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Dr.Lukeさんのプロフィール

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鶴見区
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大田区

聖書を宗教から­解放すべく自然科学者の視点から解き明か­す。聖書は神による人間の「取り扱い説明書」であり、物理­的世界と霊的世界の関係を啓示しており、スーパーナチュ­ラル。その解読にはカギがいる。WHOも「霊的健康」なる­概念が提唱するが、物質界および霊的世界のサイエン­ス、『霊精神身体医学』を開拓する。健やかにして豊かな生は両世界のダイナミクスを知ることにより可能。

ブログタイトル
iDLE UTTERANCE-Dr.Luke的日々のココロ-
ブログURL
https://blog.dr-luke.com
ブログ紹介文
Dr.Luke的日々のココロ。聖書、スピリチュアルから政治経済、サイエンスまで、幅広くカヴァー。
更新頻度(1年)

398回 / 365日(平均7.6回/週)

ブログ村参加:2017/03/09

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Dr.Lukeさんの新着記事

1件〜30件

  • 再建主義者による批判はストローマンの手法である

    終末論において後千年王国説以外に正しい教えは存在しない しかし、私にとって、前千年王国説と無千年王国説は「意図的な不忠実」に見える。1.前千年王国説前千年王国説は「再臨までの間、全世界が平和と正義に支配され、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」と考える。これは「地を従えよ」「すべての国民をわたしの弟子とせよ」の命令と矛盾する。 前千年王国説は「再臨までの間、全世界が平和と正義に支配され、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」と考えてはいない。「完全には現れていない」と言えば正確である。キリストはすでに王であり、われわれを通してその統治を実現させる。これはすべてフェイスによる。その御業はこれから私たちの何かによって達成されるものではなく、すでに達成されていることである(☞フェイスの定義)。 もっとも神の業は天地創生の時以来完成されていたのである。-Heb 4:3 さらに富井氏は続ける- さらに、「再臨がない限り、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」との教えは、サタンに対して隙を作る。 「再臨がない限り、キリストが王として地上を統治する期間は到来しない」などとは考えていない。キリストは今・ここで統治されている。 われわれの敵であるサタンは、われわれの信仰の「隙」をいつも狙っている。われわれが不信仰な思いを抱き、不信仰な言葉を発するならば、サタンはそれに「すぐに」飛びつく。彼は、われわれの不信仰な言動を利用して、われわれから力を奪おうとしている。もしわれわれが主に対する信仰を堅く保っていれば、驚くような力を発揮する。 これはそのとおりである。この「隙」がいわゆる前千年王国説であるとするわけだが、その論理的つながりが不明。われわれはイエスにあってYahawehエロヒムが成し遂げられた霊の事実から目を離すことなく、その事実に従って生きている。 「再臨がなければ、どんなに努力しても無駄だ。反キリストによって世界政府を作られてしまう。これは聖書に記された運命なのだ」というような思想で、どうして勝利できるのだろうか。前千年王国論者は、このような不信仰によって「すでに力を失っている」。不信仰な彼らに対して、神の力を発揮することを期待できない。 「再臨がなければ、どんなに努力しても無駄だ。反キリストによって世界政府を作られてしまう。こ

