久々にブログの管理画面にログインしてみた。なんということか・・・ まさかのパスワード忘れ。 しかし、このマイパソコンはなんて賢いの。 パスワードはきちんと記録されていて、簡単に探し出す事ができた。 無事にログイン。 どれ […]
↑今年のビオラ 9月最後の日の朝。 ワンちゃんが来て3日になった。 午前4時。 まだまだ外は真っ暗な時間に、クーンという泣き声を聞いた。 母犬恋しくて泣いているのかと心配して上がってみると、 ねむけまなこの娘がペットシーツの始末をしていた。 どうやら、ワンちゃんはおしっこしたくて娘を起こしたらしい。 やれやれと胸をなでおろし、なんて賢いワンちゃんだと感心した。 子犬といえども侮れないものである。 しかし、何と言っても生後50日。 食事は半分離乳食みたいなものだ。 飼い主たる娘。 ドッグフードをミキサーで粉砕してミルクでふやかし、かいがしく世話をしている。 うんちの様子をみてドックフードの固さ加減をしている。 ワンちゃんも食事を与えてもらえる人を主(あるじ)と認定しているようで、 ちょろちょろと後を着いて回ったり、傍でちょこんと座っていたりする。 ワンちゃんは、家族を序列化すると聞いたことがある。 1位はもちろん餌をもらえたりおしっこやうんちの世話をしてくれる末娘だろう。 2番目は夫らしい。 今の所、わたしは3番目、最下位だ。 このおばちゃん、害は無いようだが大して利益にもならない存在と思われているにちがいない。 ワンちゃんと娘は基本居住空間は2階だし、わたしもちょいちょい覗きにいくが、 ちらっとみて、しっぽをぷらぷらっと2,3回振って、後は知らん顔。 まあ、いいでしょう。 今のうちにご主人様をしっかり刻み付けておかなければいけないし、 娘が就職すれば、必然的にわたしの方が家に長い時間一緒にいるようになるので、 立場が逆転でもしたらえらいことだ。 それにしてもわが子が、ワンちゃんとはいえ 自分より弱い存在のものに愛情を注いでいる姿を見るのはなんともほほえましい。 父親たる夫は娘に 「お前はワンちゃんを食わせなければいけないから、稼がなきゃならんで」 と軽く求職活動へのプレッシャーを与えている。 「わかってますよ」 と言いながらも、今の娘の頭の中は隅々までワンちゃん一色でべた塗りされているのは明らかで まるで、耳に入っていないだろう。 でも、まあいいじゃありませんか。 長い人生、こんな時間が1、2ヶ月続いたからと言って、 振り返ってみれば、瞬きくらいの一瞬の出来事だろう。
わんちゃんが我が家にやって来ました。 生後40日の茶柴ちゃんです。 ん・・・ ちいさい。 ふさふさ。 ちょっと早い親離れではないかと心配です。 しかし、可愛い。 もう、皆メロメロです。 末娘は付きっ切りで離れません。 「すくすくと大きくなあれ」 わたしは、孫がひとり増えたみたいな感覚になっております。 [ad#rannkinngu]
頭と身体が動く間は、ずっと働いていたいという希望がずっとある。 一日2,3時間の週2,3日でもだ。 介護の仕事を辞めて、再びスーパーの女になろうと決め、近所のスーパーの門を叩いたのは ずっと働いていたい希望が叶えられると思ったからだ。 なにしろ通勤5分は何事にも変えがたく貴重だった。 スーパーの青果部門での経験は5,6年ほどあって素人ではないという自負があった。 しかも、系列店舗の経験もあった。 しかし、同僚のパートさんにつまずいて2ヵ月半で挫折した。 それでも、スーパーの仕事が出来ないわけではないを自分の中で証明したかった。 再び同社の系列スーパーを選んだのが丁度一年前の今頃だ。 今度は大丈夫だった。 そこぬけに意地の悪い人が、この世には確実に存在するものだと改めて思ったものだ。 今の職場は、幸いに働き易さは二重丸におまけ付きのような感じで気に入っている。 ただ、難を言えば乗換えありの電車通勤でドアツードアで片道1時間かかる事だ。 それは想定内だし、同僚にいじめられるよりははるかに心の負担は軽いと思った。 出勤の時は元気があるので全く大丈夫だが、問題は仕事を終えての帰宅時だ。 特に今年の猛暑は堪えた。 5時間目一杯働いてくたくたの状態で外に出れば体温以上の熱気がまとわりつく。 朝の5時ごろに朝食を摂ってから8時間が経過して胃はほぼ空っぽなのに空腹感すらなく。 無理やりに水分補給をしつつの帰宅が想像以上に辛かった。 途中で休めよ。 お店の休憩室だってあるでしょう。 そうなのだ。 何度か一休みをしたりもしたが、座り込むともう動けない。 それなら、一気に家まで・・・になりすぐさまごろんと横になりたい。 寒さはともかく暑さにめっぽう弱かった自分の体力を思い知ったのだ。 暑さに負けふらつき転倒、骨折の惨事をおこしてやっと気が付いた次第だ。 そうなると、現金なもので自転車5分の近場のスーパーが恨めしくなったり。 いやいやと何度か打ち消した。 雇用保険脱退が半年後には決まっているわけだし、 週20時間に拘らなくてよくなるのは、 案外、神様の粋な計らいかもしれないなと思うようになった。 58歳も半分を過ぎた。 だからと言ってさ来年の話をするのは、
