1948年、終戦直後の荒廃した時代に、ラジオ歌謡で、岡本敦夫さんのうたった「白い花の咲くころ」が大ヒットした。私はその頃まだ高校生で、クラシックギターを始めたばかりであった。 それから何年かたって独りで「梶ヶ森」と言う高山に登った。途中のちょっとした水場に
1948年、終戦直後の荒廃した時代に、ラジオ歌謡で、岡本敦夫さんのうたった「白い花の咲くころ」が大ヒットした。私はその頃まだ高校生で、クラシックギターを始めたばかりであった。 それから何年かたって独りで「梶ヶ森」と言う高山に登った。途中のちょっとした水場に
私の良く散歩する鏡川の土手です。藩政年代から築かれた有名な石垣の塀が続いています。築屋敷町と言います。私の歩いている土手のすぐ南側は、清流「鏡川」が流れています。小学生のころには学校から水泳の授業で泳ぎに来ました。そして、昭和20年7月4日の高知市大空襲で
幼いころの最も古い思い出である。 高知城下の桜が満開のころ(昭和10年ころ?)、母に連れられて夜桜を見に行った。私にはこれより古い幼い日の記憶はない。思い出は茫呼としてかすんでいる。低い丘の上に、いくつかのぼんぼりが赤くともって、多くの人が花見音頭で踊っ
私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。 その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年
この彗星は1812年、フランスのコメットハンター、ポンとブルックスによって独立に発見されました。比較的明るい彗星で、ポンはわずか口径5センチ30倍くらいの屈折望遠鏡で発見したと伝えられています。 当時は明るい未知の彗星が多かったと想像されます。ポンは当時パリ
今度、高知こどもアストロクラブの生徒たちにお渡しする彗星の拡大写真は、いままででもっとも自信のある美しい写真です。ダストの尾もイオンの尾もはっきりしていて、子供たちに物理を説明するに持ってこいです。(添付写真)50年に1回くらいの出現の大彗星で今回の生徒た
私は、昔からショパンのピアノ曲が好きであった。中でも円舞曲集は、幻想的な美しさと共に哀愁がこもって大好きであった。ここに楽譜で紹介した作品69-2は、イ短調の旋律の美しさと共に、リズムに哀愁がこもって、何回聞いても聞きあきることが無かった。やさしく純粋な、
いまから100年以上も昔のドイツの大数学者「ガウス」の開拓した天体の軌道計算法の公式は、当時流行した対数計算に基づいたものであった。 新しい天体までの距離を求める数式は、いかめしい4次方程式が組まれていた。天体までの距離(天文単位)が求まったら、あとは何と
1961年10月11日、朝方のしし座に発見した彗星らしい天体は、直ちに東京天文台に打電した。天文台からはその日のうちに全国の有力な天文台や、研究機関に彗星発見が報じられた。 倉敷天文台の本田実氏は、口径8cmの写真レンズで、これを二日間にわたって撮影した。ところが
その朝、彗星らしき天体を発見して5時間後、私は再び中庭の観測台に立った。そして、手製のコメットシーカーと共に写真を撮った。しか私の心の中は動揺していた。イソゲナ天体望遠鏡に新天体らしい光芒が影を落としたのだ。世界中には、大小様々な望遠鏡が、新しい天体を求
早春のシンボル、梅の花です。 私の良く通る鏡川沿いの散歩道ですが、四季それぞれの花に出逢えます。特に早春のころには白い梅の花が美しい。 ♪白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日、、、♯ 終戦直後のまだ世間が暗澹としていたころ、ラジオ歌謡で岡本
去る2月18日は芸西天文台の一般公開日でした。 今は、これと言う珍しい天体の出現はありませんが、日本のロケットが月面に着陸する関係もあって特に着陸地点の「海」を口径70センチの反射望遠鏡に400xかけて眺めました。最高の倍率です。あいにく雲が盛んに流れていました
周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいると
世界の大型望遠鏡の活躍によって、多くの太陽系の天体が、まだ微光星のころに遠くで発見される。そして地球に接近して眼視で見え出すころには、すでに発見が確定しており手遅れである。このような状態が続いており、従来の眼視的ハンターは、なかば諦めていると言う状態が
南国高知では、冬は長い晴天が続きます。空は限りなく澄んでホウキ星がやってきそうな気配です。1962年の立春の日に発見した彗星も、ちょうど今日の様な美しい空でした。格別「発見しよう」という意識は無く、コメットシーカーと共に自然と美しい星空に引きずり込まれまし
寒空に真昼の満月がぽっかりと浮かびました。冬は特に大気の透明度が高いので、月はもちろん昼間でも明るい星が見えることがあります。 いま、刻々と地球に接近してくる「紫金山・アトラス彗星」は、きっと天地がひっくり返るほどの騒ぎを起こすことでしょう。久々の大彗
私が彗星の捜索に興味を持って始めた頃、本田さんの一連の彗星発見の後に、突然「ムルコス彗星」と言う聞きなれない星が飛び出してきて天文界を驚かしました。Mrkosというローマ字でしたが、「ムルコス」とか「マルコス」とか、あるいは「ムーコス」とか、日本では呼び方が
冬の日の太陽が、遠くの森の中に沈んだばかりの夕空です。西の地平線上の家も森も、何もかもが赤く燃えています。太平洋戦争中に「燃ゆる大空」という標語がありましたが、日本列島の上空で空中戦が行われて空一面が燃えているような情景を歌ったものです。しかし、この赤
美しい冬の夕焼けです。雲も寒さを嫌うのか、冬の夕焼けはすぐ消えていきます。 このところ晴天が続いています。今日あたり一旦、お天気が崩れて、久しぶりの一雨あるとの予報でしたが、低気圧の雲は日本列島の遥か南を東に通過し、少し雲が出ただけで降りませんでした。
今年2024年に入ってからの第2回目の天体観測会が、高知県の芸西村の天文台で開催されました。約20人の参加者で、親子連れも多く眼につきました。 お天気は、最初はやや雲が多かったものの、夜がふけるにつれて完全な観測日和となりました。東の空からは、冬空を代表する均
植物学者の牧野富太郎博士が発見し、最も愛したと言われる「wakakinosakura」が星(小惑星)になって、博士が飛ぶ宇宙に行くことになりました。 1991年9月7日に、芸西天文台で発見した小惑星(43803)に関が命名したのです。 宇宙にはすでに小惑星Makino (6606)が飛ん
”イソゲナ”とは、昔から伝わる土佐弁ですが、私にも本当の意味はわかりません。良いものの反対を意味する方言であることは、わかっています。 木の箱で出来た珍奇なこの望遠鏡で、誰が世界最初に彗星を発見すると思うでしょうか?しかし、実際には世界を揺るがすような
雪も消えた四国中央山地からの南の眺めです。雄大に聳えている山は高知県須崎市のバンダの森です(標高800m)。 1965年10月21日、太陽に0.006天文単位(太陽表面から約30万キロ)まで接近し、摂氏100万度と言われる太陽コロナの中を潜り抜けてきた彗星を、世界で最初に確
1990年10月16日、高知県の芸西天文台で発見した牧野博士の小惑星です。”MAKINO”の小惑星は、国際的な6606番の星として登録され、火星と木星との間を数年かけて公転しております。地球とは約2年毎に接近します。 牧野博士は植物を愛した人ですから、今度は博士の最も愛
宇宙に日本の誇る植物学者「牧野富太郎」の星が輝いていることを知っている人は少ないと思います。即ち、1990年10月16日に、高知県の芸西天文台で発見した小惑星〈6606〉に「MAKINO」と命名し、国際的に登録されました。 小惑星は16等級で、黄道に沿って太陽を公転し、比
高知市でも比較的遅い桜の満開です。高知市の中央を流れる2級河川の鏡川ですが、台風の時期には度々大きな水害を出しました。堤防ができてから、鏡川から水が溢れることはなくなりました。 「鏡川」の名称の由来ですが、県外から来られた多くの人は、鏡のように美しく澄
コメットハンターの本田実さんは、天文家であると共に詩人でもありました。 彗星の捜索に励みながら、折あるごとに多くの詩や歌を記しました。古都、倉敷の美しい街並みを記したものも多くあります。 今から30年ほど昔に本田さんの没後、倉敷天文台を管理していた監物邦