  • 日本は再興されたイスラエル国であると再建主義者

    再興されたイスラエル国日本 旧約聖書の中心テーマの一つは「メシアの来臨と、イスラエルの再興」。復活したイエス・キリストに対して弟子たちは「今こそイスラエルを再興してくださるのですか」と尋ねた。するとイエスは「時がいつであるかは知る必要はない。その時は、御父が定めておられる」と答えられた。これは、弟子たちに対するイエスの「暗黙の保証」。東大名誉教授江上波夫氏によると「紀元2世紀に来日したのは景教徒ではなく、原始キリスト教徒である」とのこと。紀元2世紀のキリスト教徒とは「イエスの孫弟子かひ孫弟子」であり、紀元70年のイスラエル滅亡後にエルサレムを脱出した後歴史から消えた「エルサレム教団」である可能性が高い。なぜ彼らは、わざわざ東の果て日本列島にまでやってきたのか。そこに栄光のイスラエルを再建するためではなかったか。 このような主張については次の御言葉を挙げれば論じるまでもない。 彼らはわたしがわが僕ヤコブに与えた土地に住む。そこはお前たちの先祖が住んだ土地である。彼らも、その子らも、孫たちも、皆、永遠に至るまでそこに住む。そして、わが僕ダビデが永遠に彼らの支配者となる。-Eze 37:25 「律法こそがすべて」とする再建主義だが、果たしてこの聖句にはどう回答するのであろうか?これまでもこちらの問いかけに対して、再臨や携挙が二回あるとか、最近では埴輪はユダヤ人のスタイルであるから、律法に従って埴輪の恰好をするとか・・・。やや、?モードに陥りつつあるが、ドグマにハマると人生を失うの典型事例である。 家族もなく、家もなく、友人もなく、仕事もなく、最近では健康も衰えが激しいとか、まさに無位無官。そのストイックな生き方には敬意を表するし、社会や歴史の見方にはけっこう共有できる点が多々あることは言っておく。が、それにしても・・・といったところではある。

  • フェイスの定義:Now faith is….Heb 11:1

    https://www.youtube.com/watch?v=2jx1ZtZlcCk 日本語では「信仰」と訳されるこの単語、ギリシャ語では"pistis"、ヘブル語では"emunah"である(英語のアルファベットにしている)。信仰、すなわち信じて仰ぐ。これがニッポンキリスト教のマトリックスを生み出す原因である。あえて日本語を当てはめるとすれば"信"でよい。あるいは"信覚"、それはシックスセンスである。 われわれは物理的世界と五感(視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚)により接触し、五感の領域の実体(サブスタンス)を自分の経験として内的に実体化している。この結果、「色」や「臭い」などを主観的に経験する。このような意識の領域における経験された感覚をクオリアと呼ぶ。 元々「色」とか「臭い」などは存在しない。存在するサブスタンスは種々の波長の電磁波の振動であり、また様々の化学物質である。「色」や「臭い」はその各サブスタンスに対して感覚器が電気的にコード化したシグナルをブレインがデコード化し、それぞれのクオリアを生み出しているのだ。そのメカニズムは現代脳科学の最大の謎だ。 さて、この五感で感知できない存在、実体、サブスタンスがある。これが霊のサブスタンスであり、霊の領域にあるものである。霊のサブスタンスを感知するためにはわれわれの霊によるしかない。霊とは、ギリシャ語では"pneuma"、ヘブル語では"ruach"である。この霊が生み出す感覚、そう霊感というとちょっと先入観が邪魔するので、霊覚とも言うべき経験が信である(これからフェイスと呼ぶ)。 その定義はヘブル書に与えられている― Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. -Heb 11:1(KJV) ギリシャ語では― εστιν δε πιστις ελπιζομενων υποστασις πραγματων ελεγχος ου βλεπομενων  遂誤訳すると― である/いま/信は/願われている/実体/事柄/証拠/まだ見られていない となる。ここでVincentによると- Faith (πίστις)Without the article, indicating that

  • 今年度のセレブレーションの会場についてのお知らせ

    KF_MLより- みなさま 主を賛美いたします。 ようやく緊急事態宣言は解除されてホッとしたものの、東京ではアラートが出されました。7月以降のセレブの実施につきまして検討いたしましたが、ワークピアの使用につきましては 現在の状況では参加者が少数になること地下のため換気が気になること韓国では地下で集会をしていた10人程度のグループで感染が出たこと などの点から困難であると判断致しました。 つきましては今年度のセレブはすべてハロー会議室石川町元町にて行います(時間は1300-1700)。 なお、プレイヤーMTGはしばらくお休みと致します。 またサマーキャンプにつきましては、現在上郷森の家と連絡が取れない状況です(問い合わせても返信がない)。現在の状況であれば、大部屋も人数制限がかかるでしょうし、すると頭割りした場合の一人当たりの負担が増えることになります。 そこで、今年の実施は見送り、来年に予約を延期してもらう方向で交渉しております。 アビガンなどのクスリが承認されるたり、ワクチンができれば、この混乱は落ち着くと思いますが、わたしたちはいつでもどこでも霊拝できます。 以上、現段階での情報をお知らせいたします。 GBU✨

