「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
『この顔で生まれてよかった』歌手の加藤登紀子さんはステージで、「私はこの程度の顔で生まれたことに対して、親に感謝したい。もし美人で生まれていたら、このように努力しなかっただろう」と話したといいます。今の自分に満足し、感謝しなければ幸せもないのですと。いい言葉ですね。努力は生きるもの全てに与えられた技です。先人からの知恵を借りて生きましょう。努力
「疾風・しっぷう」は激しく吹く風、「勁草・けいそう」は強い草のことで、激しい風が吹くことによって、それに負けない強く丈夫な草が見分けられることから、困難に直面した時に初めてその人間の本当の強さや価値が分かるという意味。ここにいる皆様のことです。疾風勁草
・立派なことは仕事に励むこと。・みじめなことは友が一人もいなこと・寂しいことは心が狭いこと。・みにくいことは人をうらやむこと。・尊いことは奉仕すること。・美しいことはすべてに愛情を持つこと。・悲しいことは人をうらぎること。・嬉しいことはおめでとうと言えること。・ありがたいことは人と出会うこと。・伝えたいことは四季に感謝していると伝えて。魂の叫び
「天使はね心の重荷を捨てたから飛べるんだ。」(私)僕はまだまだ先だ。天を飛ぶ
「人の功績を求めず人の目指したものをを求めよ。」(私)これは先人達の尊い教えです。私は皆様の「明日を生きる力になれば」と常に考えています。人生道
『どんなに豊かな土壌でも耕さなければ何も実らない。人の心も同じ心は地獄を生み出すこともできれば天国を生み出すこともできる心を耕せばあなただけの庭が生まれるのだ』放置すれば庭は荒れてしまう。心の庭も同じです。心を耕しましょう。心の庭
「追い込まれて気づく喜びが記憶に残る。」(私)前日足の怪我で救急車に運ばれ、師匠から千秋楽を諦めるように言われた尊富士。横綱照ノ富士から休んで一生後悔するより出て結果より記憶に残る方が良いと言われ決心して前に攻め続けたと応えていた。追い込まれる場面はステップには必要なことですね。ありがとうございました。記録より記憶
「明日発する言葉が神の伝言。」(私)明日声に出す言葉は、神からの伝言と思え。そうすれば、悪い言葉は使えなくなる。神の伝言
「人生はこだま返ってくるのは前に発した事。」(私)大谷さんの通訳一平さんの記事見て感じています。自分が行って来た結果が今返ってくる。神様の喜ぶことをしましょう。こだま
「志のままに生きよう身を助けるものが見つかるから。十刀流も夢でない」(私)世界に届く風になる可能性あるから。十刀流
四国のある神社や老人施設の正月用のおみくじに使う言葉を依頼されて書いたものを紹介します。「幸せ」安らぎの心です。何もないのに分け与えることです。何もなかった日を幸せといいます。「生きる」試練を与えられながら知恵を授けられることです。「希望」夕陽のように明日の生きる力を持つことです。諦めないことです。「運命」あなたの胸の中にある。あなただけの道を胸を張って歩いてください。導きに気づきます。「奇跡」それを信じる人に必ず訪れます。「笑顔」人々が生きやすくなることです。宝ものです。「優しさ」人を愛することです。悲しみを知った分だけ優しくなれます。「自分を信じる」いつ生きることが楽しくなります。廻りに助けられます。「失敗」人生の深みを学ぶことができます。このあとは神様の力を得る言葉が続きます。参考になればありがたい...おみくじ言葉
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
【神が与えた技】美しい天使からの言葉「神に愛されると神の技をひとつもらえる」でした。私は何か頂けたのでしょうか?『あなたにはすでに与えていますよ』何だろう??私と話していることです。あ!そうか神と話せる技!私がロシアの雪山で遭難した時、突然現れた青年の肩を借りて麓のホテルまで導いてくれた。そして足跡もなく消えた人。覚えているのはテレパシーで会話していたこと。救助隊から奇跡の生還と騒がれた。あれから神と会話できること気づいた。ありがとうございます。皆様もきっと何か神の技を持っているのですよ。気づいてください。神が与えた技!優しい心かも知れませんね。感謝しましょう。神が与えた技
