳がいかに大切な位置づけかを知...なぜか耳は二つ舌は一つ

  • 自分だけの夏の思い出を創ろう

    7月23日火自分だけの夏の思い出を創ろういよいよ夏休みが始まった。夏休み前の話で恐縮だけれど、近所のコーヒー・ジュースの自販機前での小学生3人の会話が耳に残る。「夏休み家族でどっか行く?」「金ないって!」…なんとなく投げやりで荒っぽい雰囲気を持った言葉を返した子がいた。親が言った言葉なのだろうか、子供が言うには言葉が露骨過ぎて身も蓋も無い会話であった。いや、もっと簡潔に表現すれば、にべもない、そっけない、味気ない言葉のやり取りに少し落胆を覚えた。昔、僕たちが子供の頃は、夏休みが楽しみで、蝉を捕りに出かけたり、大阪市内の親戚の家に泊まりに行ったり、友達と軟球の野球だの日没近くまでの遊びを満喫したものだ。気温も課題の絵日記を思い出すに当時は32~3度程度だったようにおもう。そして8月の終わりには宿題の課題に追...自分だけの夏の思い出を創ろう

  • 舌も目も、口ほどにものを言う

    アメリカの大統領選挙の状況が毎日のように報道される。アメリカの大統領が世界に与える影響が大きいからだ。それにしても主張などがコロコロ変わってくると、不適切かも知れないけれど「二枚舌」という言葉が頭に浮かぶ。二枚舌とは手元の国語辞典によると”前後で矛盾したことを言うこと“とある。一言、付け加えてあって”嘘を言うこと”とある。アメリカの選挙で罷り通っている政治家達の「二枚舌」を新聞で読むたびに落胆を覚える。なんでもそうだが、政治家が全てそうだとは言わないけれど自分の支持基盤の人たちに話すウケをねらった演説と自分の主張が一時期と真逆になっていたりして「そんなんでいいの?」と言いたくなる時がしばしばだ。現役の頃、大学で「アメリカ現代社会」と言う科目を担当していて、選挙が近づくと大統領選挙の仕組みなどを何度か講義し...舌も目も、口ほどにものを言う

  • 今やるか、後に回すか

    昨日の朝、天気予報は曇りのち雨、少し溜まった洗濯物をどうするかで奥さんとしばし意見交換(トランプ銃撃事件が話題の時に年寄りは気楽なものだ)。理由は夏の太陽が出たり入ったり、空を見上げてみても雨が降るようには見えない。大阪の僕の住む地域の天気を予想するには雲の動きと西の空を見て明るいか暗く曇っているかだと子供の頃に祖母に教えられた。雲が東西のどちらかに流れている時は風が吹く、南に動いている時は晴れ、そして北に流れれば雨という。これが僕の天気予報、何十年もこれを信じてやっているけれど、当たる確率はほぼ8割越えといっても過言ではない。昔の人の観察力は半端じゃない。西の空はそれほど暗くない。雲もちょっと自信がないが南に流れているように見える。「よ~し、思い切って洗濯は今日する!」と決めた。雨は3時以降までは降らな...今やるか、後に回すか

  • 文句が多いのは齢のせい?

    7月12日金文句が多いのは齢のせい?テレビを見て1日を過ごす類の年寄りではないのだが、テレビを見ながらの文句が多くなってきた。歳のせいかもと思う理由は、若い人達はそんなことを考えている暇などないはずだから。お昼になると詳し過ぎる民放の天気予報、一般の人は天気予報士になりたいと思ってみているわけではない。簡単で的確な予報が聞けたらそれで大満足なのに、天気図から気圧の配置の理由、など詳し過ぎて”もういいよ”となる。夕方にはNHKのニュース番組、アイドルのような服装の女子アナ達、そして番組の終わりには軽装の出演者達のお辞儀が”丁寧過ぎ"て違和感を覚えたりする。時代が変化して僕らの時代とは違うのなら、にこやかに、手でも振って終わった方が親しみが湧いてくるのにと考えたりする。なにかがチグハグな感じがしてしかたがない...文句が多いのは齢のせい?

