滝の主 昔の年寄りがよう言ううておった。 「グチナワが大蛇となり龍になるには、山で一千年、川で一千年、そして海で一千年、つごう三千年もの間、きびしい修行を積まにゃあならん、そして、三千年の修行を終えたら大蛇となって天に舞い昇り、そこで龍となって、ふたたびこの地上に舞い下り、...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
「紀州の龍神民話」から 木地師 昔、木地師がおったわな。それはそこのリスケゴモリっていう籠りにおったわ。そこに今でも木地小屋があってよ、そこには大きな広い盆地があんのや。そこに木地師がおった。 橘川のリスケゴモリに、まん中に塚があって、そこに推喬親王の守り神であるところの榊...
「紀州の龍神民話」から 不思議な鯉 明治22年の大水害が起こる前に、日高川を黒と赤の二匹の大鯉が川下からのぼっているという噂がひろがり、川辺の人々が大さわぎをしたそうです。 やがて、下柳瀬にも姿を見せ、あまりのおおきさにヒシで突くこともできず、鉄砲をもって追いかけ回したそう...
「紀州の龍神民話」から やまんば 子とろ子とろ どの子をとろか あの子にしよか この子にしよか 子とろ子とろ やまんばはこう歌いながら、山から里へ出て来て、子どもとったって言うんですわ。ほいで、子ども連れてかれたら、どうして放してもらったかって言うと、やまんばの口へ向かって...
今朝の寒さで睡蓮鉢氷はってました
「紀州の龍神民話」から やまんば 昔の人の言い伝えではよ、やまんばは大きな口して、白い白髪髭はやして、青い顔していたって言うのら。やまんば、あんまり奥山にはおらんだ。ほいで、里山の堅い木のあるとこに住んどったと。山へ行くとよ、樫の木とか榊、みずめとか堅い木があってのら、その...
「紀州の龍神民話」から カマイタチ わしは、かまれたことないけども、ちょこちょこかまれたのを見たわ。 60年も前の話や。 時候的には寒い所で、普通に外で遊んでる時に倒れると、きっと切れとんのや。鎌のかっこうにかぎ形になって、切れとんのや。ほかに何も切れ物はないんや。 わしら...
「紀州の龍神民話」から 小川万助と天狗 天狗は人つれて行くなあ。わしとなだいぶ若いかたでね、小川万助っていうかただったんや。それが、おばあさんと二人おってね。万助がどころへ行っておらんようになったんじゃいうんですらよ。よわったなあ、万助おらんというのなんとな、ということでね...
「紀州の龍神民話」から ゴウラと福井の殿さん この下っつらの部落にね、牛淵っていうてね。この下の部落に福井殿っていう人のお城があって、ある時、白い馬を殿さんがこうとって、夏になったら牛淵へ水浴びせに行ったら、ある時にその白馬がびっくりして上へ飛び上ってきた。ほいて殿さん何事...
「紀州の龍神民話」から ゴウラ淵と龍蔵寺 この上にね、重助、庄助、竹蔵て三人兄弟があって、時に盆の十三日「やで。盆の十三日には、この辺では川へ行かれん。魚は食われんてからいうたんや。そやけどその人らは、どういう訳か知らんけどな、盆の十三日に川へ行たんやと。 魚の大きなんが、...
「紀州の龍神民話」から 河童 ゴウラ カッパのこたぁこの辺ではゴウラ、ゴウラていうたの。 のう、子供から小学一、二年になったら、川へ、夏ぁ泳ぎにいこう?(ここたりで泳いだらゴウラにシリネンド引き抜かれるど)てちゅうこた、よう親ら言うたの。ほいじゃその人等、尻ネンド引き抜かれ...
「紀州の龍神民話」から 「河童」 ゴウラ 川にはゴウラというものがおるっていうこと、わしら親から聞いた。 川へ長いこといて泳ぎおったらゴウラが出てきて、尻ネンド抜かるるで、はよ帰ってこいよっていわれた。どがいな姿じゃっていうこと親らもしらんのじゃし、我々も知らんのじゃが、と...
