chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 江黒古墳 明和町上江黒

    利根川左岸の自然堤防上に立地する群馬県明和町の江黒古墳を訪れた。径約10mの円墳。江黒古墳の北西約500mの上江黒遺跡では、2021年の発掘調査で古墳時代の集落の存在がわかった。 明和町指定史跡 江黒古墳 昭和五十六年四月七日指定 所在地 上江黒五五一番地 所有者 長良神社 この古墳は、径約10m、高3mの円墳である。 昭和五十六年に実施した周濠部分の発掘調査により、七世紀後半のものであることが確認されている。 古墳は、三世紀末から七世紀末にかけての期間築造されている。 平成二年九月 明和町教育委員会 麦畑 古代からの悠久の歴史と文化/明和町公式ホームページ 明和町の文化財と歴史 公益財団法人…

  • 東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の後は、羽生市や加須市の古墳巡りのつもりでいたが、急に利根川対岸(左岸)の古墳が気になり予定変更。ナビは東北自動車道で利根川橋を渡ることを薦めるが、無課金を選択して国道122号の昭和橋を渡るルートを選択。利根川右岸を並走する埼玉用水路沿いの道を西進すると目の前に東武伊勢崎線の煉瓦造の橋台。 東武伊勢崎線の煉瓦構造物 にほんブログ村

  • 御廟塚古墳 羽生市下村君

    御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(とよきいりひこ)の孫の彦狭島王(ひこさしまおう)が埋葬されたとする伝承が残る」、文献[2]によれば「前方後円墳、馬具、陶棺、天井石民家にあり」、文献[3]によれば「填長推定60m」「 <その他> 古墳の中央を北方用水が通り、南北に分断された。後円部削平、前方部のみ残存、計測不能」「 <主体部>位置:後円部、室:横穴式石室?、乱掘:1880年開墾のため…

  • 稲荷塚古墳 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前に村君古墳群の稲荷塚古墳と御廟塚(みびょうづか)古墳とを巡った。稲荷塚古墳は 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば径20mの円墳。文献[1]によれば「円墳、規模不詳、埴輪、墳丘上に鷲宮神社」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 37 稲荷塚古墳, 38 永明寺古墳, 40 御廟塚古墳 にほんブログ村

  • 第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前後に、隣の会場で盛り上がっていた「第17回村君あおぞら市場in永明寺」も楽しんだ。焼きそばがなんと200円。 村君公民館 羽生市 村君公民館だより 2024年5月号 いがまんちゃんとムジナもん いがまんちゃん 羽生市 ムジナもん 羽生市 にほんブログ村

  • 気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君

    永明寺古墳 文化遺産オンライン 5月12日に埼玉県羽生市で開催されたイベント「気まぐれ散歩in永明寺古墳」に参加した。 県指定史跡永明寺古墳(ようめいじこふん)を歩いて、市職員が見どころを紹介。 古墳から出土した実物の埴輪も解説。埴輪は周溝の発掘調査で出土したもの。このイベントは今年で17回目となる「村君あおぞらいちin永明寺」の開催に合わせて実施された。10時からのイベントの前に、付近の古墳と、永明寺古墳を一人でまわって予習した。あとで気がついたが、イベントの参加者が写った写真が一枚もない。 永明寺 ③永明寺古墳(ようめいじこふん) (記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日…

  • 小松1号古墳 羽生市小松

    羽生市の「街の中に古墳があるまち」に紹介されている埋没古墳の小松古墳群の1号墳を訪ねた。埋没古墳なので、現地を訪れても墳丘が見つかるわけではない。墳丘も地面の下に埋まっている。場所は、小松神社の西隣。 1979年の下水道工事中に地表下1.2mから主体部(石室)が発見され小松1号古墳として発掘調査が行われた。石室の棺床面は約3mの深さ、胴張り複室構造の横穴式石室でほぼ南に開口、 床から鉄刀や装身具類が出土。7世紀前葉と考えられる。小松古墳群は、関東造盆地運動での沈降と河川の氾濫土の被覆で、その多くが埋没していると考えられる。文献[2]では「小松古墳、円墳、自然堤防・畑、直刀・鉄鏃・耳環・玉、埋没…

