生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
百姓バッパ吉野せいは、夫の死後その友人に小説を書くことを勧められ、鍬(クワ)に親しんだ手にペンを持った。70才になっていた。 勧めたのは近郷の詩人、草野心平である。その心平をして、「これは単なる農民小説でも記録でもない。恐ろしい文学である」と言わしめた。 せいは夫で詩人である吉野義也(三野混沌)とともに、阿武隈山脈の南はしの藪野を開拓して50年作物を作り続けてきた。 「土に書いた言葉」と表現した人がいたが言いえて妙である。 今回の東北旅で、その菊竹山の開墾地をどうしても見ておきたかった。 しかし唖然とした。 そこはもう住宅が立ち並び、狭い畑が僅かに存在しているだけの場所である。 吉野せいが開拓し奮闘した跡地は見られない。道路の端にわずかに竹やぶの跡が残っていた。 落胆し..
大石邦子歌集「冬の虹」 大石さんは、20代の一番きれいだった頃、通勤バスの事故により、半身麻痺の身となり不治の宣告を受けた。 これにより、結婚したいと思っていた恋人との別れが訪れる。 私も、トラウマとなった辛い別れを経験していますが、大石さん程の深い悲しみ無念は知りません。 それでも、名を伏せ祝電を打つ。 この大石さんの強さに、私は救われる思いがしています。 冬の虹―大石邦子歌集 (国民文学叢書 第 215篇) 作者: 大石 邦子 出版社/メーカー: 歴史春秋社 メディア: 単行本 大石さんは、会津の人です。私は、戊辰戦争に敗れ新政府に苛酷な仕打ちを受けた会津藩の人々に、興味をかきたてられます。 今回の旅も会..
会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。 こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。 ..
【北三陸リアス式海岸】 岩手県田野畑村の北山崎付近です。友が好きだったJAZZのCDに写真を入れました。 meganesaru707同行二人先月亡くなった友を、道連れに今週、旅に出ます。皆さま良い一日を https://t.co/NbbWefXXiZ10/01 14:00 meganesaru707友の葬儀は、家族葬でしたので、弔電打ちました。Amazonから自由な文面で打つことが出来ました。突然の訃報で悲しみにくれています。18歳で京都で出会ってからの楽しい思い出が次々とよみがえります。これまで本当にありがとう。安ら… https://t.co/G5yrlXgVNA09/22 02:30 ◆亡き友へ いい学校、いい企業 18歳でその外に置かれても ひるまない..
◆10代の体験ってどうしてこんなに長く尾を引くのだろう。 壮絶な体験と言えば戦争体験であろうが、10代でなら深い傷となって消えることはなく一生尾を引くのだろう。 他にも、親からの虐待、学校でのいじめ、恋人の裏切りといったことは若いだけに防御のすべを知らず、トラウマとなってフラッシュバックする。 ◆私も今も時々うなされることがある。しかし、初老に差し掛かって命の先行きが見え始めて、別の感慨も生まれてきた。 それは、こんな深く、大きな傷を与えた側じゃ無くて本当に良かったということだ。 ◆逆なら、自分の人生は、やはり罪深い。死に近づいても 後悔と懺悔の気持ちから逃れられないだろう。 もちろん、傷つけた側にも、言い分、理由はあるだろう。ただ、ほとんどは引きずることなく忘れ去っているだろう。 だか..
私が社会人になって、雇い主である師匠に初めて教えてもらったのはこのことだ。 ◆「かしこ阿呆」は、賢そうに講釈垂れるが、本質は馬鹿な奴。関西の商売人では最も嫌われ、冷笑される。 大阪の「阿保」に対して、東京の「エエカッコしい」のイメージだろうか。 ◆一方「阿呆かしこ」は、普段バカな冗談ばかり言ってるが、本当は非常に賢い人だ。 師匠もそうだった。同じアホでも、こんな人が混じっているから、油断ならない。 ◆「あんたが、民間人(商売人)として生きて行くなら、最初にそのプライドを削らんとあきまへんで」鼻っ柱の強い私に、師匠は鋭い目つきで言った。 ◆あれから40年、この言葉は本当に役に立った。「かしこ阿呆」が多かったのは公務員、教師、国に守られている一流企業のサラリーマン、芸術家(きどり)、政党ヒモ付き市民運動家等..
