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  • フランク チャンピオンの碑

    ここ高知市の鏡川のほとりの土手に、アメリカの飛行士「フランク チャンピオン」の記念碑が立っている。日本では、まだ飛行機の珍しい大正時代(1917年10月30日)に高知市の上空にやってきて、数々の曲芸飛行を観せた。高知市朝倉の陸軍の広い練兵場の上空で、当日は10万人

  • ドノホウメダルとコメットメダル

    戦前の彗星発見者には、アメリカ太平洋天文学会が発行する「ドノホウ メダル」が授与された。日本では本田実氏を初めとして、古くは山崎正光、下保茂、岡林滋樹氏らの発見者がもらった。メダルの表面には美しい彗星の姿が彫刻されていた。戦後になって、いったん廃止され

  • 永遠の瞬間

    本田さんがカラーで撮影して下さった「関彗星1961 T1」は、発見後次第に地球に接近してきて明るく大きくなった。そして10月の下旬には0.1天文単位と地球に大接近し、満月の大きさとなって一晩に30度以上も動いて南下した。あまりにも急速な運動だったために一旦見失ったが

  • 秘密のレンズボックス(2)

    1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」 電報を発進したのは、天体掃索部の下

  • ☆ 国内彗星会議☆彡

    古い写真アルバムを見ていたら、半世紀ほど昔の静岡市での「彗星会議」の写真が目についた。 国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二

  • 秘密のレンズボックス(1)

    口径88mmのレンズを装備した自作のレンズボックスです。この木製の四角な箱の中から新彗星が飛び出しました。そうです、1961年の関彗星、1962年の関ラインズ彗星、そして怪物の1965年のイケヤ・セキ彗星です。 写真は、1961年10月11日、暁天のしし座に新彗星らしい謎の光

  • 竜馬最期の場所

    私の住んでいる高知市の上町は歴史的な伝統の街並みである。明治大正から栄えた白壁の酒屋や、道場、それに製紙工場が何軒かあった。上町1丁目の「竜馬郵便局」の前に大正時代から続いたと思われる古い門構えの家を発見した。それは竜馬が暗殺された京都の近江屋そっくりで

  • 鷲尾山の追憶

    高知市の私の家から、遠く真南に見える美しい山は「鷲尾山」と言う。標高は300mであるが見晴らしがよく、頂上からは南に太平洋の広い海原が見渡せる。 小学低学年の時、学校から遠足で登り初めて海をみた。蒼茫たる大海原には、いつも白い外国航路の汽船が浮かんでいた。

  • 上町の名所遺跡案内

    先に紹介した「龍馬の生まれたまち記念館」には「龍馬」を慕って、県外から多くの観光客が訪れる。記念館には常時専属の案内人が付いていて、希望者には上町の名所を案内する。 まず、龍馬誕生の地の案内板の建っている、上町1丁目の屋敷跡を第一に、龍馬が少年時代に剣術

  • 竜馬の生まれた町記念館

    先に高知市の上町1丁目にある「竜馬郵便局」について紹介したが、同じ上町の2丁目にある「龍馬の生まれたまち記念館」について紹介する。 私の家から、わずか東北に100m位のところにある同記念館は、比較的新しい施設である。明治維新に活躍した坂本龍馬のほぼ完ぺきな資

  • 夕焼け空の幻想

    高知市上町2丁目の自宅屋上からの西の眺めである。とりわけ、美しい夕焼け空の見える場所でもある。(添付写真) 大正時代には私の祖父が、同じこの場所で珍しい蜃気楼を見た。昭和になって、高知市の各地で蜃気楼が見えたが、今はその様な噂を聞かない。 1951年頃であ

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