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  • 一輪の花

    クラシックギター曲に、ホセ・ブロカ作曲の「一輪の花」という佳曲があった。まだ彗星を発見していないころ高知県大豊町の「梶ケ森」という高山に登った時、水場に咲いたたった一輪の黄色い花を発見した。その孤独性と美しさに心を打たれた私は、もし彗星を発見したら、も

  • 桜花満開の日

    3月30日、まさに四国地方で桜の満開の日、愛媛県との県境に近い「引地橋」に一家で出かけました。冬は大変寒い標高の高い場所で、さくらは満開一歩手前でしたが、まさに満開の桃の花と、さくらが同時に眺められるという絶景に接することができました。 それにしても日曜日

  • ムクドリの曲芸

    少し昔になるが、車で天文台に向かう途中の市内で、突然「むく鳥」の集団に出会った。何百羽か何千羽か知らないが、突然あたりが暗くなるほどの大群であった。鳥たちは平らになったり、縦長になったり、球形になったり、あるいは、瞬間方向を直角に変えたりして、さまざま

  • 和田信賢氏のこと

    主に戦前、NHKで活躍した名アナウンサー「和田信賢」氏について、知る人は少なくなったと思う。ニュースキャスターとして、あるいは数々の娯楽番組の司会で、独特の名調子を発揮し「先に和田なし、後に和田なし」との賞賛の言葉を浴びた。 しかし終戦後初のヘルシンキ

  • 好天の日々

    今年は、11月から暮れの12月にかけて好天の日が多く続いた。まれに浮雲が発生しても、すぐに青空に溶け込んで消えていくという状況であった。芸西の天文台でも連日のごとく観測会が開催され、県外からも参加者があるという盛況ぶりであった。 芸西の60センチが老朽化し交

  • 冬の落日

    冬は大気が澄んで景色が澄明である。思わぬ落日の絶景に遭遇することがある。鏡川の橋をわたっているとき美しい落日を見た。ここは太平洋戦の終結寸前に、B-29の爆撃から逃れた河原だった。沢山の市民が火災からのがれてこの川に集結した。川も焼夷弾の油脂で一面に燃えて

  • 晩秋初冬の景

    美しかった紅葉の時期は過ぎ,銀杏の葉の美しい晩秋初冬の季節となった。この時期は空気も空も澄んで、最も好きな季節である。読書するにもいいし、じっとして物思いにふけるのもよい。20歳〜30歳のころには、いかにして新しい天体(彗星)を発見するかについて考えた。ほか

  • 月と金星

    日が暮れかけて、ふと夕空を見ると細い月と金星が接近しているのが見えた。都会に比べて、光害の少ない高知市では、まだこのような情景が残っているのを嬉しく思う。高知市の自宅屋上で彗星の捜索をやっていたころには、このような情景に何度も遭遇した。15cmの自作の反射

  • ☆地球33番地☆

    高知市には東経も北緯もすべてが「3」の数字で表される珍しい場所がある。有名なはりまや橋から東に300mくらい離れた「江の口川」の中で、それを記念するメモリアルが建っている。 東経、133度33分33.3秒 北緯、33度33分33.3秒 である。 その土地の緯度は、天頂にある

  • 天狗高原の星

    昨年に引き続き、今年も高知県東津野村の「天狗高原」にやってきた。天文講演と観測会のためである。昨年は素晴らしいお天気にめぐまれたが、今年は曇天で夜の観測会では、星は全くみられなかった。 今話題の「紫金山-アトラス彗星」にも注目したが、空の雲は厚く一瞥すら

  • 芸西の名月

    土佐湾に落ちていく満月の情景です。芸西天文台で観測しながら、この美しい風景があるからこそ、長い過酷な天体観測に耐えられるのです。土佐湾の彼方には手結山が見えています。海岸線は、さらに西に長く伸びて高知市を通り、いずれ足摺岬に到達します。 月没とともに夜

  • クロイツ族彗星のナゾ

    とうとうやってきました。1965年10月、太陽系の果てからやってきて、太陽面に突入したあの恐ろしい「クロイツ組」の彗星の一味です。このグループの特色は、近日点距離が極めて小さく、太陽コロナの中です。ですから、どの彗星も太陽コロナの摂氏100万度といわれる超高熱を

