気づけば6月も後半戦。 7月になったら成績関係の仕事で追われるし、授業数も言うほど多くない。 学期末の保護者面談に向けて少しずつ準備をしていかなければ。 6月に入ってだいぶ色々な入試資料も揃ってきているので、整理をしつつ何をご家庭に示していくのかを考えなければなあ…と思っているところ。
国語科教員のブログ。国語についてやりたいがアクティブ・ラーニングとICTで一杯に…。
国語科教育についてきちんとまとまって書いていこうと思いますが、どうしてもアクティブラーニングについての議論をしなければいけない状況にあります。色々な文献をちゃんと引いて説明していこうと思います。
五月になるとなんとなく気持ちが浮つくのは自分だけだろうか。気候もドンドンよくなってくるので、過ごしやすいなぁと思うのです。 しかし、五月の始まりはどうも天気が悪そうで、残念です。 五月晴れという言葉があるように、清々しく晴れてくれた方がよいのです。 たぶん、五月にテンションが高めになるのはこの曲のせい。 youtu.be こんな調子で浮つくのが五月です。
気付けばあっという間に連休の前半戦が終了です。 どうも仕事に振り回されている気がして、進捗が何も得られていないという実感が気持ち悪く候…。
昨日からGWに入っているのだけど、今年は特段に予定がない。そして、結構、疲れが出てきているせいか、自分で主体的に何かを決めるだけの気力が無い。 油断しているとこの後の予定がグダグダになるので、ちゃんと仕事も進めないといけないのだけど、とにかくやる気が無い。やんうるかな! そこで、ふと思いついたのだけど、こういう時にこそ生成AIにアドバイスをもらえばいいじゃないか。
教育新聞のこんな記事を見た。 www.kyobun.co.jp 基本的に「評価」がしっかりとしていかなければ、授業が効果的に行われることも難しいし、授業を改善していくことも難しい。 その意味では授業と評価は切っても切り離せないし、少なくとも考査の点数だけで生徒を値踏みするような評価の付け方では不十分なのである。 とはいっても、今の観点別評価の運用は、本文にもあるように特に「主体的に学習に取り組む態度」の内容がやはり苦戦の原因のような印象はある。 そして、なんでもかんでも振り返りというやり方が、かえって貧困な授業を引き起こしてしまっているような気もする。
今年度になってから仕事においての職責が少し増えた。 そのため、色々なところからの問い合わせなど仕事をしている側から色々なタスクが湧いて出てくる。 そういう仕事の仕方をしていると色々なちょっとしたことに簡単に気が散りがちである。集中して何かをするということが難しい。 とにかく気が散っているので仕事の能率が下がっている。
本日は世界ペンギンデーだそうです。 www.tokyo-np.co.jp いや、だから何だと言われましても、そういうものだそうです。 当ブログにとっても他人事とは思えないので、紹介しました。強い使命感を持って、広報していこうと思いました。 自分は今年初めてそんな記念日があると知りましたが…。
4月も終わりだなぁと思っているところ。 進級した教室になんとなく馴染んでいなかった生徒たちも、少し慣れてきたかなと思う時期である。 生徒の様子が少しずつ、去年とは全然違う雰囲気になってきたなと感じるようになってきた。 やっぱり学年が一つずつあがると、その分、大人になったように見えるのである。 何がきっかけで人の気持ちが変化するかは分からないものです。 だんだん、手がかからなくなる子どもたちの様子を見ていると、何となく自分の仕事がなくなるようで淋しい……なんて感性は自分にはなかった。 姿を見せなくても、お互いに嫌なことや控えて欲しいことをコントロールできるようになってきて、やっと集団として育って…
現代文を教えているとかなり価値観についてナイーブなところまで扱う。 今の世の中に対して違和感があるからこそ、言葉にして自分の考えを表明していくのだから、注意深く、色々な価値観を教えていくのである。 現代文を長く教えていると、受け取る側の生徒たちの気質の違いなども何となく感じるのである。
