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2016/11/13

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  • 「土に書いた言葉」百姓バッパ作家 吉野せい

    百姓バッパ吉野せいは、夫の死後その友人に小説を書くことを勧められ、鍬(クワ)に親しんだ手にペンを持った。70才になっていた。 勧めたのは近郷の詩人、草野心平である。その心平をして、「これは単なる農民小説でも記録でもない。恐ろしい文学である」と言わしめた。 せいは夫で詩人である吉野義也(三野混沌)とともに、阿武隈山脈の南はしの藪野を開拓して50年作物を作り続けてきた。   「土に書いた言葉」と表現した人がいたが言いえて妙である。 今回の東北旅で、その菊竹山の開墾地をどうしても見ておきたかった。 しかし唖然とした。 そこはもう住宅が立ち並び、狭い畑が僅かに存在しているだけの場所である。 吉野せいが開拓し奮闘した跡地は見られない。道路の端にわずかに竹やぶの跡が残っていた。 落胆し..

  • 不治の障害ゆえ恋人と別離

      大石邦子歌集「冬の虹」   大石さんは、20代の一番きれいだった頃、通勤バスの事故により、半身麻痺の身となり不治の宣告を受けた。 これにより、結婚したいと思っていた恋人との別れが訪れる。   私も、トラウマとなった辛い別れを経験していますが、大石さん程の深い悲しみ無念は知りません。 それでも、名を伏せ祝電を打つ。   この大石さんの強さに、私は救われる思いがしています。   冬の虹―大石邦子歌集 (国民文学叢書 第 215篇) 作者: 大石 邦子 出版社/メーカー: 歴史春秋社 メディア: 単行本 大石さんは、会津の人です。私は、戊辰戦争に敗れ新政府に苛酷な仕打ちを受けた会津藩の人々に、興味をかきたてられます。 今回の旅も会..

  • 豊かな会津盆地から下北半島へ

    会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。   こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。     ..

  • 亡き友と同行二人旅

    【北三陸リアス式海岸】 岩手県田野畑村の北山崎付近です。友が好きだったJAZZのCDに写真を入れました。 meganesaru707同行二人先月亡くなった友を、道連れに今週、旅に出ます。皆さま良い一日を https://t.co/NbbWefXXiZ10/01 14:00 meganesaru707友の葬儀は、家族葬でしたので、弔電打ちました。Amazonから自由な文面で打つことが出来ました。突然の訃報で悲しみにくれています。18歳で京都で出会ってからの楽しい思い出が次々とよみがえります。これまで本当にありがとう。安ら… https://t.co/G5yrlXgVNA09/22 02:30 ◆亡き友へ いい学校、いい企業 18歳でその外に置かれても ひるまない..

  • 大きな傷を与えた側じゃ無くて、本当に良かった

      ◆10代の体験ってどうしてこんなに長く尾を引くのだろう。 壮絶な体験と言えば戦争体験であろうが、10代でなら深い傷となって消えることはなく一生尾を引くのだろう。 他にも、親からの虐待、学校でのいじめ、恋人の裏切りといったことは若いだけに防御のすべを知らず、トラウマとなってフラッシュバックする。   ◆私も今も時々うなされることがある。しかし、初老に差し掛かって命の先行きが見え始めて、別の感慨も生まれてきた。 それは、こんな深く、大きな傷を与えた側じゃ無くて本当に良かったということだ。     ◆逆なら、自分の人生は、やはり罪深い。死に近づいても 後悔と懺悔の気持ちから逃れられないだろう。 もちろん、傷つけた側にも、言い分、理由はあるだろう。ただ、ほとんどは引きずることなく忘れ去っているだろう。   だか..

