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遊民ヤギ爺 https://blog.goo.ne.jp/yagi1854

俳句と映画のゆうゆう散歩

暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。

遊民ヤギ爺
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2015/07/05

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  • 東谷山フルーツパーク

    令和5年1月31日(火)東谷山フルーツパーク名古屋市の東北端部の守山区上志段味に在る、市内で一番高いとされる「東谷山」(198m)の麓に、緑あふれる環境を活かした農業施設」(果樹園)が昭和55年(1980年)の4月に開園した。17種類の果樹園に凡そ1000本の果樹を栽培する。更に、「世界の熱帯果樹温室」には熱帯・亜熱帯地方の果樹を観察できる施設となっている。此処は枝垂れ桜の名所で、シーズン(4月~)には大勢の人達が桜を見に来る場所である。最寄りの交通機関は、名古屋市営バス(藤が丘12志段味巡回)がフルーツパーク入口迄、他にJR中央本線高蔵寺駅からバスが巡回している。果樹園に入ると、メーン道路の両側に枝垂れ桜の並木が在るが冬木立(裸木)が風に揺れている、、吟行、、、寒肥、暫く進むと梅林が見えるが、此処では紅...東谷山フルーツパーク

  • 令和5年1月30日(月)葱:根深、ひともじユリ科の多年性野菜、中国・中央アジア原産独特の香りと辛味があり、日本料理に欠かせない野菜の一つ。中空で細長い緑の葉と、多数の葉鞘(ようしょう)が重なった白い部分を食べる。一般的に関東では「根深」と称し、葉鞘の部分を地中に深く作り、関西では「葉葱」と称して葉の部分を長く作る。葱は年中収穫出来るが、旬は冬である。「日本書紀」の仁賢紀に「秋葱」の名で記されて居り、女房ことばでは「ひともじ」とも呼ばれる。品種や呼び名は各地で多く在るが、代表されるものに、関東では群馬県の太く白いねぎ「下仁田ネギ」は甘味がある。関西では葉鞘の長い京都の「九条ネギ」が有名である。葱は、様々に調理して食べられる先ずは刻んで饂飩や蕎麦の薬味、湯豆腐、冷奴、其のまま葱焼、湯豆腐、冷奴、ネギ焼き、うど...葱

  • 春を待つ

    令和5年1月29日(日)春を待つ:待春寒さも峠を越し、近ずく春を心待ちにすること。わけても暗くて鬱陶しい冬を耐えてきた雪国の人々の春を待つ気持ちには切実なもので、冬の最中に春を待っている心である。住む風土によりその心持ちには強弱や濃淡の差があり、雪深い寒風の吹きすさぶ土地の人々は切実であろう。気象条件に恵まれた土地の人々もそれなりに春を待つ心はある。この時期になると流れ来る童謡「春よ来い」は、そんな思いをこめた心に残る歌、、、、。シンガーソングライターとして、また作詞作曲も手掛けられる合田道人さんの著書:「童謡の風景」の中に、「春よ来い」の解説がある。【春よ来い、みいちゃんに親近感。心温もる童謡だ。本当に早く暖かい「春よ来い」と思わずにいられなくなる。「じょじょ」(草履)、「おんも」(外)、「はよ」(早く...春を待つ

  • 一丁潜り

    令和5年1月28日(土)鳰:一丁潜り、息長鳥、鳰(カイツブリ)はカイツブリ科の水鳥、≒全長26cm趾(足、くるぶしより下の部分)には膜が付いて居り、水掻きの役目を果たす。巧みに泳ぎ、水中に潜って魚を獲る。最長で25秒もの間潜ることが出来「息長鳥」の異称がある。また、潜った所からかなり離れた場所に浮上「一丁潜り」とか「八丁潜り」などの異称もある。一年を通して湖沼や川で見られるが、辺りが枯れ果てた場所に目立つ水鳥で、「冬鳥」(冬の季語)となっている。名古屋では鶴舞公園や白鳥庭園等の池に多く見られるが、冬枯の庭園に人気のある水鳥で、暫し吟行を忘れ眺め居る、、、、。鶴舞公園胡蝶ヶ池なるほど潜ると一瞬に水面から消え、見当たらずとんでもない方向から顔を出す。群れは繰り返し水面を賑わしている。俳人夏井いつきさんの著書「...一丁潜り

