chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
平成うきは拾遺集(しゅういしゅう) https://blog.goo.ne.jp/hasami18

筑後川を見渡す草庵。河畔の木々に野鳥飛び交い、鳴き声に目覚めては流水を眺めて暮らす。日々の想念、里の

平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2016/07/23

arrow_drop_down
  • 佐藤慶太郎(1868ー1940)《『西方の風~九州ひと図鑑』》(40)

    富ミテ死スハ恥辱ナリ。切望されて近代日本にはじめて実現した常設美術館。財政難の東京府に代わって個人財産をポンと差し出し、美術愛好の国民に東京府美術館(現・東京都美術館)をプレゼントした筑豊・北九州の炭鉱経営者である。大正7年といえば鈴木三重吉が主宰する児童文芸雑誌『赤い鳥』が発刊され、中山晋平、北原白秋ら民間芸術家による童謡運動が産声を上げた年である。<美術館の如きは一国の国立建造物として欠くべからざるものである。例えば一家に床の間が必要なると同様であって是れ無くては一国の体裁をなさないと言える・・・>―美術館の早期建設を切望する洋画界の重鎮・黒田清輝の訴えが東京の読売新聞に掲載されたのは大正7年12月21日のことである。黒田をはじめ、岡倉天心、横山大観ら美術家、美術愛好家の明治以来の悲願であった。日本社会にも...佐藤慶太郎(1868ー1940)《『西方の風~九州ひと図鑑』》(40)

  • 小村寿太郎(1855ー1911)《『西方の風~九州ひと図鑑』より》(39)

    ポーツマスの日露対決で示したサムライ外交の真髄帝国主義とは19世紀中葉の新語である。「自国の勢力や領土の拡張を目的とする侵略的政策」(日本語大辞典)と定義されている。明治日本がデビューした舞台は欧米の先進諸国が世界を分割支配する植民地帝国主義の最盛期にあった。弱肉強食の渦中にあった国際社会に飛び込んで、小国の課題はとりわけ外交問題に山積していた。関税自主権の回復や治外法権の撤廃など幕末に列強相手に強いられた不平等条約改定の格闘に始まり、国家の命運を賭した日清・日露の戦争を経験して「一等国」にいたる歴史の一時代を外交でけん引したのが小村寿太郎であった。出自である日向国飫肥藩(おびはん)小藩ながら幕末の大儒・安井息軒を輩出してすぐれた藩校があった。小柄で病弱な体質だったが、漢籍諸本によみふける寡黙で気質剛直な少年は...小村寿太郎(1855ー1911)《『西方の風~九州ひと図鑑』より》(39)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)さんをフォローしませんか?

ハンドル名
平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)さん
ブログタイトル
平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)
フォロー
平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用