  • 仲秋の名月

    折角の名月ですが、この時期はお天気の悪いころで、なかなか晴れてくれません。今まで仲秋の名月を鑑賞したという思い出は極めて少ないです。 もう半世紀も昔になりますが十六夜(いざよい)に、月の名所「桂浜」で名月を鑑賞したことがあります。折から拡声器で流れてく

  • 夏雲の下に

    台風10号通過後の青空に浮かぶ夏雲です。 ここ高知市は大した影響を受けなかったのですが、台風去って秋を呼ぶ見事な碧空が展開しました。 昔は良く「暑さ寒さも彼岸まで」と言う、諺が使われたものですが、今では地球温暖化の影響で、このことは必ずしも通用しなくなっ

  • ☆30日の天文講演会は中止です☆彡

    8月30日に渡辺潤一博士をお招きして、高知市の「かるぽーと」で天文講演会を予定しておりましたが、台風10号が意外と遅くなって、当日相当な風雨が予想されますので、関係者と相談して残念ですが今回は中止、延期する運びとなりました。ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解

  • 月下の蘭

    私の好きなタンゴの曲に「月下の蘭」と言う名曲があった。ドイツのタンゴ楽団「アルフレッド・ハウゼ楽団」や、オランダの「マランド楽団」なんか、来日した時好んで演奏した。そして「星降る夜のタンゴ」なんかも絶品であった。指揮者のマランド自身の作曲であった。 当

  • 思い出の遠花火

    今年の夏も恒例の花火大会が催された。今年は先日、九州の東海岸で地震が発生したので、近年やって来ると言われる南海トラフ地震との関連が心配されて、花火大会も規模を縮小して実施された。実際は1時間以上かけて打ち上げる花火であるが、約4000発の花火がわずか40分ほど

  • 夏雲の構図

    このところ、炎天が続いている。複雑な構図を描く雲を見上げていると、様々な幻影が浮かんでくる。数年前に見た夏雲では、おぼろげながら、日本列島がえがかれた。北海道や九州もちゃんと付いていた。今日見た夏雲では小さいながら、四国が見えていた。室戸から、足摺岬に

  • ☆8月の天文講演会☆彡

    ことし2024年の8月30日に、高知市の「かるぽーと」で、天文講演会を催すことになりました。主役は、元国立天文台の「渡部潤一」博士ですが、私も地元の高知市在住という事で、お手伝いすることになりました。過去半世紀にわたる、彗星発見と小惑星の観測について語りたいと

  • 婦人天文講演会

    去る6月15日、高知市東部のある団体による天文講演会があって講師として参加した。 いつもの事だが、会場を一見して驚くことは、ほとんどが中年の女性で、会場の中に男性の姿を発見することが困難である。それだけに、女性が熱心なわけであるが、この傾向は何も今に始まっ

  • さくら貝の歌

    もう半世紀も昔になるが、NHKの「ラジオ歌謡」に「さくら貝の歌」というのがあった。 誰の作品なのか、また、誰が歌ったかも忘れたが、心にのこる抒情的な作品であったと思う。♪ 麗しきさくら貝一つ 去り行ける君に捧げん この貝は去年(こぞ)の浜辺に 我

  • 日本晴れ

    今日5月29日は見事な「日本晴れ」に恵まれました。大空には見渡す限り雲一点ない快晴です。梅雨を目前に控え、しかも台風第1号の追いかけてくる中での奇跡の一日です。 自宅3階の屋上からの真南のながめですが、遠く鷲尾山が見えています。標高300mの山頂からは南に浦

  • 蜃気楼の後に

    フォーレの作品に「夢の後に」と言う名曲があった。セロの独奏であったとおもうが、夢をみたあとの複雑で、そしてすがすがしい気分を弦は良く表現していた。 大昔、ここ高知市上町の夕空に突然蜃気楼が輝いた。広い練兵場を、馬に乗った騎兵が盛んに駆け回っている光景で

  • ハレー彗星とジョロ蜘蛛

    1910年以来、約75年振りに回帰したハレー彗星は、1984年12月、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡の中の「クモ糸」に誘導されて、正確に移動していた。正に東洋最初の発見である。 天体望遠鏡のファインダーの中の十字線は、従来「クモ糸」を張るのが常識であった。なぜなら

  • 怪天体の目撃(後編)

