◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第210号 2025-07-05(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-210□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「長嶋茂雄特集3」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー-------
和歌山県新宮市について情報を発信することにより同窓生をはじめすべての新宮人同士の交流を計るサイト。
世界に住んでいる新宮人が故郷の状況や友人の消息などの情報を知ることができます。
わが愛する、長嶋茂雄さんは数々の迷言を残しています。クイズ長嶋茂雄~迷言編2です。普通の人なら考えられない不思議な言葉の数々をお楽しみください。正解率が70%を超えれば合格です!結果はすべて最後に出ます!さあ、START ボタンを押して挑戦してください!https://quiz.kumano-express.com/quiz-mister-meigen2/
ジャイアンツのユニフォームを着る前の遠い昔、立教大学野球部時代にはこんなエピソードが残っている。場所は西武池袋線の車中。坊主頭の最上級生らしき男と数人の一年生が乗っていて、上級生は後輩にこう言った。「よし!今日はみんな映画に連れて行ってやるぞ」「オース。先輩、ありがとうございまーす。」「何の映画にゆくんですか?」「よーし、今日は特別に黒沢明の名画だ。三船敏郎主演の「ノヨシケン」というやつだ!」「ノヨシケン」・・・・・「野良犬」を
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第209号 2025-06-28(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-209□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「長嶋茂雄特集2」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー-------
麻雀に関するエピソードも限りなくあるが、おぼえ始めたのは大学時代であった。そのころから自分の手作りだけに没頭するあまり、他の三人の動静を見ようともしない。リーチがかかっていることさえ気づかず、これではカモになるのは当然。ジャイアンツの一員になってからもそのままの雀風だったため、負け続けた。その当時、(60年前後)、麻雀の借金総額が300万円を超えたそうだから驚かされる。いまの金額に換算すれば、10倍はくだらない!?あまりの大金なので、見かねた川上哲治監
川崎球場でのこと。試合が終わって選手達がそれぞれに家路につこうというとき、長嶋さんが、「車のキーがない」と騒ぎ出した。さあ、大変。巨人軍のナインがロッカールーム、ベンチ、食堂、トイレ・・・長嶋さんの行動範囲のすべてをくまなく捜査したがついにキーは出てこない。と、長嶋さんが叫んだ!「いけねえ。今日は車じゃなかった。」
吉原和文
ある時、ミスターは知り合いの新聞記者から生まれた子どもに名前を付けて欲しいと頼まれた。ああでもない、こうでもないと頭をかかえた。思案にあけくれて、考えた名前は自分と同じ「茂雄」だった!それを聞いた記者は驚いたが、これ以上ない有難い名前なので頂いたとのこと。
ある試合で巨人にチャンスがやってきた。打線は下位。ミスターは球審に告げた。「代打、上田!」ベンチに戻ってきたミスターはどうも変な雰囲気に気づいた。相手ベンチも笑っている。ピッチャーがモーションをおこすと、ファーストとサードが猛ダッシュしてきた。ミスターは「サインがばれているのか?」「違います。監督が代打を告げる時に自分でバントの構えをやって見せたでしょ!」・・・
ビートたけしがフライデー襲撃事件で謹慎していた時、ミスターはたけしを励まそうとゴルフに誘った。ミスターの大ファンで喜んだたけしはいそいそとゴルフ場にやってきた。と、玄関に現れたミスターは、「やあ、たけしさん、今日はゴルフなの?で、誰と一緒?!」「???」
選手やコーチたちは、事前に配布されている団体チケットを改札で提示して構内へ入るのだが、こんな光景があったそうな。にこやかに登場したミスター、改札口に近づいているのに手には何も持っていない。(まさか、そんなバカなことは・・・)と思うまもなく、「おはようございます、長嶋で~す」と言って中へ入っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第208号 2025-06-21(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-208□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「長嶋茂雄特集」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー--------
