「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
あなたの「書けない」を「書きたい」へ 作文や小論文の書き方指導、国語対策や受験メンタルケアなど
オンライン文章塾のブログ。 作文指導を中心に、自己推薦文やエントリーシートなどの書き方指導、添削、受験のお悩み相談など、ありとあらゆる文章作成に対応します。 ブログでは文章の書き方や、国語のテスト対策、古典の読み方、面白解説などから、いじめの心理分析。文章を書くことによって得られる劇的な効果を書いています。 社会に出て、必須となる文章能力。あなたも一緒にみにつけませんか?
筑摩書房の論理国語から、更科 功著の「100パーセントは正しくない科学」を解説します。私たちは科学を100パーセント正しいものだと思い込んでしまう傾向がありますが、そもそもどういった考え方を「科学的」と言い表すのか。その基本的な立場に沿って、推論の立て方を演繹と推測の二種類の考え方から、「科学的な考え方」を学びます。そして、その考え方の構造上、必ずしも100パーセント正しい推論になるわけではないことを解説していきます。
筑摩書房の論理国語から、長田弘著の「アイオワの玉葱」のテスト対策問題です。に記述の問題に対する対策、考え方、解き方を解説します。ヒントを付けてありますので、ぜひテスト前の勉強に役立ててください。
7/24(➡7/25 移動)朝廷と頼朝の接触 平家物語8巻75章「頼朝院宣申」その1
さて、平家が西でボロボロな逃走劇を繰り広げている最中。朝廷は朝廷で、ちゃっかり頼朝に院宣を下していました。7月に平家が都落ちして、3か月後の10月には院宣を出している……ちゃっかり過ぎますね(笑)寿永2年の7/24~7/25に平家都落ち8/
筑摩書房の論理国語から、長田弘著の「アイオワの玉葱」を解説します。私たちが当たり前のように日々使っている便利な道具の言葉ですが、海外で生活すると、言語の違い以上に言葉の認識や認知の差に戸惑うことが多くあります。それは一体なぜなのか。同じ言葉を使っても分かり合えない場合、言葉の裏側にある何がずれているのか。筆者の主張を読み取ります。
筑摩書房の論理国語 湯浅誠著の「貧困は自己責任なのか」 テスト対策問題 記述編です。記述のポイントを解説し、ヒント、解答を付随しました。定期テスト対策だけでなく、受験でポイントとなる国語の記述対策にも参考にしていただけたら嬉しいです。
筑摩書房の論理国語から、湯浅 誠著の「貧困は自己責任なのか」を解説します。貧困に対しての定義を「選択の自由があるのか、ないのか」の側面から分析し、「選択肢が豊富」にあり、かつ「選択の自由が本人にある」状態での貧困は「自己責任」と言えるが、筆者の語る困窮や貧困問題はそれ以外の状態であると示唆する評論解説です。 授業理解を深めるためや、テスト対策などに役立ててください。
筑摩書房 論理国語に掲載の「変貌する聖女」川島慶子著 のテスト対策です。 主に記述用のテスト問題と解答、ヒントをつけました。確認しながら、勉強の参考にしてください。
7/10 先が見えない絶望の中でボロボロになっていく平家 平家物語8巻73章「緒環」その3
さて、長々続いた一連の「都落ち」の、区切りの部分になります。とにかく京から距離を取りたいと、九州まで逃れ逃れてきたのは良かったのですが、西の武将たちは甘くはありませんでした。味方になってくれると思い込んでいた人々は全く集まらず、幾ら手紙を送
筑摩書房の論理国語に掲載されている川島慶子著「変貌する聖女」の解説をします。 「個人的なことは政治的なことである」という言葉の意味は、どのようなことを指し示しているのか。解説します。
7/3 敗走に次ぐ敗走 典型的な「口は禍のもと」平家物語8巻73章「緒環」その2
「雉も鳴かずば撃たれまい」「沈黙は金、雄弁は銀」……口は禍のもとを示すことわざは数多くありますが、この時忠。「平家に在らずんば人にあらず」の名言(迷言?)を世に残し、赤禿を組織して平家に反発する団体を粛清した、いわゆる汚れ仕事を司っていた人
都落ちをした平家一門ですが、九州の武士たちが快く迎えてくれたというとそういうわけでもなく……中には「院宣」をもらって挙兵した頼朝と同じように名を挙げたい武将たちが宗盛を狙ってくるようになります。その中でも逸話を背負った人々が多いのは、それだ
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「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
枕草子8段「大進生昌が家に」ダウンロード ダウンロード 「光る君へ」の22話の部分よりも数年先になりますが、おそらく枕草子を清少納言が書き始めて、最初の部分は定子がまだ存命の時に書かれたのではないかと言われています。 枕草子の全体は、現代か
