第63回博多どんたく港まつりは、昨4日好天の下無事に終了しました。二日間の人出は230万人だったとか。昨年より20万人多かったそうです。「どんたく」の特徴は大規模なパレードと市内29カ所の本舞台で市民がお祝いの踊りを披露することです。私も数カ所の本舞台を見物しました。フィナーレは市役所前での観客も加わった総踊りだそうですが、これは夜遅いことから今年も参加することが出来ませんでした。博多どんたく港まつり今年も無事終了
1940年生まれ。旧八幡市枝光生まれ。写真掲載して福岡市を紹介するサイト。併せて出身の北九州市も。生来の好奇心をフルに活用して、カメラをぶら下げブラブラ散歩を趣味。
このところ深い空の秋日和が続きます。今月初めに病に倒れ、死線をさ迷ったような(大げさ!)感覚に襲われ、しばらくは蟄居養生しておりました。でも、この日和に誘われ気分転換になればとスタッフに支えれられて、近郊のコスモス園にでかけました。さわされど、地方のコスモス群だからと期待していませんでしたが、これはまた大違い。見事な群生です。水巻町の遠賀川沿い7kmの河川敷におよそ500万本のコスモス。おそれいりました。素晴らしい色合いと迫力。ふと病を忘れました。コスモス群生見事!
朝晩とすっかり涼しくなりました。あの猛暑が嘘のようです。空も紺碧の深みが続き、コロナ禍なんて本当にあるんだろうかと思えます。私は今月初めに体調を壊し、いよいよコロナに襲われたかと思いましたが、検査も「陰性」と分かりやれやれでした。一週間ほど寝たり起きたりの状態が続きました。これも齢80の厚い壁かとやや弱気になりましたが、おかげで少しづつ回復しつつあります。昨日、久しぶりに紫川沿いをスタッフに守られて、太陽を浴びてきました。川の主も変わらず元気にしておりました。病は体力だけでなく気力にも大きく響きます。注意したいものです。秋深まる
秋もだいぶ深くなってきましたが、地上の紅葉はまだまだです。三萩野の変則交差点をふと東を望むと、小倉のシンボル足立山が道路真ん中に迫っています。日頃あまり気が付かずにおりますが、こうしてみると正にこの山の象徴性が浮き彫りになります。視点というのは、固まったものではなく、多様性の中にその時の大事なことが浮かびがるものですね。まだ、山は緑豊かですが、まもなく紅葉が色づくのでしょう。迫りくる足立山
変な台風が通り過ぎました。九州を直撃すると思いきや、急に進路を東に切って今度は関東を直撃すると思いきや、またもや進路を南に変えて南の島に大きな被害を与えた台風14号。ブーメランのようでしたね。さて、今回も先回に続いて虫のお話。ふとベランダを覗くと、橙の植木に住みついたアゲハ蝶の卵は芋虫となり、順調に成長していることを発見。三匹です。大きさ3㎝くらいになっていました。よく見ると頭の黒い点々が大きな目のように見え可愛い姿。橙の葉っぱを一所懸命に食べています。このまま成長して、蛹になって、そして蝶になっていくのでしょうが、初めてのことでこれからどのように育っていくのかわかりません。静かに見守るしかありません。コロナ禍と老体の体力減から行動範囲が狭まり、被写体探しに苦労しながら、少年返りしているじい様のお話です。虫の嫌...虫の嫌いな方は要注意虫愛ずるじい様のお話
10月も二週目を迎えました。アメリカのトランプ大統領さえもがコロナに感染したとかで、世界中をウイルスが我が物顔で駆け巡っています。どうすることも出来ない人類。じっと静かに耐え忍ばなければならないのでしょうか。七十二候では、「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」時といわれています。外で活動していた虫たちは、冬ごもりの支度を始める頃です。秋冬が終わるのを待って、約半年の間、土の中で春が来るのじっと待つといいます。8月以来わが家で飼っていたカマキリが産卵を終えたので、放虫することにしました。しばらく草むらを覗いていましたが、そこへ少年二人が虫かごを持って近づいてきました。「おじちゃん、なにしとるん?」「カマキリを放してやったんよ」「じゃ、僕が飼ってもいい?」「そうだね、もうカマキリも自然に帰ったけね。あとは自由じゃ」...蟄虫坏戸むしかくれてとをふさぐ