ある日、ミスターは少年野球の指導を行っていた。「そこのアカイ君、バットを振ってごらん。ひじをたたんでビュンと、そう。」「こっちのアカイ君も、腰を回して、バアーと、そう。」「今度は君、えっ、君もアカイ君か?今日はアカイ君が多いなあ。」「今度は君が・・・ん???」実はその日のメンバーは「赤井電機」のチームで、全員のユニホームにAKAIのマークが入っていたのだ。
長嶋さんはモノ忘れの天才であるにもかかわらず、一度覚えた人の名前は決して忘れないという一面もある。ただし、勘違いはよくした。萩原(ハギワラ)トレーナーのことを長年にわたって「オギノくん、オギノくん」と呼びつづけた。荻野さんというトレーナーが一時いた。だからいつまでたっても「オギノくん、オギノくん」。
長嶋さんはモノ忘れの天才であるにもかかわらず、一度覚えた人の名前は決して忘れないという一面もある。ただし、勘違いはよくした。萩原(ハギワラ)トレーナーのことを長年にわたって「オギノくん、オギノくん」と呼びつづけた。荻野さんというトレーナーが一時いた。だからいつまでたっても「オギノくん、オギノくん」。
かつて西鉄ライオンズと大洋ホエールズを最下位から日本一に導いた名監督、三原脩さんは、長嶋がまだ現役だった73年に「勝つ」という本を上梓した。そのなかに次のようなくだりがある。「ここ10数年間のプロ野球ブームはまったく異常であったといえる。それは巨人にONという超人級のスターが生まれ、これがこのブームをもたらしたものである。 -中略- 近い将来、ONが球場を去ることがあると思う。われわれとしては、そのときに備えて次代を背負う大スターを作り上げねばならないのは言うまでもな
長嶋茂雄の真実長嶋茂雄の人気はとどまるところを知らず、最近ではしばしばテレビでもエピソードが紹介されている。そんな時、大抵はそそっかしい一面ばかりである。しかし、ここでは、あまり報道されなかったちょっといい話を紹介しよう。愛すべき長嶋茂雄のほんとうの人となりをあらわす話である。バットボーイ昭和47年10月8日の阪神・巨人戦の試合後のこと。三塁側巨人ベンチから伸びている地下通路にひとりのバットボーイがいて、試合を終えて帰りのバスに向かおうとする長嶋に突然
東京オリンピックの年、報知新聞で「ON五輪を行く」という連載企画があった。毎日、長嶋と王がオリンピックの競技会場をあちこち訪れ、感想を記事にするというものであった。2週間にわたるオリンピックの折り返しとなる10月17日、趣を変えて、ONと五輪コンパニオンとの座談会が開かれることになった。当時のコンパニオンは海外留学の経験があり、数ヶ国語をしゃべれる良家の子女ばかりで、人選は記者たちにまかせられた。JOCから配布された34人のコンパニオンのリストから10人ほどにかたっぱ
巨人の永久欠番球団創設以来、半世紀以上の歴史ある巨人軍には、永久欠番が6人いる。現役時代につけていた背番号を、以後他の選手が使わないようにして栄誉を称えるものだ。14 沢村栄治プロ野球草創期の快速投手。17才のとき、静岡草薙球場でのオールアメリカンとの試合で大リーグのホームラン王ベーブルースを三振に切って取ったことで一躍名をあげた。4 黒沢俊夫外野手。腸チフスで亡くなった。16 川上哲治一塁手
昭和48年9月26日のこと。松本投手の早い投球テンポにバットが合わず、巨人が中日に敗れた夜、長嶋は早々と着替えると、いつものように球場の裏口から表に出た。愛車センチュリーで家路へと急ぐ長嶋はやがて高速道路へとあがったのだが、その頃見え隠れに追ってくる1台の小型車には気付かなかった。当時、中原街道は、夜になると道路工事を始めており、片側通行となっていたため急に込みだしてきた。交差点に入ると長嶋は急に思い立ってウインカーを右に出した。おぼえたばかりの道があったのだ。このと
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第207号 2025-06-14(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-207□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「クイズ長嶋茂雄~青春篇」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー---
ミスターは、東北遠征のとき、愛車を上野駅に横づけして荷物をおろし、意気揚々と列車に乗り込んだ。遠征が終了して帰宅したところに、警察から電話があった。「あなたの車が上野駅前に放置されています。至急取りに来てください。」車に乗って駅まで行ったことを忘れたのだ!
