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遊民ヤギ爺 https://blog.goo.ne.jp/yagi1854

俳句と映画のゆうゆう散歩

暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。

遊民ヤギ爺
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2015/07/05

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  • 大晦日

    令和4年12月31日(土)大晦日:大つごもり「つごもり」は、月隠(つきごもり)を略した語。陰暦でひと月の最後の日、大晦日は12月の最後の日でつまり一年の終りの日で陰暦の12月30日、現在の陽暦では12月30日をいう。今も昔も何かと気忙しない日である。日が暮れると寺社では篝火を焚いて初詣の参拝人を迎える準備を整える。大晦日の夜十二時を期して、全国の各寺院では「百八の鐘」が撞かれる。百八の煩悩罪障を、鐘の音と伴に消滅させるためともいわれている。鐘の余韻に去り行く年を惜しみ、くる年に新たな祈りを込める。また大晦日から元旦までの時間、その間に行われる風習を「年越し」といい、その夜に食べる「年越し蕎麦」は細く長くという縁起の意味もあると云われる。地方には「年越し詣」という、晦日の夜に神社に詣でる慣わしも在り、今も除...大晦日

  • 年用意

    令和4年12月30日(金)年用意:歳の市新年を迎えるための用意全てをいう。煤払い、畳替え。障子貼り、餅搗き、年の市の買い物、床飾り、注連縄張り、松の内の料理準備、大掃除等。年の市の買い物や床飾り、注連縄等の買物はすべてがデパートやスーパー等で全てが揃う。注連縄、松飾りなどを売る市、以前は12月になると社寺の境内や街中の小市が立ち、正月飾り等を販売していた。(今もこれが残る所も)東京では浅草観音の境内や神田明神等に市が立つ。浅草の歳の市、正月を迎えるための神棚や注連飾り、門松、裏白、橙(だいだい)、楪(ゆずりは)、串柿等をはじめに飾り盆栽、福寿草、数々の台所用品から、海老、昆布お節料理の食品等様々な品物が売られていた。現在ではこのような情緒は次第に失われつつある。私達の生活様式が変わってきて居り、今ではデパ...年用意

  • 数え日

    令和4年12月29日(木)数え日12月も押し詰まり、年の暮れに残る日数が少なくなること。新春を迎える準備をする慌ただしい年の瀬をいう。今年も残すところいくばくもない、あと数日で新年である。まさに指で数えられるほどの日になったという時の切迫感と感慨の情のにじむ季語で、俳諧味があって使いやすい言葉。既に江戸期の俳諧で用いられていたが、季語としては成立していなかった。季語となったのは最近といわれている。大掃除も(ほどほどに)済ませて、年用意(御節の準備)の買い物、今年は余り沢山用意する必要はなくなった。孫達も大きくなり、夫々に予定もあり、用(新年の挨拶)を澄ませばそそくさと帰る。(食事はして行くが、、、、)お節は明日届く予定で、肉や魚等は明日買い物に行く、、。てな事で、世間の慌ただしき中、老い二人散策に出掛ける...数え日

  • 鳥羽水族館

    令和4年12月28日(水)鳥羽水族館三重県鳥羽市に在る「鳥羽水族館」は、約1200種類の海や川の生物を飼育する、日本国内最大級の規模を誇る。「ミキモト真珠島」を眞近くにし、観光客や修学旅行生が多く訪れる三重県屈指の観光スポットである。館内案内図、私自身、此処には会社の慰安旅行や家族旅行等で、何度も訪れている。派手さはないが、何度来ても飽きない工夫がなされているようだ。館内に入ると天井から、「ジョーズ」がお出迎えする。平日の午前にも拘わらず、人出はかなりあった。「人魚の海」のコーナーでは、ジュゴンがゆったりと水槽を泳ぎ、私達に愛想を振りまくように見える。アマゾンの巨大魚などの水槽をみてまわり、「へんな生物」のコーナーでは、まるで宇宙人のようなグロテスクな深海の生物「セノテヅルモヅル」に思わず目を見張る、、、...鳥羽水族館

