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ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座 https://sengokushiseki.com/

歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です

愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。

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2017/01/11

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  • 名古屋市内に分散した平手政秀の居城跡、菩提寺、首塚、墓所まとめ

    織田信長が成人(元服)した時、4人の家老が付けられました。その中で最も信長に関わったと思われるのが平手政秀です。通説ですと素行が悪かった信長を諫めるために自害したといわれますが、平手政秀の史跡は名古屋市に分散しています。その史跡をこの記事で

  • 豊橋市杉山城址は戦国時代初期に渥美郡に勢力を持っていた杉山氏の居城跡

    豊橋市杉山町の杉山城址は戸田氏が渥美郡に勢力を伸ばす以前の土豪・杉浦右衛門大夫、杉山久助俊輝の城跡です。現在は大徳山寶林寺(宝林寺)になっています。■杉山城址の住所■豊橋市杉山町松岡11>>杉山城址の場所の地図>>大徳山寶林寺(宝林寺)公式

  • 今川氏に従い戦国時代に豊橋市南部を支配した畔田氏の豊橋市畔田城址

    豊橋市城下町の畔田(くろだ)城址は戦国時代に現在の豊橋市南部に勢力を持っていた土豪・畔田氏の居城です。■畔田城址の住所■豊橋市城下町築地ノ内>>黒田城址の場所の地図黒田城址のアクセス黒田城址への行き方はいくつかあります。その中で私が地元の方

  • 戦国時代以前に廃城になった堀尾孫助の小牧市南外山城址

    小牧市南外山城址は戦国時代以前に築かれた堀尾孫助の城跡です。■南外山城址の住所■小牧市南外山404>>南外山城址の場所の地図現地看板 南外山城跡南外山城は、堀尾孫助の居城で、この八幡社を含む範囲にあったが正中年間(1324~25)にはすでに

  • 名古屋市北区志賀城址は織田信長の傅役だった平手政秀の居城跡

    名古屋市北区平手町に志賀公園がありますが、その一部はかつて織田信長の傅役(もりやく:教育係)だった平手政秀の志賀城址です。■志賀城の住所■名古屋市北区平手町2丁目>>志賀城址の場所の地図現地看板 平手政秀宅跡 ここ志賀の地を領した平手政秀は

  • 幸田町荻城址は三河一向一揆で松平元康と戦った内藤清長の居城跡

    額田郡幸田町の荻城(おぎじょう)址は、三河一向一揆で一揆方となり松平元康と戦った内藤清長の居城跡です。■荻城址の場所の住所■額田郡幸田町荻城跡2>>荻城址の場所の地図現地の説明 内藤弥次右衛門清長公終焉の地と伝う 荻城は寛正(一四六〇)の頃

  • 大庭氏が築上し五井松平氏が入った幸田町深溝城址の地名や鬼門、見どころなど

    額田郡幸田町深溝(ふこうず)丸ノ内にある深溝城址は戦国時代にこの周辺を治めていた城跡です。現在では石碑と幸田町教育委員会が建てた案内看板があります。■深溝城址の住所■額田郡幸田町深溝丸ノ内>>深溝城址の場所の地図現地案内看板 こうたの文化財

  • 歴史歩き、城散策の会のメリットは何?実は良いことが3つあります!

    城巡りや歴史史跡歩きは1人でもできます。自分のペースで巡ることは他人に気を使わないで済むので、おひとり様で城歩きをする人もいると思います。でも歴史の会や城巡りサークルで史跡を巡るメリットが少なくても3つあるのです。スムーズに巡る事ができる今

  • 豊田市駒場町元城の駒場城址は慶雲寺の守り役だった太田氏の居城だった

    豊田市駒場町元城の駒場(こまんば)城址は慶雲寺の守り役だった太田備後守の居城跡です。■駒場城址の石碑の住所■豊田市駒場町東埜中>>駒場城址の場所の地図現地の説明石碑城跡(太田備後守) 東墓地より約100m西に、太田備後守の碑が草むらに建てら

  • 徳川十六神将に数えられた高木清秀ゆかりの安城市高木城址

    安城市高木町の高木城址は徳川家康のもとで活躍した徳川十六神将に数えられている高木清秀ゆかりの地です。■高木城址の住所■安城市高木町>>高木城址の地図現地看板市指定史跡 高木氏発祥の地高木氏は、室町時代に現在の安城市高木町一帯をもとにしていた

  • 織田広近が築いた犬山城の前身の城!犬山市木ノ下城址

    犬山市の木ノ下城址は織田広近が築いた美濃との国境を守った城です。後に近くの乾山にあった砦に城郭機能を移し、それが犬山城になりました。■木ノ下城址の住所■犬山市犬山愛宕7−1>>木ノ下城址の場所の地図木ノ下城の歴史木ノ下城跡 木ノ下城は室町時

  • 北名古屋市沖村城址は信長の一番家老だった林秀貞(道勝)の居城跡

    北名古屋市の沖村城址は織田家家老だった林秀貞(林通勝)の居城跡です。別名・沖城。現在では光明山松林寺になっています。■沖村城址の住所■北名古屋市沖村西ノ郷>>沖村城址の場所の地図信長の一番家老林秀貞の林家は代々織田家に仕え、信長公記によると

  • 南北朝時代の武将・野尻掃部の日比津城址と石塔が残る中村区大円寺

    名古屋市中村区日比津町の大円寺周辺に南北朝時代、この地に勢力を持っていた野尻氏の城がありました。それが日比津(ひびつ)城です。現在では住宅地として開発され、遺構は残っていないものの、大円寺に野尻氏一族のものと考えられる石塔が残っています。ま