大河ドラマ「光る君へ」第20話のレビューです。 日本文学史上、初の随筆というジャンルを創り出した傑作「枕草子」その筆者は清少納言ですが、その冒頭はもしかしたらこんな訳だったのではないかなという妄想記事です。
中学2年生で学ぶ、日本三大随筆の一つ。「枕草子」の冒頭を現代語とともに解説します。
「鵯越」の戦い。 義経が「天才」の名をほしいままにし、その代名詞ともなった戦いの始まりです。 史実としての鵯越は、未だに謎に包まれており、実際にあったかどうかもあやしいのではないかという説も存在します。 けれども、一つだけ言えることは、搦手
源氏の参謀である梶原平三。 その人となりを知る貴重なエピソードでもありますが、坂東武者には共通の感覚として、仲間意識がとても強く、自分の部下にはとても人情篤い人々が多い印象が、平家物語では印象深く描かれています。 これはどうしても平家物語が
さて、今度は搦手ではなく大手(本隊)の先駆けです。 この河原兄弟なのですが、当時の誉れはまず先陣の先駆けでした。 味方に勝利をもたらす士気にかかわる行動ですし、危険が常に伴い、更には実現できるのは一人きり、となれば、十代から二十代の、まだ経
さて、先駆けレースの結果の部分です。 この部分で、熊谷・平山の血気盛んな部分は、坂東武者らしいなぁとしみじみ思うのですが、受ける平家側の不手際がやはり目立ちます。 奇襲を受けて、扉を開けず、更には挑発にも乗らずにかなり冷静に対処しているので
さて、平安貴族の静かな権力争いとは違い、何が何でも物理で名誉を勝ち取る坂東武者は、必要があれば人を偽ることも戦場ではOKとされております。(笑) 誉れを何よりも重んじるのに、戦場では人をだまして、出し抜いても良いのかなぁ? と個人的にいつも
一の谷の鵯越の決戦が近づく中、やはり問題になるのは、「誰が先陣の誉れを得るのか」という事です。 「先んずれば人を制す」の精神がここまで徹底しているのも、面白い。 最終的に勝を手に入れる、という考え方よりも、目の前に転がっている褒美を誰が手に
2024年版大河ドラマ「光る君へ」第9話でも注目される花山天皇と藤原道兼の名シーン。 高校古典の教科書で必ずと言っていいほど取り上げられるこのシーンを、テスト対策も含めて現代語訳・文法・解説をしていきます。
筑摩書房の論理国語から、夏目漱石著「現代日本の開化」を解説します。もともとは講演の内容である今作は、1911年。明治44年に行われた講演の内容ですが、明治の終焉を控えた時期に文明開化に浮かれていた世情の中、外発的に行われた開化は、どんな影響を人々に及ぼしていくのかを漱石が語りました。現代にも通じる鋭い漱石の視点から、外からの圧力で変わることの歪さを解説します。
甚だしいネタバレが散見される平家物語ですが、軍記物の常として、「これは皆、もう知っているから」というのが、常識としての大前提だったのが見て取れるのは、面白いところです。 これは、源氏物語との違いなのですが、源氏にはネタバレが一切書かれていま
さて、鵯越の逆落としが徐々に近づいてまいりましたが、義経の輝かしい武功でありつつも、同時に物語にすら、坂東武者たちとの微妙な距離感が漂っています。 実際にどうであったかは本当に分からないのですが、荒くれものでありながら、反面人情家で人の気持
夜中に奇襲を受け、あっさりと三草山に布陣した平家は痛手を受けて撤退します。その撤退の仕方が、屋島まで一気に退却しているので、平家側の「陸はダメだ!! 海なら追ってこない!!」と焦りを物語っております。 そして、一の谷では軍略の会議が行われま
さて、布陣も固まり、源氏側が軍を進めていきます。 大手側が範頼。 搦手が義経なのですが、この三草山攻略が、後の一の谷へとつながっていきます。 当時の進軍の図になりますが、大手の範頼は海岸線を京から真っすぐ須磨に向かうのに対し、搦手の義経はほ
ざっくりと除目と言う行事について、この部分で語られていますが、この役目を任官するという行為は、朝廷のみに許されている権威の象徴となります。 三種の神器と同じで、天皇のみに許されている行為をすることによって、「正統派の天皇はこちらだ!!」と主
さて、西国での平家の動向ですが、能登殿、平教経の活躍が凄まじく、平家随一の猛将であったことが伺えます。 源氏の猛将を義経とするのならば、平家の猛将はこの教経に成ります。 この時の年齢は、若干23~24歳。 義経とほぼ同い年のこの猛将は、この
さて、義仲が滅びた後、とうとう九郎義経が京に入り、本格的な平家討伐の準備が整います。 その義仲が京で暴れている中、もし平家が攻め込んできたら三つ巴の戦いになり、どうなっていたかは分からないのですが、その時、平家は平家で泣き暮らしていたわけで
さて、平家物語屈指の滅びのシーンと評され、どこか朗らかさが感じられる頼朝軍の行軍の様子とは違い、悲愴さがにじみ出ている義仲軍のその後ですが、市中引き廻しの上さらし首。樋口にいたっては、引き廻しの上、六条河原で処刑。 これは史実に照らし合わせ
「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