  • 世界はバイブレーションである

    天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくてもその響き(qav)は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。-詩編19:1-5 この"qav"とは「弦」であり、「振動」であり、すなわち「バイブレーション」である。世界に満ちているバイブレーションである。現代物理の最前線では宇宙は10次元+1次元(時間)であるとする。今、我々が五感で経験している世界は3次元+1次元であるから、残りの次元はどうなっているのか?この超弦理論では小さく丸まっているとする。これをカラビ・ヤウ空間と呼ぶ。 この種々の波長(振動数)をもつバイブレーションの和として波束というものができる。これは波であり、粒子のようなものである。光子も電子も、人が観測していない時には波として振る舞い、観測すると粒子としてふるまうと言う性質をもっている。つまり観測は波動を粒子として固定化するのだ。 芸術においても画家がある場面である瞬間に感じた感動あるいは"自然の震え"を、一度画家の脳内において咀嚼・解釈し、その結果をカンバスの上に絵具で表現する作業が絵画であると考えている。つまり自然との相互作用で心に生じたバイブレーションをキャンバスに固定化するわけだ。コローは「目でも心でも解釈する」と言っている。この過程を少し数学的に表現すると、次のようになるかと思われる: すなわちある自然の場面で画家の内面に広がる感動関数をg(t)としよう。これは画家の個性によってそれぞれである。そして自然界から時間の関数として入力される刺激をx(t)とすると、画家の内面で起きる反応としての出力は と書ける。この関数g(t)はインパルスに対する反応であり、インパルス応答あるいはもっと一般的にグリーン関数と言う。カントの純粋経験とも言えるかも知れない。で、この積分を数学的にも「畳み込み積分(Convolution)」と言う。つまり現在の反応y(t)は過去τ時点から現在までの反応の畳み込みなのだ! かくして絵画とはリアリティそのものではなく、画家の伝達関数によっていわば歪みが入った上で表現されたものとなる。実はこの畳み込みはある意味で人生の方程式と言えるわけで、仏教的には「因果応報」の、聖書的には「撒いたものを刈り取る」方程式である

  • 守られているニッポン

    福島第一原発事故 東日本壊滅の危機に最も近づいた「2号機爆発」の真相 第1回

  • TODAY’S CELEBRATION May 31, 2020:エロヒムに織り込まれて増殖する

    MSGタイトル:エロヒムに織り込まれて増殖する引用聖句:Exo 26:1-14;Rom 6:5;Col 2:19 etc.2020年6月7日(日)のセレブ(通常実施に戻ります)・場所:ハロー会議室石川町元町・時間:13.00-17.00プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み)セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