  • 大掃除

    令和4年12月27日(火)大掃除:煤払い平素は手の届かない家の隅々までも、大規模に掃除する事。「煤払」は、新年を迎えるために年末に家屋や調度の塵埃を掃き清める風習をいう。昔は朝廷や幕府等で行う年中行事の一つであった。井原西鶴の「世間胸算用」に、「毎年煤払は極月十三日に定めて」と在る通り、公家・武家・民間共に十二月十三日の慣例であった。熱田神宮煤払(狩衣姿で行う儀式)今では寺社などは別として、大晦日近くに行う家が多い。また、煤払に使う篠竹を「煤竹」という。篠竹(煤竹)「煤払」は生活実感のある歳末の季語として現代にも共感を呼ぶが、「大そうじ」は季語の定めはないが、今では暮れの年中行事の一つである。我家でも今年の大掃除が始まった。掃除機、スチーマカミさんから(尻を叩かれ)色々と用をたまわった。先ずは身の回りの書...大掃除

  • 伊賀上野城

    令和4年12月26日(月)伊賀上野城伊賀上野公園内に在る「芭蕉翁記念館」を出て、上野城へ向かう。公園入口、案内図、上野城跡、公園南の通りを挟み、上野西小学校の立派な土塀が連なる。上野西小学校前、土塀の上には屋根瓦を施し、上部が土塀で中央より下部は板の格子がはめ込んだ大層立派な塀が続いている。城下の街並みへタイムスリップしたような感じする。土塀が切れた所を右折すると城門があり、其処を潜り石段が続く。孫達は急ぎ駆けあがって行くが、私はカミさんとゆっくりと一歩づつ石段を踏みしめ、途中歩を止めて休みながら進む。登り切った右手の木々の間から天守閣が見えた。思ったより、立派な大天守閣である。登り切った高台(広場)の先に「高石垣」があり、孫達は親に注意されつつ、下の堀を眺めていた。(囲い垣がな)私達も、恐る恐る石垣に手...伊賀上野城

  • 冬花火

    令和4年12月25日(日)冬の花火昨夜(12月24日)、クリスマス・イブ恒例の花火大会が名古屋港ガーデン埠頭で行われた。「音楽と花火のロマンチックな競演」をキャッチフレーズに愛知県岡崎市の老舗花火業者「磯谷花火店」が、クラシックや洋楽等の様々な音楽に合わせ花火を打ち上げる(有料)。大音響とともに迫力ある大輪花火、星やハートの形の花火が多数鏤められ音に合わせて踊る、水上を仕掛け花火が奔る、寒さ厳しい夜の名古屋港、、見上げる家族連れやカップル等寒さなど何のその、、、、夫々の心(気持ち)はポッカポカ。45分間の花火大会は終了した。「冬の花火は夏場より、夜空が澄みきってとても綺麗」と言われるのだが、、、この寒さ、ベランダ観戦の我々(年寄り)は早々部屋へ退散、大音響と地響きだけは暫し鳴りやまず、、、、、。今朝(25...冬花火

  • 初 雪

    令和4年12月24日(土)名古屋の初雪今日も日本列島は強い寒気に覆われ、東北南部から北陸周辺の地域を中心に大雪に見舞われた。今回は岐阜県山間部や名古屋市付近を含む西日本太平洋側でも雪雲が発達し、積雪となった。今朝、あまりの寒さに5時頃に目覚め新聞を取りに玄関へ、この時には雪は降って居なかったが、、、、5時半頃に窓外を眺めると雪が舞い始めている。雪は民家の屋根を見る見る白くし、下の公園には積雪が始まった。ラジオ体操(6時30分~)を終えて、外を眺めると本当に一瞬のうちに真っ白、、一面の銀世となって居た。名古屋栄付近、通勤の足、、、朝10時の名古屋気象台は、10cmの積雪と発表した。私の住む南部の名古屋港周辺では5cm程の積雪である。公園には子供達の歓声が聴こえ始め、、、雪合戦や雪だるまを造りだす、、、、やは...初雪