学年をまたいで授業を受け持つことが多い。 そのため、毎年、この時期になると高校の国語とはどういうことなのかという話をしている気がする。 ただ、こうやって毎年、学年の跨いで指導を行っていると、子どもたちの一年の成長というものが自分が思っている以上に非常に大きなものだということに気づけるので面白いと思っている。
休みの日ではあるが、ICTが機能しているので生徒から連絡がちょくちょく。 発熱だとか喉の痛みだとか、少し風邪の症状の生徒が増えている様子。 新年度が始まって、少し疲れてくる時期だからなぁ。自分もしっかりと眠れていない気がしている。どちらかというど疲れをくりこし続けている感じ。 年度末に酷く風邪を引いたので、今回は無事に過ごしたいのだけどなぁ。
新年度の仕事で割とちょくちょく生成AIを使っている。 抜け漏れやタブリのチェックみたいなことやどうでもいいメールへの返信の下書きなどが割と役に立った感じ。 この時期は文書も大量に扱うので、頭がパンクしている時には、生成AIにテンプレートを考えてもらえればいいかなぁという感じ。
4月も怒濤のうちに終わっていく。 そろそろGW明けの授業をどうしたものかということを悩ましく考えているところだ。 中途半端にGW前に授業が余るのも悩みの種である。授業を進めても中途半端になるのが目に見えているので。 うーん…週末に考えてアイデアが出てくるものだろうか。 生徒の様子を見ていて、今、何がささるのだろうかということについては、ちょっとアイデアがなくて苦しいところ。 新年度で生徒がソワソワしているので、ちょっとどこに刺さるポイントがあるかを見通せないでいる。
時間があれば無限に仕事に時間を使ってしまう。この意識を持たないと、いつまで経っても仕事の軽重をつけることができないままになる。 それは働き方として決して持続可能ではないのだ。
仕事が無限に増えていくのが新年度ですね。 だいたい、この時期の仕事は絶対にやらなければいけないマストの仕事と、それに加えて「これはやった方が良いのだけど…」という仕事に責め立てられる感じがします。 冷静に考えなければいけないことは、この時期に抱えている仕事は本当に今やるべきかなのかということです。 やった方が良い仕事は無限に増殖する中で、本当にやっておいた方が良い仕事とはなんだろうか? 自分の取り組みが行方不明になるまえに、自分の優先度をはっきりとつけて仕事をこなさないといけないのである。 全部はやれない。手の届く範囲だけ。 自分の時間を強引に投資することで残業で乗り越えようとするのはダメなん…
※デジタルトランスフォーメーションした学校で絵を描いてもらったのに、生成AIの出してきたものはトラディショナルな学校…。 本日、DXハイスクールの採択校が発表になりましたね。 www.mext.go.jp 個人的な感想としては「1000校もちゃんと集まったのか!!」という驚きの方が大きい。そのくらい高校って腰が重いという現場の実感がある。 内容をよく見ると普通科以外の課程の学校も多く、なるほど、色々な工夫をしようという試みなのだと感じる。普通科の役割とは何か、普通科に何が出来るかということは、かなり問われてくるのだろうと感じる。 果たして、今後、どのような形で成果が広まっていくのか、注目してい…
自分の手元から仕事をだいぶ送り出したのだけど、気付いたら自分の手元に戻ってきている。 仕事ってなかなか自分の思い通りにはならないものである。 相手がいる中での仕事なので……でも、仕事の見通しをはっきりとしてくれないで、都合に合わせてくれと要求されても困るんだよなぁ…。 4月はイレギュラーが多いので、一つ一つの作業を進めていくしかないのですよね、結局。 お互い様な部分も大いにあるので……どうか、やっぱり譲り合う形になってもらいたいのだけど…。
新年度に入って役職が増えたせいで、外部との打ち合わせが増えている。 校内の業務をつつがなく進めるために仕方ない仕事であるけど、打ち合わせ自体は何も授業については生産してくれないので、自分の仕事ばかり雪だるま式に増えていく感じがする。
