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遊民ヤギ爺 https://blog.goo.ne.jp/yagi1854

俳句と映画のゆうゆう散歩

暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。

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2015/07/05

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  • 二月尽

    令和5年2月28日(火)二月尽二月が尽き、終わること。平年は2月28日、閏年は2月29日。尽の付く季語は「弥生尽」「九月尽」などがあるが、それぞれ陰暦の3月の終り9月の終りであり、行く春、行く秋を惜しむ気持ちが添う。これらに比し二月尽は歴史の浅い季語で、「怱忙」(忙しい事)の間に二月が終わってしまったという感慨、明けて仲春の3月を迎え、いよいよ春が定まるといった期待と喜び添う季語。今年も2ヵ月がアッと言う間に過ぎ去った。ロシアのウクライナへの軍事侵攻から1年が経った。何も進展は見られず、ロシアのプーチン大統領は苛立ちその行動は益々エスカレートしている。最早、狂人の如く暴走を重ねている。誰も彼の暴走を止める事は出来ぬのか、、、、、。これに対し、ウクライナのゼレンスキー大統領は今も尚、国民に対して「徹底抗戦」...二月尽

  • 春の海

    令和5年2月27日(月)春の海波の荒かった冬の海は、春になれば凪いでのたりのたりと穏やかで、悠長な感じのする海となった。麗らかな日差しに海の色は明るく、魚介の動きもそろそろ活発に目立ち始める頃だ。春の海は光と響き合って、穏やかに洋々としてきらきらと凪ぐ状態となり、長閑に紺碧の色を湛えている。また春と秋は潮の干満の差が大きく、潮の引いた後の干潟には、小さな生き物たちの姿が見られる。昨日は冷たい風(春一番?)が吹き荒れ、帽子を飛ばされぬように、また飛ばされ慌てふためく姿を目にしたが。今日は打って変り風も止み、暖かな日差しの中を港へ、、名古屋港の水面は穏やかに凪の状態で、まさに「春の海」定期船が一条の航跡を残して、静かに接岸した。埠頭にはユリカモメが、ゆったりと日向ぼこ、、、?リトルマーメイドの在る丘からポート...春の海

  • 辛夷の芽

    令和5年2月26日(日)辛夷:こぶし、ヤマアララギ辛夷の芽、コブシは、モクレン科の落葉高木で高さ」10~20mに達する。山野に自生する。早春、葉に先立って芳香の在る白色の6弁の花を開く。花径は6~10cm。葉は長さ5~15cmの広倒卵形で互生する。葉と果実のでき始めの頃、果実が熟れた頃、材は緻密で家具や建築材に使用され、花の蕾は鎮静・鎮痛剤に。若い花びらは食用にも利用され、花は香水の原料となる。また、樹皮や枝葉からは「こぶし油」を採取する。こぶしの由来は、つぼみの形を握りこぶしに見立てる説や、でこぼこの果実(集合果)の形をこぶしに見立てるなどの説がある。和名の「こぶし」がそのまま英名の「Kobusmagnolia」になり、学名の「Kobus」となっている。こぶしの漢字は「辛夷」を充てているが、中国は「辛夷...辛夷の芽

  • 雀の子

    令和5年2月25日(土)雀の子:子雀、黄雀雀の子は屋根裏の下などに作られた巣の中で、10~14日くらいで孵化し、その後2週間程でからだの羽が生え揃う。初めは親鳥に付いて行動し、親鳥から青虫などの昆虫の餌を貰う。親鳥は後に稗(稗)等の穀物に変える。暖かさが増した公園の日向には、雀などの姿をよく目にする。樹木の上から地上に群れで舞い降り、枯草の間を頻りに啄む。我々(人)が近づくと一斉に飛び立ち、電線や木の枝に留まり頻りに囀り、互いに何か連絡し合っているようだ。小雀(雛)は嘴が黄色いので、「黄雀」と呼ばれている。尚、雀は年に3回ほど雛を育て、三回目は8月頃となる。今日の1句とんとんと日向に弾む雀の子ヤギ爺雀の子

