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平成うきは拾遺集(しゅういしゅう) https://blog.goo.ne.jp/hasami18

筑後川を見渡す草庵。河畔の木々に野鳥飛び交い、鳴き声に目覚めては流水を眺めて暮らす。日々の想念、里の

平成うきは拾遺集(しゅういしゅう)
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2016/07/23

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  • 野村望東尼(1806-1867)《『西方の風~九州ひと図鑑》』(34)

    一級の女性文人、勤王歌人に非ずー面白キ事モ無キ世ヲ。郷土の歴史上の人物について問われて、野村望東尼(のむらもとに)は福岡市民があげる名前の、おそらくは十指にはいる。しかし、大方の人が想像できる人物像は、「平尾山荘の勤労歌人」という輪郭にとどまる。高杉晋作や平野國臣らとの親交、さらには福岡藩による勤王攘夷派の粛清のあおりで姫島(福岡県糸島市)に流罪になった事情を説明できれば相当の知性であろう。望東尼の遺稿、残された文書をよみとく地道な手法でより維新史観で強調された「勤王歌人」を矯正し、「時世の記録者」「一級の文人」としての実像を彫出する作業が進行中であることを小河扶希子氏の著書『野村望東尼』で知った。福岡藩士・浦野重右衛門の二女に生まれて幼名は本(もと)、あるいは元(もと)といった。後年、得度して「望東(もと)」...野村望東尼(1806-1867)《『西方の風~九州ひと図鑑》』(34)

  • *拾遺集* コロナウイルスは猫同士で感染する。猫から人へも?

    新型コロナウイルスに関連し、昨日の夕刊を広げてとても気になる記事が目に留まりました。コロナウイルスの感染が猫の間で広がる可能性があるという、東京大学医科学研究所などのチームの研究成果の論文です。アメリカの医学誌に掲載されて、研究成果の確かさに疑いの余地はなさそうです。実験は、新型ウイルスを鼻などから感染させた猫と未感染の猫とで3組のペア―を作り、それぞれを同じケージで飼育する方法で行われました。その結果、どうなったか。2日~5日後には3組とも未感染だった猫の鼻からウイルスが検出され、感染が確認されました。そもそも人類のウイルス禍は人が動物を身近に飼うようになって始まったと言われます。そして、人と愛玩動物との「濃厚接触」は核家族化や高齢化が進んでいる現在、日本に限らず世界中で歴史上最も心配される状況にあります。わ...*拾遺集*コロナウイルスは猫同士で感染する。猫から人へも?

  • 拾遺集*スーパー・ボランティアとコロナ

    コロナ禍で国民ひとしく呻吟するなか、尾畠春夫さん(80)の暮らしぶりと前向きな心の持ちようが、きょう5月13日の読売新聞(西部本社版)に紹介されていました。「コロナに思う」というインタビュー記事です。全国の被災地に出向いて復興支援の活動を行い、献身的な働きぶりから「スーパー・ボランティア」と、メディアで評判になったあの方ですが、居ずまいを正してマスメディアの取材に応じることはめったにありません。購読者だけで独占するにはもったいないと思い、ご紹介することにしました。コロナ禍のご自身の活動への影響について述べておられます。長年の願いとして4月にも始めるつもりだった沖縄県の戦没者遺骨収集。今年は断念せざるを得なかったことを第一に挙げ、最近は人の少ない地元の海岸で以前から取り組んでいるペットボトルの収集を続けているそう...拾遺集*スーパー・ボランティアとコロナ

  • 杉田久女(1890-1946)《『西方の風~九州ひとずかん』(山﨑潔著)》より(35

    女流の俳句を切り拓く格調高キ心ノ叫ビ困難と激動を経験した明治、昭和にはさまれて大正時代は自由主義的な風潮の中で新しい文化が花開いた季節であった。大正デモクラシー、大正ロマン・・・鈴木三重吉によって児童文芸誌『赤い鳥』が創刊され、文部省唱歌とは趣を異にした民間芸術家による新しい子供の歌曲「童謡」が誕生した。詩人の北原白秋、西条八十、野口雨情たち、作曲家では山田耕筰、中山晋平、本居長世たちの活躍である。15年の短い期間ながら陽だまりの情調を想像して特別の憧れがある。女流俳句を近代文芸に刻んで先駆となった杉田久女が句作を始めたのこの季節、大正5年(1916)であった。平成28年(2016)はそれからちょうど100年、波乱の生涯を閉じて70年の年だった。杉田久女は「ホトトギス」の高浜虚子を師としてその長寿を願い、菊の花...杉田久女(1890-1946)《『西方の風~九州ひとずかん』(山﨑潔著)》より(35