  • 再建主義とディスペンセイション主義に見える逆さ富士現象

    https://www.youtube.com/watch?v=Evmf-mu6IXA この武田先生の説はもっともであると同意する。今回のコロナはある種の社会実験であったと思う。いかに大衆はマニュピレートされ易いかがよく分かった。カギは恐れを撒くこと。人は大脳辺縁系を刺激されて恐れを抱くと理性が吹っ飛ぶのだ。だから冷静にかつ客観的にデータに基づくエビデンスとロジックによる判断ができなくなる。要するに恐れでマヒするのだ。 このビデオで指摘されている流れは多分不可避であろう。これは聖書預言から見ても終末の兆候そのものだからだ。これを見てわれわれは次の御言葉を思う: このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。-ルカ21:28 「このようなこと」とは、①贋キリストの出現(Luke 21:8)、②戦争・暴動・民族や国家間紛争(Luke 21:9-10)、③大地震・飢饉・疫病(Luke 21:11)、④天の恐るべき徴(Luke 21:11)、⑤迫害(Luke 21:12)、⑥エルサレムの蹂躙(Luke 21:20)、そして⑦イチジク(イスラエル)の回復(Luke 21:30)などである。 われわれは現在、「このようなこと」をリアルタイムで見ていることは誰も否定できないであろう。しかしながら再建主義の富井氏によれば「これらのこと」はAD70年にすでに起きていることなのだ。ゆえに上の武田氏の予言する世界の在り方は千年期にふさわしくない、「あってはならないこと」なのだ。つまり、メーソンやイルミナティによるヤラセとなる。そこで、彼はこう主張する― 今回の自粛によって政府による管理に慣らされた人々は、さらなる管理に導かれ、体内に入ったチップのデジタルデータに基づいて商業活動が規制される黙示録13章の世界が現出するかもしれない。何度も述べているように、黙示録は19章まで紀元70年頃に終わっている。ナザレのイエスをメシアと信じるわれわれは、この考えに同意しなければならない。ナザレのイエスをメシアと信じないユダヤ教徒、とくに、その頂点に君臨するシャバド・ルバビッチ派は、黙示録を利用して、偽メシアによる世界統一を目論んでいる。今、われわれが祈らなければ、世界は邪悪な人々によって支配されてしまう。行く末には、大量虐殺が待っている。福音派のクリスチャンたちは

  • CLIP:MMT時代に突入か

    この記事は実に興味深い。まさに時代はMMTなしでは成立し得ない。極私的にはコロナ騒動はMMTが認知される絶好のチャンスであると語っているが、MMTが認知されるならば、ニッポンも再び黄金時代を迎えることも不可能ではない。 ちなみにこのグラフをみてほしい。中国はまさにMMTを実践しているのだ。彼らはコロナ後、GDPを二倍にすると言う。マネーを供給し得るのは政府であり、そのマネーを分配するシステムが市場経済なのだ。政府がPB黒字化することは、民間の赤字化。国民は貧困化することは明明白白であろう。 コラム:MMT時代に突入か、中長期はドル安の公算=高島修氏

  • 世界はわれわれによって支配される運命なのであると再建主義者

    ニュークリーチャーであるエロヒム属がキリストと共に天の御座についていることは事実。また「地を治めよ」との委託もあることも事実。が、このような論調にはかなり違和感を禁じ得ない。なによりも聖書はこう語るのだ: もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 神の国はいのちと統治。それはキリストのいのちの現出である。 世界はわれわれによって支配される運命なのである

  • 真水57兆へ-MMT認知のチャンスである-

    GDPの定義は三面等価の原理により $$Y=C+I+G+(EX-IM)=C+S+T$$ だから $$(S-I)+(T-G)+(EX-IM)=0$$ where Cは消費、Iは投資、EXは輸出、IMは輸入、Sは貯蓄、Tは税。 つまり第二式は<民間収支+政府収支+海外収支=0>であることを示す。海外はほぼ0として、政府が黒ならば、民間は赤になるのだ。PB黒字化などがいかにおかしなことかわかるハズ。体で言えば、造血系と心臓が血液を貯め込む状態である。もちろん体は貧血・栄養障害を起こす。これがデフレだ。 https://www.youtube.com/watch?v=bgEZQ00DWp0 上のYの式において、CとIが増やせないのであれば、Gを増やしかないであろう。金融緩和はすでに十分やって、今や日銀が買える国債が底を尽きかけている。国債を発行して金融緩和を継続し、かつ財政投資を行わなければ、日銀の当座口座に溜まるだけ。これはマンデル・フレミングのセオリーだ。NYのクモオ市長も公共事業をするとのこと。 すでにスペシャル・レクチャーでも語ったが、今回の危機はMMTが市民権を得る絶好のチャンスである(☞スピリチュアルMMT)。 自国建て国債は破綻もハイパーインフレのリスクもないと財務省も明確に宣言している。ではなぜ、この30年緊縮できたのか。実に謎だ。 https://www.youtube.com/watch?v=Nff6-apn2Lc すでにわが国は経済大国ではない。このことをまず認識しないと老人が脱水症に気づかないままに逝ってしまうのと同じことが起きる。次のグラフを見てみよ。 かつて三島は、このままだと空疎でニュートラルなある経済大国が残ると予言したが、それはすでに外れている。経済弱小国に落ちたのだ((現在、世界三位と言っても、米は2,000兆、中国1,300兆、日550兆だ。今回の経済危機で企業が倒産し設備を失えば、450兆になりかねない。だから最低100兆のGの出動が必要なのだ。))。ヘタすると中国の倭国自治区になりかねない。香港の危機は近未来の日本の危機でもある。