「のんきと見える人々も、心の底をたいてみると、どこか悲しい音がする。」夏目漱石(吾輩は猫である)人は誰も悲しみを抱えて生きている。自分だけが悲しい人生を送っているのではない。ここは、心の底が悲しい音がする戦友の集まりです。だから生きる力がもらえるのです。今日も負けないで生きましょう。人を助ける心だけはなくさないようにしましょうね。心の底の音
「草枕旅の丸寝(まるね)の紐(ひも)絶えば我が手と付けろこれの針もし」(万葉集)草を枕とする旅で着たまま寝るその着物の紐が切れたら、この針を私の手と思ってつけなさい。この言葉に従ったら、私も裁縫が得意になってしまった。お年寄りの衣服のほころびを縫っています。母の手
鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。「幸せの風は開かれた心にのみ舞い降りる。」(私)幸せの風
「ChangeisChance.」チェンジ(変化)にこそチャンスがある。(gをcに変えるだけでこの言葉になります)異動辞令に不安を抱いている人に送った言葉です。新しい試みこそチャンスだと歩みましょう。チャンス
「神は私が願う前から必要なものを知っている。」(聖書マタイ6・8)これから先に何かをしなくてはと日々祈っていると、毎日少しずつ気づかせてくれます。「あ!そうか」「これでいいのか」「これならできるかも」少しずつヒントをくれています。私は導かれていると気づきました。皆様もそれぞれの信仰の神様に祈りましょう。祈り
美しい春の言葉に「ひこばえ」があります。おまえはおじいちゃんの宝物だよという意味です。春、木の根や切り株から燃え出す新芽を「子」でなく「孫」と呼んでいます。本来、種や枝の先から出るはずの芽が、木の根や地表に倒されて命を失ったはずの切り株から生え出す不思議さから孫としたのでしょう。もののけ姫のラストシーンに使われたのも命の再生でしょうか。皆様にもひこばえの力がありますように祈願しています。命の再生
「裏を生き表に気づく生きる道」(私)難があるから人生は有難い。不運・悪・厄(Evil)の反対の綴りは生きる(Live)。難や不運が尽きないのが人生ですそれに気づいた時に分かるものです。皆様の先には喜びが待っています。今日の苦難に感謝しましょう。生きる道
『隠れる』の『隠』という字は奥の深い意味があります。どちらかと言うと隠すとか隠密、隠匿とか悪い意味合いに使われています。こざと扁は、神様が登り降りする梯子という意味があります。右側の字は上からの手を意味し、両手で物を隠すように、人から見えなくする様子を表しています。何を隠しているかというと「心」です。『隠』という字は神様に密かに祈る心を表しているといわれています。神のみぞ知る秘めたる願いを込めた字なのです。『神様お願い』切なる心模様が語源なのです。可愛いく奥ゆかしい隠れんぼなどに使って欲しいと思います。皆様のご健康、ご活躍をお祈りいたします。秘めたる願い
15年前に読んだ小冊子の話です。ある豊橋の大学生が中東に一人旅に行きました。3週間のイスラエルの旅で一人のおばあさんに親切にして頂き一泊泊めて頂きました。お別れの時に誕生日の時に開けるようにと2つの小さな箱を頂きました。1つは細長い白い箱。もう1つは小さくて黒い箱でした。白い箱は軽く、黒い箱は重量感のある重さでした。半年後の誕生日になりました。2つの内1つを選んで開け、残りは次の誕生日に開けなさいと言われていました。白い箱を開けました。何も入っていませんでした。何んの意味も分かりませんでした。次の黒い箱が気になって開けて見ようとしたらありませんでした。消えてないのです。あのおばあさんはイスラエルの魔法使いなのかと思いました。(私が思うに大切なものは目に見えない事を教えていたのではないか。消えたのは約束を守...魔法の言葉
「強い精神力を鍛えあげるのは、目的に向かってやりとげたい、やらなければならないという熱い信念と力を持つことである。」(私)人に言えない苦しさや困難、孤独に屈しようとしない精神力、不退転の決意が「信念」です。しかし、信念だけではなく「実力」が伴わなければなりません。人生についても同じです。体験から深く理解し助言できる力が必要となります。苦しみも悲しみも乗り越える努力がその糧になります。ここの場が益々発展して、皆様の生きる力となることを願っています。来月から新たな道を行く私自身に励ましている言葉でもあります。信念と力
