内宮(ないくう)は、皇室の御祖神(みおやのかみ)で日本国民の祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神社である。正式名称は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめ)、その御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。約2000年前に創建され、皇室の祖神を祀るために特別な格式を持っています。歴史的背景内宮は、第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座地を探し求め、五十鈴川のほとりに定めたことが始まりとされる。この伊
和歌山県新宮市について情報を発信することにより同窓生をはじめすべての新宮人同士の交流を計るサイト。
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内宮(ないくう)は、皇室の御祖神(みおやのかみ)で日本国民の祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神社である。正式名称は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめ)、その御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。約2000年前に創建され、皇室の祖神を祀るために特別な格式を持っています。歴史的背景内宮は、第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座地を探し求め、五十鈴川のほとりに定めたことが始まりとされる。この伊
内宮(ないくう)は、皇室の御祖神(みおやのかみ)で日本国民の祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神社である。正式名称は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめ)、その御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。約2000年前に創建され、皇室の祖神を祀るために特別な格式を持っています。歴史的背景内宮は、第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座地を探し求め、五十鈴川のほとりに定めたことが始まりとされる。この伊
伊勢神宮の外宮(げくう)は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る神社で、衣食住や産業の守護神として崇められている。外宮は、内宮(ないくう)に祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る神として、約1500年前(内宮創建の約500年後)に創建された。外宮の特徴正宮(しょうぐう): 豊受大御神を祀る中心の社殿で、最も神聖な場所。別宮(べつぐう): 多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)などがあり、それぞれ異なる神を祀っている
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第204号 2025-05-24(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-204□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「新宮城 公開見学会報告」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー---
和歌山城郭調査研究会の公開見学会が5月18日(日)午前10時から午後12時30分まで新宮城跡で開催され、新宮市とその周辺、遠くは和歌山市から約50名が参加した。熊野新聞の記事は次の通り。国指定史跡・新宮城の近世城郭としての立地・構造上の特徴を知り、更に歴史的な位置づけを考えたいことが目的。
斎宮(さいくう)は、古代から南北朝時代にかけて伊勢神宮に奉仕した皇女(斎王=いつきのひめみこ)の御所として機能していた。現在の三重県多気郡明和町にあり、その跡地は「斎宮跡」として国の史跡に指定されている。歴史的背景斎宮の起源は、『日本書紀』によると崇神天皇の時代にまで遡る。天照大神を祀るために未婚の皇女が選ばれ、国亀卜(亀の甲を焼いてできたひびで占う方法)によって決定された。選ばれた斎王は、京都の初斎院で1年間の潔斎生活を送り、その後、500人を超える大行
