クラシックギター曲に、ホセ・ブロカ作曲の「一輪の花」という佳曲があった。まだ彗星を発見していないころ高知県大豊町の「梶ケ森」という高山に登った時、水場に咲いたたった一輪の黄色い花を発見した。その孤独性と美しさに心を打たれた私は、もし彗星を発見したら、も
8月30日に渡辺潤一博士をお招きして、高知市の「かるぽーと」で天文講演会を予定しておりましたが、台風10号が意外と遅くなって、当日相当な風雨が予想されますので、関係者と相談して残念ですが今回は中止、延期する運びとなりました。ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解
私の好きなタンゴの曲に「月下の蘭」と言う名曲があった。ドイツのタンゴ楽団「アルフレッド・ハウゼ楽団」や、オランダの「マランド楽団」なんか、来日した時好んで演奏した。そして「星降る夜のタンゴ」なんかも絶品であった。指揮者のマランド自身の作曲であった。 当
今年の夏も恒例の花火大会が催された。今年は先日、九州の東海岸で地震が発生したので、近年やって来ると言われる南海トラフ地震との関連が心配されて、花火大会も規模を縮小して実施された。実際は1時間以上かけて打ち上げる花火であるが、約4000発の花火がわずか40分ほど
このところ、炎天が続いている。複雑な構図を描く雲を見上げていると、様々な幻影が浮かんでくる。数年前に見た夏雲では、おぼろげながら、日本列島がえがかれた。北海道や九州もちゃんと付いていた。今日見た夏雲では小さいながら、四国が見えていた。室戸から、足摺岬に
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クラシックギター曲に、ホセ・ブロカ作曲の「一輪の花」という佳曲があった。まだ彗星を発見していないころ高知県大豊町の「梶ケ森」という高山に登った時、水場に咲いたたった一輪の黄色い花を発見した。その孤独性と美しさに心を打たれた私は、もし彗星を発見したら、も
3月30日、まさに四国地方で桜の満開の日、愛媛県との県境に近い「引地橋」に一家で出かけました。冬は大変寒い標高の高い場所で、さくらは満開一歩手前でしたが、まさに満開の桃の花と、さくらが同時に眺められるという絶景に接することができました。 それにしても日曜日
少し昔になるが、車で天文台に向かう途中の市内で、突然「むく鳥」の集団に出会った。何百羽か何千羽か知らないが、突然あたりが暗くなるほどの大群であった。鳥たちは平らになったり、縦長になったり、球形になったり、あるいは、瞬間方向を直角に変えたりして、さまざま
主に戦前、NHKで活躍した名アナウンサー「和田信賢」氏について、知る人は少なくなったと思う。ニュースキャスターとして、あるいは数々の娯楽番組の司会で、独特の名調子を発揮し「先に和田なし、後に和田なし」との賞賛の言葉を浴びた。 しかし終戦後初のヘルシンキ
今年は、11月から暮れの12月にかけて好天の日が多く続いた。まれに浮雲が発生しても、すぐに青空に溶け込んで消えていくという状況であった。芸西の天文台でも連日のごとく観測会が開催され、県外からも参加者があるという盛況ぶりであった。 芸西の60センチが老朽化し交
冬は大気が澄んで景色が澄明である。思わぬ落日の絶景に遭遇することがある。鏡川の橋をわたっているとき美しい落日を見た。ここは太平洋戦の終結寸前に、B-29の爆撃から逃れた河原だった。沢山の市民が火災からのがれてこの川に集結した。川も焼夷弾の油脂で一面に燃えて
美しかった紅葉の時期は過ぎ,銀杏の葉の美しい晩秋初冬の季節となった。この時期は空気も空も澄んで、最も好きな季節である。読書するにもいいし、じっとして物思いにふけるのもよい。20歳〜30歳のころには、いかにして新しい天体(彗星)を発見するかについて考えた。ほか
日が暮れかけて、ふと夕空を見ると細い月と金星が接近しているのが見えた。都会に比べて、光害の少ない高知市では、まだこのような情景が残っているのを嬉しく思う。高知市の自宅屋上で彗星の捜索をやっていたころには、このような情景に何度も遭遇した。15cmの自作の反射
高知市には東経も北緯もすべてが「3」の数字で表される珍しい場所がある。有名なはりまや橋から東に300mくらい離れた「江の口川」の中で、それを記念するメモリアルが建っている。 東経、133度33分33.3秒 北緯、33度33分33.3秒 である。 その土地の緯度は、天頂にある