  • 頭の中で”はてなマーク"が交錯するとき

    アメリカの大統領選挙に関わるニュースを追っていて、バイデン大統領の高齢が問題になっていることを知った。もともと言い間違いや聞き間違い、舌足らずが多い人という定評があるようだが、確かにワールドニュースのインタビュウをみているとちょっと不安になってくる。アメリカの大統領となると体力的にかなり厳しいものがあることは想像に難くないのだが。歳をとるとひょんなことから昔のことを思い出す。バイデンさんの言い間違いや言葉不足で思い出したことがある。もう何年も前のことだが本当にあった話である。我が家から車で20分ほど走ったところの駐車場の脇の歩道に手書きの看板が立てられていて「ここは駐車場です。ここに車を止めないでください」とあったのだ。かなり車の往来が激しい道路に面した駐車場の前は平均的な歩道、その一角に建てられた看板で...頭の中で”はてなマーク"が交錯するとき

  • 「ど忘れ」は信じられないほどの物忘れ

    ふっと自分の記憶から消えることを「ど忘れ」という。若い時からある現象でそれほど気にはならないけれど歳をとってこれが起こると急に認知症と結びつけたりしてなんとなくこころが落ち着かない。今朝は何をしにこの部屋に、と不意に忘れてしまった。元に戻って順をおって数分前を遡っていくと思い出した。あれこれついでにしておこうなどと横着をしようとするからこんなことが起こる。ま、それはいいとして昨日は漢字のど忘れで、国語辞典を引っ張り出した。それでも頭を整理して漢字を書き出せたから良い勉強になった。今週の街歩きは上六(大阪の人は上本町六丁目のことを”うえろく”と言う)にしよう。そのための”界わい”の下調べをメモに、と考えた途端に漢字が書けない。「わい」の寓のような形のイメージはあるけれど…取り出した身近にある国語辞典によると...「ど忘れ」は信じられないほどの物忘れ

  • 年寄りに完璧な身体の持ち主はいない

    昔の友人達との会食の後、帰りの近鉄電車の優先座席が一つ空いていた。座れたことにホッと一息、と同時に隣の席の二人の男性年寄りに気がついた。僕より大分若く見える二人の会話がまわりに筒抜けである。理由は簡単、大声とは言わないまでもかなりのボリュームでの会話が弾んでいる。内容はサプリメント。「女房には次から次へとサプリメントは飲まされるし、テレビのコマーシャルはひっきりなしに年寄りの抱える問題を指摘するし…」と日常の不満というか困りごとが話題になっていた。ウ~ン、歳をとるとはこういうことを言うんだなぁ。腰痛、膝痛、神経痛、おまけに頻尿、肩こり、手足の痺れ、年寄りの抱える問題を挙げれば枚挙にいとまがない。健康とは財産、その財産は運動から、もっと簡単に言えば歩くことから手に入れることができるという。年寄りの幸せとは、...年寄りに完璧な身体の持ち主はいない

  • 暁と黄昏のトワイライトゾーン

    昨日の夕刻7時20分庭に出てみた。理由はこの時期にしてはあまりにも過ごしやすい22度、外ではまだ明るさがあって驚くことしきり。その10分後、7時半にはとっぷりと暮れて急に庭の木々の葉が見えなくなって電柱の蛍光灯が突然明るさを増したように感じた。気象や太陽の動きとは本当に不思議なものだとまた感心する。天候によって左右されながら必ずやってくる夜明けと夕暮れ時は一日の中で僕の大好きな時間である。英語のトワイライト(twilight)は不思議な単語である。先ずは”夕暮れ時"と訳すのだが、"始まり”という意味もある。トワイライトゾーンという時間帯は明るさが残って入るけれど暗くはない、周りが刻々と時間の経過と共に姿を変えていく時間帯のことをいう。周りの明るさが勢いを無くしていくに従って自分の”瞳孔"が開き始めて僕の想...暁と黄昏のトワイライトゾーン

