令和5年6月1日(木)休養します。雑用が多くなり、心身の疲弊のためブログを暫く休養させていただきます。皆様の楽しいブログと交流出来ないのが、残念です。遊民ヤギ爺より。暫く、休養します。
俳句と映画のゆうゆう散歩
暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。
令和5年1月31日(火)東谷山フルーツパーク名古屋市の東北端部の守山区上志段味に在る、市内で一番高いとされる「東谷山」(198m)の麓に、緑あふれる環境を活かした農業施設」(果樹園)が昭和55年(1980年)の4月に開園した。17種類の果樹園に凡そ1000本の果樹を栽培する。更に、「世界の熱帯果樹温室」には熱帯・亜熱帯地方の果樹を観察できる施設となっている。此処は枝垂れ桜の名所で、シーズン(4月~)には大勢の人達が桜を見に来る場所である。最寄りの交通機関は、名古屋市営バス(藤が丘12志段味巡回)がフルーツパーク入口迄、他にJR中央本線高蔵寺駅からバスが巡回している。果樹園に入ると、メーン道路の両側に枝垂れ桜の並木が在るが冬木立(裸木)が風に揺れている、、吟行、、、寒肥、暫く進むと梅林が見えるが、此処では紅...東谷山フルーツパーク
令和5年1月30日(月)葱:根深、ひともじユリ科の多年性野菜、中国・中央アジア原産独特の香りと辛味があり、日本料理に欠かせない野菜の一つ。中空で細長い緑の葉と、多数の葉鞘(ようしょう)が重なった白い部分を食べる。一般的に関東では「根深」と称し、葉鞘の部分を地中に深く作り、関西では「葉葱」と称して葉の部分を長く作る。葱は年中収穫出来るが、旬は冬である。「日本書紀」の仁賢紀に「秋葱」の名で記されて居り、女房ことばでは「ひともじ」とも呼ばれる。品種や呼び名は各地で多く在るが、代表されるものに、関東では群馬県の太く白いねぎ「下仁田ネギ」は甘味がある。関西では葉鞘の長い京都の「九条ネギ」が有名である。葱は、様々に調理して食べられる先ずは刻んで饂飩や蕎麦の薬味、湯豆腐、冷奴、其のまま葱焼、湯豆腐、冷奴、ネギ焼き、うど...葱
令和5年1月29日(日)春を待つ:待春寒さも峠を越し、近ずく春を心待ちにすること。わけても暗くて鬱陶しい冬を耐えてきた雪国の人々の春を待つ気持ちには切実なもので、冬の最中に春を待っている心である。住む風土によりその心持ちには強弱や濃淡の差があり、雪深い寒風の吹きすさぶ土地の人々は切実であろう。気象条件に恵まれた土地の人々もそれなりに春を待つ心はある。この時期になると流れ来る童謡「春よ来い」は、そんな思いをこめた心に残る歌、、、、。シンガーソングライターとして、また作詞作曲も手掛けられる合田道人さんの著書:「童謡の風景」の中に、「春よ来い」の解説がある。【春よ来い、みいちゃんに親近感。心温もる童謡だ。本当に早く暖かい「春よ来い」と思わずにいられなくなる。「じょじょ」(草履)、「おんも」(外)、「はよ」(早く...春を待つ
令和5年1月28日(土)鳰:一丁潜り、息長鳥、鳰(カイツブリ)はカイツブリ科の水鳥、≒全長26cm趾(足、くるぶしより下の部分)には膜が付いて居り、水掻きの役目を果たす。巧みに泳ぎ、水中に潜って魚を獲る。最長で25秒もの間潜ることが出来「息長鳥」の異称がある。また、潜った所からかなり離れた場所に浮上「一丁潜り」とか「八丁潜り」などの異称もある。一年を通して湖沼や川で見られるが、辺りが枯れ果てた場所に目立つ水鳥で、「冬鳥」(冬の季語)となっている。名古屋では鶴舞公園や白鳥庭園等の池に多く見られるが、冬枯の庭園に人気のある水鳥で、暫し吟行を忘れ眺め居る、、、、。鶴舞公園胡蝶ヶ池なるほど潜ると一瞬に水面から消え、見当たらずとんでもない方向から顔を出す。群れは繰り返し水面を賑わしている。俳人夏井いつきさんの著書「...一丁潜り
令和5年1月27日(金)冬芽:冬木の芽春になり青々と萌え出す芽じゃ、たいてい秋のうちに出来て寒さに耐えられるように、固い鱗片に覆われて休眠越冬する。これを「冬芽」、「冬木の芽」という。常緑樹にもあるが、落葉樹の葉が落ち尽した枝の冬芽は、殊に目立つ。冬の温かい日に木の芽が萌え出しているのを見つけると、心が和みやがて来る春の訪れが待ち遠しい。寒波が去り一時の晴間を見て、名古屋港へ散策に出る。今朝はあまり風もなく穏やかで、散歩日和、、、、かと思いきや、埠頭公園の辺りはさすがに海に近く、時折の風に常緑樹の葉が大きく揺れ、寒さを感じる。枯芝の上には枯葉や小枝が散乱している。落葉樹は多く、裸木の枝から色々な芽が顔を出す。小楢の芽、辛夷の芽、橡の芽、捧の芽、木蓮、「小楢」(こなら)、「辛夷」(こびし)、「橡」(とち)、...冬芽
令和5年1月1月26日(木)大須観音:北野山真福寺宝生院建久2年(1190年~)、尾張国中島郡大須(現、岐阜県羽島市)に建立された。慶長17年(1612年)、徳川家康の命により犬山城主の成瀬正成が、宝生院、真福寺と共に現在地(名古屋市大須)に移転した。文化2年(1855年)に五重塔建立、空海が彫った愛染明王像が五重塔に納められた。明治25年(1892年)、大火で本堂、五重塔等が消失した。その後も昭和20年、太平洋戦争中に2度目の消失。昭和45年(1970年)に再建され現在に至っている。大須観音は戦前・戦後ともに大須の街のシンボルとなっている。大須観音の境内に、「芭蕉句碑」がある。いささらは雪みにころふ所まで芭蕉芭蕉は貞享4年(1687年)に再度訪れて際、12月3日に原町の「書林風月堂」に於いて、俳諧を催し...大須観音
令和5年1月25日(水)寒波:冬一番北極圏やシベリアに発生した著しく冷温な寒気団が、日本付近の低緯度地方に南下流出して急激に気温の低下を引き起こし、厳しい寒さになる現象をいう。その襲い方が波の押し寄せるのに似て周期的、波状的であることから「寒波」と呼ぶ。寒波が来ると一日で気温が5度から10度以上急激に下がる事があり、その冬初めての寒波を「冬一番」と呼ぶ事もある。昨日からこの冬一番の強い寒気が流れ込み、全国的に冷え込みが強まった。全国で最も冷え込んだのは北海道の陸別、ー30℃で、25日朝6時に全国913地点のうち、506地点で今期最低気温を記録した。全国主要都市の今朝最低気温は、札幌でー12・8℃、仙台でー7・5℃、東京で-2・9℃、名古屋で-3・8℃、大阪でー2・0℃、福岡でー2・5℃となっている。名古屋...寒波襲来
令和5年1月24日(火)四家道:しけみち慶長15年(1610年)、「清洲超え」といって清洲の町から名古屋の地へ町ぐるみ移転し、名古屋の北部に築城をした。元禄13年(1700年)に大火が在り、町が消滅。四家道由来、その後に街並み保全(防火)と商業活動のため、道路の幅を4間(約7m)に広げた。その後にこの四家道の名が付いた。四家道の東側には石垣の上に土蔵を建て(堀川沿い)集荷場に。道路を挟み反対側(西側)には商家が立ち並んだ。堀川荷を揚げ、石畳・屋根神様・子守地蔵等を祀り、城下町を作り上げた。(名古屋市は昭和61年、町並保存地区に指定)此処から名古屋城へは、真直ぐ北へ約1kmの場所にある。私の生れた家は名古屋城から西へ約1km、「押切町」に在る。子供の頃には四家道に隣接する「円頓寺商店街」へよく出かけ、映画を...四家道(しけみち)
