周囲の状況が変わってきましたので、ブログの更新をやめることにしました。母と楽しく過ごすことを優先します。もともと書くことが苦手です。これまで小銭目的(アフィリエイト)でブログをやっていました。でも、キラいなことは長続きしませんね。読んでくだ
62歳おひとりさま。ずっと独身の下流老人。90歳の母(要介護4)を在宅介護しています。2019年(57歳)からピアノを再開。
30~40代は、山登りにハマッていました。ふらっと放浪も好き。 車中泊で「北海道80日間放浪」も。
母の手紙がきっかけで、意外な展開に!│ついに「要介護4」と認定されたクセに
今日、新しい介護保険症が届きましてな。「要介護4」になっていて、思わずのけぞったよ。えーっ?! こないだまで「要介護2」だったのに!一挙に2段階も重くなるなんてっ?!お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
母が、A病院で胃ろう造設するからといって、私は痛くもカユくもない。ふふ、でも落ち着かな~い。いったんK総合病院を、朝9時ごろに退院して、そのまま私のクルマで、A病院に入院するだけ。けどな、いろいろくわしいことが、わかんねーのよ。お手数ですが
もろもろの日程が決まって、ホッとした。そして、母の体調が、思いのほか良くなっていてなによりだ。鼻チューブ(経鼻胃管)による栄養は、もうじき1ヵ月になる。母本人は、ずっとチューブを鼻から入れっぱなしで苦痛だったはず。お手数ですが、どれかをポチ
昨日、母に面会して、その回復ぶりにとても安心した。なにもしなかったら、去年の暮れには「あの世」に行っていたはず。ところが、そんなモン、まったく露ほども想像できないほど、シャンとしていた。いやあ、人工栄養ってスゴいねえ。 (adsby
病院へは、毎日手紙を届けに行っているものの、今日は向かうのに気が重かった。というのも、2週間前に面会したときは、かなりやつれていたからだ。ほんとは「年を越すまえに『お迎え』」と宣言されていた母。とうとう本格的に延命治療として、いまは「鼻チュ
お母さまが「終末期」だというのに、こんな関係ないことしている私
そういえば、明日が、母との面会日だ。2週間に1度、10分と決まっている。前回は、はれ? どうだったっけ?そうそう、12月28日だったから、お正月用のアレンジメントを持っていったんだ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。と
「ピアノでバッハ」と「在宅胃ろう管理」、どっちがむずかしい?
今朝、起きる直前に見た夢は、お母さまがお亡くなりになった夢だった。おいおい。目が覚めて、うげえっ!ってなったけど、べつに「虫の知らせ」とか、ぜんぜん。私はねえ、虫の知らせ系は、さっぱりダメなんよ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻
ピアノがマシになる練習方法いろいろ│まず「ナメクジ」になってみた
母が入院しているもんだから、どんどんダレてきた。いっしょだったころは、5時起床、6時朝食、12時昼食、17時半夕食、21時就寝、と、まるで軍隊のように規律正しい生活だった。それがだいぶん崩れてきましたのう。お手数ですが、どれかをポチして →
母から聞いたのだが、私は、小さいころから「ひとり遊び」が好きだったらしい。それは、赤ちゃんのころからだという。ベビーベッドで寝ていて、で、目が覚めたら、赤ん坊というのは、だいたい泣き出すらしい。ところが、私という赤ん坊は、目が覚めても、なん
昨日、A病院へ行ったとき、胃ろう造設の日が決まる、と思い込んでいた。でも、そうじゃなくて、胃ろうのくわしい説明だけだった。手術日が決まるのは、また後日。なので、やっぱり気分は落ち着かない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りくださ
A病院で仰天!│お医者さんによって、こんなに考えがちがうなんて?!
A病院、行って来た。【結論】胃の中がだいじょうぶだったら、胃ろうデキます。担当医の先生は、シロウトにもよくわかるように、かんたんなことばで、けれでも十分に説明してくださった。うえ~ん、なんかやっぱ、お医者さんによって、ぜんぜんちがうよっ!お
明日はいよいよ、A病院へ私だけが「診察」に行く。A病院が、母の胃ろう造設を引き受けてくれそうなので、まずは家族が行くことになっている。本人じゃないのに「診察」ってヘンだけど、まあ、そうらしい。あと、すでにK総合病院で入院継続中だから、明日の
毎日、病院へ手紙を届けに行っている。しかし、受付のヒトが事務的に受領するのみ。以前は、週2回ほど洗濯物を受け取ることもあった。だが、いまは、それもない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! 着替
今朝起きたら、まず、机の上に置いたままにしていた、母の手紙が目に入った。奇妙なことに、昨日ほど、つらい気もちが湧かない。これまでずっと、母は端正な字を書くヒトだった。なので、それが、こんなにも乱れているのが、昨日はやりきれない思いだった。お
私はあまり行事に関心がないので、正月らしいなにかをやったことがない。しかし、母はそうではなく、たいそうお正月をキチンと祝いたいタチ。だから、去年かなり早くに、ふたり分のおせち料理を予約していた。それも、母が入院した時点で、キャンセル済み。お
なんだか、なにもしたくない。ああ、うん、大晦日なんだよね、今日は。母が入院してから、起床時刻がだんだん遅くなって、今日は7時だったかな。やるべきことは、まず母への手紙。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みにな
私はいま、とても困っている│母に「まだ生きて欲しい」というわがまま