  • 芭蕉の里

    令和4年12月23日(金)芭蕉の里を訪ねる息子の家族と伊賀上野へ出かけた折り、「芭蕉翁記念館」を訪れた。伊賀上野公園には、藤堂高虎が築城した「伊賀上野城」、「俳聖堂」、「伊賀流忍者博物館」などが在る。孫達は以前、「伊賀忍者屋敷」等に出掛けて居り今回は爺さんの我儘を通して貰った。芭蕉は、寛永21年(1644年)に伊賀の国で生まれたが13歳の時に父が他界し、19歳の時に藤堂新七郎の嗣子、良忠に仕え俳諧への道を目指す。然し良忠が25歳で亡くなり、藤堂家を辞し29歳の時に江戸へ出る。32歳の時に西山宗因が主宰する句会に参加、俳号を「桃青」とする。37歳で深川庵に移り、門人から芭蕉の木を贈られて、これより俳号を「芭蕉」と名乗った。その後41歳の時「のざらし紀行」の旅で尾張から近江を紀行する。44歳の時には「鹿島詣」...芭蕉の里

  • 冬 至

    令和4年12月22日(木)冬至:柚子湯二十四節気の一つで、太陽の黄経が270度に達した時。立冬から45日後、陽暦の12月22日頃にあたる。北半球では太陽が最も遠ざかり、昼間の時間が最も短い日である。この日を境に、また日が徐々に長くなってくるところから「一陽来復」ともいう。実際には寒気がの頃から厳しくなる。この日に、粥・南瓜・蒟蒻などを食べる習慣が在る。また、当時の日に香り高い柚子の実を丸ごと或いは輪切りにして風呂に浮かべ入浴する風習もある。ひび、あかぎれに効き、風邪などの予防にも良いとされる。5月の節供の「菖蒲湯」や「桃葉湯」などと並び、みそぎの名残ともいわれている。亦、「冬至粥」は冬至の日に「小豆粥」を食べる。「冬至南瓜」、「冬至蒟蒻」といいそれらを食べる風習も見られる。陰暦の11月23日の夜、小豆粥を...冬至

  • ミニ門松作り

    令和4年12月21日(水)ミニ門松作り門松は、い新年を祝って家の戸口や門前に立てる松飾り。これを立てると俄かに、正月気分が増す年の瀬行事である。歳神の降臨する漁りましと考えられるが、門松の由来には種々の説が在る。名古屋城の門松、江戸城の各城の門を飾った三本の竹に松を添えて根元を割木で囲った形が今では普通に見られるが、松や竹の他に楢椿、朴、栗、樒(しきみ)、榊、椎等も用い様式も様々ある。また、門松を立てず注連縄を角口に張る地域もある。これが門松の古い形態と思われる。門松は通常、年末に立てる。関東では正月」の七日に納める所が多いが、関西では正月の十五日まで「松の内」と称して門松を飾っている。各地に小正月の十五日に二度松飾をする所もある。門松の風習は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて普及して、松を立てると年神...ミニ門松作り

  • 実南天

    令和4年12月20日(火)実南天:南天の実南天はメギ科の常緑低木。中国大陸原産で西日本の暖地に自生、また観賞用に植栽される。高さは2~3mで、葉は羽状複葉。小葉な披針形で先端が少し突き出し、葉身は革質で深緑色をしてやや艶がある、葉柄の基部は膨らみ茎を抱く。冬に葉の色が赤くなる品種のものもある。初夏に白色の小さな6弁の花を総状に咲かせる。晩秋から冬にかけて球形の直径6~7mmの実が結実する。茎の先に群がり、赤熟した実を連ねた房が緑色の葉と伴に揺れる様子は冬の風景としてかかせない。白い南天の実白、黄色、紫等の実もあるが、雪景色の中では紅色が映える。古くから、「難を転ずる木」として正月の生花に重宝される。南天の実は乾燥させて薬用として利用され、解熱・咳止めに効能があるとされる。南天には殺菌効果があるとされ、厠の...実南天

