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2017/07/18

  • 今やるか、後に回すか

    昨日の朝、天気予報は曇りのち雨、少し溜まった洗濯物をどうするかで奥さんとしばし意見交換(トランプ銃撃事件が話題の時に年寄りは気楽なものだ)。理由は夏の太陽が出たり入ったり、空を見上げてみても雨が降るようには見えない。大阪の僕の住む地域の天気を予想するには雲の動きと西の空を見て明るいか暗く曇っているかだと子供の頃に祖母に教えられた。雲が東西のどちらかに流れている時は風が吹く、南に動いている時は晴れ、そして北に流れれば雨という。これが僕の天気予報、何十年もこれを信じてやっているけれど、当たる確率はほぼ8割越えといっても過言ではない。昔の人の観察力は半端じゃない。西の空はそれほど暗くない。雲もちょっと自信がないが南に流れているように見える。「よ~し、思い切って洗濯は今日する!」と決めた。雨は3時以降までは降らな...今やるか、後に回すか

  • 文句が多いのは齢のせい?

    7月12日金文句が多いのは齢のせい?テレビを見て1日を過ごす類の年寄りではないのだが、テレビを見ながらの文句が多くなってきた。歳のせいかもと思う理由は、若い人達はそんなことを考えている暇などないはずだから。お昼になると詳し過ぎる民放の天気予報、一般の人は天気予報士になりたいと思ってみているわけではない。簡単で的確な予報が聞けたらそれで大満足なのに、天気図から気圧の配置の理由、など詳し過ぎて”もういいよ”となる。夕方にはNHKのニュース番組、アイドルのような服装の女子アナ達、そして番組の終わりには軽装の出演者達のお辞儀が”丁寧過ぎ"て違和感を覚えたりする。時代が変化して僕らの時代とは違うのなら、にこやかに、手でも振って終わった方が親しみが湧いてくるのにと考えたりする。なにかがチグハグな感じがしてしかたがない...文句が多いのは齢のせい?

  • 頭の中で”はてなマーク"が交錯するとき

    アメリカの大統領選挙に関わるニュースを追っていて、バイデン大統領の高齢が問題になっていることを知った。もともと言い間違いや聞き間違い、舌足らずが多い人という定評があるようだが、確かにワールドニュースのインタビュウをみているとちょっと不安になってくる。アメリカの大統領となると体力的にかなり厳しいものがあることは想像に難くないのだが。歳をとるとひょんなことから昔のことを思い出す。バイデンさんの言い間違いや言葉不足で思い出したことがある。もう何年も前のことだが本当にあった話である。我が家から車で20分ほど走ったところの駐車場の脇の歩道に手書きの看板が立てられていて「ここは駐車場です。ここに車を止めないでください」とあったのだ。かなり車の往来が激しい道路に面した駐車場の前は平均的な歩道、その一角に建てられた看板で...頭の中で”はてなマーク"が交錯するとき

  • 「ど忘れ」は信じられないほどの物忘れ

    ふっと自分の記憶から消えることを「ど忘れ」という。若い時からある現象でそれほど気にはならないけれど歳をとってこれが起こると急に認知症と結びつけたりしてなんとなくこころが落ち着かない。今朝は何をしにこの部屋に、と不意に忘れてしまった。元に戻って順をおって数分前を遡っていくと思い出した。あれこれついでにしておこうなどと横着をしようとするからこんなことが起こる。ま、それはいいとして昨日は漢字のど忘れで、国語辞典を引っ張り出した。それでも頭を整理して漢字を書き出せたから良い勉強になった。今週の街歩きは上六(大阪の人は上本町六丁目のことを”うえろく”と言う)にしよう。そのための”界わい”の下調べをメモに、と考えた途端に漢字が書けない。「わい」の寓のような形のイメージはあるけれど…取り出した身近にある国語辞典によると...「ど忘れ」は信じられないほどの物忘れ

  • 年寄りに完璧な身体の持ち主はいない

    昔の友人達との会食の後、帰りの近鉄電車の優先座席が一つ空いていた。座れたことにホッと一息、と同時に隣の席の二人の男性年寄りに気がついた。僕より大分若く見える二人の会話がまわりに筒抜けである。理由は簡単、大声とは言わないまでもかなりのボリュームでの会話が弾んでいる。内容はサプリメント。「女房には次から次へとサプリメントは飲まされるし、テレビのコマーシャルはひっきりなしに年寄りの抱える問題を指摘するし…」と日常の不満というか困りごとが話題になっていた。ウ~ン、歳をとるとはこういうことを言うんだなぁ。腰痛、膝痛、神経痛、おまけに頻尿、肩こり、手足の痺れ、年寄りの抱える問題を挙げれば枚挙にいとまがない。健康とは財産、その財産は運動から、もっと簡単に言えば歩くことから手に入れることができるという。年寄りの幸せとは、...年寄りに完璧な身体の持ち主はいない

  • 暁と黄昏のトワイライトゾーン

    昨日の夕刻7時20分庭に出てみた。理由はこの時期にしてはあまりにも過ごしやすい22度、外ではまだ明るさがあって驚くことしきり。その10分後、7時半にはとっぷりと暮れて急に庭の木々の葉が見えなくなって電柱の蛍光灯が突然明るさを増したように感じた。気象や太陽の動きとは本当に不思議なものだとまた感心する。天候によって左右されながら必ずやってくる夜明けと夕暮れ時は一日の中で僕の大好きな時間である。英語のトワイライト(twilight)は不思議な単語である。先ずは”夕暮れ時"と訳すのだが、"始まり”という意味もある。トワイライトゾーンという時間帯は明るさが残って入るけれど暗くはない、周りが刻々と時間の経過と共に姿を変えていく時間帯のことをいう。周りの明るさが勢いを無くしていくに従って自分の”瞳孔"が開き始めて僕の想...暁と黄昏のトワイライトゾーン

  • 嘘はついてはいけないというけれど

    「うーそだ!」学校帰りの小学生が背中のランドセルをガチャガチャ鳴らせながら走り去った。道路角で別れた子供が「バイバイ」と手を振っていた。仲の良い友達同士だろうと推測した。ただ、ぼくはこの「うっそだ!」という別れ方を目撃したのは最近では二度目である。軽く笑いを誘うタイプのものだから深刻には考える必要はないのだが、子ども達の間ではやっている言葉なのだろうか。僕などは子供の頃、嘘はついてはいけないと教えられて育ったように思うのだが。歳をとって平気で年令を誤魔化す嘘を連発するようにはなったけれど(⁇)「歳をとれば正直に日々を暮らし、ゆっくり歩いてゆっくり食べて、年令を数年若く誤魔化して生きる」これが長生きの秘訣だと87歳の知り合いに教えられて二人で大笑いしたことがあった。それから思い出すのがアメリカのメイン州のバ...嘘はついてはいけないというけれど

  • アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

    今日の朝刊にチラシが7、8枚入っていた。その中の一枚、ハンバーガーの美味しそうな大きな写真をみながら思い出した。実をいうとこの種のチラシが入る度に僕は思い出すエピソードがある。現役の頃、自分の留学経験などを絡めながらアメリカ文化や社会問題などを講義していた頃の話だが、授業が終わって一人の学生が近づいてきた。私の父は「家族みんなで夕飯にマクドナルドを食べに行こう」という提案に、“そんなことをするのなら離婚だ”と父親が騒いだと笑いながらではあったが報告する学生がいた。(そうなの?離婚って案外簡単なんだ⁇⁇)僕は当時から今に至るまでハンバーガーは大好きで80歳を超えた現在でも月に一度は女房と昼食に食べに出かけることにしている。日本では特に手の込んだ料理を崇拝する文化があって、料理は愛情を表すといった信仰があるよ...アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

  • “ステレオタイプ”という先入観

    女房に付き合ったスーパの肉売り場での会話。「うちは男の子が3人、とにかくガサガサ騒々しくて…」と若い二人の主婦の会話が耳に飛び込んできた。男3人と言うことで褒められているのか羨ましがられているのか、あるいは自慢しているのか、なんとなく微妙な会話に興味を惹かれたたがやっぱりその場を退散することとした。男の子とは…女の子は…といった男女類型化に関する会話は要注意なのだが、人はあまり気にもせずに話のネタにすることがあるように思う。“ステレオタイプ”という言葉があって、それは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、固定観念、などレッテルを貼る傾向にあることを指すものである。なぜこんな傾向が人にはあるのだろう。よく耳にする話だが、例えば日本人は…中国人は…やれアメリカ人は…と類型化してしまうことでその国の人の行動...“ステレオタイプ”という先入観

  • 若い時の苦労は買ってでも

    テレビで野球をみているとレギュラーと言われる人たちの動きがなぜか惰性の繰り返しのように見える時がある。みんなそれぞれ自分のプレーに努力しているのだろうけれど。そんな中、新人の若者が活躍するたびに感じることがある。囲碁や将棋の若者の活躍は爽やかさを感じさせるものがあるなかで、スポーツなどでは躍動感が観るものに元気を運んでくれるように思うのだ。年寄り仲間に昔の若い時代に戻りたいかと聞けばほとんどの人が特にそうは思はないと言う。「若いことはいいことだなー」と若さを讃美する一方で、もう一度あの時代に帰りたいとは誰も思っていないようなのだ。それぞれの境遇の中で必死に頑張った苦労、厳しさ、“しんどさ”を皆が知っているからだろうか。人生経験は貧弱でいわゆる“青い”と言われる青春とは「心の若さ」である」などと言ったのは「...若い時の苦労は買ってでも

  • 人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

    我が家のサフィニア、今年も深くて明るい紫の花を咲かしている。一年草とばかり思っていたのにもう3年目である。冬の間には枯れてしまったと思わせる姿を見せていたのに、また復活、すごい生命力に頭がさがる。おりしも時を同じくして、儚く落ちる沙羅双樹の花、京都の妙心寺東林院の苔の庭に落ちた白い花を愛しむ会が催されているという。あの平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)あり」の花である。朝に咲いて夕刻には散ってしまう儚いけれど美しい椿の花だ。ご存じ朝顔の花、散りはしないけれど朝に咲いて昼ごろには閉じる。我が家の裏庭の月見草も黄色い小さな花を夕方から開いて朝には閉じてしまうのだ。花の命が短くて…は林芙美子の残した言葉、ところがこの話には前後があって、内容は単に儚いことを悲しんでいるだけではないという。“生...人の一生と沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

  • 大空に境界や限界はない

    最近の早朝のように空が澄んで雲ひとつない日は別として、公園の日陰のベンチなどで横になってじっと空の雲を見つめている人は案外たくさんいることに気がついた。皆さんどんな思いにふけっておられるのか想像するのもおもしろい。そんなことを考えていると、ときどき空を見上げて雲の動きを追うことを提案したい。雲はとにかくじっと止まることがなく常に動きながら姿を変える。うさぎに見えていた雲の塊はいつの間にか狼の顔に変わっている。そんな雲の動きを追って一度ゆっくりと空を見上げる時間をお勧めしたい。雲が刻々と姿を変えて10分後にはどのような形に変わっているかを想像してみる、そんな空想や物思いの時間をもってみるのもこのご時世には必要かも知れない。あの理論物理学者のアインシュタイン氏が言うのだから不思議な気がするが、なにかの発明や発...大空に境界や限界はない

  • 頭は使わなければ錆びてくる

    今の時期、僕の家では植木などの剪定鋏(せんていバサミ)が大忙しである。庭の南天の木を少しずつ整えなければならないし、樫の木だって放っておけば葉っぱが文字通り野放図に生えてくる。そんな木々の剪定は疲れるけれど僕の大好きな時間である。ところでそんな大忙しの選定鋏のひとつの支点が錆びついていて使えない。長い間使っていないことに気がついた。捨てるには忍びない、なんとかその機能を復活させたいということで錆止めのオイルを噴射して数日かけて少しずつ開いたり閉じたりしているうちにスムースに動くようになってきた。やったー、復活!この鋏、歳をとって活動が鈍ることへの警鐘のようにも見えてきた。鋏も人間も、働きすぎてダメになるより休みすぎてサビが付く方がずっと多いと言った人がいた。誰あろう世界に知れたあのケンタッキー・フライドチ...頭は使わなければ錆びてくる