私は、とまどっている。これほど落ち着かないのは、はじめてのことだ。母が、生死の境目にいることに、とまどっているのだ。けれども、まだまだ生きて欲しい。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! そして、
母も私も「95歳まで生きて当たり前」と激しくカン違いしていた理由
たいていのヒトがそうだと思うけど、まあ、自分がじっさいに見聞きする範囲で、いろいろ判断する。母にとっては、3年間暮らしたサ高住が、いちばんなじみのある高齢者の世界だ。もちろん、入所者の年齢は、だれもが気にするところ。なので、1階のデイサービ
2週間ぶりの面会│ほんとは年末までだった命を「延命」したら、こうなってた90歳
今日は、ようやく面会日。まだまだ面会制限がきびしく、2週間に一度、10分だけの面会だ。お花屋さんに寄って、昨日頼んでおいたアレンジメントを購入。お正月用のしつらえで。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
夕方、いつものように、病院へ手紙を届けに行った。12月7日以降、私は毎日病院へ行き、手紙を渡し、たまに洗濯物の交換をしている。すると今日は、受付のヒトが、「本人さんから預かっているモノがあります」と言う。お手数ですが、どれかをポチして →
え?結局、なんもせえへんのっ?!│主治医のケッタイな説明│その9(最終回)
主治医先生「なかなか直接胃ろう希望となると、ここではちょっと、もう太刀打ちできないかなと思うので」私「はい」「ご希望に沿えないようであれば、早めに撤退すべきかな、ということが言えると思います」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りく
「あんたら、フツウじゃない!」と呼ばわるお医者│主治医のケッタイな説明│その8
私「はい。あの、栄養の状態っていうのは、どんな感じですか?」主治医先生「えっとね、ちょっと待ってね」先生、検査票を探しておられる。「すいませんね」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! 先生「ええ
いまの病院で「胃ろう造設」がデキない理由│主治医のケッタイな説明│その7
主治医先生「はい。で、えっとー、ま、あ、本人さんがそこまで、そのう、自分の口で食べれなくても、生きたいっていう意思を言われてるっていうことであれば、ま、あのう、鼻からの管を入れて、そのうえで栄養管理っていうのをはじめていくっていうのを、して
意外なことに、ちょっと状況が明るくなってきた。いま入院しているK総合病院│地域連携室から、「もしかすると、おそらくA病院で、胃ろう造設をしてもらえる可能性が高い」と連絡があったのだ。そして、まず私が、来年1月5日に、A病院へ行くようにと指示
「してくれない」「してもらえない」と文句言うてるヒマあったら、てめえが勉強せえよっ?!
延命措置として「胃ろう造設」をやってくれる病院を探しているものの、……ないね、いまのところ。あちこちの病院、片っぱしから電話してみるも、電話じゃ、まったくラチあかない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みにな
さぁて、反撃開始! オラ、はよ延命せんかいっ?!│主治医のケッタイな説明│その6
主治医先生「えー、胃ろうにするメリットっていうのは、……なにだとお考えですか?なんでそんな胃ろう……」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! 私「あのう、母は……」先生「うん」「独特の死生観を持っ
いやあ、すいません。いま、母の転院先を検討中で、ま、胃ろう造設やってもらえるところを探して、あーだこーだやっている。「主治医のケッタイな説明」シリーズを完結させてから、その後の話を書こうと思っているけど。お手数ですが、どれかをポチして →
「はよ退院して、家で〇ね」一点張りのお医者との戦い?!│主治医のケッタイな説明│その5
私「できれば、胃ろうのほうが、あの……必要な栄養素っていうのは摂れるので……、そっから、ま、母自身の考えではないですけれどもね、あのう、ただ、このまま栄養がぜんぜん摂れない状態がつづいているのは……ちょっと、シロウト考えですけど。ま、持ち込
「差し入れも食わへんかったら、とっとと退院しなはれ」?!│主治医のケッタイな説明│その4
主治医先生「そんなかで、徐々に食べる量減っていきますし、まあ、あの、97で死んだ私の祖父も、最後2年ぐらいは、食べる量が季節によってもぜんぜんバラつくし、夏ぜんぜん食べへんしとか、そういう季節性のものが、ヒトによってはあるし」私「う~ん」お
「あんたら、オカしい」ってお医者に言われてもなあ│主治医のケッタイな説明│その3
主治医先生「あるいは、肺炎とかで、いろんなリスクが高い急性期に胃管を入れて、そのあいだ経管栄養入れて、あのう、管から栄養入れるってヒト、いるんですよ」「はい」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!
「母の胃ろうは理論的ではない」と言われて│主治医のケッタイな説明│その2
さて、話はいよいよ本題に入る。主治医先生「いやま、むつかしいんですけど、むつかしいのが、鼻から管入れるっていう話、要は鼻から管入れて、栄養摂取するにしろ、胃に穴開けて摂取するにしろ、どちらにしても、そのう、食事が摂れないから、胃ろうを入れま
「家族の差し入れで治せ」と言われても│主治医のケッタイな説明│その1
電話を終えたS山先生は、私に、「どうぞおかけになってください」と丸イスを勧めてくれた。先生「あのう、入院後の経過ですね。まずは、ちょっとお話させていただきます」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!
