chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
遊民ヤギ爺 https://blog.goo.ne.jp/yagi1854

俳句と映画のゆうゆう散歩

暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。

遊民ヤギ爺
フォロー
住所
港区
出身
西区
ブログ村参加

2015/07/05

arrow_drop_down
  • 虎 杖

    令和5年3月31日(金)虎杖:いたどり、酸模(すいば)今年も、ご近所から「虎杖」を頂いた。高山の親戚から届いた、山菜のお裾分けである。虎杖は、山野に自生する雌雄同株のタデ科の多年草。茎は太く、直立した高さは2mに達する物もある。高山の物は丈が短いが、北海道や東北地方では別種のオオイタドリで丈は3mにも達するものもある。春先に伸びる若い茎は柔らかく筒状で、ウドに似ており、中空の茎は紅色、微紅の斑点があり、竹のように節がある。若い茎は酸味があり、生食したり、塩漬けにしたりする。卵形の先の尖った葉は、煙草の代用品として用いられた。夏、淡紅色または白色の花が、茎の頂に円錐花序をつける。また、根の部分は「虎杖根」として利尿・通経・健胃剤として薬用とされる。古名は「たぢひ」「さいたづま」といわれる。和名「イタドリ」の...虎杖

  • 蝶々

    令和5年3月30日(木)蝶々:紋白蝶、紋黄蝶麟翅目の蛾以外の総称二対の大きな翅、二本の触覚、二個の大きな複眼、螺旋状に巻いた長い口吻が目立つ。口吻と大きな複眼、しばしば美しい物の代名詞とされるように、翅は麟粉と麟毛による文様が見事な色彩も艶やかである。ことに南方に生息する蝶は原色が多い。アサギマダラ、スジグロカバマダラ、オオルリシジミ、単に蝶と言えば春の季語で、紋白蝶や紋黄蝶等の小型の蝶。アゲハ蝶等の大形のものは夏の季語に含まれる。蝶が飛ぶのは日中だけだが特に「蝶の昼」といえば、晴れた春の日のとろけそうな気分を伝えるくる。日本国内に土着する蝶の種類は約250種が確認されている。このうち、春に最初に姿を見せるのは紋白蝶・紋黄蝶である。モンシロチョウ、モンキチョウ、次いで「条黒白蝶」(すじぐろしろちょう)が見...蝶々

  • 春の昼

    令和5年3月29日(水)春昼:春の昼春の昼は長閑でのんびりとした明るい響きと雰囲気がある。身体も何となく物憂げ、うとうとと眠りに誘われる様だ。「春昼」は大正期以降に、様々な情景描写が好まれ使われた。竹下夢二の美人画のもの憂げな表情が浮かぶような世界、、。午前中いつものようにPCを開き、ネットにアクセスするも、突然のように画面がフリーズする。何とか動くようになったが、、どうも様子がおかしい、、、。スマホを片手にリモートサービスを頼み、パソコンの点検をお願いした。買い替えて未だ3年目に入ったばかり、、どうもこのパソコンはトラブル続き、、(動きが遅く、時々フリーズする。)もう少し若ければ対処出来そうだが、なんせ後期高齢者の身、中々、口ほどに身体も頭も付いて行けず度々、リモート頼みである。(余分な物は削除しました...春の昼

  • チューリップ

    令和5年3月28日(火)チューリップ:鬱金香、牡丹百合ユリ科の球根植物、中央アジア(トルコ)原産で16世紀頃にオランダに渡り、品種改良される。日本へは文久年間(1861~64年)に渡来した。大正時代に入りその栽培が普及し、外来種の中で最も親しまれる草花の一つとなった。富山県には大正7年(1918年)に、翌年に新潟県に伝わる。日本での球根栽培が盛んな県は、富山県は(53%)、新潟県では(45%)と、両県で実に98%を占めている。砺波チューリップセンター(富山県)日本のホームセンターや園芸品店で売られているチューリップはその殆どがオランダ産の輸入品といわれている。チューリップの和名の「鬱金香」は、花の香りがスパイスまたは食品を黄色く染めるのに使われる「ウコン」のような埃臭い香りに由来する。チューリップは概して...チューリップ