    私の古い観測ノートにこんな記録があった。 怪天体??!2004.04.12 22時30分 怪天体目撃??!2等星にて 1分間に天頂より東へ30度移動する。移動天体の視直径は、約20分で純白。輪郭クッキリ。 この天体は関東地方でも目撃者があり、同時刻に真南に地平高度が30度位

  • 怪天体の目撃(前編)

    4月28日、福島県の佐藤裕久さんから、「未確認の彗星」と言うテーマでメールによる報告を受けた。未確認の彗星らしい天体を観測したのは、コメットハンターの村上茂樹さんで2024年4月27日の日本時間の4時33分に11等星で、薄明の中を移動していく天体を発見したが高速のため

  • 白い花の咲くころ

    1948年、終戦直後の荒廃した時代に、ラジオ歌謡で、岡本敦夫さんのうたった「白い花の咲くころ」が大ヒットした。私はその頃まだ高校生で、クラシックギターを始めたばかりであった。 それから何年かたって独りで「梶ヶ森」と言う高山に登った。途中のちょっとした水場に

  • 鏡川の長堤も桜花満開

    私の良く散歩する鏡川の土手です。藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲で

  • すべり山の桜

    幼いころの最も古い思い出である。 高知城下の桜が満開のころ(昭和10年ころ?)、母に連れられて夜桜を見に行った。私にはこれより古い幼い日の記憶はない。思い出は茫呼としてかすんでいる。低い丘の上に、いくつかのぼんぼりが赤くともって、多くの人が花見音頭で踊っ

  • 私と科学空想小説

    私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。 その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年

  • ポン−ブルックス彗星の奇跡

    この彗星は1812年、フランスのコメットハンター、ポンとブルックスによって独立に発見されました。比較的明るい彗星で、ポンはわずか口径5センチ30倍くらいの屈折望遠鏡で発見したと伝えられています。 当時は明るい未知の彗星が多かったと想像されます。ポンは当時パリ

  • 高知こどもアストロクラブ

    今度、高知こどもアストロクラブの生徒たちにお渡しする彗星の拡大写真は、いままででもっとも自信のある美しい写真です。ダストの尾もイオンの尾もはっきりしていて、子供たちに物理を説明するに持ってこいです。(添付写真)50年に1回くらいの出現の大彗星で今回の生徒た

  • 愛したショパンの円舞曲

    私は、昔からショパンのピアノ曲が好きであった。中でも円舞曲集は、幻想的な美しさと共に哀愁がこもって大好きであった。ここに楽譜で紹介した作品69-2は、イ短調の旋律の美しさと共に、リズムに哀愁がこもって、何回聞いても聞きあきることが無かった。やさしく純粋な、

  • 猫も見ていた軌道計算

    いまから100年以上も昔のドイツの大数学者「ガウス」の開拓した天体の軌道計算法の公式は、当時流行した対数計算に基づいたものであった。 新しい天体までの距離を求める数式は、いかめしい4次方程式が組まれていた。天体までの距離(天文単位)が求まったら、あとは何と

  • あの頃の自分のこと(2)

    1961年10月11日、朝方のしし座に発見した彗星らしい天体は、直ちに東京天文台に打電した。天文台からはその日のうちに全国の有力な天文台や、研究機関に彗星発見が報じられた。 倉敷天文台の本田実氏は、口径8cmの写真レンズで、これを二日間にわたって撮影した。ところが

  • あの頃の自分のこと(1)

    その朝、彗星らしき天体を発見して5時間後、私は再び中庭の観測台に立った。そして、手製のコメットシーカーと共に写真を撮った。しか私の心の中は動揺していた。イソゲナ天体望遠鏡に新天体らしい光芒が影を落としたのだ。世界中には、大小様々な望遠鏡が、新しい天体を求

  • 白い花の咲くころ

    早春のシンボル、梅の花です。 私の良く通る鏡川沿いの散歩道ですが、四季それぞれの花に出逢えます。特に早春のころには白い梅の花が美しい。 ♪白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日、、、♯ 終戦直後のまだ世間が暗澹としていたころ、ラジオ歌謡で岡本

  • 芸西天文台の夕日

    去る2月18日は芸西天文台の一般公開日でした。 今は、これと言う珍しい天体の出現はありませんが、日本のロケットが月面に着陸する関係もあって特に着陸地点の「海」を口径70センチの反射望遠鏡に400xかけて眺めました。最高の倍率です。あいにく雲が盛んに流れていました