  • 嘘はついてはいけないというけれど

    「うーそだ!」学校帰りの小学生が背中のランドセルをガチャガチャ鳴らせながら走り去った。道路角で別れた子供が「バイバイ」と手を振っていた。仲の良い友達同士だろうと推測した。ただ、ぼくはこの「うっそだ!」という別れ方を目撃したのは最近では二度目である。軽く笑いを誘うタイプのものだから深刻には考える必要はないのだが、子ども達の間ではやっている言葉なのだろうか。僕などは子供の頃、嘘はついてはいけないと教えられて育ったように思うのだが。歳をとって平気で年令を誤魔化す嘘を連発するようにはなったけれど(⁇)「歳をとれば正直に日々を暮らし、ゆっくり歩いてゆっくり食べて、年令を数年若く誤魔化して生きる」これが長生きの秘訣だと87歳の知り合いに教えられて二人で大笑いしたことがあった。それから思い出すのがアメリカのメイン州のバ...嘘はついてはいけないというけれど

  • アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

    今日の朝刊にチラシが7、8枚入っていた。その中の一枚、ハンバーガーの美味しそうな大きな写真をみながら思い出した。実をいうとこの種のチラシが入る度に僕は思い出すエピソードがある。現役の頃、自分の留学経験などを絡めながらアメリカ文化や社会問題などを講義していた頃の話だが、授業が終わって一人の学生が近づいてきた。私の父は「家族みんなで夕飯にマクドナルドを食べに行こう」という提案に、“そんなことをするのなら離婚だ”と父親が騒いだと笑いながらではあったが報告する学生がいた。(そうなの?離婚って案外簡単なんだ⁇⁇)僕は当時から今に至るまでハンバーガーは大好きで80歳を超えた現在でも月に一度は女房と昼食に食べに出かけることにしている。日本では特に手の込んだ料理を崇拝する文化があって、料理は愛情を表すといった信仰があるよ...アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

  • “ステレオタイプ”という先入観

    女房に付き合ったスーパの肉売り場での会話。「うちは男の子が3人、とにかくガサガサ騒々しくて…」と若い二人の主婦の会話が耳に飛び込んできた。男3人と言うことで褒められているのか羨ましがられているのか、あるいは自慢しているのか、なんとなく微妙な会話に興味を惹かれたたがやっぱりその場を退散することとした。男の子とは…女の子は…といった男女類型化に関する会話は要注意なのだが、人はあまり気にもせずに話のネタにすることがあるように思う。“ステレオタイプ”という言葉があって、それは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、固定観念、などレッテルを貼る傾向にあることを指すものである。なぜこんな傾向が人にはあるのだろう。よく耳にする話だが、例えば日本人は…中国人は…やれアメリカ人は…と類型化してしまうことでその国の人の行動...“ステレオタイプ”という先入観

  • 若い時の苦労は買ってでも

    テレビで野球をみているとレギュラーと言われる人たちの動きがなぜか惰性の繰り返しのように見える時がある。みんなそれぞれ自分のプレーに努力しているのだろうけれど。そんな中、新人の若者が活躍するたびに感じることがある。囲碁や将棋の若者の活躍は爽やかさを感じさせるものがあるなかで、スポーツなどでは躍動感が観るものに元気を運んでくれるように思うのだ。年寄り仲間に昔の若い時代に戻りたいかと聞けばほとんどの人が特にそうは思はないと言う。「若いことはいいことだなー」と若さを讃美する一方で、もう一度あの時代に帰りたいとは誰も思っていないようなのだ。それぞれの境遇の中で必死に頑張った苦労、厳しさ、“しんどさ”を皆が知っているからだろうか。人生経験は貧弱でいわゆる“青い”と言われる青春とは「心の若さ」である」などと言ったのは「...若い時の苦労は買ってでも

  • 人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

    我が家のサフィニア、今年も深くて明るい紫の花を咲かしている。一年草とばかり思っていたのにもう3年目である。冬の間には枯れてしまったと思わせる姿を見せていたのに、また復活、すごい生命力に頭がさがる。おりしも時を同じくして、儚く落ちる沙羅双樹の花、京都の妙心寺東林院の苔の庭に落ちた白い花を愛しむ会が催されているという。あの平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)あり」の花である。朝に咲いて夕刻には散ってしまう儚いけれど美しい椿の花だ。ご存じ朝顔の花、散りはしないけれど朝に咲いて昼ごろには閉じる。我が家の裏庭の月見草も黄色い小さな花を夕方から開いて朝には閉じてしまうのだ。花の命が短くて…は林芙美子の残した言葉、ところがこの話には前後があって、内容は単に儚いことを悲しんでいるだけではないという。“生...人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

