正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
奈良県大台ヶ原の大雨 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
大台ケ原の大雨 大台にて気象観測を長年行っていた方からの話 昔は大台ケ原は魔の山といわれ、古くから宗教的に開発された大峰山とは、対照的に、登る人も少ない未踏の山で全くその様子が分からなかった。 大台には大きな池があって東風の時はその水があふれ、西風の時は宮川へ、北風になれば...
大和の水害 雨量の少ない北部にはなはだしさは起こっていた。 これは、大和川をはじめ各河川の河床が高く、破堤という災害現象が起こるからである。災害に関しては、流域雨量と水位の関係を知ること望ましい。河床の傾斜 河川の曲折などがあって 河川の巾も大きくなく 土壌の流入などにより...
奈良 春日奥山へぶらぶら 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
若草山 日本は火山国といわれるほど火山の多い国である。大和にも活火山こそないが、古い時代に火山の噴出でできた山が大小無数にある。その中でも奈良市に存在する三笠山 また若草山は有名である。その自然美は万葉のころから詩歌にうたわれている。 山頂に登ると西には奈良盆地が一望のもと...
奈良公園 鹿を見ながら ぶらぶら 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
外部資料 藤原家の氏神として春日大社はある。平安時代以降も権力者がこの奈良のシカを保護したことは歴史に明らかで、話にもある。シカを殺して石子づめの刑を課せられる話のように、かなりきびしい刑でとりしまったのである。 また、奈良の早起きと称し朝早く起きて自分の家の周囲を見回り、...
奈良公園 のみならず 商店街 近鉄及びJR奈良駅にまで 奈良では鹿がウロウロしている光景を普通の生活の中で目にする。 外部資料 大和の動物のナンバーワンには月並みながら「奈良のシカ」をあげねばなるまい。今は昔神護景雲三年(767年)正月十六日、鹿島の大神が、中臣の大連時風、...
奈良高畑 ぶらぶら 荒池の地蔵石仏 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
荒池の地蔵 三条大路を再度上がって行くと 春日大社の一の鳥居がある。そこを左に(南)に向い荒池を通り 奈良ホテルの前に立つ。北天満町に入る手前、以前は瑜伽山西裾の小堂内に安置されていた地蔵石仏である。現在は民家の前に立っている。 30数年 明治時代に付近の酒屋の井戸の中から...
奈良 三条大路 ぶらぶら 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
伝香寺 三条大路を下っていくと やすらぎの道と交わる。そこを南に向かう率川神社 さらに南に行くと、伝香寺に行き着く。 外部資料 30数年 裸地蔵菩薩 創建は鑑真和上の弟子思託と伝えられているが詳細は分からない。現在唐招提寺の末寺で、昔は唐招提寺の長老の隠居所となっていたが...
奈良 三条大路をぶらぶら 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
采女神社(うねめ神神社) 五十二段を上がり三条大路 その道をあがると(東)には春日大社 猿沢池を下にみながら西に少し下ると、采女神社がある。 30数年 鳥居は東側に建ってるが 一夜にして社は西に向きを変えたうねめ神社である。 写真左側の小舎は以前は藍色の法被を着た名所案内組...
奈良 興福寺近くを ぶらぶら 藥師寺近くのから大和の気象歳時記
五十二段と六道の辻 30数年 猿沢池の北東に興福寺へのぼる石段がある。俗に五十二段と呼んでいる。歩いてみると五十二段の石段からなっている。五十二というのは仏門に入る修行の階段といわれている。善財童子が五十二人の知識人を尋ねまわったという故事にならっこの石段がつくられたのであ...
奈良の町 ぶらぶら 興福寺三重塔 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
興福寺 三重塔 外部資料 30数年前 興福寺といえば 奈良公園内にある寺 という感覚がある。 そして 塔といえば 五重塔を思い浮かべる人が多いと思われる。 春日大社への参道 三条通りから興福寺南円堂に上がる中段左側(西側)に多くの地蔵さんがある。その先に三重塔がある。 興福...
奈良 登大路 ぶらぶら 東大寺周辺 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
東大寺 登大路 を登っていくと 昨日ブログした 氷室神社から上がっていくと 左手に東大寺の参道がある。 その反対側西角には 30年前ぐらいだろうか 正倉院宝庫の総長をしていた 森鷗外が泊まっていた官舎があった。もう今はなく碑だけになっている。 その参道をいくと 右手に吉城川...