「障害は自己責任か⁈」を5回にわたって書いてきましたが、知人たちに感想を聞いてみた所、ちょっと誤解があるように感じました。そこで少し補足します。 ◆「過失がゼロだから自己責任を問うな」 と私は言っている訳ではありません。 ◆自己責任(自己過失)が100%と言えない状況 で、自己責任のみを問われるのは、納得できないと言っているのです。 義父は脳梗塞を発病しましたが、酒は飲まず、煙草も発病の数年前にはぴったりと止めていました。楽しみはコーヒーだけという暮らしで、血圧も血糖値も問題ありませんでした。 一方私の母は、高血圧、糖尿病でした。しかし94歳で大往生するまで脳卒中とは、無縁でした。 義理の父に大きな過失があったとは思えないのです。一方、母には過失はあったと思いま..
東北地方6泊7日の旅を終えて自宅に戻ってきました。 主な立ち寄り地は次の所です。 1.新潟県 長岡市 良寛の里 2.福島県 会津若松市 3.福島県 猪苗代湖 4.福島県 白河の関 5.福島県 須賀川市 円谷幸吉記念館 6.福島県 いわき市 百姓ばっば「吉野せい(作家)」開墾の地 7.福島県 いわき市 草野心平記念館 8.宮城県 塩釜市 長井勝一漫画美術館(ガロ編集長) 9.宮城県 南三陸町 JR志津川駅 10.岩手県 田野畑村 民俗資料館 北三陸リアス式海岸 北山崎 11.青森県 八戸市 12.青森県 三沢市 斗南藩記念観光村 13.青森県 十和田湖 14.秋田県 男鹿半島大潟 15.山形県 酒田市 土門拳記念館 16.新潟県 胎内市 最後の..
現代は、鉄道網も道路網も発達し、地方の飛行場も整備され、気楽に国内旅行出来る。国内であれば、一週間もあれば、ゆったり旅ができる。 歩き旅の昔はそれなりの覚悟を決めて旅をした。行き倒れということがあったからだ。四国巡礼は死に装束をまとっての旅だ。 1000年以上前の西行も、500年前の芭蕉も旅に非常に強い思いを持っていた。歌を詠む人には、歌枕(歌に詠まれた場所)を訪れたいという共通の思いがあり、先人の歌を思い、旅先へ思いを馳せていたのである。 今は便利に行けるぶんだけ、旅への思いは強くない様に思う。簡単に観光地にアクセスし写真を撮り、素敵な宿に泊って、温泉と美味しい料理を食べる。それが主で、旅情はあまり感じない。 古人に比べ、旅への思い(旅心)は明らかに軽い様に思う。 もちろん、現在でも歩き旅、自転車やバイク旅の人はいる。あ..
【竜飛岬】 二十歳前からなんとなく津軽への憧れがある。 自分でも何故かよくわからない。何かの拍子に太宰治の紀行エッセイ「津軽」を読んだからじゃないかと思う。もう詳しいことは覚えてないが太宰が乳母に会いに行った下りをかすかに覚えている 。人を斜めに見ているような太宰が、素直に甘えの感情を出してるのが印象的だった。 何年かして石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌が出た時、津軽への憧れを持っていることがはっきりした。 しかしこの曲が大ヒットしたことを思うと、これは日本人には共通した心情なのかもしれない。日本人の地下水脈を流れる抒情なのかもしれない。 後年、津軽地方が古代史上大変な地域であることが分かってきた。オホーツク人が大陸と津軽を行き来した跡がある事。縄文時代の大集落であった三内丸山遺跡が発掘された等である。 ..
◆障害者に対する偏見や差別は、これまで悲惨だった。 障害のある人間は前世の報いだの、障害のある子を生んだのは母親に原因があるなどという自己責任論がまかり通っていたのだ。 その上、これを利用し食いものにする新教宗教も多い。 ◆差別に対し義務教育というものが有効に働いているかといえば、経験上全くそうは思わない。 友人は中学校で、障害者学級の受け持ちを長く勤めてきたが、彼が言うにはやはり教師は差別意識が強いとのことだ。 実際私の中学時代も差別的な言動をする教師は何人もいた。 彼らは差別が生み出された歴史を知らないし、職業上、表面的に人権意識をつくろっているに過ぎない。関西は、差別が顕著に現れる社会だから化けの皮がすぐ剝がれるのだ。 差別に関しては、人権教育のみならず、歴史教育が必須だと思う。東アジアでは、釈迦が..
