昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・心ありてぞ門辺(かどべ)には好文(こうぶん)の木を植えたれば文化の春にさきがけて花咲き鳥も歌うべく若人(わこうど)来たり学ぶなり(一九五一年八月「緑丘中学校校歌」
和歌山県新宮市について情報を発信することにより同窓生をはじめすべての新宮人同士の交流を計るサイト。
世界に住んでいる新宮人が故郷の状況や友人の消息などの情報を知ることができます。
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・心ありてぞ門辺(かどべ)には好文(こうぶん)の木を植えたれば文化の春にさきがけて花咲き鳥も歌うべく若人(わこうど)来たり学ぶなり(一九五一年八月「緑丘中学校校歌」
「音信富通」第二弾! おっちゃんの楽しい動画「YoshiTube」Dog & Drone
「音信富通」第二弾! です。世の中に新しいものが出てくると俄然興味が出て、試してみたくなるようで、いつも元気なおっちゃん!今回は、新兵器・ドローンを操って制作した動画を披露してくれました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・https://youtu.be/thwFeQbH7UI(大石喜造)
1月31日に新宮港に寄港した際の出港時の三井オーシャンフジです。
田丸城見学の後、次の電車まで少し時間があったので、観光案内のお勧めに従って、駅から徒歩約5分のところにある玄甲舎に行ってみることにした。これまで全く聞いたことのなかったが歴史的建造物だという。玄甲舎は、弘化4年(1847年)に建設された、紀州藩田丸城主・久野丹波守の家老であった金森得水の茶室兼別邸で、玉城町指定文化財となっている歴史的建造物。金森得水(1786年~1865年)は、家老として政務を執り行うかたわら、表千家茶道の免許皆伝を受けた茶人だった。田丸領の経済
筆者が勤めていた会社には社友会があり、退社後も観劇のチケット購入やゴルフ大会参加など、様々な活動の案内をしてくれています。そんななか、川柳大会の人気投票で上位にランクした作品が送られてきたので紹介します。『 孫が来る はらはら消え行く 渋沢翁 』『 不自由が ないとつまらぬ 自由かな 』『 お迎えは まだかまだかと 妻と嫁 』 思わず、うんうんとうなずいてしまう力作ばかりだと思います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第241号2026-02-07(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-241/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「御燈祭り」-----------1.伊勢街道巡り旅-----------2.春夫詩句を拾う
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・さんま、さんま、さんま苦(にが)いか塩(しよ)つぱいか。そが上に熱(あつ)き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや。(一九二一年一〇月「秋刀
何十年来の友は最近元気でいるだろうか。どんな暮らしをしているのだろうかと、気になりますよね。そこで、最近の暮らしぶりなどを共に伝え合うコーナーとして、新企画「音信富通」を始めることにしました。第一回は、Zackyさんによる旅の想い出の記録です。読むと元気なれること請け合いです。※各記事の下部にはコメント欄があります。簡単で結構、ひと言感想などを書いていただければ幸甚です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
何十年来の友は最近元気でいるだろうか。どんな暮らしをしているのだろうかと、気になりますよね。そこで、最近の暮らしぶりなどを共に伝え合うコーナーとして、新企画「音信富通」を始めることにしました。第一回は、Zackyさんによる旅の想い出の記録です。読むと元気なれること請け合いです。※各記事の下部にはコメント欄があります。簡単で結構、ひと言感想などを書いていただければ幸甚です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
1時間半ほどかけて田丸城の見学を終えた後、すぐ近くにある村山龍平記念館に立ち寄った。ここは、玉城町出身の実業家・新聞人であり朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850–1933)の業績やゆかりの資料を伝える郷土資料館である。村山龍平の生涯と業績(朝日新聞創業、新聞事業の発展) に関する資料などが展示されており、地域の歴史・文化の紹介・保存や社会教育の拠点として活用されている。 村山龍平は1850年5月14日(嘉永3年4月3日)に伊勢国田丸(現・三重県度会郡
1月中旬、帰省の帰りを利用して田丸城跡を訪れた。昨年二度の伊勢街道巡り旅をすることで、かつてはここ田丸というところが、松坂、白子と並んで、紀州藩の領地であったことを知り興味を掻き立てられた次第。新宮から特急南紀4号に乗り、多気で参宮線鳥羽行に乗り換え、田丸駅で下車したのは11時41分だった。JR田丸駅は小さな無人駅だが観光案内所もあり、最近建て替えられたと見えて駅舎はきれいだった。駅前を左に向かうと標識があり、ここ玉城町は「伊勢本街道と熊野街道が交わる
東大院の教授と准教授が収賄容疑。久々アナグラム和歌。よしな友へ 男がケモノ 言葉たる わづかぞ思ふ よの気持ちをばヒント:(元歌は道長)(十男)注)アナグラムとは?