令和5年1月23日(月)冬牡丹:寒牡丹牡丹は、ボタン科の落葉低木で中国原産(中国の国花)日本へは7,8世紀頃に遣唐使や空海が伝来したと云われる。古くから観賞用、薬用として栽培されている。樹高は1m程。本来は春(4~5月頃)に咲く花だが、花期を遅らせて厳冬に花を咲かせる。厳しい冬の寒さに咲くので、藁苞(藁を編んで作った苞で包むもの)を周囲にかけ、根元に藁を敷いて労わってやる。南面が開けてあり、陽光を取り込む工夫がされている。寒気にめげず咲く冬の牡丹は、健気で美しい。花の大きさは20cm程の、二期咲き性の牡丹を変種。冬牡丹と寒牡丹の違いは、冬牡丹は、元々春に咲く品種を、春、冬(1,2月)に開花するように品種改良した。茎は青々と芳しく葉っぱも多い。寿命は1年で、2度咲くことはない。人工的に栽培される。寒牡丹は、...冬牡丹
令和5年1月22日(日)侘助:唐椿徳川園を訪れる黒門に入り、直ぐ右手奥「虎の尾」の方へ進む。白い小さな花がひっそりと咲いている。数寄屋侘助というそうだ。暫く虎の尾から右手の塀沿いの寒々とした苑を進むと、大曾根の滝に出る(人口の滝)此処から左手に折れると、「四眠庵」の辺りに薄い紅色の花を見つけた。(後で調べ、太郎冠者という侘助と判明)冬枯れの苑は、花も少なく人も疎ら、、、寒椿や山茶花など、何れも侘助同様に椿に似た花が時折顔をみせる。侘助は、ツバキ科の落葉低木で花は一重の半開きで小さい。白侘助、紅侘助、有楽椿(太郎冠者)等がある。開花期は、白侘助が11~3月、紅侘助が2~4月頃。中国系の「椿」の交配種と言われ、「唐椿」ともいわれる。侘助は花の数も乏しく、葉も細く如何にも控えめの茶人好みの花として珍重される所為...侘助
令和5年1月21日(土)襟巻:マフラー、首巻寒さを防ぐ為に首に巻くものであるから「首巻」ともいう。現代では「マフラー」という語の方が一般的である。毛織物、絹、毛糸で編んだものや毛皮で作られる物もある。男女共に色や素材をファッションとして楽しむ。一時的に、手編みの初歩の教材としてマフラーが選ばれて女性から男性への贈り物とし、手作りのマフラーがブームとなったこともあった。最近では英語の「SCARF」(スカーフ)と呼ぶ事が多い。元来スカーフは、軍服の飾帯から大きく意味が広まった。日本でスカーフといえば、婦人が頭等を覆う正方形の布を指すが、英語では頭を覆う正方形の布「HEAD・SCARF」(ヘッドスカーフ)といい、区別されている。日本での襟巻は江戸時代に隠居がするもので、若者の着用は病人に限られていた。第二次世界...襟巻
令和5年1月20日(金)大寒二十四節気の一つ、太陽の黄経が300度に達する時。陰暦の十二月の節で、陽暦の1月20日頃にあたる。文字通り一年中で寒さが最も厳しい時期で、北日本では雪でさえ凍り付く日々が続く。三味音曲の芸事をはじめ、寒稽古の真っ盛りで柔道・剣道・弓道・空手など武道の道場などは海水に浸かって心身を鍛錬するところも在るようだ。大寒が終りを告げる頃には、暖かい地方では「梅の便り」も、ぼつぼつ届き始める。江戸時代の末期、常陸国五代藩主の松平頼政(隠居後は太玄斎と名乗る)は、「暦便覧」を書き残した。これは現代の「二十四節気」を体系づけるものである。この中に「大寒」を「冷ゆることの至りて甚だしきとなれば也」と、寒さが最も厳しくなる頃と表現している。気象庁等の観測データによれば、大寒の意味するところを概ね的...大寒
令和5年1月19日(木)歌会始の儀1月18日、皇居宮殿「松の間」で新春恒例歌会始の儀が行われた。宮中で行われる年始の歌会で、新年の儀式として「お題」による短歌詠進される。毎年一月に行われる様になったのは、明治2年(1869)以降で、天皇・皇后両陛下他の皇室方が臨席される。先ず国民の詠進歌(一般公募)が披講され、次いで選者と、召人と続き、皇族方の御歌が披講された後、皇后陛下の御歌が朗読された。最後に参加者全員が起立する中で天皇陛下の御歌がゆったり、優雅に2回繰り返し朗読された。一般の歌、山梨県:小宮山碧生さん友の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせない東京都:吉田直子さんみづいろの絵の具ばかりを借りにきた友の見てゐた空を知りたい京都府:丹羽沙矢香さん友といふ言葉を知らぬ一歳が泣いてゐる子の頭を撫でる...歌会始め
令和5年1月18日(水)息白し:白息冬の朝、一歩外に出た時に吐く息が白く見えることがある。道行く人々の息が白く豊かに靡いて見えると、いよいよ寒くなったことを実感するものである。冬は空気が冷たいので吐く息が白く見え、気温や天候に依ってハッキリ見える時と、そうでない時がある。人間の息に限らず、犬や馬の息にもみられる現象である。ばんえい競馬厳しい寒気の中で息づいている、豊かな体温を持った存在であることが、改めて確かめられる折りでもある。最近では「息白」という使いかたも見られるが、元来は大気が冷えて息が急速に細かい水滴となって息が白く見える現象そのものを表した季語なので、音韻上便利であっても使う時は慎重でありたい。「青息吐息」という言葉があるが、白息というと初めから備わっている性質を表すようで「息白し」という表現...息白し
令和5年1月17日(火)おむすびの日1995年(平成7年)1月」17日に発生した阪神淡路大震災で、被災地に「おむすび」が届けられた。温かい心の象徴として記念日とした。込めの重要性と炊き出しボランティアの善意を広める運動は、ご飯のおむすびだけでなく人と人との心を結ぶ「おむすびの日」をアピールしている。一般社団法人「日本記念日協会」により認定・登録された。この「おむすび」は、「おにぎり」「握り飯」等とも呼ばれる。「おにぎり」「おむすび」の違いについては諸説あるが、主に西日本では「おにぎり」、東日本では「おむすび」と呼ばれる。三角おにぎり、丸むすび、俵、丸、三角、(呼び名は地方により様々にあるようである。)2013年の調査によると、日本全国で「おにぎり」と呼ぶ人は89%、「おむすび」と呼ぶ人は10%といわれる。...おむすびの日
令和5年1月16日(月)寒晒:寒曝かんさらし米などの穀類、馬鈴薯などを粉にして寒中の水に幾度も浸け、さらに寒気に晒すことをいう。また、それに依って精製された粉末のこと。糯米を石臼で挽き、寒の水で洗い、数日水に晒した後で布の袋に入れ絞って水分を取り去り、木箱や筵に広げて天日に乾したものが「白玉粉」である。白玉粉そのものを「寒晒」「寒晒粉」と呼ぶこともある。寒の水で晒したものは余分な脂肪が流れ、きめの細かい上質な粉となる。白玉粉は菓子の原料などとなる。現代ではほぼ全行程が機械科されたが、季節感は残る。和紙の産地として知られている岐阜県美濃市の板取川で、和紙の原料の「楮」(こうぞ)を川の水に晒して漂白する「寒さらし」が行われた。中日新聞より、冷たい川の水で洗われ白さを増した楮の白皮は、細かく砕いて溶かし和紙の原...寒晒し
令和5年1月15日潮路初句会日時:令和5年1月14日、13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:6名(欠席3名)兼題:1)初御空、2)弓始、3)当季雑詠新年の初句会は例年、食事会を行い後に句会を行っていたが新型コロナウイルス感染予防のため食事会中止(3年連続)、句会のみ行った。主宰の玲子先生より挨拶、「皆様、明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願いいたします。この潮路句会は昭和27年に始まり、今年は70年目になります。残念ながらコロナの影響や参加者の高齢化に伴い、参加者が少なくなりました。本日は6名の出席です。月例会の他、毎月在る吟行、コミュニテイ・センター主催の文化祭への参加等、皆さんの協力に感謝して居ります。幸いにも潮路句会のメンバーは明るく、優しくて毎回出席するのが楽しいと参加者から報...潮路初句会