早10月になりました。今年はなんという年なんでしょう。2月頃から始まったコロナ禍。中国武漢から始まったこの不気味なウイルスは、横浜港に入ったあの大型クルーズ船での集団感染で突然に大きな恐怖に陥りました。他人事と思ってた感染が次第に身近に迫ってきて、どうすることも出来ずに秋になってきました。辛い時間が過ぎていきます。80年の生きていれば、いろんな辛さにも遭ってきました。でも、この辛さは辛いと言えることで乗り切れたこともあります。今日、近くの通りを歩いていたら、ふと目にとまったお寺の掲示板。じ~と、見入りました。辛い時があるよな~
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第63回博多どんたく港まつりは、昨4日好天の下無事に終了しました。二日間の人出は230万人だったとか。昨年より20万人多かったそうです。「どんたく」の特徴は大規模なパレードと市内29カ所の本舞台で市民がお祝いの踊りを披露することです。私も数カ所の本舞台を見物しました。フィナーレは市役所前での観客も加わった総踊りだそうですが、これは夜遅いことから今年も参加することが出来ませんでした。博多どんたく港まつり今年も無事終了
快晴の空の下、「第63回博多どんたく港まつり」が始まりました。新型コロナウイルス感染症も5類に移行し、今年は制限なしの本格的お祭りとなりました。しかも今日は久しぶりの好天です。昨年は3日と4日の二日間、ほぼすべてのパレードを沿道で鑑賞しました。また4日には小学生の孫娘がパレードに参加するとあって、スタートからゴールまでの1.3㎞を随伴しましたが、今年はもうそこまでの元気もなく、孫も不参加とあって、天神中央公園横のゴールで一部を鑑賞しました。二日間で約200万人以上の人出で賑わうとのこと。明日4日も好天に恵まれそうです。第63回博多どんたく港まつり始まる
5月になりました。今年も1/3が終わったことになります。元旦に能登地震が起きて、その後も色んなアクシデントがあって、あれよあれよという間に月日が過ぎていきます。なんだか時間の経つのがいつもより早く感じるのは私だけでしょうか?それとも年齢のせいでしょうか?83年の私の人生もどんなに頑張っても残りはわずか。なんとなく感傷的になってしまう今日この頃です。もう5月です
20日、街の自治会のバスハイクのお目当ては「天領日田豆田町観光」です。江戸時代初期から徳川幕府の直轄地いわゆる「天領」となった町です。九州の経済、文化の中心として栄えました。なんといってもこの地の水は特別。その水のために天領になったともいわれます。碁盤の目状の町並みには旧家が並んでいて、当時の町人・商人の面影を残す「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。観光地として飲食店・雑貨店など100店舗があるそうです。この日はゴールデンウイークを前にしてやや少ない観光客でしたが、福岡市から車で1時間半。素敵な小京都の旅でした。天領日田豆田町を歩く
20日に朝倉のいちご狩りの後、大分の日田に行きました。福岡県との県境にある「天領日田」です。その街中に入る前に「大原神社」の近くにある「大はら茶屋」で「昼食」。「花てぼ弁当」を食しました。「花てぼ」とは日田地方では柄がついた籠のことをいうそうです。籠の中に地元の山菜が沢山入っていて、美味しいお弁当でした。竹藪に囲まれ風情ある茶屋でした。日田大原で昼食
今日は4月24日。このブログ「いつも最高」の開設16周年記念日です。開設当初は5年も続けば良いかな~と思っていましたが、まさに「継続は力」です。日々、年々、年老いてきて車も手放し行動範囲も狭まってきました。でも。好奇心だけは少しばかり残っていますので、可能な限りあちこちを散策探訪は継続するつもりです。今後ともよろしくお付き合いのほどをお願いします。この時期いつも「つつじ」が満開です。そしてこのブログも17年目に突入です。いつも最高16周年