昨夜は、9時過ぎのわりと早い時間に布団に入った。 待ってましたとばかりに、 にわかに湧き出てきた我が身の働き方についての不満を夫にぐちぐちと報告。 しかし、こういう時にうちの夫は、ほんとに愚痴の聞き相手には不向きだ。 女はしゃべらなければ生きていけないを証明するかのようにしゃべり始めたのに のれんに腕押し状態。 大したことではないの一点張りで即解決というパターンになった。 しかも、「お前が気にするのはそんなつまらない事ではない」 ともっともらしい言葉に続けて 「わしをいかに大事にするかだろう」 と訳のわからない茶々を入れてくる。 これには参る。 ぐうの音もでない。 結局、愚痴を述べ立てているうちに夫は寝息が聞こえてきてそこで終わり。 わたしは、消化不良を抱えたままそれから眠れずに悶々と時間を費やしてしまった。 一夜明けての今朝。 おもむろに、 「何かを得ようと思ったら何かを手放さす」 そういう思いがふっと頭をよぎった。 これってどこかで聞いたことがある。 そうだ。 断捨利のフレーズだ。 そうか、そうか、そうなんだ。 わたしが、手放さなければいけないのは、雇用保険への執拗なこだわりだったのだ。 昨日の今日での変わり身の早さに呆れながらもすっきりしているわたしがいた。 今日は休み。 休みの日は夫の出勤に合わせて「歩け歩け」も順調に実行中。 刈りいれ間近な稲穂が重そうに垂れている田んぼのわき道をさっそうと歩いてきた(つもり)。 新米の季節だ。 [ad#rannkinngu]
仕事へ復帰して一週間が過ぎた。 店内での品だし作業はまだ控えさせてもらっていて、バックヤードでの加工作業が主な仕事だ。 キャベツや白菜などの重量のあるものでも、持てるようになってきた。 今の所、スムーズに事が進んでいる。 しかし、契約更新の際に管理職から言われた事が、日を追うごとに気になって仕方ない。 何を言われたかというと・・・・ 「今回は猶予期間ということで週20時間で契約更新しますが、次回の更新時、半年後には 勤務時間を今の週20時間から18時間に減らすか、もしくは社会保険に加入するように」 という件だった。 わたしは、今一日5時間週四日勤務だ。 週の契約時間が20時間以上になると雇用保険に加入できる。 雇用保険加入の資格が欲しくて、勤務時間を一日5時間に延長してもらった。 時給が1000円になると、ひと月17日働いたとして85時間だ。 それだけで85,000円で、日曜祝日100円アップと日々の5分10分の残業代が加われば 88,000円越えがありうるというのだ。確かにそうだ。 だが、シフトの中で休みを増やしたり、月のうちで何日間か時短で働いて調節すれば、 特に問題ではないと思っていたのだが、そうではないという。 週18時間にするとせっかく加入できるようになった雇用保険を脱退しなければいけない。 これは、わたしの中では大きな事件だ。 かといって、社会保険にはいるならフルタイムで働かなければ家庭内の収入はプラスにはならない。 スーパーのバックヤードの仕事はずっと立ち仕事だ。 それをフルタイムでこなす気力と体力があるかと問われれば、 なんとも自信がないというのが本音だ。 一年ごとに体力が落ちていくのを実感しているからなおさらだ。 となると、結果はおのずと決まってくる。 時間を減らして働けばいいだけのことだが・・・。 仕事に関するモチベーションが駄々下がり。 せっかく上がった時給の喜びもどこかへ消えてしまった。 今頃かと突っ込んでもらいたい。 最低賃金引き上げの影響を受けているわたしのようなパート従業員は、 きっと沢山いるのではないだろうか。 [ad#rannkinngu]
うちの会社は、パートの契約更新を半年毎に行います。 本来ならば、9月の15日までに行われなければいけなかったものですが、 休職していたため、契約更新がは出来ませんでした。 復職した先日、ようやく更新をしました。 新たな契約期間は9月16日から来年3月15日までです。 契約更新毎に直属の上司による査定が行われ管理職の決済で時給が決まります。 今回は、最低賃金の上昇分が加算され合計35円時給があがり1000円の大台に乗りました。 日曜、祭日はこれに100円がプラスされます。 わたしにとっては、申し分ない内容の更新でしたので、即印鑑を押しました。 登録販売者の資格試験に受かり(多分)、ドラックストアー方面に関心が抱きつつも、 当面は現状維持を選んだことになります。 そこそこ慣れた職場、自分の立ち居地があってある程度の評価をもらっている職場を 変える必要性があるのかといわれれば、無いという答えが返ってきます。 登録販売者の資格試験の勉強を必死にした時間はなんだったのだと、 突っ込まれても反論できませんね。 しかし、末娘と一緒に受験したという思いは、 今でも宝物のようにわたしのポケットに残っているので良しとしました。 [ad#rannkinngu]