似顔絵作家、土谷重美さんから新作の絵が届きました。いつもながらの軽妙なタッチで微笑ましさが伝わってきます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第240号2026-01-31(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-240/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「御燈祭り」-----------1.伊勢街道巡り旅-----------2.春夫詩句を拾う
松坂駅前のロータリーには鈴のモニュメントがある。結構大きなものだが、前回、豪商の町松坂を訪れた時には気がつかなかった。ただ、当地に長年住んでいた国学者 本居宣長が鈴が好きでたくさん集めており、書斎が鈴屋と呼ばれていたことを知った。そのことと関連があるのかと推測しながら調べてみた。この鈴は、本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つである「驛鈴」と呼ばれるものを模ったものとわかった。浜田12代藩主の松平康定が「古事記伝」を著した松坂出身の本居宣長が鈴好きと知
松坂駅前のロータリーには鈴のモニュメントがある。結構大きなものだが、前回、豪商の町松坂を訪れた時には気がつかなかった。ただ、当地に長年住んでいた国学者 本居宣長が鈴が好きでたくさん集めており、書斎が鈴屋と呼ばれていたことを知った。そのことと関連があるのかと推測しながら調べてみた。この鈴は、本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つである「驛鈴」と呼ばれるものを模ったものとわかった。浜田12代藩主の松平康定が「古事記伝」を著した松坂出身の本居宣長が鈴好きと知
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・あはれ秋風よ汝(なれ)こそは見つらめ世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 (一九二一年一〇月「秋刀魚(さんま)の歌」・『我が一九二二年』所収)
1年ぶりの帰省、3日間の滞在を終えて特急南紀に乗るべく3番線に行くと、パンダ列車が止まっていた。何年か前から運行されていることは聞いていたが、新宮駅でまともに見るのは久々のことだ。上野動物園のパンダ二頭がまもなく中国に返還されるが、返還後もパンダくろしお号は走り続けるのだろうか?よく知なかったパンダくろしおについて、改めてパンダ列車について調べてみた。特急「くろしお号」は、JR西日本が運行する京都・新大阪から和歌山南部〜新宮駅を結ぶ観光列車として知られ
1年ぶりの帰省、3日間の滞在を終えて特急南紀に乗るべく3番線に行くと、パンダ列車が止まっていた。何年か前から運行されていることは聞いていたが、新宮駅でまともに見るのは久々のことだ。上野動物園のパンダ二頭がまもなく中国に返還されるが、返還後もパンダくろしお号は走り続けるのだろうか?よく知なかったパンダくろしおについて、改めてパンダ列車について調べてみた。特急「くろしお号」は、JR西日本が運行する京都・新大阪から和歌山南部〜新宮駅を結ぶ観光列車として知られている。
2026年1月、新宮で同窓会が開催されました。新宮高校卒業以来初めて会った人もおり、とても懐かしく楽しい会になりました。↓クリックすると踊れだしますよ。https://gemini.google.com/share/0d9b6c683e19
正月に引いた風邪がようやく治ったが、今ひとつ咳と痰が切れずスッキリしないので帰省直前に呼吸器内科を受診。2週間分の薬が出て採血の結果は次の受診の時に聞く予定だった。名古屋で新幹線から特急南紀に乗り換え一路新宮に向かっていたところ、医師から電話がかかって来た。実は、昨日受診した時に、「もし緊急処置が必要な結果が出た場合は明日電話する」と言っていたので、悪い結果だなと思いながら電話に出た。すると、直ぐに抗生物質を飲んだ方がいいので、もう一度来院するようにと言われた。帰
昨年8月、三重県御浜町下市木にオープンした自然体験施設「熊野体験倶楽部」を初めて訪問しオーナーにお会いした。平成21年7月以来、オーナーは、熊野市久生屋町の宿泊施設「里創人熊野倶楽部」で、星空観察やホタル観賞といった自然体験会のほか、地域史を伝える自作紙芝居の上映会などを開いてきた。活動の根底にあるのは「自然に寄り添い、自然を学ぶ架け橋になりたい」という一心。その思いが今回の「熊野体験倶楽部」開設に至ったという。カフェのお客が数人早めに来ており、一緒に開店を待った。ようや
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第239号2026-01-24(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-239/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「音信富通」-----------1.春夫詩句を拾う!!ー---------ー2.新・今日の
弁当と聞いてあなたはどんな弁当を思い浮かべますか?筆者の場合は、新宮から大阪に出るたびに食べた天王寺駅の「小鯛雀鮨」とか、スキーに行ったときにみんなで食べた信越線横川駅の「峠の釜めし」などが思い浮かぶ。その昔、旅の途中で列車がどこかの駅に着いて発車するまでの数分間の間に、ホームで販売していた弁当を大急ぎで買ったのを懐かしく思い出す。新幹線や特急が発達して列車の窓が開かなくなってからはそんな風景も見なくなった。名古屋経由で新宮に帰省する時、10:01名古屋発の特
喜寿を迎えて学生時代の同級生のことが一入懐かしく思い出される今日この頃。長年故郷を離れている者は地元にいる同級生ともなかなか会いにくくなりました。両親が元気なうちは毎年帰省したけれど、家じまい、墓じまいする年齢になった今、小、中、高校時代の友とも音信不通になりがちです。自分が元気なうちはこのホームページ&メールマガジン「熊野エクスプレス」を発信し続けるつもりですが、同時に友の元気な姿をもできるだけ伝えていきたいと、今回の帰省で強く思いました。そこで、新たに「音信富
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・流れよる千種百種(ちぐさももくさ)貝がらの数を集めて歌にそへ贈(おく)らばや都の子等(こら)に(一九三一年六月「望郷五月歌」(ぼうきょうがつか)『閑談半日(かんだんはんに
「ファンのアが大きすぎませんか?」「不安?考え過ぎじゃ、天下一とるには小異を捨て大同につくじゃ」「昨日の敵は今日の友ですもんね」吉原十男
新春第一号の飛鳥IIIの新宮港寄港です!(NORI)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第238号2026-01-17(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-238/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「春夫詩句を拾う!!」-----------1.春夫詩句を拾う!!ー---------ー2.