奈良の 市街地 登大路ぶらぶら 藥師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
氷室神社 近鉄奈良駅から 東大寺に向って登大路をぶらぶら 東に行くと 左手に氷室神社 奈良が カキ氷の聖地 と今呼ばれている所。 30数年前 外部資料 大きく変化無いに見うけられる 30数年前外部資料 子供の玩具を刻んだ灯籠 古老の話として 往古日砡をまつる旧跡であるといい...
奈良の 市街地ぶらぶら 聖武天皇陵 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
聖武天皇陵 30数年前 外部資料 奈良市法蓮町に聖武天皇陵はある。 往古天皇は即位するとそれぞれ 自らの陵を計画 実行に移したと言われている。天平の華を展いた聖武天皇は東大寺 その他を創建 国は貧しなった。他の帝と比べ、今一つ 感が拭い去れない。 ■ 住所 6360-805...
奈良の市街地 ぶらぶら 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
率川 (いざかは) 外部資料 30数年前 外部資料 率川は池の水を貰い小さな溝川の水を集め 地表に出たり暗渠にかくれ西の方角をさして流れれJR奈良駅南の方で陽の目をみている。率川改修に出て来た地蔵は集められ、石の舟に乗せられて、赤いダレが風情を沿ている。 親柱に橋の名前がな...
奈良の西 ぶらぶら 倭文(しずり)神社 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
倭文神社 西九条町 倭文神社の秋祭りは祭り風土記に4つ選ばれているうちの1つである。 西九条の集落の西南部に鎮座 祭神は 三柱 主神 武羽槌雄命は、天羽榎雄命と同名で織部の神とされ 倭文氏はその後裔である辰市郷に居住して上衣を織ったと伝える。 古くから ひつりやの社 しずり...
奈良の西 ぶらぶら 時風神社 薬師寺近くのうのんから 大和の気象歳時記
時風神社 奈良市西九条町 春日大社の神様は 鹿島から白い鹿に乗って春日に移ってこられた。 その武護槌命寺一行に供奉してきた中臣時風奉行を祀る神社 奈良県史 神社遍には、杏町の辰市神社の道をへだててすぐ南に鎮座する。中臣時風 秀行との霊を祀る。 時風は辰市家の祖 秀行は大東家...
奈良の東 ぶらぶら 鎧地蔵 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
鎧地蔵 紀寺町 30数年前 外部資料 地蔵様にも色々あって 第2次世界大戦に際し出征する我が子 我が夫の武運を祈りお守りとして、ここ鎧地蔵も札を持って出掛けた。 戦争は終わったが一度拝みたくて拝むことが出来た。その後地蔵堂の近くに引越して子供のお守りを兼ね尋ねたが戸締でお目...
奈良の東 ぶらぶら 頭塔 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
頭塔 30数年前 外部資料 「源平盛衰記」「七大寺巡礼記」「元享釈書」などに僧玄眆の塚と伝えているが、「大和志」には、「贈従二位大納言良岑朝臣安世の廟墓である」と記している。古くから種々の説を伝えている。 最近専門家の研究によると、「東大寺要録」に神護景雲元年(767)に東...
奈良の東 ぶらぶら 柳生街道 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
高畑大道町 破石から福井町へ更に滝坂の道をたどる。 30数年前 外部資料 破石から石切峠までの道は自然石が敷き詰められて道路の破損を防いでいる。人里離れた静寂な山道を、渓谷に谷はしる清流の囁きを耳にしながら歩くのは、全く別の世界に入った感にうたれる。南都諸寺の僧侶の修行道路...
奈良の東 ぶらぶら 上高畑 志賀直哉邸 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
志賀直哉邸 この名前で地元では親まれています 30数年前 外部資料 奈良に住む文化の集まるところ。 奈良を訪れる文化人に喜ばれる町 ただ歩くだけで癒される街である。 旧志賀直哉居宅はそんな中ある。 なん衒いもない居宅が 家並みが輝いて見える。 ■ 住所 630-8053奈良...
奈良の東 ぶらぶら 破石(われいし)薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
破石 30年以上前の写真 外部資料 破石町 町名の由来となった破石がある。 約2m四方の石である。町人のはなしによると、西大寺東塔の心礎をつくる時、酒三十余斛をこの石に掛けて破ったので、破石 といい町名もここから生まれた。一説によれば この石は藤原 吉備 安倍氏の境界を示す...