  • 大空に境界や限界はない

    最近の早朝のように空が澄んで雲ひとつない日は別として、公園の日陰のベンチなどで横になってじっと空の雲を見つめている人は案外たくさんいることに気がついた。皆さんどんな思いにふけっておられるのか想像するのもおもしろい。そんなことを考えていると、ときどき空を見上げて雲の動きを追うことを提案したい。雲はとにかくじっと止まることがなく常に動きながら姿を変える。うさぎに見えていた雲の塊はいつの間にか狼の顔に変わっている。そんな雲の動きを追って一度ゆっくりと空を見上げる時間をお勧めしたい。雲が刻々と姿を変えて10分後にはどのような形に変わっているかを想像してみる、そんな空想や物思いの時間をもってみるのもこのご時世には必要かも知れない。あの理論物理学者のアインシュタイン氏が言うのだから不思議な気がするが、なにかの発明や発...大空に境界や限界はない

  • 頭は使わなければ錆びてくる

    今の時期、僕の家では植木などの剪定鋏(せんていバサミ)が大忙しである。庭の南天の木を少しずつ整えなければならないし、樫の木だって放っておけば葉っぱが文字通り野放図に生えてくる。そんな木々の剪定は疲れるけれど僕の大好きな時間である。ところでそんな大忙しの選定鋏のひとつの支点が錆びついていて使えない。長い間使っていないことに気がついた。捨てるには忍びない、なんとかその機能を復活させたいということで錆止めのオイルを噴射して数日かけて少しずつ開いたり閉じたりしているうちにスムースに動くようになってきた。やったー、復活!この鋏、歳をとって活動が鈍ることへの警鐘のようにも見えてきた。鋏も人間も、働きすぎてダメになるより休みすぎてサビが付く方がずっと多いと言った人がいた。誰あろう世界に知れたあのケンタッキー・フライドチ...頭は使わなければ錆びてくる

  • 教師と笑いの関係

    昨夜の雨の後だからかやや肌寒い今朝、通学の小学生と見守りの先生の会話。「むずかしい顔して歩いてるなぁ。どうしたん?」「別に!」と黄色い帽子とランドセルの小学生4、5年生ぐらいの子供は走り去った。その後ろ姿をちょっと目で追いながら、やや不満そうな若い男性教師、でもニコニコ、次にやってくる子供たちに「おはよう」の声かけを続けた。人と人の距離を縮めてくれるものは「笑い、スマイル」、と僕は信じている。大阪人はどんな会話であろうとも最初の受け答えに少なくとも表向きは笑いで済ませる習慣がある。ものによっては気にしながら、ま、”気楽にいこう"的な雰囲気があって僕が大阪人が好きな大きな理由の一つである。関東の人に大阪人のことを聞くと”笑い”と共に”気性が荒い”というコメントが多い。きっと大阪といえば“たこ焼き、漫才”だの...教師と笑いの関係

  • この世に俺の代わりは存在しない

    読売新聞の「人生案内」欄(5/27付)―17歳の少年が「人生は何の意味があるのか」と言う疑問を投稿した。僕が大学で現役の頃もときどきそんなことを言う若者がいたことを思い出す。時代がなせるわざなのかなぁ…半世紀以上前の僕の時代はどうだったろうかと考えた。皆それなりに前を向いて頑張っている感はあっても人生を諦めている様なムードは周りにはなかったと思う。さていつもの様に僕ならこの青年にどのように対応するだろうかと考えた。まずひとつ、政治や社会に落胆してそんなことを思うのなら言っておく。大統領や総理大臣はいくらでも代わりがあるけれど、君の代わりはあるはずがない。もうひとつ、もしも五月病の倦怠感というか環境不適応のような状況があるのなら、先ずは大声で笑ってみる。人は幸せだから笑うのではない。笑っていると幸せになって...この世に俺の代わりは存在しない