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・春夫詩句を拾う!!(1)空青し山青し海青し日はかがやかに南国の五月(さつき)晴れこそゆたかなれ (一九三一年六月「望郷五月歌」(ぼうきょうご
今回の、伊勢街道旅では、田丸城、松坂城、伊賀上野城と3か所の城を廻るが、近くの亀山城は後回しにすることにした。実は、伊勢街道旅の最中に、伊勢別街道というものもあることを知り、その関係で関宿にどうしても行きたくなった。関宿と亀山城は近く、セットにすると効率よく回れることが分ったためである。ということで、訪問は次回になるが、亀山城についても簡単に下調べをしておきたい。築城と戦国時代築城時期:天文年間(1532-1555年)に関盛信によって築かれたとされている。東海
忍者の里として有名な伊賀上野市には高校の同級生が住んでいるので、いつかは行ってみたいと思っていた。ただ、新宮と名古屋の途中とは言え、車ならいざ知らず電車で立ち寄るのは少し面倒なところにある。 ついつい先延ばしになっていたが、長年の思いがいよいよ実現することに。あの葉が折れてしまいそうになる固焼き煎餅だけは二度と口にするつもりはないが...。 伊賀上野城は、三重県伊賀市上野丸之内に位置する平山城で、「白
松阪城は、伊勢街道巡り旅を思いついた当初から、津城と並んでいずれ必ず行きたいと思っていたとこである。念願の津城を訪れた後、その思いは日に日に強くなってた。来週の訪問を控えて、簡単に下調べしてみた。松阪城は三重県松阪市にある戦国時代末期から江戸時代にかけての重要な城郭だった。築城と蒲生氏郷松阪城は1588年(天正16年)に蒲生氏郷によって築城された。氏郷は織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、伊勢国12万石の領主として松ヶ島城から居城を移すために新たにこの城を築
来週、帰省の帰りに田丸城跡を訪れる予定です。名前どころか存在すらしらなかった城なので、予備知識としてウィキペディアなどで少し調べてみました。歴史 1336年に 北畠親房が築いた中世の城が起源で、その後、織田信雄などの武将によって近世城郭として整備された。現在は天守など建物は残っていないが、石垣・堀跡・天守台跡が良好に残り、往時の構造が感じられる。石垣と城郭構造 野面積み・打込接・切込接など多様な石垣の積み方が見られ、城好きには構造の違いを見る楽しみがあ
吉原十男
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第237号2026-01-10(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-237/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「熊野体験倶楽部」-----------1.伊勢街道巡り旅実録篇ー---------ー2.新
あっという間に正月も過ぎましたね。朝日もいいけど、夕月もきれいです。夕方6時半頃、七里御浜(阿田和)の海上で。満月(3日は、ウルフムーンでした)は過ぎていますが、未だ ほぼ満月に見えました。(クマスケ)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第236号2026-01-03(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-236/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「新年の目標」-----------1.伊勢街道巡り旅実録篇ー---------ー2.新・今
明けましておめでとうございます!各地から初日の出の写真が送られてきました。
明けましておめでとうございます!各地から初日の出の写真が送られてきました。
明けましておめでとうございます!各地から初日の出の写真が送られてきました。
今年の12大ニュース2025年もまもなく暮れようとしています。来春には喜寿を迎えるこの歳になって、体力の衰えも感じながら世の中の動きになんとかついて行っている自分がいます。今年もいろいろなことがありましたが、自分にとって重大と感じた出来事を時系列的に並べてみました。1高校同窓会故郷・新宮で久し振りの新宮高校同窓会2自宅リフォーム最期から二番目の自宅リフォーム3マイナカード更新最初で最後の更新かもしれない
友人の似顔絵作家、土谷重美さんから新作の絵が届きました。いつもながらの軽妙なタッチで微笑ましさが伝わってきます。いつもながらの軽妙なタッチで微笑ましさが伝わってきます。
吉原和文
伊勢神宮内宮における荒御魂(あらみたま)と和御魂(にぎみたま)は、神道の重要な神霊観を表す概念である。和御魂(にぎみたま)とは、神の穏やかで平和的な側面のことを言い、恵みを与え、日常的な平安や豊穣をもたらす守護する働きをしている。「和」は「にぎ」と読み、調和・平穏を意味する。荒御魂(あらみたま)とは、神の荒々しく力強い側面のことを言い、積極的に働きかけ、変化をもたらす力、また、災いを祓い、困難を打ち破るなど、時に荒々しく畏怖すべき神威として現れる。内宮
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第235号 2026-12-27(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-235/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「長嶋茂雄と尾崎将司」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー
ひしゃく一本で伊勢参り!「お伊勢さん」こと伊勢神宮への参拝は、江戸時代に庶民の間で一大ブームとなった。しかし、当時の人々にとって伊勢参りは決して容易なことではなかった。長距離の移動にはお金がかかるし、身分制度も厳しく、自由に旅に出ること自体が難しい時代だった。そんな中、「ひしゃく一本持ってさえいればお伊勢参りができた」という話が伝わっている。これは一体どういうことなのだろうか?江戸時代の伊勢参りブーム~「おかげ参り」と「抜け参り」~江戸時代には
籾種石〈もみだねいし〉内宮・正宮にお参りしようと目の前の階段を見上げた時、参道の左側石垣の一番下にひと際大きな石(岩)がある。最近、お城の石垣に興味が出て、各地の城跡を訪ね始めていることもあって、とても気になる。正宮にお参りした後、社務所の人に聞いてみたが、籾種石と呼ばれていることはわかったが、それ以上はよくわからない。立ち話で詳しい話も聞けないので後で調べることにした。旅を終えた後、ネットで調べてみると、次のようなことが書かれているのを見つけた。
栄養たっぷり!ネバネバ丼材料 (2人前)米3/4合もち麦1/4合オクラ10本(100g)納豆60gめかぶ(味つけなし)60g<たれ>・しょうゆ・みりん・水小さじ2小さじ1大さじ4削りがつお2袋(6g)温泉卵2個おろししょうが小さじ1サバフレーク適量ちりめんじゃ