  • 教師と笑いの関係

    昨夜の雨の後だからかやや肌寒い今朝、通学の小学生と見守りの先生の会話。「むずかしい顔して歩いてるなぁ。どうしたん?」「別に!」と黄色い帽子とランドセルの小学生4、5年生ぐらいの子供は走り去った。その後ろ姿をちょっと目で追いながら、やや不満そうな若い男性教師、でもニコニコ、次にやってくる子供たちに「おはよう」の声かけを続けた。人と人の距離を縮めてくれるものは「笑い、スマイル」、と僕は信じている。大阪人はどんな会話であろうとも最初の受け答えに少なくとも表向きは笑いで済ませる習慣がある。ものによっては気にしながら、ま、”気楽にいこう"的な雰囲気があって僕が大阪人が好きな大きな理由の一つである。関東の人に大阪人のことを聞くと”笑い”と共に”気性が荒い”というコメントが多い。きっと大阪といえば“たこ焼き、漫才”だの...教師と笑いの関係

  • この世に俺の代わりは存在しない

    読売新聞の「人生案内」欄(5/27付)―17歳の少年が「人生は何の意味があるのか」と言う疑問を投稿した。僕が大学で現役の頃もときどきそんなことを言う若者がいたことを思い出す。時代がなせるわざなのかなぁ…半世紀以上前の僕の時代はどうだったろうかと考えた。皆それなりに前を向いて頑張っている感はあっても人生を諦めている様なムードは周りにはなかったと思う。さていつもの様に僕ならこの青年にどのように対応するだろうかと考えた。まずひとつ、政治や社会に落胆してそんなことを思うのなら言っておく。大統領や総理大臣はいくらでも代わりがあるけれど、君の代わりはあるはずがない。もうひとつ、もしも五月病の倦怠感というか環境不適応のような状況があるのなら、先ずは大声で笑ってみる。人は幸せだから笑うのではない。笑っていると幸せになって...この世に俺の代わりは存在しない

  • 本の購入、先ず立ち読みを怠るな

    『他人の靴を履く』(ブレイディみかこ著・文藝春秋文庫)というタイトルに惹かれてこの本を買った。なんとなく自分にフィットしない感覚、なんとなく違和感を感じる時に使うこの言葉、きっとアメリカ留学中のどこかで耳にしたのだとおもうが不快感や違和感を言う時に最もしっくりする言葉なのだ。さて、この本を手にして読み始めてそれこそある違和感に襲われた。想像していた内容とは異なり、ほぼ哲学的に”エンパシー”と言う言葉を分析しているのだ。エンパシー(empathy)とは僕は理屈抜きで「共感」や「感情移入」を指す言葉に置き換えて理解している。この本で問題にしているのは英語には別の単語にシンパシー(simpathy)があってそれは日本語では単に「同情、哀れみ」などと訳されていると思う。問題はこの二つの単語の使い分けというか微妙な...本の購入、先ず立ち読みを怠るな

  • 「立ち呑み処」は独り立ちを学ぶ場だって

    地方の鉄道や廃線の周りにはなにか郷愁を感じさせるものがある。鉄道をテーマにいろんなテレビ番組があって、例えば「飲み鉄」、駅の周辺にある飲み処や人がほとんど乗っていない地方の単線の車内で酒を楽しむなどは昭和の匂いを感じさせる。「撮り鉄」ではカメラ片手に地方の風景を紹介してくれる。昨日は偶然つけたテレビで市川沙耶さんの「麺鉄」なる鉄道の捉え方があることを知った。駅構内やホームにある”立ち食い蕎麦やうどん”に焦点が当てられている。駅にある立ち食いの麺処は僕にとってはなぜか人とは違う意味で特別な存在なのだ。僕は二十歳で留学の道を選ぶのだが、お陰で日本の文化と言えるものを経験し損なっているものが少なからずある。例えば僕が若い頃には大学生が皆楽しんでいた麻雀、ぼくはパイを持ったことがない。また今日の話の”立ち食い”の...「立ち呑み処」は独り立ちを学ぶ場だって

  • 静かに!世界がひっくり返るから

    後部の窓に”BabyInCar”というスティッカーを貼っている車をよく見かける。何を意味しているのかと考えることがある。「静かにしてください」「後ろから警笛で煽らないでください」「ゆっくり走るのでどうぞお先に」などなど。要するに赤ん坊を起こさないでくださいという伝言なのだと僕は理解している。僕と女房のアメリカ生活の出発点は大学の夫婦寮であった。夫婦のどちらか、もしくは両方が大学に通っていて、赤ん坊がいる夫婦もいるかもしれない。夫婦寮とはそんな大学施設のアパートである。「静かに!赤ん坊を起こさないで。世界がひっくり返るから」というドアの張り紙を思い出す。うまくユーモアたっぷりに赤ん坊の存在を周りに伝える文面だと思った。先日は我が家の近くで洗濯の物干し竿などを売っている行商の小型トラックの拡声器がやかましいと...静かに!世界がひっくり返るから

  • いつまでもあると思うな親と金

    今年は大谷翔平選手のMLBドジャース移籍と山本由伸投手の同球団への加入で、この二人が日本のマスコミに取り上げられることが多くなった。12日の母の日にちなんでか、山本選手の母への言葉が「お母さん育ててくれてありがとう。お母さんはお母さんでしっかり人生を楽しんでください」というメッセージであった。山本選手が元日本のオリックスバファローズの選手であったことから、思い出したのが同じオリックスの宮城大弥(ひろや)投手のエピソード。母親の礼子さんとの二人三脚の野球人生だ。彼の父親が交通事故で左腕に障害を負ってしまったことから家族の極貧の生活が始まることとなる。電気代だのガス代だの、そして水道代の支払いすらままならない厳しい状況の中で野球を続けさせてくれたのは母親の礼子さんである。少年野球の時代からつぎはぎだらけのユニ...いつまでもあると思うな親と金

  • 「子の巣立ち」親の愛はどこまでも

    先日は女房に付き添ったスーパーの入口前の休憩用ベンチでペットロスの寂しさを話す主婦二人の会話を耳にした。ペットロスの乗り越え方をスマホで調べてみると誰かに悲しみを打ち明けることが第一位に挙げられていた。分からないでもない。人に話し、可愛がっていたペットとの別れを自分で納得できるのはきっとこの方法だろうと僕も思う。僕だって子供の頃から何度もペットの死を経験して来たからだ。ただ今日の話は息子、娘ロスである。連休が開けてこの時期になると高校を卒業して他府県の大学へ入学、親元を離れていく息子や娘の話である。息子や娘ロスを解消するためにペットでも飼って心の空白を埋め合わせてみてはというアドバイスをする人がいる。これも分からなくはないけれど、僕には考えられないアドバイスだ。ペットと人間を一緒にするような考えは僕にはい...「子の巣立ち」親の愛はどこまでも

  • 異文化の中で知る「人生とは人との出会い」

    大型連休終盤の関西の道路渋滞状況は明石海峡大橋の車の動きが予測の目安になるようだ。今年は5日の午後6時過ぎにUターンラッシュのピークになるだろうとの予測が出されていた。ということは昨日の連休最終日は家で日常を取り戻す日と決めている人が多いようだ。さて僕はと言えばもちろん遠出するような元気はない。予定通り家で庭の草抜きと読書、そして孫の勉強の手伝いを少々、という過ごし方だ。読書に関しては今年は三冊の本の読了で何か元気をもらった様な気がする。その中で僕が気にいった本は『パリでメシを食う』(川内有織、幻冬社文庫)。僕が注目したのはこの本の著者のパリでの活動だ。安定した収入を期待できる国連職員としてパリで働き始めて気がつけばノンフィクション作家に転身という彼女の経歴である。引っ越し当初、フランス語もままならない状...異文化の中で知る「人生とは人との出会い」

  • 「五月病」が蔓延する時節というけれど

    5月に入って連日の雨。この時期の雨としては冷たくて僕たち年寄りにはベストでも羽織らないと寒く感じるほどであった。さてはこれを五月雨(さみだれ)と呼ぶのかとおもったけれど五月雨とは旧暦で6月の梅雨のことを言うらしい。今日は一転素晴らしい天気、朝の太陽の暖かさで午後の天気を予想できる。きっと暑くなる。雨が上がると庭の雑草が一気にその勢いを増す。そこで見つけたのがクローバーに似た葉っぱのムラサキカタバミ(オキザリス)という野草。紫色の可愛い花を細長い茎の先端で咲かせる。周りのクローバーに似た緑鮮やかな葉とマッチしてじっと見ていても飽きない。この花は昼前に開花して夕方には閉じてしまうという性格だ。そこで思い切って鉢に植えて育ててみようと考えた。少し掘って根を起こしてみると小さな球根が絡みあっている。球根ならなおさ...「五月病」が蔓延する時節というけれど

  • 年寄りの連休は日向ぼっこと草むしり

    各地の観光地での人出が今の言葉でいえば「半端ない」状態だ。オーバーツーリズムと呼ばれるようになってそのすざましさはそれこそ半端ない。コロナ禍の前、僕がまだ膝が痛むだのと歩くことがそれほど苦ではなかった頃、その混雑のすざましさを肌で感じたのが京都では清水寺のあの有名な坂、そしてバスに乗れないほどの観光客の列。大阪では心斎橋筋、そして奈良では東大寺のあのお土産やさんと鹿せんべいで有名な参道。僕の経験したものすごさはとにかくまるで満員の通勤電車の状態だった。その状態が帰って来た。今年は僕も歳をとってきたのだろう、渋滞、混雑、大行列のゴールデンウィークはウンザリで二度と味わいたくはない。半世紀も前、僕が子育て真っ最中のころ、娘達がまだ小学生と中学生の頃に経験した混雑以来、連休には外に出なくなった。とにかく駐車場は...年寄りの連休は日向ぼっこと草むしり

  • ドアが二つ。開くまで見えない向こう側

    周りが落ち着いた時間(通学通勤の人が途絶えた時間)にいつものように家の周りの溝掃除を始めた。前が薬局のせいだろうか最近は側溝にマスクのボイス捨てが目立つ。薬局を出て来た二人のご婦人の会話が耳に入ってくる。いつも気にしているのだが僕は別に人の話に聞き耳を立てている訳ではない…なのに会話が筒抜けだ。声が大き過ぎるのだ。「ほんでな、こないだ入った会社、もう辞めるんやて。どう思う?」僕はホウキと塵取りをもって急いでその場を退散。最近は余計なことを聞いていてどんな言いがかりをつけられるかしれたものではない。毎年この時期に繰り返される新入社員の突然の退社。最近の若者は会社のことをちゃんと調べて入社しているのだろうか。それとも、会社が約束を守っていないのだろうか。多分、ケースバイケースだろうがどちらもありうると思う。た...ドアが二つ。開くまで見えない向こう側

  • 「ワイルドライフ」ー 僕は生き残れない

    NHKの『ワイルドライフ』という野生動物の生態を映すテレビの人気番組(僕が知る限り人気番組)がある。御多分に洩れず僕も大ファンなのであるが、肉食動物が草食動物を捕食する場面だけはどうしても注視できない。僕の性格的弱点であることはよく承知しているのだが、ダメなものはダメ、トイレにでも立ってこの場面だけはパスするのである。僕だって肉系の食べ物は大好きだし、生きていくためには仕方がない動物同士の業(ごう)である。生態系の頂点に立つ人間にとってもまた生きるということは仏教的にいうと”苦しみ”である。しかしその苦しみの中に意味を見出そうというのも人間だ。それは人間とって毎日毎日が学びの連続であることを意味し、生きていくためにはその学びが必要なのだ。ワイルドライフに登場する肉食動物達は今日を生きるためにだけ必要な獲物...「ワイルドライフ」ー僕は生き残れない