ミスターは、東北遠征のとき、愛車を上野駅に横づけして荷物をおろし、意気揚々と列車に乗り込んだ。遠征が終了して帰宅したところに、警察から電話があった。「あなたの車が上野駅前に放置されています。至急取りに来てください。」車に乗って駅まで行ったことを忘れたのだ!
わが愛する長嶋茂雄さんには、聞いて楽しいエピソードがたくさんあります。青春時代をどのように過ごしていたのかは、エピソードを知ることである程度想像できます。しかし、各エピソードを単純に繋いでも小説のようにはなりません。そこで今回は、青春時代のその時その時のエピソードを並べることで人間性を伝えることができるのではと考えました。簡単な三択クイズに答えることで、長嶋さんの人となりを垣間見ることができます。全問を回答すると、最後に、正解率(%)が表示されます。不正解の場
長い腕から離れた球は、まともに長嶋の体に向かってきた。「危ない!」思わずのけぞった。身の軽い長嶋はよけきれたと思った。だが、無念。シュート気味にきたバッキーの速い球は右手薬指に鈍い音を立てて当たった。伝統の巨人阪神戦に超満員のスタンドも一瞬、ハッと静まりかえった。次打者の王が駆け寄ってタオルで血をふき取った。昭和38年9月9日、ペナントレースはあと一ヶ月半で終わろうとしていた。それまで長嶋は、打率、本塁打、打点いずれもトップに立って「ただいま三冠王」-順風満帆であった
東京6大学リーグで通算8本のホームラン新記録をつくった長嶋に、まず南海が、つづいて巨人と中日が猛烈なスカウト合戦をくりひろげた。当時、「野球界」の編集長だった関三穂さんは、まだ長嶋の巨人入団が正式に決まっていない段階の11月9日、巨人のバッテイングコーチ兼任だった川上哲治に頼まれ、会食の場をセッテイングした。 それは、六大学の秋のリーグ戦の最後を飾る早慶一回戦があった日で、立大のスケジュールはすでに終わり、長嶋の巨人入りが濃厚と伝えられていた時期だった。長嶋は、編集
引退セレモニーでの挨拶の全文は以下の通りです。「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日までの17年間、巨人軍ならびに長嶋茂雄のために、絶大なるご支援をいただき、まことにありがとうございました。今ここに自らの体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。ふり返りますれば、17年にわたる現役生活の間、いろいろなことがありました。好調時にはみなさまの応援が”背番号3”の闘志をさらにかき立ててくれました。不調時には、みなさまの温かい声援に支えられました。
国民的英雄・長嶋茂雄さんが、3日、亡くなった。89歳だった。これまで、好きな有名人の訃報を聞いても涙を流すことなどなかったが、この日ばかりは違った。子どものころからの憧れの英雄を亡くしたのはこの上なく寂しく、テレビや新聞、ネット配信で報道されるたびに涙が止まらなくなる。筆者は、子どもの頃から「長嶋茂雄」に憧れ、その人生をずっと追いかけてきた。中学に進学すると同時に野球部に入部、毎日、厳しい練習に明け暮れた。朝4時半に起き、近くの蓬莱山に行き、石段を駆け登ったり駆け降り
国民的英雄・長嶋茂雄さんが、3日、亡くなった。89歳だった。これまで、好きな有名人の訃報を聞いても涙を流すことなどなかったが、この日ばかりは違った。子どものころからの憧れの英雄を亡くしたのはこの上なく寂しく、テレビや新聞、ネット配信で報道されるたびに涙が止まらなくなる。筆者は、子どもの頃から「長嶋茂雄」に憧れ、その人生をずっと追いかけてきた。中学に進学すると同時に野球部に入部、毎日、厳しい練習に明け暮れた。朝4時半に起き、近くの蓬莱山に行き、石段を駆け登ったり駆け降り