「紀州の龍神民話」から 大蛇 寒川の土井の十代程も前の話じゃが・・・・・。 寒川大海さんて、あの人ゃ大へん川好きじゃてんて言うの。武士でもえらい人じゃさか、いつでも大ぜいの人がいて、夏になったら、輩下を連れて滝山へ、あこへ魚とりに行ってんちゅうの。 その当時ゃ、川へ行くにも...
「紀州の龍神民話」から 瀬戸の滝の蛇(じゃ) いつの昔や知らんのやけどなァ。大昔のことやけど、ものすごい旱魃があってからのう。これじゃどうもならんということで、雨乞するのによう。柳沢という谷の奥の瀬戸の滝に雨乞をのう、したんです。山伏かお坊さんかそこのとこはっきりせんのやけ...
「紀州の龍神民話」から 七つ釜の滝の大蛇 おじいさんが七つ釜の淵へアメノウオ釣りに行ったんやの。そいたら淵の上にこけのはえた太い胴木が橋になっているんやて、その枯れた木を渡って行ってアメノ魚釣って帰ってきてからまた、四、五日してから釣りに行って、この前渡った胴木渡ろ思たら、...
「紀州の龍神民話」から 七つの頭の蛇 小又川の奥のナナツガマっていうとこに、七つの頭のある蛇がおるということや。岩があって名、岩から岩へヒョイッと飛べそうなんやけど、とても気持ちの悪いとこなんで飛んだ人ないんやけど。そこに七つの頭の蛇がおった。わりあいに胴も大きくなけりゃ長...
西の京周辺です。 有名じゃないけど歴史上のかくれたスポットです。 西の京に訪れられたら 是非行って頂きたい所です。 まだまだ 面白い所あります。 平城京時代の西です。宮人が憩いを楽しんだ場所です。
「紀州の龍神民話」から 薬屋さんに化けた狸 むかしは、医者ないさか大和や富山から、置き薬屋さんがどんどん来たんや今でも来ますけどんねえ、ここから真妻ていいう所へ行って薬屋さんの泊まる宿はきまっとった。 ある日、宿の兄貴が道歩いとったら狸の子が道でうろついとるさか、面白半分に...
「紀州の龍神民話」 大蛇 寒川の土井の十代程も前の話じゃが 寒川大海さんて、あの人々大へん川好きじゃってんて言うの。武士でもえらい人じゃさか、いつでも大ぜいの人がいて、夏になったら、童下を連れて滝山へ、あこへ魚とりに行ってんちゃうの。 その当時ゃ、川へ行くにもワラジはいて行...
「紀州の龍神民話」 大蛇 龍神温泉の下の村に湯の又と言う、ふちがあるんやが、そこの話じゃたんゃ。 村の娘は、親に隠れて、チョコチョコと外出するんで、母親が困りはてた。 ある日。 娘の寝ているときに、着物の裾へひもを付けちゃあと。母親はひもをたぐっていったら、ふちの中まで垂れ...
「紀州の龍神民話」 送り狼と送り雀 送り狼にはよ、二通りあんね。一つは善意の送り狼。チーン、チーン、チーンって、それは送り狼がきとるということを予測しうる雀がおるわけよ。後ろでチーン、チーン、チーンって、気をつけなさいよ、後ろへ狼がおりますよっていうことを予知してくるる雀、...
「紀州の龍神民話」 送り狼の話 狼は絶対、人には危害を加えん。送り雀の狼も人に助けられた狼じゃの。狼が猪を喰うて歯へみて骨ささってね、難儀しよって、あの六里で「ああっ」と口はって旅人の所へ出てきてね。喰いつくんじゃないかと思ったがそうじゃない。「ああっ」って口はってるさか見...
紀州の龍神民話」 狼のとった猪 この尾先(尾根のこと・小家部落)は、ずっと高野山へ続いている。この尾先しか高野山へ続いていない。その尾先の所に、三コの松(三本松があること)という所があったわよ。そこを上の方へあがっていく狼をわしゃ見た。そいで、ばんにギャーギャーというししの...
「紀州の龍神民話」 狼のお礼がえし ここでの話とちがうんで、忠次さんの嫁さんのおかあさん、おみねさんいうんやけど、奉公にいたあった時の話で、奉公先は十津川の金持ちの大きな農家やけど、あるとき狼が病気になって、そこの家の灰納屋へ来てねよったらしいんやのう。主人があの狼病気やさ...