  • 中村天風(1876-1968)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(34)

    積極思考の勧めイツモ心ニ太陽ヲ。どれほどの人が知っているのか。あるいは知らないのか。「心身統一法」と、創案者の中村天風(なかむらてんぷう)のことである。大正、昭和と政財界はじめかくかいの著名人に信奉する人が少なからず、名前を挙げれば東郷平八郎、原敬、双葉山、松下幸之助・・・などなどである。現代の‶信者〟も絶えないという。宇宙のいとなみに調和することで生命力を養い、心と体の健康を実現する実践の哲学と説明されても凡夫には理解を超える。「ヨガの修業から得た心身鍛錬の体系」と、注釈なしに言ってしまえば、世に氾濫する通俗的な健康法と並べて想像されよう。とりあえず言えることは、日本では明治から大正に移り変わる時代にヒマラヤの第3高峰のカンチェンジュンガの麓の村でインド人の行者のもとで徹底したヨガ修業に心身を置いたこと、3年...中村天風(1876-1968)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(34)

  • 徳冨蘆花(1868-1927)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(33)

    蘆花(あしばな)ノ見所ナキヲ愛ス。「紅涙を絞る」ということばがある。用例は明治期に多い。悲しみのあまり涙が血に染まるという比喩は過激でも、「美しい女性の涙」というもう一つの意味を含め、時代の気分をまとって語感が美しい。小説を書く動機を「読者の涙を誘うこと」と公言したのは『金色夜叉』の尾崎紅葉だが、徳富蘆花は『不如帰(ほととぎす)』で満天下の婦女子の紅涙をしぼらせてベストセラー作家になった。明治30年代のはじめである。蘆花が五つ違いの兄・蘇峰とともにふるさとが近代日本に送り出した偉人であることを肥後人で知らない人はいないと思う。水俣の大庄屋・代官を務めた家系で、父・一敬は横井小楠の高弟。兄弟で学んだ熊本洋学校、同志社英学校(同志社大学の前身)で欧米文化やキリスト教に感化されるのに、小楠に通じる開明思想の下地が少な...徳冨蘆花(1868-1927)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(33)

  • 辰野金吾(1854ー1919)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(32)

    東京駅の設計者建築ハ美術ナリ。赤レンガの巨大なパノラマに白いストライプ。東京駅は近代日本を象徴するモニュメントであり首都の顔である。西洋のモダンとロマン、そして郷愁と懐かしさ。中央塔を中心に全長335メートルの両翼にドームを配した意匠は、翼を広げて皇居を拝する鳳凰である。昭和の戦争の傷跡を応急補修したままの仮装でときを過ごして2年前に復元され、失われた容姿がよみがえった。今年は折りしも壮健100周年になる。全国の都市に記念碑となる建物を残した辰野金吾の晩年、大正年の作である。安政元年。欧米という別世界の存在やその圧力を不安に感じ、確固として自明と思っていた社会のゆらぎが庶民にも自覚されるようになった幕末。佐賀・唐津藩士でも足軽よりも低い家格に生まれている。未知への雄飛を決意したのは藩の英学校に招かれていた高橋是...辰野金吾(1854ー1919)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より(32)

  • 種田山頭火(1882ー1940)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より

    鐵鉢(てっぱつ)ノ中ニモ霰(あられ)行乞、漂泊を想念することなしに棚田山頭火を想像することは難しい。法衣をまとって一笠一鉢(いちりゅういっぱつ)。昭和15年に没した俳人が共感をもって振り替えられるようになるのは戦争と敗戦、戦後復興を経て昭和も40年代に入ってからであった。高度成長の歪(ひずみ)に対して感じる漠然とした現代人の違和と表裏し、近代と文明への疑いを携えて規範や秩序を凌駕して生きた俳人の生は新たな生命(いのち)となった。「水の流れるやうな自然さ、風の吹くやうな自由さ」(『行乞記』)。無機の色合いを濃くする人間社会の心の孤影に共振して句の味わいはいよいよ深まる。分け入っても分け入っても青い山行乞とは仏僧にいう托鉢(たくはつ)、つまり物乞いのことである。家が立ち行かなくなって妻子を捨て、出家得度した禅寺。山...種田山頭火(1882ー1940)《『西方の風~九州ひと図鑑』(山﨑潔著)》より

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