  • 紅 梅

    令和5年2月24日(金)名古屋港の紅梅梅はバラ科サクラ属の小高木で、紅色の花をつける梅を、紅梅(こうばい)という。奈良時代に伝来したのは「白梅」(しらうめ、はくばい)と呼ばれていた。その後「紅梅」が入って来て、両者を区別する必要があり紅梅(こうばい)と呼び、あかうめとは呼ばなかったそうである。白梅の方が花期が早く白梅が春を告げるように咲き、その後やや遅く紅梅が咲く。花の気品では白梅に一歩を譲るが、紅梅は若々しく華やぎがあるといわれれいる。名古屋港の東側に在る駐車場から、水族館へ向かう途中にに無料休憩所がある。無料休憩所から観測船ふじを眺める、此処から右手(南側)の埠頭へ向かうと、ポートビルが在る。その間に桜並木が在るが未だ蕾の状態だ。休憩所の裏手(西側)には、過って南極観測船として活躍した「ふじ」が稽留さ...紅梅

  • 天皇誕生日

    令和5年2月23日(木)天皇誕生日:天長節今日2月23日は現(令和)天皇陛下の誕生日。国民の祝日。この日、皇居に於いて令和初の一般参賀が皇居で行われた。天皇誕生日は昭和23年(1948年)までは、「天長節」と呼ばれていた。天長節は天皇の誕生を祝う日で、明治以来「四方拝」「紀元節」「明治節」と共に四大節として国民の祝日となっていた。「天長地久」(天地が永遠に変わらぬように物事が何時までも続くこと)から、天長節を天皇誕生日とし、「地久節」を皇后の誕生を祝う日とした。昭和23年に天長節を「天皇誕生日」に改められた。国民の祝日に関する法律(旧制の祝祭日を廃して、日本国憲法の基に制定された祝日)には、「天皇が変われば日付が変更される」という条項が落ちていたとして、平成元年(1989年)に法律を改正し、昭和天皇(4月...天皇誕生日

  • 春めく

    令和5年2月22日(水)春めく:春きざす寒さがゆるみ春色が目に見えて濃くなり、万象生き生きとして春らしくなる。実際にはまだ寒いけれども、気候や風情がなんとなく春らしくなってくる気配をいう。春めくの「めく」はその感じが表れる、それらしくなる意の接頭語で、四季それぞれに使うが「春めく」は人々の心情が最もよく表現され、古典和歌や近世の俳諧にも登場する。俳人の名句春めきてものの果てなる空の色飯田蛇笏それは厳しい冬が早く終わってほしいと思い、春が遅くないことを人々が殊に感じるところからであろう、、、「春浅し」よりやや遅く、野山の眺めも春色が生き生きとしてくる頃である。ご近所の梅の木もぼつぼつ綻び始めて、陽射しも暖かく明るくなってきたようだ、、、、(気の所為か、)下の公園にも少しずつ人の集まりが増して、子供達の声も何...春めく

  • 種 物

    令和5年2月21日(火)種物:花の種前の年に採った五穀、野菜、草花等の種子をひと冬よく乾燥させ貯え置いて、春に種を撒く。このうち、籾種以外のものをいう。五穀は米、麦、粟、豆に黍(きび)を加える説と、稗(ひえ)(ひえ)とする説がある。自家製の種は天井から吊るし、乾燥させて冬の間保存する。種物屋や花屋などの店頭に、美しい花の画像を印刷した草花の種子の入った紙袋が並んでいるのを見ると、陽春の近ずいて来た事を感じさせる。つい、我が家にも種子が残っているのではと探し見る。愛知県稲沢市に在る「矢合観音」(やわせかんのん)へは、偶に吟行で出かけた。(本尊は十一面観音が祀られる)参道の門前町界隈は土産物、団子屋等が並ぶよくある参道。店が切れた所から植木屋、花屋等が並び、中ほどに一軒の花の種や肥料等を売る店がある。客が呼び...種物