母に「どこまで延命治療受けたいの?」とズバッと尋ねる残酷な娘
今日は、ようやく正式に面会だった。ベッドに寝ていた母は、私を見るなり、泣き出した。そして、か細い声で、「お花、ありがとう」と言った。母の顔色は、それほど悪くなかった。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
母が入院したので、ひとりで生活しているとダレる。寝るのが午後8時半だったのが、1時間ズレて、9時半。うわっ、ヤバいヤバいと毎晩アセりながら、寝るしたくする。けどな。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになりま
医者ってスゴいなと思った。だって、自分のさじ加減ひとつで、患者の生死を決定できるんだもん。そりゃまあ、たとえばタクシー運転手に対しても、命を託している面はある。けどな。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みにな
午前9時17分、K総合病院から着信。出ると、まず師長さんで、「S山先生と代わります」すぐに、主治医のS山先生が、ズラズラ~ッと話しはじめた。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! 「食事が安定して
「老いる自分」とどう向き合うか?│瀬戸際にいる母が教えてくれること
K総合病院に、「事前指示書(リビング・ウィル)」を提出したものの、私にはなにも連絡がない。母の状況は、いまもまだ口からほとんど食べられない状態がつづいている。処置は、先日私が見るかぎりでは、末梢点滴と酸素吸入だけのようだ。私はシロウトだから
病院の対応に、私は非常にハラを立てていた。でも、ケンカしちゃったら、相手も硬化するだろうし、まあいちおう怒りは抑えたつもり。これまで、あちこちのクリニックに行ったが、懇切丁寧なところって、あんまりない。お手数ですが、どれかをポチして → ま
90歳だったら病院でこんなエゲつない扱いをされて当たり前かよっ?!
入院している母の状態は、まったくわからない。病院「家族は、電話をかけてこないでください」という。てなことに、私はイラだっていた。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! だが、ネットを見ていると、「
今年5月はじめに、サ高住にいた母に、私が電話をして以来、バタバタバタ~ッと走りづくめだったかね。当時母は、そこのサ高住に住んで3年たっていた。しかし、法外な追加料金を請求されたり、スタッフさんにいじめられたり、食事が非常にマズかったり、デメ
どうも落ち着かない。で、いろいろ考えてしまう。べつにね、母の治療について、私が悩む必要はないんだが。治療するのはお医者さんだから、そう、家族は鼻唄でも歌ってたらいいんだが。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励み
母が入院したのは、11月30日の朝だ。そして、昼前に15分だけ面会できた。本来、11月末までは、面会は月1回のみ、時間は10分という決まり。それを大目に15分まで延ばしてもらえたが、やっぱり短いのう。お手数ですが、どれかをポチして → また
「胃に穴あけますか?」は、わりとお気軽な質問だとわかったいきさつ
母が救急搬送されたのち、主治医の先生から、私に対して、「胃ろうなどの延命治療は、どうしますか?」と尋ねられて、超ビビッた。90歳ともなれば、そういうことも、常日ごろから考えておくものだろう。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りくだ
母の入院は、まったく予想していなかったので、かなりとまどっている。まだサ高住に入所していたころ、母は私に毎日電話をかけてきて、2~3時間話していた。そりゃもう、私はヘトヘトだったが、母ちゃん、「3時間なんてまだ足りない。ぜんぜん疲れないよ」
「推定される入院期間」がわかってドギモを抜かれる│救急搬送された母│その3(最終回)
さて、入院当日であっても、家族が本人のそばに居られるのは、15分。あ、11月中はまだ「10分が規則」なのに、5分オマケしてくれた。でも、15分はあっという間。母に「2週間後にまた来るからね」と手を振って、病室をあとにする。お手数ですが、どれ
S山先生から、延命治療について、「じゃあ、心臓マッサージとかは、どうしますか?」とも尋ねられて、またまた仰天する。あのさあ、そんなの、テキパキすぐ返事できる家族も、そんなにおらんでしょ?お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください
えっ?! もうそんなエグい質問をされるのっ?!│救急搬送された母│その1
昨夜9時に寝たが、12時半に目が覚めてトイレに行ったら、母の部屋から灯りがもれている。どうしたのか開けてみたら、「照明のリモコンを落としてしまって拾えず、明るいので眠れない」とのこと。眠剤半錠を飲んでもらい、灯りを消して、私もふたたび寝たが
どうして食べたくないのか? ナゾの病気に苦しむ母を運んでくれるのは〇〇〇│すいませんと謝りたい私
母が、いっそう食べなくなってしまった。先日、ウチから近い、内科クリニックを受診した。そのときの血液検査の結果がすべて出たので、午前中、私だけが訊きに行った。先生は、いたってふつうに、ていねいに説明してくださった。お手数ですが、どれかをポチし
母の食欲がめっきり落ちてから、12日間が過ぎた。しばらくは、室内を移動するのに、シルバーカーを使うのもムリだった。そのときは、キャスター付きのイスを、私が押して、トイレや洗面所へ連れて行った。ただ、一日だけ、母が「自分でトイレに行きたい」と
自分が「相手を支配するために話していた」と気づいた意外なきっかけ
自分が思ったことを、そのまま野放図に、相手にしゃべるって、ものすごく無神経なことだ。とくに、家族に対して、ね。「家族になら、なにを言ってもいい。なに言っても許される」という、それこそ「甘え」が、自分にあったと痛感している。今年7月より母と同
母が、食欲不振で食べられないのを、内科のお医者さんに、「それは甘えや。わがままや」と言われたことは、いろいろ考えさせられた。母のこと、全般を見てみたら、まあ、たしかにそういう面は、一部あるかもしれない。じつは、「わがまま」というコトバに、私
母の食は、ますます細くなってきた。おとつい│朝食:パン(小) 昼食:プリン(小) 夕食:ゼリー飲料1個昨日│朝食:ゼリー飲料1個 昼食:ゼリー飲料1個いくらなんでも、これでは少なすぎる。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください
トイレ介助をどこまでするのか?│決定権は意外な人物がにぎっていた!