伊勢街道と松阪商人松阪は、伊勢街道沿いに位置し、江戸時代には多くの商人が活躍した町として知られている。三井家や長谷川家と並び、小津家もその一翼を担い、江戸の商業を支えた。松阪商人は、紀州藩の支援を受けながら江戸で商売を展開し、特に木綿や紙の取引で成功を収めた。三井家発祥の地三井家発祥の地は、三重県松阪市本町にある。ここは、三井グループの家祖である三井高利が生まれ育った場所であり、現在もその歴史を伝える史跡として保存されている。三井家の歴史三井高利は
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第203号 2025-05-17(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-203□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「新宮城 公開見学会」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー-----
和歌山県白浜町の2024年の外国人宿泊者数は10万8305人だった。これまでの最多だったコロナ禍前の19年を3462人上回った。町観光課は「増加の要因は複合的だが、海外で続く食や文化の日本ブームや円安の影響が大きいと思う」と話している。同課の集計によると、コロナ禍前は10万人前後で推移していたが、コロナ禍の20年が1万2540人、21年が502人、22年が9401人と大幅に減少。23年は7万8912人と回復傾向に入った。24年の宿泊者を国・地域別でみると、中国
和歌山城郭調査研究会の公開見学会が5月18日(日)午前10時から午後12時30分まで新宮城跡で開催される。国指定史跡・新宮城の近世城郭としての立地・構造上の特徴を知り、更に歴史的な位置づけを考えたいことが目的。文化財として、新宮城だけでなく近世260年の新宮の歴史に引き付けた見学会を目指す。参加費:500円集 合:午前10時、丹鶴ホール駐車場備 考:事前申し込み不要 飲み物持参のこと 歩きやすい靴で案 内:小渕伸二さん
六軒は、伊勢街道沿いに位置する歴史的な土地で、かつては旅人や参拝者が行き交う重要な宿場町の一つだった。この地域には、幕府の測量記録にも登場する「六軒茶屋」や、旅人の道しるべとなる道標が設置されていた。歴史的背景六軒茶屋の名は、6軒の茶屋があったことに由来する。ここでは旅人が食事をとり、休憩しながら次の目的地へ向かった。特に、伊勢参宮の道中では重要な休憩地点となり、参宮人の交流の場としても活用されていた。道標には「右いせみち 六軒茶屋」などの刻印があり、伊勢
コンクラーベとは?ローマ教皇選挙の仕組みと歴史ローマ・カトリック教会の最高指導者である教皇(ローマ法王)を選出するための特別な選挙、それがコンクラーベ(Conclave)です。ラテン語の「cum clave(鍵のかかった部屋で)」に由来し、枢機卿たちが外部との接触を断ち、厳格な秘密のもとで新しい教皇を決定します。コンクラーベの歴史コンクラーベの起源は13世紀に遡ります。1268年、教皇クレメンス4世の死後、後継者選びが3年近くも紛糾したことを受け、枢機卿たちを
江戸橋藩主が参勤交代で江戸へ向かう際、この橋を渡ると紀州藩領に入るため、藩士の見送りがここまでとされ、「江戸への第一歩」として江戸橋と名付けられたと伝えられている。江戸橋は、四日市の日永の追分で東海道から分岐した伊勢街道と、京都方面から関で東海道から分岐した伊勢別街道が合流する交通の要所であった。江戸時代の記録によると、延宝6年(1678年)に木の橋として架けられ、その後、享保14年(1729年)や寛政7年(1795年)に架け替えが行われた。明治時代には土
桑名から始まる伊勢路伊勢街道は、厳密には、別に紹介する日永の追分で東海道から分かれるが、伊勢路の旅は、三重県桑名市から始まると言える。江戸時代、熱田神宮から桑名までの「七里の渡し」は東海道唯一の海路であり、伊勢参りの玄関口として多くの旅人が利用した。桑名には「伊勢国一の鳥居」と称される大鳥居が立ち、ここから伊勢神宮へと続く道が始まる。また、桑名城跡や九華公園など、歴史的なスポットも点在し、旅の出発点としてふさわしい風情が漂っている。特徴的なのは、20年に一
物流拠点・白子港三重県鈴鹿市に位置する白子宿は、江戸時代に整備された伊勢街道の宿場町で、お伊勢参りの人々が休憩・宿泊する重要な中継地点として栄えた。伊勢街道の中でも比較的大きな宿場で、本陣・脇本陣・問屋場などの施設が整備されていた。江戸時代の風情を感じさせる旧家や、白壁の蔵などがあり、当時の面影が感じられる。商人や職人も多く住み、宿場町としてだけでなく経済・文化の拠点でもあった。また、白子港は、紀州徳川家によって整備された港(紀州藩の飛び地)で、江戸と紀州を結ぶ海