奈良の東 ぶらぶら 高円山 百毫寺 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
百毫寺 30数年前の写真 外部資料 山門に迫りつくまで何度登っても辛い石坂道である。施基親王の創建とも また勒操創立の岩渕寺千坊の一院ともいわれている。この寺で毎年4月8日に一切経の転読がおこなわれていたようで町内の俗謡に「暑さ寒さも彼岸までまだあるわいな一切経」というのを...
南都鏡神社 奈良市高畑にある新薬師寺の前にあって 藤原広嗣の霊を祀る。 30年以上昔に撮った写真⇑ 外部資料 天平9年(737年)に流行った天然痘に政治に要職にあった藤原武智麻呂・宇合・房前が五か月の間に亡くなり、政権は橘諸兄にうつり、玄肪・吉備真備によって政治が行われる...
近鉄電車で難波(大阪方面)から奈良行き電車 また京都方面からだと橿原神宮行きに(奈良行きもあり)に乗ると、大和西大寺駅がある。 東大寺 に対して 西に大きな寺ということで創建された。 その西大寺に 「百萬供養塔」がある。 西大寺の前の通りは行き止まりになって7いるが、明治...
場所は 笹の滝 あたりであろう。 大字小井(こい)の親谷の話だが、昔は大矢の谷と書かれていたそうだ。 この親谷に牛追滝があるが、大昔は、飛び渡りの滝ともいわれていた。その滝の少し上手に谷巾の狭い所があり、ここを渡らねば、小井にも池穴のほうにも行けなかった。 ある時のことであ...
豆と天狗 外部資料 外部資料 外部資料 上葛川の裏山に天狗ぐらとよばれているところがある。そこは、岩が壁のように高く立っていて、今にもガラガラところがりおちてきそうである。 むかし、むかし、この天狗ぐらいには、たくさんの天狗たちがすんでいた。たいへん悪さをする天狗たちで、空...
北屋のおばばと川太郎 十津川 湯之原のお話 北屋のおばばが六月の厚い日、岸の畑で麦引きをしておった。 だれか知らんが、おばばの後ろへ回って股ぐらへそっと手をいれてくる奴がおる。 「これ、なにをする。気色の悪い。」 と、おばばがその手を払いのけるが、しばらくすると、またもそ...
悲しい目まじない 十津川 湯之原のお話 外部資料 昔、昔、あるところにたいそう意地悪な姑がおりました。 嫁が畑を耕いしているところへ来て、 「目に見えるほどもはかどらん。」 といって、嫁の手を打ちました。 嫁が水汲みをしているところへ来て、 「目に見えるほどもかめに水がたま...
中井亀治郎 まだ、今のように自動車道がついていない自分じゃった。 旭の中谷の在所に近い道の端に、なんでも根元のさいわたしが二尺(およそ60センチ)あまりもある古い松が立っておった。この松のうらは八、九間(およそ十五、六メトル)もある切りたた崖で、その下には旭の流れが渦を巻い...
ツユクサの花 今西の中ほどに風呂の岡というところがある。 ずっと昔のこと、今西に泉昌寺(せんしょうじ)という寺があったそうだ。この寺に間佐久(まさく)という坊さんがいたと。この坊さんには奥さんがいて絹糸を撚り、薄布を織るのがたいへんすきだったと。夏になると、織り上げた布をツ...
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正倉院宝庫の気温変化 ① 大和は歴史の国であるので、古文化財が至るところにあり、その宝庫であるともいえる。これらは古文化財は永久保存されるべきものであって、保存と気象との関係はどの程度結びついているものかを考えてみた。 一般に物質を収納する箱内の気象要素のうち、保存に関係す...
仏様たちの家のすみごこち ③ 仏様の家のお堂の中は夏涼しいのはよいのが、このような湿っぽさが仏様のおからだに悪いのではないかという問題が起こる。いままでの常識では物の保存には乾燥が第一、こんな高湿はもってのほか。お堂の柱の根元がくさったり、白アリがわいたり、カビが生えたりし...