毎年、この時期になって頭を悩ませるのが授業開きをどうしようかということ。 なにもなくのっぺりと授業に入っていくことに抵抗がある。 だからといって、よいアイデアがある訳ではないので、いつも逡巡しているだけなのだけど…。 教育科学 国語教育 2024年 05月号 (新教材・定番教材の授業がもっとうまくいく!「最強板書」80) 明治図書出版 Amazon そんなときに『国語教育』が板書特集で、「自分はもう板書しないしなぁ…」とやっぱり良いネタが浮かんでこないままにイマココに。
今週は新学期で生徒が登校し始めてきました。授業としてはやく1月ぶりに授業も始まっている。 こうして学校の日常が帰ってくると、なんやかんやと忙しい感じがとてもする。 生徒がいない学校は非常に淋しい。4年前のコロナ休校のころは、この時期はやることもなく、ただ職員室にいるだけというような状況が続いていた。 そのことを考えると忙しいくらいの方がよほど健全なのだよ。 普通に忙しくてどうしようもないという、そういう働き方を捨てられないのは、それを楽しく思っているからかもしれないね。
雨と風ですっかり桜の季節が過ぎていき。 心が落ち着かない時期を乗り換えて、そろそろ自分の授業を始めたい。 誰かの都合ではなくて、自分のやりたいことを今年もやろう。 ちゃんとどうすれば力がつくかを考えて、正々堂々と子どもたちと日々を過ごそう。 やらなくていいことをやらないという覚悟。
ツバメがやってくる時期になりましたね。 新年度が慌ただしく始まりました。気づけば週が半分くらい過ぎていて、気づかないうちに新鮮な気持ちは落ち着いていく。 ハネムーン期間が終わりを迎えて、また淡々とした一年が進む。
せっかく満開になった桜なのに、春の嵐であっという間に散り急いでいる。 そんな日に新年度は慌ただしく進んでいく。 自分も自分の仕事に追われながら、十年以上同じ職場で過ごしているので、周りの助けになるような仕事を中心に取り組んでいます。 自分のことだけを考えて仕事をしているのでは、やっぱり職員室は上手く回らない。だれかの仕事の一歩先を見て、先回りしてその人が転ばないように準備するのが、やはり慣れてきた人の仕事だろうなと思う。 他人に持っているものを提供しないで、マウントを取るようなことをしたらダメです。大人の仕事じゃない。 みんなが楽になれば、底上げされていくのです。そういう仕事をしなければいけな…
いくら繁忙期だからといっても、もう少しちゃんとシステムとして動かせるような状態になっていないのはダメじゃないだろうか。 至る所でヒューマンエラーが出ているから、これじゃあ、まったく話にならない。 もう少し、まともなスタートの仕方はできないものか。 仕事が終わらないでいつまでもやらざるえない人がいる一方で何も考えないで定時で帰って仕事を押し付ける人がいるのはおかしいのだよ。 やってられない。新年早々。
今週のお題「きれいにしたい場所」 はてなブログのお題が「きれいにしたい場所」ということだったので、これは教室のことを書かなければという使命感が!
いよいよ週が明ければ新学期。 実は授業をどうするかのイメージが全然無いままに呆然と毎日過ごしている感じがあるけど……まあ、それはそれとして始業式が来るので生徒を迎える準備をします。
やっと体調不良が回復してきた。 自分の仕事を溜め込んでいたわけだけど、ここでなんとか軌道修正ができた感じがする。 今年の仕事は事務周りをコツコツとやることが増えているのと、分掌の役割としては部下を動かす仕事になっている。割と想定通りに物事が進んでくれているので、ちょっと助かるなぁと思っている。 自分でやった方がいいやという判断をしてしまったら何も進歩しないので、ちゃんと色々と考えながら進めていきたいところだ。任せるべき所を任せて、バックアップに徹することを考えていこう。 学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する 作者:ピーター M センゲ,ネルダ キャンブロン=マッケイブ,…