神変堂(しんぺんどう)は、主に高尾山薬王院にあるお堂で、修験道の開祖である役行者/神変大菩薩)と、その眷属(けんぞく)である前鬼・後鬼(ぜんどうき・みょうどうき)を祀り、安全登山や健脚、厄除けのご利益を願う場所である。高尾山の登山道(1号路)の浄心門をくぐってすぐ左手に見え、山伏信仰の歴史を感じさせる重要なスポットとなっている。神変堂の基本情報 祀られている本尊: 神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ) 神変大菩薩とは: 修験道の開祖である役小角
奥之院 不動堂の概要1. ご本尊と祀られているもの 主尊: 不動明王 不動明王は、大日如来の化身とされ、一切の悪魔を降伏させ、迷いを断ち切る強力な仏様。 ここに祀られている木造不動明王及び二童子立像は、室町時代以前の作で、鎌倉仏の特徴を持つ優秀な作として東京都の有形文化財(彫刻)に指定されている。 脇祀: 高尾山の開山とされる奈良時代の僧、行基菩薩(ぎょうきぼさつ) 高尾山の中興(再興)の祖とされる俊源
高尾山の信仰の中心である飯縄権現(いづなごんげん)は、高尾山薬王院の御本尊であり、日本の山岳信仰と修験道が融合した、極めて特徴的な神仏習合の神である。飯縄権現の概要と起源1. 神仏習合の神 飯縄権現は、仏教(特に密教)の要素と、日本の土着の山岳信仰が融合して生まれた「権現」である。「権現」とは、本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想に基づき、仏や菩薩が衆生を救うために「仮の姿(権=仮)」として日本の神の姿で「現れた(現)」ことを意味する。2. 起源:信濃国の
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第234号 2025-12-20(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-234/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「風伝おろし」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー----
高尾山は古来より修験道の霊山として知られており、山全体が修行の場として機能してきた。現代においても、その伝統は薬王院を中心に色濃く受け継がれている。高尾山における修験道の成立1. 開山と修験道の導入 開山(奈良時代): 高尾山薬王院は、744年(天平16年)に聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開山されたと伝えられています。この時点では仏教寺院としての側面が強かったと考えられる。 中興と修験道の確立(鎌倉時代): 荒廃して
一昨日夜は雨が降り、昨日の朝は晴れたので、「もしかすると風伝颪が見られるかも?」と思って、昨日早朝 御浜町尾呂志まで見に行って来ました。到着時間が少し遅かったので、ベストな風景ではありませんでしたが、久しぶりに「風伝おろし」が見られました。3月頃までは出現するそうなので、条件が整った日に また見に行きたいと思っています。(クマスケ)風伝おろし 青を編む|三重県御浜町~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
高尾山にある富士浅間社は、山岳信仰の一環として高尾山薬王院の境内に位置する重要な神社である。主な概要と特徴 正式名称: 高尾山薬王院 富士浅間社 所在地: 東京都八王子市高尾町2177(薬王院境内、奥之院不動堂の裏手) 主祭神: 浅間大神(あさまのおおかみ)浅間大神は、富士山の神であり、一般的には木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)として知られている。火の神としても信仰されている。 神仏習合:
吉原和文
登山ルートが「自然研究路」と命名されていることでもわかる通り、高尾山は「野草の宝庫」とも呼ばれるほど植物の種類が豊富で、四季折々に様々な花や景色を楽しむことができる。高尾山の四季の見どころを、代表的な植物とともにご紹介しよう。春(3月〜5月)花の妖精とスミレの饗宴春は、雪解けとともに次々と花が咲き始める、高尾山で最も華やかな季節。早春 (3月頃)梅、ヤマルリソウ、ハナネコノメ、アオイスミレ 麓の高尾梅郷の梅が咲き誇り、甘い香りが漂
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第233号2025-12-13(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-233/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:豪華客船「飛鳥III」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー---
新宮港に飛鳥IIIが入港との事で撮影に出掛けた!デカい!です。港に停泊中は大き過ぎて、画角におさまりません!(NORI)紀伊民放 digital 動画 ↓https://youtu.be/WRCKADgeP4c
一般的に、天狗は善悪両面を持つ存在で、妖怪でありながら神格化されている。山伏修行の象徴であり、自然の霊力を体現する存在である。高尾山の天狗信仰は、修験道・飯縄大権現信仰と深く結びつき、山の守護神として神格化された存在。大天狗と烏天狗が薬王院を中心に祀られ、除災開運・魔除け・戦勝祈願などのご利益をもたらすとされ、戦国武将から庶民まで広く信仰されてきた。天狗信仰の背景高尾山薬王院は奈良時代(744年)、聖武天皇の勅令で行基によって開山された。
12月4日は、全国で大雪が報じられるなか、都内でも10~11度と気温が下がり日陰では肌寒く感じられる日でした。所属するクラブ・歩く会の年内最後の企画「南蔵院からメタセコイアの水元公園」に参加してきました。南蔵院で「しばられ地蔵尊」という聞きなれないお地蔵様を見てきました。いわれを聞くと興味深かったので紹介します。南蔵院の歴史南蔵院は、正式には業平山 東泉寺 南蔵院と号する天台宗の寺院である。伊勢物語で知られる平安時代の歌人・在原業平が東下りの際に、隅田川で舟遊びをした
12月4日、歩く会の企画で水元公園に出かけてきました。全国で大雪が報じられるなか、都内でも10~11度と気温が下がり日陰では肌寒く感じられる日でした。目的は、メタセコイアでしたが、今年は天気のせいで落葉が少し早かったかもしれません。公式レポートは会の方にお任せして、ミニ情報をお知らせします。植物に疎い筆者は、樹木などの紹介ができるほどの知識はありません。どこに行っても、これは何の木?これは何の花?と聞き役専門です。公園の東側、しばられ地蔵口から入ってす
式年遷宮に合わせて20年ごとに架け替えられる宇治橋の工事には、船大工が持つ特殊な技術が用いられる。宇治橋は、文化的象徴性と木造建築技術の粋とが融合した存在だと言える。ここでは、すりあわせ技法について紹介する。すりあわせ技法「すり合わせ」とは、和船建造における板同士の接合面を密着させ、水漏れを防ぐための重要な技法。ノコギリを使って板の断面を擦り合わせ、さらに「木殺し」で締めることで、水密性を高める。すり合わせの基本工程板と板の接合部から水が浸入しないよう