9月が誕生日の一番上の娘。 予定日を2ヶ月も早く生まれてしまったせっかちな子です。 女の子達が集まって、ついでに次女が飼っている柴犬ちゃんもそろってみんなでお祝いしました。 誕生日のケーキは、いつものように末娘の担当です。 お姉ちゃんからチーズケーキを頼まれていたようです。 こんなのが出来上がっていました。 ブルーベリーにラズベリー、イチゴジャムを煮詰めてチーズケーキにトッピングしてありました。 土台は、ビスケットを砕いて作っていました。 なかなかの出来だと、親ばか振りを発揮してました。 わたしは、鍋一杯のおでんをこしらえ、 誕生日おでんパーティと勝手に名前をつけ鼻歌物です。 薄揚げの中に餅を入れて爪楊枝で止めて、沢山の餅巾着を作りました。 牛筋は、炊飯器でとろとろになるまで煮込んでから入れました。 うちにはご飯を炊く用ともう一台炊飯器があるのです。 ちょっとした調理は炊飯器が便利なんですよ。 圧力効果で美味しくできます。 (ネットで検索すると炊飯器調理のレシピが沢山ヒットします) 鍋一杯におでんを作るのは昔からの習慣で、わけあって一人暮らしをしていた時も、 大量におでんを作り、何日も同じメニューで暮らしていました。 家族でおでん鍋を囲みながら、過ぎていった日々を思い出していました。 過去の積み重ねで今日があって、目に見えない小さな変化達がぽつぽつと集まってきて の今なのだとしみじみと思いました。 9月23日の今日この日、 玄関前のプランターからすっくと顔を出した彼岸花が咲きました。 田んぼや畑のあぜ道でも真っ赤な彼岸花が咲き出していますが、 うちの彼岸花はごらんのように真っ白です。 多分、義母宅から持ち帰って球根の中に混じっていたと思われます。 昨年は咲かなかったのに今年は咲いてくれました。 大げさですが、何となく許してもらえた証のような・・・ 気持ちの中でちょっと安堵するものがありました。 [ad#rannkinngu]
こちらに戻って来た翌日、約ひと月半ぶりに職場に復帰しました。 この日に復帰することは、あらかじめ直属の上司には報告済みで、 速やかに他のパートさんにも伝わっていたはずです。 帰省先からのちょっとしたお菓子をパートさん達へのお土産に用意してました。 リュックに、その日に出勤予定のパートさんの人数分の土産を詰め、 テンション高めに職場に向かいました。 「おはようございます」 「長い事ご迷惑をおかけしました」 の挨拶をし、 「もう、大丈夫?」 と案じてもらったり・・・ここまでは普通の会話で想定済みでした。 ところが、あるパートさんから 「もう、辞めたかと思った」 と意外な事を言われました。 「はっ?」 一瞬、目が点になりましたが、 長い事休んでごめんなさいと再度謝り、なんだかなあの気持ちを苦笑いでごまかしました。 特に悪気があったわけでないのは百も承知していますが、 怪我からの復帰したパートに対して、「辞めたと思った」という言葉はどうよ。 しかし、つまらない言葉に引きずられるのは精神衛生上よろしくありません。 気持ちをぱっと切り替え、仕事に入りました。 左腕の違和感は全く無いわけではないけれど、 それなりに回復しているのが確認できて安心しました。 さて、家に帰り夏休みが続いている夫に復帰初日の報告をつらつらと・・・ 「どう思う?」 と問うと 「別にいいんじゃない。大したことちゃうで」 と取り合いません。 わかってもらえない感が残りましたが、 「最初に行った近所のスーパーのパートさんに比べたら・・・」 事あるたびにあれに比べたら・・・と自分の中で思うのです。 それともメンタルが少しずつ強くなってきている? あまり、自信はありません。 [ad#rannkinngu]
父親の命日に合わせて田舎に帰っていました。 飛行機の窓から眺めると相変わらず何もない小さな島です。 視界にすっぽりと入ってしまう青い空と青い海、白い砂浜。 生まれ育ったふるさとが「おかえり」と手招きしてくれました。 半年振りに会う母親は、やっぱり車椅子に座っていました。 少し太って様子で顔がふっくらとしていました。 「最近太っているから、痩せようと思っているのだけど、なかなか・・・」 と体形を気にするしぐさが、いくつになっても乙女なのだと思いました。 去った13日は十五夜でした。 夕方に東の空に昇り始めた満月が、夜中には西側の窓からくっきりと見えました。 ぐるりと屋根の上の夜空を半周していたのが、なぜが嬉しくて 寝ている自分達をしっかり見守ってくれているように感じました。 手を伸ばせば届きそうなところに浮かんだ十五夜の満月。 遠いあの日のかすかな記憶を捜し求めているわたしがいました。 父親が亡くなったのを機に同居を始めた弟夫婦でしたが上手くいかず、 お嫁さんは、一年ほど前に家をで別宅で暮らすようになっています。 かなりのすったもんだがありましたが、今では 弟はお嫁さんが暮らす別宅と実家を行ったり来たりして、 実家の近くに住む一番上の姉の協力を得て母親の世話をしています。 