結局、新年度が始まって不調のママここまで来ている。 困ったなぁ……調子が戻ってくれないと、やっぱり過ごすのが厳しい。 油断しているとあっという間に新年度と授業が始まる。そろそろいかんという気分が凄いするのである。 眠気がせめてなくなる位に体力が復活すれば良いのですがね…
体調は不調のまま。 桜もなんだか気温が上がりきらないせいで全然、咲かない感じである。 体調が悪いときにほどよく分かるのだけど、目的がハッキリとしないダラダラとした仕事ってダメですね。調子が上がらない。
新学期早々に体調がよくならずに仕事が詰んでいます。 せめてもう少し何か調子が良ければ仕事が進むというのに、何も出来ないくらいに調子の悪さが露呈している。 今週が長い一週間で助かった。 まだ、準備は間に合うはずだから、とりあえずギブアップだ。
4月1日は忙しい。朝から辞令交付や会議や職員室移動やら……。 というか、忙しくなることが分かっているのだから、4月1日という日付にこだわらなくても進められる仕事はどんどん進めた方がいいのでは…?と毎年4月1日に悪態を突いている気がするのだ。 今年も今年でやっぱりイライラする確率が高い、わざわざ忙しさを自分から招き入れたような状態になっているので、あぁ……困ったものである。
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気づけば6月も後半戦。 7月になったら成績関係の仕事で追われるし、授業数も言うほど多くない。 学期末の保護者面談に向けて少しずつ準備をしていかなければ。 6月に入ってだいぶ色々な入試資料も揃ってきているので、整理をしつつ何をご家庭に示していくのかを考えなければなあ…と思っているところ。
こんなプレスリリースがあった。 prtimes.jp 内容としては、全国288の教育委員会・学校対象調査では、89.9%が生成AIの教育活用に「関心あり」と回答したものの、導入または導入検討中なのは41.3%にとどまっているという話。 補助金制度への理解不足や手続きの複雑さが利用ハードルにつながっているのかもしれないということも書かれている。 この記事を見ていて個人的に「ん?」と思ったのが、次の部分。 生成AIのガイドラインや活用方法に対する理解度に関しては、50.7%が基本的な理解があると回答しました(「よく理解している」7.3%、「ある程度理解している」43.4% )。調査を実施した時期は…
こんなニュースを見た。 www.kyoiku-press.com 令和8年9月から公立中学校の部活動を地域へ委ねる方針を示している神戸市教委が本年度実施する教員採用試験で、中学校・高校の募集枠の志願者数が昨年度より130人も増えた。 (2025/06/13確認) さもありなん…と現場にいると感じるところだけど、実際はどこまで影響しているかはまだ何も分からない。 自分の好きな部活ならまだしも、現状は「ガチャ」であり、だいたいデメリットと感じるケースの方が多いものなあ…と思わざるを得ない。 自分も公立の教員を避けている一つの理由は部活動であることは間違いない。 とはいえ、教員の働き方の問題は部活動…
こんなイギリスのニュースを見た。 www.fenews.co.uk 教育における生成AIについての問題点について書かれている記事である。 データ保護とGDPRコンプライアンスに関するリスク: AIの利用は、特に学生の個人データ保護に関して、法的な課題とリスク。 教員のAIに関する専門知識とトレーニング不足: 多くの教師がAIの利用に関する正式なトレーニングを受けておらず、AIに関する専門知識や自信が不足していると感じている。 国家ガイドラインと現場での導入のギャップ: 英国教育省(DfE)はAI利用に関するガイドラインを策定しているものの、高等教育(FE)レベルでの具体的な導入と実践には大きな…