伊勢神宮の宇治橋は、式年遷宮に合わせて20年ごとに架け替えられる。現在の制度は明治22年(1889)から続いている。戦後の混乱を経て、遷宮の4年前に架け替える慣例となった。架け替え工事にともない、宇治橋下手に平成20年12月27日に仮橋が完成した。仮橋は「帰り道専用」の橋として使用され、宇治橋が通行停止となる2月2日以降は行き帰りとも利用できるようになった。宇治橋の基本情報- 場所:伊勢神宮内宮の入口、五十鈴川に架かる参道橋- 構造
伊勢神宮の宇治橋は、式年遷宮に合わせて20年ごとに架け替えられる。現在の制度は明治22年(1889)から続いている。戦後の混乱を経て、遷宮の4年前に架け替える慣例となった。架け替え工事にともない、宇治橋下手に平成20年12月27日に仮橋が完成した。仮橋は「帰り道専用」の橋として使用され、宇治橋が通行停止となる2月2日以降は行き帰りとも利用できるようになった。宇治橋の基本情報- 場所:伊勢神宮内宮の入口、五十鈴川に架かる参道橋- 構造
伊勢神宮の宇治橋は、式年遷宮に合わせて20年ごとに架け替えられる。現在の制度は明治22年(1889)から続いている。戦後の混乱を経て、遷宮の4年前に架け替える慣例となった。架け替え工事にともない、宇治橋下手に平成20年12月27日に仮橋が完成した。仮橋は「帰り道専用」の橋として使用され、宇治橋が通行停止となる2月2日以降は行き帰りとも利用できるようになった。宇治橋の基本情報- 場所:伊勢神宮内宮の入口、五十鈴川に架かる参道橋- 構造
高尾山は、都心からも近く、手軽に自然を楽しめる山として、ハイキングやピクニック、パワースポット巡りなど、様々な楽しみ方ができる魅力的な山である。前回は、高尾山の登山ルートについてお知らせした。今回は、薬王院について紹介したい。正式名称は「高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)」で、真言宗智山派の大本山。東京都八王子市の高尾山(標高599m)の中腹に位置し、関東屈指の霊山として知られている。歴史的背景天平16年(744)に、聖武天皇の勅命に
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第232号 2025-12-06(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-232/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「コールドムーン」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー--
高尾山は、都心からも近く、手軽に自然を楽しめる山として、ハイキングやピクニック、パワースポット巡りなど、様々な楽しみ方ができる魅力的な山である。前回は、高尾山の概要をお知らせした。今回は、登山ルートについて紹介したい。高尾山には、初心者から上級者まで楽しめる様々な難易度のコースがある。最も人気があるのは初心者向けの1号路。薬王院を経由する舗装された表参道コースで、ケーブルカーやリフトも利用可能。 尚、どのコースで登って
11月末、友人二人と高尾山に出かけた。もともと登山にはあまり関心がなく、おまけに腰を痛めてからはせいぜい1時間ほどの散歩が限界になっていた。高尾山は自宅から1時間で行ける、今や世界的にも有名な山だが、これまで一度も登ったことがなく、機会があれば一度は登りたいと思っていた。 友人の一人は何度も登ったことのある大ベテランなので今回はすべてお任せ。何の下調べもせず、服装のことだけ聞いて出かけた。テレビ番組で何度か見た程度の浅い知識だったが、概要はほぼ予想した通りの
五月の蠅と書いてうるさいいと読みます。吉原和文
11月末、友人二人と高尾山に出かけた。もともと登山にはあまり関心がなく、おまけに腰を痛めてからはせいぜい1時間ほどの散歩が限界になっていた。高尾山は自宅から1時間で行ける、今や世界的にも有名な山だが、これまで一度も登ったことがなく、機会があれば一度は登りたいと思っていた。友人の一人は何度も登ったことのある大ベテランなので今回はすべてお任せ。何の下調べもせず、服装のことだけ聞いて出かけた。テレビ番組で何度か見た程度の浅い知識だったが、概要はほぼ予想した通りの姿だった
NHKの「トリセツショー」で、スパゲッティの茹で方についてちょっと面白い内容を視た。普通、どの料理本を見ても、「スパゲッティは”たっぷりなお湯を沸かして”茹でる」と書いてある。ところが、そうではなく、600ml(2人前)の水で蓋をして茹でるとモチモチなパスタが楽しめるというのだ。すぐに試してみたくなったので、久しぶりに、ミート・スパを作ってみた。おから入りミートソース材料 (2人前)牛豚合びき肉150gにんじ
三連休の最後、朝から暖かい陽射しが射しこみ、たまには京都に出掛けようかと思ったものの、紅葉の素晴らしい嵐山地域は、立錐の余地も無いぐらいの混雑と報道されていたので八坂神社や知恩院の隣接にありながら未訪の地、「青蓮院門跡」をユックリ散策してきました。阪急河原町駅から、バスも使わず、ひたすら歩いて2万歩でした。「門跡寺院」と言うのは、門主は皇族であるか五摂家の子弟に限られ、最高の格式を持つ寺院で、皇居が何度か炎上した際には、当院が仮御所として天皇の住居として、使わ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第231号 2025-11-29(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-231/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「クマ被害」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー-----
先週、所属するクラブ・歩く会の企画で「六義園散策と渋沢栄一の王子界隈探訪」に参加してきました。存在は昔から知っていましたが訪れるのは初めてで、浅い知識を補充することができ、とても有意義な一日になりました。特に、柳沢吉保が和歌の浦の景色を参考にして庭園を造ったと知り、和歌山県人として親しみを感じました。意外と知らない人も多いと聞きましたので、少し紹介したいと思います。六義園(りくぎえん)は「江戸の二大庭園」のひとつで、国の特別名勝に指定されている日本庭園。都会の
京都・奈良県境の木津川地域は交通の便が悪く、山深い地域で、関西人ですら馴染みのない地域です。紅葉見物を兼ねてのドライブ散策、クマ騒動を気にしながら、クマよけ鈴をぶら下げて、巡って来ました。1/2/3/4→「恭仁(くに)宮跡」京都木津川市、1,300年前の聖武天皇の時代、平城京から遷都され、僅か5年ながら「都」として存在した国の史跡。全く人影もなく、クマ出没注意の掲示に怯えながら、癒しの小径を巡ったが、所々に基石と石碑が残っているだけで、早々に退散。5→「国宝ー
WBC日韓戦を視ていると、アナウンサーが盛んに「ピッチコム」「ピッチクロック」という言葉を口にしていた。はて、耳慣れない言葉と思われた人も多いのではないだろうか。大谷選手や山本選手の大活躍でメジャーリーグMLBを視る人も劇的に増えただろうから、みなさんもうご存じかな?野球の近代化を象徴する2つの重要なシステムについてまとめてみました。ピッチクロック(Pitch Clock)ピッチクロックとは、投球間の時間を制限するタイマーシステムです。MLBで