  • うぐいす餅

    令和5年2月20日(月)鶯餅柔らかな薄い餅に餡を入れ包み、青きな粉を塗したもの。端をつまみ尖らせた形が鶯に似せて、見た目に趣がある。一般的に鶯餅は、うぐいす粉(青大豆から出来たきな粉)をまぶして仕上げたものが多いが、最近ではヨモギを混ぜた生地(餅)に包んだり、仕上げにきな粉をまぶしたものもある。俳人の富安風声の句が春の到来を感じさせる街の雨鶯餅がもう出たか富安風声うぐいす餅の由来は、天正年間(1580年)の頃、大和郡山(現在奈良県大和郡山市)の郡山城主で在った豊臣秀長(秀吉の兄)が、豊臣秀吉を招いて茶会を催した折に「珍菓を作れ」と命じ、御用菓子司の菊屋治兵衛が餅を献上した。秀吉はこの餅を大いに気に入り「この餅をうぐいす餅と名付けよ」と命じた。時代を経てこの餅は、お城の口餅(通称)として名付けられるようにな...うぐいす餅

  • 雨 水

    令和5年2月19日(日)雨水二十四節気の一つで、太陽の黄経が330度の時。陰暦では正月立春後の十五日目、陽暦では2月19日頃。時候としては「気雪散じて水と為る」とも、「土脈潤起」ともいわれ、「降る雪が雨に変わり、積もった雪が解けて土が潤いはじめる頃」という。「雨水」は空から降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。山に積もった雪もゆっくりと解け、田畑を潤す。昔から「雨水」は農耕を始める時の目安とされていた。実際には積雪のピークを迎える地域も在り、この寒さも峠を迎えるといわれ、寒さが衰える頃とも。逆に地方に依っては春一番が吹き、鶯の声も聞こえ始めるころともなる。また七十二候の「土脉潤起」は、(つちのしょううるおいおこる)。冷たい雪が暖かい春の雨に代り、大地に潤いを与える頃、寒さも緩み眠っていた動物たちも...雨水

  • 榛の花

    令和5年2月18日(土)榛の花:赤楊(はんのき)の花、はしばみカバノキ科ハンノキ属の落葉高木、高さ1~20m中には、30mもn大木もある。早春、葉が出る前に細長い円柱状の暗褐色の雄花を木枝から下向きに垂れ下がり、黄色の花粉を出す。これは前年の秋に出来た莟(つぼみ)が、冬を越したもの。古名は「はりの木」の音便形。はんは「榛」の字を当てているが、これは山野に自生する同類の落葉低木「ハシバミ」の漢名である。日本では北海道から九州、沖縄まで至る所に分布する。朝鮮半島、台湾、中国東北部の東アジアにも分布している。榛の木は低地の湿地や沼沿いに自生する。湿原などには森林を形成することもある。近年では水田耕作の放棄された地に繁殖している例もある。榛の木の葉は有柄で互生し、長さ5~15cmの長楕円形または長楕円卵形。葉の縁...榛の花

  • 飛騨高山、祭山車会館

    令和5年2月10日(金)飛騨高山、祭屋台会館高山市街散策中、街の西部に在る「桜山八幡社」へ、、八幡社の大きな鳥居を潜り直ぐ左手に、高山祭屋台会館」の案内表示が在り、早速家族で訪れる。此処は高山祭に曳き出される山車の実物(23基)が常設展示されている。春の高山祭りは「日枝神社」の例祭、対して秋の高山祭りは「桜山八幡社」の例祭が執り行われる。屋台と呼ばれる山車を曳いて街を巡行する事から、京都の「祇園祭」、埼玉の「秩父夜祭」と並び、日本三大曳山祭の一つとされている。高山祭屋台会館は、1960年(昭和35年)に高山山車(23台)重要有形民俗文化財に指定された事から、その後1968年(昭和43年)に桜山八幡社境内に竣工し、山車23台を通年で見られるようになった。飛騨の国は、古く大和朝廷へ毎年匠を送り出して、奈良の都...飛騨高山、祭山車会館