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第202号 2025-05-10(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-202□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「ウグイスの谷渡り」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー------
新宮市の皆さま、初めまして!先月号にもあったように、3年4カ月にわたり新宮市の皆さまと一緒に活動していた太田先生が、4月から他大学へ転出されました。そこで、後任が必要になったわけですが、なんと私が担当することになりました(喜びかつ驚き!)。まずは、簡単な自己紹介から。名前は張博で、出身は中国です。浮島児童館で開催された東大若手セミナーで「専門は和歌ですが、若手だけによくわかりません」と言って、大爆笑になったことがあります。私はこれまで、留学生という立場で東大人
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内宮(ないくう)は、皇室の御祖神(みおやのかみ)で日本国民の祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神社である。正式名称は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめ)、その御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。約2000年前に創建され、皇室の祖神を祀るために特別な格式を持っています。歴史的背景内宮は、第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座地を探し求め、五十鈴川のほとりに定めたことが始まりとされる。この伊
伊勢神宮の外宮(げくう)は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る神社で、衣食住や産業の守護神として崇められている。外宮は、内宮(ないくう)に祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る神として、約1500年前(内宮創建の約500年後)に創建された。外宮の特徴正宮(しょうぐう): 豊受大御神を祀る中心の社殿で、最も神聖な場所。別宮(べつぐう): 多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)などがあり、それぞれ異なる神を祀っている
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第204号 2025-05-24(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-204□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス「新宮城 公開見学会報告」ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー---
和歌山城郭調査研究会の公開見学会が5月18日(日)午前10時から午後12時30分まで新宮城跡で開催され、新宮市とその周辺、遠くは和歌山市から約50名が参加した。熊野新聞の記事は次の通り。国指定史跡・新宮城の近世城郭としての立地・構造上の特徴を知り、更に歴史的な位置づけを考えたいことが目的。
斎宮(さいくう)は、古代から南北朝時代にかけて伊勢神宮に奉仕した皇女(斎王=いつきのひめみこ)の御所として機能していた。現在の三重県多気郡明和町にあり、その跡地は「斎宮跡」として国の史跡に指定されている。歴史的背景斎宮の起源は、『日本書紀』によると崇神天皇の時代にまで遡る。天照大神を祀るために未婚の皇女が選ばれ、国亀卜(亀の甲を焼いてできたひびで占う方法)によって決定された。選ばれた斎王は、京都の初斎院で1年間の潔斎生活を送り、その後、500人を超える大行