  • 冬 芽

    令和5年1月27日(金)冬芽:冬木の芽春になり青々と萌え出す芽じゃ、たいてい秋のうちに出来て寒さに耐えられるように、固い鱗片に覆われて休眠越冬する。これを「冬芽」、「冬木の芽」という。常緑樹にもあるが、落葉樹の葉が落ち尽した枝の冬芽は、殊に目立つ。冬の温かい日に木の芽が萌え出しているのを見つけると、心が和みやがて来る春の訪れが待ち遠しい。寒波が去り一時の晴間を見て、名古屋港へ散策に出る。今朝はあまり風もなく穏やかで、散歩日和、、、、かと思いきや、埠頭公園の辺りはさすがに海に近く、時折の風に常緑樹の葉が大きく揺れ、寒さを感じる。枯芝の上には枯葉や小枝が散乱している。落葉樹は多く、裸木の枝から色々な芽が顔を出す。小楢の芽、辛夷の芽、橡の芽、捧の芽、木蓮、「小楢」(こなら)、「辛夷」(こびし)、「橡」(とち)、...冬芽

  • 大須観音

    令和5年1月1月26日(木)大須観音:北野山真福寺宝生院建久2年(1190年~)、尾張国中島郡大須(現、岐阜県羽島市)に建立された。慶長17年(1612年)、徳川家康の命により犬山城主の成瀬正成が、宝生院、真福寺と共に現在地(名古屋市大須)に移転した。文化2年(1855年)に五重塔建立、空海が彫った愛染明王像が五重塔に納められた。明治25年(1892年)、大火で本堂、五重塔等が消失した。その後も昭和20年、太平洋戦争中に2度目の消失。昭和45年(1970年)に再建され現在に至っている。大須観音は戦前・戦後ともに大須の街のシンボルとなっている。大須観音の境内に、「芭蕉句碑」がある。いささらは雪みにころふ所まで芭蕉芭蕉は貞享4年(1687年)に再度訪れて際、12月3日に原町の「書林風月堂」に於いて、俳諧を催し...大須観音

  • 寒波襲来

    令和5年1月25日(水)寒波:冬一番北極圏やシベリアに発生した著しく冷温な寒気団が、日本付近の低緯度地方に南下流出して急激に気温の低下を引き起こし、厳しい寒さになる現象をいう。その襲い方が波の押し寄せるのに似て周期的、波状的であることから「寒波」と呼ぶ。寒波が来ると一日で気温が5度から10度以上急激に下がる事があり、その冬初めての寒波を「冬一番」と呼ぶ事もある。昨日からこの冬一番の強い寒気が流れ込み、全国的に冷え込みが強まった。全国で最も冷え込んだのは北海道の陸別、ー30℃で、25日朝6時に全国913地点のうち、506地点で今期最低気温を記録した。全国主要都市の今朝最低気温は、札幌でー12・8℃、仙台でー7・5℃、東京で-2・9℃、名古屋で-3・8℃、大阪でー2・0℃、福岡でー2・5℃となっている。名古屋...寒波襲来

  • 四家道(しけみち)

    令和5年1月24日(火)四家道:しけみち慶長15年(1610年)、「清洲超え」といって清洲の町から名古屋の地へ町ぐるみ移転し、名古屋の北部に築城をした。元禄13年(1700年)に大火が在り、町が消滅。四家道由来、その後に街並み保全(防火)と商業活動のため、道路の幅を4間(約7m)に広げた。その後にこの四家道の名が付いた。四家道の東側には石垣の上に土蔵を建て(堀川沿い)集荷場に。道路を挟み反対側(西側)には商家が立ち並んだ。堀川荷を揚げ、石畳・屋根神様・子守地蔵等を祀り、城下町を作り上げた。(名古屋市は昭和61年、町並保存地区に指定)此処から名古屋城へは、真直ぐ北へ約1kmの場所にある。私の生れた家は名古屋城から西へ約1km、「押切町」に在る。子供の頃には四家道に隣接する「円頓寺商店街」へよく出かけ、映画を...四家道(しけみち)