ちょうど一週間まえから、「母がデキなくなったコト」が、やや増えた。いずれも「足腰のおとろえ」によって、デキないコトが増える傾向だ。間近で母を見ていると、「ヒトの生活とは、手を使わずに、二足歩行がデキてこそ、スムーズに営める」のだと、しみじみ
「飛蚊症」になった。2023年10月9日、急に右目に、黒い糸クズみたいなモノが、ヒョロヒョロ見えた。まあ、数本ていどかね。数十本も見えるわけじゃない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! けど、
よろしくない介護の見本│そもそも私の態度がまちがっていたと気づく
このところ母は、めっきり口数が少なくなった。思い返すと、数日前に内科クリニックで、「慢性腎臓病」と伝えられた直後から、無言状態がつづいた。さて、どうしたものか?私はとりあえず、検査結果の用紙などを、母に渡さず、自分で保管していた。お手数です
急に寒くなってきたので、母の寒さ対策に追われている。母は服やバッグが大好き。むかしから非常にたくさん持っていて、それを収納するために、チェスト類の数も多い。けれども、服の大半は外出着だ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください
「サ高住 → 在宅介護」になって、母がいっそう不幸になった理由
サ高住に入所していた母を、在宅介護にしたのは、どうしてなのか?それは、私自身が深く反省したからだ。これまで母を粗略にあつかっていたのを、とても後悔した。せめて、いまからでも、母に少しでもしあわせになって欲しい。お手数ですが、どれかをポチして
今朝、母から、呼び出しベルの音が鳴ったのは、午前5時34分だった。母は、目覚まし時計をかけない。長年の習慣で、しぜんに午前5時に目が覚めるらしい。しかし、私と同居してからは、5時ちょうどに起きることはあまりなかった。お手数ですが、どれかをポ
それでなくても、母は9月から食欲がない。さかのぼると、去年春ぐらいから、ずーっと食が細いらしい。ちょうど背骨の圧迫骨折で、3ヵ月寝たきりになったのち、味覚も変わり、食べられないモノが急に増えたという。89歳にもなって骨折すると、ヒドいダメー
今日は、母の内科クリニック受診。で、この内科クリニックは、これでもう最後。母は、サ高住に入所するまえから、このクリニックに通っていた。だから、もう5年ほどお世話になっているかね。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とって
現在、母の体調が思わしくない。いまから4ヵ月前、7月10日に、母はサ高住から賃貸マンションに引っ越した。暑い時期にもかかわらず、7月も8月も食欲はじゅうぶんあった。サ高住にいたのは3年間。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りくださ
母と同居してから、自分の時間は大幅に減ったが、メリットもちゃんとある。「老い」について、ナマの情報を得られるのも、そのメリットのひとつ。母はむかしから、見た目にずいぶん気を使っていた。70代のころは「杖をつくなんて、恥ずかしくてとんでもない
いまから4年半前、ピアノのレッスンを再開したら、ぜんぜん運動しなくなった。とりあえず空き時間は、ピアノの練習にブチ込んでしまったので、もう運動する気が失せた。だが、ピアノのほうは、マンション管理会社から騒音苦情をもらってしまい、いったん中断
母の転倒は、9月に1回、10月に1回。そして、今月11月は、もうすでに2回だ。母は「もうコロばないように、ぜったい気をつける」と言っているが、いやあ、気をつけてなんとかなるモンじゃないような。骨折が怖いんだよねえ。お手数ですが、どれかをポチ
母の転倒回数が、増えてきた。ご本人いわく、「去年は、サ高住で1回しかコロんでいない。こっちに引っ越してきてからオカしい」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! もともと、母は現マンションを気に入っ
今朝、またしても母がコロんだ。前回は、トイレに行く直前。今回は、トイレから出て、部屋に入った直後に転倒。「ドシン」と鈍い音につづいて、「ガシャン」とシルバーカーが倒れる音がした。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とって
放置にもめげず、たくましかった90歳│母3度目の転倒│その3(最終回)
母の部屋へ入って、びっくり仰天!なんと母が、ベッドの上で、斜め仰向けになり、かろうじて上半身を乗り上げている。だが、腰から下はベッドに上がりきれず、足をやわやわバタつかせている状態。うげえっ、まるで殺虫剤ブッかけたあとのゴキブリみてえだっ!