  • 黄 梅

    令和5年2月16日(木)黄梅:おうばい、迎春花キク類モクセイ科ソケイ属の落葉小低木中国原産で、高さは1.5mくらい。早春に葉に先駆けて鮮黄色で先端が六裂した合弁花が咲く。形がやや梅の形に似ていることからこの名がある。江戸の寛永(1630年頃)時代に中国から伝来した。観賞用として庭木や盆栽などにされる。葉は深緑色の長楕円形で、枝は細長く蔓の様に伸びる。茎の若い部分は緑色で四角く、上部は垂れる。ジャスミンの仲間とされるが、芳香はない。中国(漢)名では「迎春花」、英名では「ウインター・ジャスミン」と呼ばれ、あたかも春をいるかの如く思わせることからそう呼ばれているようだ。2月下旬から4月頃にかけ、葉が出る前に梅に似た高杯形の黄色の花が垂れ下がり、蔓状の枝に咲く。実はならないので挿し木か、株分けをして増やす。黄梅の...黄梅

  • 春の雨、

    令和5年2月15日(水)春の雨、街歩き高山陣屋横の真っ赤な中橋を渡ると川沿いに朝市が立つ。宮川の朝市、店主とのやり取りを聞きながら進むと中程に右衛門横丁という処がある。中には小さな店が集中している。野菜や赤蕪の漬物を買い、猿ボボ等の民芸品や小物の店が並ぶ。通り抜けると、角地に「飛騨牛あぶり焼きの店」、孫達が並ぶ、、、、、古い街並みが続く上三乃町筋に入る。飛騨牛にぎり寿司の店の前にかなりの人が集まる。孫達は飛騨牛あぶり寿司、、続いて串焼き、コロッケと、、、、私達は中程右手に在る甘味処で、白玉善哉を頂くことに。古い民家の前の犬遣らい、その全面に細い用水路が流れ、小雨の降る静かな街並みを歩く。この通りには、老舗の食べ物屋、味噌店、酒店、雑貨屋、煎餅屋、凸凹堂?、蕎麦屋、、蕨餅屋で土産、、、、暫くすると、、通りの...春の雨、

  • 歌詠鳥

    令和5年2月14日(火)歌詠鳥:鶯の副題鶯は、スズメ目ヒタキ科の漂鳥春告鳥の名があるように春を告げる、日本人に最も親しまれまた古来から詩歌にも詠まれている代表的な春の鳴禽である。雀ほどの大きさで暗緑褐色いわゆる鶯色で、下面は白色。その鳴き声は地鳴の「笹鳴き」(冬季)に始まり、梅の咲く頃「ホーホケキョ」の第一声を「初音」と称して珍重する。また巣の縄張り近くに現れた外敵を警戒をして、ケキョケキョケキョ」と何度も繰り返すのが「鶯の谷渡り」という。春を過ぎると「老鶯」(夏季)となり、繁殖のために山へ。繁殖を過ぎ地鳴に戻るのを「鶯音を入る」(夏季)という。「ホーホケキョ」を「法法華経」と聞き做(な)して「経読鳥」ともいう。他に「春告鳥」「匂鳥」「春鳥」「歌詠鳥」などの異名が多く、それだけ昔から日本人に愛されてきた鳥...歌詠鳥

  • イヌノフグリ

    令和5年2月13日(月)犬ふぐり:イヌノフグリゴマクサ科の越年草で、一般的にオオイヌノフグリを指す。ヨーロッパ原産で、日本へは明治初期に帰化したものと考えられる。早春、道路や野原に這うように広がって群生し、瑠璃色の花を咲かせる。イヌフグリの名前は、その実が丸い玉が二つ相接したような形をし、これがあたかも犬の睾丸のような形をしていることから、このようなユニークな名がついたようだ。別名には、「ひょうたんぐさ」とも呼ばれている。日本在来種のイヌノフグリは、淡いピンク色の3~5mm程の花をつける。花弁には紅紫色の筋があり、雄蕊は2本花の中央に立つ。葉は卵円形で厚みがある。日本で多く見られ瑠璃色のは、外来種のオオイヌノフグリで繫殖力が強く、在来のイヌノフグリはその座を奪われて、余り見かけぬようになった。今や絶滅危惧...イヌノフグリ