1.ナイチンゲール(クリミアの天使。敵味方の兵士達を看護した。)2.ヘレン・ケラー(三重苦の天使。重度の身体障害者で全ての人に生きる力を与えた。)3.マザー・テレサ(いうまでもない世界の聖者)4.光明皇后(こうみょうこうごう)701年~760年。聖武天皇の皇后で藤原不比等の娘。信仰心があつく、仏様の教えを求める女性でした。彼女のそばに行くと、爽やかな姿にみんな心が清められると述べたと言います。天平時代、奈良の都に文化の花が咲き乱れました。しかし、天災も多く人々の生活には苦しいものがありました。皇太子を生みますが、幼くしてこの世を去ってしまいました。自分を含め、苦しい人々を救う為にとの願いから、夫の聖武天皇に頼み、東大寺(大仏)をつくります。また、彼女は風呂を作り、多くの生活に苦しむ人たちを入浴させました。...四大天使
「僕の夢は妄想かも知れない。しかし、夢の実現は壮大な妄想から生まれるものだ。」(私)夢の妄想に向かって進んでいます。「少年よ大志を抱け。この老人のように!」(クラーク博士)夢に向かって
仏の道を悟った楽しみのことを『道楽』といいます。修行を積んで、道を極めた人の真の楽しさのことを意味していました。いつしか、単なる趣味や楽しみの意味に変わり、道楽者、道楽息子等と享楽的な楽しみに使われてしまいました。苦しみや悲しみを踏み締めて、自分の道を一歩一歩楽しみながら歩いて行く。それが本来の道楽なのです。皆様も人生の道楽を楽しみましょう。心にゆとりが出ますように祈願しています。人生の道楽
「人間は毅然として現実の運命に耐えてゆくべきだ。そこに人生の一切の真理がひそんでいる。」(ゴッホ)奥深い言葉です。いまの与えられた現実を耐えること。それが自分の生きるすべての道の本質があるからです。病気になったこと、体が不自由になったこと、なぜ私だけがこうなったのと悩むことがあるかも知れません。それを乗り越えて生きることが大切とパラリンピックの選手達が教えてくれています。生きていけば必ずいいことあるよ!元気出して明日を迎えましょう。私は早く亡くなった人達の願いを引き継いでいきます。耐えて生きる
食堂で定年後は働かないでのんびり生きる為に投資していると自慢していた。定年後も働いている私は少し辛かった。「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない。」(伊能忠敬・日本測量家)私も余生はいらない。夢を持ってただ前に進もうと思ったよ。前に進もう
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「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。改心の情
ここにいる人達は生きる力を授かり、命のリンク(絆の輪)を持つのです。悩める人達を救いましょう。(私の天使より)命のリンク
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。これを心理学では「オープン・ハート」と呼ぶそうです。心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。愛は無限の力がある。愛されてる貴方はオープン・ハート!愛の注入
毎日お別れする人が続いています。なぜでしょうか?「桜咲き花散る里に帰ろうか」そんな気がしました。皆さん全身の病と戦っていたのですね。最後まで書道を楽しみにしていた顔が忘れられません。書道教師と介護士と言葉の伝道師をしていて良かったです。お別れ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
「万法帰一(ばんぼういちにきす)」苦しみや悲しみは絶対に続かない。という意味です。本当に辛くても辛抱していると周りが助けてくれるものですね。不思議と実感しています。苦しみ悲しみ
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く