とある事情により、コロんだ母を放置してたらこうなった│母3度目の転倒│その2
あきらかに母が倒れた音がしたので、あわててそばに駆けつける。母は、トイレの前で座り込んでいた。まだ、よかった!前回、前々回とおなじく、尻モチをつく状態での転倒だった。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
ヤブ医者に呪いをかけたらこうなった?!│母3度目の転倒│その1
今日は、母のインフルエンザ予防接種。先月13日は、コロナワクチン予防接種だった。私はまったく知らなかったが、高齢者はコロナワクチン、めっちゃぎょーさんヤるんですな。こないだのヤツを入れると、合計7回も打ってやがんの。お手数ですが、どれかをポ
母と同居して4ヵ月たった。生活パターンは母に合わせたが、コレは自分にとっても快適。朝5:00起床、6:00朝食、10:30買い物、12:00昼食、17:30夕食、20:30就寝。この時刻を厳守して、毎日粛々と生活を営むのが、心地よく感じる。
自分が「ほんとにヤりたいこと」に気づいたら、もうワナに引っかからない
かつて私は、「母の支配下」にあった。子どものころから、ずっと母が怖かった。いまあらためて、母からどんなコトをされたのか、わざわざあげつらおうとは思わない。ただ、いつもビクビクして、母のキゲンをうかがわないといけない状態だった。お手数ですが、
私が「どっぷり熱中したいのはアレ」なのに、そうもデキない事情
私は、これまでの人生で「寂しさ」を直接感じたことはなかった。なので、ひとり暮らしが気楽で、自分に合っていると、そう思い込んでいた。実家を出てから28年間、そのほとんどがひとりだった。その間、とくに夢中になっていたのは山登り。お手数ですが、ど
「介護で長時間外出ができない」って、ホントは「私にとって大きなメリット」の理由
母は、すでに部分入れ歯が2ヵ所。1ヵ所は、いいデキの入れ歯で、丸一日はめていてもだいじょうぶ。もうひとつは、ずっとはめていると歯ぐきが痛くなる。なので、硬いモノとか噛むときだけ、しかたなくはめてしのぐ。お手数ですが、どれかをポチして → ま
母の「こういうところ」がゲンナリ、イヤなばあさんだと思っていたのに、じつは?!
このところ、母の話題が、やや変化してきた。以前は「むかしの苦労話」が圧倒的に多かった。とくに、幼少期から二十代にかけて苦労した話を、綿々と繰り返していたものだ。また、お姑さん、小姑、夫(私の父だね)に対する恨みつらみも激しく、ほぼ毎日、エン
骨密度を増やすために「いますぐデキる」のはコレだけ│骨粗しょう症と向き合う
私が、自分の骨密度に強く関心を持ったのは、約1年前。きっかけは、スーパーでやっていた骨密度無料測定だ。2022年10月19日、たまたま呼び止められて、ふと測ってもらう気になった。それまでは、骨密度に対してほとんど興味なし。お手数ですが、どれ
今日は、私の整形外科、2回目の通院。もうさ、90の母ちゃんは押しも押されぬ「超絶ババア」だし、私もババアの領域。そしたら、今月の通院回数がすさまじい。ふたり合わせて10回だよ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても
「介護してやっとるんや、文句あるか?!」と私がついエラそうになる理由
今朝、朝食の後片付けをしているとちゅう、母の部屋から「コトン」という音が聞こえた。あ、たぶん母がコップを倒したんだな。お茶をこぼしたんだろう。こういう場合、母はきっと、こぼしたお茶を「自分で」拭こうとするにちがいない。お手数ですが、どれかを
「母のしあわせ」について、あれこれ考えている。あ、だけど、ほんまは「自分のしあわせ」のほうが最優先でっせ。そいつは当たり前。じゃあ、なぜ「母のしあわせ」について、あるていど取り組んでいるか?お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りくだ
え? 母がいちばんしあわせになれるのは「アレ」だったなんて?!
「母が好きなこと」は、私ももちろんよく知っている。でもさ。「好きなこと」と「ヤりたいこと」は、じつはちがうかもしれないと気がついた。私はといえば、けっこう「ヤりたいこと」がワサワサある。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください
90年間「不幸のどん底」のヒトが「しあわせ」になるためには?
人間って、わざわざ生まれてきたからには、「ヤりたいこと」があるはず。すいません、私は、そう思い込んでいた。自分がヤりたいことはなんだろう、と高校生ぐらいから、あーだこーだ考えていた。わりと長いあいだ、「ソレは職業のはず」と、これまた思い込ん
「坊主刈り希望」61歳娘に対して、「禁止」を迫る90歳母との戦い
結局、「毛髪」というモノを、それこそ毛嫌いして生きてきて61年。あたしゃ「坊主刈り」が最高にラクチン!とわかっていた。でもさあ、パートの面接、受かんねーのよ。履歴書の写真も、ちゃんと「坊主写真」に変更して応募しても、ゲゲッ! 書類選考すら通
【閲覧非推奨】47歳のとき、スキンヘッドにしたしょーもない理由
「毛」がメンドくせー。アチコチの毛は、老化とともに、かなり抜け落ちてくれた。かつては誇りに思っていた猛々しいスネ毛も、いまは1本もなく、ツルツルだ。同様に、ワキの下もツルツル。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても
90歳の母と同居して、私は母のことをどう思っているか?いや、まあ、もちろん「お母さん」ではある。だから、いまの私があるのは、母のおかげ。私は、ひとりで居るときから、ずっとしあわせだったし、いまも充実感や躍動感を味わうことが多い。お手数ですが
子どものとき、両親の意向でピアノを習っていた。父はクラシック音楽が非常に好きで、しょっちゅうレコードをかけていた。母は歌が好きで、中学・高校は合唱部に入り、社会人コーラスもやっていたという、これまた音楽好き。ふたりともそうだったから、私は当
母と同居して3ヵ月半たった。90歳という高齢であり、ほとんど歩くのがおぼつかない状態の母。この「要介護2」というシロモノが、じっさいにどんなモノか?これについて、自分はまったく無知だったと思い知らされた。お手数ですが、どれかをポチして →
何十枚もある下着にしがみついて離れない90歳│2回目の「1000個捨てチャレンジ」累計23個
母は、むかしから洋服が大好きだった。服が好きだし、そのためのショッピングも大好き。それで生きてきて90年。だが、もう気が済んだというわけにもいかず、いまでも通販カタログを見ると、買いたくなってムズムズしている。お手数ですが、どれかをポチして
「古着を高額で売りたい」とダダをコネるばあちゃんを黙らせる対策│2回目の「1000個捨てチャレンジ」
2回目の「1000個捨てチャレンジ」が、放ったらかしになっている。なんと、前回捨てたのは8月29日。しかも、そのときの累計が、たったの18個。う~ん、母ちゃんのせいにしたらあかんけど、まあね、ひとりで捨てていたときと比べるとなあ。お手数です
「第二の生きがい」の前にあらわれた「意外なテスト」とは?│生きがいについて│その2
57歳の春、44年ぶりにピアノのレッスンを再開した。ユーチューブで見つけた先生は、じっさいの演奏のすばらしさはもちろんのこと、レッスンも手取り足取り、微に入り細をうがち、毎回目からウロコがボロボロ落ちまくる。当時私は、電子ピアノを持っていた
私の「生きがい」はもう見つかっていたはずなのに│生きがいについて│その1
私が実家を離れたのは、1995年、自分が33歳のときだ。もっと早くにウチを出たかったが、母が過干渉であり、子どもと癒着していたので、ひとり暮らしは実現しなかった。だが、1995年の阪神大震災で、自宅マンションが半壊。おかげで、私は合法的に?