  • さくらの日

    令和5年3月27日(月)さくらの日今日(3月27日)は「さくらの日」だそうです。1992年(平成4年)、東京都千代田区永田町に本部を置く、公益財団法人「日本さくらの会」が制定した。日付は「3×9(さくら)=27の語呂合わせと、七十二候の一つ「桜始開」(さくらはじめてひらく)が重なる時期にあることからと云われる。日本の歴史や文化、風土と深く関わってきた「さくら」を通して、日本の自然や文化について、国民の関心を深める事が目的とされる。さくらの会記念植樹、全国植樹祭:天皇陛下、「日本さくらの会」は、1964年(昭和39年)に設立して以来、宝くじの社会貢献広報事業の助成受け、「宝くじ桜配布事業」を始めとして様々な桜植樹事業を実施してきた。現在までに全国の公園、河川、道路沿線、学校、公共施設周辺に、約300万本のさ...さくらの日

  • 花の雨

    令和5年3月26日(日)花の海:花時の雨花時の冷たい雨である。あるいは桜の花に降る雨のことをいう。桜は日の光りに透けて眺められるところに匂う花としての本性があるのだが、「花の雨」の表現は桜の花の風情を更に深くする感じをうける。「催花雨」は3月下旬から4月上旬にかけて降る雨のことをいい、桜の花や菜の花等の様々な花の開花を促す雨のことをいう。せっかくの休日が雨降りで残念と思う一方で、この雨によりソメイヨシノの開花を促すとの見方も在るようだ。花見頃を迎えた週末に雨天が続き、出足を削がれたようである。甲子園では、「選抜高校野球大会」が雨で全て中止となり明日以降に順延となった。今大会は開会式を数時間遅らせ、試合の中止は2度目となった。(春休み中の開催で日程が悩ましい)花見は雨天でも待ってはくれない。各地の花の名所で...花の雨

  • 春休み

    令和5年3月25日(土)春休み:年度替り各学校で夏休み・冬冬休みと並ぶ春の休暇をいう。三月の終業式の翌日から四月の始業式や入学式の前日までの、約二週間の期間であるが、大学では一般的に長い。学年が終了し、無事に進級・進学したことで解放感や喜びの気持ちが伴うゆとりが感じられる。亦、明るく穏やかな季節なので家族旅行や、高校生・大学生等は友人らとの旅行を楽しむ。趣味などに、伸び伸びとした休暇を楽しむ事が出来る。昨日、小学校の終業式を終え子供達は笑顔満載で下校した。早速、友達と近くの公園に直行する子らもいる、、、、、。また、女生徒らは道端で名残尽きないのか延々と長話、、。家族旅行や遊びに出掛ける約束など、話は尽きないようだ。イベント、遊園地へ、今日は生憎の雨模様、、、甲子園は雨も上がったようで、予定通り試合が開催さ...春休み

  • 桜咲く

    令和5年3月24日(金)桜さく:染井吉野桜はバラ科サクラ属、落葉高木の総称名古屋城も満開、、?山桜、染井吉野などの自生種、園芸種を含めて数百種があるといわれている。桜は古来、日本人には特別に賞味されてきた花で国花でもある。春は桜前線の北上と共に花見の行楽があり、朝桜・夕桜・夜桜、晴れても降っても美しい。忽ち散り始めて心を悩ませもする。戦国時代から江戸時代にかけては、殊に桜の潔く散る様が愛されたようだ。緋寒桜山桜、染井吉野、八重桜(奈良公園)、枝垂れ桜(東谷山フルーツパーク)、開花の早いのは緋寒桜である。亦、昔から愛されて来たのは山桜で花弁の色は白く、花と同時に若葉が出る。これは古来から日本の詩歌に詠まれた代表的な桜で、この変異種も多い。清少納言の枕草子の中で「桜は花びらおほきに葉の色こきが、枝ほそくて咲き...桜咲く

  • 春 霖

    令和5年3月23日(木)春霖:春の長雨「春雨」は単に春に降る雨を意味するのではなく、自ずと静かな雨を思わせる言葉であり、しっとりとした風情が漂う。また「霖雨」は長雨のことをいい、「旬霖」は春の長雨のこと。冬から初夏へと季節が移り変わる時である春には、天候がぐずつき、雨が降り続くことがある。梅雨時の先ぶれと間違われるが、雨季の長雨は暗い感じがするが、暗さの中にもどこか明るさの漂う雨である。甲子園で開催されている「選抜高校野球大会」は雨天のため順延となった。水捌けのよい甲子園のグランドだが、開会式を2時間程遅らせたのに続き中止が決定(明日以降へ)された。グランド整備の達人らでも、長雨には止むを得まい、、、、。昨日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、米国との決勝戦で侍ジャパン(日本)が3対2の接戦...春霖