昨年に引き続き、今年も高知県東津野村の「天狗高原」にやってきた。天文講演と観測会のためである。昨年は素晴らしいお天気にめぐまれたが、今年は曇天で夜の観測会では、星は全くみられなかった。 今話題の「紫金山-アトラス彗星」にも注目したが、空の雲は厚く一瞥すら
土佐湾に落ちていく満月の情景です。芸西天文台で観測しながら、この美しい風景があるからこそ、長い過酷な天体観測に耐えられるのです。土佐湾の彼方には手結山が見えています。海岸線は、さらに西に長く伸びて高知市を通り、いずれ足摺岬に到達します。 月没とともに夜
とうとうやってきました。1965年10月、太陽系の果てからやってきて、太陽面に突入したあの恐ろしい「クロイツ組」の彗星の一味です。このグループの特色は、近日点距離が極めて小さく、太陽コロナの中です。ですから、どの彗星も太陽コロナの摂氏100万度といわれる超高熱を
折角の名月ですが、この時期はお天気の悪いころで、なかなか晴れてくれません。今まで仲秋の名月を鑑賞したという思い出は極めて少ないです。 もう半世紀も昔になりますが十六夜(いざよい)に、月の名所「桂浜」で名月を鑑賞したことがあります。折から拡声器で流れてく
台風10号通過後の青空に浮かぶ夏雲です。 ここ高知市は大した影響を受けなかったのですが、台風去って秋を呼ぶ見事な碧空が展開しました。 昔は良く「暑さ寒さも彼岸まで」と言う、諺が使われたものですが、今では地球温暖化の影響で、このことは必ずしも通用しなくなっ
8月30日に渡辺潤一博士をお招きして、高知市の「かるぽーと」で天文講演会を予定しておりましたが、台風10号が意外と遅くなって、当日相当な風雨が予想されますので、関係者と相談して残念ですが今回は中止、延期する運びとなりました。ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解
私の好きなタンゴの曲に「月下の蘭」と言う名曲があった。ドイツのタンゴ楽団「アルフレッド・ハウゼ楽団」や、オランダの「マランド楽団」なんか、来日した時好んで演奏した。そして「星降る夜のタンゴ」なんかも絶品であった。指揮者のマランド自身の作曲であった。 当
今年の夏も恒例の花火大会が催された。今年は先日、九州の東海岸で地震が発生したので、近年やって来ると言われる南海トラフ地震との関連が心配されて、花火大会も規模を縮小して実施された。実際は1時間以上かけて打ち上げる花火であるが、約4000発の花火がわずか40分ほど
このところ、炎天が続いている。複雑な構図を描く雲を見上げていると、様々な幻影が浮かんでくる。数年前に見た夏雲では、おぼろげながら、日本列島がえがかれた。北海道や九州もちゃんと付いていた。今日見た夏雲では小さいながら、四国が見えていた。室戸から、足摺岬に
ことし2024年の8月30日に、高知市の「かるぽーと」で、天文講演会を催すことになりました。主役は、元国立天文台の「渡部潤一」博士ですが、私も地元の高知市在住という事で、お手伝いすることになりました。過去半世紀にわたる、彗星発見と小惑星の観測について語りたいと
去る6月15日、高知市東部のある団体による天文講演会があって講師として参加した。 いつもの事だが、会場を一見して驚くことは、ほとんどが中年の女性で、会場の中に男性の姿を発見することが困難である。それだけに、女性が熱心なわけであるが、この傾向は何も今に始まっ
1948年、終戦直後の荒廃した時代に、ラジオ歌謡で、岡本敦夫さんのうたった「白い花の咲くころ」が大ヒットした。私はその頃まだ高校生で、クラシックギターを始めたばかりであった。 それから何年かたって独りで「梶ヶ森」と言う高山に登った。途中のちょっとした水場に
私の良く散歩する鏡川の土手です。藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲で
幼いころの最も古い思い出である。 高知城下の桜が満開のころ(昭和10年ころ?)、母に連れられて夜桜を見に行った。私にはこれより古い幼い日の記憶はない。思い出は茫呼としてかすんでいる。低い丘の上に、いくつかのぼんぼりが赤くともって、多くの人が花見音頭で踊っ
私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。 その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年
この彗星は1812年、フランスのコメットハンター、ポンとブルックスによって独立に発見されました。比較的明るい彗星で、ポンはわずか口径5センチ30倍くらいの屈折望遠鏡で発見したと伝えられています。 当時は明るい未知の彗星が多かったと想像されます。ポンは当時パリ