わたし達夫婦は島に滞在中、姉や弟を少し休ませる意味もあって、 母親の介護を引き受け実家で寝泊りしていました。 こういう時、夫は物凄く協力的です。 母親の話し相手になって一緒に大相撲を観たりしてくれます。 母親は、「豪栄道」のファンだそうです。 その理由が大阪出身だからだそうです。 娘が暮らす街に想いを馳せて応援しているのでしょうか・・・。 母は86歳です。 12月には87歳になります。 90歳が近くなってきました。 「100歳まで頑張って長生きしてよ」とそんな話がよく出ます。 母親は、みんなに迷惑をかけているので長生きはしたくないといいます。 とんでもないとすぐに否定しましたが、 実際にわたしも母親と同じように70になり80になって90近くならないと 今の母親の気持ちは理解できないかもしれないなあ。 とそう思いながら母親の話を聞いていました。 一週間の滞在を経てこちらに戻ってきました。
3年前の9月に亡くなった実父の命日にあわせて、明日田舎に帰ります。 実父は病気がちで入退院を繰り返していた晩年でした。 ある程度の覚悟を持って見送ったものの、 毎年、9月になると何ともいえないやりきれなさばかりが思い出されます。 親不孝者の証拠ですね。 父親が亡くなる一年前に母親は交通事故を起こし それが原因で、今でも車椅子生活です。 今年で86歳になります。 要介護4ですが、認知症の症状もなく元気に暮らしています。 「100歳まで生きる」が合言葉になっています。 人生100年時代。 「100歳のほんとうの幸福」吉沢久子著 という本を今読んでいます。 100年・・・すごい時間です。 100年という時を生き抜いてきたのですから、もう頭がさがります。 心豊かに過ごされた称号のような表紙の写真の穏やかな笑顔。 その笑顔にひかれてつい手に取った一冊です。 本の内容はというと、 当たり前のことが淡々と綴られている感じで特に目新しさはありません。 でも、文字が大きく文章も読みやすいです。 読みやすさが優しさとおもいやりの証のような感じがしましたよ。 そして、ほんとうの幸せとはなんでもない普段の中にたくさんあることを教えてくれています。 この本を図書館で借りて読んでいますが、 本屋さんで見かけたらぱらぱらとめくってみるのもいいかなあと思いちょっと紹介しました。 わたしは、自分の寿命は85ぐらいだと勝手に想定しています。 夫を見送ってからだと思っているので多少長めにしています。 85歳になったわたしもこうやって本を ぱらっとめくれたりできたら最高だなあと思ってしまいました。 願わくば、うちの母親も100歳まで元気で長生きしてくれますように。 みんなが、心穏やかに暮らせますように。 [ad#rannkinngu]
朝、出勤前の夫の「今日も行くのか」に 「当然です。セロトニンを作り出さなければいけないから」 ととっとこ着いていきました。 花も植物も朝が一番いい顔をしています。 人も朝は元気です。 元気のあるうちに歩かなければいけません。 できるだけ何も持たないほうが楽です。 昨日からバッグも持ちません。 スマホとハンカチだけ持ってとっとこ歩きます。 毎日同じ道を通るのだけれど、昨日とは違う何かを見つけるとそれがささいな事でも 嬉しくなるものです。 稲の穂の垂れ具合や、すずめの朝ごはんの場所は毎日少しづつ違っています。 キバナコスモスは今朝、こんなに綺麗に咲き出しました。 だれが植えたわけでもない場所に咲いています。 あっぱれです。 さてさて、引越しから一夜明け、どうにかこうにか荷物をあちこちに押し込んで ダンボールの数もどんどん少なくなってきました。 娘は娘で二階でどたばたとしております。 平日は一人だった昼ごはんが、今日から娘とふたりです。 夫のお弁当のおかずの残りですませるわけにはいきません。 気合を入れピザを焼きました。 小麦粉を練る段階でちょっと無理したかもです。 左ひじが鈍いような冷たいような感じになって少々びっくり。 しかし、これぐらいの代償は、よしとしないとバチがあたります。 ナスにピーマンミニトマトにバジルと具たくさんにしました。 いい感じに焼き上がったので娘に声をかけましたが返事がありません。 ちょっと覗いてみるとぐっすりと夢の中。 そっとドアを閉めました。 昨日の今日で疲れたのだろうと思っても、まさか延々と4時間も寝るとは夢にも思わず。 目の前でどんどん冷めていくピザを横目にしてちょっと残念な気持ちになりました。 気合の入れすぎに一人で苦笑、 娘は午後3時少し前起きてきました。 冷めたピザは少し暖めてやりましたが、焼き立ての風味はとっくに消えていました。 そんな残念なピザであっても、ぱくぱくもぐもぐ・・・ 気持ちよいぐらいにどんどんお腹に入っていきました。 わたしも娘も、多分夫も。 お互いがそれぞれに自分以外の者の呼吸音をさりげなく意識しているような していないような・・・そんな一日が過ぎていきました。