  • 「かしこ阿呆」と「阿呆かしこ」

    私が社会人になって、雇い主である師匠に初めて教えてもらったのはこのことだ。   ◆「かしこ阿呆」は、賢そうに講釈垂れるが、本質は馬鹿な奴。関西の商売人では最も嫌われ、冷笑される。   大阪の「阿保」に対して、東京の「エエカッコしい」のイメージだろうか。   ◆一方「阿呆かしこ」は、普段バカな冗談ばかり言ってるが、本当は非常に賢い人だ。   師匠もそうだった。同じアホでも、こんな人が混じっているから、油断ならない。 ◆「あんたが、民間人(商売人)として生きて行くなら、最初にそのプライドを削らんとあきまへんで」鼻っ柱の強い私に、師匠は鋭い目つきで言った。 ◆あれから40年、この言葉は本当に役に立った。「かしこ阿呆」が多かったのは公務員、教師、国に守られている一流企業のサラリーマン、芸術家(きどり)、政党ヒモ付き市民運動家等..

  • 障害は自己責任か⁈(その6)補足しますと

    「障害は自己責任か⁈」を5回にわたって書いてきましたが、知人たちに感想を聞いてみた所、ちょっと誤解があるように感じました。そこで少し補足します。     ◆「過失がゼロだから自己責任を問うな」   と私は言っている訳ではありません。 ◆自己責任(自己過失)が100%と言えない状況   で、自己責任のみを問われるのは、納得できないと言っているのです。 義父は脳梗塞を発病しましたが、酒は飲まず、煙草も発病の数年前にはぴったりと止めていました。楽しみはコーヒーだけという暮らしで、血圧も血糖値も問題ありませんでした。 一方私の母は、高血圧、糖尿病でした。しかし94歳で大往生するまで脳卒中とは、無縁でした。 義理の父に大きな過失があったとは思えないのです。一方、母には過失はあったと思いま..

  • 2022年秋 東北の旅 行程

    東北地方6泊7日の旅を終えて自宅に戻ってきました。 主な立ち寄り地は次の所です。 1.新潟県 長岡市 良寛の里 2.福島県 会津若松市 3.福島県 猪苗代湖 4.福島県 白河の関 5.福島県 須賀川市 円谷幸吉記念館 6.福島県 いわき市 百姓ばっば「吉野せい(作家)」開墾の地 7.福島県 いわき市 草野心平記念館 8.宮城県 塩釜市 長井勝一漫画美術館(ガロ編集長)   9.宮城県 南三陸町 JR志津川駅 10.岩手県 田野畑村 民俗資料館 北三陸リアス式海岸 北山崎 11.青森県 八戸市 12.青森県 三沢市 斗南藩記念観光村 13.青森県 十和田湖 14.秋田県 男鹿半島大潟 15.山形県 酒田市 土門拳記念館 16.新潟県 胎内市 最後の..

  • 現代人が失った旅心

    現代は、鉄道網も道路網も発達し、地方の飛行場も整備され、気楽に国内旅行出来る。国内であれば、一週間もあれば、ゆったり旅ができる。 歩き旅の昔はそれなりの覚悟を決めて旅をした。行き倒れということがあったからだ。四国巡礼は死に装束をまとっての旅だ。 1000年以上前の西行も、500年前の芭蕉も旅に非常に強い思いを持っていた。歌を詠む人には、歌枕(歌に詠まれた場所)を訪れたいという共通の思いがあり、先人の歌を思い、旅先へ思いを馳せていたのである。 今は便利に行けるぶんだけ、旅への思いは強くない様に思う。簡単に観光地にアクセスし写真を撮り、素敵な宿に泊って、温泉と美味しい料理を食べる。それが主で、旅情はあまり感じない。 古人に比べ、旅への思い(旅心)は明らかに軽い様に思う。  もちろん、現在でも歩き旅、自転車やバイク旅の人はいる。あ..

  • 津軽へのあこがれ

    【竜飛岬】 二十歳前からなんとなく津軽への憧れがある。 自分でも何故かよくわからない。何かの拍子に太宰治の紀行エッセイ「津軽」を読んだからじゃないかと思う。もう詳しいことは覚えてないが太宰が乳母に会いに行った下りをかすかに覚えている 。人を斜めに見ているような太宰が、素直に甘えの感情を出してるのが印象的だった。 何年かして石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌が出た時、津軽への憧れを持っていることがはっきりした。 しかしこの曲が大ヒットしたことを思うと、これは日本人には共通した心情なのかもしれない。日本人の地下水脈を流れる抒情なのかもしれない。 後年、津軽地方が古代史上大変な地域であることが分かってきた。オホーツク人が大陸と津軽を行き来した跡がある事。縄文時代の大集落であった三内丸山遺跡が発掘された等である。 ..