おはらい町は、伊勢神宮内宮の門前町として栄えた歴史ある通りで、約800メートルにわたって伝統的な町並みが続いている。江戸時代には、伊勢参りの旅人が集まり、御師(おんし)と呼ばれる神官が参拝者をもてなしていた。歴史的背景おはらい町の名前は、かつて御師の館が立ち並び、参拝者に「御祓い」を行っていたことに由来する。江戸時代には年間200~400万人もの参宮客が訪れ、町は大いに賑わった。しかし、近代化の影響で参拝者の流れが変わり、一時は活気を失ったが、1970年代以降、町
大舞台での勝負強いバッティングと華麗な守備で多くのファンを魅了し、国民的人気を博した長嶋茂雄が、3日、亡くなった。89歳だった。プロ野球を国民的スポーツに押し上げた活躍で「ミスタープロ野球」と呼ばれた英雄を亡くしたのはこの上なく寂しい。筆者は、子どもの頃から長嶋茂雄にあこがれ、その人生をずっと追いかけてきました。かつて「ミスタープロ野球」と呼ばれ、日本中の多くのファンを熱狂させた長嶋茂雄は戦後の日本の世の中を明るくしてくれました。全国民に愛された英雄にも秘話が
朝の散歩で見かけた花々を写真と共にレポートしたものを「今日の散歩道」と題して連載したのは、2021年から約2年間でした。筆者である山仲さんがその記事を一冊の本に纏めあげ「悠々閑々」として自費出版したのが2023年7月のことでした。出版はこれ一度で充分と思っておられたようですが、花壇ボランティア活動をされている方や散歩が日課の高齢者の方々のからの続編発行希望も多く、この度、第二弾が出版されることになりました。最近の「今日の散歩道」投稿記事はこちら↓htt
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第206号 2025-06-07(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-206□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「長嶋茂雄物語」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー--------
AGE(Advanced Glycation End-products)とは、体内で糖とタンパク質や脂質が結びついてできる化学物質のことです。これが体内に蓄積すると、細胞や組織にダメージを与え、老化や病気の原因になることがあります。例えば、糖尿病や心血管疾患との関係が指摘されています。自然に体内で生じることもありますが、特定の食材を高温で調理すると増えることもあります!AGEを減らすためには、次のポイントを意識した食生活がおすすめです!低温調理: 食材を高温で
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わが愛する、長嶋茂雄さんは数々の迷言を残しています。今回は、クイズ長嶋茂雄~監督編です。普通の人なら考えられない不思議な言葉の数々をお楽しみください。正解率が70%を超えれば合格です!結果はすべて最後に出ます!さあ、START ボタンを押して挑戦してください!https://quiz.kumano-express.com/quiz-mister-cult/
長嶋茂雄 監督成績年度チーム 順位試合勝数敗数引分勝率貯金日本シリーズ1975巨人 6130477670.382-29 1976巨人リーグ優勝1130764590.62831阪急 4-3 巨人1977巨人リーグ優勝1130804640.63534
年度試合数打数得点安打本塁打打点盗塁四球三振併殺打打率長打率失策5813050289153299237365330.3050.578255912444988150278221704090.3340.612156012645271151166
ある日、ミスターは、長男一茂を後楽園に連れて行って、野球を観戦させた。試合が終わって家に帰ると、亜希子夫人が聞いた。「あなた、一茂は?」長嶋さん、豆鉄砲をくらった顔をしていたが、しばしあって・・・「どっかに遊びにいったんじゃないの!?」とそこへ後楽園から電話が「あのう、息子さんが・・・