  • 種蒔く

    令和5年3月22日(水)種蒔く:種下し苗代に籾種を蒔くこと。春彼岸の頃に、塩水または薬水で種選びをした籾を袋に入れて催芽のために種井に1週間から十日ほど浸す。その種を更に比重選(水に浸して浮いた軽い籾を取り除く)した籾を陰干しにして水を切り、やや湿りが残った籾を苗代田に蒔いていく。現在では苗代に代って「育苗箱」への種蒔きが殆どである。種蒔きの時期は、過っては八十八夜が目安であったが現在では、3月中旬から5月中旬と幅が在る。(種下しも同じ)穀類や疏菜(青菜)等の種を蒔くことは、「物種蒔く」といい草花の種を蒔くことを、「花種蒔く」という。地方では種蒔きの祝いをするところも在り、種蒔きの済んだ田の水口に田の神を宿す「幣」(ぬさ:紙や布で作り神に祈り、お祓いをする時に捧げるもの)を立てる儀式を行う。この地方では、...種蒔く

  • お彼岸

    令和5年3月21日(火)彼岸:中日春分の日・秋分の日を中日として、その前後の三日づつの七日間をいう。彼岸は、梵語(古代インドの文語、サンスクリットの波羅の漢訳である。仏教語思想に由来し、生死流転に迷うこの世すなわち此岸、対して煩悩の流れを渡って到達した悟りの境地の意である。この間を「彼岸会」と呼んで、寺や墓など詣でたり、寺院等で読経・法話を行う。この風習は中国やインドには無く、聖徳太子の時代に始まったと云われている。春の彼岸は単に「彼岸」というが、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」などという。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、春は草木が萌え、秋は秋草が盛りという好い陽気となるので、野遊びを兼ねた墓参をする姿が随所にみられる。先祖供養、今日は「彼岸の中日」、カミさんに「お供えのぼたもちを」と所望する。「...お彼岸

  • 辛夷咲く

    令和5年3月20日(月)辛夷咲く:こぶしモクレン科の落葉高木で高さ10m、日本全土に分布する。辛夷の芽、膨らみ始め、、、春3月頃から、白色六片の芳香のある大きな花を葉に先立ち咲き白雪のように咲くので遠くからもよく目立つ。コブシの名は、赤子の拳に似ることからといわれている。果実は秋に熟し開裂し、白糸で赤い種子を吊り下げる。辛夷の実(秋)、鑑賞用に栽培される他、その材質は緻密で建築材として使用され、辛夷の蕾は鎮痛剤となり、花は香水の原料に、樹皮や枝葉からは「コブシ油」を採る。愛知県田原市に自生する「幣辛夷」(シデコブシ)は、国の天然記念物である。花の形がコブシに似て居り、多数の花被片が白く細長く伸びている様が「四手」(注連縄や玉串に付ける紙)に似て見えることからこの名がある。別名(ヒメコブシ、紅コブシ)早春、...辛夷咲く

  • 踏 青

    令和5年3月19日踏青:青き踏む中国の行事から伝わったもので、春の青々とした草の上を踏むむことをいう。野遊びや野原を歩く気分の爽快さが、其のまま伝わってくる。元来は野遊びのことや単なる散策、そぞろ歩き等もいう。足でじかに踏む実感が基礎になって、春になった喜びを身体で満喫するところが季語の本意となる。このところの温かさに東京の開花宣言に続き、各地で開花の報が届いている。一昨日名古屋でも開花宣言が在ったが、私の住む港区周辺では今暫く、、来週半ばには桜の開花も見られるだろうか、、、、名古屋市の南西部、港区に在る「戸田川緑地公園」には多くの家族連れで賑わった。戸田川沿いに体験農業場、農業科学館、芝生広場、フラワーセンター、子供ランドには大型アスレチック場、ゴーカート等がある。芝生広場ではボール遊びに興ずる親子連れ...踏青