仏たちの家のすみごこち ② 日本は非常に湿度の高い国。とくに夏の多湿は世界的に有名である。勿論大和も湿度は高い。しかし、お堂の中は湿度が低い。湿度は温度と逆で、温度が低いほど、湿度が高くなる。従って、大和のお堂の中は湿度が高く、中には、びっくりするぐらい湿度が高いお堂もある...
仏たちの家のすみごこち ① 「奈良の仏さんたちは一体どんな住み心地の家に住んでいらしゃるのであろう?」お堂の中の気象を調べ始めた。 三月堂、戒壇院、新薬師寺、法隆寺、藥師寺、唐招提寺など調べた。仏さんは夏の日差しをさえぎるのに十分でしかも風通しが非常によい。仏さんたちの家は...
昭和31年の夏と翌年の冬京都大学の協力を得て、三月堂の前の校倉をくわしく観察した。昼夜ぶっ続けの連続観測を行った。校倉の内外の温度や湿度の変化、中の空気の動きなどを特別の機械で測定した。そして校倉の特徴、いわば秘密がだいぶ明らかになった。 校倉は壁に隙間を生じない実に巧妙な...
正倉院の宝庫と聖護蔵について、次の実測を試みた。 宝庫の屋根の上、一番上の校木一番下の校木 こんなところにそれぞれはっきりした目標を定め、これらの高さが変化するかどうか調べるのである。今一つは、聖護蔵の校木に目標を定めて、百分の一㍉まで読める顕微鏡で同じく校木の伸び縮を測定...
校倉の秘密 だれが言いだいたのかしらないが、「校倉は積重ねてあるので三角の校木(あぜき)が空気の乾いている時はちじんで校木の間にスキ間ができ、外の乾いた空気をいれる。ところがそとが湿っぽい時は校木がふくれてスキ間がなくなり、外の湿っぽい空気を入れない。このようにして校倉の中...
大和国はj9位滑りで各所に被害が生じている。その主なものは昭和7年(1932年)の王寺町藤井部落の浸水騒ぎである。これは大和川の右岸で大阪堅上の峠で地すべりを起こし、ところどころき裂を生じ部落の民家を倒し、トンネルを倒し最後は対岸の道路も大和川の川床をも隆起させて流水をせき...
火災は奈良県には大都市がないので大火災というほどのものはない。奈良市では慶長17年3月6月と元和5年4月13日 12月2日の3回の大火災が記録に残ている。幸いにもこれらの大火災はそれ以降どこにも生じていない。これは前述のように人口密集地の少ないためだが、その集落や部落自体か...
水害 風害 干害 の他にあげられる諸災害のうちで、おもなものは雷災 雪才 火災 地震などである。 雷災は古文書にも相当残っておりかつ伝説も多いところからかんがえると、昔の人々は雷にかなりいためつけられたらしい。寺院ガランなどが落雷にあい、しかもこれらの機関は当時の文化の中...
大台の豪雨の原因 ② 山上岳の大峰山系は年中強い西風をうけているころで、樹木の枝葉は完全に東になびいて育っている。このためか山上ヶ岳は大台ヶ原よりも気温年変化の較差が大である。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気候によって降る雨で、西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさ...
大台豪雨の原因① 大台ケ原で土砂降りになるためには、強烈な上昇気流がなければならない。一般に、大台の雨は局所的であって、ごくせまい範囲に集中している。しかも天気図上から台風の出現に限定されているようで、季節風や梅雨や少々の不連続線がひっかかたぐらいでは集中豪雨にはならない。...
大台ケ原観測所(大正13年1月〜昭和34年4月) 現在西大台 大教会 の一部が気象観測所 大台ケ原山をふくむ台高山脈系および山上ヶ岳から南下する大峰山脈系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山塊をな...
長期の戦争による国土の荒廃ははなはだしく、わずかの豪雨や強風によってさえも相当な気象災害を起し、気象予報の重要性が認識された。いたずらに手をこまねいて傍観している状態であった。昭和28年(1953年)ようやく国力の回復によって、気象業務の最大目標は災害防止ありと呼ばれるよう...
主として1日午前十時一回の観測で、気温「最高最低を含む)降水量およそ天気を十日ごとにまとめて測候所へ報告する任務をもったものである。その後観測の必要にせまられて、明治44年に下淵、明治45年に内牧、大正4年に柳生、大正9年に前鬼、榛原、岡、大正10年に荒神岳 昭和2年に曽爾...