今度、高知こどもアストロクラブの生徒たちにお渡しする彗星の拡大写真は、いままででもっとも自信のある美しい写真です。ダストの尾もイオンの尾もはっきりしていて、子供たちに物理を説明するに持ってこいです。(添付写真)50年に1回くらいの出現の大彗星で今回の生徒た
私は、昔からショパンのピアノ曲が好きであった。中でも円舞曲集は、幻想的な美しさと共に哀愁がこもって大好きであった。ここに楽譜で紹介した作品69-2は、イ短調の旋律の美しさと共に、リズムに哀愁がこもって、何回聞いても聞きあきることが無かった。やさしく純粋な、
いまから100年以上も昔のドイツの大数学者「ガウス」の開拓した天体の軌道計算法の公式は、当時流行した対数計算に基づいたものであった。 新しい天体までの距離を求める数式は、いかめしい4次方程式が組まれていた。天体までの距離(天文単位)が求まったら、あとは何と
1961年10月11日、朝方のしし座に発見した彗星らしい天体は、直ちに東京天文台に打電した。天文台からはその日のうちに全国の有力な天文台や、研究機関に彗星発見が報じられた。 倉敷天文台の本田実氏は、口径8cmの写真レンズで、これを二日間にわたって撮影した。ところが
その朝、彗星らしき天体を発見して5時間後、私は再び中庭の観測台に立った。そして、手製のコメットシーカーと共に写真を撮った。しか私の心の中は動揺していた。イソゲナ天体望遠鏡に新天体らしい光芒が影を落としたのだ。世界中には、大小様々な望遠鏡が、新しい天体を求
早春のシンボル、梅の花です。 私の良く通る鏡川沿いの散歩道ですが、四季それぞれの花に出逢えます。特に早春のころには白い梅の花が美しい。 ♪白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日、、、♯ 終戦直後のまだ世間が暗澹としていたころ、ラジオ歌謡で岡本
去る2月18日は芸西天文台の一般公開日でした。 今は、これと言う珍しい天体の出現はありませんが、日本のロケットが月面に着陸する関係もあって特に着陸地点の「海」を口径70センチの反射望遠鏡に400xかけて眺めました。最高の倍率です。あいにく雲が盛んに流れていました
周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいると
世界の大型望遠鏡の活躍によって、多くの太陽系の天体が、まだ微光星のころに遠くで発見される。そして地球に接近して眼視で見え出すころには、すでに発見が確定しており手遅れである。このような状態が続いており、従来の眼視的ハンターは、なかば諦めていると言う状態が
南国高知では、冬は長い晴天が続きます。空は限りなく澄んでホウキ星がやってきそうな気配です。1962年の立春の日に発見した彗星も、ちょうど今日の様な美しい空でした。格別「発見しよう」という意識は無く、コメットシーカーと共に自然と美しい星空に引きずり込まれまし
寒空に真昼の満月がぽっかりと浮かびました。冬は特に大気の透明度が高いので、月はもちろん昼間でも明るい星が見えることがあります。 いま、刻々と地球に接近してくる「紫金山・アトラス彗星」は、きっと天地がひっくり返るほどの騒ぎを起こすことでしょう。久々の大彗
私が彗星の捜索に興味を持って始めた頃、本田さんの一連の彗星発見の後に、突然「ムルコス彗星」と言う聞きなれない星が飛び出してきて天文界を驚かしました。Mrkosというローマ字でしたが、「ムルコス」とか「マルコス」とか、あるいは「ムーコス」とか、日本では呼び方が
冬の日の太陽が、遠くの森の中に沈んだばかりの夕空です。西の地平線上の家も森も、何もかもが赤く燃えています。太平洋戦争中に「燃ゆる大空」という標語がありましたが、日本列島の上空で空中戦が行われて空一面が燃えているような情景を歌ったものです。しかし、この赤
美しい冬の夕焼けです。雲も寒さを嫌うのか、冬の夕焼けはすぐ消えていきます。 このところ晴天が続いています。今日あたり一旦、お天気が崩れて、久しぶりの一雨あるとの予報でしたが、低気圧の雲は日本列島の遥か南を東に通過し、少し雲が出ただけで降りませんでした。
今年2024年に入ってからの第2回目の天体観測会が、高知県の芸西村の天文台で開催されました。約20人の参加者で、親子連れも多く眼につきました。 お天気は、最初はやや雲が多かったものの、夜がふけるにつれて完全な観測日和となりました。東の空からは、冬空を代表する均