令和5年1月14日(土)龍の玉:龍の髭の実ユリ科の常緑多年草「龍の髭」の実をいう。龍の髭は平地や林の陰地に自生し、民家の庭等にも見られる。群生して葉は暗緑色で長さ20~30cm幅2mmの線形。初夏に葉の間から花茎を出して、淡紫色の小花を総状に咲かせる。花が終わると直径7mm位の果実を付け、冬場になると濃い瑠璃色の球形の実は美しく宝石の様な光沢が在る。よく目立ち硬くて弾むので、子供達は弾み玉と言って遊んだ。そろそろ松の内も明け、正月気分も抜けて平常が戻る。まだまだ寒さは厳しく、道行く人達は防寒着で確り着ぶくれている。港で落語会が行われると訪れる寺の門前から庭を覗き見る。境内の奥、籬の傍に手水場があり、青々とした葉(龍の髭)が、時折の風に揺らいでいる。境内に入り葉の間を、、、、葉をかき分けて中を覗き見る。アッ...龍の玉
令和5年1月13日(金)読書始:講書始の儀新年に初めて読書を行うこと。柳亭種彦の書「用捨箱」に、「昔は正月吉書の次に冊子の読初として、女子は文正草子を読みしとなり」とある様に読初の慣習があった。読初は朗々と音読するもので、男子は漢籍を読み上げた。然し現在では音読の習慣はなく、座右受読の書を初めて繙くことを読初めという。貞観2年(860年)、大学寮の博士・春日朝臣雄継が、清和天皇に「孝経」(孔子が門人に述べた孝道の記録)を講説したのが始まりで、宮中での「講書始」として行われるようになった。これが「読書始」の前身とされ、武家社会にも取り入れられた。本日(1月13日)、天皇・皇后(体調不良のため欠席)秋篠宮ご夫妻等の皇族方が出席され、皇居宮殿「松の間」で、「講書始の儀」が行われた。西洋近世史学専門の深沢克己東京...読書始
令和5年1月12日(木)寒木瓜:冬木瓜木瓜(ぼけ)はバラ科の中国原産の落葉低木。高さ1~2m。枝には棘があり、葉は長楕円形。普通は春の陽光の下に色鮮やかな花をさかせるが、これを冬季に咲かせる様にしたのを「寒木瓜」、「冬木瓜」という。特別に寒木瓜という種類が在るわけではない。寒中の色の少ない時期に、色鮮やかなはなとして珍重されている。朱色、白色、色は朱色、紅、濃紅、淡紅,白色に、紅白の混じった「更紗木瓜」は殊に優美である。冬枯れの庭園に色鮮やかな寒木瓜は、思わず目を奪われる。この花を見つけると、やがて来る春の訪れはもう直ぐだと、知らせてくれるようだ、、、、。徳川園の寒木瓜、名古屋では徳川園や白鳥庭園等へこの時期に吟行で訪れるが、この花に出会うとホットして、、、暫しこの場を離れ難い、、、。私自身、この木瓜とい...寒木瓜
令和5年1月11日(水)鏡開き:鏡割りお正月に飾っておいた鏡餅を下げ、雑煮やお汁粉として振る舞われる行事。関東は1月11日、関西では1月15日が多い。昔は全国的に松の内は15日迄で、20日に行っていた。然し、徳川家三代将軍の家光が4月20日に亡くなった事に依り、月命日となる20日は避け、代わりに11日に鏡開きを行った。鏡開きは、武家の男子は「具足」に供え、女子には「鏡台」に供えた鏡餅を割ったものである。武家社会では「具足開き」とも云った。鏡開きにはルール(決まり)があり、鏡餅には神様が宿るとされて居り、刃物を使うことは縁起が悪い事とされ硬くなった餅を割るのは大変で、木槌を使って処理した。一年の無病息災を願い家族で食べる慣わしとなっている。近年では鏡開きを行う家庭は少なくなり、空手や柔道等の道場で鏡開きを行...鏡開き
令和5年1月10日(火)北風:朔風北または北西の方角から吹く風のこと。冬の季節風をいう。大陸の冷たい高気圧から、日本の東海上の低気圧に向けて風が吹き込んでくるもので、強くて寒い気温をもたらす。※「朔」は、北の方向をさす。朔風→北風。江戸中期の方言辞書「物類称呼」に、畿内及び中国の言葉として「土用(六月)中の北風を土用あいといふ」とか、「八月の風をあおぎたといふ」とある。このことからすれば、北風の受容は必ずしも冬とは限らないが、「天気予報ことわざ辞典」(大後美保編)には、「冬、北風つのれば雪となる」とか、「北風つのれば山間部は雪となる」ともある。暮らしの中の気象に拘わることわざの中で、北風が著しい特徴を持っていると判れば、この風を冬の季語として然るべきであろう。ところがこれほどの風にも関わらず「凩」の句で有...北風
令和5年1月9日(月)成人式一月第月曜日、戦後に国民の祝日として制定され、1月15日だったが、平成10年(1998年)に成立した「改正祝日法」(通称ハッピーマンデイ法、連休を増やすために成人の日と、体育の日をそれぞれ1月、10月の第2月曜日に変更)により平成12年から施工された。今年は1月9日となった。満20歳になった成人男女を祝福し、各地で成人に対する祝典が催される。故郷で誓う、20歳の飛躍(中日新聞より)成人を祝う儀礼は古くから在り、男子は元服・褌祝、女子には裳着・結髪等の儀式が在った。日本での今日の成人式の形態は、第二次大戦敗退後の昭和21年(1946年)11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現蕨市)に於いて実施の「青年祭」がルーツとされる。その後、名古屋市や宮崎県などが我町が発祥の地と名乗る。宮崎県東...成人式
令和5年1月8日(日)蠟梅:唐梅ロウバイ科の落葉低木、中国原産。高さ2~5m葉は卵形で対生する。花期は12月~2月頃。葉が出る前に香りの高い小さな黄色の花が、数個ずつ集まって咲く。「蠟月」は陰暦12月の異称で、その蠟月に咲く梅という意味から蠟梅という説もあるが、梅とは別の品種である。中国名の「蝋梅」(ラーメイ)を日本語の読みにしたもの。花弁は黄色で薄く臘を引いたような光沢があり、此処から蠟梅という説もある。中国原産の木で「唐梅」とも呼ばれている。雪の降る庭などでその芳香が漂って居て、この花に気付いたりすると嬉しくなる。花は少し俯き加減に咲き、花の中心は暗紫色をしている。花は俯き加減に咲き、和蠟梅ともいわれている。これに対し「素芯蠟梅」(そしんろうばい)は、花の中心まで花全体が黄色になる。ご近所の庭先の蠟梅...蠟梅
令和5年1月7日(土)七草:七草粥正月七日、七種類の若葉を粥に炊き込んで食べ祝う行事七草は、普通は芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)といわれているが、地方により或いは時代に依って入れる菜が異なる。雪深い中で正月を迎える地方では自ずから他の物を代用することは当然であろう。七種の由来は、中国の「荊楚歳時記」(けいそさいじき)に依ると、「七草の菜を以て羹(あつもの、煮物の事)造る」と在る。これが日本の七草粥の起源とされている。宮廷の貴族たちは正月七日に、七種類の若葉を羹にして食べると邪気を払い、万病に掛からないと考えられ朝粥に入れ食べた。江戸時代になるとこの風習が庶民の間に広く普及し、これを俎板に乗せ、上で叩きながら刻んだ。粥に七種...七草粥