「紀州の龍神民話」 狼の話 甲斐ノ川の熊という人が、たぬきにだまされようがちっともさびしがらなかったけど、この下(小家部落の下)の谷のま一つ下の谷(サイの谷)の奥で炭を焼いていた。子供等も大きなって一人で焼いておったら、何ぞチリンチリンと六文銭の鳴る音がすると思って便所しが...
「紀州の龍神民話」 狼の話(1) むかし、おうじの方のおばあさんが、旧の正月の16日にたき木を切りにいって、狼にくわれて死んだので、正月の16日にはそんぼうに行かれんと、よういわれた。 そうぼうとは、すぐ裏の山で、正確には相福山というんやろうけども、土地の人は、みなそんぼう...
「紀州の龍神民話」 狐と狸のだまし方 たのきに騙されたちゅうのは、どうなったら、滑稽なな。狐の方は悪辣な騙し方しとる。たのきは、何となしにユーモアな騙し方しとらな。狐の騙し方は人を崖から落したりちゅうような騙し方する。たのきはそがなことはせなんだ。たのきは、何せ坊主になった...
「紀州の龍神民話」 舟を流す狸をくくった話 かはらぼうから発電所の方へ行く道に今は橋かかって便利やけど、むかしは舟で渡ったんや、まわり道あるけど大変遠いから、そこの舟が雨降るときには舟をつないどる綱をきまって食いちぎって流されるんやの、そら狸やちゅうことがわかったんや、狸の...
「紀州の龍神民話」 猟師の邪魔をし狸」 狸かしこいゆうても、しまいは人間にかなわんのやけどのう。何んどもやると化けの皮はげるんやな。殺生人(猟師)が山へ行ってもどうもうまいこと捕らしてくれんのやな。さあ猪や射とうとしたら、鉄砲の筒先の方へ人間が出てくる、鹿出た射とうとおもた...
「紀州の龍神民話」 狐や狸 狐や狸はな、硫黄を持つっとたらね、化かさなんだって。昔、付け木っていうのあったでしょう。魚持っててもね、付け木持っとたらちっとも化かされなんだって。硫黄が付いてるからな。火薬が、鉄砲がこわいんかな。
「紀州の龍神民話」 山での話 だま谷ってとこで、一人で炭焼いてた折のことや。 夜、小屋で寝てたら、山でダアーッと、木倒す音、聞こえたよ。別に、誰かが来た押したわけやないんやけど、木倒す音聞こえるんや。 ほいて、人も誰もいてないのに、「ホーイ」って呼んだりするよなこともあった...
今月のおすすめの本 一年の締めくくりのお祭り 薬師寺の双塔の話も記載あります。 今月のお休み予定 12月 6日(月)7日(火) 13日(月)14日(火) 19日(月)20日(月)21日(火) 27日(月)28日(火) 年末年始のお休み予定 12月30日...
提灯のローソクをとる狸 小家このあたりも、こんな広い道はなかったんや。明治二二年の大水害まではここらは、紙素やお茶をやってくらしていた。 そのころ、この向うからあっちゃらへ越す道あんのやそこを提灯明して通るのに、どがにしてもローソクとられたんやの、いつも取られて知っとる人や...
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滝の主 昔の年寄りがよう言ううておった。 「グチナワが大蛇となり龍になるには、山で一千年、川で一千年、そして海で一千年、つごう三千年もの間、きびしい修行を積まにゃあならん、そして、三千年の修行を終えたら大蛇となって天に舞い昇り、そこで龍となって、ふたたびこの地上に舞い下り、...
はくらんさん 昔、野広瀬に小さな谷があっての。 その谷には、丸木橋がかかっておった。 村の人が川津へ用に出るには、どうしてもその谷を渡らなあ行けなんだのじゃ。 ところが、この谷を子供を産んで日数の少ない女が通ると、必ず病気になるなど良くないことがおこったそうじゃ。 そんなこ...