ここは一体どこでしょうか。一面にオーロラらしい、赤い光が、まるでカーテンのように立ち込めています、そしてよく見るとホーキ星らしい一条の青い光の筋が立ち昇っています。そうです。そは「イケヤ彗星」らしいです。 この写真を撮影して提供して下さったのは、昔から
少し遅かった高知市の桜の満開ですが、ここ芸西村の天文台でも、見事な満開の時季を迎えました。私の観測所ができた1970年頃、植えられた桜ですが、白亜のドームが桜の花に埋もれるように輝いている光景は見事です。はるか南には、太平洋の青い海が輝いています。そして夜
ここ南国高知市ですが、ようやく桜が満開に近くなりました。写真は、高知城を取り囲むお堀の中の公園の桜です。高知県では、この付近の桜が早いようです。 お花見には非常に古い記憶があります。まだ幼稚園にも入っていない幼少のころ、母に連れられて、高知公園に花見に
早春と言うには時期が少し遅いかもしませんが、私は桜の咲き始める頃の早春は好きな季節です。 「怪光」と言うには、聊かオーバーな表現かもしれませんが、この時期には夕方の西の空に”黄道光”が、まるでピラミッドのような形をして、立ち昇るからです。これは春の夕空
今年の2月下旬には、夕空に輝いていた金星と、太陽系最大の木星とが接近して輝いた。この異常な現象は前回写真で紹介したが、その時ふと1946年の「南海大震災」の朝にも同じ現象が起こっていたことを思い出した。金星は太陽から最大離角の時には、マイナス4等以上に輝くの
いま夕空に二つの惑星が接近しています。宵の明星「金星」と太陽系最大の惑星「木星」です。 写真では上が金星で下が木星です。実は2月の下旬にもっと接近していたのですが、昨夜屋上に上がってみて、意外と壮観な光景で、写真に撮ってみました。 木星はマイナス2等。金
りゅうこつ座の老人星「カノープス」が、今見ごろを迎えています。南に山が無く、海が見えるような見晴らしの良い場所でしたら、夕方、案外簡単に眺めることが出来ます。私の住んでいる高知市上町は、南に標高300mの鷲尾山があって、永いこと見たことが無かったのですが、
いま牧野富太郎博士がブームになっています。高知市五台山の博士を記念した「牧野植物園」に久しぶりに行ってみました。20年ほど昔と違って、花も博士の業績の記録も、随分充実したものになっているのにおどろきました。三々五々と人が絶え間なく訪れています。植物はもち
春まだ浅き高知市の北部、比島というところに、祖先の墓の掃除に行っていました。まだ風が寒く冬のさなかとういう感じですが、お墓の近くには菜の花が一面に咲きほこっていました。比島山は江戸時代、日本で最初の完全な皆既日食の観測に成功した山ですが、史跡と言えば、
極小カメラである「ミノックス」は戦前の1930年代に、今紛争のさなかにあるウクライナの隣国のバルト3国の一つ、ラトビアのリガで誕生した。ライターを少し大きくした程度の極小カメラで、戦後はドイツにわたり、立派なスパイカメラとして世にでた。戦時中は、敵国の軍港
宇宙を探索していると沢山の太陽系天体と遭遇する。そのほとんどは未知の小惑星であって、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡時代には優に1,000個を超える小惑星を発見した。しかし、数年にわたる長い追跡観測が完了して、アメリカの小惑星センターから確定番号をもらえたもの
第2次大戦中の末期に、日本が発明した風船爆弾には、多くの天文家も関与していたらしいことが判明した。ある天文雑誌に連載していた頃、それを読んでいたある天文同好会の会長が戦時中に横須賀の陸軍技術研究所に配属されていた。終戦の、不要になった和紙をリヤカーいっぱ
奇想天外な発明とされる”風船爆弾”は、関東地方から東北にかけての海岸の基地から発射された。一説によると終戦まぎわの僅かな期間に、数百発が飛ばされたというが、実際にアメリカ大陸に到達したものは少なかった。当時の新聞には、あちこちの山岳地帯で、原因不明の山