伊勢街道と松阪商人松阪は、伊勢街道沿いに位置し、江戸時代には多くの商人が活躍した町として知られている。三井家や長谷川家と並び、小津家もその一翼を担い、江戸の商業を支えた。松阪商人は、紀州藩の支援を受けながら江戸で商売を展開し、特に木綿や紙の取引で成功を収めた。三井家発祥の地三井家発祥の地は、三重県松阪市本町にある。ここは、三井グループの家祖である三井高利が生まれ育った場所であり、現在もその歴史を伝える史跡として保存されている。三井家の歴史三井高利は
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和歌山県白浜町の2024年の外国人宿泊者数は10万8305人だった。これまでの最多だったコロナ禍前の19年を3462人上回った。町観光課は「増加の要因は複合的だが、海外で続く食や文化の日本ブームや円安の影響が大きいと思う」と話している。同課の集計によると、コロナ禍前は10万人前後で推移していたが、コロナ禍の20年が1万2540人、21年が502人、22年が9401人と大幅に減少。23年は7万8912人と回復傾向に入った。24年の宿泊者を国・地域別でみると、中国
和歌山城郭調査研究会の公開見学会が5月18日(日)午前10時から午後12時30分まで新宮城跡で開催される。国指定史跡・新宮城の近世城郭としての立地・構造上の特徴を知り、更に歴史的な位置づけを考えたいことが目的。文化財として、新宮城だけでなく近世260年の新宮の歴史に引き付けた見学会を目指す。参加費:500円集 合:午前10時、丹鶴ホール駐車場備 考:事前申し込み不要 飲み物持参のこと 歩きやすい靴で案 内:小渕伸二さん
六軒は、伊勢街道沿いに位置する歴史的な土地で、かつては旅人や参拝者が行き交う重要な宿場町の一つだった。この地域には、幕府の測量記録にも登場する「六軒茶屋」や、旅人の道しるべとなる道標が設置されていた。歴史的背景六軒茶屋の名は、6軒の茶屋があったことに由来する。ここでは旅人が食事をとり、休憩しながら次の目的地へ向かった。特に、伊勢参宮の道中では重要な休憩地点となり、参宮人の交流の場としても活用されていた。道標には「右いせみち 六軒茶屋」などの刻印があり、伊勢
コンクラーベとは?ローマ教皇選挙の仕組みと歴史ローマ・カトリック教会の最高指導者である教皇(ローマ法王)を選出するための特別な選挙、それがコンクラーベ(Conclave)です。ラテン語の「cum clave(鍵のかかった部屋で)」に由来し、枢機卿たちが外部との接触を断ち、厳格な秘密のもとで新しい教皇を決定します。コンクラーベの歴史コンクラーベの起源は13世紀に遡ります。1268年、教皇クレメンス4世の死後、後継者選びが3年近くも紛糾したことを受け、枢機卿たちを
江戸橋藩主が参勤交代で江戸へ向かう際、この橋を渡ると紀州藩領に入るため、藩士の見送りがここまでとされ、「江戸への第一歩」として江戸橋と名付けられたと伝えられている。江戸橋は、四日市の日永の追分で東海道から分岐した伊勢街道と、京都方面から関で東海道から分岐した伊勢別街道が合流する交通の要所であった。江戸時代の記録によると、延宝6年(1678年)に木の橋として架けられ、その後、享保14年(1729年)や寛政7年(1795年)に架け替えが行われた。明治時代には土
桑名から始まる伊勢路伊勢街道は、厳密には、別に紹介する日永の追分で東海道から分かれるが、伊勢路の旅は、三重県桑名市から始まると言える。江戸時代、熱田神宮から桑名までの「七里の渡し」は東海道唯一の海路であり、伊勢参りの玄関口として多くの旅人が利用した。桑名には「伊勢国一の鳥居」と称される大鳥居が立ち、ここから伊勢神宮へと続く道が始まる。また、桑名城跡や九華公園など、歴史的なスポットも点在し、旅の出発点としてふさわしい風情が漂っている。特徴的なのは、20年に一
物流拠点・白子港三重県鈴鹿市に位置する白子宿は、江戸時代に整備された伊勢街道の宿場町で、お伊勢参りの人々が休憩・宿泊する重要な中継地点として栄えた。伊勢街道の中でも比較的大きな宿場で、本陣・脇本陣・問屋場などの施設が整備されていた。江戸時代の風情を感じさせる旧家や、白壁の蔵などがあり、当時の面影が感じられる。商人や職人も多く住み、宿場町としてだけでなく経済・文化の拠点でもあった。また、白子港は、紀州徳川家によって整備された港(紀州藩の飛び地)で、江戸と紀州を結ぶ海
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新宮市の皆さま、初めまして!先月号にもあったように、3年4カ月にわたり新宮市の皆さまと一緒に活動していた太田先生が、4月から他大学へ転出されました。そこで、後任が必要になったわけですが、なんと私が担当することになりました(喜びかつ驚き!)。まずは、簡単な自己紹介から。名前は張博で、出身は中国です。浮島児童館で開催された東大若手セミナーで「専門は和歌ですが、若手だけによくわかりません」と言って、大爆笑になったことがあります。私はこれまで、留学生という立場で東大人