  • 点字ブロックの日

    令和5年3月18日(土)点字ブロックの日今日3月18日は「点字ブロックの日」です。1967年(昭和42年)3月18日に、岡山市中区に在る岡山県立盲学校」近くの原尾島交差点に、世界で初めて点字ブロック(視覚障害者誘導用ブロック)が敷設された。2010年(平成22年)に「岡山県視覚障害者協会」設立、点字ブロックに因る安全の確保と発展を目指し記念日として一般社団法日本記念協会」により、認定登録された。岡山県岡山市に本部を置き、「自助助力と相互扶助の理念」を基本として運営していく。この場所、国道250号線原尾島交差点の横断歩道に230枚の点字ブロックを敷設した事をキッカケに、全国に徐々に広まっていった。此処には「点字ブロック発祥の地」として記念碑が建てられている。1970年(昭和45年)、国鉄の阪和線我孫子駅プラ...点字ブロックの日

  • 胡 葱 アサツキ

    令和5年3月17日(金)胡瓜:アサツキ、千本分葱ユリ科の多年草、山野に自生し古くから食されてきた。葉は円筒状で細長く、30cm前後い生長する。鱗茎(地下茎、栄養分を貯える部分)は長卵形で、辣韭のような形をしている。晩春に、紫紅色の花を咲かせる。夏になると葉が枯れ、地下茎だけが残り休眠状態となる。9月頃に植付けされ、翌春に収穫される。「浅葱」(あさつき)の名は、ネギより浅い緑色をしていることからこの名がある。葉は臭みがなく汁物に好まれる。辣韭のような鱗茎部分は刻んで蕎麦などの薬味等にする。その他味噌和え等に使用され、「浅葱なます」は3月3日の雛祭に供えられる。私もそうであるが、分葱(ワケギ)と「浅葱」(アサツキ)は、中々区別がし難い。分葱(わけぎ)もユリ科の多年性葉菜で、ネギの変種。普通の青葱よりも匂いも薄...胡葱アサツキ

  • 土 筆

    令和5年3月16日(木)土筆:つくしんぼ、つくづくしトグサ科の多年草、杉菜の胞子草。春の日に応えるように土手や道端に群生して、かわいい頭を並べる土筆。土から生えて筆の形をしているので、その名が付いた。杉菜と一つの地下茎で繋がって居て、杉菜に先立って生殖茎(胞子茎)を出し、これが土筆である。その頭には六角形の亀の甲形のものがぎっしりと並んでいる。日が経つとそこに割れ目が生まれ、その隙間から胞子(緑色の粉)を煙のように飛び出させる。胞子は弾糸と呼ばれる翼を開いて風に乗り飛んでいく。肉色をした茎には、一節ごとに袴があるがこれは葉である。土筆の頭部はいつしか透けて呆けてしまうが、土筆の出たての柔らかなうちに摘んで袴を取り茹で上げる。和え物、酢のもの、煮物(卵とじ)や天婦羅等にして食べる。また、佃煮にして保存食とす...土筆

  • 暖か

    令和5年3月15日(水)暖か:温し春になって陽気の温暖なことを言う。温しも同じ。「暑さ寒さも彼岸まで」といい、関西では「東大寺のお水取り」が済むと暖かくなるといわれている。東大寺お水取り、温暖前線では、暖気が冷されて雲が生じて雨となり、通過すると気温が上がると「地理事典」に在る。一雨ごとに暖かくなるわけで在って、いつ頃、どの程度の気温に因り暖かいと感じるかは人々の皮膚感覚によって違い、対照的な寒さとの比較の在り方によっても違ってくる。四季の変化から生じた季語であって、四季の変化に関係のない飲み物、食べ物、肌、手足などの「温か」や「温い」は季語にならない。心理的な意味に於ける「温か」も季語にならないという。日増しに公園で遊ぶ子らの姿が多くなった。引率の先生(保育士)方もどことなくノンビリされている様に見える...暖か

  • よもぎ摘み

    令和5年3月14日(火)蓬:蓬摘む、艾(もぐさ)蓬は山野に生えるキク科の多年草、草丈80~100cm。葉は互生し、羽状に分裂して裏側白い綿毛が密生する。匂いがあるり、夏から秋にかけて淡褐色の小型の花をつける。春には新しい若葉を摘み、草餅を作るので地方では「餅草」と呼ぶところもある。蓬の葉は摘んで灰を入れて茹で上げ、ごく細かく刻んで餅の中に入れ搗き、草餅とする。本来、「くさもち」と「よもぎもち」は区別されていた。慶長8年(1608年)に刊行の「日葡辞書」に記述に因ると草餅は母子草を蒸し、搗いて餅を作ったものをさす。亦、平安時代の年中行事で3月3日を祝う蓬餅を草餅といった。江戸時代の末期には江戸・京都・大阪では、菱形に作った餅は蓬を搗き混ぜ、青粉を加えて美しい緑色」にした。(菱餅)また、艾(もぐさ)は蓬の異称...よもぎ摘み