自己責任論の先にはなにがあるのか。 これまでの3回の話とは視点を変え、社会における障害者の位置付けについて考えてみたい。 ◆古代から征服した側は、 自分たちを貴い人(貴人)、征服された側を劣った人とし、身分(差別)制度をつくり、歴史を書き換え洗脳し国を治めてきた。 西欧のアーリア人がインドを征服したことによりカースト制が始まり、それは統治法として中国、朝鮮を経て日本に入ってきた。 ところが階層を作るに際し、見た目が変わらない場合も当然多い。そこで、一見でわかる肌の色の違う人や、障害者を真っ先に劣っているグループとした。 ◆日本では、貴族を頂点に、 実質支配者の武士、年貢を治め富をもたらす農民を良民とし、それ以外は劣った身分にされた。農民には高税率の年貢から逃げ出せば身分を落とされる恐怖が..
老いゆく門出に 北へ向かう秋旅がプレゼントされた 亡き友と道連れ 白河の関跡 関東から陸奥(むつ=道の奥)国に向かう最初の関所が「白河の関」です。 西行も松尾芭蕉(奥の細道)も、福島県の白河の関から陸奥の旅が始まりました。吉田松陰はここから日本海側の出羽を北上し津軽へ行っています。 西行は「白河の 関路の櫻 さきにけり あづまより 来る人のまれなる」と詠み。 芭蕉は、「心許なき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と記しましたました。 寂しい本州の奥への旅の始まりです。相当の覚悟を決めた出発だったでしょう。 今の世は道路網が整備されていますので、悲壮感はありません 。片麻痺の私でも車一人旅が、出来ます。でも便利さ故、失く..
東北地方は、奥羽(おうう)とも呼ばれ、奥羽山脈を挟んで太平洋側が陸奥(むつ)国、日本海側が出羽(でわ)国です。 今回は太平洋側の陸奥国を北上する予定です。陸奥(むつ)は、すなわち陸(みち)の奥、本州最北端への旅です。具体的には、福島県、宮城県、岩手県、青森県(南部側)を北上します。 私は、新潟県の長岡から会津若松へ、そこから白河の関に行き福島県から北上します。 戊辰戦争(ぼしんせんそう)に敗れ青森県八戸市の西側(三戸郡)及び下北半島に移封さられた会津藩(斗南藩)の跡も追ってみたい。 またこの東北地方は黄金の地でもあります。 このような様々な興味をかきたてられます。 【追記】 悪夢の様な..
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生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
ポータブル電源の残量が無くなったため、 仕方なく食パンをそのまま、ゆっくり嚙んでいると 塩味が効いていて、何ともウマイ 食パンってこんなに美味しくなっているのか! 毎朝トーストされたものを、十数年年食っていたが、初めて気付いた。 こんな発見あるから旅はいい それじゃ~また 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
▼以前「突然やってきて玄関でハンコだけもらってはいさよなら」のケアマネージャーの話をしました。 彼女との関係は本当に変わりました。彼女は1週間前には必ずメールで予定を聞いて互いのスケジュールを合わせ訪問してくれる様になりました。もちろん必ず私の部屋にまで入ってきて、顔を合わせ、15分程度は話をする様にもなりました。 ▼話してみれば、彼女は大変熱心な人で、勉強家でもあります。また彼女の故郷、坂だらけ、ネコだらけの町である広島の尾道の話題から、坂の歩行方法や、ネコ、映画などの話題で盛り上がるようにもなってきました。 それだけではありません。私がロボットリハビリで入院していた時には、リハビリを見学したいと言うことで、ロボットの横で1時間ずーと私のリハビリを見学していました。 さらに私を担当してくれていた理学療法士とも、熱心に..
知らなかった。 三沢には、寺山修司記念館があるのだ。 斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。 若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。 映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない 記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。 車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。 そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。 今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。 ..
▼今回のテーマは「障害受容」です。 私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。 1.障害受容に至る過程 通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。 「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きまし..