  • 自分にとっての「花」を求めて人は生きる

    昔の人は春霞などと空気のよどみというのだろうか周りが霞んだ状況を表現した。古今集の在原元方という人は”霞立つ春の山辺はとほけれど吹きくる風は春の香ぞする”などと春の気配をうまく表現している。とは言え最近はそんな悠長なことをいっている場合ではないらしい。ここ二、三日はその春霞の元、中国からやってくる黄砂で大阪では生駒山が霞むどころかほとんど見えない状況だ。我が家から車で5分も走れば山の麓に沿って走る旧170号線に入れる距離なのにこの有様である。その年によって押し寄せる黄砂の量、濃度は異なるらしいが、今年は黄砂飛来の当たり年なのだろうか。洗濯物の外干しには適した温度になって来たのに外に干すと酷い目に会うことは誰の目にも明らかだ。車のフロントガラスなどはあっという間に埃りっぽい汚れた膜に覆われる。人によっては花...自分にとっての「花」を求めて人は生きる

  • 大学は自分の”行きたい所"を探す場所

    昨日は新聞の休刊日だ。新聞が配達されないので仕方がなくテレビをつけて偶然画面に出て来たのが東京大学卒業生へのインタビューの光景。前後の経緯は定かではないが、東大卒業生として”喝を入れたい人は誰ですか”といった話であった。岸田首相に物申したい、水原一平に一言言いたい、などがあった一方で”自分に喝を入れたい”という東大卒業生が沢山存在するということに驚きを隠せない。どうやら東大にも入学することだけが目的になってしまって勉学は二の次となり悔やんでいる学生が沢山存在しているらしい。振り返ってみれば、僕が現役で大学で教えていた頃、学生の中には大学進学の理由が「大卒の学歴が欲しいから」とか「アルバイトをしながら青春を楽しみたいから」などと勉強することを忘れてしまった若者が沢山いた。あれから10年、きっと今もそんな学生...大学は自分の”行きたい所"を探す場所

  • 風が吹く雨が降る、花の命は短くて…

    日本の国花といえば菊と桜の二つであると言える人は意外と少ないと聞く。歴史的には色々な所以があるのだろうが今回は本題をその一つ、桜の花の「花吹雪」とすることにした。川の水面に散る花びらが作る塊を花筏(はないかだ)と呼ぶらしい。昔から多くの桜ファンに喜ばれる風情である。ところがこれが厄介な代物で橋桁に付着などいろんな所で水の流れを堰き止める。近くの小学校の桜の木が花びらを散らし始めて3日が過ぎた。道路を挟んで建つ三件の家の人達にとっては花吹雪が美しいなどと悠長なことを言っている場合ではない。地面に落ちた花びらの掃除に何日も明け暮れしなければならない。桜の花びらの掃除は厄介な代物だ。掃いても掃いても次から次に数分もしないうちに道路は花びらで覆い尽くされてしまう。車のフロントガラスにでもくっつけばすぐには剥がれな...風が吹く雨が降る、花の命は短くて…

  • 新学期、初心忘るべからず

    季節の変わり目を実感する今日この頃、桜満開、新学期となんとなくウキウキ感を肌で感じる様になって来た。スーパーの帰りに見る風景が少し変わって来たと感じたのは、駅の周りに黒いスーツを着た新入社員数人の姿を目にしたからだ。そしてもちろん我が家の前を通る小中学生が明るく元気がある様にも見えてくる。新入社員の新しい黒のスーツ、小中学生のどこか真新しい服装、そしてカバンの中にはきっと新しい文房具、削りたての鉛筆などが入っていることだろう。僕は長年教育の現場で若者と接して来た。教育という観点から考えると学校での第一日目ほど大切な日はない。新しい環境というものはやりがいを感じる挑戦の場だ。特に学校という場所でときめき感を感じられたら素晴らしい。新入生には”Haveagreatfirstdayofschool!”(第一日目...新学期、初心忘るべからず

  • 「お金とは高くつくもの」と言う人がいる

    4月5日金「お金とは高くつくもの」と言う人がいるアメリカのフォーブス誌が先日発表した2024年版の世界長者番付けによるとフランス人のベルナール・アルノー氏が2年連続で世界一になったという。誰?その人、と聞くのは大抵男性かブランドものには興味を持たない人だ。この人、ルイ・ヴィトンやティファニーを傘下に持つ大富豪、資産は日本円に換算すると約35兆円だ。2位はアメリカの電気自動車テスラーのCEO、イーロン・マスク氏(約29.3兆円)。3位はアマゾン・ドットコムの創業者ジェフ・ベゾス氏(29兆円)だった。ところであのビル・ゲーツ、彼は単にコンピュータのバージョンだけを更新しながら金持ちになったなどと言う人もいるけれど、彼はやはり工夫人間だと僕はいつも思っている。そして、日本の工夫人間といえば、歴史上12回も日本の...「お金とは高くつくもの」と言う人がいる

  • "気楽にいこう"自分の中のおバカさんと共に

    急にやって来た暖かさに庭をぶらぶら、雑草の伸び具合などに本格的春の到来を実感した。話は昨日のことである。塀の向こうの道路を3人の女子中学生が賑やかだ。「えッ、うそッ!なにそれ?あした登校?」三人のうちの二人にはめられた一人が急に立ち止まって叫んだ言葉だ。大騒ぎの原因はどうやら4月1日のエイプルリフールのようだ。「うッそだ」といって3人が走り出した。もちろん騙されてた一人が騙した方の二人を追いかけて行ったのだ。道を曲がって大笑いの声がしばらく続いていた。無邪気なものだなー。僕の心も春の気分に楽しくなった。4月1日といえば入社式。テレビに映る新入社員、始まる社会人の生活に期待と不安で心は震えていることだろう。僕が現役を終える少し前だから14、5年も前だろうか。大学を卒業して社会に飛び出した女子学生の一人が2ヶ..."気楽にいこう"自分の中のおバカさんと共に

  • アメリカ、ボルティモアの橋崩落に考える

    アメリカ東部メリーランド州ボルティモアで橋の崩落事故が報道された。今回の事故は大型のコンテナ船がコントロールを失って衝突したという。今回の事故は理由がはっきりしているけれど、アメリカでは最近は時々橋の崩落事故があちこちで起きている。耐用年数を過ぎた老朽化が原因であることが多い。ちょっとした社会問題になっている。アメリカではなぜかメンテナンスがうまく機能していない状態が長年続いているのだ。僕の留学時代から指摘されていた問題で今だに騒いでいるのだから何をか言わん。呆れてものが言えない、不思議な国だな~。ボルティモアには僕が留学時代に世話になった一家の息子さんの一人(当時はまだ中学生)が住んでいる。もう70歳を超えた高齢者になっている。今でもときどきメールの交換をする人だ。彼や彼の一家が事故に巻き込まれたという...アメリカ、ボルティモアの橋崩落に考える

  • 人の見た目の違いの発生源は?

    昨日の夜7:30、何気なくつけたNHK総合テレビの番組「Dearにっぽん77歳の若手芸人」に惹きつけられた。僕の好きな言葉「挑戦」を文字通り地で行く老人と呼んでいいのだろうか、77歳のおばあちゃんがマイクの前に立って人を笑わすことに情熱を燃やしている。挑戦心旺盛というのか歳をとってからの通信制高校通い、大学入学などを経てなんと71歳で吉本興業の笑いの門を叩いた異色の高齢婦人がいる。舞台に立って最初の掴みの言葉が「私がマイクに触れると点滴に見えますが(これは)マイクで~す」と元気なおばあちゃん芸人、その名も”おばあちゃん”が東京の「神保町よしもと漫才劇場」で活躍している。高齢を自嘲気味に披露する川柳で展開するお笑いが人気を呼んでいる。”朝起きて今日も元気だ医者通い”年齢と共に挑戦の対象が変化することは当然で...人の見た目の違いの発生源は?

  • 「依存症」人のふり見て自己制御

    野球好きの僕が韓国で行われているメジャーリーグの二試合に全く目もくれずにいたのが不思議でならない。なぜか他人事で燃えるものがなかったからとしか言いようがない。ひとつ理由を挙げるとすれば昼間に時々高校野球を見ながら過ごして、それから大相撲を見ての生活だったからテレビから少しは離れたい気分になっていたのかもしれない。大谷翔平は、山本由伸は、ダルビッシュは、皆活躍したのだろうかなどと心のどこかで気にはしていたのだが。僕が他人事などとメジャー韓国シリーズにひとりでしらけている間に今日の新聞には大谷翔平の通訳の水原一平氏が球団から解雇されたと言う記事だ。「僕はギャンブル依存症で…」などとの水原氏のコメントに驚きを隠せない。通訳としても名が知れるようになり、大谷翔平とのコンビで野球の練習に携わったり、かなり大谷の生活...「依存症」人のふり見て自己制御

  • 年寄りの未来の長さの伸び縮み

    友人とどんな時に歳を感じるかを話し合ったことがあった。色々出てくるが例えば以下のようなものだ。漢字が思い出せない書けない、人の名前が思い出せない、足に自信がなくなって階段の上下に不安がつきまとう、夜中に起きてトイレに行く回数が増えた、などと日常に現れる不都合を挙げればきりがない。僕は少し違う面を追加したいと思っている。それは先日の北陸新幹線の敦賀までの延伸で北陸が活気ついて関東からの旅行者も増えると駅に集まった地元の人々の笑顔がすばらしい。そんなテレビの画面をみながら、あ~だんだんと旅行することが大義になってきたなと感じ始めると次々と負の妄想が広がっていく。北陸新幹線が新大阪に来る頃に僕は生きているだろうか、リニア新幹線に僕が乗ることはないだろう、などということになる。「歳をとること」を英語ではエイジング...年寄りの未来の長さの伸び縮み

  • 種は蒔かなきゃ芽はでない

    民間ロケット「カリオス」の打ち上げは失敗に終わった。このロケットは宇宙宅配便の事業化を目指していると言う。なんだその宇宙宅配便とは、と頭に「?」マークがチラついた人も多いだろう。要するにいろんな情報を小型衛星に詰め込んで宇宙に届ける宅配事業だ。勉強不足で具体的にどんなメリットが我々地球上の個人にあるのかなどはまだまだわからない。ま、いずれにせよ打ち上げ後5秒で爆発、ロケットと積荷の小衛星はそれこそはかなく空の藻屑ときえた。宇宙振興企業の豊田正和社長は「会社として失敗と言う言葉は使わない。諦めることなく前に進んで行くので応援してほしい」と記者会見の場で言い放った。町おこしなども考えながら発射場を提供した和歌山串本町の人々の総出の応援姿をテレビで見た。子供達も沢山参加してカリオスへの期待感は並々ならぬものがあ...種は蒔かなきゃ芽はでない

  • 猫は「禅」とは何かを知っている

    3月に入っても寒い日が続いている。啓蟄の日が過ぎて土中の虫も低気温に出るタイミングをためらっているのではと想像をめぐらせていた。昨日は久しぶりに太陽が暖かい。我が家の道路を挟んで向かいの猫が屋根のひさしで昼の太陽をあびながらじっと座っている。屋根のひさしだからかなりの勾配があるように僕には見えるがお尻を下ろし前足で体を支えながらなんとも不安定な日向ぼっこだ。驚いたことにもう1匹、隣の家との境界の塀の上で、こちらは頬杖をついたような格好で目をつむって寝そべっているのだ。彼らは外の気温に敏感に反応するのだなぁ。春到来は花や草木が教えてくれると言うけれど、案外猫達もその一翼を担っているようにも思う。さて、陽光にまどろむ猫ちゃんからみると僕はどのように映っているのだろう、などと余計なことを考えた。僕は怠けているの...猫は「禅」とは何かを知っている

  • 美術館は余計なことを忘れる場

    先日の火曜日に書けなかったことがある。久しぶりに女房と二人で美術館に足を向けた。普通なら僕達の足では家から10分も歩けば行ける「東大阪市民美術センター」である。冷たい雨が降っていたので車で出かけた。『ひつじのショーン展』が目的である。イギリスの農家と牧場主と忠犬のピッツア(羊を監視しているというよりショーンの相棒的存在)、そして羊のショーンと仲間たちが繰り広げるコメディ・アニメーションが世界各国でTV放映されて大人気だ。これは登場キャラクタの動作の一コマ一コマを時間をかけて作るクレイ(粘土)のアニメーションである。テレビでは20秒のシーンを一週間もかけて制作すると言う。いろんなシーンや作者の考えなど写真と共に展示され、とくに物語が展開する牧場や農家などの展示に惹きつけられる。驚いたと言うか、さもありなん、...美術館は余計なことを忘れる場