おならのうた むかし、木こりのじいさんがおった。 ある日、いつものように奥山に入って木をこっておった。 すると、高い梢のほうから、きれいな小鳥のうたが聞こえてくるのじゃ。 「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」 「こがねさらさら、ヒョッカラ、ヒョンヒンヨー。」 じ...
飛ぶお椀 これは果無にあった話じゃ 果無に果無谷ちゅう谷があって、そこに果無滝があるのを知っとるか。あんまり大きい滝じゃないけんどのう。 むかしむかしのことじゃった。いつの頃から月一回、昼すぎくらいになると、この滝からお椀が飛んでくるんじゃ。「ウウーン という音をかすかにた...
高森重蔵 何でも明治維新前の人らしい。その人は高森重藏と呼ばれていたが、その出生地も本名もわからない。何か都合があってかくしていたものらしく、高森(地名)の巽屋(屋号)に住まわせてもらっていた。木挽き(木材を大鋸で切ること)が本職だったらしいが、動作に隙がなく剣術のたしなみ...
国宝院義廣 椎平(しいだいら)の小高い丘に、国宝院様とよばれている小さなお墓がある。 墓の両側には、大きなサルスベリの木が植わっており、夏ともなれば桃色の花がさきほこり、あたりをいっそう明るくしているのである。 椎平に向かう道 外部資料 今から二百五十年も昔のこと、重里に一...
ガマ主と八人の杣師 外部資料 紀和 現在三重県南牟婁郡にあった町 現在熊野市と合併 杣師・・・木を切り倒したり造材したりする職業の人 昔、紀和(三重県)に八人の仲の良い杣師の兄弟がいた。この兄弟が大野片川(おおのかたこう)の山奥にある中八人山へ仕事に行ったときの話なん...
大池のご前若の宮 十津川 上野地のお話です 日本有数のつり橋で有名です。 今から二百年ほど前のことである。 上野地の川向い、なかしまというところは、そのころ人家も多く、豊かな田畑が広がっていた。ところがいつの頃からか、何者かによって作物が荒らされ収穫も少なくなった。 なかし...
桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
京都三十三間堂の棟木 外部資料 桑畑に柳本というところがある。そこには、古い柳の木があったが、道路が広げられたとき切られ、今では柳本という地名があったことさえ、知る人は少ない。 むかしむかし、この山奥の柳本へ都から役人と大勢に人夫がやってきた。当時、この柳本には、天にも届く...
熊谷の矢の子 昔、昔、内原奥里の平山のみこどりというところで、巫女さんが、石くど立てて湯を湧かし、矢を清め、熊谷の方角めがけてヒョイと力いっぱい射たそうな。 矢は、そのまんま一里(約4キロ)もあろうかと思われる、あの熊谷の丘まで飛んだ。 そして、熊谷の丘の地面にプスッーと、...
氏神様を怒らせた男 外部資料 十津川村は山林に囲まれています。その中で 内原(ないはら)は珍しく水田が広がっています。 ずいっと昔から、ここ内原の在所では、年に一度の氏神様のお祭りの日に、在所の衆ひとりのこらず社の森に集まってにぎわあうことにしておった。 今年も、みなの衆、...
お大師さまと上湯川 高野山は弘法大師さまが開いたことで名高い山じゃ。 その大師さまが、高野山を開くまでに、全国各地を修行して歩いたのじゃ。そのおり、この上湯川へも立寄られたらしいのじゃ。とくに、大師さまは、人びとが修行するのにふさわしい道場をどこで開くかと、各地を旅して探し...
蛇の窪 昔、昔、上湯川の梅外垣内の谷奥に三本杉があった。その近くに 蛇の窪 今にも何かでてきそうな古い大きな気味の悪い池があったそうな。 ある日、子どもを連れた女子(おなご)が、その池の傍らで子供を遊ばせて置いて、 「今日もわらびの根掘ってわらび餅でも作ってたべようか。」...
東野の角左衛門 の力 実在の人物です。 昔 東野に角衛門という、たいそう、力の強い男がおった。 ある時、この男が田戸へ来ると、米屋の主人が、冗談に「この米俵三俵(百八十kg)もって歩くこと出来たら、ただでやろうぞ」といえば、角左衛門は本気になってしまった。田戸から東野とい...