久々の「お気をつけあそばせ」シリーズの記事です 亭主を、都合よくコントロールしようとする妻 ▼私の母がそんな女だった。夫婦で 鉄骨建築の会社を起業したが、 母が実質的に社長、 父は 現場監督だった。お金のことは全て母親がやっていた こういう人は 、頭も良く愛情深そうに思えるが、 そうでない。 自分が思うままにコントロールできる人間が好きなだけだ。 ▼母の晩年は父に内緒で、それまでの苦労に復讐するように 贅沢品にお金を使い続け、一方で自分の気に入った親族を偏重し援助を続けた。 父は終始、理性的でなく感情的人間で、死ぬ間際まで酒を飲み続けた。当然会社は、大きな成長の機会を逃し、実質的には個人企業の域を出なかった。 ▼お金(蓄財)に関して、次の様に私は考える 。 蓄財には、四つのステージ(段..
▼女性看護師さんによって気が合いそうなタイプ、どちらとも言えないタイプ、どうも苦手と感じるタイプがあります。 ▼わたしは、柔らかくおもしろいタイプは気が合いますが、勝ち気なタイプはどうも苦手です。 ▼勝ち気、強気なタイプには闘争心さえ感じるのです。接しているとどうしても態度や言葉に”ぞんざいさ”を感じるのです。私の経験ではわりと美人が多く上から目線で人を見る。負けず嫌いな私は、ムラムラ反発心がわいてくるのです。 ある意味自分と似た面も無くはない人なのですが・・・。とにかく私の場合「ムラムラ反発心」が問題なのです。これをコントロールする必要があるのです。 ▼世の中自分の気の合う人とだけ付き合って楽しくやっておれれば、それは幸せなのですが、これから先に病院や施設等で暮らす可能性は誰しもありますので、..
片手でくぎを打たなければならないこと、時々あります。 そこで、考えたのがこちらの方法です。 (1)家電部品や菓子などについてくる発泡スチロール(あるいは硬いスポンジ)を用意します。 (2)それにまず、くぎを立てます(ねじくぎは回しながら立てます)。端の方がいいです。 (3)くぎを打つべき場所に立ててくぎを打ちます。 (4)くぎが固定されたらスポンジを引き抜く。スポンジは破けます。ですから、最初に端の方に刺しておく方が良いのです。 それじゃ~また。 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
旅ブログを書くことは楽しい。 第一に、旅を再体験できる。ある旅の一瞬を切り取って、じっくりと味わい直すこともできる。 二番目は、書いたものを読んでくれる人がいることである。少人数でも読者のいることは大いなる喜びであり励みになる。たまにコメントなどいただくと、更に嬉しい。 三番目は読み返す楽しみである。自分の体験したことが写真だけでなく文書で残っていることは、そのときの心情がよみがえってくる。 ブログをお書きなったことのある方はお気づきだと思うが、自分の書いたものは面白いのである。 興味も考え方も同じで、すぐ理解や共感できるから当然と言えば当然であるが、つい熱中して時間を忘れる。 四番目は、いつでも何回も気楽に読み返せる楽しみが残っていく。例え、身体が弱って書けなくても読み返す、あるいは読み上げで聞く楽しみは残る..
四国への5日間の旅、走行距離は1350㎞だった。のんびりと余裕のある行程だった。 そのうち4割弱が高速道だったろうか。 地方の比較的空いている高速道では、N-VANのクルーズ・コントロール機能が本当に役に立った。 最高速度を設定しておけば、前の車に合せてくれる。例えば最高速度を90キロに設定しておく。前の車が80 km で走っていればこちらも80 km に自動調整してくれる。前に車がいなくなれば最高速度の90キロまでスピードが上がる。 アクセルペダルを細かく操作しなくてもいいから、大変楽なのだ。 足を床にぺったと置いておけるから疲れない。 私は片麻痺となって、以前に比べ集中力、瞬時に様々な事を考え操作するという点では、少し劣るように思う。同乗者と会話は苦手だ。 だからアクセルに気を遣わなくていいぶん、非常に運転が楽..
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん..
東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。 小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。 障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い それにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。 ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。 とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。 105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。 新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子..