いよいよ梅雨入りになり…。 さっそく交通機関が遅延して、一限から授業をやっていると生徒がなかなか揃わないで、うーん…授業が思い通りにならないものである。 生徒が揃ってしまえば、生徒は楽しそうにしているのだけど、時間が足りない。 時間が最も大切な資源なのだから、1分だろうと無駄にはできないなあ…と思うのである。
こんなニュースを見た。 prtimes.jp 地域創生の文脈や学びの多様化の文脈で注目されることが多い「地域みらい留学」の話題がこういう形でプレスリリースされる時代なんだなあと感じます。 どういう形で学ぶのかという学びの個別化の突き詰めた形であると思うし、若い力を必要としている地域の切実な思いも感じるところである。 最近は探究学習で「地域探究」が行われることは増えているけど……本当に地域の課題と向き合うとはどういうことなのだろうと思う。 探究学習が探究公害と非難される時代であるけど、地域と学校は本当はお互いに尊重し合える可能性はあるはずである。中途半端にどちらかから搾取しようという姿勢が見えた…
六月第二週目が始まりましたね。 六月は祝祭日がないので、一週間が淡々と過ぎていく。勤務校では行事もないので、まとめて授業が進んでいく。 こういう時期に調子を崩しがちな生徒が増えるので要注意である。 授業があまり速い速度で進んでいくと、生徒はなかなか困ってしまう。授業が進むだけ、予習復習が増えていく。こういう見えない負担感をちゃんと生徒から聞き取っておかないと、一方的な押し付けになりがちなので、注意しておきたいところだ。
休みだというのに本を読む心の余裕が生まれてこない。体力的にも集中すると眠くなる。 自分が色々なものに振り回されていると実感する。 本を読めない、文字を読むモチベーションが湧かないことは、国語科の授業づくりとしては致命的に追い込まれている訳だけど、あまり焦りも出てこない。 どう文章を読むのかという技を手渡しつつ、どうその場で読むのかを子どもたちと一緒に読んでみるというやり方でもよい気がしてきている。 まあ、扱う本文が定番教材だから内容をある程度把握しているから言い出せることではある。 でも、教室で自分が一番念入りに準備してあるという姿でばかり授業しなくてもよい気分が今はある。 読むという技術や子…
自分の授業や教員としての振るまい方が、年々「まあ、いいかな」と色々なことを思うようになってきている気がしている。 人を変えることは出来ないし、自分を成長させたくないと思っている子どももいない。 だから、何事に対しても「まあ、いいかな」とカッカしないで過ごすことが一番大切になるのではないかと思っている。
天候が安定しない。 生徒の様子も不安定になりやすいという予感がある。先回りで手を出すべきか、ちょっとした転びならば経験してもらうべきか。 気持ちに余裕があれば大抵のトラブルについては飲み込むことはできるのだけど、この時期は気持ちの余裕もなくなってくるのである。 さあ、どっちに手を打った方がよいだろうか。
教員の仕事は多岐にわたる。 そして、その仕事は基本的に我慢の連続なのだ。 授業だけをしていればよいという仕事でもない。授業で勝負できなければ教員としてはあまり望ましくはないが、授業だけで自分の価値が、仕事がすべてに認められると考えるのは傲慢だろう。 また、そもそも学校という場で授業をするということは、日常の学校生活があってこそ、その文脈で授業を考えていくものである。子どもたちの学校生活に興味を持たないで授業することなど、自分が教えたいことを強弁すれば教えたことになると考える思い上がりなのだ。 学校で教えるということを続けようとするならば、教員として丁寧に日々を紡がなければいけない。そのためには…
こんなニュースを見た。 大学入試の学力試験、年内可能に 面接や小論文と組み合わせ条件:朝日新聞 昨年の入試でかなり注目された話である。 受験生を指導していた当事者としては、どうしたものかなぁと悩ましかったものである。 実際問題、需要はあるけど、入試倍率は実施される前からえげつないことになるのは簡単に予想がつくし、それに伴って難易度も厳しいだろうなと。出願指導が難しい。 実際、蓋を開けてみたら、まあ、予想通りだなぁという感じ。 個人的にはこういう穴をつくやり方は好ましくは思わない。結果的に受験生の不安心理を受験に繋げているようなものだもの。 そして、今年から制度のようになっていくのだから、かえっ…