  • 宗教なるキリスト教に生きること

    https://www.youtube.com/watch?v=RsaCY0cBrrA 私は20年、ニッポンキリスト教なるマトリックスをエクソダスせよと訴えてきている。根拠はエレミヤ書にあった― Empty spotlit metal background キリスト教にある生き方と霊のリアリティに生きることはまさにこのカリカチュアのとおりである。 ついには・・・・

  • AD70に旧約の聖徒は復活し携挙されたと再建主義者

    これも面白いのでクリップしておこう。 携挙はないという謬説 携挙がない、という人々がいるが、もし携挙がなければ、紀元70年に復活した旧約のクリスチャンはいったいどこに行ったのだろうか。パウロははっきりと「まず死者が復活する」と述べている。4.携挙がない、という人々がいるが、もし携挙がなければ、紀元70年に復活した旧約のクリスチャンはいったいどこに行ったのだろうか。パウロははっきりと「まず死者が復活する」と述べている。兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・50-53)主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・16-17)旧約時代のクリスチャンたちは、紀元70年頃の再臨と携挙によって、復活し、パラダイスに上ったのである。もし彼らがそのときに復活していなければ、まだ「シェオル(黄泉の「慰めの場所」)」にいることになる。テサロニケのクリスチャンに対してパウロは「私たちは、いつまでも主とともにいることになる」と約束しているのだから、パウロもテサロニケのクリスチャンたちも、今主イエスと同じ場所(つまり、パラダイス)にいるはずである。となると「旧約のクリスチャンは復活せずにシェオルにいて、パウロとテサロニケのクリスチャンは復活してパラダイスにいる」ということになる。これは「クリスチャンの一体性」から考えてありえない。文字通り解釈すべきである。「キリストにある死者が、まず初めによみがえ」らなければならない。つまり、旧約のクリスチャンが最初である。そして、パウロの時代のクリスチャンが続く。旧約のクリスチャンは

  • 緊急事態宣言解除へ

    ・・・というわけで、壮大なフェイクによるこの7週間。ほんとアホらしいと思いつつ、ようやくと。極私的にはGYMとライブハウス、そして映画館を再オープンしてほしいところだ。 このグラフ見れば、なんら効果はなかったことは明白。これから経済死する人たちのケアがカギだが、財務省のPB黒字化の呪縛で、真水が25+15兆程度。しかも個人に対する給付は一回限りと。ニッポンはほんとうに弱小国家に落ちぶれるでしょうね、このままだと。 まあ、でも自粛要請破りの常習として昨日も鎌倉散策へ。実は本日もG-Kizらと江ノ島で遊んでまいりました。 この投稿をInstagramで見る Luke Karasawa(@dr_lukekarasawa)がシェアした投稿 - 2020年 5月月23日午後8時27分PDT 安倍氏は相変わらず言葉が空転していますが・・・・。 https://www.youtube.com/watch?v=xjOh7KaLTKA

  • 本日は藤村操の命日でした

    巌頭之感悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。 写真はちょっと若き頃のワタクシ。やっぱり若いか(笑) 現代社会の自殺はどんな意味があるだろう。デュルケームの分類はもはやあまり意味がないと思う。藤村や谷山や高野のような高尚な自殺はもはやない。生活苦か借金苦、後はイジメ。これも多分バブルから以降のカネがすべてモードのためであろう。卑しい精神性喪失の慣れの果てだ。 で、ワタクシも漢詩をひとつ― 黒鳥孤り銀波を飛ぶ 一石外洋 一碧 遠帆を收む渺渺(びょうびょう)たる銀波 風意柔らかなり黒鳥 孤り飛び 何処(いずこ)にか去る虚空に 意の如くして 跡を留めること無し(七絶・平起式・下平声十一尤韻)