伊勢神宮内宮の神楽殿は、神楽奉納や祈祷が行われる神聖な施設で、参拝者の願いを天照大御神に届ける重要な役割を担っている。神楽殿の概要と建築様式- 所在地:内宮(皇大神宮)の参道中ほど、宇治橋から正宮へ 向かう途中の左側- 建築様式:銅板葺き・入母屋造(いりもやづくり)- 竣工:昭和53年(1978)設計は大江宏建築事務所、施工は竹中工務店- 構造:鉄骨造、一重の建物で、荘厳かつ機能的な造り神楽殿の役割と機能- 御
参道の樹木の保護内宮の境内を歩いていると、写真のように多くの木の幹が保護されている様子が見受けられた。虫害対策なのか、霜害対策なのかと頭をかしげていると、近くで10人ほどのツアー客が集まってきた。丁度、ガイドの説明が始まったので、聞き耳を立てて説明のご相伴に預かった。「参道の樹木に竹を巻いているものがありますが、これは樹木の表面を保護するためのものです。神宮の参拝者は年間数百万人。樹齢数百年にもなる大木も、多くの人びとが手を触れると徐々に弱ってしまいます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第230号 2025-11-22(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-230/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「熊野川ランニングフェスティバル」-----------ー1.伊勢街道巡り旅
伊勢神宮 内宮「四至神(みやのめぐりのかみ)」四至とは神域の四方(東西南北)の境界を表し、その四方を守る神様が四至神である。内宮を悪いものから守るための守護神である。小さな石段が2段あり、そこに石神として祀られている。こちらもしめ縄により結界が張られている。一見ただの石段に見えるが、社殿を持たない神社なのだ。外宮でも同じように神楽殿の近くに四至神が祀られている。内宮と異なり広域な石畳の周りにしめ縄が張られているが、こちらも石段があり、その一段高いところに一本の榊の
去る9月と10月に二度、伊勢街道巡り旅をして、その報告記事を書いてきたが今週で一段落となった。長々とお付き合いくださった方々、ありがとうございます。ただ、旅の途中で見聞きした物事のなかで纏めきれなくて未だ報告していないものも残っているので、思い出しながら少しお伝えしたいと思う。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・寝地蔵石外宮の見どころとして「三つ石と亀石」を紹介したが、実は、もうひとつ紹介したいの石がある。
全国で広がるくま被害悲しいです。くま擁護派はもちろんくま駆除派も願いは同じ人里に降りてこないようにするそれが私達人間のすべきこと私はくまを殺してほしくないでも、もし今目の前で大切な人がくまに襲われていて、手元に銃があったなら迷わず撃つでしょう。私達が議論すべきなのはそういうことではない
街道巡り旅の最初の記事が「七里の渡し 伊勢国一の鳥居」であった。この記事を書いたとき、もう一つ「関宿東の ''一之鳥居''」があることを知ったので、いずれ書かなくてはと思っていた。ただ当初は付録にと軽く思っていたが、調べてみると大変重要であることが分った。そこで、出来るだけ詳しく書きたいと思う。一之鳥居戦国時代から江戸時代、伊勢神宮へ向かう参詣者にとって、東海道を東(江戸)からやってきた人が必ず通るのが、桑名宿の七里の渡しであり、そこには“伊勢国一の鳥
街道巡り旅で松坂に行くときは、松坂城に加えて三井家発祥の地は是非訪れたいと思っていた。かつて商社に勤めた者としてはやはり、あの三井財閥を築いた一族の初期の人たちの足跡は気になるところだからだ。松阪は江戸時代に商業都市として発展し、多くの豪商が生まれた。松阪市には、江戸時代の伊勢商人の繁栄を今に伝える貴重な文化遺産として、三大豪商屋敷「旧三井家」、「旧長谷川家」、「旧小津清左衛門家」がある。旧三井家(旧三井家発祥地)三井家は、江戸時代に呉服商「越後屋」として
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第229号 2025-11-15(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-229/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:「熊野体験倶楽部」-----------ー1.伊勢街道巡り旅 実録篇ー--
11月9日(日)夕方18時15分から30分までの15分間、、「三重テレビ」で、今夏 御浜町下市木に友人が開業した「熊野体験倶楽部」と言う体験工房が紹介されました。以下は、今朝 友人が送ってくれた番組のYouTube版ですが、その中で私も「昔のオモチャの作り方・遊び方を教えてくれるオジサン」として(僅か1分くらいですが)登場していますので、ご覧下さい。これからも、熊野に居る間は、熊野体験倶楽部のお手伝いをして、少しでも地元の子供達の成長のお手伝いをしたいと思って
伊勢神宮へお参りしたことのある人でも斎宮については、よく知っている人は少ないようだ。筆者は殆ど知らなかったので、今回の旅で少し勉強することにした。近鉄津駅から伊勢中川を経由して小一時間乗ると斎宮駅に着く。斎宮と言う名前そのものの駅があるということは存在がいかに大きいかという証拠であろう。下車してふと見ると10数名の年配のグループが同じ電車から降りてきた。ツアーガイドらしき人と何やら打ち合わせをしている。いつきのみや体験館斎宮駅のすぐ目の前に
津観音を訪れた後、いよいよ、この旅でもっとも行きたかったところ、津城跡に向かう。津駅前のバスに乗り「三重会館前」で下車、信号を渡り郵便局を右に見て3分ほど歩くと左側に津城跡が見えてきた。 津の古称「安濃津」は、平安時代から伊勢国の政治・経済の中心地であり、「日本三津」の一つとして貿易港としても栄えた。津城は、戦国から江戸時代にかけて伊勢国の政治・軍事・文化の中心を担った名城であり、築城技術の粋を集めた城郭として知ら
津観音- 正式名称:恵日山観音寺大宝院(えにちざん かんのんじ だいほういん)- 宗派・本尊:真言宗醍醐派、聖観世音菩薩- 創建:伝承によれば和銅2年(709)、奈良時代初期- 所在地:三重県津市大門。- 浅草観音(東京)、大須観音(名古屋)と並び、日本三観音の一つに数えられている。意義津観音は、伊勢神宮の祭神である天照大神の本地仏(生まれ変わり)「国府の阿弥陀(こうのあみだ)」が祀られていたことで知られている。江戸時代には、「阿弥陀に詣らねば
伊勢街道巡り旅では、資料などを参考にして自分なりに訪れたいスポットを選んでいる。江戸橋は、一見すると何の変哲もない橋であるが、実は大きな意味があるので取り上げた。江戸橋江戸橋は、三重県津市の中心部を流れる岩田川に架かる橋で、伊勢街道(参宮街道)上の重要な橋梁だった。津の城下町から伊勢方面へ向かう際に必ず渡る橋として、交通の要衝となっていた。勢州・伊勢街道にあるこの橋に何故「江戸」という名がつけられたのかには訳がある。当時、藩にとって重大な務めであった参
神宮参拝を思いついて伊勢街道について下調べを始めるまでは、恥ずかしながら白子のことを知らなかった。昔、名古屋に5年と少し住んでいたが、桑名、四日市、津、松阪について話すことはあっても白子という地名を話題にすることはなかった。テレビ番組でブラタモリを視たのがきっかけとなり俄然好奇心が湧き、調べてみると、その昔、白子が伊勢における有数の港として重要な役割を果たしていたとは、しかも、松坂、田丸と共に徳川御三家のひとつ紀州藩領だったとは思いも寄らないことだった。また、