  • もう一度、戻ってみたい頃がある

    昨夜の激しい雨の後、今朝も相変わらず冷たい小雨が降り続いている。特にすることもなくカーポートの下で雨に濡れる芝や植木鉢のくちなしの木の緑の葉にときどき目をやりながらボーと考えていた。日常生活の中で時間が淡々と経過して、一週間の経過が特に早いと感じる時がある。特に胸が高まるワクワク感はもう感じなくなったのはなぜか寂しいと思うことがある。多分、歳をとるということはそういうことなのかもしれない、と思う一方で朝早く我が家の前を駅に向かう若い人々や小学生の生活もみな平凡な同じことの繰り返しだとふと考えた。今の自分の何も変えずに戻ってみたいと思う”もう一度あの時”が人生にはある。高校生の頃、アメリカに留学して英語をマスターして世界で活躍したいなどと自分の夢を語っていた時に、「平凡に生きるということは案外たやすいことで...もう一度、戻ってみたい頃がある

  • 無病息災は欲張り過ぎ

    ブログのテーマが病院での観察が続いている。理由は簡単、今年に入って1月と2月は体調の良くない日が続いた。風邪を引いたり膝が痛くなったり、二月の後半に至っては帯状疱疹で病院だの鎮痛剤だのとどうも身体がすっきりした状態が続かない。昨日は泌尿器科の検査の結果がでた。特に取り立てて騒ぐような異常はなし、である。でも、本人は右の脇腹が痛い。帯状疱疹の痛みは人により身体のいろんな箇所に出るらしい。会計と薬を待つ時間が14、5分はあっただろうか。隣に座ったお年寄り(自分もそのうちの一人であることをつい忘れてしまう)の肩掛けカバンに「無病息災」のお守りがぶら下がっていた。お正月に神社に詣ってもらってきた物だろう。なんとなく感じた違和感は場所が場所、病院だからだ。息災とは仏力で災いを止めると言う意味だ。造語かどうかは知らな...無病息災は欲張り過ぎ

  • 病院時間という時間が存在する

    今日の1日は病院でのCT検査からはじまった。多分何事も深刻なことはないとは思うのだが、先日の帯状疱疹から右脇腹の痛みに腎結石の疑いがあるとのこと。歳をとると、前立腺や頻尿、など身体のいろんな箇所で金属疲労的な現象がが起こっている。血液検査などで表示される数字による健康の数値のように完璧な身体などほぼあり得ない。病院にいる人たちの観察はおもしろい。会計の前でスマホに「どこにいるのよ!」とどなっているご婦人がいた。想像するに車でこのご婦人を病院に送ってきた付き添いのご主人の姿が見えないことにいらだっているのだ。じっと待つことに我慢ができなくなったご主人が病院の喫茶室か売店にでも行って時間をつぶしているのだろう。スマホのおかげで待ち合わせがアバウトになった。特に病院などにいる時は、いつでもスマホさえあれば合流で...病院時間という時間が存在する

  • ペットの目、口ほどに物を言う

    昨日の昼、NHK-BSで映画『ボブという名の猫2』を楽しんだ。映画好きの人たちにとっては何を今頃、というレベルのものだろうが僕は初めてみる映画だ。猛烈なスピードで話が展開するこの頃のアクション映画とは一味違うなんとなく昔を思い出させるゆっくりペースの映画に懐かしさを感じた。それはいいとして、要するに、ストリート・ミュージシャンと彼のペットとなった猫がお互いを支え合って厳しい現実社会を生き抜いていくというお話だ。ペットとの暮らしは単に癒しの範囲にとどまらず人の生活に肯定的影響を与えると言われる。(良いことばかりではもちろんない。病気の治療費やフードもお金がかかる)いろんな世話に追われる一方で、毎日を楽しくし、心穏やかな日が増えた、生活が規則正しくなった、などの効用が指摘される。僕が子供の頃、我が家では犬も猫...ペットの目、口ほどに物を言う

  • 病院の待合で人は”我慢"を学ぶ

    忍耐、辛抱、我慢、根気、これらを試す所はど~こだ。と聞かれたら「長蛇の列ができるラーメン屋さん」などと答える人は健康な証拠だ。僕は絶対「病院の待合」と答える。僕も特に病院のお世話になる機会はほとんど無いほど健康には恵まれたと思っている。ただ女房のお付き合いではよく出入りした。昨日はとうとう僕自身のことで病院の皮膚科と泌尿器科の待合でぼぼ5時間ほどを過ごす羽目に陥った。帯状疱疹とそれに伴う横腹脇の痛みで診察を受けたのだ。僕が驚いたのは泌尿器科の混み具合である。僕の診察券の番号は69番、待合のスペースには30人を超える患者さんと付き合いの家族で空席などまるで見当たらない。多くの先着の人たちは喫茶室で30分は時間をつぶすと耳にした。順番待ちの時間が長くなることを覚悟して、この膨大な浪費時間をどのように過ごすかを...病院の待合で人は”我慢"を学ぶ

  • バイオリズムを下げる原因はどこに

    新聞を読むことから1日が始まるというのが僕の日課ではあるが、最近はどうも新聞のページをめくる作業にワクワク感がなくなった。戦争記事、外国で次々と名乗りをあげる強権主義のリーダー達、国内に目を転じてみると政治にまつわる裏金問題。テレビも然り、ニュースも能登地震の復興に向けて励む人々の姿以外には、耳を疑う悲惨な幼児や児童虐待の話など気が滅入る話のオンパレードだ。僕のバイオリズムに少なからず影響を与えるのでテレビを消す時間が増えてきた。そうそうもう一つ、書き忘れていたことがある。僕自身が帯状疱疹でここ数日苦しんでいるのだ。どこでどのように感染したのか定かではないが、とにかく身体の右半分の背中にかなり重傷を思わせる疱疹が広がっている。とにかく痛い。病院で処方された薬の中にカロナール錠という鎮痛剤があるが、指示通り...バイオリズムを下げる原因はどこに

  • 断捨離とは捨て難いものを見つけること

    今年も暇な時間があれば断捨離を継続している。とにかくいろんなものを溜め込むのが人間だとはいうけれど、僕もご多分にもれずあれこれ溜め込む趣味はひけをとらないと自慢にもならない性癖に反省しきりである。先日は柱にかける幅10cmあまりの長さ24、5cmのカレンダーの束を保管している箱を見つけた。日めくりのように一週間づつ破いていくタイプで表紙も発行元もわからなくなっている。ただ破いたその月や週の気に入った名言を溜め込んできたのである。種類は歴史上の武将の名言から、文学者や詩人の名言、哲学者の物など数種類に及ぶ。保管箱の一番上で見つけた古代ローマの詩人(マルクス・ウァレリウス・マルティアリス)の一言が書かれた平成26年度のカレンダー、その名言は「1日1日その日限りの贈り物がある」。そしてその下にはフランスの道徳家...断捨離とは捨て難いものを見つけること

  • 黒色ドレスで結婚する女性

    先日,読売新聞を読んでいて、それこそ腰を抜かしそうになった。花嫁が黒いドレスで結婚披露宴に臨むという。そんな花嫁が徐々に増えてきているのいうのだ。古今東西、花嫁は「純朴、純潔」を表す白いドレスで出席の皆さんにお披露目というのが常識だと思っていた。”常識の縛り”からの解放が現代のやり方だ。人と同じ服装を嫌うアメリカ式思考のことが頭をよぎった。学校で友達が着ているジャンパーが欲しいという子供に母親が、「あなたは彼と同じでいいの?」などとたしなめているのがアメリカの躾だと思って納得している時期があった。それはそれとして、結婚式に黒が避けられたのはその色が何か不吉な事や悲しみと結びつくという固定観念からだろう。一方、白色は「あなたの好きな色に変わります」、日本の花嫁の白むくは「嫁ぎ先の家風にそまります」、結婚をき...黒色ドレスで結婚する女性

  • 悩みは単なる空想だ

    毎日家の付近を掃除するのが日課の僕を悩ますことが一つある。タバコと噛み終えたチュウインガムのポイ捨てだ。毎日ではないがかなり頻繁だ。どちらも早朝に駅に向かう人物の仕業だと思われる。タバコの方は辛抱強く拾っていればいいのだが、ガムは一度それを踏んで靴の裏から取り除くのに往生、困ったたことがあった。アメリカにいた時にチュウインガムを噛んでいないと落ち着かないという人が友人がいた。彼に言わせるとガムを噛んでいると自分の脳が働くように思うということだった。単に何らかの拍子に噛むようになってそれが習慣化して癖になっただけのことだとぼくは思うのだけれど。人と話しながらガムを噛むということはマナーが悪い印象がある。しかし考えようによっては確かに集中力を高めたり悩み軽減やストレス発散の効果があるのかもしれない。デスクワー...悩みは単なる空想だ

  • いつでも飛び出せるパジャマ買う

    今朝も空を見上げて能登地震で被災された人々へしばし僕なりの思いを寄せた。遠く離れた大阪に住んでいて、おまけに歳をとって何もできない無力感にときどき溜め息をつく。このブログではつとめて地震のことはふれないようにしてきた。でも、ふと思い出した、僕が小学校に上がるかどうかの頃(僕と同年齢の人達は覚えているかどうかは定かではないが)なぜか僕の記憶では冬に大阪がかなり激しい地震に繰り返し襲われることがあったと覚えている。寒くて外に出て震えていたことや、家がミシミシと音を立てる様子などを割合鮮明に覚えているのだ。そこで僕が子供の頃の地震に関する親の教えについて出来る限り思い出してみた。激しい揺れのときには襖(ふすま)や引き戸がピシャと閉まったり開いたり、壁掛けの時計の振り子が気が狂ったように振れて音を立てる、などと怖...いつでも飛び出せるパジャマ買う

  • 面倒を見やすいボケの盆栽

    スーパーの外にある園芸コーナーで可愛いいボケの盆栽をみつけた。15、6年前まで母屋の前栽の片隅にピンクの花を咲かせるボケがぼくのお気に入りだった。残念ながら今はない。今日手に入れたボケの盆栽は赤い花を咲かせるらしい。長寿祝いなどという広告がはりつけてあった。最近は使う言葉に注意しなければならないけれど、ボケの花の”ボケ”は老人ボケや認知症と結びつく。話はあちこちに飛ぶようで気がひけるが、60年も前に僕がアメリカ留学中に世話になった家の奥さんが晩年認知症を患って2年ほど後に他界された。同じことを何度も何度も聞くタイプの痴呆であった。それでも不思議なことで40年ぶりに家族を訪問したときに僕たち夫婦のことは名前はもちろんなんでも覚えているのだ。まわりの息子娘達はただただ驚くばかりだった。さて本題の盆栽だが最近は...面倒を見やすいボケの盆栽

  • 動きを奪われた時に学ぶこと

    近畿地方の北部では大雪で各地の道路で交通が麻痺、トラックなどの車両の立ち往生が報じられている。「立ち往生」とは途中で止まったまま動きがとれなくなる状況を言う。つまり身動きが取れないことを言う。車の立ち往生で一番困るのは食べ物の取得、そして何よりトイレだという。長時間狭い車の中で閉じ込められて用を足せない状況でのトイレ問題は想像に難くない。人生にはいろんな痛みを伴う事件が起こる。雪の中での立往生ほど自分の意思とは異なる状況に閉じ込められた時の苦痛をうまく表現できるものはないのではと思うことがある。英語にpainful(ペインフル)と言う単語があって痛みを伴う、骨が折れる、困難な、悲惨な、退屈な、などの意味を持つ。まさに立ち往生の状況の中での苦痛を表現している単語である。さらにもう一つ英語の単語にstuck(...動きを奪われた時に学ぶこと

