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  • 「古墳と埴輪」 和田晴吾

    「古墳と埴輪」(和田晴吾著2024年6月岩波新書281p)を読みました。「日本列島の長い歴史の中で人びとが憑かれたように古墳づくりに熱中した時代があった」熱中現在残っているものだけでも159953基!日本の人びとの特性の中に量で表現するというのがあるのかもしれない。形に凝ったり埴輪に凝ったり副葬品に凝ったりしないでこれだけのものをつくる人材を持っているということを量で表現する。(大きな古墳になれば15年かかるというから)著者の視線は中国にも向かう。人が生きているのは「魂」(こん・精神天から与えられた陽性のもの)「魄」(ぱく・肉体地から与えられた陰性のもの)が体内に宿っているからだという。死ぬと魂魄は分離し一方は天に帰り、もう一方は地に帰る。だから肉体を古墳の表面の土を深く掘って埋めるのだ。さらに古墳の表面...「古墳と埴輪」和田晴吾

  • 「時を刻む湖」 中川毅

    岩波科学ライブラリー「時を刻む湖7万枚の地層に挑んだ科学者たち」(中川毅著2015年9月岩波書店122p)を読みました。薄い本ですが熱い本です(駄洒落)放射性炭素年代測定法というものが一番だと思っていた。ところが数百年から数千年のズレがあるという。(時代によって大気中に含まれる放射性炭素(炭素14)の量にバラツキがあるため全く同じ生物でも時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるから)そこで年代ごとの正確なものさしが必要になる。そのものさしになるのが「年縞」(ねんこう)なのだ。この本では福井県の水月湖で掘られた湖底の土が世界標準になるまでが(熱く)語られている。水月湖は条件が揃っている。流れ込む川がないため湖底が乱されることがない生物がいないため湖底が乱されることがない近くに断層があるため7万年の間、...「時を刻む湖」中川毅

  • 「マティス 装飾が芸術をひらく」 天野知香

    「マティス装飾が芸術をひらく」(天野知香著2024年5月平凡社377p)を読みました。マティスの絵が好きです。特にアトリエなどを描いた「室内画」が。(できれば人物などの描かれていないもの↑)ヨーロッパでは古来宗教や歴史、物語を描いて精神性を高めるものが価値のある絵とされてきた。つまり「深さ」のある絵だ。印象派の時代からは美的な価値以上のものを求めないとされてきた。その流れにあるマティスは「良き肘掛け椅子」(本人の言葉)のような絵を追求して来た。一見ゆるゆると描かれているようなマティスの絵。ところがそれはゆるゆると描かれたものではないのだ。マティスはデッサンをして一枚の絵を描くのではない。数日に一枚彩色した絵を仕上げる(試みる)また次を描くまた次を描くというふうに10枚ほども描いて→仕上げる。自分を追い込む...「マティス装飾が芸術をひらく」天野知香

  • 「芸術新潮 追悼特集 船越桂」

    3月に亡くなった彫刻家・船越桂の追悼号が出ました。「芸術新潮追悼特集船越桂」(2024年8月新潮社)「森へ行く日」は額が小さくなりすぎたとずっと気にされていました。が、かといってすぐ作品として完成させるのではなく不安や希望も創作の過程としてとらえていた。引っかかりを持ち続けて次の創作に繋げていくようなところが桂さんにはありました。(三沢厚彦)船越さんの作品から物語性や寓話性、童話性が見出せるとすればそれは絵本編集者でもある姉・末盛千枝子さんの影響もあるのかもしれません。また形態には変遷があっても船越さんの彫刻がまとう品の良さや詩的で静謐なたたずまいはずっと一貫してありました。この静謐な美しさは彫刻家である父・保武さんの仕事にも通ずる部分があると思います。(酒井忠康)「芸術新潮追悼特集船越桂」