あちこちに楠の木が植わっていますが、春先から古い葉っぱを落として、新しい葉に入れ替わっています。新葉の緑色で全然目立ちませんが、枝先にはこの様に、びっしりと地味な花を付けています、香りも殆どないので気が付きにくいですが、興味が有れば観察して下さい。この後実をつけて、5ミリ位に育って、熟すと黒色になります。山仲春男
久し振りに青空が拡がり陽光が降り注いでいますが、寒気の南下で季節が逆戻りしたような、冷たい風が吹き抜けています。今から2~3代前まで、農家では女児が誕生すると、桐の木を植えて結婚する際に、その材を使って嫁入り道具のタンスを作る風習が各地にありました。桐は成長が早く、20年位で高さ10m、幹の径は50cm位に育ち、古くから良質な木材として使われ、軽くて湿気を通さないので、タンスや下駄の材料に用いられて来ました。花が咲き実が熟すると、2枚目写真の下部に見える様な種
雲一つない青空が拡がっています、予報では全国的な晴れとなり、気温上昇して各地で夏日を記録しそうとのこと。夜間だけでなく曇り空の日も花を閉じて仕舞うガザニアが、花壇からはみ出し垂れ下がる部分まで強い陽射しを浴びて満開です。ガザニアは南アフリカ原産、暑さや乾燥に強いキク科の多年生植物で、多種多様で華やかな花色の種が開発されています、その花姿から、和名では「勲章菊」と、呼ばれています。山仲春男
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第153号 2024-0525(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-153□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-1.編集長の独り言ー---------ー-2.トピックス「医師もスマホを活用」ー---------ー-3.教えてワイン!ー------
どんよりと厚い雲がたち込めています、写真は千里南公園での撮影で、池の横には解放感一杯のレストランがあり、休日にはテラス席まで多数の人で溢れ返ります。この池に数年前には、殆ど見受けなかった黄色い花が、年々繁殖域を広げて水辺を埋めつくし、今日は草の隙間には孵化したばかりの雛を7~8羽連れたアイガモ親子の姿がありました。この「キショウブ」は、ヨーロッパから西アジア地域を原産とするアヤメ科アヤメ属の草花で、別名イエローアイリスとも呼ばれます。 明治期に観賞用として日本に移
例年この時期に、公園の片隅 民家の庭先など、いたる所で目にする花です。古くから、園芸品種として親しまれ、蘭の仲間では最も育てやすい種で、手入れしなくとも良く育つ蘭の入門種です。東アジアが原産地で、中国や台湾にも自生し、日本では関東以西が自生地ですが、地下茎だけでなく、こぼれ種でも増えるので、今では野生か植栽かの区別が付かない状態になっています。根茎は、漢方薬として止血や痛み止めの他、胃炎にも効果が有るとかで、古くから利用されているそうで、生薬名は「白及―ビャク
好天に恵まれた連休が終わりました、夜間の雨で空気もしっとりして、心地良い風が吹き抜けています。公園沿いの柵の中に昔馴染みの花、ムラサキツユクサの一株をみつけました。子供の頃は、花の種類が少なかったせいか、田舎では殆どのお宅の庭に植えられ、この時期から梅雨明け迄の間は次々と、この紫色の一日花が咲いていたものです。 ただ草丈が70~80cm 四方に沢山の葉を茂らせる草姿の割には、花が貧弱な為か、近年は人気離れと成っている様です。この草花は、北アメリカ東部を原産地と
涼しい明け方から一転、その後、気温が上がり肌を刺すような陽光が降り注いでいます。買い物途上の草叢に、この小さな花を見つけました、花の径は精々7~8ミリ、背丈は15センチ程度ですが、こんなに小さい草花ですがアヤメ科、ニワゼキショウ属の一年草です。原産地は北アメリカ(blue eyed grass),日本には明治中頃に持ち込まれ(観賞用?)帰化して野生化したようです。花は朝開いて、夕方に萎む一日花で、花後に出来る種で増えますが、写真に茶色マチバリの玉の様な物が幾つ
最近のネット社会では、日常生活で目にした光景を誰もが簡単に、いわゆるSNS「メタ(旧FACEBOOK), Instagram,X(旧Twitter)など」にアップロードするようになった。利用が始まってしばらくのうちは、大半がその他大勢であり、誰がアップしたものかを気にすることがなかった。その後、頻繁にアップされる写真やコメントなどの中で、大勢の人に高評価されるものが出始めた。その人気がさらに高まるとやがてスター的な存在になる者さえ出てきた。内容はさまざまだが、コンテン