昨年初めてイチゴ狩りに行きましたが、今年も恒例の自治会バスハイクで二度目の体験です。昨年は「あまえくぼ」や「あまおう」に集中しましたが、今年は「らいおん」の味見。美味しかったですね。あいにくの曇り空でしたが、この後に日田の街へ。豆田町の古い街並みを散策して、夕方無事帰着。雨の予報ながら傘もささずの行楽となりました。帰路、北九州市の小倉商店街の度重なる火災のニュースが舞いこみ、誰云うことなく「火事の街小倉」と。「火事の」が「カジノ」に繋がらないことを祈ります。今年もイチゴ狩りへ
ここ博多旧市街地にはいくつかのお寺が密集しています。「承天寺」「東長寺」「妙楽寺」「円覚寺」等々。中でも独特の雰囲気を持っているのがここ「聖福寺」です。建久6年(1195年)、栄西によって創建された日本最初の本格的な禅寺です。境内は国の史跡に指定されていて、木々が茂り賑やかな博多駅の近くとは思えぬ自然がいっぱいの正に「小京都」と思われるほどです。この日も外国人観光客が数人訪れていました。32代総理大臣の廣田弘毅や緒方竹虎、玄洋社初代社長の平岡浩太朗のお墓もあることで有名です。何度でも訪れたくなる閑静で荘厳な場所です。「聖福寺」博多旧市街地
JR博多駅の近くには、奈良、鎌倉時代の中心であった所で今では「博多旧市街地」として独特な雰囲気を醸している地区があります。博多駅の博多口を出るとこの市街地への案内板がいくつかあります。「大博通り」の北側「承天寺通り」沿いにはいくつかの大きな寺社があって、この入り口には「博多千年門」という大きな門があります。この門をくぐると旧市街地の町並みです。あの近代的で賑やかな博多駅の近くにこのような閑静な街並みがあろうとは。この千年門は福岡市の博多地区の新しいシンボルとして、地元住民による企画で寄付を集め平成26年(2014年)に建設されたそうです。博多旧市街地の入り口博多千年門
久しぶりの好天に誘われて、大博通り沿いにある旧市街地を探索しました。先ず最初は現在のJR博多駅の北西700mの所にある「出来町公園」。なぜ出来町と呼称する理由はわかりませんが、この辺りは「博多駅前」という町名です。この公園は昭和40年(1965年)に整備されたとのことですが。ここは旧「博多駅」構内であったことから、「九州鉄道発祥の地」の碑が建っています。旧博多駅は明治22年(1889年)に九州鉄道の駅として整備されたとか。大東亜戦争後、新たな鉄道網の関連で、昭和38年(1963年)に現在の場所に移転して現在に至っているそうです。この出来町公園内にこのような跡地があることはあまり知られていないようで、この日も人影まばらでした。旧博多駅、九州鉄道発祥の地探索
天神中央公園の東端に「旧福岡県庁舎の名残り」として、玄関などに使用されていた石柱が建っています。県庁は現在、福岡市博多区東公園にありますが、昭和56年(1981年)までは天神(現在のアクロス福岡)に庁舎があったとのことです。「九州歴史資料館」の展示解説シートによると「明治9年(1876年)にここ天神に庁舎が設置され、大正4年(1915年)に新たに様式建築の庁舎が完成し、その後60年以上にわたって福岡県の中枢として機能し、県民に親しまれてきました」とのこと。ギリシャ建築を思わせる洒落た石柱ですね。旧福岡県庁舎の名残
昨日6日(土)小倉に行きました。高速バスで移動中、いたる所でソメイヨシノの桜花が満開で美しい光景が続きました。北九州森鷗外記念会では毎月第一土曜日に、小倉北区鍛冶町にある鷗外旧居で鷗外に関わる語る会(講座)が開かれています。久しぶりに聴講しました。タイトルは「森鷗外夫妻小説『波瀾』から『半日』への光と影」。講師はこの会の理事の轟良子氏。面白い内容でした。北九州森鷗外記念会の語る会
福岡地方も桜が満開になりました。近くの公園の桜も例年のように見事に咲き誇っています。待ちわびたように近隣の住民は花の下でゆっくりと花見を楽しんでいます。一見のどかで平和いっぱいですが、世情台湾でも大きな地震、国内では自民党の裏金不記載事案で党内処罰、静岡県知事の度重なる不穏当な発言等、不愉快なニュースが事欠きません。国民の一人として言いたいこともありますが、本ブログのコンセプト上、詳細は省きます。意図的な偏見に満ちた報道の在り方にも一言ありますが。ま、当面は静観しましょう。あの芥川竜之介は「侏儒の言葉」というエッセイの中で、次のように言っています。『輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代わりに新聞の記事を用いたとしても』と。私刑とは私的制裁、リンチとも言います。福岡も桜満開