  • 障害は自己責任か⁈(その5)障害者自己責任論に抗う

        ◆障害者に対する偏見や差別は、これまで悲惨だった。 障害のある人間は前世の報いだの、障害のある子を生んだのは母親に原因があるなどという自己責任論がまかり通っていたのだ。   その上、これを利用し食いものにする新教宗教も多い。   ◆差別に対し義務教育というものが有効に働いているかといえば、経験上全くそうは思わない。   友人は中学校で、障害者学級の受け持ちを長く勤めてきたが、彼が言うにはやはり教師は差別意識が強いとのことだ。 実際私の中学時代も差別的な言動をする教師は何人もいた。 彼らは差別が生み出された歴史を知らないし、職業上、表面的に人権意識をつくろっているに過ぎない。関西は、差別が顕著に現れる社会だから化けの皮がすぐ剝がれるのだ。 差別に関しては、人権教育のみならず、歴史教育が必須だと思う。東アジアでは、釈迦が..

  • 脳卒中は自己責任か (その4)自己責任論の先に何があるのか

    自己責任論の先にはなにがあるのか。 これまでの3回の話とは視点を変え、社会における障害者の位置付けについて考えてみたい。   ◆古代から征服した側は、   自分たちを貴い人(貴人)、征服された側を劣った人とし、身分(差別)制度をつくり、歴史を書き換え洗脳し国を治めてきた。 西欧のアーリア人がインドを征服したことによりカースト制が始まり、それは統治法として中国、朝鮮を経て日本に入ってきた。 ところが階層を作るに際し、見た目が変わらない場合も当然多い。そこで、一見でわかる肌の色の違う人や、障害者を真っ先に劣っているグループとした。 ◆日本では、貴族を頂点に、   実質支配者の武士、年貢を治め富をもたらす農民を良民とし、それ以外は劣った身分にされた。農民には高税率の年貢から逃げ出せば身分を落とされる恐怖が..

  • 東北への旅 白河の関

    老いゆく門出に 北へ向かう秋旅がプレゼントされた 亡き友と道連れ 白河の関跡 関東から陸奥(むつ=道の奥)国に向かう最初の関所が「白河の関」です。 西行も松尾芭蕉(奥の細道)も、福島県の白河の関から陸奥の旅が始まりました。吉田松陰はここから日本海側の出羽を北上し津軽へ行っています。 西行は「白河の 関路の櫻 さきにけり あづまより 来る人のまれなる」と詠み。 芭蕉は、「心許なき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と記しましたました。 寂しい本州の奥への旅の始まりです。相当の覚悟を決めた出発だったでしょう。   今の世は道路網が整備されていますので、悲壮感はありません 。片麻痺の私でも車一人旅が、出来ます。でも便利さ故、失く..

  • 2022年秋の旅は東北地方を巡ります

    東北地方は、奥羽(おうう)とも呼ばれ、奥羽山脈を挟んで太平洋側が陸奥(むつ)国、日本海側が出羽(でわ)国です。   今回は太平洋側の陸奥国を北上する予定です。陸奥(むつ)は、すなわち陸(みち)の奥、本州最北端への旅です。具体的には、福島県、宮城県、岩手県、青森県(南部側)を北上します。       私は、新潟県の長岡から会津若松へ、そこから白河の関に行き福島県から北上します。   戊辰戦争(ぼしんせんそう)に敗れ青森県八戸市の西側(三戸郡)及び下北半島に移封さられた会津藩(斗南藩)の跡も追ってみたい。   またこの東北地方は黄金の地でもあります。   このような様々な興味をかきたてられます。     【追記】     悪夢の様な..

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