私が山形県で楽しみにしていたのは酒田市の「土門拳記念館」を訪れることだった。 原発投下後の悲惨な人々の写真、九州の炭鉱の子供たちの写真、仏像の写真など、私は土門拳の写真のファンなのである。 ところが、著名な建築家が設計したと言うこの記念館、身体障害者には非常に厳しかった。 障害者用の駐車場があるのだが、これが遠い。一般の駐車場の方が入り口に近いのだ。 それから私は歩行器を押して入り口に向かったが、これが大きな鉄の扉で、片手の力ではどうにも開かない。 幸い、外を掃除をされていた職員の方がおられ、入り口を開けくださった。 帰りもこの扉を開けようと、苦戦していると、見かねた受付の職員の方が、わざわざ出てきてくれて開けてくれた。身体障害者だけでなく高齢者や女性も開けるのは厳しいと思う。 館内の売店にも階段を使わない..
下北半島の元会津藩士の過酷な暮らしを救ったのは意外にも明治政府による「廃藩置県」であった。 これにより藩はなくなり移動も自由になった。ある者は会津に戻り、またある者は東京に出た。 しかし引き続き下北に残り、ここで暮らしを立て直すべく奮闘した人々もいた。代表は、元会津藩士・旧斗南藩少参事であった広沢安任である。 広沢は、当地が古くから南部藩最大の馬の放牧場であったことに目をつけ、貧困に苦しんでいた旧会津藩士のため政府に上申し、土地を無償で借り受け近代的な牧場を開いた。 地域の特性を生かして暮らす、そんな基本を怠って硬直した江戸幕府の政策失敗のツケは結局、弱い庶民に回ってくる。 全国一律に稲作に固守しなければ、地方の特徴を生かし多様な道が開けるのだ。 しかし元会津藩士たちの聡明さが、ついに再起に繋げたのだ。 どんな..
会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。 こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。 ..
奥羽(東北地方の太平洋側)の北部(岩手、青森)の農民は、日本の歴史上、本当に凄惨な暮らしを強いられた。 本来は、縄文時代の古墳が発見されるなど、漁業を中心に畑作、山の幸を加えれば、豊かな土地であったにもかかわらずだ。 全ての不幸の始まりは、武士による年貢取り立て。その土地に不向きな米作を強要されたことだ。 ここは太平洋側からの冷たい風である山背(やませ)が吹いて、南国産の米作など元来不向きな土地なのだ。 山背、冷害、凶作のパターンで農民は飢餓にあえいだ。 最近、Yu-Tuber歴史家が「農民は飢餓の年は、藩により備蓄米の放出があり幸せだった」と物知り顔で、平然と言うのを聞いてぶったまげた。 歴史上、そんなレベルでは全くないのだ。数年に一度は、ここそこで、餓死が当り前の様に起こるのだ。 それでも盛岡藩は年貢を強制..
▼「空木」は、枝の中が空洞であることから「空(うつ)ろな木=空木」と名付けられたと言われています。 ▼作家の「宮部みゆき」さんと「杉本章子」さんが対談し、 山本周五郎作「なんの花か薫る」に関して次のように発言されています。 (杉本)人が、人でなしの顔をして出てくるのはよくあるけれど、人でなしが無垢な善人として出てくる。 (杉本)無意識の悪意。本当に天真爛漫な「人でなし」のぬけぬけとした残酷ぶりをじっくり心に刻んでほしいと思います。 (杉本)本当に誠実で心の中にあることをそのまま言っているんだろうと思うんですね。だけど結果的にはすごいぬけぬけとした残忍な性格だなと思わせるわけですよ (宮部)悪いことをしていると思っていないんですよね。ふっと邪悪が臭う 。 (杉本)山本周五郎の作品というのは人間の残酷さとか邪悪さと..
高校を卒業した頃、「漫画には小説や詩と同じように大人が読むものもある」ということを教えてくれたのが、漫画雑誌「ガロ」でした。 つげ義春さんの「紅い花」,永島慎二さんの「フーテン」夢中になって読みました。 編集長であった長井勝一さんの「まんが美術館」が塩釜にあると知って訪ねました 入場者は私一人で、普段見ることのない漫画の生原稿をじっくりと味わうことができた。やはりみんな恐ろしくうまい! ガロは紙質が悪いこともあり、なんだか下手に見えた作品も、生原稿を見るとやはりスゴイ!プロもどきは生き残っていけない厳しい世界だと、実感させられた。 作家の息遣いを感じる生原稿はやはりいい。 ★仙台の先にある塩釜という街、初めて訪れた者には何とも走りにくい街でした。交差点..