わが愛する、長嶋茂雄さんは数々の迷言を残しています。クイズ長嶋茂雄~迷言編2です。普通の人なら考えられない不思議な言葉の数々をお楽しみください。正解率が70%を超えれば合格です!結果はすべて最後に出ます!さあ、START ボタンを押して挑戦してください!https://quiz.kumano-express.com/quiz-mister-meigen2/
ジャイアンツのユニフォームを着る前の遠い昔、立教大学野球部時代にはこんなエピソードが残っている。場所は西武池袋線の車中。坊主頭の最上級生らしき男と数人の一年生が乗っていて、上級生は後輩にこう言った。「よし!今日はみんな映画に連れて行ってやるぞ」「オース。先輩、ありがとうございまーす。」「何の映画にゆくんですか?」「よーし、今日は特別に黒沢明の名画だ。三船敏郎主演の「ノヨシケン」というやつだ!」「ノヨシケン」・・・・・「野良犬」を
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麻雀に関するエピソードも限りなくあるが、おぼえ始めたのは大学時代であった。そのころから自分の手作りだけに没頭するあまり、他の三人の動静を見ようともしない。リーチがかかっていることさえ気づかず、これではカモになるのは当然。ジャイアンツの一員になってからもそのままの雀風だったため、負け続けた。その当時、(60年前後)、麻雀の借金総額が300万円を超えたそうだから驚かされる。いまの金額に換算すれば、10倍はくだらない!?あまりの大金なので、見かねた川上哲治監
川崎球場でのこと。試合が終わって選手達がそれぞれに家路につこうというとき、長嶋さんが、「車のキーがない」と騒ぎ出した。さあ、大変。巨人軍のナインがロッカールーム、ベンチ、食堂、トイレ・・・長嶋さんの行動範囲のすべてをくまなく捜査したがついにキーは出てこない。と、長嶋さんが叫んだ!「いけねえ。今日は車じゃなかった。」
吉原和文
ある時、ミスターは知り合いの新聞記者から生まれた子どもに名前を付けて欲しいと頼まれた。ああでもない、こうでもないと頭をかかえた。思案にあけくれて、考えた名前は自分と同じ「茂雄」だった!それを聞いた記者は驚いたが、これ以上ない有難い名前なので頂いたとのこと。
ある試合で巨人にチャンスがやってきた。打線は下位。ミスターは球審に告げた。「代打、上田!」ベンチに戻ってきたミスターはどうも変な雰囲気に気づいた。相手ベンチも笑っている。ピッチャーがモーションをおこすと、ファーストとサードが猛ダッシュしてきた。ミスターは「サインがばれているのか?」「違います。監督が代打を告げる時に自分でバントの構えをやって見せたでしょ!」・・・
ビートたけしがフライデー襲撃事件で謹慎していた時、ミスターはたけしを励まそうとゴルフに誘った。ミスターの大ファンで喜んだたけしはいそいそとゴルフ場にやってきた。と、玄関に現れたミスターは、「やあ、たけしさん、今日はゴルフなの?で、誰と一緒?!」「???」
選手やコーチたちは、事前に配布されている団体チケットを改札で提示して構内へ入るのだが、こんな光景があったそうな。にこやかに登場したミスター、改札口に近づいているのに手には何も持っていない。(まさか、そんなバカなことは・・・)と思うまもなく、「おはようございます、長嶋で~す」と言って中へ入っていった。
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ある日、ミスターは少年野球の指導を行っていた。「そこのアカイ君、バットを振ってごらん。ひじをたたんでビュンと、そう。」「こっちのアカイ君も、腰を回して、バアーと、そう。」「今度は君、えっ、君もアカイ君か?今日はアカイ君が多いなあ。」「今度は君が・・・ん???」実はその日のメンバーは「赤井電機」のチームで、全員のユニホームにAKAIのマークが入っていたのだ。