  • 潮路句会2月例会

    令和5年2月12日(日)潮路句会2月例会日時:令和5年2月10日(金)、13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:7名(うち不在投句1名)、欠席2名兼題:1)梅、2)立春、3)当季雑詠、2月例会予定の11日(土)は、建国記念の日で会場のコミセンが閉館のため、2月10日(金)に繰り上げとなりました。この日は朝から生憎の雨模様、朝からの雨は激しくなり会場の在る大手公園は泥濘の悪コンデション、、それでも皆さん元気に参加。欠席された1名は、甲信地方が積雪のため高速道路で立ち往生との連絡がある。無事の帰還を祈りつつ、句会は開始された。兼題の梅、立春とは裏腹に、肌寒い一日となりました。高齢者が殆どで、それぞれの体調管理に四苦八苦です、、、、。紅(くれない)の蕾侍らせ梅白し玲子春立つや道草多くなる媼ヤギ爺巣鴨地蔵通...潮路句会2月例会

  • 建国記念の日

    令和5年2月11日(土)建国記念の日:紀元節(旧)国民の祝日の一つ。戦前の紀元節にあたり、神武天皇即位の日とされる日を陰暦に換算したもの。戦後の昭和23年(1948年)に廃止された。昭和41年(1966年)に「建国記念の日」として政令公布され、翌昭和42年(1967年)から国民の祝日となった。「建国をしのび、国を愛しする心を養う日」として定められた。紀元節とは、紀元前660年2月11日に即位した日本の初代天皇である神武天皇の即位日として、明治5年(1873年)から昭和23年(1948年)まで祝日であった。戦後、軍国主義の復活を恐れたGHQ(連合軍総司令部)は皇室と神道の繋がりをなくすため、紀元節を含む祭日を廃止した。その後、紀元節を復活させようとする気質が高まり、「建国を記念するための祝日」を設けることと...建国記念の日

  • 木の芽

    令和5年2月10日(金)木の芽:山椒の芽春に芽吹く木の芽は葉芽と花芽、それに両者が混在した芽があり、一括して木の芽という。「きのめ」ともいうが雅語的な美しい響きの「このめ」が好んで用いられる。樹木が千差万別であるとおり、木の芽も発芽の時期、色、形状も様々にある。殊に雑木林が芽吹きの時期には緑あり萌黄色あり、黄色あり、紅色ありと、、更に各々に濃い色薄い色と彩々で美しい。木の芽が萌え出ることを「木の芽張る」といい、その多くは「春」にかけていう。「木の芽味噌」「木の芽田楽」「木の芽和え」は、山椒の芽に味噌、砂糖等を擦り混ぜた物。木の芽田楽、木の芽和え、煮物に、「木の芽漬け」は通草(あけび)や山椒等の若芽を塩漬けや醤油煮にしたものをいう。「木の芽月」とは木の芽の出る月の意で、陰暦2月の総称。木の芽冷」は、木の芽の...木の芽

  • 蕗の薹

    令和5年2月9日(木)蕗の薹:蕗の芽キク科の多年草。早春にいち早く地中から萌黄色の花茎を出し、その外側には大きな鱗のような濃赤紫色の葉で幾重にも包まれている。これが蕗の薹で、ほろ苦い風味と香りを楽しむ早春の若菜。蕗は雌雄異株で雄花は黄白色、雌花は白色。山野の彼方此方に自生する。辺りがまだ枯れ色に被われる、春まだ浅き雪間や土手等に萌黄色の花茎をもたげる。大きな葉に包まれる姿は、さながら早春の妖精を思わせる。花の開かぬうちに摘んだ蕗の薹は、「蕗味噌」「吸い物」「天婦羅」「和え物」などにしていただく。これが春たけなわとなる頃には、30Cm余りに成長して「蕗の爺」「蕗の姑」などと呼ばれている。東谷山フルーツパークの奥に小さな「蕗の薹」の庭が在る。周りの木々がやっと芽吹き始めた頃、小さな蕗の薹が所々に萌黄色の顔を出...蕗の薹