越前加賀は、日本の歴史上、類まれな地域である。それは庶民による自治共和国が100年も続いた歴史を持つからである。 この旅で、白山市鳥越の一向一揆歴史館を訪れることを楽しみにしていた。 この地は「百姓の持ちたる自治共和国」が大抵抗の末に、最後に滅んだ所である(1582年) 滅ぼしたのは織田信長である。 信長との戦いは、石山本願寺(後に大阪城)、金沢御堂(後の金沢城)と二つの大拠点が陥落し、大勢は決していたが、鳥越は、なお最後まで徹底抗戦した地である。陥落後は、周辺の集落に人が全くいなくなるほど残虐な殺戮(さつりく)を受けた。浄土宗門徒は武士の世を揺るがす危険集団とみなされたのだ。 その100年前、本願寺門徒による一向一揆で守護大名を打ち破って百姓の持ちたる国が誕生した。百姓による自治共和国である。 百姓とは、中心となった..
私が小学生の頃、テレビが爆発的に普及しました。東京オリンピックが開かれるからです。 期待に胸膨らませた東京オリンピック陸上競技では、惨敗つづきでシュンとなりました。 ただ一人、最終種目のマラソンで、円谷選手がメダルを取ったのです。歓喜しました。 円谷選手は首を傾け本当に苦しそうに走るのです。アベベに次いで、競技場に戻ってきた円谷選手は、そこで一人の白人選手に抜かれましたが、何とか銅メダルを獲得しました。 私もこれに大いに刺激を受けて、「円谷選手のようにオリンピックに出る」と人生初の目標を立て、毎朝走るようになりました。円谷選手は私のヒーローでした。 何年か後、あの円谷選手が自殺したという衝撃のニュースが飛び込んできました。 「なぜ?」という疑問は脹らみましたが、それでも毎朝一人で走ることは止めませんでした。 家..
【神戸新聞2023年4月13日】 こういったサービス、提供者側からの話はよく耳にします。 問題は得てして「お金がある」高齢者、障害者向けであることです。こんなかゆい所に手が届くサービス提供するのだからと、コストアップ式に料金がどんどん高くなっていく。 市町村による障害者移動支援サービスはあります。私も2年程プールでのリハビリに利用していたことがあります。 しかし提供者都合で日程など決められますし、何より「してやってる感」が強く出て、多少圧力を感じました。 ですから、相手は時間を守らない。対等の関係ではないのです。 今回の取り組みも、多くの身障者が気楽に利用できる料金、提供者のサービス・マインドの向上にも目を向けてほしいと希望します。 それじゃ~また ..
【神戸新聞2023年4月9日】 ◇画像をクリックすると拡大されます。 私は、左片麻痺ですが、麻痺側に膝が上手く曲がらない。 頑張って歩行リハビリすればするほど膝が突っ張っていく。 ですからこんな器具あればいいなあ~と常日頃感じていた。下半身まひとあるが、片足だけの装着も片足だけでも使えそうに思う。 問題は一台数百万という値段と、訓練できる施設が限定されること。はやくこの問題が解決されること切に望みます。 それじゃ~また
次男の婚約、両家の顔合わせ などで 、なかなか旅立つことができなかったのですが、 ようやく 今年初めての車一人旅に出ます。 Twitter やブログで紹介されていて、いいなぁ~と感じた場所にも行ってみるつもりです 。ご紹介いただいた方々、ありがとうございます。 歩行などの調子はそんなに良くはないのですが、怖がって縮こまるのは嫌いです。その分、細心の注意を払いながら行動したいと思います。それが小さな自信につながります。 それじゃ~また
◆「薬のやめどき」医師長尾和宏著 先生の主張は「薬は幸せな人生にどこまで役に立つのか。 そのためには やめどきを間違えないことだ」ということだ。 薬のやめどき 作者: 長尾 和宏 出版社/メーカー: ブックマン社 発売日: 2016/12/22 メディア: 単行本(ソフトカバー) ◆どうして多剤投与が起きるのか 臓器別 医療による細分化 、患者の高齢化 、さらに薬好きの国民性が重なり 、多剤投与による無駄な費用が増大し 、誰も止められなくなってきているだけだ 。だから自然増 と言うべきだ 。本当はもっと減らせる 医療費の中で一番 減らせる部分はまず 薬剤費なのだ。 ◆医療のやめどきを知らない医師 「やめ..