  • 冬牡丹

    令和5年1月23日(月)冬牡丹:寒牡丹牡丹は、ボタン科の落葉低木で中国原産(中国の国花)日本へは7,8世紀頃に遣唐使や空海が伝来したと云われる。古くから観賞用、薬用として栽培されている。樹高は1m程。本来は春(4~5月頃)に咲く花だが、花期を遅らせて厳冬に花を咲かせる。厳しい冬の寒さに咲くので、藁苞(藁を編んで作った苞で包むもの)を周囲にかけ、根元に藁を敷いて労わってやる。南面が開けてあり、陽光を取り込む工夫がされている。寒気にめげず咲く冬の牡丹は、健気で美しい。花の大きさは20cm程の、二期咲き性の牡丹を変種。冬牡丹と寒牡丹の違いは、冬牡丹は、元々春に咲く品種を、春、冬(1,2月)に開花するように品種改良した。茎は青々と芳しく葉っぱも多い。寿命は1年で、2度咲くことはない。人工的に栽培される。寒牡丹は、...冬牡丹

  • 侘 助

    令和5年1月22日(日)侘助:唐椿徳川園を訪れる黒門に入り、直ぐ右手奥「虎の尾」の方へ進む。白い小さな花がひっそりと咲いている。数寄屋侘助というそうだ。暫く虎の尾から右手の塀沿いの寒々とした苑を進むと、大曾根の滝に出る(人口の滝)此処から左手に折れると、「四眠庵」の辺りに薄い紅色の花を見つけた。(後で調べ、太郎冠者という侘助と判明)冬枯れの苑は、花も少なく人も疎ら、、、寒椿や山茶花など、何れも侘助同様に椿に似た花が時折顔をみせる。侘助は、ツバキ科の落葉低木で花は一重の半開きで小さい。白侘助、紅侘助、有楽椿(太郎冠者)等がある。開花期は、白侘助が11~3月、紅侘助が2~4月頃。中国系の「椿」の交配種と言われ、「唐椿」ともいわれる。侘助は花の数も乏しく、葉も細く如何にも控えめの茶人好みの花として珍重される所為...侘助

  • 襟 巻

    令和5年1月21日(土)襟巻:マフラー、首巻寒さを防ぐ為に首に巻くものであるから「首巻」ともいう。現代では「マフラー」という語の方が一般的である。毛織物、絹、毛糸で編んだものや毛皮で作られる物もある。男女共に色や素材をファッションとして楽しむ。一時的に、手編みの初歩の教材としてマフラーが選ばれて女性から男性への贈り物とし、手作りのマフラーがブームとなったこともあった。最近では英語の「SCARF」(スカーフ)と呼ぶ事が多い。元来スカーフは、軍服の飾帯から大きく意味が広まった。日本でスカーフといえば、婦人が頭等を覆う正方形の布を指すが、英語では頭を覆う正方形の布「HEAD・SCARF」(ヘッドスカーフ)といい、区別されている。日本での襟巻は江戸時代に隠居がするもので、若者の着用は病人に限られていた。第二次世界...襟巻

  • 大 寒

    令和5年1月20日(金)大寒二十四節気の一つ、太陽の黄経が300度に達する時。陰暦の十二月の節で、陽暦の1月20日頃にあたる。文字通り一年中で寒さが最も厳しい時期で、北日本では雪でさえ凍り付く日々が続く。三味音曲の芸事をはじめ、寒稽古の真っ盛りで柔道・剣道・弓道・空手など武道の道場などは海水に浸かって心身を鍛錬するところも在るようだ。大寒が終りを告げる頃には、暖かい地方では「梅の便り」も、ぼつぼつ届き始める。江戸時代の末期、常陸国五代藩主の松平頼政(隠居後は太玄斎と名乗る)は、「暦便覧」を書き残した。これは現代の「二十四節気」を体系づけるものである。この中に「大寒」を「冷ゆることの至りて甚だしきとなれば也」と、寒さが最も厳しくなる頃と表現している。気象庁等の観測データによれば、大寒の意味するところを概ね的...大寒

  • 歌会始め

    令和5年1月19日(木)歌会始の儀1月18日、皇居宮殿「松の間」で新春恒例歌会始の儀が行われた。宮中で行われる年始の歌会で、新年の儀式として「お題」による短歌詠進される。毎年一月に行われる様になったのは、明治2年(1869)以降で、天皇・皇后両陛下他の皇室方が臨席される。先ず国民の詠進歌(一般公募)が披講され、次いで選者と、召人と続き、皇族方の御歌が披講された後、皇后陛下の御歌が朗読された。最後に参加者全員が起立する中で天皇陛下の御歌がゆったり、優雅に2回繰り返し朗読された。一般の歌、山梨県:小宮山碧生さん友の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせない東京都:吉田直子さんみづいろの絵の具ばかりを借りにきた友の見てゐた空を知りたい京都府:丹羽沙矢香さん友といふ言葉を知らぬ一歳が泣いてゐる子の頭を撫でる...歌会始め