  • ハレー彗星遠日点に潜む

    周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいると

  • 彗星発見の妙技

    世界の大型望遠鏡の活躍によって、多くの太陽系の天体が、まだ微光星のころに遠くで発見される。そして地球に接近して眼視で見え出すころには、すでに発見が確定しており手遅れである。このような状態が続いており、従来の眼視的ハンターは、なかば諦めていると言う状態が

  • 冬の晴れた日の回想

    南国高知では、冬は長い晴天が続きます。空は限りなく澄んでホウキ星がやってきそうな気配です。1962年の立春の日に発見した彗星も、ちょうど今日の様な美しい空でした。格別「発見しよう」という意識は無く、コメットシーカーと共に自然と美しい星空に引きずり込まれまし

  • 魂の発見

    寒空に真昼の満月がぽっかりと浮かびました。冬は特に大気の透明度が高いので、月はもちろん昼間でも明るい星が見えることがあります。 いま、刻々と地球に接近してくる「紫金山・アトラス彗星」は、きっと天地がひっくり返るほどの騒ぎを起こすことでしょう。久々の大彗

  • 「熱中するという事」

    私が彗星の捜索に興味を持って始めた頃、本田さんの一連の彗星発見の後に、突然「ムルコス彗星」と言う聞きなれない星が飛び出してきて天文界を驚かしました。Mrkosというローマ字でしたが、「ムルコス」とか「マルコス」とか、あるいは「ムーコス」とか、日本では呼び方が

  • 燃ゆる夕空

    冬の日の太陽が、遠くの森の中に沈んだばかりの夕空です。西の地平線上の家も森も、何もかもが赤く燃えています。太平洋戦争中に「燃ゆる大空」という標語がありましたが、日本列島の上空で空中戦が行われて空一面が燃えているような情景を歌ったものです。しかし、この赤

  • 街は夕焼け

    美しい冬の夕焼けです。雲も寒さを嫌うのか、冬の夕焼けはすぐ消えていきます。 このところ晴天が続いています。今日あたり一旦、お天気が崩れて、久しぶりの一雨あるとの予報でしたが、低気圧の雲は日本列島の遥か南を東に通過し、少し雲が出ただけで降りませんでした。

  • ☆ 新春観測会☆彡

    今年2024年に入ってからの第2回目の天体観測会が、高知県の芸西村の天文台で開催されました。約20人の参加者で、親子連れも多く眼につきました。 お天気は、最初はやや雲が多かったものの、夜がふけるにつれて完全な観測日和となりました。東の空からは、冬空を代表する均

  • 海岸と指輪のロマン

    ついに年末の日を迎えた。格別に変わったことは無く、近くのマーケットに買い物に出かけた。 夜は特にテレビは点けずに自室でギターを演奏して静かに過ごした。大晦日恒例の歌謡番組なんかはこの50年間一度も観たことも、聞いたことも無い。 ギターと言えば、一般にはエ

  • クリスマスのころの星の思い出

    コメットシーカーとは、彗星を見つけ出す望遠鏡の事である。内外を問わず、多くの彗星ハンターたちが、独自に考案した望遠鏡で宇宙の放浪者たる彗星を探した。私もその例にもれずに、様々な設計のコメットシーカーを考案してホウキ星を探した。口径僅か8.5センチ、15xの四

  • ☆彗星発見の記録☆彡

    ポン-ブルックス彗星は今、夕空に明るく見えている彗星です。12月2日に芸西天文台の70センチ反射望遠鏡で撮影しました。近くに琴座の1等星「ヴェガ」が輝いていて良い構図でした。来年は更に接近して明るく大きくなります。 彗星の中心核は白い雪の塊。それを取り巻くガ

  • 幸せを呼ぶブローチ

    これは「関おき子」の作った手芸のブローチです。粘土細工ですが、色彩は絵の具の色を予め手芸用の粘土に練り込みます。女性の睫毛なんかは、針の先の様な細かい筆で繊細に黒く描きます。昔は大丸の百貨店で教室を持っていました。 今まで天文関係では長谷川一郎博士ご夫

  • 彗星発見と軌道計算(3)