↑ガーベラ 9月にしては、猛暑すぎた一日でした。 2トントラック一台分の荷物と一緒に末娘が帰ってきました。 ミニマムとか断捨離とかどこ吹く風のような感じで ぼろいちりとりやほうきまで持って帰ってきました。 母親のわたしは腕の骨折で荷造りの手伝いが出来ず、心配でたまらなかったのですが、 なんとか無事に引っ越してきました。 一人暮らしにしては荷物が多いと引越し業者さんが話していました。 そのはずです。 ダンボール4個分が保存食などの食料品でした。 調味料等を加えるともっとですね。 よく貯め込んだものです。 しばらくは娘が持ち帰った食料で暮らせそうです。 夫婦二人の生活に娘が一人加わりました。 空気が一瞬で変わりました。 十人十色といいますから我が家は2色から3色に。 9月末には茶柴ちゃんも加わりと4色に??。 末娘と一緒に暮らすのは、約9年ぶりでしょうか。 思春期後半傍にいてやれなかった後悔を、 これから少しずつ取り戻していこうと思っています。 人生思うようにはならないとよくいいますが、 思い描いた未来を叶えてもらえるチャンスは、 気が付かないうちに傍に寄り添っていたりするかもしれないと思いました。 令和元年9月 新しい暮らしが始まります。 [ad#rannkinngu]
週末、夫は休み。 休みの日ぐらいゆっくり寝ていたいは、万民共通というもの。 なので、朝の通勤一駅むこうまでの「あるく」もなし。 それはそれでOKです。 骨折の回復を待ってただいまパート休職中。 首から右腕や右肩甲骨あたりの痛みも大分治まり、 というかそれなりに痛みがあって当たり前だと受け入れるようになりました。 考えてみれば、動かない左の不足分を右半分がカバーしているのです。 身体のバランスが崩れ不調になるのも当然です。 日常の家事等はほぼ普通にできるようになりました。 普通に使えるので、ついいつものとおりにしがちなのを 「まてまて」と自分で制限をかけています。 「変に曲がってしまったら、手術をする羽目になりますから」 とお医者さんからきつく言い渡されています。 外見はしわしわでがちがちの我が身、中の骨や筋肉もそれなりでしょうが、 とにかく元の状態へは戻したいです。 このおんぼろな身体でもまだまだ大事です。 サトイモの葉。 夕方、日がかげる頃を見計らって、二駅ほど歩きました。 で、夫との会話です。 わたし「歩くとね、脳の中になんとかニンという物質がでるんだってさ」 夫「何とかニン?セロトニンだろ」 なんだ、知っていたのか。 わたし「抗うつのくすりもそのセロトニンを増やす為の成分が入っているんだって」 夫の「へえ~」で気をよくしてにわか知識を披露しました。 歩くだけで人間の身体は、そのセロトニンが増える仕組みになっているのです。 なんとなく元気がない。 とか 気持ちが沈む時こそ歩こうよということで結びました。 そんなに上手く事が運ぶとは思えないというのが実感ですが、 「結果を求めずに習慣つけられたらいいなあ」 と3日坊主になったときのために伏線も張っておきました。 しかし、二駅も歩くと流石に疲れました。 帰りは電車に乗りました。 何事も無理はいけません。 駅前の居酒屋で夫は生ビール、わたしはグレープフルーツサワーを頼み乾杯。 大好きな子持ししゃもは即オーダーします。 出てきた小ぶりのお皿にお行儀よく並んだ5尾のししゃも。 「子持ちしてはスマートなししゃもやね」 とどうでもいいことをしゃべります。 程よく飲み程よく食べ、混み始めた頃を見計らって店をでました。
↑ミニバラ 20年以上も使用し続けたあるものが壊れました。 それはオーブントースターです。 すごく残念でたまりません。 厚切りのパンをこんがりと焼き、マーガリンをたっぷりと塗って、 冬はホット、夏はアイスでコーヒーを一杯。 わたしの定番朝ごはんです。 そんな朝ごはんに欠かせなかったオーブントースター。 このオーブントースターは子供達が小い頃から使っていたかなりの年代物で、 今の家に落ち着くまで一緒に3回引越しをしてきました。 あの、阪神大震災もくぐり抜けたつわものです。 年齢にして20数歳。 白地だったはずの風貌は、いつの間にやら黒く焦げ付きが目立ち、 天板はぐにゃとへこみ底版はぐらぐら・・・ 見た目もかなりのご老体。 それでも、定番の位置に陣取りパンを焼く役割はそれなりに果たしてくれていました。 しかし、ある日を境にうんともスンとも言わなくなり、ガーとかブーとかも無く。 息絶えてしまいました。 こうなれば、ただのガラクタです。 もう後は廃棄物になるしかない運命です。 「諸行無常だね」 夫は訳のわからない事をいいます。 長きにわたってうちの台所の主であり続け、わたしがこの家を離れていた時も 代わりに留守を守っていてくれたような・・・。 そんなはずはありませんが、 ありがとうと、綺麗に拭いて袋にいれて処分しました。 新しいトースター? 今はありません。 食パンはフライパンで焼いてます。 まあ、それなりのお味です。 [ad#rannkinngu]