  • 息白し

    令和5年1月18日(水)息白し:白息冬の朝、一歩外に出た時に吐く息が白く見えることがある。道行く人々の息が白く豊かに靡いて見えると、いよいよ寒くなったことを実感するものである。冬は空気が冷たいので吐く息が白く見え、気温や天候に依ってハッキリ見える時と、そうでない時がある。人間の息に限らず、犬や馬の息にもみられる現象である。ばんえい競馬厳しい寒気の中で息づいている、豊かな体温を持った存在であることが、改めて確かめられる折りでもある。最近では「息白」という使いかたも見られるが、元来は大気が冷えて息が急速に細かい水滴となって息が白く見える現象そのものを表した季語なので、音韻上便利であっても使う時は慎重でありたい。「青息吐息」という言葉があるが、白息というと初めから備わっている性質を表すようで「息白し」という表現...息白し

  • おむすびの日

    令和5年1月17日(火)おむすびの日1995年(平成7年)1月」17日に発生した阪神淡路大震災で、被災地に「おむすび」が届けられた。温かい心の象徴として記念日とした。込めの重要性と炊き出しボランティアの善意を広める運動は、ご飯のおむすびだけでなく人と人との心を結ぶ「おむすびの日」をアピールしている。一般社団法人「日本記念日協会」により認定・登録された。この「おむすび」は、「おにぎり」「握り飯」等とも呼ばれる。「おにぎり」「おむすび」の違いについては諸説あるが、主に西日本では「おにぎり」、東日本では「おむすび」と呼ばれる。三角おにぎり、丸むすび、俵、丸、三角、(呼び名は地方により様々にあるようである。)2013年の調査によると、日本全国で「おにぎり」と呼ぶ人は89%、「おむすび」と呼ぶ人は10%といわれる。...おむすびの日

  • 寒晒し

    令和5年1月16日(月)寒晒:寒曝かんさらし米などの穀類、馬鈴薯などを粉にして寒中の水に幾度も浸け、さらに寒気に晒すことをいう。また、それに依って精製された粉末のこと。糯米を石臼で挽き、寒の水で洗い、数日水に晒した後で布の袋に入れ絞って水分を取り去り、木箱や筵に広げて天日に乾したものが「白玉粉」である。白玉粉そのものを「寒晒」「寒晒粉」と呼ぶこともある。寒の水で晒したものは余分な脂肪が流れ、きめの細かい上質な粉となる。白玉粉は菓子の原料などとなる。現代ではほぼ全行程が機械科されたが、季節感は残る。和紙の産地として知られている岐阜県美濃市の板取川で、和紙の原料の「楮」(こうぞ)を川の水に晒して漂白する「寒さらし」が行われた。中日新聞より、冷たい川の水で洗われ白さを増した楮の白皮は、細かく砕いて溶かし和紙の原...寒晒し

  • 潮路初句会

    令和5年1月15日潮路初句会日時:令和5年1月14日、13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:6名(欠席3名)兼題:1)初御空、2)弓始、3)当季雑詠新年の初句会は例年、食事会を行い後に句会を行っていたが新型コロナウイルス感染予防のため食事会中止(3年連続)、句会のみ行った。主宰の玲子先生より挨拶、「皆様、明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願いいたします。この潮路句会は昭和27年に始まり、今年は70年目になります。残念ながらコロナの影響や参加者の高齢化に伴い、参加者が少なくなりました。本日は6名の出席です。月例会の他、毎月在る吟行、コミュニテイ・センター主催の文化祭への参加等、皆さんの協力に感謝して居ります。幸いにも潮路句会のメンバーは明るく、優しくて毎回出席するのが楽しいと参加者から報...潮路初句会