  • 餅花作り

    令和4年12月19日(月)餅花:団子花柳、榎などの枝に紅白の餅や団子を小さく丸めて付けて、神棚近くの柱などに飾るもの。小正月の飾り木の一種で、花が咲いたように見える事から「餅花」と呼ばれる。農閑期に稲を模して豊作を祈る。養蚕の盛んな地方では「繭玉」と呼び、米粉で繭の形を作って飾り付ける。近年では大判・小判や、宝船にも金銀の箔で作って下げ、都会風な飾り付くで都心等でも販売されるようになった。餅花が作られ始めたのは、室町時代に活躍した連歌師宗長の日記の、「宗長手記」大氷7年(1517年)に、「早梅の枝もたははに咲きたるを,人持ち来たり侍る」、、、中略、、、冬の梅は一りん二りんかすかに咲きて匂ふこそ、あわれふかからめ、あまりに正月に意への餅花つけたる様にさきたるをふさはしからず見てのことなり」との記述が見えるの...餅花作り

  • 骨董市

    令和4年12月18日(日)大須観音骨董市骨董品は、希少価値の在る古美術品や古道具のことをいう。フランス語のアンテイーク(antque)と呼ばれる。骨董品で重要な事は、あくまで「古いこと」で、文化遺産の保護を目的として骨董品の輸出入を禁ずる国も在り、注意が必要である。それに合わせて復刻版と称した贋作にも注意しなければならない。アンテイーク(骨董品)の定義は、WTOでも採用される加盟国間に於いて「100年前に製造されたことが証明された物品」とし、関税免除の対象となっている。欧米では100年以上を経たものを「アンテイーク」、100年に至らぬものを「ジャンク」と言い、その中でもさ程価値のない中古品に近いものを「ラビッシュ」とする。日本では「骨董」は、希少価値の在るもの、アンテイークのような意味はなく、「古いだけで...骨董市

  • 冬木立

    令和4年12月17日(土)冬木立:冬木冬枯れの木・冬の木で常緑樹もいうが、葉が落ちた木の方が冬木のか感じがある。「寒木」はさらに語感が強まる。「俳諧歳時記栞草」に、「夏木立は茂りたるをいひ、冬木立は葉の脱落したるさまなどいふべし」とあるように、立ち並んで葉の落ちた寒々とした冬木の群れをいう。「寒林」のような広がりのある冬木の群れでもなく、「冬木」のように一本か数本のものでもない。道沿いに立ち並んだり、ひと固まりをなした枝の間に空が透けて見えるような木立の群れをいう。俳人の名句斧入れて香におどろくや冬木立与謝蕪村※「一見枯れたように見える木の命を詠みとった名句」と、俳人の鈴木貞雄(若葉主催)の句評(新日本大歳時記)ここ数日の寒波と、それに伴う空っ風は凄まじく、みるみる公園の樹木は飛び散って、木々は見る影もな...冬木立

  • 賀状書く

    令和4年12月16日(金)年賀状を書く賀状は新年の季題であるが、賀状書くは冬の季題である。「新年の御慶めでたく申し納め候」と書いていたが、年賀郵便が普及した明治末には、葉書向きの「謹賀新年」等になった。11月になると「お歳玉付年賀ハガキ」が売る出されて、暮れの忙しい中で暇を見て書き続けていく賀状の一枚一枚には、様々な思いがこもるものである。師走も早半ば過ぎ、今年もまた年賀状を書く時期が来た。何をするでもなく、ボンヤリと窓の外を眺めて居ると、、色々な声(音)が聴こえてくる。遠いスピーカーから発せられる「〇〇商店街でーす、只今歳末大売出し、xx旅行が当たる福引セール中でーす」消防団は、「空気が乾燥しております。火の基には十分に注意してください、」さらにけN警察署は、「何々詐欺にご注意ください、空き巣被害、自転...賀状書く