結局、母の要望は「わがままで申し訳ないが、これから先ずっと、長時間の外出はしないでほしい」ということ。かろうじて許せるのは、私自身の通院や、役所関連の用事のみ。もちろん、毎日の買い出しはOKだ。けれども、ピアノのレッスンや、コンサートに行く
お母さまは「子どもは、長い間お外に遊びに行ったらいけません」とおっしゃいますが
母は、2000年からA市に住んでいる。そして、A市が大好きで、さらにそのA市のうちでもB区を、とくに偏愛している。で、A市B区に住むこと、すでに23年。その間、賃貸マンション1 → サ高住1 → 賃貸マンション2 → 賃貸マンション3 →
なぞなぞ│「サ高住だと9,000円、在宅だとタダ」ってなーんだ?
母は、持病がたくさんあっても、定期的な通院は、これまで内科クリニックのみ。それも4週間に1回で、病状もほぼ安定していた。しかし、サ高住に入所していたときは、たかだか4週に1回の通院でも、手間とおカネがかかってタイヘンだったという。そりゃま、
【非推奨】転倒して立ち上がれない高齢者をベッドに移動させるヤバい方法│母2度目の転倒│その2
私が母の部屋をのぞくと、母は窓際のイスの前で、ぺったり尻もちをついた状態で座り込んでいた。ありゃ、またコケちまったか!いっちゃん心配なのは骨折。私「どう? すんごく痛い? ホネ折れた感じする?」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻り
「すぐに来て!」と叫ぶ90のばあちゃん│母2度目の転倒│その1
母が転倒したとき、いったいどうするか?母も非常に用心しているものの、脚力はおとろえる一方だ。私と同居する前は、サ高住に入所しており、週3回デイサービスに通っていた。サ高住と同じ建物の1階にあるデイなので、往復の運動量はたいしたことないが、そ
母、90歳。さすがに90年も使うと、あちこちガタがくるようですな。なので、持病が「骨粗しょう症(腰椎圧迫骨折)、橋本病、糖尿病、下肢神経障害性疼痛、高血圧、高脂血症」とにぎやかで、あと腎臓も悪いらしい。お手数ですが、どれかをポチして → ま
「私が母を助けている」んじゃなくて「母が私を助けてくれている」という意外な事実
すっかり母中心の生活になっている。けれども、自分のことがおろそかになっているか?といえば、案外そうでもない。母は、いまもむかしも、規則正しい生活がスゴく得意だ。それに、ヤらないといけないことは、いち早くサッサと片付けてしまう。お手数ですが、
母の「足親指の巻き爪化膿」は、やや治りつつある。「しんどいから行きたくない」という母ちゃんをなだめすかして、皮膚科クリニックへもういちど連れ込み、クソ痛い治療をしてもらった。その甲斐あって、私が日々足を洗って、そのあと観察してみても、巻き爪
このところ、母の苦労話が「やや減ってくる」という現象が生じている。そもそも母は、生い立ちが不幸だ。母の実母(私の祖母)は、母が6歳のときに家出をしてしまい、戻ってくることはなかった。母は、継母1に育てられたが、いまで言う虐待を受けた。お手数
現在母は「要介護2」だ。「要介護度」というのは、次の順に重くなる。〔軽い〕要支援1 → 要支援2 → 要介護1 → 要介護2 → 要介護3 → 要介護4 → 要介護5〔重い〕ふうん、母ちゃん、ちょうど真ん中だね。お手数ですが、どれかをポチし
母の足親指の「巻き爪化膿」問題ですがね。毎日私が、風呂場で足全体も含めて、よく洗い、塗り薬を塗っている。ウチでやることといえば、たったこれだけなんだけど、あのさ、準備から後片付けまで45分もかかるんすよ。と、いきなり文句を垂れてみる。お手数
「ブログリーダー」を活用して、ゆるい春子さんをフォローしませんか?