  • わが予言の成就

    これは2018年9月10日のFBにポスト。この五輪には天意がないとずっと語ってきたが、今回は地震ではなかったが、地震もヤバイモードになってきた。 東京湾で地震が4連続!M3.5・M2.6・M2.9・M2.9 首都圏地震の震源域 長野や岐阜の群発地震も続く 揺江月  一石高樓金鏡滿 何来忽生風麈面揺江月功名一切空(上平声一東韻) 高樓に 金鏡滿ち何来より 忽ち風を生ず麈面に 江月揺るぎ功名 一切空(むなしく)ならん あの藤原道長を意識している― この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

  • べにふうきを仕込みました✨

    先に紹介したエピガロカテンガレード(EGCG)を最も含有するお茶“べにふうき”を仕込みました。熱めに入れるともっともEGCGが抽出されるようです。粉末なので、茶器で抹茶風に煎じてもイケますね😊(上の写真の茶器と皿は手作りのものです) 日本でこれだけ被害が少ないのは、BCGとEGCGのお陰である言えるでしょう。

  • 二重写しの予言か二回の携挙・再臨か?

    いわゆるプレ・ミレのディスペンセイション主義の立場ではマタイ24章やルカ21章の終末予言はAD70年のエルサレム陥落と来るべき終末の状況が重ねて記述されていると考えている。 対してポスト・ミレの再建主義者はそれらをAD70年に限定し、その代わりに二回の携挙・再臨を唱える。AD70年に一度目の携挙と再臨があり、その後千年期に入り、千年期の終わりに二度目の再臨をすると。まあ、「再臨=セコンド・カミング」が二回あるというのは御愛嬌だが。 この記事の初出は2013年1月17日である。 さて、マタイ24章の預言は、いわゆるプレ・ミレの私はAD70年のエルサレム崩壊といわゆる終末における艱難時代が二重写しになっていると解釈しているが、理由は― その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。-Matt 24:1 果たしてAD70年のローマによるエルサレム陥落は「かつてなく今後もないような大きな艱難」なのだろうか。それと 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。-Luke 21:24 現在のエルサレムはどうか。いまだに異邦人によって踏みにじられているだろう。よって異邦人の時、すなわち教会時代、恵みの時代は満ちてはいない((この意味についても最近異論が出されているが、ここでは触れないで、「定められた異邦人がすべて救われるまで」と普通に解釈しておく。))。ゆえにAD70年の事ではあり得ないのだ。 そこでいつものポスト・ミレの再建主義の富井氏によると面白いことが書いてある。ちなみに彼は、AD70年に主は再臨されたとし、再度千年期(今の時代)の終わりに主は再臨されるするのだ。理由は使徒行伝の「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(Acts 1:11)とあるゆえに、AD70年にこれは成就していないと私が指摘したところ、再臨は二度あると主張するに至ったわけだ。 そして今回、「聖書は明らかに二重の再臨という考えをしています」と言われている!なるほど私たちがマタイ24章は「二重写しの預言」とするのに対して、「二重の再臨」と言うのだ。これは面白い。ちょっと