    今から半世紀も昔の、軌道計算に熱中していた若き頃、盛んに使用していたカシオの電卓が出てきました。ああ、このキーを、幾千回、幾万回押したことか。最も電卓を使用して、真数計算を始める前には、ガウスの6ケタの対数表を駆使して軌道計算に従事しました。 その時代

  • 70年振りの来訪者

    周期約70年の「ポン・ブルックス彗星」は遠く海王星のあたりを回って今最も地球に接近しています。添付した写真は天文台の一般公開のあった12月4日に200ミリ望遠レンズで撮影したもので、いかにも彗星らしく優しくほんのりと輝いています。位置は夕方の琴座の一等星ベガの

  • 芸西天文台の夕焼け

    12月4日、安芸郡の芸西村の天文台で一般公開がありました。天文台の高台から見た日没の光景ですが、手結山や太平洋の遠くに見える日没にはとりわけ美しい光景があります。雲はさまざまに変化を見せ、暗くなっていきます。 この日は集まった人数は少なかったものの、朝日新

  • 彗星発見と軌道計算(2)

    今回添付した写真は、発見後急速に接近してくる関彗星「1961-T1」の姿です。同年の11月、銚子市の天体写真の名手で、歯科医の「滝田正敏」氏が撮影しました。また東京天文台の堂平観測所の大型望遠鏡のファーストライトとなりました。 そしてアメリカ、フラグスタフ海軍天

  • 彗星発見と軌道計算(1)

    私の住む上町の児童公園には一本のいちょうの木があって、いまがもっともうつくしい色を誇っています。また、これと同じ銀杏の木が、私の通っていた第四小学校の校庭にもあって、「龍馬の銀杏」と名ずけられています。同小学校の校区に竜馬誕生の家があります。150年の歴史

  • 満月と木星の接近

    昨夜は芸西村の天文台で、一般向けの天体観測会が行われました。月夜には星団や星雲の様な美しい天体は見えませんが、天頂なる満月に近い月のそばに、太陽系最大の惑星である木星が輝いて一興を添えました。 添付した写真は小さなデジカメで、約1秒間のタイム露出を図った

  • 竜馬の誕生祭

    勤王の志士、坂本龍馬の生まれた高知市上町1丁目の屋敷跡では、今年も命日の11月15日に記念の式典が盛大に行われていた。高知市長の挨拶や、竜馬との関係者の講演がある。屋敷跡は暫く残されていたが、昭和20年7月4日の高知市大空襲で焼失した。記憶では、確か2階建てであ

  • そは彗星か?小惑星か!

    天空をパトロールして小惑星を探索していると、イメージとして彗星か小惑星かの判別に苦しむものもあります。考えてみると小惑星と彗星は親戚関係と言えないこともないのですから、小惑星から彗星に変身することもままあります。 添付した写真は、1990年12月20日に芸西天

  • 嗚呼 天狗高原の星

    11月4日、津野町の天狗荘での天文講演会「天狗高原の星」は予定どうり現地で、定員のお客さんを迎えての講演を終了いたしました。大変熱心な聴講者で、中には遠く今治から遠征してきた古い天文ファンもおられました。 標高1400mに聳える天狗高原は、日本でも有数の星の美

  • 謎の光芒「対日照」

    対日照の目立つ時期がやってきました。真夜中の太陽と正反対の位置に輝く不思議な光芒です。これは、太陽系の火星と木星の間に、無数に散在する小惑星群の輝きとされていますが、小惑星は一つ一つ肉眼では見えません。大型の望遠鏡で捉えても大変に暗い光です。無数の小惑

  • 小惑星「ワカキノサクラ」

    小惑星「ワカキノサクラ」は牧野太郎博士が命名した桜の木で、先にその苗木が宇宙を飛んだことでも有名ですが、先日、芸西村の天文台で、それの観測会がありました。いま地球から見て最も見やすい位置にあり、18等星です。芸西天文台の下元講師が最近撮影に成功しましたの

  • コスモスの花一面に

    秋の野山に一面に咲くコスモスの花は私の最も好きな花の一つです。 1956年10月、クロムメリン彗星を再発見した夜、私は、観測台の周辺に一面に咲いたコスモスの花を一輪、オーバーコートの胸にさし、観測台に上がりました。そして首尾よく、その朝しし座の中で発見する事