  • 龍の玉

    令和5年1月14日(土)龍の玉:龍の髭の実ユリ科の常緑多年草「龍の髭」の実をいう。龍の髭は平地や林の陰地に自生し、民家の庭等にも見られる。群生して葉は暗緑色で長さ20~30cm幅2mmの線形。初夏に葉の間から花茎を出して、淡紫色の小花を総状に咲かせる。花が終わると直径7mm位の果実を付け、冬場になると濃い瑠璃色の球形の実は美しく宝石の様な光沢が在る。よく目立ち硬くて弾むので、子供達は弾み玉と言って遊んだ。そろそろ松の内も明け、正月気分も抜けて平常が戻る。まだまだ寒さは厳しく、道行く人達は防寒着で確り着ぶくれている。港で落語会が行われると訪れる寺の門前から庭を覗き見る。境内の奥、籬の傍に手水場があり、青々とした葉(龍の髭)が、時折の風に揺らいでいる。境内に入り葉の間を、、、、葉をかき分けて中を覗き見る。アッ...龍の玉

  • 読書始

    令和5年1月13日(金)読書始:講書始の儀新年に初めて読書を行うこと。柳亭種彦の書「用捨箱」に、「昔は正月吉書の次に冊子の読初として、女子は文正草子を読みしとなり」とある様に読初の慣習があった。読初は朗々と音読するもので、男子は漢籍を読み上げた。然し現在では音読の習慣はなく、座右受読の書を初めて繙くことを読初めという。貞観2年(860年)、大学寮の博士・春日朝臣雄継が、清和天皇に「孝経」(孔子が門人に述べた孝道の記録)を講説したのが始まりで、宮中での「講書始」として行われるようになった。これが「読書始」の前身とされ、武家社会にも取り入れられた。本日(1月13日)、天皇・皇后(体調不良のため欠席)秋篠宮ご夫妻等の皇族方が出席され、皇居宮殿「松の間」で、「講書始の儀」が行われた。西洋近世史学専門の深沢克己東京...読書始

  • 寒木瓜

    令和5年1月12日(木)寒木瓜:冬木瓜木瓜(ぼけ)はバラ科の中国原産の落葉低木。高さ1~2m。枝には棘があり、葉は長楕円形。普通は春の陽光の下に色鮮やかな花をさかせるが、これを冬季に咲かせる様にしたのを「寒木瓜」、「冬木瓜」という。特別に寒木瓜という種類が在るわけではない。寒中の色の少ない時期に、色鮮やかなはなとして珍重されている。朱色、白色、色は朱色、紅、濃紅、淡紅,白色に、紅白の混じった「更紗木瓜」は殊に優美である。冬枯れの庭園に色鮮やかな寒木瓜は、思わず目を奪われる。この花を見つけると、やがて来る春の訪れはもう直ぐだと、知らせてくれるようだ、、、、。徳川園の寒木瓜、名古屋では徳川園や白鳥庭園等へこの時期に吟行で訪れるが、この花に出会うとホットして、、、暫しこの場を離れ難い、、、。私自身、この木瓜とい...寒木瓜

  • 鏡開き

    令和5年1月11日(水)鏡開き:鏡割りお正月に飾っておいた鏡餅を下げ、雑煮やお汁粉として振る舞われる行事。関東は1月11日、関西では1月15日が多い。昔は全国的に松の内は15日迄で、20日に行っていた。然し、徳川家三代将軍の家光が4月20日に亡くなった事に依り、月命日となる20日は避け、代わりに11日に鏡開きを行った。鏡開きは、武家の男子は「具足」に供え、女子には「鏡台」に供えた鏡餅を割ったものである。武家社会では「具足開き」とも云った。鏡開きにはルール(決まり)があり、鏡餅には神様が宿るとされて居り、刃物を使うことは縁起が悪い事とされ硬くなった餅を割るのは大変で、木槌を使って処理した。一年の無病息災を願い家族で食べる慣わしとなっている。近年では鏡開きを行う家庭は少なくなり、空手や柔道等の道場で鏡開きを行...鏡開き

  • 北 風

    令和5年1月10日(火)北風:朔風北または北西の方角から吹く風のこと。冬の季節風をいう。大陸の冷たい高気圧から、日本の東海上の低気圧に向けて風が吹き込んでくるもので、強くて寒い気温をもたらす。※「朔」は、北の方向をさす。朔風→北風。江戸中期の方言辞書「物類称呼」に、畿内及び中国の言葉として「土用(六月)中の北風を土用あいといふ」とか、「八月の風をあおぎたといふ」とある。このことからすれば、北風の受容は必ずしも冬とは限らないが、「天気予報ことわざ辞典」(大後美保編)には、「冬、北風つのれば雪となる」とか、「北風つのれば山間部は雪となる」ともある。暮らしの中の気象に拘わることわざの中で、北風が著しい特徴を持っていると判れば、この風を冬の季語として然るべきであろう。ところがこれほどの風にも関わらず「凩」の句で有...北風