音無川と十一面観音菩薩 十津川に沼田原という村がある。現在限界集落に近く 山奥にある村のお話です。 外部資料 沼田原から、焼く一里さかのぼったところに大谷がある。そこには、30メールの高さの大きな滝がある。 外部資料 むかし、むかし、この滝のずっと奥で、一人の仏師が、一心に...
玉置山の狼 玉置山は 吉野十津川村にあって 奈良県に属しますが 熊野灘が望めます。 祖父は、嘉永6年生まれで昭和14年にこの世をさりました。家が材木商だったので、15歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたしうだ。 当時の街道は、折山から玉置山を越え、九重...
雨乞いのこと お話の中に 前鬼 が出てきます。修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼 前鬼は夫で 後鬼が妻 と言われています。 彼ら鬼達は、大峰山脈の麓に住んで、修験者の先達をしていた 1300年前位 真夏に、全く雨が降らない時がある。そいうい時には、畑の作物...
奈良県の南 和歌山と接して熊野古道小辺路がある。 山林に覆われた村です。 狸 昔、高津(たこつ)の下の丸瀬下(まるぜした)でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。...
難題聟(ムコ) むかし、あるところへ、きれいな娘の巡礼がきよった。ところがな、ある若い男が、その娘を見初めやってな、 「あんたは、どこの国の方でっか。」 ちゅうて聞かってんが。 ところが、娘さんはそれに答えんで、 「恋しくは、たずねてごんせ 十八の国 夏吹く風...
今月のお勧めの本 ならら4月号です 毎月お勧めしています。 今月のなららは 大神神社 です 日本最古の神社といわれています。 自然物崇拝した古代の人々の心のよりどころ としての姿がしのばれる神社です。 卯年 繁栄となる年と言われている 卯年それが今年です また なでうさぎ ...
大神神社の鎮花祭り 外部資料 外部資料 由緒の深い鎮花祭りは毎年4月18日午前10時から大神神社の本社でおごそかに執行され、つづいて午前11時から摂社狭井神社でも行われる。この祭りの起こり崇神天皇の御時に疫病が流行したので、御祭神大物主神の御告げによって、その神の子孫、大直...
大和郡山市のお城祭り 3月24日~4月7日 郡山城は近世郡山のシンボルであった。 外部資料 天正8年(1580)筒井順慶の大和統一が成り、雁行型になっていた中殿、薬園殿、辰巳殿の三つを併合して、郡山城が築かれた。筒井氏の後豊臣秀長が百万石の大守として入ってきてからは、大きな...
#薬師寺花会式 3月30日~4月5日 外部資料 外部資料 外部資料 3月30日から4月5日にかけて本尊薬師如来に国家の安泰と五穀豊穣・万民豊楽を祈る法要が行われる。古くは2月に行われていた行事で修二会と呼ばれていたが、堀河天皇の嘉永2年(1107)皇后が病気にかかられたので...
#興福寺の文殊会 外部資料 外部資料 外部資料 興福寺は藤原氏の氏寺として、藤原不比等(ふひと)が厩坂(うまやさか)にあった」厩坂寺を平城の地に移した寺である。藤原氏が隆昌におもむくにつれ、この寺も盛大になり、寺領も全国に及び、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶も三千の多数にのぼった...
#般若寺の文殊菩薩 外部資料 外部資料 奈良市般若寺町 般若寺も文殊菩像を寺として文殊会が行われている。 寺は飛鳥時代の創建さしく、聖武天皇の頃に般若寺千坊とよばれる大寺があったが、治承4年(1180)の平重衡(しげひら)に焼かれてのち荒廃し、文永5年(1268)西大寺叡尊...
#文殊院 桜井市安倍文殊院 3月25日 26日 外部資料 外部資料 外部資料 桜井市、安倍文殊院の文殊菩薩は、丹後の切戸・奥州の永井とともに日本三大文殊の一つとして全国に知られ、会社は陽春三月二十五、六両日にわたって行われる。 獅子背上に座し、右手に降魔(ごうま)の利剣を左...