  • 奇怪な馬首星雲

    「馬首星雲」と呼ばれている奇怪な暗黒星雲の姿です。1985年の12月、芸西の60センチ反射望遠鏡で撮影しました。オリオン星座の「三ツ星」の一つが画面の端に見えています。望遠鏡をのぞくと、ただ濛々とした白い煙のように見えますが、写真では見事な色彩感があります。赤

  • ムクドリの特技

    秋になると鳥たちの集団での活動が活発になります。2階の書斎の窓から見ていると、たくさんのムク鳥が飛んできて、近くの高圧線にとまりました。何やら語り合っているように見えますが、やがて一匹が飛び立つと、全体の鳥が一斉に飛び立ちます。頭上を通り過ぎるときには

  • 16夜(いざよい)の月

    中秋の名月は厚い曇り空で、満月はおぼろげにしか見られなかった。夏が終わり、そろそろ秋に入ろうとするこの季節は、概して、お天気の悪い日が多い。 仲秋の名月は、私の家から東南方向の筆山の上に輝く。目の錯覚か異常に大きい。それこそ”盆の様な月”である。 月

  • 夕月の歌

    昔NHKのラジオ歌謡に「夕月の歌」という曲があった。今流行の諧謔的な騒がしい調子の曲とちがって、名曲の良さを真面目に、しんみりと聞かせた。夕空にかかる美しい三日月は、見る人の心に安心と慰安を与えた。そして昔の懐かしい思い出が浮かんだりした。 同じ夕空に肉眼

  • 夏雲の彼方に

    夏の名残の入道雲と、秋の雲の同居している風景です。間もなく空は秋空に変化してゆきます。 この雲の彼方にNishimura C/2023 P1がかくれているはずですが、彗星が夕空に回ってから、まだ見ていません。恐らく3-4等星くらいの明るさで、数度の尾を曳いているはずです。

  • 彗星花盛り

    美しい夕焼け空です。カミマチの上空に輝きました。過去何十年かこの同じ場所で夕焼け空と対峙しました。そして新彗星発見の夢を見続けました。 私の傍らには、いつも小さなコメットシーカーがありました。夕暮れとともに太陽に近い空から、彗星の捜索を始めました。そし

  • 秋雲の幻想

    自宅屋上からの西空の眺めです。夏から、秋空に移り変わっていく空模様ですが、まだ夏の勢力が強いです。やがて彗星Comet Nishimura C/2023 P2 が夕空に姿をあらわします。どのあたりに見えるだろうか。果たして明るさはどんなものだろう?などと考えます。 ここは高知市

  • 美しきは西村彗星

    去る8月13日に発見された西村彗星です。まるで翡翠(ヒスイ)の様な美しい色をしています。細長いイオンの尾が幽か。8月27日の午前4時、芸西天文学習館で、口径70cmの反射望遠鏡を使い、下元繁男講師が撮影いたしました。5分露出を4枚、彗星の移動に合わしてスタックしたも

  • 8月15日、終戦の日

    台風7号が鳥取県を北上中であるが、ここ高知県ではうつくしい夕焼け空が今日も輝いた。昭和20年の終戦の日も、確か良いお天気であった。雨の降った記憶が全くなかった。毎日炎天下で軍事作業に従い、夜は防空壕の中で、しずかな勉強の時を過ごしていた。 疎開先の米田は、

  • 夕焼け空との約束

    美しい夕焼け空です。自宅屋上からの眺めです。このような美しい夕焼けを、過去いくたび見たことでしょうか。そして眺める度に何かの思想的な発展がありました。 1961年9月の中旬、私は高知県と徳島県の県境に立つ「三嶺(1900m)」に初めて上りました。そして遠い落日の彼

  • B-29墜落の秘密

    鷲尾山は高知市の南に聳える美しい山である。小学生のころには良く遠足で登った。標高はわずか300mであるが、頂上からは、南に太平洋のパノラマが展開し、遥かに東は室戸岬、西には足摺岬の両岬が彷彿として見える。金波、銀波の逆光に輝く太平洋には、確かに地球が球形で

  • ギター演奏会のころ

    わたしの30歳前後のころはとりわけクラシックギターに熱中していた。はりまや橋に近い音楽教室で30人ほどの生徒を持って教える傍ら、年に春と秋との2回、演奏会を開催した。会場は、はりまや橋の土電会館4階の大ホールである。生徒たちの大合奏を指揮したこともあるが、大