今日は、暑くなっています。 最高気温が35度とか。 部屋でじっとしていてもじんわりと汗をかいています。 不快指数がかなり高いです。 相変わらず、首から右肩、肩甲骨あたりにかけての痛みに悩まされています。 我慢比べをする必要ないわ、と先ほど痛み止めを服用し、PCに向かっています。 出勤時の夫に着いて最寄り駅から一駅向こうまでの歩け歩けは今日で3日目。 なんのことはない駅まで歩き、すぐにユーターンして帰ってくるだけです。 こんな他愛もない事が運動になっているのか、 首の痛みに効果があるのかないのか全くわかりません。 ゼロかもしれませんがマイナスではないでしょうレベルです。 朝の散歩はもっぱら「あるく」のが目的ですが、 道端をみれば、アスファルトの隙間から育っている花があり、 かと思えば、青々とした柿の木の実がほんのりとオレンジ色になってきたりで、 季節のわずかな変化を見つける楽しみもあります。 血管が浮き出ているとはいえ、丈夫な足があるのだから、 まだまだがんばれよって言っている気がします。 とにかく夫より先に弱ってはいけないと思っています。 もしかしてこの先10年20年経過し、夫婦どちらかが介護状態になったとき、 わたしは夫の介護はできますが、夫にわたしの介護は無理だろうと踏んでいます。 万が一わたしが先に手を煩わせるようになったら、 なんの迷いも無く即効で施設に入れて欲しいと夫や子には話しています。 そういう話をすると、夫は高らかに笑い、 「お前を見送ってから逝く予定だから案じるな」といいます。 「はっ?そしたらあなたの面倒は誰がみるの?」 と尋ねると 「わしは誰の世話にもならない。ころっと逝くから」 といいます。 ようするにピンピンコロリというやつでしょうか。 そういう爺さんに限ってしぶとく生きているものらしいのにわかっていません。 仕事に復帰し、否が応でも身体を動かしていれば、こんな悩みも薄らぐと思いますが、 時間があるのも良いような悪いような複雑です。 病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 /山と渓谷社/長尾和宏 posted with カエレバ Amazon Yahooショッピング 7net
お掃除ロボット「ルンバ」が欲しいと言って夫にたしなめられる。
↑木綿の木の花 夫に「ルンバ」が欲しいといって、即効で却下された経緯です。 ちょっとくどくどと書いてしまいますが。読んでくださると嬉しいです。 もうすぐアパートを引き払い帰ってくる末娘。 いの一番にしたい事は何かというと、ワンちゃんを飼いたいとの事。 次女が昨年、黒柴ちゃんを飼いだして、そのあまりの可愛さに悩殺され、 さあ、自分もという気になったようです。 もともとペット欲しい。 だけど、実際に飼うのは自信がないが正直な気持ちで、 姉が飼いだしたことで「わたしも・・・」と一気にハードルが下がったとは本人談。 アパート暮らしが終わり実家に戻る環境の変化もあって、 ワンちゃん欲しい気持ちに拍車がかかったのだと思われます。 子育ての時期は、子供達にアレルギーがあったのでペットはNGでした。 ワンちゃんを飼って、一緒に遊ばせてやりたかったなあとは未だに思います。 ワンちゃんは生き物で、ご飯を食べるし病気もします。 一度飼ったら一生面倒を見なければいけない覚悟も必要ですし、 お金もかかるし時間も費やします。 でも、社会人となった娘(現在は無職だが)が、 それを承知で言うのだから「ダメ」とはいえません。 全身、毛だらけのワンちゃんが家族の一員になれば、頻繁に掃除しなければ、 家の中はワンちゃんの毛が舞うでしょうよ。 あまり、掃除が好きではないわたしは、 四角い部屋を丸く掃くのが得意なタイプです。 これを機にお掃除ロボットにがんばってもらおうという下心がありありで夫に相談したのです。 「ルンバ」が欲しいよね。 それから空気清浄機も。 ワンちゃんを迎える準備の為に、 「お掃除ロボットと空気清浄機がどう?」と言ってみました。 さて、夫からは予想通りの返事。 「今やダンシャリの時代だ。下手に物を増やしてどうする」 確かに。 しかし、 「ほうきとちりとりがあれば充分だ」 には開いた口がふさがりませんでした。 なんとまあ・・・ あなたは何時代の人ですかはあえて言いませんでしたが、 わたしの「ルンバ」の夢はあえなく撃沈。 コロコロ一生懸命に働いている「ルンバ」って可愛くない?。 依然勤めていた介護施設でも夜間に一人(?)で働いていた健気な子ですよ。
