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2017/07/18

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  • 花粉症にはトイレットペーパーが必需品(?)

    昨日は素晴らしい天気。午後には温度も25度となってもう暑さを感じる。春の麗らかな日差しなどという言葉はどこへやらその雰囲気すら感じられない。ちょっと用があって近鉄の東花園駅まで時間をかけて歩くことに決めた。途中にある広いラグビー場公園では子供を含めて多くの人が出てそれぞれサッカーだの散歩だのと自分の時間を楽しんでいる。その中に金髪の外国人女性が二人何かを口に運びながらベンチで会話を楽しんでいる。「どこから来たの?」と聞いてみるとアルゼンチンという答えが返って来た。これはまずい、スペイン語はチラホラ単語はわかるけれど会話などができるレベルではない。Haveagoodday!など言って早々に引き上げた。ところでこの二人組みのひとり、細身の女性がティッシュを片手に盛んに鼻をすすっていた。花粉に悩まされているのだ...花粉症にはトイレットペーパーが必需品(?)

  • Spring has come.―-身体を動かす春が来た

    昨日に続いて今日も気温はぐんぐん上がっていよいよ春本番、どころかそれを通り越して京都では25度にとどいたという。暖かくなると不思議なものだ、明るい日差しと暖かさに誘われて、なぜか部屋の模様替えをしたくなった。何も今日しなくてもいいことだし机などあれやこれやと動かしたりしていると疲れるぞ、という声がどこかで聞こえるのだけれど、それでも体を動かしたい気分が勝る気がする。温度が体に及ぼす影響力は侮れない。動きたくなるのだ。あ~やっぱり冬よりは春や夏、寒い季節よりは暖かい季節がいい。本当に身勝手なものだとつくづく思う。もう一つ、なぜかわからないが不意に思い出したことがある。ずいぶん昔、アメリカ留学中、結果はわからないけれどやってみるべきだ、という表現を覚えたことがある。“Giveitatry!(やってみれば!)”...Springhascome.―-身体を動かす春が来た

  • 春分の日、周りがなんとなく慌ただしい

    昨日は春分の日、だいたい毎年20日か21日にその日が当たるらしいのだが、何か家族で特別な思い出などがある人以外は誰もその日を特別な思いを持って迎えるということはない。単に休日ということか。でも長い冬が終わりをつげるような感覚はあるのだが昨日はとにかく冷たい風が春を思わせる素晴らしい天気の下で吹き荒れて、季節感がごちゃごちゃになる。そんな中でお彼岸の墓参りを済ませた。墓参りの背中にやはり春の陽光を感じながら、なぜか春分の日は地球の北半球に住む人には待ち遠しかった日かもしれないが南半球では冬への入り口ではないかなどと考えていた。太陽の中心が赤道の真上を通るのが春分の日の頃というのを思い出したから。春分の日は夜と昼の長さがほぼ同じということになるのだが、季節に関しては日本などでは夏に向かい、オーストラリアなどで...春分の日、周りがなんとなく慌ただしい

  • 春は「やり直し」の季節

    一年のうちで春はどう考えても春夏秋冬と書くように季節の始まりだ。アメリカでの学校の9月始まりということもわからないではないが僕には収穫を終えた一年の終わりのような感覚を常に覚えていた。その点日本の学校での新学期や会社を通した仕事や社会生活への出発の季節としての捉え方の方がもっと春の意義が感じられるように思う。大阪の土、日、月曜日は春の雨が新しい季節への誘いとしてあたりに湿り気をもたらしてきた。よく言われるように春の雨は土の匂いがするといわれるのは乾燥した土に湿り気をもたらし、草木にとっては目覚めを促してまた新しい年の再出発、やり直しである。春の雨があるからいろんなものが生気を呼び起こされて目覚めてくる。春の雨には色々種類があるらしい。軽くハラハラと雪のように落ちてくるかと思えば空の雲の間から薄陽が漏れてく...春は「やり直し」の季節