  • 地元で語り継がれる愛西市田尻城址

    愛西市田尻城址は地元で語り継がれる謎の城です。現在では合併前の立田村教育委員会の案内看板と石碑があります。■田尻城の住所■愛西市三和町田尻>>田尻城の地図現地看板 田尻城跡・馬洗い石 田尻村は寛永元年(1624)に立田輪中が一円輪中になった

  • 那古野城主・今川氏豊に仕えた大秋十郎左衛門の大秋城址

    名古屋市中村区の大秋城址は、戦国時代に那古野城主だった今川氏豊に仕えた大秋十郎左衛門の居城といわれています。■大秋城址の住所■名古屋市中村区大秋町2丁目>>大秋城址の場所の地図那古野城主とは?那古野(なごの)城は、現在の名古屋城二の丸あたり

  • 平安時代の武将・板垣冠者兼信の居城だった愛西市十二城址

    愛西市の十二城址は平安時代の武将である、板垣冠者兼信(いたがき かんじゃ かねのぶ)の居城跡です。■十二城址の住所■愛西市町方町十二城>>十二城址の場所の地図板垣冠者兼信とは誰?板垣冠者兼信(いたがき かんじゃ かねのぶ)とは、平安時代末期

  • 名古屋市天白区島田城跡は織田信長の妹を娶った牧長清の一族の牧虎蔵の城だった

    名古屋市天白区島田に残る島田城址は戦国時代の尾張守護だった斯波氏の一族・牧氏の居城跡です。■島田城址の住所■名古屋市天白区島田5丁目>>島田城址の場所の地図現地案内看板島田城跡 築城年代は不詳であるが、『尾張志』に、その規模は東西四二間(約

  • 兼松正吉が織田信長から拝領した足半が秀吉清正記念館にある!

    名古屋市中村区の秀吉清正記念館は、常設展と企画展2つの展示が行われています。ここに兼松正吉が織田信長から拝領した足半(あしなか)が収蔵されています。>>秀吉清正記念館行公式サイト兼松正吉とは?兼松正吉(かねまつ まさよし)とは葉栗郡島村(現

  • 安城合戦の戦死者を弔った富士塚、東条塚、千人塚の場所と現地レビュー

    安城市には安城合戦で亡くなった方を弔った3つの塚が残されています。それが富士塚、東条塚、千人塚です。これらの塚は安祥城近くにあり、名鉄・南安城駅から歩いて訪れることができます。■3塚の地図■安城合戦とは何?戦国時代、尾張の織田と三河の松平は

  • 織田信長の妹を妻にした牧長清の名古屋市中区小林城址

    名古屋市中区の小林城址は織田信長の妹を娶り、この地に勢力を持っていた土豪・牧長清の居城跡です。■小林城址の住所■名古屋市中区大須4丁目1−32>>小林城址の場所の地図小林城の歴史小林城跡 天文(1532~55)のころ、尾張の主語・斯波氏の一

  • 平安時代は志貴庄の荘館、室町時代は地頭の館か?安城市安城古城址

    安城市安城町の安城古城址は安祥城の前身の城といわれています。歴史は古く平安時代からこの地の有力者の居館があった場所と考えられています。■安城古城址の住所■安城市安城町社口堂>>安城古城址の場所の地図現地案内看板市指定史跡 安城古城址 安城町

  • 江戸時代に碧海郡安城村,米津村,加納村を治めていた久永信豊の安城陣屋跡

    安城市安城町の安城陣屋跡は江戸時代にこの周辺を治めていた久永氏の陣屋跡です。陣屋は城ではなく関係もないと思う方もいると思います。でも城郭研究では陣屋も城址のひとつとして研究されています。その地域の政治の中心地でもあり、場合によっては石垣、堀

  • 安城市の保科正直邸址は武田,北条そして徳川に仕えた旧高遠城主の館跡

    安城市山崎町にある正法寺は、戦国時代に武田氏、北条氏、徳川氏に仕えた保科正直の館跡です。別名・保科城址。■保科正直邸址の住所■安城市山崎町大手>>保科正直邸址の地図館跡の詳細市指定史跡 保科正直邸址 保科正直は信濃国高遠(長野県伊那市)高遠

  • 豪快な堀跡が残る!松平信孝が築いた安城市山崎城址

    安城市山崎町に残る山崎城址は徳川家康の大叔父だった松平信孝が築いたといわれる城です。現在は神明社になっています。■山崎城址の住所■安城市山崎町城跡>>山崎城址の場所の地図現地案内看板山崎城址 山崎城址は碧海台地(へきかいだいち)の東側に位置

  • 織田信長側近で家康の伊賀越えも同行!長谷川秀一の生誕地は一宮市北方町だった

    一宮市立北方中学校横に長谷川秀一公旧居跡と刻まれた石碑があります。これは織田信長の側近だった長谷川秀一の生誕地を示す石碑です。>>長谷川秀一公旧居跡石碑の地図長谷川秀一?と聞いてもピンとこない方もいろと思います。彼は織田家奉行衆のひとりで、

  • 前田慶次の親友として描かれている奥村助右衛門永福の出生地・一宮市貴船神明社

    一宮市奥町にある貴船神明社は漫画・『花の慶次 ~雲のかなたに~』で前田慶次の親友として描かれている奥村助右衛門永福(ながとみ)の出生地の碑があります。■貴船神明社の住所■一宮市奥町貴船8>>貴船神明社の場所の地図なぜここにある?貴船神明社の

  • 一宮市蓮池首池の地名の由来は戦国時代の小牧長久手合戦だった

    一宮市に蓮池首池というちょっと怖い地名があります。実はこの地名、戦国時代に起きた小牧・長久手の戦いがもとで付いた地名といわれています。>>蓮池首池の場所の地図蓮池首池の由来小牧・長久手の戦いの城跡を歩く(内貴健太著)に蓮池首池の事が書かれて

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