明治30年1月、現在の橿原市八木町に、奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体が農業気象の確立にあったので、大和平野の中央位置で気象観測をしようという意味が多分にふくまれていたのであろう。測候所の設立と同時に玉置山・小森・南日裏・寺垣内・河合・上市・五条・御所...
奈良県の河川は近畿の南北の水源地となり、いずれも四囲の府県に流出しているのが特色で全く近畿の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし、中央で集まり大和川となって大阪平野に出て西方大阪湾に注いでいる。宇陀山地の水は宇陀川、名張川となり、さらに大和高原の...
奈良県南半の吉野山地は、県内の60%を占める山勝ちの地域である。南西に走る。南西に走る槢曲山脈で主として水成岩からできている。地形は壮年期で、起伏が著しく、急な山、深いV字字形の谷が至ちころに発達している。標高1500㍍を越える高山がそびえ「近畿の屋根」と称されている。中腹...
奈良県の北半の奈良盆地は瀬戸内陥没地帯の東端をなし 地質時代に断層により土地が落ち込んで出来た「地溝」である。当時は湖をなしていたが、沖積層が積もって早く干上がって人々の生活の場となった。南北約30㌔東西約16㌔ 面積約3百平方万㌔、海抜40〜100㍍の平らな盆地である。奈...
奈良県は地形上南北で非常に差異がある。北半は奈良盆地(大和盆地)を中心に、それを囲む青垣山をなす山地や高原からなっている。これは大阪平野・京都平野・京都盆地などともに、近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域はわれの祖先が早く住みつき、古くから文化が開け、わが国...
当初は農業気象の確立がねらい 明治30年1月 橿原市八木町に奈良県八木測候所が設立されたのは、当時の気象業務の主体は農業気象の確立にあたったので、大和平野の中央位置で気象観測をするという目的で橿原市八木町になっったと思われる。 測候所の設立と同時に 玉置山 小森 南日奥 寺...
南は豪雨 北は乾燥 外部資料 奈良を大和川で南北に分けると、北部の乾燥に対して南部は大雨湿潤地となっている。 昭和3年(1928年)7月16日日本列島東海上には強い高気圧があって 日本海からは近畿地方までその勢力圏内にであった。一方宮崎県南東部沖100㌔付近には台風8号が中...
吉野杉 外部資料 春日山の杉が銘木として有名であれば,吉野地方の杉は人工林により育成された用材として吉野杉としてこれも有名である。 吉野を流れる川の流域はいたるところ山迫り、その山また、ほとんどが、黒々とした杉林におおわれていている。その杉は三輪山および春日山にはえる神代杉...
春日杉・吉野杉 外部資料 春日山に生ずる杉の大木を春日杉と呼び、林業上は銘木として秋田杉 屋久杉 神代杉などと同様、全国的に知られている。春日杉の銘木としての価値は年を経て大木であり、その材のもつあざやかな赤紫色は次第に含まれる樹脂の変色に伴い渋い黒紫色になる点、加えて年輪...
杉 外部資料 森中で林業上から見た場合に何といっても杉はその王者であって他にこれにまさる樹種はない。このことは杉の植物としての持ち味に由来するものである。 その一つとして 杉は東洋原産で日本の風土に適した樹種であること。 そのニとして そして成長が早いこと。幹形が通直で ...
扇状地と横井戸カンガイ まんぼ 外部資料 横井戸は「まんぼ」と呼ばれていた。三重県鈴鹿市 淡路島の一部 富士山麓などにみられる。奈良県においては御所市(旧葛城村)に最も多い。この土地は深谷川、伏見川 南太田川 三宅川 など多くの河川によって作られた合成扇状...
奈良盆地の稲作には河川 ため池 地下水などが利用されている。地下水か河川やため池用水の不足する地方や、地質上、湧水に富んでいる地域に多く見られる。 奈良盆地の湧水カンガイの発達しているのは葛城川の上流右岸一帯である。 地下水の湧水を利用したものではなく、井戸を掘ってカンガイ...
猿谷ダム 壮年期地形のV字谷として、山高く谷深い十津川の本流に設られた猿谷ダムmは、その規模高さ74㍍ 長さ170㍍ 体積17.4万㎥に達している。こうしたダムの建設によって大きな利益が多数の人々たちに与えられるが、一方犠牲になった人々も少なくない。十津川吉野川の総合開発で...