最近のネット社会では、日常生活で目にした光景を誰もが簡単に、いわゆるSNS「メタ(旧FACEBOOK), Instagram, X(旧Twitter)など」にアップロードするようになった。利用が始まってしばらくのうちは大半がその他大勢であり、誰がアップしたものかを気にすることがなかった。その後、頻繁にアップされる写真やコメントなどの中で、大勢の人に高評価されるものが出始めた。その人気がさらに高まるとやがてスター的な存在になる者さえ出てきた。内容はさまざまだが、コンテン
五月晴れの空に緑が映え、これから気温がぐんぐん上がり今日も夏日となりそう、余りの暑さに昨日から、早くも半袖・短パン姿に切り替えました。落葉の後、寒々としていたモミジの枝先には春の訪れとともに赤っぽい新芽が芽吹き、それがこの時期になると緑の葉で覆われます、そして枝先には、まるで花が咲いている様に、赤くプロペラの様な羽が付いた実が育って来ます。 地味で気が付きにくですが、この様にモミジも花が咲き実がなります。プロペラ型のタネは「翼果」と呼ばれ、風に乗せてプロペラを回転させ
夜半の雨は上がったものの、空一面どんよりとした曇で覆われています。日課となっている買い物を兼ねての散歩から帰宅。 途中、売却物件と表示板の立つ民家前の道路際で、この花を目にしました。この植物は「キンギアナム」、セッコク属の洋ランの一種で、オーストラリア原産の種を改良育種したポピュラーなもので、沢山の小輪花を、穂状に沢山付け、小さい花の割には、強い良い香リを漂わせます、鉢植えでの管理が一般的です。道端でこの花を咲かせるに至った経緯として・・・・鉢植えで貰って楽しんでいた
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こんな姿の草花を、ご近所で目にした事が有りませんか?松の葉に似た細い葉、株元から30センチ余りの茎を立ち上げて、ランに似た薄紫色の小さな花を付けるのが,和名の由来との事ですが、拡大鏡で見ないと解らない様な小さな花に「ラン」という名前を付けるのは、おこがましく、私には単なる雑草としか思えません。道路際や線路道等の乾燥した荒れ地で、近年繁殖域を広げている雑草で、オオバコ科 アメリカからの新顔帰化植物です。西日本地域に急速に群落を広げているようで、繁殖力が強く厄介な
余りにも好天なので、行き先も決めないまま自宅を出発、阪急の駅に着くまで京都にするか、久々に神戸方面にするか散々迷って、結局神戸方面を散策してきました。先ずは、観光客が集まる南京町で、人気の豚まん他で腹ごしらえ、そして西方面に移動、気温上昇で夏日となりましたが、吹く風は心地良かった。1/2⇒塩屋の邸宅文化を伝える旧ジェームス邸、神戸市の有形文化財に指定され現在は結婚式場。3⇒ロープウェーで旗振山へ、眼下に見えるのは明石大橋、その奥は淡路島。4⇒ロープウェー駅
高血圧症治療のため主治医から出来るだけ歩くように言われている。3年前までは飼っていたわんことの散歩が日課で毎朝毎夕合計一万歩いていた。愛する連れが虹の橋を渡ってからはそれがなくなって全く歩いていない。一方で食欲と飲酒は一向に衰えず、このままでは肥満一直線になってしまうと、散歩を始めた。幸い、家族の後押しもあってこのところ少しずつ歩きを増やしている。今回は、小田急祖師ヶ谷大蔵駅を起点に知らない街を歩いてみることにした。駅を降りると大きなウルトラマンの像が目に
早朝ウォーキングの仲間から、チョット見頃は過ぎていますが、まだ綺麗ですよと、聞いて早速出掛けて来ました。 場所は大阪東部にある花博記念公園(鶴見緑地)、自宅から30分弱のドライブで到着。この場所は、1990年に開催された花博会場の跡地を、都市公園として整備して、入場料無料で解放されています。 公園の小高い丘には、オランダ政府から寄贈された本場の風車があり、ネモフィラに取り囲まれた景観との一体感は、風情に溢れ、そこには花の香が混じる心地よい風が吹き抜けていました。
夜間を通して降り続いた雨が上がり、久々に青空が拡がっています。クスノキの葉の寿命は一年、老廃物を貯め込んだ古い葉は順次紅葉して落下、3~4週間かけて緑鮮やかな新葉に置き換わり、よく見ると地味な花蕾も付けています。大木のクスノキからの落葉なので、一雨ごと落葉が量的に多く、その都度清掃人は御苦労な事です。クスノキは、照葉樹林の代表選手で関東以西の神社や公園の巨木は、各地でシンボル的な存在となっており、日本最大の巨木は鹿児島の神社にある「蒲生の大楠」は、幹回り24m、高
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