福岡地方の今朝午前中の豪雨には驚きました。雷雨です。スタッフの病院通いに付き添いましたが、叩きつけるような雨の勢いです。一方、自宅を出る直前もあの甲高い地震津波警報が鳴り響き、消していたテレビが自動的に点いて津波警報のアナウンスです。場所は「沖縄本島、宮古島・八重山地方」。私はかつて二年ほど、沖縄那覇に勤務しましたが地震は一度も経験していません。ニュースによると「台湾花蓮地方」に被害が。今年になって、能登半島の地震や房総半島の地震が続いています。辰年の今年は年初から不気味なことばかりです。南西諸島の地震津波警報
新しい年度がスタートしました。学校も職場も新人が一杯です。テレビ番組も野球も新しい波で活気づいています。ここは天神、新天町付近。福岡老舗のデパート「岩田屋」周辺も若者が一杯です。ところで、アメリカ野球大リーグではドジャースの大谷選手と元通訳の水原氏の話題でもちきり。敢えて私見を述べれば7億円近い資産が自分の口座から無くなっていることに気づかなかったとは、庶民の私には理解できません。私ども庶民の生涯収入は多くて約3億円といわれています。7億円とは二人分以上の生涯収入。大谷選手がもっと早く気づいていれば、水原氏はこれだけの借金を抱えずに済んだのではないのか。その視点からいえば大谷選手も借金の加担をしたともいえ、野球人としては一流でも社会人としては失格ではないのでしょうか。庶民の悲しい印象です。社会人として新人...新年度スタート
やっと春めいた気候になってきました。昨日、今日と急に気温が上昇です。昨日、所用で天神へ。天神中央公園横の「アクロス福岡ビル」はすっかり緑が濃くなり、森のビルへ。陽気が暖かくなると活気がみなぎります。街中の人通りには中国語と朝鮮語が多くなってきました。緑増した森のビルアクロス
福岡でもソメイヨシノが昨日27日に開花宣言されました。昨日27日は束の間の晴れ間で、暖かい太陽の陽射しでした。それでも、今年の開花は例年に比べて一週間ほど遅れましたね。近くの公園も僅かばかりの開花です。昨日は久しぶりに「大濠公園」「舞鶴公園」に行きました。週日ながら春休みと観光客で結構賑わっていましたね。来週初めころがソメイヨシノも満開でしょうか。やっと開花福岡
福岡はこのところ雨や曇天の日が続きます。山桜はちらほらですが、ソメイヨシノの開花はまだです。その代わりに春の花が頑張っています。いつもはソメイヨシノに主役をとられていますが、近くの「リキュウバイ」や「ユキヤナギ」は白い花を咲かせています。大相撲春場所は新入幕でまだ大銀杏を結えない「尊富士」が優勝しました。110年ぶりの快挙といいますが、実際はこの時の相撲界の事情は異なるので「初の快挙」というべきでしょう。怪我をがまんしての千秋楽の勝利。感動しました。これからが大きな楽しみです。比べて、アメリカ大リーグの大谷選手専属の通訳の多額の賭博問題が公になり、大谷選手の偉業が汚されそうになっています。早く「ソメイヨシノ」が満開になって欲しいものです。桜開花もう少し
福岡市南区高宮の一角に「旧高宮貝島家住宅」があります。これは大正4年(1915年)に直方市に建設され、昭和2年(1927年)にここに移築された建築物です。貝島家は明治の初め筑豊炭田採掘から身を起こして財をなした「貝島太助」の一族「貝島嘉藏」の邸宅として建築されたそうです。平成17年(2005年)に福岡市に寄付され、平成29年(2017年)に福岡市登録文化財となり、保存建築物に登録、指定されたそうです。壁が少ない伝統的な木造建築物で、この敷地を「特別緑地保全地区」に指定したとのこと。今では有料のレストランや結婚式場としても活用され、福岡市としては迎賓館としての活用も期待しているとか。散策をしたこの日、ちょうど結婚式が行われていて、純白ドレスの花嫁さんをちらりと見ることができました。旧高宮貝島家住宅高宮緑地散策