  • 潮路句会

    令和5年3月13日(月)潮路句会3月例会日時:令和5年3月11日(土)13:00~場所:大手コミュニテイ・センター参加者:7名(うち不在投句1名)、欠席者2名兼題:1)朧(おぼろ)、2)涅槃会、3)当季雑詠ここ暫く不在されている方の近況が報告されました。現在施設内でリハビリ中、、大分快方に向かっているのですが、自分で出歩くようになるには今暫く時間がかかるとの事。それでも句会に出るのを楽しみに、俳句を詠むようにしている。毎回、自分の手で認めて投稿されて来るようです、、、、。我々(老いても自分の足で出られる)も負けてはいられない。頑張って駄句作りに励まねば、、、、、。今回の兼題、「朧」、「涅槃会」は馴染が薄く、捉えどころが難しく、四苦八苦する。花鳥諷詠とは何ぞや、、、、、。影とばし天引き寄せる半仙戯玲子※半仙...潮路句会

  • 東日本大震災追悼

    令和5年3月12日(日)東日本大震災追悼昨日(3月11日)、東日本大震災から12年目が経過した。凡そ2万2千人の犠牲者を出し、全国には今なお3万人以上の方達が避難生活をされて居られる。津波、震災直後、復興後、昨年から国の追悼行事は行われず(国は10年で廃止した)東北三県(岩手、宮城、福島)を中心に、各地で追悼行事が行われた。地震発生の午後2時46分、遺族らが大切な人達の面影を胸に黙祷を捧げた。福島県主催の追悼式典には、政府を代表して岸田首相が出席し、「福島県の本格的な復興と再生、東北の復興に全力を尽くす」と述べた。それとは裏腹に、今年は「原発処理水の海洋放出」が決定している。地元の漁業協同組合等は反対(風評被害の恐れ)をしているが、地元の意見を尊重すると言いながらこれを無視して強行する様である。更には、一...東日本大震災追悼

  • 朧 おぼろ

    令和5年3月11日朧:おぼろ春は水蒸気が多く、春の月もぼんやり霞んでいる。南方から暖かい空気がやって来て、夜に地面付近の空気は冷え上空、それより高い温度など気温逆転層が出来、其のにに霧が現れて「おぼろ」にかすむ。おぼろは語源的には「おぼ」で、もともとぼんやりして不明瞭な状態をいう。その形容詞形の「おぼほし」は、もとは自然現象で、雲、靄、霧、朧月等に多く用い、うちふさいだぼんやりした気分に転用した。その用例は平安時代になり現れだした。詩歌では情緒的に用い様々な感宮に訴え、春の夜の情感を味わう。「岩朧」は静かな波に洗われる朧夜の海の岩、また「草朧」は萌え出た若葉の香漂いそうな情景をいう。「鐘朧」は、何処からともなく辺りに響く鐘の音をいう。「朧雲」は、高層雲のことで縞や筋のある灰色の雲のヴェールである。「朧月」...朧おぼろ

  • 弥 生

    令和5年3月10日(金)弥生陰暦三月の異称。弥生(いやおひ)の約転で、草木がいやが上にもいよいよ生い茂り、春たけなわの時候をいう。語感が柔らかでいかにも陽春に相応しい言葉である。現在のような月名(1月~12月)となったのは、明治初期に陽暦(新暦)を採用してからの事。それ以前は陰暦(旧暦)の「和風月名」により、季節感の判る言葉で月名を表していた。睦月(1月)、如月(2月)、弥生(3月)、卯月(4月)、皐月(5月)、水無月(6月)、文月(7月)、葉月(8月)、長月(9月)、神無月(10月)、霜月(11月)そして師走(12月)となっていた。弥生は、和風月名の三番目だが、陽暦は陰暦から凡そ1カ月程遅れて居り、弥生は3月末から5月初めの頃となる。弥生の別名(異名)は晩春、花惜月、雛月等とややこしい。すっかり春真っ盛...弥生