  • 発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館

    杉並区立郷土博物館分館で開催された企画展「発掘された弥生時代」を会期終了間際に鑑賞した。また、この日に実施された学芸員による展示解説にも参加した。本展では、大宮遺跡・鎌倉橋上遺跡・方南町峰遺跡群などの発掘調査成果をもとに、弥生時代の生活や葬送について紹介する。杉並区内では、これまで弥生時代の遺跡はあまり注目されていなかったが、近年の発掘調査により、弥生時代を代表する遺構である環濠集落や方形周溝墓が発見され、区内の弥生時代の様子が明らかになってきたとのこと。弥生時代を題材にした展示は区内初。大宮遺跡の方形周溝墓から出土した遺物が一堂にそろうのは発掘調査依頼54年ぶり。 杉並区立郷土博物館|杉並区…

  • 宝塚遺跡 船橋市海神

    海神山緑地の入口に建てられた宝塚遺跡(ほうづかいせき)の説明板。宝塚遺跡は過去の発掘調査で、古墳時代の竪穴建物3、溝1、土師器、軽石、石製模造品(臼玉・未製品・原石)を検出[文献1,2]。市内では初めて砂丘上に遺構を検出[文献1]。 宝塚遺跡(ほうづかいせき、海神3・4丁目) エビゾーくん 祭祀用の製品を作る工房があったんだね 宝塚遺跡は、過去に高坏などの土師器が見つかっており、遺跡があることが分かっていましたが、平成11・12 年に2地点で正式な発掘調査が行われ、古墳時代中期(5世紀)の竪穴住居跡が4軒発見されました。宝塚遺跡周辺の台地は厚い砂に覆われた砂丘であり、竪穴住居跡は、砂を掘りくぼ…

  • 京成本線のガード 船橋市海神

    京成本線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成本線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村

  • 1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚 飛ノ台史跡公園博物館

    飛ノ台史跡公園博物館(千葉県船橋市)で開催された企画展「1万年前のタイムカプセル 国史跡取掛西貝塚」を会期終了間際に鑑賞した。取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)は、船橋市飯山満町1丁目から米ケ崎町にまたがる、標高23〜25mの台地上に立地する縄文時代の遺跡で、東西約500m、面積約76,000㎡(東京ドーム約1.6個分)の範囲に、縄文時代早期前葉(約1万年前)の竪穴住居跡58軒(東京湾東岸部で最も古い貝塚を伴う集落跡で、この時期の関東最大規模の集落跡)と、シカのツノやイノシシの頭蓋骨を並べた跡(動物骨集中、儀礼の跡だとすれば日本最古)、貝塚からは貝殻、動物・魚の骨(食べ物)、土器・石器(生活の…

  • 玉川西陸閘・東陸閘 世田谷区玉川

    東急の二子玉川駅前に残る多摩川旧堤防に設けられた玉川西陸閘(りっこう)と玉川東陸閘を訪ねた。 北区豊島5丁目の隅田川旧防潮堤は「後世に伝えるためにその一部を保存した」モニュメントだが、こちらの堤防と陸閘は現役バリバリ。 玉川東陸閘 玉川西陸閘 二子玉川ライズ ガレリア 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】⑧多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2021/5/10)レポート - futakoloco 【二子玉川 水辺まちづくりレポート】今年も多摩川旧堤防・玉川陸閘(りっこう)の閉鎖訓練(2023/5/23)が行われました - futakoloco 世田谷区玉川 玉川西陸閘が稼働しています…

  • 隅田川旧防潮堤 北区豊島

    北区豊島5丁目に保存された「隅田川旧防潮堤」を訪ねた。このタイプのコンクリートによる堤防を「カミソリ堤防」と呼ぶそうだ。この辺りは両岸がスーパー堤防として整備されている。 隅田川旧防潮堤 隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっています。このため東京都では、高潮や洪水の対策として昭和三十二年から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和五十年に概成しました。高潮や洪水に対する危険は大幅に減少しましたが、隅田川とまちは分断されてしまい、河川から都民を遠ざける結果を招いてしまいました。 現在は、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある、水辺環境に配慮した堤…

  • 長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠

    米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)…

  • 米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満

    米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村

  • 米満横穴墓群Ⅲ-2支群 長南町米満

    次にすぐ南の長南町の米満(よねみち)横穴墓群に移動。米満横穴墓群は、太平洋に注ぐ一宮川水系三途川北岸の丘陵斜面に展開する県内最大規模の横穴墓群。ちば情報マップでは「7群140基。平成9年に町道改良工事に伴う発掘調査を実施、横穴墓10基・塚10基を調査。」 あいにく雨が降ったり止んだりの天気で、足場も滑りやすくなっていたため、米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基にターゲットを絞って探索。案内されれるがままに予備知識なしでいったので、理解が追いつかなかった。 豊栄神社 尾根上の塚 米満横穴墓群Ⅲ-2支群の1基 隣の1基 菜の花 横穴墓10基・塚10基が調査された町道 2023.1.21 千葉の横穴アドベン…

