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ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座 https://sengokushiseki.com/

歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です

愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。

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2017/01/11

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  • 岡崎市誓願寺に残る家康が腰掛けた虎石と市内最古の石灯篭

    岡崎市梅園町虎石にある誓願寺は徳川家康や松平氏にゆかりが深い神社です。城巡りや史跡巡りで訪れる時のポイントを3つあげてみます。松平信貞が勧請した諏訪神社境内にある諏訪神社は大永三年(1523)に当時の岡崎城主だった松平信貞が勧請したものとい

  • 蒲郡市上ノ郷鵜殿家の菩提寺・長応寺(正行院)と下ノ郷鵜殿家の長存寺

    戦国時代に現在の蒲郡市に勢力を持っていた鵜殿氏一族の菩提寺を調べてみました。鵜殿氏には本家・上ノ郷鵜殿家といくつかの分家があります。まずは本家・上ノ郷鵜殿家の菩提寺は長応寺でしたが、上ノ郷城が落城した時に燃えてしまいました。その跡に建つのが

  • 蒲郡市の市章のモデルになった竹谷松平氏の蒲形陣屋跡と鵜殿氏の下之郷城址

    愛知県蒲郡市の市章は江戸時代にこの地を治めていた竹谷(たけのや)松平家の家紋・丸に一つ引き両がモデルになっています。その竹谷松平氏が江戸時代に政治を行っていた場所が蒲形陣屋です。この記事では戦国時代から幕末まで蒲郡市を治めた城や陣屋の歴史を

  • 徳川家康腰掛石が残る常滑市正住院は伊賀越え上陸候補地のひとつ

    常滑市正住院は天正十年(1582)の本能寺の変が起こった時、徳川家康一行が伊賀越えで上陸した場所といわれている寺院です。>>正住院の地図【現地案内看板】徳川家康公腰掛けの石 天正十年(1582)六月二日、徳川家康公は酒井への遊覧を終え、織田

  • 津島神社に寄進された本殿、楼門、南門と織田家の経済を支えた津島湊跡

    津島市津島神社の創建は古く、伝承によればでは欽明天皇元年(540年)といわれています。戦国時代も尾張国内ではもちろん、近隣諸国にも影響があった神社のひとつです。>>津島神社公式サイト津島神社は寄進された建物も多く、戦国時代や江戸時代に興味が

  • 水野藤助正成と池田恒興ゆかりの東海市平島城址

    東海市荒尾町金山にあつた平島城址は、水野成政と池田恒興ゆかりの城です。>>平島城址の地図【現地看板より】平島城跡(荒尾町金山)平島城は『尾張志』、『張州府志』によれば、「水野藤助之(これ)に居る」とあるが、何時、誰によって築城されたのかは定

  • 緒川城の水野一族が城主となり常滑焼を支配した常滑市常滑城址

    常滑(とこなめ)市に残る常滑城址は緒川城(東浦町)の水野氏の一族である常滑水野氏の居城跡です。>>常滑城の地図【現地案内看板より】 戦国時代の初め小河地方(東浦町緒川)の豪族、水野氏が常滑に進出し、此の地に城を築いた。その規模は徳川時代の古

  • 荒尾氏、池田恒興、池田輝政が城主となった東海市木田城址

    東海市大田町城山の木田城址はこの地の土豪・荒尾氏と池田恒興、池田輝政が城主となった城跡です。現在では住宅地になっています。>>木田城址の地図池田恒興の尾張時代の城跡だった木田城。宅地開発が進んで限られた遺構しか残っていませんが、城巡りとして

  • 豊川市豊川城址は鎌倉時代の大江定厳の屋敷で江戸時代の水野忠直の陣屋跡

    豊川市西豊町に残る豊川城址は、鎌倉時代、大江入道定厳の屋敷があった場所で江戸時代には水野忠直の領地となりました。>>豊川城址の地図三河国二葉松に記載がある城跡で、鎌倉時代に大江入道定厳の屋敷がこの地にありました。大江定厳は鎌倉街道豊川宿があ

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