【神戸新聞2023年3月22日】 いかにもお役人が考えそうな机上の政策である。 まあ、これはこれでいいだが、役所は長年法定雇用率をごまかしてきた。メガネを掛けただけの人間を障害者にカウントするなどひどいものだった。そしてその責任を取ってはいない。 少なくとも長年のズルの埋め合わせとして民間企業の法定雇用率の倍を基準に設定すべきだと思う。 そうやって実際に障害者を雇い入れ、苦労して手に入れたノウハウを民間企業に提供してほしい。 <吠え!吠え!> 自分たちは大して苦労せず、民間企業ばかりに苦労を押し付け、達成できなければ罰金を徴収する。 ええ加減にせんかい!! それじゃ~また 役人
◆妻への詫び状(1) 結婚して数年たったころ、今も一緒に暮らしていると古い友人に言うと、驚かれた。 今にして思えば、確かにコミュ力もなく性格も悪かった。 ◆妻への詫び状(2) 妻にどうしても聞けないことがある。 「俺と結婚して良かった?」 答えと確率予想(日頃の言動から) 浮気や賭け事しない。暴力も一切なし、ただ人生がギャンブル 1 失敗60% 2 経済面は、ギリギリ良かった30% 3 良かった10% 死ぬ前には、一度聞くつもり。 ◆妻への詫び状(3) 「今が一番いい」と言う妻。 脳卒中で仕事を失くし、要介護2の俺が、ほぼ家にいる暮らし。 それでも、これまでよりは、ましだと・・・? ほんま救われた。 ..
◆2024年から新NISAが始まる 国のメッセージを読み解けば、 「もう公的年金だけで老後の生活は到底支えられません 不足分は投資により自己責任で作ってください。 国も年金積立金は投資で運用します。 どうか新NISA制度を利用して自己責任(損失補填はしません)で資金運用にチャレンジしてください。」ということであろう ◆止まるは地獄,、行くも地獄となるか? 特に、今は世界的に株価は低迷している。 それでも私は行くつもりです。長期スパンで見れば、平均年5%の収益は信じています。 それじゃ~また meganesaru707新NISA成長枠、公募投資信託の3分の2が対象外 金融庁方針 - 日本経済新聞 https://t.co/SiLIv..
◆長く生きていると誰でも一つや二つ本当に苦しい目に会う時がある。別離、災害、裏切り、病気などである。 なぜ自分がこんな目に会わなければならないのだ⁈その理不尽さに打ちひしがれる。 今、幸福そうに見える人でも、過去には消してしまいたいような出来事もあるものだ。 ◆時が解決する面もあるとはいえ、いつまでも生々しく蘇る記憶もある。 半世紀近く前の事で、うなされることががあり、目覚めて我ながら驚く。 深い悲しみは止まらないのだ。 それが、生きて行くことなら受け入れるしかない。死の間際まで続くのだろう。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年3月19日】 ◆このようなバリアフリーマップへの取り組みがあることは、これまでもちょこちょこ聞いていたのですが、姫路でもNPOにより取り組まれているということです。 観光振興のため、この様な地図が、多くの街で作成されることを切に願います。トイレの場所等、車椅子の方だけでなく高齢者の方にも喜ばれると思います。 ◆内閣府 まち(都道府県・指定都市バリアフリーマップ等ホームページ一覧)
木下晋さんの作品「祈心」です。 鉛筆で描かれています。 10年近く前、元大工の義父が脳梗塞で不自由になった手で近所のお地蔵さんに屋根付けました。 そこに近所の人がお供えしています。 皆さん手を合わせ何を祈ったのか やはり 庶民の暮らしには「祈り」があります。それは世界に共通するように思います。 邪悪な人には欲望はあっても、暮らしに「祈り」はない。 それじゃ~また
【工事後/引き戸】 【工事前/開き戸】 ◆洗面場兼風呂の脱衣所となる部屋の扉を、開き戸から 引き戸に変えた。 開き戸の場合、後ろにステップしながらドアを開けなければならない。 普段、室外では、装具と杖を使って、室内では壁に手をついて歩行している身にとっては、この動作は非常に難しかった。 また車椅子になった時を考えると、自走でも押してもらうにしても、どうしょうもなく不便だ。 それで前々から引戸に変更することを考えていた。 ◆今回は吊り下げ式の扉である。 これによって床にレールをつけなくても済む。段差ゼロだ。開け閉めが若干重いのかなと思って、取っ手だけは大きめの物にした。 結果、スムーズに開け閉めできる。もちろん車イスでの出入りもOK..