  • 白子干

    令和5年3月9日(木)白子干:ちりめん片口鰯の稚魚を塩水で茹で上げて乾したもの。箱根より以西の地方では「ちりめんじゃこ」という。じゃこというのは雑魚(ざこ)の訛った言い方で、ちりめんはじゃこが乾燥してくると縮れるので「ちりめんじゃこ」という。「しらす」は色々な魚の稚魚の総称であるが、捕獲の方法(魚法)により「しらす網」で海中を掬うために、中には蛸や烏賊の幼生、白魚などが混入する。食に適さぬものを除去し、塩茹にした後天日干し「白子干」として販売される。東京方面では、生乾き(半生)の白子を好む人が多い。一般的には大根おろしや胡瓜もみ等で食すことが多いが、近年では「釜揚げ白子」のような柔らかなものが好まれる。また、生きたままの白子を酢醤油で頂く「おどり喰い」を楽しむ人も多く見られる。各地では「釜揚げ白子」をご飯...白子干

  • 国際女性デー

    令和5年3月8日(水)国際女性デー:ミモザの日3月8日は「国際女性デー」、別名「ミモザの日」と呼ばれる。世界各地でイベントが開かれ記念行事や様々なデモが行われる。1908年、米ニューヨークで縫製労働者の女性達がデモ行進を行い、労働条件の改善等を求めた。翌1909年2月28日、こうした女性達に敬意を表し「全米女性の日」として記念行事を行った。1911年3月19日、オーストラリア、デンマーク、ドイツ、スイスで世界初の「国際女性の日」の記念式典が行われた。クララ・ツエトキン(独)デンマークで女性参政権訴え、、当時で100万人を超える人達が参加し、女性選挙権や労働、性差別に対する是正を訴えた。1917年にはロシアの女性達が「パンと平和」への抗議を行いストライキを実行した。この日は現暦の3月8日である。1945年、...国際女性デー

  • 長閑さや

    令和5年3月7日(火)長閑さや春の日はゆったりとしてのびやかである。のんびりと静かに落ち着いたさまを「長閑」(のどか)という。この数日の陽気に誘われ、散歩に出かけるのが多くなった。家を出る頃は未だ肌寒く冬装束にマスク着用、陽射しの中を小一時間歩いていると、少し汗ばんで持参のお茶で水分補給。今年は町内組長の当番年、私は高齢を理由にカミさんが町会に出席。町内役員の選出(5年程前からクジ引き)が在ったが、町内会長だけは辞退される方ばかり(高齢者は健康上、若い方が仕事・子育て)組長16名、何度繰り返しても決まらず、後日改めてとなり解散、、、その後前回の会長が学区町に相談、、その後、私共に電話があり、、、止むを得ずとなった(1年の約束)。5年ぶりの再選である。前回(3年半)その頃の会長がご高齢(80歳)で、私が外来...長閑さや

  • 啓 蟄

    令和5年3月6日(月)啓蟄啓蟄は二十四節気の一つで、3月6日頃にあたる。暖かくなって、冬眠していた蟻・地虫・蛇・蛙等が穴を出てくること。また穴を出た地虫そのものを指す。二十四節気では凡そ十五日ごとに季が替わり、一年を七十二候に分けたものは略五日ごとに候を分ける。啓蟄から春分までの十五日間を三分割し、3月6日からは第七候の「蟄(すごもり)の虫戸を開く」とありこれが啓蟄である。3月10日からは第ハ候「桃始めて咲く」、3月15日からは第九候「葉の虫蝶となる」と、季節が細分され明快に自然の様子を知ることが出来る。二十四節気も七十二候も中国で考案されたもので、紀元前から使われていたと云われる。日本へは9世紀頃伝来したと云われている。この処の陽気に誘われ、今日も散歩に出かけた。私はまだ着ぶくれ状態で出かけたが、道行く...啓蟄

  • しだれ梅

    令和5年3月5日(日)枝垂れ梅バラ科サクラ属の落葉花木、中国原産奈良時代に中国から朝鮮半島を経由して渡来した。梅には実を食用とする実梅と、花を観賞する花梅とが在る。その中でも枝垂れ梅は花を観賞するために庭木・盆栽等にとても人気のある花梅である。その名の通り、枝がしだれるように垂れてその先に沢山の花をつける姿に人々は引き付けられる、、、。名古屋市天白区に在る「平針農業センター」のしだれ梅が見頃を迎えている。地下鉄鶴舞線の「平針駅」下車、徒歩20分(市バスあり)農業センターには、≒5000㎡の「枝垂れ梅圓」の敷地に「呉服枝垂」(くれはしだれ)などの12品種、700本が植えられている。きりっとした一重咲木の白、豊満な八重咲きの桃色等、様々な枝垂梅が垂れ下がる小径には、色と香りの波間に漂う心地にさせてくれる。2月...しだれ梅