  • 冬帽子

    令和4年12月15日(木)冬帽子:冬帽冬にかぶる帽子。中折れ帽、鳥打帽、学帽など各種ある。普段帽子をかぶらない人でも、冬場に帽子をかぶる人は増える。欧化主義(明治半ば頃、ヨーロッパ文化の移植を目的とした社会の風潮)が流行った明治時代に、殊に帽子が大流行し、男性の着用が普通の事となった。明治の文豪の二葉亭四迷は著書「浮雲」の冒頭で、役所の初冬の退け時を描き、主人公の文三はつば広の黒いラシャの帽子を、友人の昇は縁の巻き上がった鍋底形の黒の帽子をかぶっている、、、、、、。中折れ帽子、この風潮は大正、昭和へと繫がっていった。言われてみると私の幼い頃、戦後の街中で帽子をかぶる大人達をよく見かけた。サラリーマンはつば広帽を紳士然と被り、私の親達(商店主)は外出時にハンチングを被っていた。(今では殆ど見かけぬが、、、)...冬帽子

  • 鍋焼き

    令和4年12月14日(水)鍋焼き:鍋焼き饂飩本来は鍋に鶏肉、魚介類、芹、慈姑(くわい)等を入れ、醤油や味噌の味付けで煮ながら食べる物。別名芹焼き。鍋の縁に土手のように味噌を塗り、溶け出す味噌に具を合わせて食べるのを土手焼きという。味噌が少し焦げて香ばしい、熱々のをふうふうといただく。「鍋焼き」は昨今、土鍋で饂飩や葱、椎茸、蒲鉾、天婦羅、卵などを煮る「鍋焼きうどん」をいう場合が多い。寒い日に出歩いていると、鍋焼きを食べて早く温まりたいと思うことは多いと思う。鍋焼ときめきて暖簾をくぐり入る西山泊雲正に、そんな状景を詠んだ、俳人の名句である。一人用の小型の土鍋或いはアルミ鍋にめんつゆとうどんを入れ、蒲鉾や油揚げ等の具材を乗せ、煮え立ったものをグツグツ沸騰した儘供して、鍋からそのまま食べる。具材は多様で、葱の他、...鍋焼き

  • ゆりかもめ

    令和4年12月13日(火)ゆりかもめ:都鳥ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランド等で繁殖し、冬は南下してヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡り越冬する。日本では冬鳥として、北海道から南西諸島迄広く渡来する、小型のカモメ類の大半が本種である。全長約40cm、翼開帳時には約90cm程にもなる。脚と嘴は赤色で、羽毛は夏場は頭部が黒褐色になる。冬場は頭部が白くなり、目の後ろに黒い斑点がある。スグロカモメに似ているが、スグロカモメの嘴は黒く短い。日本の古典文学に登場する「都鳥」は、現在の和名にある「ミヤコドリ」ではなく、「ユリカモメ」を指すという説が有力で、「墨田川に居る都鳥は体が白く嘴と脚は赤い。鴫(シギ)程度の大きさで魚を食べる水鳥」とされ、これに当てはまる鳥として「ユリカモメ」が最も近い。故に、「...ゆりかもめ