  • 徳増下谷横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)6号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)7号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)8号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)9号墓? 徳増下谷横穴墓群(仮)10号墓? この先は断念して引き返した にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    徳増下谷横穴墓群の探索の続き。 徳増下谷横穴墓群(仮)4号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)5号墓 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村

  • 徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も…

  • 長柄横穴墓群(その9) 長柄町徳増

    最後に長柄横穴墓群の第2支群の第35号墓を探索。尾根沿いに幾つかの塚を経由。 長柄横穴墓群第35号墓、南西に開口、家形、文献[1] タンポポの在来種 【タンポポの見分け方】日本で見られる代表的なタンポポは、二ホンタンポポ(在来種)とセイヨウタンポポ(外来種)、さらにその雑種もあるといいます。最大の違いは花のつけ根にある総苞片(そうほうへん)の形。見つけたら観察してみるのはいかがでしょうか。https://t.co/eFkO53Y9ZD pic.twitter.com/lJeOeoFvRa — ウェザーニュース (@wni_jp) 2024年4月20日 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター…

  • 長柄横穴墓群(その8) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第6小支群(第26,25号墓)と第5小支群(第24,23,22号墓)の5基。 長柄横穴墓群第26号墓、南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第25号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第24号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第23号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第22号墓、南南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第5小支群: 埼群古墳館別館 長柄町長柄横穴群第2支群第6小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調…

  • 長柄横穴墓群(その7) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第2支群の第7小支群(第30,29,28,27号墓)の4基。 長柄横穴墓群第30号墓、東南東に開口、ドーム形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第29号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第28号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第27号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第7小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その6) 長柄町徳増

    史跡長柄横穴墓群資料館の西側の整備された第1支群(4小支群、21基)を見学後、資料館の東側の整備されていない第2支群(5小支群、15基)を南西の第34墓(第9小支群)から北東の第22墓(第5小支群)へと逆順に探索。 長柄横穴墓群の第2支群の第9小支群(第34,33号墓)と第8小支群(第32,31号墓)の4基。 長柄横穴墓群第34号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第33号墓、南南東に開口、家形、棺座4、文献[1] 長柄横穴墓群第32号墓、東南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第31号墓、東南東に開口、蒲鉾形、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第8・9小支群: 埼群…

  • 長柄横穴墓群(その5) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その4) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第4小支群(第18〜21号墓)の4基。 長柄横穴墓群第18号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第19号墓、南東に開口、縦アーチ型、棺座2 長柄横穴墓群第20号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1 長柄横穴墓群第21号墓、南南東に開口、縦アーチ型、棺座1、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第4小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その3) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは?線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群…

  • 長柄横穴墓群(その2) 長柄町徳増

    長柄横穴墓群の第1支群の第2小支群(第5〜12号墓)の8基の続き。 長柄横穴墓群第8号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3 長柄横穴墓群第9号墓、南に開口、縦アーチ型、棺座2、見学不可 長柄横穴墓群第10号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄横穴墓群第11号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第12号墓、南東に開口、切妻型、棺座2、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第2小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

  • 長柄横穴墓群(その1) 長柄町徳増

    春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡…

  • 橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館

    ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で開催された川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘…

  • 狐塚古墳と八幡塚古墳 (再訪) 世田谷区尾山台

    御岳山古墳から、狐塚古墳を経て、八幡塚古墳のある宇佐神社を再訪した。 狐塚古墳 世田谷区立狐塚古墳緑地 狐塚古墳(きつねづかこふん) 世田谷区は、この狐塚古墳を後世に残すため、 区立公園として整備・保全いたしました。公園全体が古墳の一部となっておりますので大切に保全、利用していただきますようお願い致します。 狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後期(5世紀後半)の古墳です。 この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけての古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは…

  • 等々力不動尊と御岳山古墳 (再訪) 世田谷区等々力

    「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子がうかがえる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、挂甲の武人さんをフォローしませんか?

ハンドル名
挂甲の武人さん
ブログタイトル
週末は古墳巡り
フォロー
週末は古墳巡り

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用