令和5年1月6日(金)小寒:寒の入二十四節気の一つ、当時のあとの15日目で太陽の黄経が285度に達する。陰暦12月の節で、陽暦の今年は1月6日が小寒の日です。この後大寒(1月20日)へと続き、寒さが一段と厳しくなる頃。武芸や芸事等の寒稽古が始まるのもこの頃である。「寒の入」は、この日から節分まで約30日間を「寒の内」といい本格的な寒さがやって来る。全国各地では「寒稽古」が始まった。この地方の愛知県弥富市に在る空手道場の、100名余りが木曽川河川敷に集まり、「型」や「試し割」(木の板を割る)を披露。寒さに震え時折、焚火で暖を取っていた、、、。また、福井県小浜の海岸には空手道場に所属する人達が、雪こそないが、氷点下の寒風すさぶ中寒稽古を行った。京都府舞鶴、愛媛県今治などの全国各地で行われた。剣道も、各学校や道...小寒
令和5年1月5日(木)初戎:五日戎初戎は新年となって最初の戎祭りである。九日を宵戎、十日を本戎、十一日を残り戎という。恵比須神は福の神、商売繁盛の神様として信仰を集め、大阪の今宮戎神社、京都の恵美寿神社、兵庫県西宮市の西えびす神社等、関西の十日戎が殊に有名である。沿道の露店には小笹に縁起物を吊るした福笹(戎笹)を「吉兆、吉兆」の声で売られる。熱田、上知我麻神社、名古屋市の熱田神宮内に在る、上知我麻神社の大国主社、事代主社では「初戎」(五日戎)」が執り行われた。中日新聞より、午前零時に授与所で開始の声が掛かると、冷え込みの中待ち侘びた参拝客が殺到して、もみくちゃになりながら「こっち、こっち」「くださーい」と声を張り上げて、代金の紙幣を握った手を翳す姿が彼方此方に見られた。境内には、真夜中にも拘わらず大勢の参...初えびす
令和5年1月4日(水)仕事始め:初仕事新年に各人が初めて、夫々の仕事に取り掛かったり執務をし始めることをいう。本格的に仕事に取り掛かる所もあるが、田や畑に出て耕す真似をしたり、山に入り薪を採ってきたりする行事を仕事始めといっている地方も在るようだ。本来は職人や商家、農家、漁師などが新年の初仕事の式を行うことで、正月二日と十一日にするのが主であった。昭和の頃の仕事始め、二日は仕事に取り掛かかれるように準備をし、後は正月気分で休み、十一に本格的に仕事を始める。官公庁では「御用始め」と称して、原則4日より仕事を始める。民間企業では「事務始め」といっていたが今では「仕事始めという。東京丸の内、初出勤、名駅前、初出勤、また、証券取引所ではこの日(1月4日)に「大発会」と称して新年最初の立会、「初立会」が行われた。愛...仕事始め
令和5年1月3日(火)弓始め:的始、射初新年に初めて弓を射ることをいう。各地の弓道場で行われるが、期日は道場によりまちまちである。もとは、朝廷の正月の行事であったが、鎌倉幕府がこれを取り入れたのが始まりとされる。熱田神宮初戎(えびす)、弓始め陰暦の10月5日に天皇が弓道殿に臨御して、公卿以下殿上人の賭弓(のりゆみ)を観覧する儀式で「弓場始」という。亦、武家で年初(正月中旬)または弓場の新造などの時に、初めて矢を射る儀式で、「的始」、「引矢始」という。江戸時代には将軍の上覧もあって盛大となり、期日も正月7日から11日に改められた。現在では正月の神事としている神社も多く在る。女性弓道者、甲南女子大弓道部、若い女性の弓道者も多く参加するようになり、より華やかな正月の行事の彩りを成している。愛知商業高校弓道部名古...弓始め
令和5年1月2日(月)年始:年賀元旦から三日くらいまでの間に、親戚や目上の人、友人、知人あるいは近隣の間で訪問仕合、新年の賀詞を交わすこと。これを年賀ともいい、「御慶」といえばいささか古風になるが、これも新年の挨拶に用いられる。大体は門口で挨拶を述べて辞するのが普通で、これを「門礼」という。年始・年賀は元々一家一族での新年の挨拶であり、亦新春の神を崇めることより起った挨拶が一般に迄広がった。正月の元旦から三日までの間に親戚、知人らが互いに訪門し合うようになり、食礼として「喰積」や「蓬莱」などを行い、大いに振る舞うようになった。現在は往時ほどではないが、4それでも正月らしさは街に溢れている。我が家では毎年二日、娘の家族(夫婦と大学生の長男、高校2年生の長女)が年始に訪れる。三日には息子家族(夫婦と中学生の長...年始
令和5年1月1日(日)元日:お元日、年の始め年の明けた初めの日、一月一日最初の日。昨日迄の何やかや気忙しかった年の瀬から一夜明けると、ともかくもという気持ちになって、ゆったりしてくるのもこの元日の雰囲気である。昔からの仕来りで外に出ていた者が帰って来て、一族が揃って実家で過ごす人達も多い。「お元日」というのは、慎みの中にも親しみをこめた響きがある言葉。元日という言葉は中国の「鶏日」(がんじつ)といって家禽の鶏を祝う習俗が元日に行われ、そこから「元日」という言葉が日本へ伝わったといわれている。明けましておめでとう御座います。昨夜は除夜の鐘を聞くこともなく11時頃に就寝した。最近では、あまり「紅白歌合戦」を見る事はなくなり、NHKBSの洋画三昧に浸っていた。カミさんは少し不満げであったが、若い人の歌について行...元日
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令和5年6月1日(木)休養します。雑用が多くなり、心身の疲弊のためブログを暫く休養させていただきます。皆様の楽しいブログと交流出来ないのが、残念です。遊民ヤギ爺より。暫く、休養します。
令和5年5月30日(火)紫陽花:あぢさい、七変化、四葩(よひら)ユキノシタ科の落葉低木、高さ1.5m~2m日本原産で江戸時代に来日したシーボルトによって西洋に紹介された。平たく清楚な額紫陽花の改良種とされる。葉は広卵形で対生する。初夏に球状の集散花序に4枚の萼片だけが発達した装飾花を多数つける。咲き始めの頃は白色で、次第に色が変化していく。色は青から赤紫色へ変化するところから「七変化」という。また「四葩」(よひら)と呼ばれる。四葩の名は、花びらのように見える四枚の萼の中心から細かい粒のような花をつけることからといわれる。花びらと思う部分が萼、蕊とと思っている部分が花である。「あぢさい」の由来は、「あぢ」は集まるの意の動詞で、「さい」は藍色のことで、藍色が集まるという意味からこの名前が在るとされる。花の色は...紫陽花
令和5年5月29日(月)合歓の花:ねぶの花マメ科の落葉高木、高さ10mにも達する。山中や川原などに自生。里近くの河原などでも見かける。葉は細かい羽状複葉で、小葉は10~20対生する。葉は夜間閉じて垂れ下がり、眠るように見えることからこの名前がある。漢字名のネムノキ「合歓木」((ごうかんと呼ぶ)は、中国に於いてネムノキが夫婦円満の象徴とされる事からと云われる。6~7月頃、雄蕊の長い花を咲かせるが「紅刷毛」に似てとても美しい。枝先に10~20個の花が集まって咲く。莢は篇長楕円形で、樹皮は打撲傷に効能があり、精神安定・不眠解消にも効能があると言われる。また害虫の駆除にも用いられている。木材は胴丸火鉢や木工、下駄の歯などに使用されている。今日5月29日、気象庁は本州の東海地方迄の地域が梅雨入りをしたと宣言した。朝...合歓の花