  • 「死んだ山田と教室」 金子玲介

    「死んだ山田と教室」(金子玲介著2024年5月講談社300p)を読みました。高校2年生の山田は交通事故で死んでしまう。猫を庇って。明るい人気者だった山田の死によって沈み込む級友たち。と、突然教室に山田の声が響く。山田は教室のスピーカーになっていた。第1章は「席替え」山田の提案する座席が教室に展開する。視力の弱い者は前の方に共通の話題のある者は隣同士に部活の朝練のある野球部員は入口あたりに新聞部員はみんなを観察できる後ろの席に……日頃から周囲をよく観察していた山田でなくてはできない配置だ。(人物紹介になっている)学園もの?高校生の友情もの?と思って読み始めたら物語は思いがけない展開を見せる。クラスの人気者だった山田の別の面が見え始めるのだ。別の面……一年たってクラス替えがあっても山田は消えない。卒業式が来て...「死んだ山田と教室」金子玲介

  • 「ビブリオフォリア・ラプソディ」 高野史緒

    「ビブリオフォリア・ラプソディあるいは本と本の間の旅」(高野史緒著2024年5月講談社219p)を読みました。ビブリオフォリアは愛書のこと。ハンノキのある島でバベルより遠く離れて木曜日のルリユール詩人になれますように本の泉泉の本の五編が収められている。どれも本が出て来る話。「バベルより遠く離れて」がいい。両親の経営するコンビニで働く傍ら泰(あきら)は翻訳をしている。時代は感染症後で戦後。コンビニは四角くてピカピカしたものではなくて雨戸のある雑貨屋になっている。24時間営業でもない。泰は南チナ語の翻訳家だ。日本には泰1人しかいない。寒冷の地であるのになぜ南が付いているのか分からない南チナ。泰は、今南チナ文学の最高峰と言われるチャツネ・キムチ・メシウマの長編の翻訳に取り組んでいる。タイトルは「古い大きな木の足...「ビブリオフォリア・ラプソディ」高野史緒

  • 「われは熊楠」 岩井圭也

    「われは熊楠」(岩井圭也著2024年5月文藝春秋328p)を読みました。「作家になる前からいつか熊楠を書かなきゃいけないと思っていました」という著者。その通り熊楠への距離がとても近い。弟から資金援助を得て自由に研究をしていた前半よりも弟と不仲になり経済的にも思うように行かなくなりその上息子の熊弥が精神の病になって日中は熊弥を看病し(見張り)夜に研究をするという追い詰められた暮らしの方が熊楠の距離が近くなる。(読者の共感をかき立てる)熊楠を脳内の声(ときの声)が聞こえる人(ADHDの人の特性?)という設定にしているのが効果的だ。ー熊やん、もう限界じゃ。ー何を。論文はようけ書いてる。ー諦めぇ。日本でも学問はできら。と、いくつもの、方向の違う声が聞こえる。ときの声ばかりではない。中学時代に親しかった(亡き)羽山...「われは熊楠」岩井圭也

  • 「熊楠さん、世界を歩く。」 松居竜五

    「熊楠さん、世界を歩く。冒険と学問のマンダラへ」(松居竜五著2024年3月岩波書店210p)を読みました。ちょっと荒々しいひとというイメージがある熊楠にしては表紙の絵が可愛らしい著者は「南方熊楠顕彰館」の館長今までのイメージをくつがえすようなものを書きたいと熊楠の書いたものを現代語になおし(「宇宙ノ幾分ヲ化シテ己レノ心ノ楽シミトスコレヲ智ト称スルコトカト思フ」↓「宇宙のほんの少しの部分を自分のものとして心の中の楽しさに変えていく。これが智と呼ばれているものの正体だとボクは思うんだ」)さらに主語を「ボク」にして文中では「熊楠さん」と呼び「「楽しさ」のみを追い求めたとても理解しやすい人だった」というイメージで一冊を貫いている。和歌山から東京に行きアメリカに行ってイギリスに渡り「楽しい」学問を続けた熊楠(学校と...「熊楠さん、世界を歩く。」松居竜五