  • 「もしもあの時…」が自分を育てる

    大阪弁の後悔、「あんなんこと言わんかったらよかった、せんかったらよかった(しなければよかった)」などと言うタイプのものを人は持ち合わせているという。東北大震災の日の登校時に母親との口喧嘩で別れた朝が永遠の別れになるとは想像もしていなかった、という人の話が新聞に出ていた。子供だった話者が生き残り、母親が津波に飲まれて帰らぬ人となったこの日の口喧嘩の思い出が後悔となって残ったという。記録をしていなかったのでその人の名も街の名も全く覚えていないのだけれど、僕の心からは離れない記事である。人はなぜ後悔というものを経験するのだろうか。後悔とは、を考えてみると、それは人を悲しみや自分を意気消沈の世界へ引き摺り込むという恐ろしい力をもっているものだ。生きるということ、それは過去、現在、そして未来への時間の経過を経験する...「もしもあの時…」が自分を育てる

  • 何だかんだと言いながら今も生きている

    僕の人生の大半は黒板や白板を背に、英語、国際交流、アメリカ社会の研究などを学生に話すことであった。だからとは言いたくないのだが細かい注意を漢字に払うことは怠って来たような気がする(黒板にチョコチョコと字を書くくせに…)。ま、それはそれとして最近は他の老人仲間と同じように漢字をド忘れすることが多くなって来て、国語辞典だの漢和辞典などを手にすることが面白くなって来た。今朝は「悩みと脳」の漢字について調べてみた。新聞には悩み相談や人生相談などそれぞれの人の日常の大なり小なりの苦悩が毎日のように記事となって登場する。悩むと言う字はコザトヘン、脳のヘンは月で二つの漢字の違いはそこだけだ(人間の体内の重要臓器はなぜか月ヘン)。脳にもいろいろあって大脳、中脳、小脳、などまだまだあるのだが我々が通常“脳”と言う時は大脳の...何だかんだと言いながら今も生きている

  • 期待のし過ぎは“ガッカリ”への道しるべ

    昨日と今日連続して“がっかり”ということばを耳にした。一つは気温がまた逆戻り、せっかく春が来たとはしゃいでいたのにがっかりだという声がそこらじゅうで聞こえた。もう一つは先日のトランプ大統領の施政演説。アメリカミネソタ州の友人からの電話、彼の“がっかり”はこれからの方向を示すべき演説が大統領の自慢話に偽情報、おまけにバイデン大統領のこきおろし、なんとかならないかこの横暴振りに、ということだった。そう言えばミネソタ州は民主党の人が多い州、さもありなん、などと思いながら相槌をうっていた。とは言え「古き良き時代をもう一度」、アメリカの保守的な人達はトランプ氏を選んだ。僕はブログで政治の話はしたくない。人は皆自分の信条があり考えがある。とはいえ、テレビで見た演説会場は完全に真っ二つ、これではアカンと僕までがっかり。...期待のし過ぎは“ガッカリ”への道しるべ

  • 春はやっぱり行動の季節だ

    冬の寒さを乗り越えたと思ったら、エアコンの室外機の調子が悪かったり、室外の給湯器の水漏れ、そうかと思えば井戸の室外の給水ポンプが壊れたり、家のあちこちで不調になる機器に軽いストレスを感じながら、自分と同じように家のあちこちで老齢化が進んでいることを実感する。何か冬の厳しさと関係があるのだろうか。なんとなく不気味な関連付けをしながら、それでも春がやって来たと思わせる3月1日の大阪の最高気温18.1度の気温にある種のワクワク感が…と思っていたら、また7度や8度に逆戻り。お天道さまは気まぐれやなー。それにしても春という季節、どうしてワクワクするのだろう。冬という季節が前にあって、何ヶ月か続いた寒さにウンザリ。そんな気持ちから解放してくれるのが春が伝える期待感だ。結婚適齢期の女性への戒めのように、“白馬に乗った王...春はやっぱり行動の季節だ

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