  • 炭 火

    令和4年12月12日(月)炭火:埋火、消炭木炭のこと。炭俵、火起こし器、エアコンやストーブが現在のように普及していない頃には、冬の暖房に欠かせないものであった。機種・製法・用途によって種類は無数といってよい程ある。硬炭・白炭など炭の性質により分けたり、雑丸・雑割・楢丸・楢割・楓丸など原木の種類や形により分類したりする。茶道で使う炭には、枝炭・花炭などがある。ガスの炎などと比べると、木炭を燃やす炎には独特の趣がある。炭火の色の柔らかさには風情がある。熾きている最中の炭を「燠」(おき)という。炭が白く灰になったのを「尉」(じょう)という。火の着きが悪くて燻(いぶ)ったり、火が爆ぜて跳ぶのを「跳炭」という。ガスや石油などと違って、火の調節をし難い面もあるが、火力を見ながら火の機嫌を伺ったり」、炭の火色そのものを...炭火

  • 潮路句会12月例会より、

    令和4年12月11日(日)潮路句会12月例会日時:令和4年12月10日(土)13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:出席6名、欠席3名兼題:1)枇杷の花、2)師走、3)当季雑詠今年最後の句会、リハビリ中の方2名は来春には参加出来そう。先月、大手コミュニテイセンターでは恒例の「大手祭り」開催、模擬店や演芸大会等はコロナの影響で中止となり、文化祭は各グループの作品発表会のみとなりました。服飾、手芸、クラフト、書道等に我々の俳句作品(短冊)展示も在りました。服飾、手芸など、絵手紙、クラフトなど、書道、俳句、潮路12月例会一夜さに散り尽したる大銀杏玲子潮路抄凍蝶の日差しに翅を押し広ぐ玲子寒禽に脅され暗き磴下る魚青走り咲く水仙に日矢届きけり美保子寒烏誰を呼びしや憂ひ声輝子凪きし海礁を洗ふ冬の波美智子※礁:いく...潮路句会12月例会より、

  • 藪柑子

    令和4年12月10日(土)藪柑子:山橘、十両サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木。山林の陰地などに自生する。地下茎を伸ばして繁殖し、茎は直立して殆ど枝分かれせず高さは10~30cmくらいになる。観賞用として、庭木や盆栽等に植えられる。厚みのある艶々した長楕円形の葉は互生し手、茎の上部に1~2層の輪生状に付く。夏(7~9月)「、葉の間に白い小さな5弁の花を付ける。花の後に小豆粒大(5~6mm)の球果を結ぶ。冬になると実は、真っ赤に熟してとても美しい。藪柑子は常緑樹として、慶事や縁起物として用いられる。冬季の花材として重宝されている。新年の飾りつけに、千両・万両と伴になくてはならない。千両、万両、根茎または、全草の乾燥品は「紫金牛」と称して、生薬となる。回虫、ギョウチュウ等の駆除作用があり、喉の腫れや気管支炎...藪柑子

  • 皇帝ダリア

    令和4年12月9日(土)皇帝ダリア:木立ダリア高さ8~10mにもなるキク科テンジクボタン種で、メキシコ・中南米原産。高知、山地の植物で、標高1500から1700mの場所に生育している。日本では学名を「皇帝ダリア」とも呼ばれている。日本では庭木として広く栽培され、庭園や家庭でも人気の植物である。塊根を有する多年草で冬季休眠の後、急速に成長し竹の様に膨れた節のある四角形の茎と大きな羽状複葉を開き、茎がぐんぐん伸びて下の方の葉は忽ち日陰に入ってしまう。11~12月頃、草丈が6m程に成長し茎は木の様に太くなる。頭花は直径75~150mm位の大きな舌状花は薄い紫からピンク色で、若干見下ろすように開いている。寒さに弱いため(冬に咲くのに?)、真冬になり花が終わる頃には地上に在る部分は枯れてしまい、球根だけが残り翌年ま...皇帝ダリア