梅雨に入ったという話は聞かないけれど、雨が続いていて色々と生徒にもよくない。 雨が降ると交通機関もままならないことになる。 色々なものがままならない。 ままならないものを、どうにか宥め賺してやっていくことが、担任の仕事なのだろうなあと思うところ。 探究的な学びを支えるのは日常の学びである。日常の学びをどのようにして安定させるかということも考えたいところである。 探究か教科は二項対立ではないのだ。
教育実習の季節が始まったので、学校はまた忙しくなる感じがする。 教育実習は2週間、3週間の限られた期間の実習となるので、どうしたって忙しいのである。授業にしても一つの単元をまるまるやれることもあれば、そうでもない場合もある。 国語科みたいな授業の場合、単元の途中から…というのはかなり難しいので、できるだけまるっと単元ができればよいと思うのだけど、実際は、特に2週間の場合だとかなり苦しいのである。 欲張りすぎてもあまりよいことにはならない……けれど、中途半端も難しい。 週2単位科目だと、下手すると実習期間に2回くらいしか授業が無い可能性だってある。 単元をまるっと体験できないことは、あまりよくな…
いよいよ六月。蒸し暑いような肌寒いような不安定な気候が続きますね。 体調があまり良くならないような日々が続く。 自分もどうも気候にやられたせいで気力が折れている。体の微妙なだるさで頭の動きが悪い。仕方ないと諦めて休むことに集中する。 さて、6月って、学校の空気がちょっと重たくなる時期だと言われることがある。運営的にも学級的にも、いろいろと危機が噴き出すタイミングだと。でも、それって本当なのか? 実際のところ、確かに体調を崩しやすい気候ではある。湿気、気温差、疲れの蓄積。だから何かとトラブルが起きやすいのは間違いない。でも、そのしんどさの原因を「気候」とか「疲れ」にだけ求めるのは、少し違う気がし…
今春の大学入試の結果が明らかになってきている。 色々な予備校からの情報を集めながら、自分の指導が正しかったか…そういう答え合わせをしている。 そういう情報を集めていると今の私立大学の受験状況が大変なことになっているなあ…ということは分かる。 www.newsweekjapan.jp こういう記事も出るくらいですからね…。 色々と思うところがある。
こんなプレスリリースを見た。 子どもの夢はどう変わった? prtimes.jp この調査の結論である「進路について深く考える経験をしている子どもは、学習意欲が高く、自らの興味・関心を広げて積極的に学習している」ということは、現場の教員としては「まあ、そりゃあ、そうだろうな」という感じである。 ただ、「深く考える経験をさせることが難しいのだよ!」と言いたくもなる。 結構、面白い資料なので、時間があるときに隅々まで見ておこう。 2.進路を考えることに影響する要因―学校(教員)と家庭(保護者)が関連 ・学校(教員)要因―「尊敬できる先生がいる」を肯定する子どもや、学校で探究的な学びに取り組んでいる子…
何も大きな変化がなく、淡々と流れていく日こそ、自分の仕事は落ち着いて進む。 イレギュラーがあると、授業も落ち着かないし、生徒も集中できない。 何もない日々を守ることがやっぱり学校としては一番大切なんだろうな…。
日が長くなってくると、つい釣られて仕事が長くなりがちである。 仕事を手放さないと次の仕事が出来ないのである。ダラダラと仕事をしないようにしなければ…と思うところである。 もうすぐ六月だなぁ…。あっという間に一学期が終わるけど、何かまとまった成果を出せただろうかと自問自答が始まる時期である。
国語の授業の中で言葉を探す時間をどれだけ取れるだろうか。 やっぱり自分で考えていかないと、言葉を探す必要性が生まれない。 授業の設計をちゃんと考えないと、思考は動かないのだよなぁ…。考えたくなるような課題って何だろう?