周囲の状況が変わってきましたので、ブログの更新をやめることにしました。母と楽しく過ごすことを優先します。もともと書くことが苦手です。これまで小銭目的(アフィリエイト)でブログをやっていました。でも、キラいなことは長続きしませんね。読んでくだ
母ちゃん、たぶん認知症だなと思うことが、日々あらわれる。たとえば、夕食を取る時刻について。前々から、母は、「もっと早く寝て、もっと早く起きたい」と言っていた。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!
お母さまのお話が、たまにヘンになってきた。うむ、とうとう認知症がやってきたか、と感慨深い。ほぼ寝たきりだと、やっぱりこうなっちゃうのか、それとも、まあべつの要因なのか。原因はともかく、徐々にソレっぽくなってきたよ。お手数ですが、どれかをポチ
「いいヒトと思われたい」とがんばりつづけて90年。さすがの母も、限界のようだ。母は、継母に育てられたことが大きなコンプレックスだった。なので、とくに思春期以降は、他人から「継母育ちだから、やっぱりね」と思われるのを極端に恐れていた。お手数で
せっかく自宅トイレからポータブルトイレに変更したのに、介助の時間はほとんど変わらない。1回あたり36分で、1日5回行くから、1日合計3時間かかる。私も母も「まさかトイレにこんなに時間がかかるなんて!」とあきれている。寝たきりのお母さま、じつ
ポータブルトイレを使うことになったので、付属品の準備が忙しい。まず、すぐにも必要だったのは、受けバケツに敷いておくための吸収シート。以前にも書いたが、これは一般的な「専用処理袋」を使うと、安いモノでも1枚132円。毎日1枚でイケるが、1ヵ月
私にとっては、念願のポータブルトイレがやって来た。コレでバンザイ! トイレ介助の時間もきっと短くなる!などと密かによろこんでいたが、いやあ、それはあっさり裏切られた。今朝のトイレ介助の時間を計ったら、36分かかっていたのだ。お手数ですが、ど
あれほど長いあいだ抵抗していたポータブルトイレ。昨日からようやく使いはじめてくれて、やれやれホッとした。もう立ち上がるのもおぼつかないのに、自宅のふつうのトイレへ行きたがっていたので、ずーっとハラハラしていたのだ。とくに、まだシルバーカーで
日を追うごとに足が弱っていく母。それでも本人は「絶対ふつうのトイレを使う!ポータブルトイレはイヤッ!」と断固拒否していた。2月末退院してから、しばらくのうちは、シルバーカーでトイレを往復していた。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻
父と母の「老いの転落」を見ているおかげで、自分のこれからも真剣に、かつ具体的に考えられる。母と話をしていると、母自身は、「まさか、こんなにいろいろデキなくなるとは思わなかった」となげいている。そうだろうね。身近に「どんどん衰える高齢者」がい
とうとう本格的に「寝たきり前期」?に入ったと思われる母。いや、寝たきりに前期も後期もないんだけど、たぶんいまは「初期段階」かな? と私が勝手に考えている。そして、これから先はおそらく、ふたたび「起きて座る生活」に戻ることはないだろう。かわい
いまの母の悩みは「眠くてしょうがない」ということ。母「毎日眠くて眠くて。ちゃんと起きていたいのに、いつの間にか寝ちゃうの」私「眠かったら寝てたらええやん?」お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!
退院してから、2ヵ月少し経過したが、母上、ほぼ寝たきりなので、どんどん「ぐんにゃり」してきた。起きるのは、トイレのときのみ。それ以外ずーっと寝ているから、そりゃま、全身の筋肉が衰えてきますわな。ベッドとトイレの移動は、キャスター付きイスで、
とうとう「腰痛」がやってきた。腰痛って介護にツキモノだとは、ずっとまえから聞いていた。けどさ、もともと私はめったに腰が痛くならない。62年間生きてきて、腰痛なんて数回かな? それもごく軽くてすぐに治った。お手数ですが、どれかをポチして →
母とむかし話をしているのは楽しい。両親とも、ふるさとがないので、私にもふるさとめいたモノはない。父方の祖父は、小学校卒業後、紡績工場の工員になったので、工場の長屋社宅に住んでいた。母方の祖父は、アヤしい営業屋で各地を転々としていた。お手数で
母の性格って、じつはそもそも「非常に暗い」。複雑な生い立ちだったので、そうなってしまったのもムリないか。けれども、他人からは「明るくて楽しいヒト」と見られたいので、母は他人に対して名演技をむちゃくそがんばる。だけど、ソレって自分をいつわって
「ほんとはテレビを見たい」と言う母。ソレも何回か聞いているので、「じゃあ、ベッドで寝ながら見られるように、テレビの位置を変えようか?」と提案しても、「ううん、そうじゃなくて、テレビのまえのイスに座って、ちゃんとして見たいの」お手数ですが、ど
「病院では、自分で歩いてトイレに行けていたのに」としょっちゅうお嘆きのお母さま。このヒト、リハビリが大嫌いなので、「リハビリ関連の回路」が働かないんですよ。以前からしばしば「病院では歩けていたのに、ウチに帰ったら、あんなに近いトイレへ行けな
今朝、母の朝イチのトイレは、合計で51分かかってしまった。いつもは20~30分で、ぜんぶの作業が終わるんだけどね。日に日に足の衰えが進んできて、立ち座りがむずかしくなってくる。まずベッドに座るだけで一苦労。お手数ですが、どれかをポチして →
あまりにも身体を動かさなくてエラいことになってきた。専業介護のせいか要介護4のせいか、それとも単にオノレがグズだからか、どうにも時間がなくてね。去年7月から母と同居して以来、外を自分の足で歩いたことがほぼ無し。ウチのなかでは、しょっちゅうバ