  • 鯛焼き

    令和4年12月8日(木)鯛焼き:鯛焼き屋小麦粉を溶いて鯛の形をした型に流し込み、餡を包みこんで焼いたお菓子。熱々の鯛焼きを手に、「男は頭から、、女は尻尾から、、」食べると云われるが、そんな事より餡が尻尾迄入っているか気になる方は多い。鯛焼きの前身は「今川焼き」といわれている。鯛焼きの焼き方には、一匹ずつ焼きあげる「一丁焼き」と、鉄板に複数の鯛の型があり、一度に多く焼く方法がある。中にはこの焼き方に拘り、前藻の「一丁焼き」を「天然物」、後者の一度に沢山焼くのを「養殖物」と呼んでいる様だ。「一丁焼き」は、2kgを超える鋳物の焼型は重く、手間がかかりこの一丁焼きは年々減少傾向にあるという。然し、伝統的な焼き方と味(高温で焼くため皮がカリッとし中身がふっくら)に拘りを持つ鯛焼き職人も居り、最近ではこの「天然物」「...鯛焼き

  • 冬日向

    令和4年12月7日(水)冬日:冬日向冬の太陽、冬の一日をいう場合もある。日脚が日一日と短くなり、陽射しも鈍く弱く陰鬱な気がする。然し冬の日は何故か懐かしさを誘うものである。日脚は早く忽ち薄づく色に変わるので、冬日は掛け替えない恵にも思われる。もと依り晴れた日と曇り空では自ずから印象も違う。晴れた日の目に眩しいほどの光りと、ほの白く濁って見える曇り空。冬の日は様々、取分け晴れた冬日向は貴重な場。冬の日向が恋しく、冬の一日を楽しむのは何も病弱な人や、年寄りばかりとは限らない。縁側の日向では毛糸を編んだり、おしゃべりを楽しむ女性の姿や、公園に園児を引率する保育士等の姿は実に微笑ましい。陽射しに誘われ、名古屋港の埠埠頭公園へ出かける。日溜まりでおしゃべりを楽しむご婦人等の傍に鳩が寄り、、広場ではゲートボール(失礼...冬日向

  • 枯蟷螂

    令和4年12月6日(火)枯蟷螂:蟷螂枯る蟷螂はカマキリ目の昆虫の総称、頭は三角形で前肢は鎌状の捕獲肢となり、他の虫等を捕えて食う。全世界に約2000種前後の種類が居ると云われるが、熱帯亜熱帯地方が多い。体全体は細長く、6本の肢のうち前肢は鎌状にに変化し多数の刺があり、これで掴んだら獲物を決して離さない。二つの複眼と大顎が発達している。カマキリは飛行が苦手で直線上に短距離を飛ぶが、雌は体が大きく殆ど飛べない、翅は敵を威嚇するためのもの。カマキリは、昆虫や魚など小動物を捕食するが、大型の昆虫(スズメバシ、バッタ、オニヤンマ等)や、蛇、蛙、蜘蛛、ネズミ、ヤモリ、イモリ、小魚や時には自分より大きな体の小鳥なども襲う。亦、カマキリは共食いをするが、交尾の間に雄カマキリを捕食する事も在る。(雄は背後から近ずくが)(N...枯蟷螂

  • 障 子

    令和4年12月5日(月)障子:障子貼る日本で独自に発達した建具で、日本座敷の内外を仕切る障屏具。冬は採光を和らげ、湿度を調節し保温もしてくれる。平安時代には「襖障子」のことをいった。取り外し可能な「張付壁」、絹布を張った「襖障子」、唐紙を張った「唐紙障子」、台脚付きで室内を移動可能な「衝立障子」、簾屏風のように作った「通障子」。通常の格子に組んだ骨組に白紙を貼った「明かり障子」等の種類は多いが、現在では障子といえば「明かり障子」を指す。世界に誇れる優れた日本的な「障屏具」である。障子は日本家屋に年中用いられているが、新年を迎えるために障子を張り替えたりするので、俳句では冬の季語としている。日の低い冬の陽射しをうけて、座敷が明るくなり気持ちも明るくなる。邦画の世界では、欠かせない日本家屋の建具である障子は、...障子