  • 1945年8月6日

    今から78年前の昨日8月6日は、広島市に原爆が投下された日です。毎日快晴の良いお天気が続いていました。私はそのころ旧制の中学1年生で、毎日学徒動員として、高知市の近郊に、本土防衛のための軍事作業に出かけていました。関東軍の指揮下にありましたが、何しろ遊び心の

  • 台風接近の前に

    最大瞬間風速が50m/Sを超えるような特大な台風6号が、沖縄の近くの石垣島付近でとどまっています。やがて東に向かって進行をはじめ、数日後には四国もあぶない状況です。 8月4日の夕刻、三階の屋上にあがってみると、太陽の沈んだ後の西の空に、巨大な「きのこ雲」が見

  • 夏雲の幻想

    まるで巨大な怪物のトカゲの頭を思わすような夏雲です。今年の夏は特に暑かった関係か、様々な形をした入道雲が空に湧き、そして乱舞して地上を威圧しました。 終戦の1945年の夏も大変暑い日が続き、雨の降った記憶はほとんどありませんでした。毎日晴天下に学徒動員で、

  • 星の里は蛍の里

    添付した写真は、五藤光学の小沢氏が、高知県の山奥の天狗高原天文台の近くで、今年の7月に撮影したものです。 明るい宵の明星の輝く夕空に黄色い線を引いて、一面に輝いて飛んでいるのが蛍です。今は余程の田舎に行かないとこれだけの蛍は見えませんが、昔は芸西村の天文

  • エンケ彗星と五藤式望遠鏡

    エンケ彗星(2P/1786 B1)は、ハレー彗星と共に最も古い歴史を持つ周期彗星です。周期はわずかに3年余。初めのころは1公転ごとに、僅かにその周期が短くなって、これは太陽系内の抵抗物質の仕業と考えられていましたが、今では、彗星が時々爆発的にガスを噴射するための「

  • えんこう会の事

    ”えんこう”とは河童によく似た、泳ぎの達者な動物の事です。 土佐の高知市を流れる鏡川が「えんこう」たちの住み家だそうですが、伝説に登場する架空の動物ですから、誰もその正体を見たことが在りません。しかし、この架空の動物はある小説家の本のテーマになっていま

  • 軌道計算3羽からす

    添付写真は、高知市の名勝「桂浜」での記念写真である。後ろの高台から、竜馬が見ている。マースデン博士は坂本竜馬を、どの程度理解していたかどうかは分からない。芸西で発見した「Ryouma」と言う小惑星の命名を最終的に認めてくれたのは博士であった。 マースデン氏は

  • 種崎の「だるま太陽」

    高知県の海岸は昔から美しいだるま太陽が見える。そのほとんどは西の足摺岬方面の落日である。今回のだるま太陽は、めずらしく高知市の種崎の海岸から見えた「朝日のダルマ太陽」である。 撮影したのは地元に古くから在住する岡林一彦氏で、2023年1月12日の午前7時過ぎに

  • 無人島「長平」の像

    高知市の自宅から、東に約40km離れた芸西村の天文台に向かう中ほどの、香我美町岸本の海岸に「長平」の像が立っている。いまから200年以上も昔の1785年に船で嵐にあって流され、南東に760キロも離れた「鳥島」に流れついた。いま話題になっている「ジョン万次郎」よりも半

  • とっておきの切手

    今まで天体現象で記念切手になった天体は少ないが、1986年のハレー彗星に先んずる20年、日本で発見された「イケヤ・セキ彗星」が切手になった。 発行したのは本家本元の日本ではなく、アフリカの「コンゴ共和国」であった。 1965年9月19日(日本時)、台風一過後の快晴の

  • 梅雨の中晴れ

    とっくに梅雨に入っているのですが、高知県では、いわゆる梅雨のなか晴の日も多いようです。昨夜はすこし降っていたかと思うと、今日は朝から快晴となりました。青空にはまるでホウキ星の様な雲がいくつか並んでいます。四国一の霊峰「石槌山」標高約2,000mでは7月1日がお

  • 山本一清博士と私

    山本一清博士の主催する、国内第1回の「彗星会議」に参加して博士にはじめてお目にかかったのは今から遠く1954年夏の事であった。 「彗星会議」は委員会の形を取り、国内の学者や研究者約30人が参加したが、若干24歳の新前の私が参加できたのは奇跡であった。これは「い