令和5年5月28日(日)おうちご飯カミさん達が集う「てとてとの会」が毎週3回(火、水、木)ランチサービスを開いている。名古屋港近隣に住むカミさんらのグループ「てとてと」では毎週一回クラフト教室の場で、人形や小物入れ等を作っている。他のグループも様々(古い着物を洋服に仕立て直す)在る様子。これらとは別に古民家を所有されるカミさんが、ご近所に住む独り居の方、中小企業にお勤めの方等向けの古民家カフェを開いてる。当初は一人暮らしの方に昼食を提供、相談事・話相手になっていたのが、誰もが自由に出入りできる交流の場となり、「古民家カフェ」となった。名古屋港に近い住宅地の路地裏に在る普通の古民家で、判り辛い場所、口コミで来られる方以外は、殆どがご近所の顔見知りばかりである。普通の家の玄関に入ると、正面に12畳位の部屋に8...おうちご飯
令和5年5月27日(土)梯梧の花:海紅豆インド原産のマメ科の落葉高木で、高さ10~15m。樹皮は白色を帯び、枝には太い棘がある。初夏、赤色の5~8cmの大きな蝶形の花を多数、密に総状花序につけ、美しく輝く。最盛期には、木全体が赤く見えるほどになる。沖縄県の県花で、九州から本州中部の暖地に咲く。別名の「海紅豆」はアメリカ梯梧ともいい、ブラジル原産。名古屋港の埠頭公園には、例年より早く真っ赤な梯梧の花が見頃を迎えている。埠頭公園の散策コース(北側駐車場から岸壁まで)の散策路沿いに真っ赤な蝶が樹木に叢るように見える。この公園は草花はなく、ユーカリ、ハンノキ、鈴懸などが青々と茂る中、ひと際目立つ紅の色、、、、、。冬場になると植栽の手入れをされる方達が、枝葉を落とし梯梧は裸木となる。それぞれの枝ぶりが違い、まるでポ...梯梧の花
令和5年5月26日(金)日向水桶や盥(たらい)に水を入れて日中、日向に出して置いて温まった水のこと。洗濯にも使うが、一日の務めや畑仕事等から帰った人たちの汗にまみれた身体を拭くのに適した温度になっている。ひと昔前には、少しお湯を足して行水にも使った。その後、自動で操作出来る「太陽温水器」が発達し、一軒家の屋根の上に設置されたのをよく見かけた。この太陽温水器はよく工夫が凝らされて居り、夏場には可成熱い湯が使え、風呂や炊事、洗濯等に使用されていた。最近ではこれに代わり、「ソーラパネル」を日当たりの良い場所に設置する自家発電装置が普及し始めている。太陽光熱をエネルギー源として、冷暖房・給湯・給電などに利用するシステムである。最初に設置費用はかかるが、数年すれば基が取れ、その後は電気代が節約出来るそうだ。当初、日...日向水
令和5年5月25日(木)玉簾の花:玉すだれヒガンバナ科の多年草。南米ペルー原産で日本へは、明治時代の初期に渡来した。葉は細長く30cm程の濃緑色をしている。夏に高さ30cm程の花茎を出し、その先端に六弁の純白の花を上向きに一つ開く。観賞用草花として庭園に栽培され、地下に鱗茎を付ける。日中に開花して、夜になると閉じる。玉簾の名は、白い小さな花を「玉」、叢生する葉を「簾」に見立てて「玉簾」と名付けられた。別名の「レイン・リリー」(雨百合)がある。まとまった雨の後に一斉に花茎を伸ばし開花することに由来する。葉は細長く濃緑色の棒状で、土の中から直接葉が出る。夏に一本の花茎に対して、花は一つだけ開花する。この花の仲間に桃色の花の咲く「サフランモドキ」が在る。また、「玉すだれ」の名で神戸売られる乾菓子が在るという。粉...玉すだれ
令和5年5月24日(水)未央柳:ビヨウヤナギ、美容柳中国原産、オダギリソウ科の半落葉広葉樹の小低木。日本へは凡そ300年前に渡来した。中国では「金糸桃」と呼ばれている。葉は対生し長楕円形で、一見柳の葉に似る。葉は冬の間でも落葉せずに残り、新葉が出ると同時に古い葉が落ちる。夏、茎頂に大型(5cm程)五弁の深緑色の花を数個開く。よく枝分かれして株立ち状になる。長く伸びた多数の雄蕊は金糸のように美しく、梅雨時に咲く花は人気がある。古くから庭木や公園樹として植えられ、花材としてよく用いられている。花弁はくさび形で、特に長い雄蕊が多数付きよく目立ち、雄蕊の基部は五つの束になっている。果実は円錐形で先端に萼片を残す。今年も地下鉄名古屋港駅前大通りにある花壇に未央柳の黄色の花が咲いていた。五弁の花の中央には、金色に輝く...未央柳
令和5年5月23日(火)未だ五月なぜ暑い夏が暑いのは、昔も今も変わりのないところで「暑さ」は三夏の季語となっているが、暑さを殊に覚えるのは梅雨が明けてからである。ところが、爽やかな五月のはずが暑い、、、、、。中日新聞朝刊より、二十二日、名古屋市や岐阜市などで30度を超える真夏日となった。十七日には岐阜県揖斐川町で35.1度、三重県松阪市で34.5度に達した。共に五月の観測史上で最高記録となった。梅雨入り前、なぜこれほど季節外れの暑さが続くのか、、或る気象学者は「地球温暖化の影響で偏西風の流れが蛇行し、日本列島の北方上では高気圧が押し上がり、偏西風が滞り暖気が居座り暑さが押し寄せた。南の暖気と北の寒気の堺目を吹き流れる偏西風は、暖気と寒気の温度差が大きいとまっすぐに流れるが、最近地球温暖化が進み、北方の寒気...地球温暖化
令和5年5月22日(月)フクシア:ツリウキソウアカバナ科フクシア属の植物、原産地は熱帯アメリカ。部メキシコ、中央アメリカ、アンデス山脈、ブラジル南東などの海岸、山地などに自生する。高さ1m以下で、葉はやや厚く夏に葉腋から長柄を出して、花は下垂して咲く。花の色は白、桃、紅紫など、八重のものも在る。名古屋の東山動植物園では、温室栽培される「フクシア」が見ごろを迎へその花の色、形は多種多様で40種ある。今朝(5月22日)の中日新聞に、「フクシア」の記事が掲載されていたので、引用紹介します。「まるで踊るバレリーナのようだ。衣装のチュチュの如く横に広がるのは萼(ガク)と、花びら色の組み合わせは白とピンク、赤と白、赤と紫とさまざま。そこから雌蕊と雄蕊がスラリとした脚のように伸びている。花の大きさは5~8cmほどで、下...フクシア
令和5年5月21日(日)石楠花:シャクナゲツツジ科の常緑低木、高さ2~4m葉は革質の長楕円形で表面は深緑色で光沢がある。裏面は淡褐色または白色の密毛を生じる。初夏にツツジに似た5~7弁の鐘形の合弁花を多数(10数個)つける。淡紅色の花は大ぶりで群がって美しく咲く。花の色は様々あり、やや紅茶がかった花、濃い紅色、白、紅白のまだら、薄ピンク等と豊富である。花冠は七裂するが、東日本には五裂の「アズマシャクナゲ」が自生する。シャクナゲは庭園などにも多く植えられているが、山中に自生して咲く花は美しく殊に魅力的である。今年は開花が例年より1~10日程早く、既に盛りを過ぎた所も多いようだ。この地域の鶴舞公園、徳川園、白鳥庭園等に多くのシャクナゲがツツジの様に咲き盛る。徳川園、白鳥庭園、東山植物園内に「しゃくなげの森」が...石楠花
令和5年5月20日(土)新緑の中村公園名古屋市の西部に中村公園がある。(現名古屋市中村区)名古屋駅から地下鉄東山線に乗り凡そ15分、「中村公園駅」で下車。地上に出ると右手に巨大で真っ赤な鳥居が出迎えてくれる。鳥居を潜り北へ10分程歩くと、公園入口に石の鳥居を潜ると木陰も多く、都会の喧騒を忘れさせてくれる空間がある。新緑の中村公園。左手の池の畔に秀吉の少年時代、日吉丸とその仲間の像が立ち並ぶ。この地(中村)在住の貧農の子と生まれ育った。幼少期の記録は定かではないが、数多くの伝説、逸話が残されている。瓢箪型の絵馬、像の前を左手(北)奥に進むと豊国神社がある。(明治11年建立)大正10年、この地(中村)が名古屋市に編入されたのを記念して、昭和4年に、真っ赤な大鳥居が作られた。(京都平安神宮の鳥居よりやや高いそう...中村公園