長嶋さんはモノ忘れの天才であるにもかかわらず、一度覚えた人の名前は決して忘れないという一面もある。ただし、勘違いはよくした。萩原(ハギワラ)トレーナーのことを長年にわたって「オギノくん、オギノくん」と呼びつづけた。荻野さんというトレーナーが一時いた。だからいつまでたっても「オギノくん、オギノくん」。
長嶋さんはモノ忘れの天才であるにもかかわらず、一度覚えた人の名前は決して忘れないという一面もある。ただし、勘違いはよくした。萩原(ハギワラ)トレーナーのことを長年にわたって「オギノくん、オギノくん」と呼びつづけた。荻野さんというトレーナーが一時いた。だからいつまでたっても「オギノくん、オギノくん」。
かつて西鉄ライオンズと大洋ホエールズを最下位から日本一に導いた名監督、三原脩さんは、長嶋がまだ現役だった73年に「勝つ」という本を上梓した。そのなかに次のようなくだりがある。「ここ10数年間のプロ野球ブームはまったく異常であったといえる。それは巨人にONという超人級のスターが生まれ、これがこのブームをもたらしたものである。 -中略- 近い将来、ONが球場を去ることがあると思う。われわれとしては、そのときに備えて次代を背負う大スターを作り上げねばならないのは言うまでもな
近畿・東海・関東甲信は、昨日一斉に梅雨入り宣言が有りましたが、この時期に似合う人気の植物「アガパンサス」が各所で一斉に茎を伸ばし花を、つけ始めました。 添付の写真はマンションのアジサイ園でのものですが、それ以外にも、あちこちの場所で存在感を主張しています。アガパンサスは、南アフリカ原産のヒガンバナ科の多年生植物で、300種以上の園芸種が有ります。 根出葉から5~60cmの茎を伸ばし。先端に数十輪の花を放射状に咲かせる、花はユリに似てラッパ型で横向きに咲きます。花色
昨日昼下がりから降り出した雨は、夜明け前から小休止となっていますが、今日は終日ハッキリしない天候が続きそうです。 民家の玄関先に、花の盛りが過ぎてますが、小花が集まって咲く、水色の涼しげな花が目につきました、昨日紹介したアガパンサスの花の小柄に見える事から、日本では「ヒメアガパンサス」と呼ばれています。植物学的には全く関係は有りませんが。この植物の原産地は、米国カリフォルニア州の山岳地の傾斜面に自生しているキジカクシ科の多年草です。花茎の先端に小花が放射状につき、ラッ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第158号 2024-0707(日)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-158□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-1.編集長の独り言ー---------ー-2.トピックス「中上健次」ー---------ー-3.教えてワイン!ー---------ー-
梅雨独特の雨が降ったり止んだりする日が続いています、我が家のすぐ近くに、応神天皇の時代に遷都された難波宮を建立時、その瓦生産の中心地だった窯跡の遺跡が、吹田市に保存されています。その周辺にこの珍しい木が、街路樹として植えられているのです、知ってる限りでは、この場所以外に大阪で目にした事はありません。細長い松葉の様な、針状の葉をつけ、枝先には初夏の頃に1ミリ程の桃色の花を沢山咲かせる姿は、繊細で優美なものです。そして冬期には紅葉の後,葉を落とします。この木は、中
春先からのハルジョオンの時期が終わり、それと入れ替わりにヒメジョオンの季節に成りました。どちらも米国が原産地のキク科で、花姿はそっくりですが、ヒメジョオンは花がやや小さく、葉が細長いので識別出来ます。 荒れ地 道端 河川敷等に密集して繁茂、元々江戸時代の末期に観賞用として移入され、当時は「柳葉姫菊」との名前で愛好されていただけに、その雰囲気を感じなくもありません。種子の寿命が長くて数十年、土壌環境に対する適応力が大きく、驚異的な繁殖力で日本全国に繁茂しており、環境