  • 成人式

    令和5年1月9日(月)成人式一月第月曜日、戦後に国民の祝日として制定され、1月15日だったが、平成10年(1998年)に成立した「改正祝日法」(通称ハッピーマンデイ法、連休を増やすために成人の日と、体育の日をそれぞれ1月、10月の第2月曜日に変更)により平成12年から施工された。今年は1月9日となった。満20歳になった成人男女を祝福し、各地で成人に対する祝典が催される。故郷で誓う、20歳の飛躍(中日新聞より)成人を祝う儀礼は古くから在り、男子は元服・褌祝、女子には裳着・結髪等の儀式が在った。日本での今日の成人式の形態は、第二次大戦敗退後の昭和21年(1946年)11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現蕨市)に於いて実施の「青年祭」がルーツとされる。その後、名古屋市や宮崎県などが我町が発祥の地と名乗る。宮崎県東...成人式

  • 蠟 梅

    令和5年1月8日(日)蠟梅:唐梅ロウバイ科の落葉低木、中国原産。高さ2~5m葉は卵形で対生する。花期は12月~2月頃。葉が出る前に香りの高い小さな黄色の花が、数個ずつ集まって咲く。「蠟月」は陰暦12月の異称で、その蠟月に咲く梅という意味から蠟梅という説もあるが、梅とは別の品種である。中国名の「蝋梅」(ラーメイ)を日本語の読みにしたもの。花弁は黄色で薄く臘を引いたような光沢があり、此処から蠟梅という説もある。中国原産の木で「唐梅」とも呼ばれている。雪の降る庭などでその芳香が漂って居て、この花に気付いたりすると嬉しくなる。花は少し俯き加減に咲き、花の中心は暗紫色をしている。花は俯き加減に咲き、和蠟梅ともいわれている。これに対し「素芯蠟梅」(そしんろうばい)は、花の中心まで花全体が黄色になる。ご近所の庭先の蠟梅...蠟梅

  • 七草粥

    令和5年1月7日(土)七草:七草粥正月七日、七種類の若葉を粥に炊き込んで食べ祝う行事七草は、普通は芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)といわれているが、地方により或いは時代に依って入れる菜が異なる。雪深い中で正月を迎える地方では自ずから他の物を代用することは当然であろう。七種の由来は、中国の「荊楚歳時記」(けいそさいじき)に依ると、「七草の菜を以て羹(あつもの、煮物の事)造る」と在る。これが日本の七草粥の起源とされている。宮廷の貴族たちは正月七日に、七種類の若葉を羹にして食べると邪気を払い、万病に掛からないと考えられ朝粥に入れ食べた。江戸時代になるとこの風習が庶民の間に広く普及し、これを俎板に乗せ、上で叩きながら刻んだ。粥に七種...七草粥

  • 小 寒

    令和5年1月6日(金)小寒:寒の入二十四節気の一つ、当時のあとの15日目で太陽の黄経が285度に達する。陰暦12月の節で、陽暦の今年は1月6日が小寒の日です。この後大寒(1月20日)へと続き、寒さが一段と厳しくなる頃。武芸や芸事等の寒稽古が始まるのもこの頃である。「寒の入」は、この日から節分まで約30日間を「寒の内」といい本格的な寒さがやって来る。全国各地では「寒稽古」が始まった。この地方の愛知県弥富市に在る空手道場の、100名余りが木曽川河川敷に集まり、「型」や「試し割」(木の板を割る)を披露。寒さに震え時折、焚火で暖を取っていた、、、。また、福井県小浜の海岸には空手道場に所属する人達が、雪こそないが、氷点下の寒風すさぶ中寒稽古を行った。京都府舞鶴、愛媛県今治などの全国各地で行われた。剣道も、各学校や道...小寒