  • 猟奇の果てに(3)

    天文の教育施設としてのプラネタリウムは、いま全国各地に存在するが、終戦後の1950年頃には東洋に1基しかなかった。大阪四ツ橋の「電気科学館」のそれである。プラネタリウムは当時修学旅行生なんかに大の人気で、私が高校生のころから星の同好者として親しんでいた岡田

  • 猟奇の果てに(2)

    古くからの私の星の友人に池幸一君と言う人がいた。 彼は、戦後の本田さんの大活躍に刺激されたコメットハンターでもあった。新発見こそなかったが、1965年10月の「イケヤ−セキ彗星」が、近日点を通過した時、危険なことを承知しながら、太陽にくっつきながら公転する彗

  • 猟奇の果てに(1)

    ニュースで「タイタニック号」観光の小さな潜水艇が深海で遭難したことを知った。その時思い出したのが、海難救助艇の「荒天号」の事であった。これは全長20mの潜水艦で、今から70年も昔に、高知市の一発明家によって考案製作された。それが東亜天文学会の1青年会員だった

  • あなたの椅子

    1960年頃だった。NHKのテレビ番組に「あなたの椅子」と言う、人気番組があって出演した。変わったことをする3人組ということで、一人は絶滅したと言われる”日本狼”を、奈良県の山中に追いかける男。もう一人は”オートジャイロ”と言う、手製の小型飛行機にまたがって関

  • お昼のドン

    日本では、大昔から時刻を知るのに、様々な日時計が使われたのは周知のとおりである。土佐24万石の山内家の殿様の居城「高知城」には、お昼を知るための紐を使った「正午計」があった。高知市の海岸「種崎」には、比較的新しい巨大な日時計があった。また安芸市には明治時

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(2)

    1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(1)

    奇妙な名称の天体カメラが登場しました。高知市から西に20kmほど離れた「土佐市高岡町」に住んで、古くから電気業を営む池幸一氏は大の天文好きでした。1956年の私のクロムメリン彗星の独立発見に刺激されて彗星の捜索を密かに実行していた人です。 彼は眼視より写真捜索

  • ジョン万次郎の見たホウキ星

    中浜万次郎が漁業中に遭難して鳥島に流れ着いたとき、アメリカの捕鯨船「ジョンホーランド号」が現れて助けられ、万次郎はアメリカに向かった。1843年の事で、船が南米のホーン岬を通過するとき、南の空に巨大なホウキ星が見えた。これが有名な”3月の大彗星”と呼ばれるホ

  • フランク チャンピオンの碑

    ここ高知市の鏡川のほとりの土手に、アメリカの飛行士「フランク チャンピオン」の記念碑が立っている。日本では、まだ飛行機の珍しい大正時代(1917年10月30日)に高知市の上空にやってきて、数々の曲芸飛行を観せた。高知市朝倉の陸軍の広い練兵場の上空で、当日は10万人

  • ドノホウメダルとコメットメダル

    戦前の彗星発見者には、アメリカ太平洋天文学会が発行する「ドノホウ メダル」が授与された。日本では本田実氏を初めとして、古くは山崎正光、下保茂、岡林滋樹氏らの発見者がもらった。メダルの表面には美しい彗星の姿が彫刻されていた。戦後になって、いったん廃止され

  • 永遠の瞬間

    本田さんがカラーで撮影して下さった「関彗星1961 T1」は、発見後次第に地球に接近してきて明るく大きくなった。そして10月の下旬には0.1天文単位と地球に大接近し、満月の大きさとなって一晩に30度以上も動いて南下した。あまりにも急速な運動だったために一旦見失ったが

  • 秘密のレンズボックス(2)

    1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」 電報を発進したのは、天体掃索部の下

  • ☆ 国内彗星会議☆彡

    古い写真アルバムを見ていたら、半世紀ほど昔の静岡市での「彗星会議」の写真が目についた。 国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二

  • 秘密のレンズボックス(1)

    口径88mmのレンズを装備した自作のレンズボックスです。この木製の四角な箱の中から新彗星が飛び出しました。そうです、1961年の関彗星、1962年の関ラインズ彗星、そして怪物の1965年のイケヤ・セキ彗星です。 写真は、1961年10月11日、暁天のしし座に新彗星らしい謎の光

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