#法隆寺会式 3月22日~24日 外部資料 た堂 外部資料 この会式は聖徳太子の霊おまつりご聖徳を追慕奉さんする法要で、寺では聖霊会と称し、一般には法隆寺会式と呼んでいる。 この会式の起源については詳かではないが「古記」によると夢殿を再建した行信僧都が聖武天皇の勅許を得て2...
#春日大社の御田植祭 3月15日 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 この祭りは、五穀豊穣を祈願する祭典で、御田植祭と御田植神事からなっている。 「社記」によると「二条天皇の御代の長寛元年(1163)正月の申の日にはじめておこなわれた」とある。祭典の方法につい...
お勧めの本 明治維新の先駆けとなった 「天誅組」についてです。 時代の変わり目の若き志士たちです 「大河ドラマ」とか歴史ドラマになって全国に知られて欲しいと考えています。 今月のお休み予定 6日(月)7日(火) 13日(月)14日(火) 19日(日)20日(月)21日(火)...
#桜井市の八講祭 外部資料 外部資料 桜井市多武峯付近、談山神社を心のふる里とする生田(おいだ)浅古(あさご)下(しも)倉橋 下居(おりい)多武峯(八井内、百市、飯盛塚、鹿路、針道 多武峯、西口)横柿 今井谷の八か所では八講祭が行われている。昔は北音羽(きたおとわ)もふくま...
#東大寺 二月堂お水取 外部資料 松明を待つ人々 外部資料 松明を眺める人々 大松明とお水取り 3月1日から14日にわたり二月堂で行われている修二会のなかで一般に親しまれているのは12日の大松明とお水取りであろう。当日は全国から多くの人が来られる。 大松明 当日練行衆が初夜...
東大寺 二月堂 お水取り 外部資料 若狭井 松明の竹 修二会 3月1日からいよいよ本行がはじまる。1日は特に午前2時から食堂で行事の戒律を守るために授戒作法があり、その後、二月堂にあがって堂内を荘厳し、火打ち石で浄火をおこし、宝前の常灯に火を点ずる一徳火の作法がある。 本行...
東大寺 二月堂お水取り お水取の行法に参加する練行衆は十二月十六日、開山堂での法要の前に発表される。決定後はいかなる事があっても変更されないことになっている。練行衆にえらばれた僧は、二月二十日から戒壇院の庫裏を別火坊とし、ここに練行衆は入る。別火というのはここで使用する風呂...
東大寺 二月堂修二会 2月20日から28日 別火 3月1日から⒕日 本行 外部資料 外部資料法要 別火 この行法は東大寺の二月堂の本尊十一面観音に東大寺の僧侶(練行衆)がおのが犯した罪・けがれを懺悔して、国家の安泰と人々の豊楽を祈る法要で、東大寺の憎実...
松尾寺の厄除 外部資料 外部資料 松尾寺は、天平の昔、元正天皇の勅願により開創されtらこさつで、大和盆地一望に見おろす松尾山の中腹にある。元正天皇が「日本書紀」の編纂を舎人親王に命じられたとき、親王は四十二の大厄であったので、松尾山に籠り大業成就を祈願された。養老2年(71...
長谷寺のだだ押し 外部資 西国霊場長谷寺の追儺会を俗に「だだおし法要」といい、二月十四日(以前は旧正の十四日)の午前二時から勤修される。 まず悔過導師以下職衆が上堂し十一面観音悔過法要を行う。次いで大導師が御胎内仏および如意宝珠、・閻浮提金(えんぶだこん)の宝印などを納めた...
江包・大西のお綱祭り 雄綱と雌綱の入船の式、これを俗に「お綱の嫁入り」といわれている。 外部資料 外部資料お この綱掛け神事は江包と大西の二大村人によって二月十一日江包の素盞鳴神社の境内で厳かに執行される。日本古式の姿を今に伝える猟奇的な原紙神事である。大西の市杵島神社ぼ末...
#神社の砂掛け祭り 外部資料 廣瀬神社は崇神天皇のころの創建と伝え、祭神は和加宇加乃売命である。竜田神社は風の神とし、廣瀬神社は水の神として、尊信されて来た大和の古社である。鎮座の地河合町川合は大和川が合流する地点であり、本社はこの地方即ち廣瀬郷社であり、明治になってから官...