枕草子8段「大進生昌が家に」ダウンロード ダウンロード 「光る君へ」の22話の部分よりも数年先になりますが、おそらく枕草子を清少納言が書き始めて、最初の部分は定子がまだ存命の時に書かれたのではないかと言われています。 枕草子の全体は、現代か
大河ドラマ「光る君へ」第20話のレビューです。 日本文学史上、初の随筆というジャンルを創り出した傑作「枕草子」その筆者は清少納言ですが、その冒頭はもしかしたらこんな訳だったのではないかなという妄想記事です。
中学2年生で学ぶ、日本三大随筆の一つ。「枕草子」の冒頭を現代語とともに解説します。
「鵯越」の戦い。 義経が「天才」の名をほしいままにし、その代名詞ともなった戦いの始まりです。 史実としての鵯越は、未だに謎に包まれており、実際にあったかどうかもあやしいのではないかという説も存在します。 けれども、一つだけ言えることは、搦手
源氏の参謀である梶原平三。 その人となりを知る貴重なエピソードでもありますが、坂東武者には共通の感覚として、仲間意識がとても強く、自分の部下にはとても人情篤い人々が多い印象が、平家物語では印象深く描かれています。 これはどうしても平家物語が
さて、今度は搦手ではなく大手(本隊)の先駆けです。 この河原兄弟なのですが、当時の誉れはまず先陣の先駆けでした。 味方に勝利をもたらす士気にかかわる行動ですし、危険が常に伴い、更には実現できるのは一人きり、となれば、十代から二十代の、まだ経
さて、先駆けレースの結果の部分です。 この部分で、熊谷・平山の血気盛んな部分は、坂東武者らしいなぁとしみじみ思うのですが、受ける平家側の不手際がやはり目立ちます。 奇襲を受けて、扉を開けず、更には挑発にも乗らずにかなり冷静に対処しているので
さて、平安貴族の静かな権力争いとは違い、何が何でも物理で名誉を勝ち取る坂東武者は、必要があれば人を偽ることも戦場ではOKとされております。(笑) 誉れを何よりも重んじるのに、戦場では人をだまして、出し抜いても良いのかなぁ? と個人的にいつも
一の谷の鵯越の決戦が近づく中、やはり問題になるのは、「誰が先陣の誉れを得るのか」という事です。 「先んずれば人を制す」の精神がここまで徹底しているのも、面白い。 最終的に勝を手に入れる、という考え方よりも、目の前に転がっている褒美を誰が手に
2024年版大河ドラマ「光る君へ」第9話でも注目される花山天皇と藤原道兼の名シーン。 高校古典の教科書で必ずと言っていいほど取り上げられるこのシーンを、テスト対策も含めて現代語訳・文法・解説をしていきます。
筑摩書房の論理国語から、夏目漱石著「現代日本の開化」を解説します。もともとは講演の内容である今作は、1911年。明治44年に行われた講演の内容ですが、明治の終焉を控えた時期に文明開化に浮かれていた世情の中、外発的に行われた開化は、どんな影響を人々に及ぼしていくのかを漱石が語りました。現代にも通じる鋭い漱石の視点から、外からの圧力で変わることの歪さを解説します。
甚だしいネタバレが散見される平家物語ですが、軍記物の常として、「これは皆、もう知っているから」というのが、常識としての大前提だったのが見て取れるのは、面白いところです。 これは、源氏物語との違いなのですが、源氏にはネタバレが一切書かれていま
さて、鵯越の逆落としが徐々に近づいてまいりましたが、義経の輝かしい武功でありつつも、同時に物語にすら、坂東武者たちとの微妙な距離感が漂っています。 実際にどうであったかは本当に分からないのですが、荒くれものでありながら、反面人情家で人の気持
夜中に奇襲を受け、あっさりと三草山に布陣した平家は痛手を受けて撤退します。その撤退の仕方が、屋島まで一気に退却しているので、平家側の「陸はダメだ!! 海なら追ってこない!!」と焦りを物語っております。 そして、一の谷では軍略の会議が行われま
さて、布陣も固まり、源氏側が軍を進めていきます。 大手側が範頼。 搦手が義経なのですが、この三草山攻略が、後の一の谷へとつながっていきます。 当時の進軍の図になりますが、大手の範頼は海岸線を京から真っすぐ須磨に向かうのに対し、搦手の義経はほ
ざっくりと除目と言う行事について、この部分で語られていますが、この役目を任官するという行為は、朝廷のみに許されている権威の象徴となります。 三種の神器と同じで、天皇のみに許されている行為をすることによって、「正統派の天皇はこちらだ!!」と主
さて、西国での平家の動向ですが、能登殿、平教経の活躍が凄まじく、平家随一の猛将であったことが伺えます。 源氏の猛将を義経とするのならば、平家の猛将はこの教経に成ります。 この時の年齢は、若干23~24歳。 義経とほぼ同い年のこの猛将は、この
さて、義仲が滅びた後、とうとう九郎義経が京に入り、本格的な平家討伐の準備が整います。 その義仲が京で暴れている中、もし平家が攻め込んできたら三つ巴の戦いになり、どうなっていたかは分からないのですが、その時、平家は平家で泣き暮らしていたわけで