  • 針供養

    令和5年2月8日(水)針供養:針納め平素使っている針を休め、折れた針や古くなった針を供養する行事。現在では和裁は専門化され一般には余り行われないが、昔は女性が日常で行う大切な仕事の一つであり、一年に一度針を使うのを忌む日とされた。針供養は、和歌山県和歌山市の淡島神社や関東地方では2月8日に行われ、関西地方では12月8日に行われる。淡島神社の針供養、淡島神社には「針才天女」を祀る社があり、和歌山市が本社で全国各地に末社が在る。東京浅草の浅草寺境内には、「淡島堂」が在り、ここで針供養が行われる。針供養の起源は定かではないが、中国の社日に「針線」(針仕事)を止むという習わしが在り、これに起因するという説がある。日本では、平安時代に貴族の間で行われるようになる。江戸時代になると一般的に針仕事を行う家庭で「針の労を...針供養

  • 満 作

    令和5年2月7日(火)金縷梅:まんさく、満作マンサク科の落葉低木、春を告げる花と言われる。高さ3m程(中に5~6mのものもある)、山野に自生する。観賞用として珍重される。早春に黄色の紐状の4弁の花が咲き、楕円形の蒴果を結ぶ。茶花として栽培され、花季が早いので珍重されている。金縷梅(マンサク)の名は、早春に他に先駆けて「先ず咲く」ことから転じたと云われる。また、紐状で黄色の4弁花が稲穂のようで「豊年満作」を思わせることからとも云われている。葉は菱形状の楕円形で、縁には波状のギザギザの鋸歯がある。マンサクには、別の種類のものがある。シナマンサク(支那満作)中国の中部原産で花期は11~3月頃。普通のマンサクに比し葉、花ともにやや大型である。葉の長さは8~15cmの倒卵形で、前年の花が褐色になって枝についているこ...満作

  • ラナンキュラス

    令和5年2月6日(月)ラナンキュラス:花キンポウゲの園芸品種キンポウゲ科ラナンキュラス属、中近東、ヨーロッパ東南部を原産とするアジアテイクスを基にに改良された園芸品種。日本でも改良が進み、多くの品種が出品されている。世界にラナンキュラス属の植物は500種類ほど在ると云われ、秋植えの球根で晩秋から春に生育する。高温の夏場は弱く休眠する。ラナンキュラスは「カエル」を意味し、属の多くは湿った所に生えるが、日本に多い「ラナンキュラス・アシアテイクス」は多湿にならない、水はけの良い場所を好む。花の色は黄、白、赤、ピンク、オレンジや混じりが在る。原種のキンポウゲ(金鳳花)はキンポウゲ科の多年草で、日本全国に広く自生している。花は五弁で黄色、茎は高さ50cmほどの中空で葉とともに毛が多い。別名に葉の形からウマノアシダカ...ラナンキュラス

  • 春来る

    令和5年2月5日(日)立春:春立つ、春来る陰暦では一年三百六十日を二十四節気・七十二候に分けて、それを暦法上の重要な基準とし、季節を定めるのに重要とした。立春は二十四節気の一つで太陽の黄経が315度となる日。陽暦の二月4日頃となり、「節分」の翌日にあたる。暦の上ではこの日から春となり、その営みは自然・人事とともに地方により遅速が在り、必ずしも暦とは一致しない。暦による感情が整えられることは確かで、寒気の中にも微かな春の兆しがみえる。光の強さは徐々に強まり、日向ではいち早く春を感じる。気温の季節変化は、平均的には光の季節変化に対し一カ月半ほど遅れて起きて居る。寒さのどん底かで春が立ち、暑さの絶頂で秋が始まる等、季節はアンバランスに感じられる。立春は寒さの中での光の強まりにいち早く春を感じる節気で「北風の中に...春来る

