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  • 優しさだけでは生きていけない

    いよいよ今日で退職をする人や転勤をする人がいる。昨日、かつて嫌がらせをさせていた人と会った。彼は定年退職を迎える。何人もの人に嫌がらせをして、苦しめてきた人だ。その被害にあった人は、10人ぐらいになる。不幸にして、退職した人もいる。心を病んだ人もいる。そんな人たちの犠牲によって、彼の仕事は成り立ってきた。そんな彼を許せないと思う人は会社の中にたくさんいる。私は彼を許せずに、途中から報復を試みた。泥仕合のような醜い戦いだった。戦いはどちらも疲弊し傷を負ったままで終結した。時には、許せずに、戦わなければいけないときもある。優しさだけでは生きていけない

  • 会いたいときにあなたはいない

    現実逃避をしていた。あまりに仕事量が多く、今晩は夜12時を過ぎるだろう。休憩中にYouTubeで昔のドラマを観ていた。中山美穂主演の遠距離恋愛をテーマにしたドラマ。付き合っていた彼女と遠距離恋愛になったころを思い出していた。スマホもなかったが、何だかいい時代だった。電話をかけても、相手がいないことが多かった。それが切なさと思いを増長させた。少しだけ元気が出た。さて、あと二踏ん張りぐらいするか。会いたいときにあなたはいない

  • 僕の中の・・・

    昨日は夜11時に帰宅した。あまりの業務量の多さに心身共に疲弊している。ソファに寝ころびながら、予約してたまっていた番組を眺めていた。渡辺美里の2020年のコンサートビデオを見た。懐かしい楽曲が心に染みた。「僕の中のロックンロール、帰り道はいつも・・・」この歌詞が疲れた心に染みた。聴き終わると自然と涙がこぼれていた。今日もがんはるのみ。僕の中の・・・

  • 今年で54歳になる

    怒涛の忙しさだ。土日も出勤していた。それでもまだやることは山積みしている。今年で54歳になる。54歳の春・・・たいしたいいこともない。淡々と時が流れている。がんばれ自分、そして昭和42年生まれの人たち。今年で54歳になる

  • 許すということ

    若いころに、いじめられた先輩が退職する。私が30歳ぐらいのころ、同じ部署に配属になった。まあまあ、しつこい性格で、いろいろなことで絡まれた。よく、人を許しなさいということが、啓発本でも書かれているが私は今でもその人のことは、許せない。しかし、いつかこの人より、自分の地位が上に立ってやるという強烈な復讐心が今の私を創ってくれた。昇任していくうちに、次第に彼のことは脳裏から離れていった。今でも「許せない」という感情は消えないが、もう終わったことという想いがあるのも確かだ。結果的にあの人に意地悪をされたことで、自分は仕事を頑張るようになった。一番の復讐は、その人より出世したり、成功したり、幸せになることなのかもしれない。許すということ

  • 鈍感になってはいけない

    27年前、平成6年に入社した。この会社に入ることがうれしくてたまらなかった。両親も喜んでくれた。27歳の春だった。やっと就職が決まった。あの働けるという喜び希望していた職種に就けるという喜びしかし、年を重ね、日に日に働かせていただけるということに鈍感になっていくもう一度初心を思い出してこの会社に尽くす鈍感になってはいけない

  • 別れ際

    転勤、退職のシーズンを迎えた。みんなに嫌われていた取締役が退職する。在職中は、部下をいじめ、暴言を吐き、誰からも嫌われていた。しかし、人事権を持っているので逆らえなかった。醜い表情をしていた。意地悪で姑息な性格だった。自分より弱者には、攻撃的だった。自分より強者には、媚をうって生きていた。先日、彼のもとに挨拶に行った。「ご栄転のポジションには行けなかったな」と嫌味を言われた。最後まで嫌な奴だった。「やっといなくなる」という会話が彼の部署から盛んに聞かれるようになった。最後まで部下から嫌われて終わるサラリーマン人生・・・反対に出世はしなかったが、お忍びで挨拶に来る人たちが後を絶たないベテラン男性がいる。部下の失敗は自分がかぶり、成功は周りの人たちのおかげにしてくれる。懐の深い優しい男性だった。挨拶に行くと「力入り...別れ際

  • 出世するほど絞っていく

    出世しそこそこの収入を得ると、途端にお腹が出てきて、ブランドの装飾品を身に付ける人たちがいる。みんな顔には驕りが表れている。私は反対のような生き方を目指す。体は鍛え、絞り、服や装飾品は控え目にしていく。そんな上司になっていきたい。出世するほど絞っていく

  • あーあー

    休みたいという思いが月曜日の昼から脳裏を横切る。疲れた、休みたい、憂鬱だあ、こんな思いが満ち溢れている。しかし、この大変さが生きるということ。昭和42年生まれ、今日も何とか生きている。負けてたまるかあーあー