博多区上川端に鎮座する「櫛田神社」には樹齢1000年を越す大銀杏があります。博多では「ぎなん」と呼ばれ、3月12日には「ぎなん祭り」が行われました。幹の周りが16mもある御神木です。博多祇園山笠祭りで歌われる「博多祝い歌」には「さても見事な櫛田のぎなん」という歌詞もあります。またその根元には「蒙古軍の碇石」も飾られています。4月にはこの「ぎなん」は青々とした新芽に包まれるそうです。櫛田神社の大銀杏
62回目の「博多どんたく港まつり」は4日に無事終了しました。四年ぶりのフルバージョン開催には、観客210万人が訪れたとされています。若い頃に博多で過ごし、今は千葉でお過ごしの知人から「博多どんたくは昔からあったお祭りで、62回目とは間違いではないか?」とのご指摘があり、再度調べてみました。確かに、「博多どんたく」の起源は850年前の「博多松囃子」にあり、最初はお正月のお祭りだったそうです。年月が経ち、戦時中には一時中断もありましたが、昭和22年には戦後初の「どんたく」が開催され、昭和37年(1962年)には市民総参加の「福岡市民の祭り」として現在の「どんたく祭り」が復活しました。したがって、今回が62回目となるということです。ご指摘を受けて,改めて勉強になりました。4日はパレードスタート地点「呉服町」から...博多どんたく無事に終了
福岡の大型連休中、市民の最大の祭り「博多どんたく港まつり」が3日に初日を迎えました。今年で62回目の開催となります。AIが「高齢者は家でテレビ中継を楽しめ」とのアドバイスに反抗し、現地に出かけました。新型コロナが下火になったことで、三年ぶりにフルバージョンでの開催が実現されました。先ずはその人出に驚きました。皆さんが待ち望んでいたのですね。メインイベントは、呉服町から天神までの明治通り1.3kmを練り歩くパレードです。今年はなんと、180団体、16,000人の参加するとのことです。私はゴール近くの那珂川にかかる天神橋の一角に陣取り、延々と続く4時間のパレードを楽しみました。二日目の4日には、グランドドータ―がチアリーダーとして参加するとのこと。私は再びAIの指示に反抗し、現地に足を運ぶつもりです。速報博多どんたく港まつり
5月です。大型連休のまっただ中です。福岡の前半は好天気に恵まれそうですが、後半はやや曇るとかの予報です。今話題のCHATGPTAIを使って「福岡に住む80代の老人、大型連休の過ごし方如何?」と質問しましたら、1.自宅で過ごす2.散歩や軽い運動をする3.オンラインで友人と交流する4.おいしいものを食べる等のアドバイスを頂きました。中でも傑作は「博多どんたく祭り」はTV中継で楽しむと的を射たアドバイスも。そこで昨日は近くの公園を散策しました。福岡市は「一人一花運動」という施策を進めていて「福岡市を花と緑いっぱいにしていきましょう」という合言葉。今まさにその彩が鮮やかな時です。一人一花運動
いよいよゴールデンウィークに入りました。新型コロナが少しばかり下火になって、数年ぶりの解禁状態です。とは云うものの、私どものように一年中がゴールデンウイークの高齢者は、ここは若者に席を譲ってじっとしているのが世のため。近くの公園の藤棚はフジの花が満開、池には珍しくカワウがやってきて、いつもと違う雰囲気に。それでも5月の連休には、久しぶりに「博多どんたく祭り」が大々的に開催されるとのことです。これは、高齢者にとっても楽しみの一つです。ゴールデンウィークだ!とは云うものの
22日に朝倉に「イチゴ狩り」のバスツアー。午後は秋月城下町を散策しました。朝倉市のホームページによると、ここは中世に秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代にわたって守り抜いた町で、現在の町並みは黒田氏によって造られたとあります。明治初期の「秋月の乱」で武家の没落と幹線から離れた立地が近代化から取り残され、結果として城下町の姿が残ったと説明されています。三方を山に囲まれ、その佇まいはまさに「小京都」の雰囲気です。葉桜並木は鮮やかな若緑の通りで、のどかで和か。こんな近くにこのような街があったなんて驚きでした。筑前の小京都秋月に往く