  • 国府宮はだか祭り

    令和5年2月4日(土)国府宮はだか祭:追儺神事2月3日(金)、愛知県稲沢市の「尾張大国霊神社」に於いて、下帯(褌)姿の裸男達が激しい揉みあいを繰り広げる天下の奇祭「国府宮はだか祭」が、3年ぶりに開催された。これに先立ち、標柱建式:1月23日、儺追人:神男(しんおとこ)選定式、大鏡餅奉納、この日の最高気温は8℃と冷え込み厳しい中、午前中から裸男達が参道に集まり、厄除けの願いを書いた布(なおいぎれ)を付けた「儺追笹」を奉納した。中には余りの寒さに震える姿も、彼方此方に見られる。参道には次々に参拝者が訪れ「やっと祭りが再開されとても嬉しいです。」と、笑顔を見せる。午後4時頃、手桶の水を抱えた係の男らが、裸男達を煽るように水を彼らに浴びせる。これを合図に男達の揉みあいが始まった。揉みあう背に次々と水を浴びせ、忽ち...国府宮はだか祭り

  • 節 分

    令和5年2月3日(金)節分節分は本来は二十四節気の気候の移り変わる立春・立夏・立秋立冬の前日の総称である。それが次第に立春の前日の年越しの夜を指すようになったものである。二十四節気は立春から始まり、大寒を持って一巡するが、その大寒の最終日が節分である。陽暦の2月3日頃にあたる。翌日が立春なので待ちに待った新しい春を迎える喜びに浮立つ気分がある。岐阜・善行寺、この夜は邪気を退散させるために、家々では戸口や窓に焼いた鰯の頭と、柊の枝を挿したり、「鬼打豆」と称して炒った大豆を撒き、自分の年の数だけ豆を食べる風習がある。豆撒きは宮中で行われた「追儺式」に起源をもつと云われる。追儺式では殿上人が鬼に扮した舎人を追い回し、桃の弓に葦の矢を番えて射たという。元々大晦日に行われていたが、いつの頃からか追儺式と節分の豆撒き...節分

  • 如 月

    令和5年2月2日(木)如月:衣更着(きさらぎ)陰暦二月の異称、気更に乗るなどの義からともいわれる。寒いので着物を更に重ね着するので「衣更着」などとも書く。また「生更木」は草木が再生することをいう。二月は寒明けが、そして立春が月の始めにあり、寒気は厳しいがどことなく日差しがきらきらと春めいて、万物の生命が動き始めようとする感じがある。「初春」(そうしゅん、かつはるは新年を指す)とか、「早春」ともいわれるのがこの時節。中国でも二月ことを「如月」(にゅげつと読む)という。日本では二月のことを「衣更着」「生更木」(きさらぎ)と呼んでいたが、中国の「如月」を当てて、きさらぎと詠ませたようである。「如月」二月には、様々な別称・異称がある。「初花月」(はつはなつき)この頃に梅の花が咲くことから「初花月」という。「雪消月...如月

  • テレビの日

    令和5年2月1日(水)テレビの日今日2月1日は「テレビの日」、今年は開局70周年との事。昭和28年(1953年)2月1日、NHK東京放送局が日本で初めてテレビの本放送を行った。「JOAKーTVこちらはNHK東京テレビジョンであります」と、第一声が放送された。NHK東京放送局、都内7カ所で一般公開、開局祝賀行事中継・ニュース・映画等が、4時間程されたが、ニュース、映画以外は全て生放送。当時はTVカメラが5台しかなく、生放送が主体で在った。受信契約者数:866,受信料月額:200円(当時の大卒の初任給は8000円、国産テレビ(白黒)17万5千円。)NHKは2月20日に、テレビ初のクイズ番組「ジェスチャー」を開始、司会小川宏、白組柳家金語楼、紅組水之江滝子主将、人気番組となり以来15年間放送、クイズ番組の草分け...テレビの日

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