  • 「超人ナイチンゲール」 本の雑誌が選ぶ2024年度上半期ベスト

    「超人ナイチンゲール」(栗原康著2023年11月医学書院241p)が本の雑誌が選ぶ2024上半期ベスト10の8位になりました。講談のような文体(高校時代、よくラジオで講談を聴いていたものです)が面白い。「おめでとう。フローレンス・ナイチンゲールの誕生だ。ときは1820年5月12日。場所はイタリアのフィレンツェ……」(ナイチンゲールは両親の3年に及ぶ大新婚旅行中に生まれた)といった調子だ。子ども向けの伝記全集には欠かせないナイチンゲール灯を持って病室を回る場面が印象に残っている(というより、そこしか残っていない)ナイチンゲールは大金持ちのお嬢様だったので(父親の年収は億単位)看護師として働きたいと言ってもとんでもないと家族から反対された。(子ども向けの伝記では、そのあたりはぼかしてある)社交会にデビューして...「超人ナイチンゲール」本の雑誌が選ぶ2024年度上半期ベスト

  • 「アーモンド」 文庫化

    ソン・ウォンピョン著(2019年7月祥伝社刊)本屋大賞翻訳小説部門に選ばれた「アーモンド」が文庫になりました。「ばあちゃん、どうしてみんな僕のこと変だって言うの?」「おまえが特別だからだろ。人っていうのは、自分たちと違う人間がいるのが許せないものなんだよ。よしよし、うちのかわいい怪物や」生まれつき扁桃体が小さいユンジェは感情に乏しく無表情で、恐怖を感じることも苦手だ。ユンジェは古本屋を営む母と祖母と暮らしていた。母はユンジェを「目立たない」ようにするためにパターンを教える。車が向かってくる→出来るだけ離れる相手が笑う→自分も微笑むお菓子を見る→僕も食べたいなぁと言う家の中に紙まで貼って。ある日(ユンジェの誕生日)食事に出かけた3人は暴漢に襲われ祖母は死に頭を殴られた母は意識不明になりその時も何の感情も見せ...「アーモンド」文庫化

  • 「俺たちの箱根駅伝」 上下 池井戸潤

    「俺たちの箱根駅伝」上下(池井戸潤著2024年4月文藝春秋)を読みました。「知ってますよ、箱根駅伝」という人が多い(私も毎年見ています)題材を選ぶのがどんなにハードルが高いかそれをあえてやる池井戸潤箱根駅伝の「未知」の部分は何か?と考えたに違いない。それが学生連合チームとテレビクルー(!)いつも最下位を争っている(選ばれなかった大学から選抜された学生による)寄せ集めチームと裏方であるテレビ局員が主役として描かれる。学生連合チームの監督に抜擢されたのは箱根ランナーを経て商社に勤め一度も監督経験のない甲斐他のチームの監督もマスコミもこぞって甲斐を叩く甲斐が「3位以内」という目標を公言したからだ。学生連合チームのキャプテンになった隼斗はまとまりのない集団をどうまとめるかに苦悩する。さまざまな問題が起こる。解決す...「俺たちの箱根駅伝」上下池井戸潤

  • 「29歳、今日から私が家長です。」 イ・スラ

    「29歳、今日から私が家長です。」(イ・スラ著2024年4月CCCメディアハウス310p)を読みました。おりしも朝ドラでは「稼いでくる人」寅子に家族が反感を抱き始めたところが描かれている。(どうなるの?)この作品では29歳のスラは父ウンイと母ボキと3人で暮らしている。主な稼ぎ手はスラ。スラは作家で出版社経営もしており作文教室も開いている。父と母を出版社の社員として雇って給料を払っている。父は主に掃除を担当しスラの本の配送もしている。母は主に料理をし料理は来客にも作文教室の生徒にも好評だ。家族だから無償で家事をするのではなくて家事に対価を払うという新しいシステムをスラは取っている。(すごい!)しかし、ことはそう簡単ではない。社員である両親が社長である娘に対する愚痴を言いたくなったりスラが「決める」役割に疲れ...「29歳、今日から私が家長です。」イ・スラ