  • 休日

    土曜日の過ごし方6:00起床6:30~7:30海沿いの道をウォーキング10:00~12:00映画館で映画鑑賞12:30蕎麦屋で昼食14:00~16:00家の掃除17:00~18:30ジムでトレーニング20:00~22:00家族で外食(焼肉屋さん)22:30就寝日曜日の過ごし方6:00起床6:30~7:30繁華街の街の中をウォーキング10:00~12:00買い物・本屋13:00コンビニで買ったもので昼食13:30~15:00昼寝16:00~18:00映画館で映画鑑賞18:30~19:30温泉19:30~20:30整体で体をほごす21:00夕食22:30就寝自分なりにリフレッシュできた。さて、今週もボチボチがんばりますか。休日

  • そこそこの幸せ感

    50歳を過ぎ、人生のだいたいの勝敗はついた。すごい金持ちにはなれなかったが、それほど貧しくもない。すごい美人と結婚しなかったが、気持ちの優しい妻と一緒になれた。娘にも恵まれた。二世帯住宅を建て、親孝行できた。そこそこの幸せ感のある人生になった。あとはなあ、取締役等のいわゆる重役になれるかどうかということだ。厳しい出世レースの中で、日々、苦しみながら生きている。ストレスとプレッシャーがこれでもかというぐらいに毎日襲ってくる。けど、この苦しみがあるから、人生は味わい深い。今日も一日が始まる。そこそこの幸せ感

  • 器が出る場面

    上司に判断を求めたら、冷たく嫌味を言われた。「なんで」「だから」「どうしてほしいの」そんな言葉ばかりを発してきた。そして最後に「俺、もう帰るわ」という捨て台詞を残していった。こんな人に使われてきたかと思うと情けなくなった。彼はもう少しで定年退職だ。きれいな終わり方をすることができない哀れな人だ。自分はどんな生き方をしていくのか。器が出る場面

  • いつかを信じて・・・

    街の歌が聞こえてきて・・・真夜中に恋を抱きしめたあの頃・・・高校生の頃、佐野元春の「Someday」をテープが擦り切れるほど聴いていた。ちょうど好きだった彼女に失恋したころだった。1984年の秋だった。あれから37年が経過した。高校時代の親友とも年に数回電話で話すぐらいだ。あの頃、同じ時間に同じ思いで遊んだ友が懐かしく思えてきた。みんな必死になって生きているに違いない。自分も頑張らなくては・・・今晩は「Someday」を聴きながらジムでトレーニングをしよう。いつかを信じて・・・

  • 自分を勇気づけてくれた曲

    1986年3月、私は二年目の浪人が決定し、一人都会の予備校へと旅立った。失意と絶望のどん底だった。新幹線の中ですれ違う大学に入る人たちの表情は輝いていた。それら比べて私の表情はどす黒く、妬みと嫉妬に満ち触れていた醜い表情だった。あのとき車内で聞いた曲が渡辺美里のMyRevolutionだった。自分に勇気を与えてくれた。結局私は二浪目を何とか乗り越え、地方の国立大学に進学した。今朝、車の中でこの歌を聴いてきた。まだまだがんばれるそんな思いになった。昭和42年生まれの皆さん、大切な曲を時々聞いてみる心の余裕はありますか?私も疲弊していてそんな余裕すらない日々を過ごしていますが・・・がんばりましょう。自分を勇気づけてくれた曲

  • 53歳の感謝

    働く場所があることに働ける仕事があることに感謝して生きないと・・・今の生活ができるのは、働いているから・・・さあ、今週もがんばっていきますか。昭和42年生まれの方々、モチベーションをあげていきましょう。今朝、ラジオからレベッカのロンリーバタフライがかかりました。名曲ですね。心がぎゅっと締まりました。53歳の感謝

  • 悔しさ

    32歳の時に異動の内示を受けた。希望先とは違う部署だった。それも地方の営業所だった。「私は君の人事に尽力したが、君の評価は低いみたいだ」と上司に言われた。悔しくて外に出た。公園の噴水の所で途方に暮れていた。今でもあの時の上司の勝ち誇った顔が忘れられない。あの悔しさを胸に今日も仕事に励む。負けてたまるか。悔しさ

  • 生きるって戦いなんだ

    去年までは繁盛していた店が閉店した。老朽化していた建物はすぐに更地なった。その更地を呆然と眺めていた初老の男性がいた。店の経営者の男性だ。体が小刻みに震えていた。生きるのは戦いなんだと改めて感じた。今日も一日が始まる。生きるって戦いなんだ