令和5年5月19日(金)病葉:わくらば青葉の季節に、病害虫や風通しの悪さなどから赤や黄色に変色して朽ち落ちる木の葉。病気に侵された葉、色づきすがれた葉をいう。夏、万緑の中で蝕まれて黄色に色づいたり、赤く色づいたりして落下する葉は健全な葉に比べ、確かに病に取り付かれてしまった葉なのだろう。天文11年(1542年)の連歌書「宗養書とめ」の中に見られる発句に、わくら葉をさそひて落ちぬ秋の月とあるがこの句は例外的な作であり、江戸時代に夏の季語として定着した。(俳書には「わくらは」という訓みがある)夏の青々とした葉の中に虫食い等で変色した葉を夏の季語とした。病葉と書いて「わくらば」と読むのかはよく判らない。病葉の「病」を「わくら」とは読まないが、「葉」の字は「ば」と読む。二文字合わせて「わくらば」と読む。1961年...病葉
令和5年5月18日(木)汗拭い:ハンカチーフ、手拭い4汗を拭うための布で昔は手拭いを用いたが、今ではハンカチーフを使用する。手拭い、手拭い、ハンカチ、ハンカチーフは木綿、麻、絹、ガーゼなどの素材が在り、派手な柄や美しい紋様を染め抜いたものや、縫い取りをしたもの等多様である。暑い季節には汗を拭くものが手放せぬが、「汗ふき」はともかく「汗ぬぐい」という言葉は死語に近いものである。汗を拭くのにハンカチは最も一般的なものだが、ハンカチ自体は一年中で使われるもので「季節感」はやや乏しいようである。甲子園で活躍した「ハンカチ王子」は一世を風靡した、、、、。以前、大ヒットを飛ばした「木綿のハンカチーフ」等々、、、ハンカチに纏わる、「流行語」は数多く存在し話題に事欠かない。今年の季節の移り変わりは異常なほど早く、、、、、...汗拭い
令和5年5月17日(水)忍冬の花:スイカズラ、金銀花スイカズラ科の半落葉の蔓性木本、高さ2~3m山野に自生し時に観賞用に栽培され、前株に褐色の細軟毛を密生する。初夏(5,6月頃)、葉腋に細い筒形の芳香のある合弁花、白色又は淡紅色の厚唇形の花を開き、のちに黄色に変わる。花は二裂し、甘い香りを放つ。葉を内側に巻いて冬を過ごす。枝葉が冬も萎れず枯れないので「忍冬」(にんどう)と呼ばれている。10月頃、栗色の腋果(実)を結ぶ。茎や葉を乾したものは漢方生薬の「忍冬」とし、利尿剤や解毒・解熱剤となる。花を乾したものは、吹き出物の洗浄用として利用される。和名の「スイカズラ」は「吸い葛」の意で、細長い花筒の奥に蜜が在り、古くは子供が好んで花の茎の細い方を口に含んで甘い蜜を吸って遊び、この名が付いたといわれる。砂糖の無い頃...忍冬の花
令和5年5月16日(火)旅の日旅を愛する作家や芸術家等に依って結成された「日本旅ペンクラブ」(旅ペン)が1988年(昭和63年)に制定した)旅の日」。1689年(元禄2年)の5月16日(旧暦3月27日)に俳人の松尾芭蕉が江戸を立ち、「奥の細道」へ旅立った日に因んだもの。芭蕉は日光街道を北へ進み、陸奥・出羽・越後・加賀・越後などを彼(芭蕉)にとって未知の国を巡る旅であった。全行程約600里(≒2400km)に及ぶ旅であった。記念日は、忙しい現代社会に於いて忘れがちな「旅心」を大切にし「旅人」とは何かと、あらためて問いなおす事を目的とされる。日本旅のペンクラブは、全国あらゆるジャンルから「旅の大賞」と、「川柳」の入選作品を表彰している。日本旅のペンクラブは昭和37年(1962年)に設立し、作家やジャーナリスト...旅の日
令和5年5月15日(月)潮路句会5月例会日時:令和5年5月13日(土)13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:7名(うち1名、不在投句)兼題:1)聖五月、2)五月富士、3)当季雑詠、聖五月は、晴天の日が多く芍薬が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニック等の好季節となる。薫風に泳ぐ鯉幟も見られ、蠅や蚊でくるようになると、いよいよ夏らしい季節、、、。五月富士は、この頃になると富士山の雪も遠目には見えなくなり、夏めいてくる。然し現在では残雪と岩肌とが対照的である富士山を指す場合もある。知ってはいても、普段は中々使い慣れない季語に戸惑う。さざ波の光りの先に皐月富士玲子潮路抄ひとひらも白を濁さず牡丹散る玲子牧牛の黒光りせる聖五月魚青雲一朶日の出に染まる五月富士魚青紅を引きはにかむ少女聖五月美保子ほったらかしの庭に紫...潮路句会
令和5年5月13日(土)羊蹄の花:ぎしぎしのはなタデ科の多年草で、野原や畔等の湿地や道端などにも群生。茎の高さは、50~100cm程になり、上方で分岐する。葉は20cm前後の長楕円形で幅5~10cmの大型。5~6月頃に節々から淡緑色の小花が多数輪生し、全体で細い円錐状の花穂を出す。花が終わる頃に三綾の瘦果(果実)を結ぶ。茎や葉は蓚酸(しゅうさん)を含み、この強い酸味を除き食用とする。若い芽は水草の「じゅんさい」のように粘りを持ち「丘じゅんさい」とと呼ばれ食用となす。お浸し、和え物や漬物として利用される。根の部分は「しのね」といい、「大黄」に代用品となり、緩下剤として便秘に効能があるといわれる。また生の根を擂り潰して塗ると、皮膚病、オデキ、腫物に効能があるといわれている。公園の雑草が伸び放題ととなり、そろそ...ぎしぎし
令和5年5月12日(金)そら豆:蚕豆、はじき豆マメ科の二年生蔓性の作物。原産地は不詳とされるが、古来より西アジアで栽培、今では世界各地で栽培されている。2~3月頃、直径3cm程の紫色の蝶型の花を咲かせる。その後、長さ」10~30cmもある大きな莢を付け、中に3cm程の平たく親指の先くらい、薄緑色の実が3~4個の豆(種子)が含まれる。莢が空を向くので「天豆」と言い、莢の中にあるソラマメの実が、蚕(カイコ)の繭に似ていることから「蚕豆」という字が充てられた。(酒処では「天豆」表示する所もある。)近年、ハウス栽培など技術が発展して秋の一時期を除いて、一年中食べられるようになった。生のそら豆は「野菜」として扱われるが、豆が莢から出て空気に触れると直ぐに固くなり、「そら豆が美味しいのは3日間だけ」といわれるように、...蚕豆
令和5年5月11日(木)アマリリス:ジャガタラ水仙ヒガンバナ科の多年生球根植物で、地中に鱗茎を形成する。原産は中南米・西インド諸島とされ、18世紀初頭にヨーロッパにもたらされた。日本へは江戸の嘉永年間(1848~1854年)に渡来して、「ジャガタラ水仙」と呼ばれた。長大な線形の葉を叢生し、60~70cmの太い花径の頂部に散形花序をつける。百合に似た大型6弁の花を数個付ける。交配した品種は多く、花の色は赤、白、橙、紅白の絞りなどの様々に在る。温室栽培で冬場にも、鉢植えなどを楽しむことができる。ベランダのアマリリスが、今年も大輪の花を咲かせた。早や10年、当初は冬場になると球根を土に戻して鉢を室内へ移していた。ここ数年は、殆ど手入れもせず冬の間もベランダに放置した儘。それでも毎年、綺麗な大輪の花を咲かせ、我々...アマリリス
令和5年4月28日(金)また、パソコンのトラブルです。年寄りには、この対応が甚だ難しく手間取りました。ブログの更新が出来ませんでした。ヤギ爺パソコントラブル