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第228号 2025-11-08(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-228/□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言-----------ー◇TOPICS:クマ被害-----------ー1.伊勢街道巡り旅ー---------ー-
本多忠勝本多忠勝(ほんだ ただかつ、1548-1610)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した徳川家康の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将の一人に数えられる名将である。三河国(現在の愛知県東部)の出身で、12歳で初陣を飾り、桶狭間の戦い(1560年)では、わずか13歳で参戦、姉川の戦い(1570年)、三方ヶ原の戦い(1573年)など、徳川家康の主要な合戦にほぼすべて参加した。愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」を使い、槍の名手として知られた本多忠勝は、
桑名城跡天正19年(1591)、豊臣秀吉の家臣・一柳右近が桑名に入り、その4年後に伊勢神戸城の天守閣を移築して、揖斐川沿いに桑名城を築いた。これが現在の桑名城の原型になり、慶長6年(1601)、本多忠勝は桑名藩に入封直後、揖斐川沿いに城郭の建造を開始し、船着場の整備、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞を立ち並ばせた。城郭は本丸を中心に、二の丸、三の丸、内朝日丸などが堀で囲まれ、最大で97基の櫓が建ち並ぶ堅固な構造を持っていた。残念ながら、天
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昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・心ありてぞ門辺(かどべ)には好文(こうぶん)の木を植えたれば文化の春にさきがけて花咲き鳥も歌うべく若人(わこうど)来たり学ぶなり(一九五一年八月「緑丘中学校校歌」
「音信富通」第二弾! です。世の中に新しいものが出てくると俄然興味が出て、試してみたくなるようで、いつも元気なおっちゃん!今回は、新兵器・ドローンを操って制作した動画を披露してくれました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・https://youtu.be/thwFeQbH7UI(大石喜造)
1月31日に新宮港に寄港した際の出港時の三井オーシャンフジです。
田丸城見学の後、次の電車まで少し時間があったので、観光案内のお勧めに従って、駅から徒歩約5分のところにある玄甲舎に行ってみることにした。これまで全く聞いたことのなかったが歴史的建造物だという。玄甲舎は、弘化4年(1847年)に建設された、紀州藩田丸城主・久野丹波守の家老であった金森得水の茶室兼別邸で、玉城町指定文化財となっている歴史的建造物。金森得水(1786年~1865年)は、家老として政務を執り行うかたわら、表千家茶道の免許皆伝を受けた茶人だった。田丸領の経済
筆者が勤めていた会社には社友会があり、退社後も観劇のチケット購入やゴルフ大会参加など、様々な活動の案内をしてくれています。そんななか、川柳大会の人気投票で上位にランクした作品が送られてきたので紹介します。『 孫が来る はらはら消え行く 渋沢翁 』『 不自由が ないとつまらぬ 自由かな 』『 お迎えは まだかまだかと 妻と嫁 』 思わず、うんうんとうなずいてしまう力作ばかりだと思います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第241号2026-02-07(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-241/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「御燈祭り」-----------1.伊勢街道巡り旅-----------2.春夫詩句を拾う
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・さんま、さんま、さんま苦(にが)いか塩(しよ)つぱいか。そが上に熱(あつ)き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや。(一九二一年一〇月「秋刀
何十年来の友は最近元気でいるだろうか。どんな暮らしをしているのだろうかと、気になりますよね。そこで、最近の暮らしぶりなどを共に伝え合うコーナーとして、新企画「音信富通」を始めることにしました。第一回は、Zackyさんによる旅の想い出の記録です。読むと元気なれること請け合いです。※各記事の下部にはコメント欄があります。簡単で結構、ひと言感想などを書いていただければ幸甚です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
何十年来の友は最近元気でいるだろうか。どんな暮らしをしているのだろうかと、気になりますよね。そこで、最近の暮らしぶりなどを共に伝え合うコーナーとして、新企画「音信富通」を始めることにしました。第一回は、Zackyさんによる旅の想い出の記録です。読むと元気なれること請け合いです。※各記事の下部にはコメント欄があります。簡単で結構、ひと言感想などを書いていただければ幸甚です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
1時間半ほどかけて田丸城の見学を終えた後、すぐ近くにある村山龍平記念館に立ち寄った。ここは、玉城町出身の実業家・新聞人であり朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850–1933)の業績やゆかりの資料を伝える郷土資料館である。村山龍平の生涯と業績(朝日新聞創業、新聞事業の発展) に関する資料などが展示されており、地域の歴史・文化の紹介・保存や社会教育の拠点として活用されている。 村山龍平は1850年5月14日(嘉永3年4月3日)に伊勢国田丸(現・三重県度会郡
1月中旬、帰省の帰りを利用して田丸城跡を訪れた。昨年二度の伊勢街道巡り旅をすることで、かつてはここ田丸というところが、松坂、白子と並んで、紀州藩の領地であったことを知り興味を掻き立てられた次第。新宮から特急南紀4号に乗り、多気で参宮線鳥羽行に乗り換え、田丸駅で下車したのは11時41分だった。JR田丸駅は小さな無人駅だが観光案内所もあり、最近建て替えられたと見えて駅舎はきれいだった。駅前を左に向かうと標識があり、ここ玉城町は「伊勢本街道と熊野街道が交わる
東大院の教授と准教授が収賄容疑。久々アナグラム和歌。よしな友へ 男がケモノ 言葉たる わづかぞ思ふ よの気持ちをばヒント:(元歌は道長)(十男)注)アナグラムとは?