  • 「まいまいつぶろ 御庭番耳目抄」 村木嵐

    「まいまいつぶろ御庭番耳目抄」(村木嵐著2024年5月幻冬舎264p)を読みました。前作でまだまだ語り足りなかったらしい著者の書いた続編です。生まれる時のトラブルで半身が不自由で言葉も不明瞭な家重。母のお須磨の方はその後の出産で命を落とした。口の言えない家重を将軍にしてよいのか(筆も持てない)父吉宗は迷う。実は稀な資質を持っていた家重をたくさんの人たちが支えていたという話が5編。家重の言葉を聞き取ることの出来る唯一の存在である小姓の大岡忠光がなぜ一般的な社交を絶って一切の心尽くしのものを受け取らず自分も贈らない変わり者としても生活を続けたのか……少年家治(家重の嫡子)が父家重の祖父吉宗の何を見て成長して行ったのか……老中松平乗邑がなぜ家重の将軍就任に強硬に反対し続けたのか……どの一編にも「時」が流れている...「まいまいつぶろ御庭番耳目抄」村木嵐

  • 「まいまいつぶろ」 村木嵐

    「まいまいつぶろ」(村木嵐著2023年5月幻冬舎330p)を読みました。NHKの「大奥」で三浦透子が熱演した将軍家重が主人公というより家重の「通訳」として仕えた大岡忠光と家重の友情物語。家重は出生時に臍の緒が巻き付いていたためか半身が不自由でかつ言葉を発することが出来ない。吉宗の嫡子として生まれたものの誰も家重が将軍になるとは思っていなかった。吉宗は迷っていた。家康が確立した嫡子相続のルールを破ることは家康を信奉している吉宗の信条に反する。しかし、家重に将軍がつとまるのか……そこに現れたのが忠光だった。鳥の声から伝達内容を聞き取るほど耳のよい忠光は家重の言葉を聞き取ることが出来た。最後の最後までその「通訳」された言葉が本物かどうか疑われることになる。閉じ込め症候群のように伝達する術を持たないまま観察だけを...「まいまいつぶろ」村木嵐

  • 「歌人探偵定家」 羽生飛鳥

    「平家物語推理抄」シリーズの羽生飛鳥の新作「歌人探偵定家百人一首推理抄」(羽生飛鳥著2024年6月東京創元社286p)を読みました。探偵役は歌人・藤原定家予想とは違って(若き)定家のキャラクターは「強靭な病弱」で「理想家」。鋭い推理力を発揮し咳をしながらも大演説をする。相棒は源頼朝の命を助けたことで有名な池禅尼の末裔・平保盛源氏の世になった都で目立たずひっそりと生きていきたいと願っている。「気苦労の多い長男」で「隠れ武闘派」父から受け継いだ検死技術を持っている。ともうこれだけでご飯三杯はいけます。第5章の「しのぶることのよわりもぞする」では庚申待(こうしんまち)という徹夜行事のさなか式子内親王の侍女が死んでしまうという事件。考えられる可能性を一つ一つ潰していく捜査は現代の警察モノにも劣らぬ緻密さ。短歌の蘊...「歌人探偵定家」羽生飛鳥

  • 「あらゆることは今起こる」 柴崎友香

    「あらゆることは今起こる」(柴崎友香著2024年5月医学書員291p)を読みました。「シリーズケアをひらく」の一冊です。ADHDと診断された著者は自閉の人が書いた本は多いのにADHDの人の書いた本はほとんどないことに気がつく。それならば書いてみよう。ADHDには行動の多動もあるけれど脳の多動もあると著者は言う。脳がたくさんの考えで溢れ返って気がつけば何時間も何もしないで過ぎている。1日はあっという間で何もできないままに終わる。脳が疲れるので昼寝も必要だ。一般的な脳は脳が励ましの歌を歌ってくれるけれどADHDの人の脳のコーラス隊は歌ってくれない。でも、作家としてこれはいいと思うのは「わかる」がすぐに来ないで「ようわからんけどわかりそうな気もする」「わからんけどここら辺になにかありそうな気がする」に心惹かれ大...「あらゆることは今起こる」柴崎友香

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