  • 「成功」の邪魔をするものは「失敗」への恐れ

    膝が痛くてびっこを引きながら近くのコンビニに入店。英字新聞を取り扱っている唯一のコンビニである。何かの事件や注目の出来事などがあった時の限定で英字新聞を購入する。理由はどのような単語や表現が使われているかをチェックするのが目的だ(今回は月面探査機スリムの記事)。カウンターの向こうの女の子が僕の顔を見ながら「この新聞読みはるんですか。すごいですね」と言いながらレジをうった。「そう、まあね」と僕。白髪の、足をびっこを引きながら入店した見るからにみすぼらしい老人と英字新聞がミスマッチ、そんな雰囲気が感じ取れた。(2024年の現代でもやっぱり英字新聞を読む人は”すごい”のか)話を本題に戻すとして、日本の探査機の着陸技術はかなり世界に自慢できるものであるらしい。今回も見事ピンポイント着陸技術を実証したと言う。何せ先...「成功」の邪魔をするものは「失敗」への恐れ

  • 記憶の中で廃屋は生きる

    毎年のように新年と共にアメリカの友人から’声かけメール’が送られてくる。別に深い意味はない。新年の挨拶と彼の家族の写真や自分の趣味で撮った写真などを送ってきてくれるのである。写真はかつての留学時の郷愁を呼び起こしてくれる。今回はそのうちの一枚、廃屋の写真がかつて自分がいたころの見覚えのある建物の写真で、窓枠が朽ちて外れそうになっている。窓ガラスも何枚かが割れてカケラだけが虚しく残っている。どんなものでも古くなる。永久に続くものは多分この世には存在しないのだろう。僕は使われなくなった橋、道路や線路、廃屋など、見捨てられた物を見るとあの芭蕉の俳句、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」が何故か頭をよぎる。この句が伝えるものは、”つわもの共が生きた時代の夢や野心が戦いに敗れることで儚く消えて、戦いの後には夏草だけ...記憶の中で廃屋は生きる

  • 老齢、前を見れば今日が一番若い時

    子供達の登校時間をできる限り避けて家の周りの溝や道路のゴミを拾ったりの清掃をするのが僕の朝の日課である。いろんな人が通り過ぎてお互い声を掛け合ったりすることもずいぶん楽しいものだ。時々我が家の前を乳母車を押しながら通るおばあさんと出会う。自分の歩行を補助する目的だけで乳母車を押しているのではない。彼女の乳母車の中にはマルチーズの老犬が毛布に包まれて暖かそうに首を出して周りをキョロキョロと見物しながらの散歩(?)なのだ。やや腰の曲がったおばあさんはそれでも自分の歩行訓練と犬の散歩を兼ねている、と幸せそうに話す。「今日は私の誕生日でんねん。今日から先、考えたら多分今日は私が一番元気なときですよってな」と言った。「それはそれはおめでとうございます」という僕の声かけが聞こえたのかどうかは定かでない。それでも自分の...老齢、前を見れば今日が一番若い時

  • 「もののあはれ」とはなんだろう

    先日の真夜中、トイレに立ってから突然眠れなくなって枕元の携帯のラジオをつけてみた。眠れない時は小さい音でNHKの「ラジオ深夜便」をつけるのが僕の眠りに戻るための方法である。(眠れなければ起きればいいなどという人もいるが僕はベットから出ると本当に起きてしまう)そんなことはどうでもいいのだが、耳にしたのは「もののあはれ」を題材にした古典文学関係の研究者(?)だろうか、失礼だが名前も覚えていないお二人の対談だ(後日内容をもう少し詳しく調べてみよう)。なにせ真夜中の自分の脳と心の葛藤中、ほとんど覚えていないのだが、小野小町だの源氏物語などに出てくる「あはれ」という言葉についてのお話であった。深夜に眠れず悶々としていること自体が本当に“あはれ”を感じさせるのだが、この単語は本当に厄介で一言で説明ができない言葉なのだ...「もののあはれ」とはなんだろう

  • 「成人の日」目覚め:大人も不完全な存在

    昔、僕が成人となった頃は「成人の日」は1月15日と決まっていた。休日のその日を中心に1月の予定を立てていたのを覚えている。近頃は年によって「成人の日」が変わることには違和感を覚えてしまう。おまけに18歳の成人などと言われると、僕の時代を思い出して18歳はまだ子供という意識が頭から抜けきらない。今でも18歳の成人は大学受験に、または就職に西走奔走、お酒も飲めない成人などありえない、などという意見も頻繁に耳にする。自治体によっては成人式は20歳の人を中心に催されるとも聞く。最近の成人式にはお酒を飲んで式場で暴れるような新成人はいなくなたのだろうか、新聞でもその種の記事を目にすることがなくなってきたように思う。大人としての責任を学ぶこと、少なくとも身につけようと努力すること、という成人することの意味に目覚めたか...「成人の日」目覚め:大人も不完全な存在

  • 「経験」イコール「失敗」という図式

    年始から石川県の地震関係を中心に気が滅入るような報道が新聞はじめテレビに続く。二日には羽田空港滑走路上での飛行機同士の追突事故。一方は民間の航空機、もう一方は海上保安庁の飛行機だ。海保の機は石川への支援物資を届けようとしていたという。民間機JALの乗客乗員はなんとか全員無事脱出、しかし海保の方は機長以外の5人が死亡という大事故だ。この種の事故は原因や責任の所在が問われることとなるけれど、この点に関してはまだ捜査の段階だ。(どこかの国の政治家よろしく「お答え(?)は控えさせていただきます」…)ということで事故に関することは後の捜査に任せるとして、僕の脳裏を行き交うものは「人間は大なり小なりミスを犯す動物だ」という言葉である。つまり、「完璧な人間は存在しない」という意味だ。人生の大半を教育現場で過ごしてきた僕...「経験」イコール「失敗」という図式

  • 明日の太陽に「希望」と名付ける

    あけましておめでとうございます。新年にあたり皆さんのご多幸をお祈りいたします…新年を迎えてこの年に対する期待などを話して明けた元旦、期待や喜びで過ごした午前中が嘘のように午後4時すぎには暗転、石川県の大地震がテレビで伝えられた。と、同時に僕の住む大阪でも嫌な揺れを感じた。天井からぶら下がっている照明が大きく揺れ始めて床が滑るような気分が悪くなるような揺れである。繰り返す大小の揺れが1分近くは続いたのではないだろうか。日が明けて今日2日、新聞の休日に情報を求めてテレビをつけるとやはりNHKが被害状況を伝えている。倒壊した家屋と瓦の散乱、形を留めたまま横倒しになっているビル、昨夜から燃え続けている輪島の火災、大地の隆起で波打ってズタズタに亀裂が走っている道路、そして津波、惨状が目に飛び込んでくる。元旦の地震、...明日の太陽に「希望」と名付ける

  • 年の瀬だ。忙しそうにしておこう

    とにかく一年が「あっと」いう間に過ぎていく。あと何年元気で生きていけるだろうかなどと時々頭をよぎるようになってくると時間の経過速度が尋常ではないように思う時がある。兎にも角にも年末だ、「とりあえずは忙しそうにしておこう」などと考えていると周りでは連鎖反応のように車を洗うお父さんと子供の姿を見かけるようになってきた。仕事納めも済ませていよいよ車や家の掃除などに時間を当てようということだろう。僕としても俊敏さは無くなったがとりあえずは部屋の掃除で今年の埃などは払わなければならない。孫が来る正月に向けてやはり準備しなければならないこともある。お墓参りの仏花を買い求め、それから女房の買い物のお手伝いもしなければ。やっぱり年末は歳をとってもそれなりに忙しいではないか。部屋の掃除をしながら何故か大晦日に放送されるNH...年の瀬だ。忙しそうにしておこう

  • クリスマス、真の価値は見えない物の中にある

    クリスマス・イブの夕刻、いつもは静かな道路の一角で車の行列ができていた。意外なことで一体何ごとかと思ったら、行列の先にはピザ屋さんが、そうだ、クリスマスには何故か日本人はピザとフライドチキンでパーティーをすることに気が付いた。今年は膝が痛かったり、女房が風邪を引いたりであまり外には出かけていない。どうしてもクリスマスのムードから遠ざかってしまっていたことを思い知らされた。とはいえ、日本の商業主義に侵されたクリスマスを考えては“クリスマスの精神”は店から生まれるのではないと強調したい。「クリスマスは与える精神」、自分が得をすることばかりを考えている日常を離れて困っている人をはじめ、贈り物を受ける価値のある者にサンタクロースはプレゼントを用意する。日本の風習に目をやると、例えば大晦日には年越しそば、そしてもち...クリスマス、真の価値は見えない物の中にある

  • 日米雪の寒暖差比較

    今年もまた寒波が日本列島を襲っている。テレビのニュースを見ていると北海道の留萌の大雪の混乱が映っていた。雪に隠れたバス停の表示板、身の丈ほどもある除雪された雪の壁の間を歩いて行く数人の人たち。トラックの立ち往生で車の列ができている道路など、雪国の生活は大変だなーと同情の念を隠せない。今日は近畿地方の北部に警報級の大雪が予測されている。そこで気がついたことがあった。日本では雪は迷惑な来訪者以外の何者でもないのだ。一方、アメリカでは大雪は歓迎されているとは言わないけれど、家に閉じ込められて暖炉の前での家族の団欒と温かいチキンヌードルスープ、クリスマスに雪がなくてはなどと言いながら、挙げ句の果ては“Letitsnow🎵”という歌があるように「雪は降らせておけ(気にするな)」的な雪との関わりである。恋人とワインで...日米雪の寒暖差比較

  • ファッションは「インスタント言語」だって

    先日の日曜日の天候は大阪では急転直下、「寒!」。そんな中、久しぶりに街歩きを兼ねて所用で大阪市内に出かけた。早速目に止まった高校生だと思われる女の子の格好に目が釘付けになった。下半身は素肌の足が短いスカートから突き出している。上半身といえば長いマフラーというのだろうかを首にぐるぐる巻き、もこもこのダウンに身を包み下半身とのアンバランスといえば唖然とする異様さだ。天気予報をはじめ周りの人々が寒いと震えているこの日に彼女の出立はやはり異常としか言いようがない。驚いていたのもつかの間、乗り換えの本町駅ではまたほぼ同様の姿で電車を待っている女子高生だろうに出くわした。なんだこれは。新しい最近の女子高生のファッションなのだろうか。彼らの世代は今までにもいろんなファッションを生み出してきた。何年も前に京都駅の修学旅行...ファッションは「インスタント言語」だって

  • 人生不可避の三漢字

    今年の漢字は「税」に決まった。そう言えば税金はどれほどに?、お金の使い道は?…と要らぬ興味をそそるのが大谷翔平選手の大型契約。ドジャース移籍に伴う10年7億ドル(約1015億円)、一年にすると100億円でその額はセリーグ6球団の全選手の年棒合計にも匹敵する額であるという。大谷選手のことだから世界中のいろんな所に寄付するのかも、などと考えていると僕ならどうするかなどと夢が膨らんでくるような気がする。お金とは手にすべき人が手にすると使い道はいくらでも良い方向に向かって夢が膨らむ。手にすべきではない人にお金が動く世の中の矛盾というか不条理に天を仰ぎたくなる時がある。昨日は読売新聞の時事川柳に「議員は脱税、国民は節税(兵庫・野田秀俊)」とズバリ世相をついたものが掲載された。ちょっとした税の引き上げが家計には響き、...人生不可避の三漢字

  • うそー、小学生のブランチ?

    先日の土曜日の夕刻の出来事だ。「ブランチ11時やで~」「ファミマやろ」と大声の二人の少女(小学5、6年生ぐらいの年恰好)。自転車の二人が我が家のそばの四つ角で別れた。小学生が”ブランチ?”、あの朝を抜いて昼食兼用の食事のことだろう?そんなことが小学生の間で流行っているのだろうか、と興味を覚え翌日曜日、時間を見計らって自転車で出発した。近所のファミマは自転車で5分程度のところに一店舗あるだけだ。間違いはないと一目散にその店に向かった。いい天気で気温も自転車で散策するにはもってこいの日和である。(僕も物好きなものだ)予測が当たった。5人の女子小学生が店の前のバナー広告のそばに座り込んでそれぞれ買ったものを食べながらのパーティだ。カップヌードルを食べながらポシェットの上におにぎりを置いている子が一番手前でよく見...うそー、小学生のブランチ?

