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ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座 https://sengokushiseki.com/

歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です

愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。

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2017/01/11

  • 月刊・愛知の城は愛知県の戦国史跡や城址のフリーペーパー配布場所と時期はいつ?

    愛知県の戦国史跡や城址を紹介しているフリーペーパーがあります。それが月刊・愛知の城。この月刊・愛知の城は愛知県の城歩きをしている愛知ウォーキング城巡りクラブの機関紙です。発行の時期はいつ?ということですが奇数月上旬です。例えば令和五年(20

  • 斎藤道三が織田信長を見送ったといわれる一宮市萩原の天神の渡し跡

    一宮市萩原町、西萩原町の天神社はかつて川の渡し舟の発着場でした。現在の日光川はかつて木曽川の本流で、天正十四年(1586)の大洪水で川筋や川幅も変わり、現在の様になったといわれます。■天神の渡し跡の住所■一宮市西萩原2252>>天神の渡し跡

  • なぜ西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りで休息した石があるのか?その理由

    西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りの時、休憩したといわれる石があります。それが石橋山福泉寺です。なぜ家康は現在の西尾市で鷹狩りをしていたのか?その理由と実際の現場を訪れてみました。■石橋山福泉寺の住所■西尾市行用町西屋敷53−1>>石橋山福泉寺

  • 賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明生誕地説がある安城市三河岩根城址

    安城市三河岩根城は豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられる加藤嘉明が生まれた城と言われています。加藤嘉明といえば日本100名城にも認定されている愛媛県の伊予松山城を築いた人物です。そんな安城市三河岩根城の現状をレビューしてみました。

  • 安城市藤井町の由来はホントに井戸だった!藤井戸の場所と私の感想

    安城市藤井町北山に藤井戸跡という史跡がります。じつはこれ、安城市藤井町の地名の由来になった井戸なのです。一体どんな由来なのか?この記事でチェックしてみましょう。読めない看板現地にはこの井戸の由来となった藤井戸について、安城市教育委員会の看板

  • 伊賀越えの時に徳川家康の歯痛を治した碧南市久沓町の白山神社

    碧南市久沓町の白山神社は天正十年(1582)に起こった本能寺の変の時、伊賀越えで岡崎へ向かっていた徳川家康の歯痛を治したといわれる神社です。■白山神社の住所■碧南市久沓町1丁目5>>白山神社の場所の地図徳川家康にゆかりがある寺社は多いですが

  • 松平元康(徳川家康)が渡った半田市岩滑西橋(お殿橋)

    半田市岩滑西橋(通称:お殿橋)は、桶狭間の戦いの後、松平元康(徳川家康)が渡った橋といわています。この事から江戸時代には尾張藩が資材を提供して修復し、欄干の付いた立派な橋が作られました。■岩滑西橋の場所の住所■半田市岩滑高山町一丁目地内>>

  • 榊原康政の祖父・清長、父・長政や松平忠吉の墓が残る豊田市幸町隣松寺

    豊田市幸町隣松寺(りんしょうじ)は徳川家康や鴛鴨松平氏にゆかりが深い寺院です。徳川家康や松平氏に縁の深い寺院はたくさんありますが、隣松寺は関連する墓が多いです。それではこの記事で隣松寺の見どころをチェックしてみましょう。■隣松寺の場所の住所

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