「骨棘」=「コツキョク」と読むそうです。 骨に加えられた何らかの刺激に反応して骨組織が増殖し、棘状(とげじょう)になったもの。原因として炎症・変性・腫瘍などがある。コトバンクより わたしの首にはこの骨棘なるものがあって、時々悪さをします。 コツキョクができる原因は老化で、骨と骨の軟骨が磨り減ってしまうために起こる現象のようです。 このところ夕方4時過ぎになると、首が痛くなります。 首だけではなくて、肩や腕の辺りまで・・・。 昨日は、かなり痛かったので ペタペタと塗り薬を塗りましたが、治まらないので痛み止めを服用しました。 首の痛みで薬を服用したのは久しぶりです。 4,5年前はかなり深刻で痛み止めの薬を沢山飲んでいました。 炎症を治める薬や、胃薬やらかなり・・・ 1年半ぐらい飲んでいたのかな。 当時服用していた薬は、「ロキソニン」と「リリカ」と後色々・・・。 特に「ロキソニン」はかなり強い薬です。いけませんね。 仕事始めるのに健康診断を受ければ、肝機能の数字がよろしくない。 尿検査では潜血反応が起こったり・・ 要精密検査レベルでしたがほったらかしにしてました。 投薬の影響とかなり不安定な暮らしぶりだったのも、 ストレスとなって影響しているとうすうすわかっていました。 最悪腫瘍の可能性もあると言われても病院へはいけませんでした。 今思えば無茶な話ですが、当時はだからなんなのと思っていました。 スーパーでパートに出るようになると体重が10キロぐらい一気に減り、 体重が減ったら首への負担も軽くなり、 毎日規則正しく身体を使う生活にシフトしたお陰かどうかはわかりませんが、 薬をやめることが出来ました。 薬をやめると肝機能の悪い数字も血尿もなくなり、今の所は内臓系は大丈夫です。 薬といっても身体にしてみれば異物ですから、 長く飲み続けるといろんなところに影響が出てきます。 考えてみれば、ちょっと前までは膝関節の注射に通っていたし、 ひと月前に骨折するし、最近はまたまた首が痛い。 ここまでなると、わたしは、骨系が弱いのだと自覚せざるを得ません。 こうなったら、何か対策を立てなければいけません。 駅前にスポーツジムがありました。 年配の方が朝早くから並んでいます。 あの仲間に入れてもらう?
残暑が厳しい毎日ですが、暦の上では秋です。 初秋といった方がいいでしょうか。 人生一大事の骨折をやらかしてからもうすぐひと月が過ぎようとしています。 最初の頃は片腕を吊った不自由さと情けなさが重なり、かなりナーバスになっていました。 パートを休んでしまっている負い目も半端なくて。 しかし、ギブスがとれて徐々に身体が復活してくると、拘束されない自由さを満喫しだしています。 どっちみち重いダンボールやなんか持ち上げられないし、無理して仕事に復帰しても 周りに迷惑をかけるだけだと割り切ってしまいました。 夫や子供達から「早く仕事に復帰したい」と言ってダメだしを食らってしまったのも 自由さをバンザイしようと決めたひとつの理由です。 そうなるともうどこまでも気が抜けてしまって・・・。 ずっとこのままでもいいや等と。 あれやりたい、これもしてみたいと言い放っていたのに、まさしくコロコロ変わる秋の空。 まるで一貫性がありません。 移り気なおんな心にたとえられた秋の空は気の毒です。 時間があるのでブログを書いたり、ネット界隈をさまよってお気に入りのブログを見つけて 時間が経つのも忘れて読みふけったりしています。 手つくりのワンピースの話はどこへ飛んでいってしまったのでしょうか。 図書館で本を借りて作りたいデザインを決めて、型紙をつくる段階でストップしています。 自称出不精の引きこもり、滅多に外にでようとしません。 荷物がもてないというのもあったりで、買い物の回数なんかがぐっと減りました。 休職中ですからね。 パート収入はないし、丁度いいのですよ。 ゴーヤーがたんまりとあります。 今月の中ごろを復帰のめどにしていますが、 その頃になるともう仕事に行くのが嫌になっていそうです。 正真正銘の怠け者です。 [ad#rannkinngu]
9月になった。 8月一杯はがんばれよって思っていたゴーヤーだが、勢いを取り戻し元気だ。 実は、小ぶりになり、色も若干薄くなった気がするが、 うちは西向きで午前中は全く日があたらない環境だ。 それでも家庭で消費して余るほどの収穫が得られるゴーヤーは、家庭菜園の優等生かなあと思う。 今朝、収穫したゴーヤーだ。 日々収穫するゴーヤーは、たまにご近所さんにおすそ分けしたり、子供達にやったり・・・ 先週末、所要で来た息子に持たせ、お嫁さんに喜んでもらった。 しかし、それでも余る。 そこで、 縦半分に切り種をとって薄くスライスしてジプロックで冷凍してみた。 うちの冷凍室は、ゴーヤーで満杯。 炒める時は凍ったまま。 生の時とそんなに変わらず使える。 画像右端に見えるのはミディトマト。トマトはまるごと冷凍。 冷凍したトマトを水につけると皮がツルンとむけて超楽ちん。 トマトソースを作ったりパスタなんかに重宝している。 育てる楽しみ、食べる楽しみ。 軒下の僅かなスペースから得られるささやかな収穫祭、もうしばらく続きそうだ。 [ad#rannkinngu]