極端な大滝から宮滝 外部資料 吉野川上流から中流に移るところ、川上村大滝から吉野町(旧中壮村)宮滝の間は特に 極端に穿入曲線をなしている。上市から吉野川をさかのぼり、川上村から北山川の流域に出て木の本に通じる東熊野街道(現169号線)は以前から宮滝から五社峠(476号線)を...
吉野山地 外部資料 壮年期の地姿をなして起伏している吉野山地から流出する河川はいずれも深谷を作り、急流をなしているのが特色である。吉野川 十津川 北山川 さらにその深谷はいずれも地形学上「穿入(せんにゅう)曲流」と称する蛇行地形をなしている。穿入曲流は山地をS字形に下刻して...
上市 上市 下市間は明らかに二段の段丘からなっている。現在の町や交通路はいずれも下段に多く発達し、昔の伊勢街道 近鉄吉野線の電車も狭い段丘上を走っている。上市は下段丘に発達した集落で、上段が丘陵となり迫ってくるので極端に狭くなり標準的な街 村となり 川岸にかけ出した家はいず...
吉野川の川岸段丘 外部資料 吉野川の上流ではV字形の谷が発達し川岸には殆ど平地を見ないが、中流以下では次第に川幅が広くなって川岸の左右に小平地面ができ耕地も開け人家もこの面に建っているのを以前から見かけた。この平地面の地形を 川岸段丘 という。 川が上流から運び 土砂によっ...
外部資料 外部資料 春日山断層線に沿った瀑布線に発達した水車群のうち、盆地の東南大三輪町巻向川の水車は特に数も多く機能にも特色があった。その分布は巻向山の辻領から箸中・穴師・巻野内など上下4キロにおよび、江戸時代の延享元年(1744年)の地図に主流のみで22個を数え幕末から...
瀑布線と水車 外部資料 奈良盆地は地質時代に陥落により出来た地溝盆地である。周りは断層線や構造線で限られている。周りの山々か流出する河川がいずれも上流部は急流をなし浸食をたくましくし、ひとたび盆地へ出ると削り取ってきた土砂の堆積を始める。盆地の水を集めて亀の瀬渓谷から大阪平...
大和の天井川 外部資料 陥落によってできた奈良盆地は地質時代には湖水となっていたと考えられるが、盆地の四周から流出する諸用が、上流部で、激しく浸蝕してきた土砂を盆地に出て傾斜がゆるくなるとともに「複合扇状地」を作り、さらに盆地底に流出するや運んできた、土砂を全部堆積した。そ...
亀の瀬 外部資料 外部資料 外部資料 先日 地すべりについて テレビのニュースで説明があった。 その話の中で、亀の瀬渓谷の被害とその後の対策により安全に今は通行が出来る話をしていた。 奈良盆地の水を全て集めた大和川は亀の瀬渓谷を作り、生駒金剛山脈を横断して、大阪平野に流れ出...
山上ヶ岳 山上ヶ岳の一部大峰山系は年中強い風を受けているところで、樹木の枝葉は完全に横になびいて育っている。このためか、山上ヶ岳は大台ケ原よりよりも気温の変化は大きい。大峰山系北部一帯は西風のもたらした気流によって雨が降る。西風気流の山岳による強制上昇気流に変わるさの雨と考...
吉野郡山 大台ケ原山の降雨機構 外部資料 大台ヶ原山を含む台高山脈および山上ヶ岳から南下する大峰山系はいずれも南北に走っていて、縦断しているために両者の降雨機構は違っている。さらに西方和歌山県境にある荒神岳一帯は山魂をなしているために、前二者とまた異なる雨の降り方をする。 ...
お薦めの本 毎月 奈良を知るために お薦めしている 「ならら」です 正倉院 東大寺 はあまりにも有名です。その「大仏さん」を創建した天皇の紹介です。 7月のお休み予定 1日(月)2日(火) 8日(月)9日(火)10日(水) 15日(月)16日(火) 21日(日)22日(月)...
大台ケ原の大雨が精神治療? 昭和7年8月4日 フィリピン東方に発生した台風は、北上を続け、11日九州南東海上に達し、ここで15日まで迷走をつづけ、16日紀伊半島沖を北東に進んだ。大台ケ原山では9日か豪雨となり、12日の雨量431粍を最多として15日までに1900粍を観測した...