仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
お亀石 外部資料 大和盆地が湖水であったころ湖の対岸の当麻と川原がけんかをした。当麻の主は蛇 川原の主はナマス けんかの結果は川原側が負けて湖水は干上がり湖に住んでいた亀は死に絶えた。 村人は亀の霊を慰めるための亀の供養碑を立てたのが亀石である。亀が南西向いているのは当麻方...
香芝町の話 婆さんが川で洗濯していると板に描かれた仏様が流れてきた。狐井の「トヤマ」の下にまつったのが七月九日で この日は板仏の祭りといい必ず少しでも雨が降るといわれている。 良福寺の方から流れてきて福応寺に祀られている。 外部資料 ■住所 630-8053奈良県奈良市七...
天から授かった井戸 外部資料 しばしば 旱魃にみまわれた当地方に弘法大師から授かったという井戸がある。弘法大師自ら彫った石が井戸の底に認められ 今に至るまで涸れないという。この附近は一般に〇〇庄〇〇条と呼ぶが ここのみ天の恵みがあるので天井町という ■住所 630-8053...
吉野のお話 外部資料 池峯への明神参りのお話 日照りが何日も続くと宮司さんは、祈祷して買い池の水を、徳利や瓶などに入れてきてちょっとづつ田畑にまいた。そうすると不思議に雨が降った。紀州からも雨乞いに来て戻る途中でも降って来たと、礼状がきたそうな 途中で転んでそこで雨に降られ...
円成寺と東大寺の雨乞い競争 外部資料 外部資料 むかし、日照りが続いた時忍辱山円成寺と奈良の東大寺が雨乞い競争をしたことがある。「万一円成寺が祈って雨が降れば以後東大寺の僧は大傘をさしません」と約束七日の満願の日が済んでも一粒の雨が降らず。円成寺の番となり、全山総出で「三つ...
帯解奥の院の竜 寺名毫象院 西今市の池に一頭の竜が住んでいた。村人を取って食う竜を退治するのに困り果てていたが、一人の武士が名乗り出た。武士は、池の真中にに天を打ち込んだところすさましい雷と共に大暴風雨となり竜が踊り出たところを武士は竜にきりかかった。竜は、武士をつかんで空...
大和小泉善福寺 外部資料 善福寺住職鐘覚上人が読経三昧のお勤めをしていたが大雷雨があった。その時、後ろに人の気配を感じた。「悪業の報いで小竜となり弘法井戸の水底にっ沈められたが、上人の読経で人間の姿に戻ることが出来た。この上は私を助けて下さい。」と懇請した。上人は念仏を稱え...
乙女渕 外部資料 西吉野の黒渕は円生川の流れに沿い「渕は四十八渕 森は四十八森」と沢山の渕がある。そのうちの一つに乙女渕というのがある。大日川の音右衛門はこの渕に舵を落とし探しにとびこんだが浮かびあがらず一年目にヒョッコリ戻って来た。「浦島太郎」の音羽衛門が言うには渕の底に...
外部資料 松尾長者のミイさん 貧乏百姓の嫁が姥皮をかむった蛇の子を生んだ。家人の反対を押し切って蛇の命を助けた母親(嫁)は日照りの年にミイさんに祈って大雨を降らして貰った。大和の国中に大雨が降ったことで豊作となり国司から謝礼が届いた。 桜井市 運動場の下にいる雷 五条小...
昔から大和の人々の間にあった天気に纏わる諺 外部資料 外部資料 生駒山のもやが北をむいたら雨 南をむいたら晴になる 大仏さんが汗をかいくと雨 秋の夕焼鎌を研け 広陵町 落葉水 上北山村 柱石が濡れれば雨が近い 菟田野町 黒滝村 雲が奈良参りすれば雨 香芝町 広陵町 平群町...
昔の外部資料から 山上が岳のロボット雨量観測所 大台ヶ原山を含む台高山脈系および 山上が岳から南下する大峰山脈系はいづれも南北にはしっていて、縦断しているために両者の雨の降り方は違っている。また和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊であるため また雨の降り方がちがう。 大台ケ原東...
当初は農業気象の確立がねらい 明治30年1月 橿原市八木町に奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体は農業気象の確立にあたったので、大和平野の中央位置で気象観測をするという目的で橿原市八木町になっったと思われる。 測候所の設立と同時に 玉置山 小森 南日奥 寺...
南は豪雨 北は乾燥 外部資料 奈良を大和川で南北に分けると、北部の乾燥に対して南部は大雨湿潤地となっている。 昭和3年(1928年)7月16日日本列島東海上には強い高気圧があって 日本海からは近畿地方までその勢力圏内にであった。一方宮崎県南東部沖100㌔付近には台風8号が中...
吉野杉 外部資料 春日山の杉が銘木として有名であれば,吉野地方の杉は人工林により育成された用材として吉野杉としてこれも有名である。 吉野を流れる川の流域はいたるところ山迫り、その山また、ほとんどが、黒々とした杉林におおわれていている。その杉は三輪山および春日山にはえる神代杉...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
段丘平地で昔から文化が発達 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬渓谷と地すべり 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...
大台ケ原山 雨で女学生立ち往生 外部資料 大大教会 外部資料 昭和21年(1946年)7月27日田原本高等女学校の生徒が約50名が大台ケ原山の頂上まで登った。台風は四国はるか南方洋上を西進し、本土に向かうようにはおもえない。しかし、大台ケ原では、すでに雨が降りだしていた。2...
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仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
一昨日からのまとめになるが、多武峰を中心とする地域 榛原 長谷の特別地、曽爾 御杖区域 都祁区域 北倭区域 月ヶ瀬方面 あるいは五条市を中心とする区域、さらに上北山西原や高見山」ろく地など、みな特殊の気候状態を示している。気候資源という言葉があるとしたら、我々はあまりにも温...
奈良 南の庄 寺垣内の3地の気温変化をみると、案外奥吉野の気温の高いことがわかる。都祁 宇陀方面の丘陵抗原地の気温は低く、ことに冬季は季節風のため風も予想外に強い。大和平野各地はだいたい奈良に似たようなものである。県内各地とも8月がもっとも暑く、最寒月は1月2月のうちいずれ...
吉野杉 外部資料 春日山の杉が銘木として有名であれば,吉野地方の杉は人工林により育成された用材として吉野杉としてこれも有名である。 吉野を流れる川の流域はいたるところ山迫り、その山また、ほとんどが、黒々とした杉林におおわれていている。その杉は三輪山および春日山にはえる神代杉...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...
大台ケ原山 雨で女学生立ち往生 外部資料 大大教会 外部資料 昭和21年(1946年)7月27日田原本高等女学校の生徒が約50名が大台ケ原山の頂上まで登った。台風は四国はるか南方洋上を西進し、本土に向かうようにはおもえない。しかし、大台ケ原では、すでに雨が降りだしていた。2...
大台ケ原の大雨 大台にて気象観測を長年行っていた方からの話 昔は大台ケ原は魔の山といわれ、古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に、登る人も少ない未踏の山で全くその様子が分からなかった。 大台には大きな池があって東風の時はその水があふれ、西風の時は宮川へ、北風になれば...