小さな庭にも様々な恵みがあります。母が植えたものが多いですが、みょうがの様に自然と生えてきた物もあります。 庭のミカンです。 下、段々色濃くなってきた状態です。 (写真上) ミョウガの茎です (写真下)庭の手入れしていた我が女房 「まだ、こんな立派なミョウガあった!」 と大興奮。 庭のイチジクです。下が実りの時です。 庭に自生しているシソを、プランターに植え替えてみたら、ぐんぐん大きくなりました。夏の麵友(めんとも)です。 左がみかんの木、右がイチジクの木です。 杜仲茶の収穫が済みました。1年分のお茶..
台所から見た桜並木です。植樹した頃、地域住民の名札が下がっており、みんなせっせと世話しました。 父の名札もありました。鉄骨建築屋でしたので、立派過ぎる害鳥除けがしてありました。 ツツジの咲くころ、田植えの終わった田に山が映り込んでいます。
meganesaru707https://t.co/BKF4gc6ltK03/26 00:27 【神戸新聞 2023年2月】 ◆夢のような話です。 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードですから処方された薬を飲み続けています。 ◆二度ほど見直しを、お願いしましたが、結局変わらずでした。 それが、こんな主張をされる医者がおられる。 薬には副作用は付き物なのは誰もが知ることです。私も思い当たりますが、心臓や血流の疾患ですので、一生飲み続ける他ないと諦めていました。 ◆しかし、長尾先生の言われる様に、減薬できれば、副作用はなくなり経済的負担は軽減され、薬不足を心配することもない。 本当に出来るのでしょうか・・・? その見極めの為には、その..
【神戸新聞 2023年3月3日】 大賛成です。 できれば小学や中学の義務教育で、そうでなければ高校では、ぜひ体験して頂きたいと思います。 百聞は一見にしかずです。車椅子を乗ったり、車椅子を押してもらったりすれば街の段差等の道路等のインフラ。車イスに乗る気持ちは分かってくると思います。 車椅子でエレベーターになかなか乗れなかったり、乗り合わせた人に狭いなどと言われたりすることが起きています。そんなことが起きないように。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年2月16日】 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖値、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードです。 今の所、薬の入手に不便はありませんが、筋肉弛緩剤などネットで調べると生産が逼迫しているなどと載っており不安に感じることはあります。 皆さんは問題なく手に入っていますか? 問題はジェネリック薬なのでしょう。海外の安い原材料に頼る構造と企業の姿勢は知っておいた方がよさそうです。 薬は欠かせないものにかかわらず、ジェネリック薬は何とも危うい生産構造に感じられます。 それじゃ~また
いよいよ待ちに待った春だ!旅心も高揚します。 2023年春の旅は、紀伊半島から吉野~伊賀~甲賀~近江を巡る旅を予定しています。 関西は地元ですので、観光で一度は行った町も多いですが、今回は、ゆっくりと巡回してみようと思います。 まず温かい紀伊半島から、吉野へ、忍者の町の伊賀と甲賀、近江商人の町である東近江を巡りたいと思っています。 ただ例によって気まま旅。行先は途中で変わるかもしれません。 それじゃ~また
梅の花が好きです。 さくらは、散っても美しい。水面(みなも)に浮かぶ花びらはことさら美しい。 梅は咲いている時が全て。だからいとおしい。 じっと寒さに耐える。梅のつぼみ 開花まで、もう一息。 早く咲け咲け梅の花。 庭に ようやく一輪 遅梅かな。 早く咲く梅もあります。ですが、遅れて咲いた梅には愛おしさを感じます。 梅も人も同じです。 ようやく満開となりました。
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん..
【神戸新聞2023年2月22日】 歴史を考えてみても世の中から差別的なことはなくならないと思います。ただ人にああ言われたこう言われた、ということより具体的な行為や就職などの改善を何より望みたいと感じます。 皆さんのご意見はいかがでしょうか、私は今仕事をしていないので直接的な差別行為というのには日常はあまり受けません。 お仕事されている方々等で、差別的な扱いを受けたなど、具体例をコメントで教えていただければ幸いです 。 それじゃ~また 障害者に関する世論調査(内閣府)