今日、新しい介護保険症が届きましてな。「要介護4」になっていて、思わずのけぞったよ。えーっ?! こないだまで「要介護2」だったのに!一挙に2段階も重くなるなんてっ?!お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
母が、A病院で胃ろう造設するからといって、私は痛くもカユくもない。ふふ、でも落ち着かな~い。いったんK総合病院を、朝9時ごろに退院して、そのまま私のクルマで、A病院に入院するだけ。けどな、いろいろくわしいことが、わかんねーのよ。お手数ですが
もろもろの日程が決まって、ホッとした。そして、母の体調が、思いのほか良くなっていてなによりだ。鼻チューブ(経鼻胃管)による栄養は、もうじき1ヵ月になる。母本人は、ずっとチューブを鼻から入れっぱなしで苦痛だったはず。お手数ですが、どれかをポチ
昨日、母に面会して、その回復ぶりにとても安心した。なにもしなかったら、去年の暮れには「あの世」に行っていたはず。ところが、そんなモン、まったく露ほども想像できないほど、シャンとしていた。いやあ、人工栄養ってスゴいねえ。 (adsby
病院へは、毎日手紙を届けに行っているものの、今日は向かうのに気が重かった。というのも、2週間前に面会したときは、かなりやつれていたからだ。ほんとは「年を越すまえに『お迎え』」と宣言されていた母。とうとう本格的に延命治療として、いまは「鼻チュ
そういえば、明日が、母との面会日だ。2週間に1度、10分と決まっている。前回は、はれ? どうだったっけ?そうそう、12月28日だったから、お正月用のアレンジメントを持っていったんだ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。と
今朝、起きる直前に見た夢は、お母さまがお亡くなりになった夢だった。おいおい。目が覚めて、うげえっ!ってなったけど、べつに「虫の知らせ」とか、ぜんぜん。私はねえ、虫の知らせ系は、さっぱりダメなんよ。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻
母が入院しているもんだから、どんどんダレてきた。いっしょだったころは、5時起床、6時朝食、12時昼食、17時半夕食、21時就寝、と、まるで軍隊のように規律正しい生活だった。それがだいぶん崩れてきましたのう。お手数ですが、どれかをポチして →
母から聞いたのだが、私は、小さいころから「ひとり遊び」が好きだったらしい。それは、赤ちゃんのころからだという。ベビーベッドで寝ていて、で、目が覚めたら、赤ん坊というのは、だいたい泣き出すらしい。ところが、私という赤ん坊は、目が覚めても、なん
昨日、A病院へ行ったとき、胃ろう造設の日が決まる、と思い込んでいた。でも、そうじゃなくて、胃ろうのくわしい説明だけだった。手術日が決まるのは、また後日。なので、やっぱり気分は落ち着かない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りくださ
A病院、行って来た。【結論】胃の中がだいじょうぶだったら、胃ろうデキます。担当医の先生は、シロウトにもよくわかるように、かんたんなことばで、けれでも十分に説明してくださった。うえ~ん、なんかやっぱ、お医者さんによって、ぜんぜんちがうよっ!お
明日はいよいよ、A病院へ私だけが「診察」に行く。A病院が、母の胃ろう造設を引き受けてくれそうなので、まずは家族が行くことになっている。本人じゃないのに「診察」ってヘンだけど、まあ、そうらしい。あと、すでにK総合病院で入院継続中だから、明日の
毎日、病院へ手紙を届けに行っている。しかし、受付のヒトが事務的に受領するのみ。以前は、週2回ほど洗濯物を受け取ることもあった。だが、いまは、それもない。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! 着替
今朝起きたら、まず、机の上に置いたままにしていた、母の手紙が目に入った。奇妙なことに、昨日ほど、つらい気もちが湧かない。これまでずっと、母は端正な字を書くヒトだった。なので、それが、こんなにも乱れているのが、昨日はやりきれない思いだった。お
私はあまり行事に関心がないので、正月らしいなにかをやったことがない。しかし、母はそうではなく、たいそうお正月をキチンと祝いたいタチ。だから、去年かなり早くに、ふたり分のおせち料理を予約していた。それも、母が入院した時点で、キャンセル済み。お
なんだか、なにもしたくない。ああ、うん、大晦日なんだよね、今日は。母が入院してから、起床時刻がだんだん遅くなって、今日は7時だったかな。やるべきことは、まず母への手紙。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みにな
私は、とまどっている。これほど落ち着かないのは、はじめてのことだ。母が、生死の境目にいることに、とまどっているのだ。けれども、まだまだ生きて欲しい。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! そして、
たいていのヒトがそうだと思うけど、まあ、自分がじっさいに見聞きする範囲で、いろいろ判断する。母にとっては、3年間暮らしたサ高住が、いちばんなじみのある高齢者の世界だ。もちろん、入所者の年齢は、だれもが気にするところ。なので、1階のデイサービ
今日は、ようやく面会日。まだまだ面会制限がきびしく、2週間に一度、10分だけの面会だ。お花屋さんに寄って、昨日頼んでおいたアレンジメントを購入。お正月用のしつらえで。お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになり
夕方、いつものように、病院へ手紙を届けに行った。12月7日以降、私は毎日病院へ行き、手紙を渡し、たまに洗濯物の交換をしている。すると今日は、受付のヒトが、「本人さんから預かっているモノがあります」と言う。お手数ですが、どれかをポチして →