4月24日は「いつも最高」開設15周年記念日です。仕事リタイアを目の前にした60代後半、写真を撮ることを趣味としたのをきっかけにして、なんとなく始めたこのブログ。気がつけばもう15年も経っています。良く続いたものと我ながら感心していますが、「塵も積もれば山となる」のことわざとおり、「継続は力」です。加えて皆さんから多くの激励コメントが最大の力添えです。もう、足腰も弱まり、耳も遠くなり、少々ボケも出だしたこの頃。これからが勝負です。なんとか一年、一年頑張りましょう。今後ともよろしくおつき合いください。いつも最高15周年
22日は穏やかな暖かい一日でした。町の自治会主催のバスハイクに参加しました。「イチゴ狩り」です。今まで、ブドウ狩り、梨狩り、リンゴ狩りには何度かの経験がありますが、「イチゴ狩り」は初めてです。およそ50名が参加しました。場所は朝倉にある「ライオン果実園」。10種類のイチゴが栽培されていて、1時間食べ放題です。でもそんなに食べられるのものではありません。それでも30個近く食しました。今は「あまおう」という種類が有名ですが、最近市場に出てきたのが「あまえくぼ」という新種。あれこれ食べ比べましたが。この「あまえくぼ」が一番美味しかったですね。80歳を超えて初めての「イチゴ狩り」。堪能しました。初めてのイチゴ狩り
このところ、少々運動不足気味です。冬物と夏物のズボンの入れ替えで、夏物を着てみたらお腹がギリギリです。体重も減りません。夕方、街の近くを散歩してなんとか消費カロリーを増やさないといけません。と、思って街に出てみれば、人影も車も少ないのには驚きました。この写真、夕方4時50分撮影です。夕方の街角
春になれば花粉や黄砂の飛来で、また体調を崩すことにもなります。幸いにも鈍感な私は未だ花粉症に悩まされたことはありません、が、黄砂の飛来による影響はどうでしょうか。先週来、福岡地方も黄砂で空がどんより曇る日が続きました。このような時に街をウロウロすることはしませんが、昨日16日は福岡地方の黄砂は酷かったとのニュースがあります。でも、昨日の午後のわが家周辺は青空に覆われました。黄砂?という感じです。黄砂?
天神ビッグバン施策の大きな目玉の一つ「大名ガーデンシティ」がいよいよ機能始めました。4月に入って3つの高級商業施設が営業開始し、カンファレンス施設も開業しました。6月には「ザ・リッツカールトンホテル」がオープンするそうで、新たな天神の顔になるようです。場所は、西鉄グランドホテルと中央区役所にはさまれた一角。新たな人の流れが期待できます。大名ガーデンシティ第二弾
春はやはり子供たちにとっては、新しい学年、学校が始まる時です。社会も新入社員が新鮮な空気を醸しだします。若いということは、生き生きとした活動的な力の源になります。4月は全国的に統一地方選挙も行われ、新しい議員が生まれています。もう社会は新しい世代に引き継がれていくのは自然な流れです。政治の世界も社会もその力の根源はもう若い世代に委ねることが大事です。高齢者はその若い力に従いながら、迷いや悩みに少しでも役にたつように支えることが大事ではないかと、つくづくそんなことを考えます。新学年新学期始まる
今日4月9日はキリスト教では最も大事なお祭りだそうです。磔にされたイエス・キリストが三日目に復活したことを記念するお祭り、いわゆる「復活祭」。英語では「イースター」と呼称するとか。クリスチャンのスタッフに連れられて「ゴスペルの歌声とともにHAPPYEASTER」というイベントに行きました。場所は「アクロス福岡」のイベントホール。いくつかの団体がゴスペルを中心とした歌声を披露しました。復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日ということで、年によって日が変わる祝日だそうです。もちろん、私はクリスチャンではありません。初めての体験でした。今日はイースター