  • 本の購入、先ず立ち読みを怠るな

    『他人の靴を履く』(ブレイディみかこ著・文藝春秋文庫)というタイトルに惹かれてこの本を買った。なんとなく自分にフィットしない感覚、なんとなく違和感を感じる時に使うこの言葉、きっとアメリカ留学中のどこかで耳にしたのだとおもうが不快感や違和感を言う時に最もしっくりする言葉なのだ。さて、この本を手にして読み始めてそれこそある違和感に襲われた。想像していた内容とは異なり、ほぼ哲学的に”エンパシー”と言う言葉を分析しているのだ。エンパシー(empathy)とは僕は理屈抜きで「共感」や「感情移入」を指す言葉に置き換えて理解している。この本で問題にしているのは英語には別の単語にシンパシー(simpathy)があってそれは日本語では単に「同情、哀れみ」などと訳されていると思う。問題はこの二つの単語の使い分けというか微妙な...本の購入、先ず立ち読みを怠るな

  • 「立ち呑み処」は独り立ちを学ぶ場だって

    地方の鉄道や廃線の周りにはなにか郷愁を感じさせるものがある。鉄道をテーマにいろんなテレビ番組があって、例えば「飲み鉄」、駅の周辺にある飲み処や人がほとんど乗っていない地方の単線の車内で酒を楽しむなどは昭和の匂いを感じさせる。「撮り鉄」ではカメラ片手に地方の風景を紹介してくれる。昨日は偶然つけたテレビで市川沙耶さんの「麺鉄」なる鉄道の捉え方があることを知った。駅構内やホームにある”立ち食い蕎麦やうどん”に焦点が当てられている。駅にある立ち食いの麺処は僕にとってはなぜか人とは違う意味で特別な存在なのだ。僕は二十歳で留学の道を選ぶのだが、お陰で日本の文化と言えるものを経験し損なっているものが少なからずある。例えば僕が若い頃には大学生が皆楽しんでいた麻雀、ぼくはパイを持ったことがない。また今日の話の”立ち食い”の...「立ち呑み処」は独り立ちを学ぶ場だって

  • 静かに!世界がひっくり返るから

    後部の窓に”BabyInCar”というスティッカーを貼っている車をよく見かける。何を意味しているのかと考えることがある。「静かにしてください」「後ろから警笛で煽らないでください」「ゆっくり走るのでどうぞお先に」などなど。要するに赤ん坊を起こさないでくださいという伝言なのだと僕は理解している。僕と女房のアメリカ生活の出発点は大学の夫婦寮であった。夫婦のどちらか、もしくは両方が大学に通っていて、赤ん坊がいる夫婦もいるかもしれない。夫婦寮とはそんな大学施設のアパートである。「静かに!赤ん坊を起こさないで。世界がひっくり返るから」というドアの張り紙を思い出す。うまくユーモアたっぷりに赤ん坊の存在を周りに伝える文面だと思った。先日は我が家の近くで洗濯の物干し竿などを売っている行商の小型トラックの拡声器がやかましいと...静かに!世界がひっくり返るから

  • いつまでもあると思うな親と金

    今年は大谷翔平選手のMLBドジャース移籍と山本由伸投手の同球団への加入で、この二人が日本のマスコミに取り上げられることが多くなった。12日の母の日にちなんでか、山本選手の母への言葉が「お母さん育ててくれてありがとう。お母さんはお母さんでしっかり人生を楽しんでください」というメッセージであった。山本選手が元日本のオリックスバファローズの選手であったことから、思い出したのが同じオリックスの宮城大弥(ひろや)投手のエピソード。母親の礼子さんとの二人三脚の野球人生だ。彼の父親が交通事故で左腕に障害を負ってしまったことから家族の極貧の生活が始まることとなる。電気代だのガス代だの、そして水道代の支払いすらままならない厳しい状況の中で野球を続けさせてくれたのは母親の礼子さんである。少年野球の時代からつぎはぎだらけのユニ...いつまでもあると思うな親と金

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