似顔絵作家、土谷重美さんから新作の絵が届きました。いつもながらの軽妙なタッチで微笑ましさが伝わってきます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第240号2026-01-31(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-240/□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ー■□ー---------ー◇編集長の独り言-----------◇TOPICS:「御燈祭り」-----------1.伊勢街道巡り旅-----------2.春夫詩句を拾う
松坂駅前のロータリーには鈴のモニュメントがある。結構大きなものだが、前回、豪商の町松坂を訪れた時には気がつかなかった。ただ、当地に長年住んでいた国学者 本居宣長が鈴が好きでたくさん集めており、書斎が鈴屋と呼ばれていたことを知った。そのことと関連があるのかと推測しながら調べてみた。この鈴は、本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つである「驛鈴」と呼ばれるものを模ったものとわかった。浜田12代藩主の松平康定が「古事記伝」を著した松坂出身の本居宣長が鈴好きと知
松坂駅前のロータリーには鈴のモニュメントがある。結構大きなものだが、前回、豪商の町松坂を訪れた時には気がつかなかった。ただ、当地に長年住んでいた国学者 本居宣長が鈴が好きでたくさん集めており、書斎が鈴屋と呼ばれていたことを知った。そのことと関連があるのかと推測しながら調べてみた。この鈴は、本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つである「驛鈴」と呼ばれるものを模ったものとわかった。浜田12代藩主の松平康定が「古事記伝」を著した松坂出身の本居宣長が鈴好きと知
昨秋より熊野新聞に、そしてその後、佐藤春夫記念館ブログに掲載中の、辻本館長のブログ「春夫詩句を拾う!!」を、許可を得て、当熊野エクスプレスにても連載することになりました。どうぞお楽しみください。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・あはれ秋風よ汝(なれ)こそは見つらめ世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 (一九二一年一〇月「秋刀魚(さんま)の歌」・『我が一九二二年』所収)
1年ぶりの帰省、3日間の滞在を終えて特急南紀に乗るべく3番線に行くと、パンダ列車が止まっていた。何年か前から運行されていることは聞いていたが、新宮駅でまともに見るのは久々のことだ。上野動物園のパンダ二頭がまもなく中国に返還されるが、返還後もパンダくろしお号は走り続けるのだろうか?よく知なかったパンダくろしおについて、改めてパンダ列車について調べてみた。特急「くろしお号」は、JR西日本が運行する京都・新大阪から和歌山南部〜新宮駅を結ぶ観光列車として知られ
1年ぶりの帰省、3日間の滞在を終えて特急南紀に乗るべく3番線に行くと、パンダ列車が止まっていた。何年か前から運行されていることは聞いていたが、新宮駅でまともに見るのは久々のことだ。上野動物園のパンダ二頭がまもなく中国に返還されるが、返還後もパンダくろしお号は走り続けるのだろうか?よく知なかったパンダくろしおについて、改めてパンダ列車について調べてみた。特急「くろしお号」は、JR西日本が運行する京都・新大阪から和歌山南部〜新宮駅を結ぶ観光列車として知られている。
コロナが発生し、流行して5年が経ました。日常生活がかなり制限され、行動の自由がなくなりました。そんな中私は膝を痛め、手術を余儀なくされて入院、回復の途上で反対の膝と腰椎に負担が掛かり、歩行困難になり、ダブルパンチで生活が大幅に縮小されていました。ようやく回復の兆し。前を向かねばと思えるようになっていました。・そのような時に“ハイムの広場”・”熊野通信“の余人をもって代えがたしという名編集長の西 敏さん。(私たち東夫婦と東西コンビで10数年も親しくお付き合いして頂いてい
2月2日は年に2度の花の窟神社の例大祭でした。神代から続く神事ですので、寒波到来にも拘わらず地元民を中心に多くの皆さんがお綱掛け神事に参加していました。詳細はこちらでご覧ください。https://hananoiwaya.com/hananoiwaya/iwaya_maturi_otunakake.html
「秋波」とは、もともと「美しい女性の涼しい目元」という意味だったのが、“関心を引こうとする、色っぽく媚びのある目つき”というようなだんだんと異性を意識したイメージに変わっていったと言われています。漢字にある秋や波、水のイメージはほとんど残っていません。元々の意味から、女性が男性を見るときに使う言葉に思われがちですが、現在では性別に関わらず使われることが多くなっています。また、団体や国家に対しても使われることがあります。「秋波」の語源は”秋の澄んだ波”という中国語
https://youtu.be/thwFeQbH7UI
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第189号 2025-02-08(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-189□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス『増補版 熊野・新宮の「大逆事件」前後』ー---------ー-2.新・今日の散歩
以前ホームページに投稿した筆者の「私のふるさと14~新宮市名誉市民 大石誠之助」という記事に昨年11月、ある人から次のようなコメントが寄せられました。「太平洋食堂を読み、大石誠之助さんを知り、こんな人がいたのかと大尊敬し、新宮市を訪ねたいと思っています。大石さんの関連箇所を訪ねたいと思います。旧宅の他に何処があるのでしょう?」この投稿は立派な医師であった大石のことを少しでも多くの人に知ってもらいたいとの思いから掲載したものでした。大逆事件は歴史で学ぶので多くの
お燈祭りは、和歌山県新宮市の熊野速玉大社の摂社、神倉神社で斎行されます。〇御燈祭り当日の日程《2025年2月6日》午前10時 お供えの餅「カガリ御供」奉製(速玉大社にて)午後5時10分 介釈、神倉神社で修祓の後、熊野速玉大社に向かう午後5時45分 神職、介釈一行同大社を出発し、神倉神社に向かう午後6時20分 神倉神社到着午後7時10分 御神火をおこし、神事斎行午後
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆熊エプ メ-ルマガジンKUMAGAZINE 第188号2025-02-01(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-188□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-◇編集長の独り言ー---------ー-1.トピックス『お燈まつり』ー---------ー-2.新・今日の散歩道ー---------ー-
https://youtu.be/y7x6h30wUac?si=fy-0vG5B0lpUHEvZ
和歌山県新宮市出身の作家、佐藤春夫(1892~1964年)の邸宅を移築した熊野速玉大社境内の「佐藤春夫記念館」を、約1キロ南東へ離れた新宮城跡近くの市有地(同市伊佐田町)に移転中。工事に伴い同記念館は現在休館中で、令和8年度中に移転先でオープンする予定。 邸宅は現在の東京都文京区で昭和2年に建てられ、移築して平成元年に記念館として開館した。佐藤春夫記念館ホームページ
1月20日、辻本・佐藤春夫記念館館長の本が刊行されました。ブログに掲載された内容に大幅加筆したものとなっています。仮事務所での販売予定は今のところありません。ぜひ書店等でお求めください。「能火野人」とは春夫晩年の号。熊野の地で培った反骨精神の原点を辿り、個として自立し文学世界を確立してゆく過程を追ったもの。書名: 近代文学研究叢刊77 「能火野人 佐藤春夫」「のうかやじん」は「くまのびと」の謂いなり著者:辻本 雄一出版年月日 2025/01/20
「みんなあなたが好きだった・プレーバック長嶋茂雄の世紀 引退から50年」2025年1月11日NHK総合最初から最後まで涙、涙、涙だった。「この爺さん、なんで泣いているのか」。そんなこと思われようと見られようとかまわない、「ボクの長嶋茂雄」どのシーンも泣けました。東京六大学で本塁打新記録8本を放った立大の長嶋が巨人に入団した時、雑誌「冒険ブック」でその雄姿は小学生のボクに焼き付いた。小学・中学時代もちろん野球部だ(その時代、正式には部ではなかったが地区の大会のた
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 熊エプ メ-ルマガジン KUMAGAZINE 第186号 2025-01-18(土)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆https://kumano-express.com/kumagazine-186□□□□□□□□□□□□■□ーーもくじ-ーー■□ー---------ー-1.編集長の独り言ー---------ー-2.トピックス「みかん高騰」ー---------ー-3.新・今日の散歩道ー--------
友人の似顔絵作家、土谷重美さんから新作の絵が届きました。いつもながらの軽妙なタッチで微笑ましさが伝わってきます。