↑百日紅(さるすべり)が咲き出した。 昨日の日曜日、末娘がピアノのレッスンの為に帰ってきた。 娘は社会人になってからも月に2回、近所の先生のピアノのレッスンに通っている。 幼稚園から延々と20年間。 継続は力なり・・・。 全くの趣味以外の何物でもないが、それはそれで大したものだと親ばかなわたしは思っている。 娘が帰ってくる日は、サンドイッチやから揚げなんかを用意し待つ。 9月半ばには一人暮らししていたアパートを引き払い帰ってくる予定だから、今回で最後だ。 勤めていた会社を退職し、 新たに中途採用という形で就活をしなければいけない。 うちの娘、一見して「出来る」というタイプの子ではない。 自己アピールも上手くないだろうなあと思う。 そんな娘だからこそ、 就活をする際に少しでも安心材料をと思って「登録販売者」の資格を取らないかと勧めた。 再就職に役にたてればという思いがあった。 娘は、まあ受けてみるかなという軽い感覚以外の何物でもなかっただろう。 「登録販売者」の資格試験は決して難しい試験ではない。 どちらかという簡単な部類になるのかもしれない。 しかし、合格率は4,5~5割、半分は受かるが半分は不合格だ。 ある一定の時間を費やして勉強しなければ決して受からない。 一緒に受験しようと決めたのは、 58の母親ががんばっているのだからという思いを、 娘が持ってくれるのではないかと思ったからだ。 わたしの思いは娘に届いた。 会社の休憩時間にテキストを開くようになり、試験1週間前はかなり真面目に取り組んだようだ。 受験する以上は合格したいは誰でも同じだ。 娘が「登録販売者」の資格を今後活用するかどうかはわからないが、 とりあえずの一歩になるのではないかと見守っている。 それにしても、ミイラ取りがミイラになったとはこのことだろう。 最近ドラックストアがやたらと気にかかる。 一般医薬品の事を少しかじっただけなのに 「登録販売者」として働いてみたらどうなるのかなあという思いが頭を駆け巡っている。 「休職中の身でありながら、よくそんな事が考えられるなあ」 「パート先に復帰するのが先だろう」 とは夫談。 その通りだ。 試験は受かってもイザ現場にというとまた相当の覚悟がいる。
今年の夏は暑かった。 お盆を過ぎてから朝晩は少し涼しくなったが、まだまだ油断はできない。 昨日の日曜日はエアコンフル稼働だった。 今日も昨日より一段と気温が上がる予報が出ている。 軒下の僅かなスペースで野菜や花を育てている。 夏野菜達は元気に育ち、夫婦二人分で消費しきれないほどの収穫をもたらしてくれている。 そんな中、ゼラニウムに異変が起こっていた。 こんな感じに どれもこれも皆成長点付近の葉が真っ白になっている。 いったいこれはどうした事か、 肥料不足か、病気か・・・ 春先にはあじさいと見間違う人が居たほど見事なまん丸は花が咲いていたのに。 調べてみると、どうやらこの夏の異常な高温にさらされて起きた「高温障害」だというようだ。 インターネットはこんなときに助かる。 とりあえずの疑問になにがしらの答えを導いてくれる。 で、この症状は対する対応は何もなく、 ただほっとけばいい。 涼しくなれば自然に元の緑色の葉に戻るという。 「高温障害」だとわかり一安心。 葉っぱが斑入り(ふいり)になったと思って楽しむといいそうだ。 それにしても、面白い現象だ。 自ら動けない植物のささやかな抵抗か・・・。 環境に適応するために自らを変化させて生き抜く術が・・・。 ゼラニウムは侮れない。 ちなみに 同じように葉の色が抜けてしまっていた「カリブラコア」も 虫食いも多く元気がなかっただけにひどく心配したが、 多分高温障害で決まりだ。 [ad#rannkinngu]
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秋が終わろうとしています。 通勤途中で見る街路樹の落葉が一気に進んできました。 赤や黄色や茶色の葉っぱ達が、 少しの風でサワサワざわざわ・・・ ワンツーステップと呼べなくもない軽やかな動きで楽しそうに転がっています。 小 […]
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8月10日 今日は我が家の愛犬赤柴ちゃんの2歳の誕生日です。 ついでにというと申し訳ない気もしますが、今は亡きわたしの実父の誕生日でもあります。 ワンちゃんと父親が同じ誕生日だからなんなのといって、なんでもないですが。 […]
4月で60歳を迎えていました。 長らくブログ村の「50代の生き方」カテゴリーの住人でしたが、 このたび「50代・・・」を卒業しました。 「50代・・・」でアクセスしてくださった皆様、お世話になりました。 ほんとうにありが […]
ご訪問ありがとうございます。 当ブログも開設してから5年目が過ぎようとしています。 つきましては、心機一転、ブログのメンテナンスを兼ねてタイトル等の変更を考えています。 加えてブログ村参加カテゴリーも少し変えます。 サイトのアドレスはこのままです。 外観的には大きく変化はないと思いますが、念の為ブックマークしてくださるとありがたいです。 暑い日が続いています。
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