場所から受ける学びへの影響は開始できないよなぁ。 本当にのびのびの学ぶことを期待するならば、余剰に思えるくらいの空間は必要だよなぁ。 いくら道具に投資をしても、身体的に窮屈な場所や空間では何かを創発的に学ぼうということにはつながらないだろうと感じる。 当たり前に机を前に任せて、指示したこと以外はやらせないような空間では、自分で学ぶということをどうやって触発できるというのだろう? 派手なことをやらなくても、大きな余白があるだけでずいぶんと変化していくと思うんだけどなあ。
読書は小学生の頃はたくさんするのに、思春期の年代になるとだんだん離れていく。そして大人になったら読書が大切だと言いながらも読書が出来ないという状況が続く。 なかなか厄介な代物なのだ。 個人的には一人で好きな本を好きなように読めるような習慣を持たせて高校をから送り出せれば、自分の教育はある意味で役に立てたと思うくらいには、ハードルが高い。
ゆる言語学ラジオがポライトネス回だった。 www.youtube.com ポライトネスや語用論について触れて説明をしてくれている。 コミュニケーションにおいては、初対面の相手に対してもただ単に敬語だけで話しているだけではなく、微妙に表現を調整しながら相手との距離の調整を巧みに行っている。 その言語の表現形式の巧みさは非常に興味を惹くものがある。 個人的には語用論、特にポライトネス周りを勉強していたので、こういう話がYouTubeのコンテンツになるのは興味深いなぁと思う。 学校文法のイメージだとこういう語用論のようなことは、文法の埒外としてイメージされてしまって、あまり扱われないからなぁ…。 ち…
本日も復調しない。 ダメだこれは…。
色々とやるべきことがあるのに、非常に調子が悪い…。 これは困ったぞ…。
試しに生成AIに任せてみたら、面白い結果が出てしまった。 こういうことになると、もはや持っていた授業案は破棄して考えざるを得ない。 自分のアイデアが頭固かったなぁと、後から気づくことがたくさんある。こういうテクノロジーの応用の仕方も、自分の「使わせたい」という発想からだけでは上手くいかないのだろう。 やっぱり、アイデアは実践の繰り返しと試行錯誤から生まれる。 なんでも自分の思い通りにコントロールできているなんて思っていたらいけない。
勤務校ではだいぶ色々なツールを使えるように準備している。そのための準備にだいぶ時間を割いてやってきた。 今では当たり前に使われているCanvaやこれから波が来そうなFigmaまで、色々なものを準備している。一つ一つのツールについて、イチイチ説明をしなければいけないというのは非常に手間がかかる作業であったが、使うようになってしまうとそれが当たり前になるものだ。
六月も中旬に入りました。 日々が加速度的に早くなって進んでいく。6月が終わるとあっという間に夏休みになるので、精神的にはあっという間に一年が終わってしまう。 つい、日が暮れるのが遅くなっているのでいつまでも仕事ができてしまう気がするのだけど、時間自体は伸びていないので、単に生産性が下がっているだけである。 だんだん、手が回らないことによって取り返しがつかなくなることが増えてくる。 日々の生活にメリハリがなく進んでしまうと、自分で取り返すことができないものが増えてしまうのだ。 なんだか、落ち着かないままにここまで来てしまった。 資料をかき集める 学期末となると、観点別のとりまとめもある程度しない…
Googleの生成AIがとんでもないものを出してきた。 notebooklm.google 自分でデータをアップロードすれば、あとは理解を確かめるために色々なことが生成AIで出来るというツール。 え、国語の授業に直撃してきませんか?これは?
勢いに任せて働きすぎたせいか、疲れているのに眠れずに疲弊する状態に。 疲れすぎはよくないわ……。 【第3類医薬品】キューピーコーワゴールドαプレミアム 280錠 キューピーコーワ Amazon キューピーコーワが流行りらしいので、試して見ることにしました。 個人的にはアリナミンEXだと結構効果を感じるのだけど、さて、こっちとどちらの方が効果を実感しやすいかなぁ? 【第3類医薬品】アリナミンEXプラス 270錠 アリナミンEXプラス Amazon 目の疲れが出やすいから、アリナミンの方がよかったかな?