南米原産のノウゼンハレン科の1年生植物です、葉や花をハーブとして食用に利用されます。クレソンの様な爽やかな辛みがあり、料理の彩どりにもなるのでサラダなどに使われます。和名は金蓮花(キンレンカ)と呼ばれ、葉がハスの形に似ており、黄金色の花を咲かせるのが、その由来となっています。花は初夏の頃から、秋まで長期に亘って咲き続けますが、ツル性で枝分かれして、沢山の花を咲かせるので、観賞用として栽培する人もいるようです。近畿地方は、本日梅雨入り、夜半から降り始めた雨は
甘い香りに誘われたのか、蜂や小さな甲虫が群がっていました。 道路沿い目隠しの垣根として植えられていたこの木は、バラ科の常緑低木で日本の在来種です。 梅に似た白い花を付けていますが、ピンク系の種もあります。一見すると、姿がシャリンバイと大変良く似ていますが、葉の周辺の鋸歯の有無で、それは識別できます。このところ好天続きで土壌が干乾び、埃っぽく成っていたので、昨日の久々の雨は、恵みの雨となり新緑も一段と鮮やかに・・・・・。気温上昇で、今日は暑く成りそうです。山
毎朝恒例の早朝ウォーキング、今朝は場所を変えて、近年開発された「健都」までちょっと足を延ばしてみました。JR貨物線路跡が健康をイメージする区域に開発され、中核として国立循環器病センター 市民病院が移転、そのイメージと結びつくような施設・企業が誘致され、独特のイメージの静かな環境地域となっています。進出した企業の一社が、敷地の一部を整備して、地域住民に開放しています、50m以上の遊歩道の両側には、「ハーブの女王」と称されるラベンダーが、丁寧に植栽され、今を盛りと、鮮やか
急速に開発が進み、吹田市では希少となった水田の田植えが終わりました、田植えが終わったばかりで早苗が貧弱そうにみえますが、2~3週間で「分けつ」が始まり、最終的には茎が20本前後となります。 我が家の周辺に残る唯一の水田なので気に成って、通りすがる度に眺めますが、農作業をしている人を見掛けた事は有りません。多分高齢の方が、先祖伝来の田圃なので、もう一年、もう一年の繰り返しで世話を続けているのでしょうが、今後どれだけ継続出来ることやら。この時期に、奈良の田舎に帰ると、
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第157号 2024-0630(日)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-157□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-1.編集長の独り言ー---------ー-2.トピックス「」ー---------ー-3.教えてワイン!ー---------ー-4.
道路際の空き地で、時々目にします。 草丈も低く精々10cm余り、黄色い野菊を思わせる直径2cm位の小花が荒れ地で頼りなさげに咲いて、一見すると野草の一つかと思って仕舞います。この植物は、中央アメリカの乾燥地が原産のキク科、園芸種でこぼれ種で、あちこちで野生化しているものです。 和名では、「唐草春菊」と名前が付けられています。肥料の行き届いた花壇で栽培すると、もう少し草姿がしっかりし、密集して花を咲かせると綺麗なもので、花の時期も春から晩秋まで、次々と咲き続けるので
花姿が、そっくりなので芝桜だと混同される事がありますが、この草花は「タピアン」、別名で「ビジョザクラ」と呼ばれる園芸種です。ブラジル原産のバーベナを、雨に弱いので、サントリーが品種改良で創出した品種で、クマツヅラ科の宿根草です。花色は、ピンクの他に白 紫色があり、植えっぱなしで育てやすく、匍匐性があって横に拡がり雑草を押さえ、一番の利点は花期が長い事,芝桜は春先だけですが、この種は花期が長く、春から晩秋まで咲き続けるので、世話いらずという事も有って、最高のグランドカバ
