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  • 山本一清博士と私

    山本一清博士の主催する、国内第1回の「彗星会議」に参加して博士にはじめてお目にかかったのは今から遠く1954年夏の事であった。 「彗星会議」は委員会の形を取り、国内の学者や研究者約30人が参加したが、若干24歳の新前の私が参加できたのは奇跡であった。これは「い

  • 猟奇の果てに(3)

    天文の教育施設としてのプラネタリウムは、いま全国各地に存在するが、終戦後の1950年頃には東洋に1基しかなかった。大阪四ツ橋の「電気科学館」のそれである。プラネタリウムは当時修学旅行生なんかに大の人気で、私が高校生のころから星の同好者として親しんでいた岡田

  • 猟奇の果てに(2)

    古くからの私の星の友人に池幸一君と言う人がいた。 彼は、戦後の本田さんの大活躍に刺激されたコメットハンターでもあった。新発見こそなかったが、1965年10月の「イケヤ−セキ彗星」が、近日点を通過した時、危険なことを承知しながら、太陽にくっつきながら公転する彗

  • 猟奇の果てに(1)

    ニュースで「タイタニック号」観光の小さな潜水艇が深海で遭難したことを知った。その時思い出したのが、海難救助艇の「荒天号」の事であった。これは全長20mの潜水艦で、今から70年も昔に、高知市の一発明家によって考案製作された。それが東亜天文学会の1青年会員だった

  • あなたの椅子

    1960年頃だった。NHKのテレビ番組に「あなたの椅子」と言う、人気番組があって出演した。変わったことをする3人組ということで、一人は絶滅したと言われる”日本狼”を、奈良県の山中に追いかける男。もう一人は”オートジャイロ”と言う、手製の小型飛行機にまたがって関

  • お昼のドン

    日本では、大昔から時刻を知るのに、様々な日時計が使われたのは周知のとおりである。土佐24万石の山内家の殿様の居城「高知城」には、お昼を知るための紐を使った「正午計」があった。高知市の海岸「種崎」には、比較的新しい巨大な日時計があった。また安芸市には明治時

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(2)

    1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(1)

    奇妙な名称の天体カメラが登場しました。高知市から西に20kmほど離れた「土佐市高岡町」に住んで、古くから電気業を営む池幸一氏は大の天文好きでした。1956年の私のクロムメリン彗星の独立発見に刺激されて彗星の捜索を密かに実行していた人です。 彼は眼視より写真捜索

  • ジョン万次郎の見たホウキ星

    中浜万次郎が漁業中に遭難して鳥島に流れ着いたとき、アメリカの捕鯨船「ジョンホーランド号」が現れて助けられ、万次郎はアメリカに向かった。1843年の事で、船が南米のホーン岬を通過するとき、南の空に巨大なホウキ星が見えた。これが有名な”3月の大彗星”と呼ばれるホ

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