  • 置かれた場所で咲くしかない

    昨日は夜の寂れた繁華街をウォーキングした。街には、「休業」「閉店」の張り紙がたくさん貼られていた。感染症がいかに人々の生活に暗い影を落としたのかを改めて感じた。私はそんな中を悶々と歩いていた。自分が理不尽と感じる会社の人事への不満を考えながら一人街を彷徨った。53歳の男が・・・今までの人生のいろいろな場面を思い出していた。「置かれた場所で咲くしかない」昔、読んだ一節を思い出した。そう、グダグダ言っても始まらない。このプレッシャーと不満の渦巻く場所で生きるしかないのだ。今日も一日が始まる。やるしかない。置かれた場所で咲くしかない

  • サラリーマン

    53歳のサラリーマンの皆さん新年度の人事はどうでしたか?私は前例のない人事となりました。普通なら他の部署に異動になるのに・・・私は同じ部署になりました過去の人事では例のないことですなぜ、私が・・・そんな思いで頭がいっぱいでしたが、やるしかありません。理不尽なことに耐えるのがサラリーマンの宿命あと10年もすればリタイアし、この傷が風化されるのではないでしょうか腐らずに生きていくこと昭和42年生まれの方々、おそらく、理不尽に耐えながら仕事をしている人が多いと思います。共にがんばりしょう。ここまで図々しく生きてきたんです。これから何とかなります。サラリーマン

  • 人事とは

    人事とは理不尽なものなり真面目に働いていても報われない時もあるしかし、腐ってはいけない耐えなければ・・・全ては生きていくために・・・みんなが納得する人事なんでないのだから・・・わかっているが心が痛む負けてたまるか人事とは

  • 月曜日の朝

    今週も始まるのかという思いしかし、こんな時代に仕事があることそれも激務だそして部長職だ会社の業績も好調を維持している大変な事案は抱えているが、それでも死ぬようなものではない週末もそれなりに休めているジムにはほぼ毎日行くことができている土曜日の夜は妻と外食を楽しんでいる映画も月2本は見ることができているお気に入りのマッサージ屋さんにも行くことができているそれなりに幸せだその幸せに感謝しながら生きていこう月曜日の朝

  • 我慢の代償

    若いころは、楽しんで仕事をする職に就きたいと思っていました。しかし、53歳の現在、私は仕事とは、「我慢の代償としてお金を稼ぐこと」だと思います。我慢、我慢、我慢、ひたすら耐え忍んで・・・心身共に擦り減らしながら・・・そうやって働き、お金を稼ぎ、家族を養い、生きています。今日もがんばります。我慢の代償

  • 仕事では常に敬意を払え

    「マウントを取る」という言葉がよく使われます。また、「マウントを取りたがる人」が多いと感じます。しかし、私は仕事では常に相手に敬意を払う必要があると思います。常にへりくだって、相手に気持ちよくなってもらうことが大切だと思います。しかし、これは非常にストレスがたまります。だから、私は「仕事」と割り切っています。プライベートでは絶対に会うことはないと思う人とは、とにかく「仕事」と割り切っていた部分があったから、誰とでも話すことができています。今日もその仕事が始まります。仕事では常に敬意を払え

  • 部長とは

    部長になって6年最初は30人ほどの部署に3年その後、100人ほどの部署に配置され現在に至る部長になって6年の歳月が流れたこの6年間、自分なりに学んだことは、部長とは、常に周囲に気を配っていなければならない職業だということ心身共に激しく消耗するしかし、やるしかない負けてたまるか部長とは

  • 胸が苦しくなることがある

    常に決断の連続だ。対処の難しい案件が山積している。胸のあたりが苦しくなってくる。ストレスが相当たまっているんだと感じる。感情的に向かってくる人と対峙していると、次第に自分の心がダメージを受けている。「スルーする術」なんか何年働いていても見つからない。働くということは、この胸の痛みと共存共栄していくということ。今朝も何だか胸が苦しい。昨夜も質のいい睡眠ではなかった。けど、昭和42年生まれの人は、こんな思いをしながら生きている人がたくさんいるのだと思う。責任のあるポジションに就いている人たちが多い。私の友達もみんなこの「胸の痛み」を感じながら生きている。一人じゃないんだ。がんばろう。昭和42年生まれ。胸が苦しくなることがある

  • 懐かしい場所

    かつて私が働ていた部署を訪れた。30代のころ、7年間お世話になったところだ。スタート時に大失態をして、周囲から「大丈夫か?」と思われた。自分もこんな部署では働きたくないとずっと思っていった。しかし、自分はこの部署でキャリアアップのきっかけを作ってもらった。一番嫌だったところが、自分の人生の土台を創ってくれた。あの頃の経験が生きている。嫌なことの経験は、自分にとって大きな成長の土台になる。嫌いな人苦手な人関わりたくない人こんな人たちとの付き合い方が自分を大きくしてくれる。どこにいったって嫌な人なんてたくさんいるんだから。そんな人たちとの距離感の取り方を学ことが「働く」ということなのだと思う。懐かしい場所

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