もう早くも朝顔がビッシリと、沢山の花を咲かせています、一般的な朝顏は現在成長途上ですが、この種は全く別の物、亜熱帯に自生するツル性の多年草で、一年性の朝顔に比べて、遥かに強健、今の時期から初冬の頃まで長期に亘って勢いよく花が咲き続けます。繁殖力旺盛で10m以上もツルを伸ばし、この写真の撮影場所もそうですが、無人の家を覆い尽くす事もあります。早朝に濃い青色の花を開き、それが午後に成ると紫色に変化、しかし一般的な朝顔の様にタネは出来ず、根で増殖します。冬を越して翌年時期が
連日にわたり今年の最高気温更新する猛暑で参っています、今日の午後は京都では35℃越えになると警戒を呼び掛けられています。 今年の夏は長く成りそうで、今から思いやれます。公園の緑の隙間から、燃える様な赤い花が茎を伸ばしていました。「デイリリー」の英語名通り、一本の花茎に10個以上の蕾をつけて、一日花を次々と咲かせます。この種はアジア東部を原産とする多年草のカンゾウ類を原種として、ヨーロッパで品種改良によって、多種類作りだされた園芸品種で、日本には昭和初期に逆輸入されたも
自堕落な生活に成らない様に、また健康管理を考えて退職を機に近所の公園で早朝ウォーキングを始めて15年経ちました、毎朝5時過ぎから出かけています。 ダイエット効果を期待して始めたのですが、自分は未だに成長期なのか体重は安定して右肩あがり、但し風邪だけは全くひかなくなりました。冬期は真っ暗な中を歩いたのですが、今の時期の日の出は5時前、大多数の人は6時前頃から出て来るのでこの時間帯は人影も少なく静まり返った公園の池の柵には小グループに分かれて鳩が集まり、ウォーキングに参加
図書館に通じる小径、隙間もない程に密生した放棄竹林があります、甲高い鳴き声が時々聞こえるので雉が棲みついている筈ですが、その姿をさらした事はありません。私の生家の裏の草叢にも、雉のツガイが棲みつき、明け方に甲高い鳴き声で鳴いていて、僕が姿を見せると一斉に飛び去ったものです。 今日横を通り過ぎた時、カサッ カサッと笹の葉を踏む様な音が聞こえたので、今日こそ正体を見極めようと音の方向を見つめていました。暫くしてひょっこり顏を出したのは、この珍客、彼?もビックリした様で、瞬
昨日より更に気温上昇、今日は30℃越えの真夏日に、黄金色の花が上向きに咲き、針の様に長く美しい多数の雄しべが突き出し輝いています。 低木で庭木や生垣として目に触れる機会が多いこの灌木は「ビヨウヤナギ」と呼ばれますが、葉の形がヤナギに似ているのでついた名前ですが、植物学的にはヤナギの仲間ではありません。今の時期から、夏場まで期間長く、次々と花を咲かせます。この灌木は中国原産のオトギリソウ科で、中国では「金糸桃」と呼ばれ、日本への渡来は江戸時代で「美女柳」と和名が付いてい
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第156号2024-0622(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-156□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-1.編集長の独り言ー---------ー-2.トピックス「棚田のともしび」ー---------ー-3.教えてワイン!ー---------ー-
夏の様な陽射しが戻って来ました、幼稚園入口の花壇に、こんな花が咲いていました。初めて見る花で、「ベロニカグレース」と言う名称、ゴマノハグサ科の常緑宿根草、原産地はニュージーランドとのこと。花の色から、別名で「ルリトラノオ」とも呼ばれるそうです。初夏と秋の2回と長期に亘って紫色の花をつけ、葉は表が緑、裏は紫がかった色で、それが冬場は赤銅色に変化するのでカラーリーフとしても使われる。グレース(優美)の名前で示す様に、花はエレガンスで上品さを感じますが、花の見頃を過