  • 日本の忘年会は今でも男文化の象徴?

    先日の日曜日、僕の住む地域では町内清掃と銘打って、近所の人達がどこからともなく集まってくる。ゴミをピックアップする火箸やゴミ袋を持っている人、箒にちりとりを持つ人など、話しながら近所のポイ捨てゴミや軽く雑草を抜いたり、落ち葉を集めて拾ったりして近所の清掃をする火である。女性ばかりが目立つこの日、僕からみれば近所の主婦の井戸端会議の日と言っても良いかもしれないなどとよからぬことを考えている。そこで耳に挟んだのが年末に予定されている「忘年会」への出席をどうするかの話である。子供会の忘年会か、PTA,それともバイト先の会社の忘年会かは定かではない。そこまで耳をそばだてる気もない。大半の意見が出席しないということで落ち着いた。多分どこかの会社の会合なのだろう。「忘年会は男の人のため」「お酒をつぎに回る役目などごめ...日本の忘年会は今でも男文化の象徴?

  • 親と子供の一体感とは

    昨日の月曜日、午前中の10時前後から自転車で走り回る小学生グループの姿が数回我が家の前を通り過ぎた。平日の月曜日、子供達は学校にいるはずだ。賑やかな子供の会話に何事かと思ったら、日曜日は親の「日曜授業参観」で月曜日の昨日は学校が振替休日であることを知った。僕は教育の世界で人生の大半を過ごしたので、授業参観の大切さは理解しているつもりである(教育は親と子供の共同作業、親の関わりが重要な役割を占めている)それにしても通常では耳にしない子供達の叫び声が住宅地に響き渡る光景に違和感を感じることとなった。近所には大人は老人以外誰もいないと言っても過言ではないこの時間、多くの子育て家庭では子供に留守を任せて親が仕事で家には不在であると言う昨今の社会状況に気づかされたのである。子供だけが数人で彼らの家の留守番をしている...親と子供の一体感とは

  • 「おにぎり」バンザ~イ!

    ついに発見!おにぎりを食べながら登校する中学生男子の二人連れ。一人がおにぎりのラップを開くやそのまま道路に捨てたのを目撃した。あとは頬張りながら角を曲がって学校の方向に消えていった。(道路はゴミ箱か!怒!)おにぎりが新しいブームを起こしていると言う。僕に言わせれば何を今さらと言う感じなのだが。そう言えば最近はおにぎりを食べる人を見かけることが多くなったような気がする。なんと言ってもあの手軽さと昔母親が握ってくれたと言うある種の郷愁が蘇るもの、そして何よりもいろんな具材とお米のバランスである。とは言っても、“歩きながら食べてはいけません”と教えられた時代を生きた僕らの世代、今でも歩きおにぎりはしたいともおもはないしできない。待てよ。そう言えばアメリカでは屋外のパーティなどでは周りの皆と会話を楽しみながら立ち...「おにぎり」バンザ~イ!

  • 名前は名付け時の親の心情

    二人の女の子が庭に蹴り込んでしまったボールを取にきた。一人の女の子が「〇〇ちゃんがメチャクチャ蹴ったから」ともう一人の女の子を指さした。〇〇ちゃんと書いたのは意味がある。(人の名前を題材にすると色々支障があることが多々ある)いわゆるキラキラネームなのである。「名は体を表す(名前というものはその中身、実質をよく表す)」という言葉がある。名前はその人の青写真、名前がその人の性格にすら影響するということを僕が高校生ぐらいの年頃の時近所の年寄り達から聞いたことが忘れられない。これが僕の子供の名付けの時にも影響して随分慎重に考えたものだ。ボールをめぐる単純な出来事から“名前”というものを今日は考えてみた。自分の名前がどのようにしてつけられたのかを調べてみると面白い。自分の両親がまだ若い頃の考え方や性格、そして生活の...名前は名付け時の親の心情

  • 勤労感謝の日」、先賢に学ぶ

    昨日は「勤労感謝の日」、“広く働く人々の勤労に向けて感謝を示す日”という位置付けだ。働くことや仕事をすることそのものを大切な習慣であるとして捉え、皆がお互いに感謝し合う日として制定された祝日だという。退職してこの数年、勤労感謝の日が来ると自分の現役時代を振り返って仕事で楽しかったことや辛かったことなどを思い出す。働くという行為は仕事をする日々毎日の日数を数えるのではなく、一日一日が何か意味のあるものにするための自己表現に他ならない。忍耐、犠牲、が過程にはあるけれど、自分のしている仕事が好きであることが不可欠だ。寝床で満足感を味わうときは決まってしっかりと仕事をしたと思える日の夜だった。発明王エジソンの働くということの意味は“もう一度やってみる”こと。失敗ばかりを繰り返しながら、もう一度工夫を加えてやってみ...勤労感謝の日」、先賢に学ぶ

  • 葛藤、相反する感情の絡み合い

    久しぶりに出かけたJRおおさか東線の電車の対面4人掛け優先ボックス席。時間は午前10時過ぎ、大阪駅行き電車は10人ぐらいの乗客が立っている程度の混み具合。気がつけば僕だけが座っていた優先座席は次の駅で全て埋った。そして電車がまたその次の駅に停車して老婦人(僕と同い年程度と想像する)が乗ってきた。座席の背もたれについている輪っかを握ってじっと立って身体を支えている。周りの三人を見回すと、一人は20歳前後の女性、一人は30歳代の女性、もう一人は長いごま塩混じりの髭を蓄えた50代の男性だ。驚いたことに皆目をつむっているではないか。つい先ほどまで、全員がスマホをいじっていたのに。僕の心の中で変な葛藤が始まった。自分が立つべきか、いや僕はいくら若く見えても白髪のれっきとした80歳の老人だ。ここはしばらく様子を見よう...葛藤、相反する感情の絡み合い

  • 行き詰まった時は上を見よ

    昨日の話。早朝は厳しい冬の予感があったが、朝も9時を過ぎると素晴らしい天気が楽しめた。我が家の前で乳母車に赤ちゃんを乗せて散歩する若いお母さんが、通りすがりのどこかのおばちゃんと話している。「かわいいねぇ。目が真っ黒!」「ありがとうございます」とお母さんの方は嬉しそう。これが本来の赤ん坊や乳幼児と大人の関係だ。自力では何もできない無力だが純粋な小さい人間に振り回されながら大人は幸せだ。そうなんだ、大人は無力な赤ん坊を自分が支配しているように見えるけれど、本当は赤ん坊に大人が支配されている、それが大人は嬉しいのだとふと考えた。テレビ、新聞で報道される幼児虐待のニュースに耳も目も塞ぎながら虐待などをする人は多分この感情が欠如しているのではないかなどと考えていた。自宅前を学校に通う小中学生を見ていると彼らの人生...行き詰まった時は上を見よ

  • 長寿とは人の自分への記憶年月の長さ

    最近たて続けに88歳で社会で活躍する女性のことを新聞で知った。一人はプログラマーの若宮正子さん、そしてもう一人は主に沖縄を中心に活躍するジャズシンガー、齋藤悌子さん。二人とも米寿の元気者だ。日本では長寿のお祝いの年齢が決められていて、80歳を超えると順に傘寿、半寿、米寿、数え年90歳の卒寿、そして数え99歳で白寿、100歳となると百寿と続く。(それぞれのお祝いの名前の由来は今回は端よることとする)人生は長寿かどうかではなくその質が問題なのだ、と言ったのはあのマーチン・L.・キング牧師。人生の質とはどんなものを言うのだろうか。社会への貢献度など色々な度量衡はあるだろうが、一般の我々にとっては、簡単に言えば仕事があって、心配事やストレスがなく、不安もないことを言うのだと思う。あ、それから健康も大事だ。仕事と家...長寿とは人の自分への記憶年月の長さ

  • 「杖」と歩く人にはその人の物語が

    寒さが徐々に平年通りに戻ってきて朝の起床が夏時間から30分ほど遅くなってきたようにおもう。それでもまだまだ真冬ではない。ベッドを出て庭に出る清々しさを…と思ったら今朝は久しぶりに雨。いつものように近所を散歩することは中止。そして杖をついて何かの病気のリハビリをしている人の散歩も中止だろう。午前9時を過ぎて子供達の登校がなくなると決まって我が家の前を杖をつきながら歩く一人の男性のことが急に思い出された。少し気にはなるけれど声をかけたことはない。ゆっくり歩を進めるその人の歩くペースを崩したくないからだ。以前、別の人なのだが散歩中に声をかけてハッとした経験があった。その老婦人は僕が聞いてもしないのに、一生懸命に杖をつく理由を説明し始めたのだ。脳梗塞を患っただの、家に面倒を見てくれる人がいないだのと、何か弁解しな...「杖」と歩く人にはその人の物語が

  • 虎ファン「なんでか涙止まれへん」

    先日の5日(日)に行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、9回の表を終わってスコアは7対1で阪神のリードだ。ほぼ日本一のタイトルを手中に収めた状況で、テレビに映ったファンの顔、顔、顔、その中のやや初老の男女数人が目頭を押さえたりして泣いているのだ。応援しても応援しても優勝できない“だめトラ”を応援しての38年間が甦ってきたのだろうか。勝利を確信した時涙が滲んできたのだろう。人は身の回りになんらかの”喜び”が必要なのだとふと思った。愛想をつかしそうになるのを堪えて大阪の虎ファンは一体感が強い。“苦しみを乗り越えて克服した時に歓喜に至る”などという言葉を信じてとにかく一心不乱に応援、不幸な顔は笑いで吹っ飛ばせ、成功しなくてもいい全身全霊で打ち込めるものを探すことだ、と大阪魂を全面に。大阪人の幸せとは、何かに一心不...虎ファン「なんでか涙止まれへん」

  • 犬は神?どういうこと?

    夕暮れ時は犬の特別なお散歩時間になるようだ。次から次へいろんな種類の犬が飼い主と共に我が家の前を通り過ぎる。彼らの目指す目標は、隣の家と我が家との間付近に立っている電柱がお目当てであるらしい。やってくる犬がほぼ全員(全犬?)その電柱にオシッコをかけるのだ。おかげで後々水で洗わなければ匂いが徐々に蓄積されてそこを通るたびに嫌な思いをすることになる。猫はその点…と言いかけたがやはりオシッコや糞に悩まされる。猫は自由なので下手をすると庭が嫌な匂いに支配されかねないのだ。申し訳ないが丁寧に断りの姿勢を示すことになる。僕はどちらかと言えば“犬派”である。犬は時々「私に何をして欲しいの?」という目で飼い主を見る。その目がたまらなく可愛いのだ。犬は人間の最良の友、という言葉があるが犬たちは3万年以上も前から人間のそばで...犬は神?どういうこと?