  • 父子草

    令和5年3月4日(土)父子草キク科ハハコグサ属の多年草で、草丈は8~20cm。ハハコグサよりはやや小さく、姿形は母子草に似ている。葉の裏や茎には白い綿毛が密生して居り、果実にも白い冠毛がある。父子草という名は、母子草に対して付けられたものであるが、何やら二番煎じのようで俳句の季題としては母子草程に普遍的ではない。花期は非常に長く、秋ごろまで花が咲くものもある。父子草は路傍や草地(荒れ地)などに自生する。葉の長さは2.5~10cmの線形で細長く先端が尖る。表面は緑色で裏面には白毛が密生している。根元から横に蔓状に葡萄枝を出し、その先に新たな株を生じて増える。数本がひと固まりとなって生えることが多い。春から秋にかけ根生葉の中央に花茎が、高さ8~25cm程が直立し、途中に数個の枝葉がつく。褐色で光沢の在る頭状花...父子草

  • 雛祭りの食べ物

    令和5年3月3日(金)桃の節句の食べ物雛の節供は3月3日「雛祭」の別名で、古くは「上巳の節供」といい、宮中では供え物をして節宴を催し、闘鶏や曲水の宴を行った。雛祭(江戸砂子年中行事、上巳之図)江戸時代になると「雛遊」が盛んになり、雛段を飾り、甘酒、菱餅、雛あられ等を供えて桃の花を生けて祀るようになる。上巳は、古代の中国で起こった「上巳節」にさかのぼる。上巳とは、3月上旬の「巳年」という意味(後に日付を固定するため3月3日となった)「季節の変わり目は災いを齎す邪気が入り易い考えられ、この日に水辺で戯れを祓う習慣」が在った。この「上巳節」が遣唐使に依り日本へ伝来し、禊の神事と結びついた。当初は天子(天皇のこと)のために「お祓い」を行った。人形(ひとかた)で自分の身体を撫でて戯れを移し、川や海へ紙で作った人形を...雛祭りの食べ物

  • 卒業子

    令和5年3月2日(木)卒業式:卒業生卒業式は小学校から大學まで3月上旬から下旬にかけて行われる。卒業生は卒業証書を授与されて、恩師、在校生、父母らに祝福されて卒業していく。進路や境遇、年齢により卒業の感慨は様々である。未来への希望に膨らんだ喜びが溢れているのと同時に、慣れ親しんだ先生や学友と別れて、母校を去る別離の悲しみと感情が込上げてくる。卒業には希望と喜びのほか、一抹の不安とが感傷を伴う。昨日(3月1日)、愛知県内の公立高校のうち23校で卒業式が行われた。彼等は新型コロナウイルスの流行初期に入学し、学校の行事や部活動が制限される中での高校生活を送った。その殆どはマスクを着用したままのものとなった。先日、文部科学省は卒業式に際し「マスクを着用しないのが基本」とする通知を発した。出席者のマスク着用を巡る対...卒業子

  • 雛飾り

    令和5年3月1日(水)雛飾り雛祭りは元々、中国の古俗に「三月上巳または重三に水辺で禊を行った」ことからきている。現在の様に3月3日の「雛祭り」が盛んに行われる様になったのは近世以降で、徳川五代将軍綱吉の時代(1615~1709年)頃といわれる。それ以前には元和寛永(1615~1644年)の頃で、後水尾天皇が座右に人形を置いて愛好したことが、公家の間に広まり「寛永雛」という美しい雛が造られた。この頃の雛は現在も名古屋市徳川美術館に保存されて居り、雛祭の頃の1カ月程の期間展示される。尾張御三家の雛飾り、徳川美術館雛は女の子の成長を願い「穢れを祓う」という習俗となって現在にも伝わり、地方に依っては雛祭りの後で古い人形や紙雛を近くの川へ流す「雛流し」が行われている。我が家では娘の誕生を祝い、実家から七段飾りが贈ら...雛飾り

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、遊民ヤギ爺さんをフォローしませんか?

ハンドル名
遊民ヤギ爺さん
ブログタイトル
遊民ヤギ爺
フォロー
遊民ヤギ爺

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用