「何かあってもオンラインの対応が全然できないのなら、なんで端末持たせているんですか?」 まあ、その通りなんだよなぁ。画質などに拘らないのであれば、カメラを立てておくだけで出来ないことはないのだからね。 何でもかんでもリクエストを聞くべきだとは思わないけど、もっとお互いにラクにやれることはあるはずなのである。
NEW EDUCATION EXPOが本日から開幕している。 edu-expo.org 大きなイベントだけに、参加できたらいいなぁと思っているところ。一応、予約は取っているのだけど、さて、行けるかどうか……。
この手の原則が守られているところを見たことがない。 www.kyobun.co.jp 原則だって言っているのに、原則がまともに運用されていないと感じる場面が学校には多すぎるのである。 そんな原則を守っていたらまともに練習なんてできないと憤る人がいるのだけど、そうだよ、練習すんなっていってんだよって言わないと分からないのかね…。 学校のスポーツ周りが健康的に見えることは個人的にほぼない。色々なものを刹那的に犠牲にして、消化し尽くしてばかりである。 ええ、とても怒っているし、私怨で書いていますよ。
Amazonでとある品物を買ったのだけど……久々にやられた。 サイトの記載内容と、全く異なる品質の商品をつかまされる。ここまで全く違う商品が届くのは珍しい。本当、こういう販売元は痛い目に遭えば良いのに。
自分も職場で愛用しているのがChromebook。 なんやかんや軽作業ならばサクサクとしていて使いやすい。ちょっと重いことをやろうとするともっさりするのが難点。 そういう観点から考えた時に、ちょっと期待が出来るかなぁというChromebookが発売になったので気になっている。 www.mouse-jp.co.jp マウスコンピューターから発売になるこのChromebook。スタイラスペン標準付属という点もちょっと気になるところ。 Kamiのようなサードパーティを使えば手書きもかなりやりやすいのでスタイラスペン標準付属というのは試してみたい気がする。 ただ、Chromebook PLUSという上…
比較的、精神的にも余裕のある休日。 自分の仕事の仕方を見直さなければなぁ…と思い、本棚に入れていたこの本を読み直す。 先生のためのICT超高速業務ハック 時間を生み出すデジタル仕事術 作者:前多 昌顕 明治図書出版 Amazon 前多先生の傑作の一冊。 本当、一つ一つのテクニックは見開き一ページとコンパクトにまとめてあるのに、非常に効果が上がるだろうと期待できるものばかり。 自分の仕事にも役に立てられることはもちろんたくさんあるけど、それ以上に職員室において、何か聞かれたときにさっと手渡したいと思うような一冊である。 この本を読んで思うこととしては、本当に生産性を合理的に高めたいと思うのであれ…
この数年、研究会や勉強会で実践発表の討議を聞いていると、必ず誰かが「評価はどうするんですか?」という質問をするようになっているように感じる。 実際、観点別評価には今年で三年目であるが、苦労させられているところである。 深い理解のために 高等学校 観点別評価入門 作者:八田幸恵,渡邉久暢 学事出版 Amazon かつて紹介した上記の本のような、非常に深い理解に基づく評価の議論もある。 www.s-locarno.com むしろ、本来は生徒の成長、指導の改善と全ての軸として評価が機能することが望ましいだろう。しかし、最近は色々なところで二言目に「評価は?」と聞くようになっているのを、何かなぁと思う…
自分が集めてきた情報を職場で共有する。 だいたいは流されるのだけど、少しでも刺さる人がいる。 そういう人のために、情報を共有し続けることには意味があるだろうと思っている。 しかし、それに黙ってフリーライドするズルい人もいるんだよねぇ。知っているよ。 でも、そういう人がいるとしても、困っている人に伝えるべきことを伝えるようにすることに意味があるのである。
こんな記事を見た resemom.jp まるでタブレットとノートパソコンのせいで子どもたちが苦しんでるかのような見出し。 でも、少し考えてみれば分かるけど、タブレットなどを使い始めたのに、紙の教科書やドリルを山ほど持ち帰らせていることが、そもそも失敗なのである。 本気を出して持ち帰る教科書などを刈り込むならば、タブレットだけで出来る宿題のバリエーションだって大量にある。 低学年ほどアナログのツールもしっかりとトレーニングしておいた方が良いと思うが、それはもう取り立てて、何か意図を持って取り組めば良いことである。しかし、そんな意図があるのではなく、実態は、教員側が使い方がよく分からないから、とり…
入試演習をコツコツとやる季節。 生徒からどうしてそんなに早く読めて、正解できるんですかと聞かれる。 生徒からは読解力があるからなのですか?と問われるものの、自分としては読書はあまり得意な方ではないし、読解力が無いから本を読むのにも論文を読むのにも苦労しているのである。 ただ、入試問題については数を大量に読んでいるから、なんとなく当て推量でどういうことを答えれば良いのかということに勘が働くだけなのである。