  • 散歩とは何かの発見を生み出すもの

    早朝6時過ぎ、今日の日の出の時刻が数分でやってくる時間、空は雲ひとつ無く真っ青で”天高く”とも“空深し”とも表現できそうな気がする。夜露の湿り気と冷気でなんとなく周りの家々に引き締まった清涼感があるのが好きである。近所の数ブロックを約10分ほどかけて一回りする。杖を持って歩く男性の後をゆっくりとついて歩いている女性(多分奥さん)と出会う。ただ「おはようございます」と挨拶の一言で通り過ぎた。「早朝の散歩はその日の“神の祝福”」と言ったのは僕の好きなアメリカの有名な思想家ヘンリー・D.ソローである。この人の話をすると長くなるので単に『ウオールデン・森の生活』という森での自給自足の生活を記録した本が有名だとだけにとどめておく。町を嫌った‘早朝の散歩派’である。もう一人、小説が売れずに苦労を重ねたおなじみ『ハリー...散歩とは何かの発見を生み出すもの

  • 本とドア、開けば何かが見えてくる

    スーパーへの買い物や近くの医院に血圧の薬をもらいにいくなど、毎日少なくとも何かすることはあるのだが、今日に限っては本当に何も予定がない。そんな日の予定は新聞の囲碁の対局を碁盤の上に再現しながら”ひとり時間"を楽しんだりするのだが、今日は読書日ということに決めた。今日から読書月間が始まることと偶然重なった僕の暇な一日のことを考えていると、「読書の秋」などと最初に考えた人は今日の僕のような心境の人だったのかもしれない。最近は大学時代の授業などに関する書籍から離れて、全く別の分野の本を楽しんでいる。例えば磯田道史著の『日本史を暴く』(中央公論新書)や『バカの壁』(新潮新書)で知られる養老孟司氏の一連の著書などである。今日はそんな系統のものからも離れて気楽に読める『47都道府県おんな一人で行ってみよう』(益田ミリ...本とドア、開けば何かが見えてくる

  • 引越しとは新しいドアを開くこと

    近所の年寄りたちが各々自分なりの散歩で足を鍛えているようだ。僕も遅れを取ってはいけないと、毎日ではないが気が向けば早朝に近所を歩いてみて驚いた。日頃は注意もしなかったけれど、あちこちに更地が目立つだけではなく、新築の建売住宅が新しい住人を待ち受けているように建っているのだ。そういえば引っ越しセンターのトラックが走っていくのを割合頻繁に目にするようになってきたような気もする。新しい家に越してくる人は多分若い新婚さんだろうか、いや狭いマンション住まいに子供が増えるに従って手妻になることを予測しての引っ越しだろうか。今朝は二歳ぐらいの男の子と犬を連れて散歩をしている親子に出くわした。「近くに越してきたので…」というこの親子に朝の挨拶だけで済ませてお互い笑顔で通り過ぎた。人間は一生のうちに何度引越しを経験するだろ...引越しとは新しいドアを開くこと

  • 秋は来年への準備の季節

    朝6時、庭に出てみると空気はキュッと身が引き締まるような爽やかさである。秋の空は青さが深く、まさに天高く…を実感できる雰囲気がある。僕の秋はこのブログにも何度も登場させた庭の二本の木犀(モクセイ:高さ約4.5m)とともにやってくる。二本というのは金と銀の対になった木犀である。早朝には特にあの香水のような甘い爽やかな香りをあたり一面に撒き散らす。金木犀の小さな花は橙色(だいだいいろ:赤みがかったオレンジ色)、銀木犀の方は真っ白に近いが薄い黄色が混じったような小さい花だ。翌年に向けて、たった一週間ほどの命なのだが道行く人は必ずといっていいほどちょっと見上げて匂いを嗅いで通り過ぎていく。汚染された空気の中では花を咲かせないといわれる敏感な木犀は秋の空気の素晴らしさを教えてくれている。木犀は常緑樹で他の色づく木々...秋は来年への準備の季節

  • 新聞で自分の生存を確認する?

    今朝もまた最初の行動は新聞を取りに郵便受けに向かうことだった。聞くところによれば、新聞はなぜか老人と結びつくらしい。特に理由などを考えたこともない習慣だったのだが、年寄りに新聞好きが多いという話を耳にしたのである。なぜだろう…ちょっと考えてみることにした。新聞の素晴らしさというものは日本、そして世界で起こっている出来事の主たるものを約30ページの紙面に網羅していることである。情報の欠如から世間に置いてきぼりにされることを恐れる老人達は新聞を読むことである種の安心感を覚える。情報収集はテレビでもできるのだが、年寄りのペースではない。じっくりとフォローできるのは新聞なのだ。そこで、自分の興味を刺激した記事は切り抜いてノートなどに貼り付けるなどという作業を楽しむようになってくるというのが一般老人がハマる習慣であ...新聞で自分の生存を確認する?

  • 「負け」を知って「勝ち」を知る

    今月は二人の英雄がテレビ、新聞を賑わせた。『大谷翔平、メジャー日本人初の本塁打王!』『藤井聡太、八冠達成!』、全くこの二人には非の打ち所がない。二人の得意分野で花を咲かせた快挙にどのような表現が当てはまるのか分からない。どちらも謙虚で「まだまだ先が…」と努力研鑽を力説する。なんともいえない敬愛の念を抱きながら、勝者と敗者について考えた。何か素晴らしいことを成し遂げる勝者は、社会が作る規格という名の箱に納まらない人が多い。日常のどこかに型破りな生活が隠れている。変わった人と呼ぶのか、稀な努力の人と呼ぶのか、あるいは集中力を発揮できる人と呼ぶのか、どのような名前が当てはまるのかは分からない。ただ周りの人間にとっては教えられることが多いのだ。彼らからの僕の学びは「成功につながるエレベーターはない。成功したければ...「負け」を知って「勝ち」を知る

  • 雲のが教える「雲散霧消」

    ここ二、三日は曇りがちの日が続いて空気は一気に秋を感じさせる。そんな折、いまにも雨を降らせそうな暗く垂れこめる黒雲が行き交う空を見ていたら、世界で見受けられる“暗雲漂う危険な状況”を写し出しているように見えてくる。残念なことだ。人間には共存するという知恵は備わっていないのかと首をかしげてしまう。嫌なことはさておいて空を見上げているといろんなことを考えさせられる。特に秋の雲の種類は豊富で、雲を鑑賞するには最適の季節なのだろう。魚に関する雲などをひと塊にして名前を覚えたりしたこともある。鱗(ウロコ)だの、サバだの、はたまたイワシ雲だのに混じって僕の干支(干支)の羊雲もある。雲を楽しむ人は想像力がある人などと言われて見上げていると確かに雲はいろんな形に変化し続けて止まることがない。数分目を離すと犬のように見えて...雲のが教える「雲散霧消」

  • お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

    公害といえば空気や水や土壌の汚染、えーとそれから騒音などが頭に浮かぶ。その公害をもじって「老害」という言葉があることにショックを受けた。老人が周りの若者に迷惑をかけているのだという。そんなことはないだろうと思っていたら、次々と明らかになる若者にとっての迷惑行為だというオンパレード。昔話ばかりすること、お説教、自分の趣味に関する演説ともいえる講釈、それから孫自慢や馴れなれしく人に話しかけ過ぎる、などが指摘されている。要注意、世のお年寄りたち。受け取る若者の側にも問題があるかも知れないけれど、年寄りの我々も注意しないといけないなと反省は“少しだけ”しておくこととする。“少しだけ”、と強調するのにはわけがある。上記、老害の最後に指摘された「慣れなれしさ」。昨今のギクシャクした世の中で人と人が気楽に声かけができる...お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

  • もしアカンかったらどうする?

    この時節、僕は庭に出て季節を感じるのが大好きだ。軽い庭仕事で毎日合計すると2時間は庭で過ごすことになる。閑静な住宅地、道路が我が家の塀を隔ててすぐそばを走っているので、道行く人の会話が自然と耳に入ってくる。今朝の僕の“聞き耳(?)”は自転車に乗った二人のおばさんの会話。大きな声で「あかんかったらどうするのよ?」という声だけが聞こえた。この大阪弁、解説すると、“もしもうまくいかなかったら、どうするの?”ということになる(英語ならWhat-if?)。前後関係がわからないけれど何かの相談と助言をしている会話だということはわかる。何か新しいことをするときは人は誰でもどうしてもWhat-ifs(複数)を考えてしまう。とはいえ、そんなことを考えていると何もできない。失敗したら…などと考えていると臆病になってしまうから...もしアカンかったらどうする?

  • 夜空を見上げて「ひとり時間」を楽しむ

    「一年の経つのは早いもの」と実感する季節の切れ目というものがある。この時期には「中秋の満月」がそれである。子供の頃のノスタルジア、僕は昔の実家の座敷の縁側でススキの生花やおはぎなどのお供え物を前に満月にある種畏敬の念を覚えたものだ。最近では満月に限らず夜に外に出て月を見上げるのが好きだ。“ひとり時間”というものを楽しむのである。(とはいっても満月にあの遠吠えをするオオカミ人間を想像されると困るのだが)ただ“ひとり時間”を大切にしているということである。日常のつまらないことを忘れることができる時間だということだ。“ひとり時間”といえば、最近「ひとり外食」の難しさについての新聞記事を読んだ。特に女性の一人外食は難しいという。わからないでもない。店の都合を気にすることは、混雑する忙しい時間を避けて入店すれば問題...夜空を見上げて「ひとり時間」を楽しむ

  • ホームメーカー(家庭を作る人)は誰?

    女房に付き合って来たスーパーの鮮魚売り場、刺身などを見ていた時、横にいた30歳ぐらいの女性に彼女の友人だろうと思われる40歳前後の女性が賑やかに声をかけ、それからの会話に興味を持った。「月曜日が『主婦休みの日』だってこと知ってた?」「知らんよ。何それ?主婦が仕事をしないってこと?」聞き耳を立てているわけにはいかないのでその場を去った。コロナ禍で皆が家にいることが増えた頃に知ったこの日、「主婦休みの日」は主婦が一息ついて気分転換できるように設定された日(一年に3回一月、五月、九月のそれぞれ25日)であるという。「休んで何するの、テレビ見ながらごろ寝してビールでも飲んでるなんてだらしないことしたくもない。文句言いながら家のことを仕切っている方がよぼど体に良い」、などと知り合いの奥さんが笑っていた。子供のいる家...ホームメーカー(家庭を作る人)は誰?

  • 人間観察「背中は語る」

    9月も半ばを超えて残暑は厳しいといえど最近は早起きがしやすい。早朝は空気が澄んで気持ちがいいのでその日の気分に合わせて早朝散歩を始めた。近くの花園ラグビー場公園までは歩いて5分の距離だ。公園ではいろんな人と出会う。犬の散歩をする人からはいろんな犬種を教えてもらう。ひとりでさっさとスニーカーでしっかり腕を振って歩く人は健康志向人間だ。散歩仲間のようなグループがいて、決まった場所に集合、一服、水やお茶のボトルを持って賑やかだ。あとは僕のような老人達。この人達もまた観察すると面白い。頻繁に立ち止まって周りを見回す人、ベンチに座ってどことなく焦点の合わない目で朝焼けの生駒の山を見ている人、夫婦で歩く人、そしてすれ違いに「おはようございます」と誰彼なしに挨拶する人などがいる。人間観察とは不思議なもので、正面からでは...人間観察「背中は語る」

  • 「ご親切に」「いえ、お互いさまですよ」

    徳島県といえば、阿波踊り、スダチ(柚子とレモンを合わせたような酸味と香りのある柑橘類)それから…考えてみれば僕の奥さんも徳島産だ。先日、二人でスーパーに出掛けてスダチが売られているので早速買い求めた。スダチは僕の奥さんにとってはどこか郷愁を呼び起こすものらしい。3個の袋づめを三袋を買ったのはいいのだがマイバッグに移す時に一袋を移し忘れたようだ。家に帰ってみると2袋しかない。別に大したものではないのだが、スーパーに問い合わせてみると、ちゃんと届けられているのだ。(かつて生活したアメリカではまず届けられることはないだろう)さすが日本、と感激しながら早速スーパーにとって返した。車の中では詐欺だの虐待など信頼が揺らぎ始めた最近の日本に、正直さ、他人への思いやり、などを大切にする日本人はまだまだたくさんいると会話が...「ご親切に」「いえ、お互いさまですよ」

  • 虎キチ阪神ファンの閉ざされた憂愁

    プロ野球阪神タイガースがついに優勝した。テレビや新聞で大騒ぎのこの優勝を考えてみると、多くの虎ファンの支えとは裏腹に、18年ぶりの優勝というからこの球団は何をしているのかと批判もしたくなる。もう一度タイガースの優勝を見たいと言いながら果たせず死んでいった寅キチと言われる猛烈タイガースファンの話はよく耳にする。応援しても応援しても、いつも巨人の“後塵を拝する”歴史と東京と大阪の地域的なライバル意識が相まって阪神ファンは巨人に対する競争心が強い。阪神ファンが道頓堀川に飛び込むのは鬱憤(ウップン)晴らしなのである。話は少し外れるけれど、おおよそ60年ほど前に大相撲に柏鵬時代という時期があった。ほとんどの日本人が好きなものといえば、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代だ。大鵬関と柏戸関は同時横綱昇進で当時は相撲を...虎キチ阪神ファンの閉ざされた憂愁