令和5年4月27日(木)山吹:面影草バラ科の落葉低木、茎は緑色で根本から分かれる。茎は束生し1m以上にもなり、その髄は白く灯心になる。花は一重と八重がある。晩春に五弁の黄色というより黄金色と言いたい花を、木陰等に咲かせる。小判のことを「山吹」という所以である。八重の花の時期は遅く、濃山吹と呼ばれるほどぽってりと美しく、観賞用として庭園等に植えられる。江戸城を築いた武将の太田道灌が鷹狩の途中で雨に遇い、農家で蓑を借りようとしたが、「七重八重花は咲けども山吹のみの(実のと、蓑の掛け詞)一つだになきぞ悲しき」の古歌(後拾遣集・巻十九)の「ななへやへ花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき」をふまえて、娘が山吹を差し出した故事が知られているが、八重山吹、白花山吹以外は実を結ぶ。近年品種改良により、切花に適す...山吹
令和5年4月26日(水)春霖:春の長雨霖雨は長雨のこと。従って春の長雨を「春霖」という。冬から初夏へと季節が移り変わる時の、春の季節には天候がぐずつき雨の日が続くことが多い。梅雨時の前触れと間違われるが、雨季(梅雨)の頃の長雨は暗い感じが在るので区別する。今年の春は例年に比べ何もかもが速く、桜は早々と咲き散り急いだ。4月になると気温が急上昇し、連日各地で夏日(気温25度以上)が報告された。いち早く夏の服装に着替え颯爽と街を歩く人を多く見かけた、、、。それを戒めるようにここ数日雨天が続き、一変して真冬の様な寒さとなった。慌てふためき、仕舞いかけた冬服を引っ張り出して羽織る、、北国などでは暖房器具を使うというニュースまで流れた、、。それにしても凄まじい天候異変に、年寄りのヤギ爺は付いて行けず、鼻水を啜る。外出...春霖
令和5年4月25日(火)山菜をいただく芹(せり)、屈(こごみ)、野蒜(のびる)、虎杖(いたどり)それに蕨(わらび)、と沢山の山菜を頂きました。岐阜県高山市に親戚のあるYさんは、この時節になると山菜採りに出掛けられる。大量の山菜を土産に帰宅し、我々(ご近所も)に届けてくれる。今年は何もかもが速く、、、山菜も十分に育ち過ぎ、蕨や屈等大きなものは50~100cm程の高さにもなり、食用とするには固くなり過ぎ、なるべく食べられる程よい大きさのものを摘んで来たそうである。屈(こごみ)は別名に「草蘇鉄」といわれるように、茎を大きく広げ本当の蘇鉄のようになるという。大きく育ちやがて初夏に白い花を付ける。香りは葱に似た独特の臭気が漂う。「こごみ」とは、先端を巻き込んで屈んでいる様に見える事からその名が在る。晩春に渦巻き状に...山菜をいただく
令和5年4月24日(月)田鼠化して鴽となる「田鼠」とは、モグラの別称「鴽」は、鶉(うずら)に似て斑紋がない。晩春の陽気に影響されて、モグラがウズラになるという意。中国の「呂氏春秋」「礼記」にある。これは実際にはありえない現象であるが、この季節の伸び伸びした生き物の様子を幻想的に表している。七十二候の一つ二十四節気の清明の第二候、4月14日頃。俳人の夏井いつきさんの著書「絶滅寸前季語辞典」の中にこの「田鼠化して鴽になる」が紹介されている。田鼠化して鴽になる晩春・時候、七十二候の一つ【田鼠はモグラのことらしい。鴽はウズラに似た鳥らしい。モグラがウズラになってしまいそうな、麗らかな春の陽気であるよと、中国の某という人が言っていたらしい。七十二候には、この手の〇〇〇が△△△になるという発想のものが沢山ある。が、そ...田鼠化して鴽となる
令和5年4月23日(日)学区クリーンキャンペーン今年、5年ぶりに区政委員に復帰した。3月の始めに学区の代表者から電話が在り「お宅の町内の役員が決まらず困っている。何とかならないか、」と私に打診があった。前任者に聞いてみると「組長16名で何度抽選を繰返しても、、」抽選に当たると、何やかや言い訳をして断られるとの事。ここ数年(コロナ過)、女性の方が三役を引き継いで頑張られたが、私の様に現役引退された方達は拒否され、若い人達は仕事が休めないと、、、最もなお答え、、。隠居の身の私、今年一年を限定してお受けする事となった。お受けしてから1カ月が経った。連日多忙となり、年の所為か、直ぐ物事を忘れ、他の三役や重要な係は全て女性ばかりだが、私が依頼した事は直ぐに熟してくれる。(いずれも現役の務めをされている)私は物忘れが...クリーンキャンペーン
令和5年4月22日(土)アースデイ:国際母なる地球デー1970年(昭和45年)4月22日、アメリカ上院議員のゲイロード・ネルソンは、環境問題について討議を呼びかけ「アースデイ」を提唱した。その活動統括役に選ばれたデニス・ヘイズ(スタンフォード大学院生)は「地球環境に抗議する運動」を呼びかけ、全米各地で2000万人が参加した。以降は10年間に一度しか実施されなかったが、1991年(平成3年)からは毎年開催され、世界各地に広がり様々なイベントを催されるようになった。2009年(平成21年)の国連総会でこの日を、「国際母なる地球デー」に制定し、翌2010年から実施している。「アースデー」を正式に国連の記念日とした。現在世界175カ国、約5億人が参加している。「母なる地球は多くの国と地域で共通の表現であり、それは...アースデイ
令和5年4月21日(金)花水木:アメリカ山法師野生の山法師と同じ、ミズキ科の落葉小高木大正の始め頃、アメリカから伝来したので「アメリカ山法師」といわれる。葉の開く前4月末頃に満開となるが、今年はこの花も既に満開。花色は白と淡い紅色がある。外側の花びらに見える4枚は総苞、中央のこの部分が花序、先端がへこんでいる点、日本の山野に自生する山法師と異なる。街路樹として人気が在り、大通りに沿う街路樹は数多くある。名古屋市内の昭和区、千種区のメーンストリートは白、薄紅の花水木が既に満開、、見頃を迎えた。一方、「ミズキノハナ」は日本の山野に自生するミズキ科の落葉低木、高さは10~15mにもなる。葉は広楕形で、5,6月頃に白色4弁ののどちらかといえば、地味な小花を散房状に密生して咲かせる。成長が早く、樹姿はゆったりとして...花水木
令和5年4月20日(木)草取り:草むしり、除草今日の気温は26度の夏日です。何もかもが早い今年、、、夏は雑草の力が強く直ぐ生え茂ってしまうので、常に注意をし度々、除草をしなければならない。酷く伸びた雑草の抜き取りは大変な作業である。田や畑の耕地はもちろんの事、道路や庭、公園などの除草作業も欠かせない。涼しい朝のうちに草取りをする事は多いが、近年では除草剤の出現によって、作業の大部分が様々に変わってきている。殊に草刈り機を使用するようになり、少人数でも速く済ませるようになった。私達の町内では「公園愛護会」を結成して、毎年春先から初秋までは「草取り」、晩秋から冬の間は「枯葉・枯草の除去」をし、公園内の清掃を行っている。一時期、夏場の雑草の生い茂る間を「草刈り機」を扱える人が居り、とても重宝していたが、高齢に伴...公園の草取り
令和5年4月19日(水)松の芯:若緑、緑立つ松はマツ科マツ属の常緑針葉高木の総称。北半球温帯を中心に約100種」が分布する。葉は針状で2~3枚または5枚、雌雄同株、花は春に咲き雄花は毬状で新芽の頂に生じ、雄花は新芽の下部に穂状に密生する。球果はいわゆる「まつかさ」(松ぼっくり)。「若緑」とは、晩春に松の枝から出る松の新芽の事をいう。細長い緑の芽が10cm以上にも伸びて、真直ぐに天を指している様子はいかにもすくすくと旺盛な感じがし、明るく勢いがあり松の若葉のこともいう。「緑立つ」とは、春になって木々の新芽が出ることだが、多くは松の新芽のことをいう。白鳥庭園、吟行に出掛けた折り、大きな境内を持つ無住寺に出遇った。寺は手入れがなされず荒れ放題である、、、それでも木々の緑は逞しく、そんな中で一際大きく天に向い松の...松の芯