  • 携挙はAD70年に起きたと再建主義者

    ついに神の祝福を受けるために埴輪の恰好を実践している様子の富井氏。かれによると携挙は正しい教えだが、それは未来の事ではなく、AD70年に起きたことであると。(一度目の)再臨もAD70年にあったとするわけだが、どこをどう読むとそのような結論が出るのか?というより、再建主義の理論体系を維持するためにそのように解釈するしかないというところがホントだろうと愚考する次第。 携挙の教理そのものに問題があるわけではない 1.福音派の教会において「今は終わりの時代」とよく言われる。しかし、聖書において「終わりの時代」は、紀元70年である。なぜならば「神殿が崩壊する時代こそ終わりの時代」と言われているから。 「イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』」(マタイ24・1-3)神殿崩壊は紀元70年に起きた。3.携挙の教理自体は、イエズス会の産物ではなく、ピューリタンのそれである。「携挙」という考えを最初に表明したのはアメリカのピューリタンの父子インクリース&コットン・マザー。 ”前千年王国説において、「携挙」という考えが最初に表明したのは、17世紀のアメリカのピューリタンの父子、インクリース&コットン・マザーであった。彼らは「クリスチャンたちは、空中に携え挙げられ、その後に地上に審判が下り、その後、千年王国が到来する」と考えていた。[13] [14] 「rapture(携挙)」 という用語を用いたのは、フィリップ・ドッドリッジ [15] とジョン・ギル [16] であり、彼らは、自らの新約聖書注釈書の中において「クリスチャンは、地上の審判とイエスの再臨に先立って携え挙げられるだろう」という意味で使用した。”・・・それゆえ、携挙の概念そのものに問題があるわけではないことは明らかである。問題は、ジョン・ダービーが示した「再臨未来説(ディスペンセーション主義プレ・ミレ)」の中に組み込まれた携挙(患難前携

  • 埴輪の恰好をする再建主義者

    どうも実際に衣の房をぶるさげ、鬢髪を伸ばしているご様子。 服装についても聖書に従順であるべきではないか2 たしかに律法に記されたことは、人種民族を超越した普遍的なものとみなければならないと思います。動物犠牲は、キリストの犠牲という本体が現れたので、廃棄されましたが「律法は永遠の掟」なのです。動物犠牲が廃棄されたからといって、その本質である贖罪の掟は廃棄されたわけではなく、キリストの十字架という形で残っています。新約時代の私たちにとって、動物犠牲は、キリストの贖罪の必要性を教える手段です。罪を贖われるための動物犠牲の儀式を知ることによって、キリストによる贖罪の必要性を学びます。レビ記11章4-7節の「反芻するが、蹄の分かれていない動物」が不浄とされたのは、蹄が「区別」を意味するからです。神の民は「善悪の区別をしなければならない」ので「蹄の分かれている動物」がふさわしく、「蹄の分かれていない動物」を食べるべきではなかった。神の民は「御言葉を繰り返し思い返し、それについて深く考えるべきな」ので「反芻する動物」がふさわしく、「反芻 しない動物」を食べるべきではなかった。これらは、実物教育だったのです。実物を通じて、神は御民に霊的な規則や真理を学ばせ給うた。キリストという本体が現れた以上、このような実物教育は旧約時代において終わり、食物規定は消滅しました。しかし、「神の民としてあるべき姿」を教えるという意味において、今でも旧約律法は有効です。私たちはこれらの食物規定によって「御言葉を反芻し、善悪を区別すべき」と学びます。では、衣の四隅に房をつけるや鬢の毛を伸ばすは、どう解釈すべきか。「房」は、律法を思い起こす手段です。聖書において、人間の裸を隠す「衣」は「キリストの贖罪」を象徴します。また、「四隅」は「すべて」を意味します。その四隅に房をつけることにより「自分はキリストの贖罪によって完全に覆われている存在だ」と理解し、それと同時に「キリストに属する者として、聖書法に従って歩むべきだ」と思い出します。私は、四隅に房をつけてから、それを見るたびに、「聖書的に歩まねば」と思うようになりました。このような規定は、人間を創造された方の「計り知れない知恵」だと思います。伸ばした鬢の毛も同様で、それが人間に与える効果は、おそらく「神の民としての自覚」だと思います。鬢の毛が視野の中に入ることにより「自分は神の民なのだ」と自覚が

  • TODAY’S CELEBRATION May 17, 2020:モルフォジェネティック・ネットワークに植え込まれる

    MSGタイトル:モルフォジェネティック・ネットワークに植え込まれる引用聖句:Gen 1:28;Col 2:19;John 10:34-35;3:6;James 1:18;1Pet 1:23;Rom 6:5;1Cor 3:9;Gal 4:19;Rom 8:28-30 etc.2020年5月31日(日)のセレブ(隔週実施を予定)・場所:ハロー会議室石川町元町・時間:13.00-17.00プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(しばらくお休み)セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