  • 人の心を傷つけるゴミ

    英語にgarbage(ガーベッジ)という単語がある。日本では家庭ゴミと呼ばれる生ゴミや屑のことだ。この単語にはまた別に「ガラクタ、つまらない物、役に立たないもの」などの意味もある。断捨離をしていると、僕は本当にガラクタとともに生きているということを思い知らされる。その最たるものはコンピュータで印刷したあの書類の山、これほどゴミと言われるにふさわしいものはない。また何かの参考になどと、プリントアウトして保存しておいたものだ。さて、僕の住む東大阪市の中地区では毎週月曜日は家庭ゴミの日である。もう何年も以前にシュレッダーされた紙ゴミが家の前の道路に散らばって後の掃除に追われたことがあった。それ以来、時間がある日には家の前をゴミ収集車が行った後をチェックするようになって、収集車の横につきながらゴミ収集の仕事に余念...人の心を傷つけるゴミ

  • 「行動」は勇気と自信を与えてくれる

    「暑い、暑い!」と言いながらハッと気がついた。今、働き盛りの人達にとてってはそんなことを言っている暇もない。僕たちの世代も昔はなんなかんだと頑張ってきたのだから、歳をとって文句ばかり言っているのも許されていいのかな、などと自分にとって都合のいいように日々を解釈していることに気づいたのだ。外に出ないで、家でBSプレミアムの冒険系のテレビ番組を見ながら、冒険、挑戦、外に出ること、行動する、などということを考えた。冒険家、こういう生き方もあるのだなぁと感心しながら彼らはなぜ冒険に向かうのかと考えた。(余談:トイレが近くなった僕としては彼らはトイレはどうしているのだろうかなどと余計な心配をしながら…)人生の冒険について、世界ではたくさんの偉人と言われる人が名言を残している。見えない、聞こえない、話せない、三重苦を...「行動」は勇気と自信を与えてくれる

  • 演歌で知った「はぐれ雲」

    朝早く起きて植木鉢のサフィニアやコニファー、クチナシなどに水やりをすることが日課の始まりだ。いつものように空を見上げて雲の有無や流れる方向を見つめていて思い出した。昨日の早朝3時のNHKラジオ深夜便だ。なぜか雑念が頭に湧き出して眠れなくてつけたラジオが“氷川きよし特集”をやっていた。うつらうつらと聞いていた歌声の中で、なぜか一曲『甲州路』だけに頭に残ったフレーズがあった。”恋はこりごり甲州路”に続いて、一番は“明日はいずこか浮浪雲(はぐれぐも)”、二番は“なんで振り向く浮浪雲”、そして三番の“足の向くまま浮浪雲”で曲は終わる。「はぐれ雲」なる雲の名称があるのかどうか定かではないが寂しいイメージが“つきまとう。僕は氷川きよしの演歌などをしっかり聞いたことがない。ましてやご本人のことは名前以外には全く知識がな...演歌で知った「はぐれ雲」

  • 夕焼けは明日への約束ごと

    暑い暑いと言いながら、とうとう9月がやってきた。それでもやはり暑さはあまり変わらない。こんなに暑い日々が続く中、朝6時、植木鉢の木に水をやりながらコオロギの鳴く声を耳にした。コオロギは夜行性と聞いていたのに不思議なことに早朝にあの口笛のような音色を奏でている。秋を運んでくる虫は数々あれど、我が家の庭では間違いなくコオロギだ。コオロギに刺激されて”秋”を運んでくるものを考えた。我が家では柿と夕焼け、それからススキのような花穂をつけるエノコログサ(猫じゃらし)が風に揺れる風景はまさに秋がそう遠くないことを教えてくれる。僕は自分でも奇妙な趣味だと思うのだが、雑草やその花(例えばタンポポ)を写真に収めることが好きなのだ。但し、雑草だけを撮るのではなく周りの情景と一緒に写真に収めるのだ。例えば、僕は秋の夕焼けが大好...夕焼けは明日への約束ごと

  • 打ち上げ花火に人生が見える

    先週の土曜日に東大阪市の花園ラグビー場公園で花火大会が催された。暑い、暑いと文句を言いながら、たとえひと時のことといえ、涼を求めて人々は夜の花火大会に足をむける。(本当は人手に圧倒されてますます暑くなるのだが)日本の各地で花火大会がたけなわだと聞く。日本に限らず外国でも花火の好きな人は多い。あの派手な打ち上げ花火は世界中のどの大会でも花形だ。どど~んと腹に響くような轟音があるかと思えばパチパチと人の注意を引きながら上昇して上空でドンと響く音、バンバンと表現できるような音、など様々だ。音は上空で光や色との共演の中で強調されて火の大輪の花を咲かす感動のひと時である。空を見上げて花火の行方を追いながら、花火は人間の一生を表現しているようなものだと感じた。若い時に社会に飛び出して行くように、上空に勢い込んで駆け上...打ち上げ花火に人生が見える

  • ゲリラ豪雨、嵐の中に立ってみた

    残暑などという程度の暑さを超えた暑さ(ややこしい暑さの表現)の続く毎日、ひと雨欲しいと毎日のように呟いていたら本当にひと雨が。ただそんなに狂ったように降ってくれとは頼んだ覚えはない。昨日の午後2時からの30分余り、僕の住む東大阪では強風に猛烈な雨、そして恐ろしい轟音(ごうおん)の稲光りと雷、あたかもこの世の終わりかと思わせるような天候に唖然とした午後のひと時であった。日本ではこの種の嵐には”ゲリラ豪雨”という名前がついている。暴風雨(rainstorm)と激しい雷雨(thunderstorm)の二つが一緒になったものと言えばそれがどんなものかを表現できるのではないだろうか。僕も物好きで、あまりのすざましさに思い切ってカーポートの下にしばらく立って水しぶきと激しい風、そして辺りを震わす雷の音を感じてみた。昔...ゲリラ豪雨、嵐の中に立ってみた

  • 真夏の日差しとヒマワリの花

    とにかく暑い。先週の台風7号が近畿地方を縦断した日の近辺の気温以外は大阪では平均34度~37度の間を行き来する暑さである(ちなみに昨日は37.7度)。この暑さの下で野球をする高校球児達はプレイすることを楽しんでいるようだが、僕などには“修行”、“業”という表現が当てはまるのでは、とすら思ってしまう。僕の行動と気温を記録する日記を調べてみると、一昨年、昨年のこの時期は平均すると大体33度程度となるからいかに今年は暑さが異常なのかがわかる。真夏の日差し(sunshineサンシャイン)を庭で感じると頭に浮かぶのは向日葵(ヒマワリ)だ。別に特別な思い出があるわけではないが子供の頃に麦わら帽をかぶった近くの農家のオッちゃんが僕の背丈を超える背の高い向日葵を数本育てていて、よく太い幹を触らせてもらったものだ。向日葵は...真夏の日差しとヒマワリの花

  • 「先延ばし」しても良いことがある

    ハワイのマウイ島のラハイナ市の惨状と日本の台風7号の爪痕がテレビのニュースで映し出される。自分の家が焼失したり、洪水や土砂崩れで家が消失したりした人々が「明日はどうなるのか…」と途方に暮れる姿に、“明日”という言葉に敏感に反応している自分がいることに気がついた。僕が歳をとって明日という日を気にするようになったからなのだろうか。(断っておくが僕はまだ人生の残りの日にちを数えるような切迫した状況にはない)明日という日が来るのかどうか分からなくなるような出来事が身に降りかかってきた時の心境の表れが「明日はどうなるのか…」と呟く時だ。今日という日が信じられなくなると明日のことなど考えられない。今日があって明日への計画が明確にある時には気持ちが高まってやる気が引き出されるのが人間だ。アメリカ行きを決意した60数年も...「先延ばし」しても良いことがある

  • 「地震雷火事親父」に台風がない?

    アメリカでは見知らぬ人がすれ違う時には「ハイ!」で済む。「どう元気?」ぐらいの声掛けがあるかもしれないが。大阪での声かけは皆が人懐こいのである。昨日の朝、家の前を自転車のおっちゃんとおばちゃんがすれ違った。「台風来るで」「ホンマや、きつうなかったらええのにな」となる。知り合い同士だとは思うが後は会話なし、自転車はそのまま通り過ぎていった。そして今朝5時、和歌山に上陸した台風7号はゆっくりと時間をかけて大阪へ、そしてさらに北東に向かって進んでいるという。僕の済む地域では10:00現在、風雨は断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返しているが特に危険レベルではない。ところで、僕は台風が来ると「地震、雷、火事、親父」を思い出す。例えば親父が怒り出したら、じっと我慢、怒りが通り越すのを待つことが賢明だという教え。...「地震雷火事親父」に台風がない?

  • 夏そして旅情や旅愁、いいね~

    暑さの真っ盛り、今年も民族大移動(?)のお盆休みが始まった。世界への玄関口、関西空港にはたくさんの海外旅行組が集まっているとの報道。お盆の期間中に約30万人の出国ラッシュが予想されているという。(みなさんお金持ちだな~)夏、お盆休み、とくれば「旅気分」だ。あまり楽しめるレベルの太陽とは言えないが、人を開放的にさせる太陽、青空や入道雲は人々を戸外に駆り立てる。北海道旅行、ハワイ旅行、そして帰省だのと、お盆を利用して出かける人達の話が増えてきた。個人的には人が多いこの時期の旅は避ける気持ちが勝るのだけれど。暇に任せて旅にまつわる漢字を思いつくままに書き出してみると、あっという間にメモ用紙がいっぱいになる。旅程、旅装、旅館や旅宿、旅費、そして旅情や旅愁という漢字が並んだ。楽しみいっぱい、ワクワク気分で旅程が組み...夏そして旅情や旅愁、いいね~

  • “ひたむきさ”は実を結ぶ

    全国高校野球選手権、夏の大会が始まった。野球好きの僕はとりわけ高校野球が大好きである。なぜと問われれば言い古された表現だが“球児たちの直向き(ひたむき)さ”が答えである。白球を追う汗だくで土に汚れて黒くなったユニホーム姿の躍動に惹きつけられる。人は人生どこかでこの「直向きさ」というか、「徹する」という表現がいいのか、何かに「専念する」ことを味わった人は幸せだと思う。この“直向き”という言葉に値する二人の話を昨日の新聞とテレビの「YOUは何しにニッポンへ」という番組で知った。先ずは高知中央高校に留学した台湾からの選手は謝喬恩(シャチャオエン)君。日本語はほぼゼロからのスタートで毎日4時間の勉強を続けながら野球に専念、甲子園出場の夢を叶えた。大活躍の昨日の試合であった。もう一人は日本語大好き、日本語研究のイタ...“ひたむきさ”は実を結ぶ

  • 月の満ち欠け(月齢)が身近になった

    余計なことを考えて、眠れなくなったりしないように寝床に入ってNHKの「ラジオの深夜便」などを聴いていると“あすの暦(こよみ)”などが放送される。日本各地の日の出や日の入りの時間、満潮干潮の時間や月齢までが丁寧に読み上げられる。漁業や農業に携わる人たちにとっては潮の満ち引きや明日の気温や天気は重要な意味を持つだろうと想像できるが、一般の会社勤めの人達でこれを意識して生活している人はどれほどいるのだろうか、などと浅はかな疑問を持っていた。新聞にも「地域」のページには気温も含めてその土地の“あすの暦”が載っている。「六曜・月齢・旧暦カレンダー」なるものがあって六曜は例の大安、赤口、先勝、、、仏滅、そしてまた大安と続くもの。月齢は月の満ち欠けがベースになった日付の数え方。それから旧暦はあの和暦、睦月、如月、弥生、...月の満ち欠け(月齢)が身近になった

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