令和5年4月18日(火)紫荊:はなずおう中国原産のマメ科の落葉低木、高さ2~5m。中国中部から南東部、朝鮮半島、台湾など広く分布する。日本へは江戸時代に伝来した。「紫荊」(はなずおう)は、花の色が「蘇枋染め」の色に似ていることからこの名が付いた。4月下旬、葉に先立って枝の節々に紅紫色で小型の蝶形の花が咲く。白い花「シロハナズオウ」も在るようだ。花には花柄がなく直接、密生して1cm程の花が枝につく。花弁は、左右の2枚が翼弁、うえ中央部が旗弁、龍骨弁と呼龍骨弁の中には雄蕊が6個、雌蕊が1個ある。葉は円状心臓(ハート)形で光沢がある。花が終わると9月頃に長楕円形の莢(実)を結ぶ。一般家庭では余り見かけないが、鶴舞公園、平針農業センター、何故か東山植物園の温室で「紫荊」を見つけた。鶴舞公園、東山植物園、紅紫色の綺...紫荊
令和5年4月17日(月)新緑:緑さす初夏の若葉の爽やかな緑、瑞々しく色鮮やかな緑をいう。木によってその緑色は様々な色調を持っている。時が経つにつれ、それはほぼ同じ深い緑色に変わっていく。そうなる前の文字通り、新しい緑を指す。紅葉の季節が移ろい、冬枯れていた木々が芽吹いていよいよ鮮やかな緑色の葉を茂らせている。明るい緑が物に映える様を「緑さす」という。また緑色の樹木や草、殊に新緑の頃は「緑の季節」ともいう。常緑樹でも新緑となり、落葉樹の新緑となるのはそれより約1カ月程遅れて迎える。お茶の葉は5月の始め(八十八夜)頃に新芽が出る。また春先に、新緑が山の麓から頂へ駆けあがっていく様子を「新緑の峰走り」というそうだ。今年は草木の何もかもが早く、季節の移ろいは目まぐるしい。紅葉、積雪、冬枯れ、芽吹く、緑が少しずつ増...新緑
パソコンで、gooブログ接続時にDアカウント連携画面が現れ、接続不良。接続する出来る場合、他のブログに「いいね」を押すと、画面がフリーズし、ブログ出来ない等のトラブル続きです。暫く、ブログをお休みします。申し訳ありません。ヤギ爺パソコンのトラブル2
令和5年4月15日(土)本日(4月15日)、パソコンのトラブルにつきブログへの投稿が出来ませんでした。誠に申し訳ありませんヤギ爺パソコン、トラブル
令和5年5月14日(金)小粉団の花:こでまり、小手毬中国原産のバラ科の落葉低木。高さ1~2m4月末頃から白色五弁の小花を半球状に集合してつける。この形が毬(まり)に似ていることから、その名が付いた。また、鈴を掛けたようにも見えることから鈴懸ともいう。但し「鈴懸ノ木」とは名前が同じであるが、別種である。こでまりの葉は広披針状の鋸歯を有し、互生する。落葉性で耐寒性が強く、初心者でも育てやすい。一株から細かく枝が岐れて、白い花が毬状に集まって咲き、とても愛らしく感じられる花で、庭先などにも植えチョッと切って活けられるような、日常の何処にでもある花。ご近所の彼方此方の庭先に、よく見かける花である。どの花にも付く、害虫のあぶらむしが付き易いといわれる。また、「うどんこ病」といって、白いカビが生えるので風通しの良い場...小手毬の花
令和5年4月13日(木)蜆:しじみシジミ科の二枚貝で淡水に生息する真蜆、汽水域(海水の混じる河口付近)に棲む大和蜆、琵琶湖水系に棲む瀬田蜆、奄美諸島の以南に棲むヒルギ蜆貝などがある。島根県の宍道湖産の大和蜆は殊に有名で美味とされる。蜆の大きさは3~4cm程。真蜆は胎生で、他のものは卵生。殻の表面はオリーブ色または黒色で輪脈があり、内側は紫色を帯びている。シジミ汁、味噌汁の具として食する。また、むき身をおつまみにした酒の肴向ものが市販されている。ご近所の方から蜆をいただいた。友人らと採って来たと仰るがどれもとても小粒で、大きくても1cm程、夕餉の味噌汁にして頂いたが歯にもかからず、諦めて、味噌汁だけを啜った。カミさんは一個ずつ手で、実を取り出していたが、、、、、年に数度、スーパー等の店頭で蜆を見つけると、カ...蜆しじみ
令和5年4月12日(水)黄砂:霾(つちふる)春になりモンゴルや中国地方で強風のために噴き上げられた多量の砂塵が、偏西風に乗って日本へ飛来する現象をいう。メカニズム、気象用語で「黄砂」といい、3~5月頃に多く見られる。空がどんよりと黄色っぽくなって、太陽は正気を失い視界は著しく損なわれ、その状態を「霾晦」(よなぐもり)という。大正の末期頃から詠まれ出した季語といわれている。モンゴル、中国・北京、中国の北京市内では、「マスクを着用していても呼吸困難」と、道行く人のインタビューが流れる、、、、、、。ソウル市内では12日、黄砂危機警報が「注意」に引き上げられた。市街から離れた場所からソウル市内は霞んでいる。霞む、ソウル市内今日(4月12日)の午後に福岡県内で。今年初めて黄砂が観測された。他の地域では今夜から明日に...黄砂
令和5年4月11日(火)仔猫:猫の子猫の子は四季を通して生まれるが、春が最も多いことから春の季語となっている。繁殖期は未定であるが1~3月、5~6月頃に多く見られる。2ヵ月の妊娠期間を経て出産する。一度に産まれる数は4~6匹が普通といわれ、生後10日程で目がひらく。3週間ほどで巣穴から出て遊びまわる様になり、約8週間で離乳し、4カ月程で独り立ちするといわれる。子を孕んで物憂げな親猫、出生してまだ目のあかぬ仔猫、離乳して遊び始めた頃の仔猫など、いずれも可愛いものである。殊に仔猫が可愛く遊び心、好奇心が旺盛で互いにじゃれ合ったり、手毬などに戯れて飽く事を知らない仔猫、、、、、。身近に鑑賞できる事から、ペットの主役として人気NO,1の位置を占める愛玩動物となった。然しながら、ここ数年のコロナ過の中でペットショッ...仔猫
令和5年4月10日(月)躑躅:羊躑躅、蓮華躑躅ツツジ科ツツジ属(シャクナゲは除く)の常緑、又は落葉低木の総称。山野に自生する種類は多い。園芸品種を加えると更に多くなる。小枝を多く分岐し、枝・葉には細網がある。様々な色の大型の合弁花を単立または散形花序に開く。花の色は様々で、晩春から初夏にかけて白、紅、朱、紫などの花が次々に開花する。その花の美しさは人々の目を楽しませる。「羊躑躅」(もちつつじ)は、蓮華躑躅の漢名に由来する異称。「ねばつつじ」とも呼ばれ、腺毛が在ってネバネバするという。「八塩躑躅」は、幾度も染料に浸けて濃く、美しく染め上げたような花の色から付けられた名である。このように色とりどりに様々な種類のある躑躅は、暮春を代表する花といえようか、、、。今日は新一年生達が、上級生らに加わり始めて町内の分団...躑躅
令和5年4月9日潮路句会4月例会日時:令和5年4月8日(土)13時~場所:大手コミュニテイ・センター参加者:8名(うち、1名不在投句)兼題:1)花、2)風光る、3)当季雑詠暫く会を離れ、ネット俳句をされていた方(男)が復帰された。やはり、句会に参加した方が多くの意見を直接聞けるので、、、との事。何気ない温かみのある、生のおしゃべりも必要かも。まだ一人リハビリ中の方は、毎回投句を郵送されています。応援しつつ、我々も励みなる頑張りをされています。木漏れ日の移りてをりし著莪の花玲子潮路抄仰ぎ見る人を眩しめ揚雲雀玲子眩しさに句帳を翳す花の下魚青風なくば手持無沙汰の糸柳美保子春塵を立てる韋駄天三塁打千里松籟の古城守りて風光る輝子穏やかな光を放つ春の海政子風清か満天星の咲き揃ふ露地美智子徒然の人それぞれに桜満つヤギ爺潮路句会