  • 初えびす

    令和5年1月5日(木)初戎:五日戎初戎は新年となって最初の戎祭りである。九日を宵戎、十日を本戎、十一日を残り戎という。恵比須神は福の神、商売繁盛の神様として信仰を集め、大阪の今宮戎神社、京都の恵美寿神社、兵庫県西宮市の西えびす神社等、関西の十日戎が殊に有名である。沿道の露店には小笹に縁起物を吊るした福笹(戎笹)を「吉兆、吉兆」の声で売られる。熱田、上知我麻神社、名古屋市の熱田神宮内に在る、上知我麻神社の大国主社、事代主社では「初戎」(五日戎)」が執り行われた。中日新聞より、午前零時に授与所で開始の声が掛かると、冷え込みの中待ち侘びた参拝客が殺到して、もみくちゃになりながら「こっち、こっち」「くださーい」と声を張り上げて、代金の紙幣を握った手を翳す姿が彼方此方に見られた。境内には、真夜中にも拘わらず大勢の参...初えびす

  • 仕事始め

    令和5年1月4日(水)仕事始め:初仕事新年に各人が初めて、夫々の仕事に取り掛かったり執務をし始めることをいう。本格的に仕事に取り掛かる所もあるが、田や畑に出て耕す真似をしたり、山に入り薪を採ってきたりする行事を仕事始めといっている地方も在るようだ。本来は職人や商家、農家、漁師などが新年の初仕事の式を行うことで、正月二日と十一日にするのが主であった。昭和の頃の仕事始め、二日は仕事に取り掛かかれるように準備をし、後は正月気分で休み、十一に本格的に仕事を始める。官公庁では「御用始め」と称して、原則4日より仕事を始める。民間企業では「事務始め」といっていたが今では「仕事始めという。東京丸の内、初出勤、名駅前、初出勤、また、証券取引所ではこの日(1月4日)に「大発会」と称して新年最初の立会、「初立会」が行われた。愛...仕事始め

  • 弓始め

    令和5年1月3日(火)弓始め:的始、射初新年に初めて弓を射ることをいう。各地の弓道場で行われるが、期日は道場によりまちまちである。もとは、朝廷の正月の行事であったが、鎌倉幕府がこれを取り入れたのが始まりとされる。熱田神宮初戎(えびす)、弓始め陰暦の10月5日に天皇が弓道殿に臨御して、公卿以下殿上人の賭弓(のりゆみ)を観覧する儀式で「弓場始」という。亦、武家で年初(正月中旬)または弓場の新造などの時に、初めて矢を射る儀式で、「的始」、「引矢始」という。江戸時代には将軍の上覧もあって盛大となり、期日も正月7日から11日に改められた。現在では正月の神事としている神社も多く在る。女性弓道者、甲南女子大弓道部、若い女性の弓道者も多く参加するようになり、より華やかな正月の行事の彩りを成している。愛知商業高校弓道部名古...弓始め

  • 年 始

    令和5年1月2日(月)年始:年賀元旦から三日くらいまでの間に、親戚や目上の人、友人、知人あるいは近隣の間で訪問仕合、新年の賀詞を交わすこと。これを年賀ともいい、「御慶」といえばいささか古風になるが、これも新年の挨拶に用いられる。大体は門口で挨拶を述べて辞するのが普通で、これを「門礼」という。年始・年賀は元々一家一族での新年の挨拶であり、亦新春の神を崇めることより起った挨拶が一般に迄広がった。正月の元旦から三日までの間に親戚、知人らが互いに訪門し合うようになり、食礼として「喰積」や「蓬莱」などを行い、大いに振る舞うようになった。現在は往時ほどではないが、4それでも正月らしさは街に溢れている。我が家では毎年二日、娘の家族(夫婦と大学生の長男、高校2年生の長女)が年始に訪れる。三日には息子家族(夫婦と中学生の長...年始

  • 元 日

    令和5年1月1日(日)元日:お元日、年の始め年の明けた初めの日、一月一日最初の日。昨日迄の何やかや気忙しかった年の瀬から一夜明けると、ともかくもという気持ちになって、ゆったりしてくるのもこの元日の雰囲気である。昔からの仕来りで外に出ていた者が帰って来て、一族が揃って実家で過ごす人達も多い。「お元日」というのは、慎みの中にも親しみをこめた響きがある言葉。元日という言葉は中国の「鶏日」(がんじつ)といって家禽の鶏を祝う習俗が元日に行われ、そこから「元日」という言葉が日本へ伝わったといわれている。明けましておめでとう御座います。昨夜は除夜の鐘を聞くこともなく11時頃に就寝した。最近では、あまり「紅白歌合戦」を見る事はなくなり、NHKBSの洋画三昧に浸っていた。カミさんは少し不満げであったが、若い人の歌について行...元日

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