  • 古いものを削り新しく生きる

    https://www.facebook.com/live.on.the.jukevox.t.ai.u/videos/157520881122376/ 自分の実績とか功績とか、古いものを大事するようになったら、霊的歩みはオワル。痛みを伴うが、絶えず古いものを削られて、新しいいのちの芽生えを味わうこと。これがメタモルフォーシスだ。

  • 富と力を受けるために埴輪の恰好をすると再建主義者

    ついにここまでの感が・・・。 服装についても聖書に従順であるべきではないか 千葉県で発掘されたユダヤ人埴輪の特徴は、ペヨット(鬢の毛)と衣服の房である。 http://www.millnm.net/img/upload/1589505110image.pngよく「ユダヤ人埴輪の特徴は帽子だ」と誤解する人がいるが、間違い。なぜならば、聖書に帽子の規定はないからである。聖書にある規定は、「鬢の毛を伸ばせ」と「衣服の四隅に房をつけろ」である。この埴輪には、カールしたペヨットが見られ、右のユダヤ人のそれと似ている。おそらく、埴輪に多数見られる美豆良は、ペヨットの変形だろう。つまり、古代日本人の服装は、ユダヤ人のそれだった。彼らは、律法を守る人々だった。そこで私も同じようにしようかと思っている。古代の日本人がそうしたように、美豆良をし、袖と裾に房をつけようかと思っている。神がイスラエルに対して与えられた約束は、「律法を守れば祝福される」である。服装に関して律法を守っているユダヤ人は、現在、世界一の金持ち民族である。「力を得ること」と律法遵守が互いに相関関係にある以上、われわれは服装についても聖書に従順であるべきではないか。 ちなみに美豆良とは角髪(みずら)のことであろう。 聖書は何と言っているか: わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。-エペソ1:3キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。-同2:6

  • 内なる塗油はすべてを教える

    311でも、コロナでも、大衆は感情によって容易にマニュピレートされることが分かる。人は大脳辺縁系を刺激されて恐れを惹起されると知性は抑圧され、エビデンス&ロジックは吹っ飛ぶ。何かにすがりつき「権威」の言うがまま。で、一億総マスク。もはやちゃちな漫画のオチだ。 かくして肉(肉体+魂)による反応ではなく、霊の反応がまず先に行われるべく訓練される必要があるのだ。 ☞霊の機能と魂・体との相互作用について

  • コロナは3月末にはピークアウトしていた

    私は3月27日の時点でこう言った: そして今、このような評価がなされつつある。緊急事態宣言の効果をきちんと評価すること。果たして40万人以上が死亡するような事態だったのかどうか。これをしないのが日本の伝統でもあるのだが。今後、経済の手当てができるか否かは、MMTの理解にかかっていると言ってよい。 緊急事態宣言は「壮大な空振り」だった 死者はアメリカの8万5000人、イギリスの3万3000人に対して、日本は668人。昨シーズンのインフルエンザ死者3325人の20%である。国を挙げて大騒ぎした新型コロナ対策は、壮大な空振りだったといわざるをえない。 コロナの功罪、プラスとマイナスを再評価する必要がある。習近平やカジノやインフルを追い払い、ニッポンキ業界を開店休業に追い込んだが、これはプラス。経済は墜落したが、繁盛してる業界もあるし、今こそマネーの本質MMTに目覚めるチャンスでもある。何より各人の覚醒だ。 結局ね、人が生きるってどういうことかが問われたわけ。要るものと要らないものが仕分けされた。以前には戻らないから、特にボクシなどは不用品の最たるものだからね😉

  • 振るい分けの時代

    いわゆるボクシがいて、日曜礼拝があって、そのお勤めに従っていればクリスチャンとしてのアリバイができるといったキリスト教の在り方はすでに崩壊している。私は20年近く、このキ業界なるものはガラガラポンされる必要があると言ってきた。その焼野原から純粋なYahawehエロヒムの復活のいのちの業が現れると。時代はまさにそのとおりになってきた。今は振るい分けの時代。これまでのパラダイムを離脱できない者は落とされる。

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