  • どてら

    令和4年12月4日(日)褞袍:どてら、丹前綿を厚く入れた広袖の防寒用の着物。柄は主に縞柄で派手なものが多く、裏は通し裏(裏として仕立てる)である。一般には男子の家庭でのくつろぎ着だが、女性用の物もあり温泉旅館などでは男女両方用意、浴衣の上に重ね着する。「どてら」は江戸神田に在った「堀丹後守」の屋敷前に並ぶ「湯女(ゆな)風呂」に出入りする者達の男伊達のどてら姿を「丹前風」称した。江戸に始まって京阪で流行したといわれ、京阪ではどてらを丹前と呼ぶようになった。温泉街の丹前姿、また、半纏(はんてん)という綿入れの丈の短い物を股引の上から羽織る、職人(火消し、植木、大工等)の着物。今も半纏の鯔背な姿は惚れ惚れとする、、東北地方では、寝具にもなる大振りの綿入れを「掻い巻き」という、防寒具がある。名古屋では「でんち、で...どてら

  • 湯豆腐

    令和4年12月3日(土)湯豆腐:湯やっこ豆腐を賽の目に切り、昆布を敷いた湯に入れて煮立て醤油に薬味を入れたものを浸けて食べる料理。湯豆腐の発祥の地は京都の南禅寺周辺とされている。梅の花(名古屋)豆腐づくし、豆腐は水に浸した大豆を引き砕き、その搾り汁を煮てカスを取り,苦汁(にがり)を加えて凝縮させた食品。安価で蛋白質が豊富な庶民的、健康的食品として庶民の間で喜ばれている。夏の暑い時期には「冷奴」とし、冬の寒い時期には「湯豆腐」として賞味される。湯豆腐は鍋(土鍋が良い)の底に板昆布を一枚敷いて賽の目に切った豆腐を入れて、煮立ったところを薬味(葱やかつを節)を入れただし汁やポン酢に漬け食す。手軽な料理でアッサリした味は、日本的な食品として、外国で勤務した人達が帰郷した時に最も喜ばれる食品の一つ。何よりも冬の寒い...湯豆腐

  • 枇杷の花

    令和4年12月2日(金)枇杷の花バラ科の常緑高木で、樹木の高さは5~10m。石灰岩地帯に野生、暖かい地方で果樹として栽培される。葉は広倒被形、長い楕円の葉は15~20cmある。葉の表面は艶が在り厚めで葉裏には産毛がある。11月頃から12月にかけて、枝先に円錐花序をなして五弁の白色の花を多数開き、芳香を放つ。中軸・花柄・萼片ともに淡い褐色の繊毛に包まれた目立たない花である。概して慎ましく、地味、淋しい、ひっそりという印象が強い花で、華やかさはないが、意思の強さを感じられる花である。冬の色の少ない、もの静かな情景が似合う花と云われる。枇杷の実(6~7月)ご近所から頂く枇杷の実、毎年、夏季になると「枇杷の実」を頂くご近所の裏庭に枇杷の花が咲いている。細長い大きな葉が枝一杯に広がり、その葉の中央あたりから小さな白...枇杷の花

  • 師 走

    令和4年12月1日(木)師走:極月陰暦12月の異称であるが、今の陽暦でも同じく12月に用いられている。師走の「師」は僧のことで、この月になると僧も彼方此方と、忙しく走り回ることから出来た言葉と俗に言われるが、また師は伊勢の御師と呼ばれる下級神職のことで、この人達が歳末に伊勢神宮の御札を、全国に配り歩いたところから出た言葉だという説もある。こちらの方が歳末の慣わしを感じさせる言葉として季節感を濃く含んでいるように思われる。他に、語義的な解釈として「為果つ月」(しはつつき)、(一年の仕事の終りの月)に依るとされる説もある。語源には諸説があるが、文字面からも年末の慌ただしい人の往来を思わせる響きがある。12月の他の呼称は(一年の終りを告げる月として)、「極月」「窮月」「限りの月」「除月」がある。また、蔵王集(室...師走

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