今週は先週とは打って変わって、曇り、雨空が続きます。このため、私の取材範囲も狭くなって、このブログの話題も少なくなってきました。それでも、世間は色んなことが起きています。衝撃的な事故や悲報が続きます。なんとか元気がでるような話題が望まれます。でも自然は正直です。近傍は今や百花繚乱の時。桜に続いて春の花が咲き乱れてきました。百花繚乱
早いもので、あれほど待ちわびたソメイヨシノはすっかりと葉桜になってしまいました。代わって、今度は「八重桜」の順番です。大きめのピンク色の花もまた格別の趣がありますね。また。いちにちいちにち百花繚乱の時が流れます。暖かくなってきました。ソメイヨシノから八重桜へ
コロナの感染もやや落ち着き、桜も満開。百花繚乱の4月になりました。昨日1日に三月末に開通した博多の地下鉄七隈線に乗ってみました。今度開通したのは「博多駅」から「天神南」の1.4㎞の短い区間です。2016年に博多駅近くで工事のための道路陥没事故があり、開通が3年ほど遅れました。博多駅の乗り場は博多口ですが、従来の空港線の駅とは地下でつながれました。この地下街も見事に整備され、博多駅周辺は人の流れも大きく変わったようです。昨日はこの新設区間を「博多駅」「天神南」まで。途中「櫛田神社前」駅が一つ。所用時間はほぼ5分でした。また新しい顔です。地下鉄七隈線延伸路線に乗る
一年ぶりに福岡市立花畑園芸公園に行きました。昨年は3月初めでしたから、梅桃の花がいっぱいで桜はまだ咲いていませんでした。昨日30日はソメイヨシノも満開、菜の花も見事で、まさに濃い彩いっぱいの公園でした。この時期は空気が色彩りもよく、ウキウキしますね。マスクも外したくなります。花畑園芸公園も満開
大相撲大阪場所は前代未聞の横綱、大関が休場で波乱の場所でしたね。しかも、WBC世界一の話題に隠れて大相撲はやや寂しそうな場所でした。でも、モンゴル出身の「関脇霧馬山」が千秋楽まで一敗の差で追随し、本割、決定戦と連勝して初めての優勝賜杯を手にしました。昨秋にこのブログでも紹介しましたが、九州場所では霧馬山が属する「陸奥部屋」の宿舎がわが家のすぐ近くにあるのです。この時、散歩の途中にここに立ち寄りましたが、ちょうど親方、元横綱鶴竜関と霧馬山の三人が宿舎前の広場で休憩中でした。三人に声をかけ、しばし雑談に応じてくれました。陸奥親方は「コロナのせいで、地元の人たちとの交流ができないのが残念だ」と云い、鶴竜関は「来年こそ朝稽古を見に来てください」と。その奥で「霧馬山関」がニコニコはにかみながら、私どもの会話を聞いて...ニコニコ霧馬山優勝
サクラの話題が続きます。昨日26日に再び所用で小倉に行きました。四日前に行ったばかりです。時間があったので、小倉城のある勝山公園へ。ちょうどサクラが満開状態で多くの市民で賑わっていました。福岡管区気象台も福岡地方の「満開宣言」。往復とも新幹線を利用しましたが、春休みともあって博多駅の新幹線切符売り場は大混雑。この多さは初めてです。私は前日に予約していたので、切符の受け取りはスムースでしたが。小倉の桜は満開
先週19日に桜の開花が始まり、ほぼ一週間。近くの公園の桜はまだ7分咲きの状態です。昨年は3月末が満開状態でしたから、あと一歩というところでしょうか。それでも、待ちきれずに三々五々桜の下を散歩する人が増えてきました。ソメイヨシノの満開はまた格別に花々の束が重なります。もう少し待ちましょう。満開あと一歩
昨22日に所用で小倉に行きました。WBCの決勝戦でバスの中ではずっとラジオを聞き続けていました。午前中に所用を終えて小倉の繁華街に行き、あの「旦過市場」に寄ってみました。昨年あの二度にわたる大火で、もうこの市場は終わるのかなと心配していましたら、災禍を逃れた入り口付近を中心にして見事に復活の兆しが。市民の後押しを受けて「諦めない」気持ちの成果でしょう。そして、WBCでは日本国中の応援後押しを受けて「侍ジャパン」は見事に世界一の栄冠を勝ち取りました。これもまた日本人に大きな感動、勇気、自信をもたらしました。私はやはりメキシコとの準決勝で9回裏、村上選手の逆転サヨナラタイムリーの感動が忘れられれません。不調だった村上選手のあのひと振りは「絶対に諦めない」という勇気を特に青少年たちに与えた功績は特大だと思います...諦めない